昔の国鉄阪和線
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大阪〜和歌山間を結ぶ重要路線でありながら
その生い立ちゆえに陽の当たらなかった阪和線の思い出スレ 三国ヶ丘は快速停車になってかなり経つけど、南海の急行は今でも通過なのはどうしてだろうか? >>545
中百舌鳥もそうだけど、乗り換えられたくないみたい
阪和線快速は停車駅倍増で天王寺~和歌山間が遅くなった
三国ヶ丘・東岸和田・日根野・紀伊・六十谷
昼間は日根野での連結・切り離しと長滝~紀伊中ノ島の各駅停車 乗降客増加で快速が停車になったという話もある。
三国に限らずだが、結局阪和線快速の停車駅増加も集客見込めるからと言う感じで
昔のような天王寺と和歌山の速達使命がさほど重要でないのは末期新快速の停車駅追加で
とっくに実証されてる話とも思う。 熊取は京大原子炉ができたから快速停車になったとかじゃなかったっけ。 >>546
南海の場合は自社線は難波で止まってしまうからね。
なにわ筋線できても高野線からは直通しないだろうからこのままかも。あとは準急に格下げしてしまうか。 >>548
天鉄局の人が京大出身で、原子炉と話がついたとかなんとか 東岸和田が昭和61年11月改正で快速停車駅になったのは岸和田市の人口が増えてきたこと、
岸和田市の発展が目ざましいものもあり、国鉄・天鉄局・岸和田市が協議して、東岸和田が快速停車駅になった。 103系は結局、高運転台車の方が先に消滅してしまった
多分羽衣線があるために取り扱いの面で低運転台車を後に回したかもしれないが >>548
京都大原子炉は2026年に運転終了予定らしい。
だとすると、快速通過になるのかな? 国鉄時代に標準の運転台でユニット窓、ブタ鼻シールドビームの冷房付き103系って阪和線運用あったのかな?
京阪神緩行、環状線ではよく見かけた。関西線も入線してたかな? >>554
昭和59年頃、ブタ鼻シールドビームのクハ103が先頭の非冷房の103系が
京阪神緩行線から阪和線に転属してきて運用開始された >>555
あー、その辺の頃か。
高運転台の103系って80年(昭和55)10月だったか、いわゆるATC準備型の冷房付きが
新製投入されたのは記憶にある。それまで旧来の転属組の103系ばかりで、相変わらず阪和は
お古ばっか回されてるなあ、と思ってたw >>547
てか単に直通速達需要は「特急をご利用ください」でしょ 205-1000も223-0も南海対策で急遽計画されたものだったとか 昔の阪和線と言うと、オレンジのモハ72とスカ色の70系、急行型の気動車ばかり連想する。
でも今は223系と225系の天下。羽衣支線さえそうなので隔世の感がある。
ただ、頭端式の天王寺駅ホームに佇んでいると昔と変わらず、旧型国電が入線してくるような錯覚に陥る。 羽衣線に225が使われるようになるとはまさか思ってなかったので未だになんか慣れないw 途中で増解結させるよりは同じ車両で走らせ続けたほうがいろいろと楽。趣味的には5000番台も223系も共通運用してもらいたいぐらいだが、ワンマン運転対応はそこまでしなくても良いだろう。 昔は電機もED60&61やゴハチが末期まで活躍してて独自色があった。
キハ81ブルドッグも終活の地だった。色々お古回された阪和線だが反面、マニアには
興味の事欠かない路線だった。 3ドアのクロスシート車で統一されるなんて誰が予想しただろうか? 環状線まで超ロングシートになるんだもんなぁ
びっくりだわ そもそも103系も導入当初は快速増発で投入したから通勤形と近郊形の境目はそんなになかったと思う。きのくに線まで運行してたこともあったし。むしろ京阪神緩行線のほうが今も昔もビシッと分けられてる。
その究極形が現在の阪和線3ドアクロス統一。関空輸送対策で座席は少ないけど詰め込みにも閑散時の輸送にも無駄が少なくて上手く活かせた形。 113系が検査かなんかで代わりに103系が新快速に使われたこともあったな。
新快速マークを描いたビニール幕?みたいなの掲げて爆走してた。 >>569
夕方に、天王寺→紀伊田辺なんていうのもあった。
京葉線の東京→勝浦といい勝負だった。 一応、JR化後も、黒幕になるまでは103系に「新快速 天王寺」「新快速 和歌山」の幕が入ってたはず >>569
クロス車の旧来の既成概念だけでは実現は無かっただろうね。
どれが先かって順番とかは判らないけど、
「バリアフリーの浸透」「片側1列への気づき&実施」というのを経て
クロスなのにクロスのまま詰め込むこともできる、というのが
実現したみたいな印象。 信楽高原鉄道事故や福知山線脱線事故が無かったら、JR西は阪和線向けの207系を
大量増備して103系をすべて置き換えていたかも。
その時の207系は京阪神緩行線用とは帯の色が異なり、スカイブルーの帯になっていたかも >>575
信楽/尼崎というより震災が無かったらでは?
阪神大震災が無かったら間違いなく1997年以降に207が南アーバンにも投入されてただろうし、0番代3連(現実では無理矢理1000番代のモハを挿入)の処遇も違っていたかもね
223-0ももしかしたら207を阪和に導入する事を前提にしていたかもしれないし 223-0は207-1000とシステムが共通で、というより南海対策で急遽207-1000のシステムを流用して223-0が設計された
(設計順位としては1000番代の方が先、そのため登場が1000番代の方が後ながら0番代がビードレス車体、1000番代はビード車体になっている) 103系は私鉄では東武8000系より小田急2600形の方が近かったと思う
東武8000系は高速型で103系とは異なるが、小田急2600形は103系同様に低速型だったから
(しかしその小田急は2600形同等の車体で高速型の5000形/5200形に移行するが) 阪和線は3ドアクロスシート車に全て変わってしまったが、南海には片開きドアの6000系が今でも元気に走っているのを見ると嬉しくなる。
ワシとそうかわらない年齢、ワシも頑張らねばと改めて思うのだ。 尼崎事故が無かったら321系が南アーバンにも導入されていたかもしれないと思う
201/205-0転用でも置き換えきれなかったからね 運用がめんどくさくなるからやらなかっただろう。
泉州地域〜和歌山間で人口増加している予測があるならそうだったかもしれんが、減少しかない未来では結局現在とあまり変わらなかっただろう。 旧国がまだ健在の頃、4扉3扉混結してたがホームでの乗車位置とかちゃんと区別させてたのかな。
よく線路わきに「○○乗車位置」みたいな看板?がずらっと並んでるが、当時(77年3月以前)は
まだ設置してなかったか。新快速は乗車位置をホーム上にペイントしてたのは何となく記憶にある。 >>582
その頃は整列乗車って概念自体がなかったなあ ターミナル駅だと大体、乗車位置が示されそこに整列っていう認識はあったと思う。
南海だけど新性能化が完了した後だが、4扉2扉しっかり編成区別されてたから
四国号や急行とか優等種別なんかは並んでたな。 そのとおりなんだけど、583さん含めて
そういう乗る側の認識の問題じゃなくてさ、
事業者側つまり国鉄側が混沌というか「ない混ぜ」だったんだよ。
それが言いたかった
気動車だって混成だったでしょ。
乗車位置の観念は、無いとは言えないが、希薄だった
そういう運行面の都合でさ。 和歌山駅の新快速の乗車位置ペイントってまだ残ってるのかな? 僕は阪和線の103系を初めて意識したのは2010年頃なんだけど、その阪和線の103系が京浜東北線からの転属車だったのを知ったのはつい3年前の事 >>590
べつに全部が全部、京浜東北から来たわけじゃないんだけど 国鉄時代の103系でもドアの車内側が鉄で緑に塗装されていたのとステンレスだったのと二種類存在してた。 >>591
クハ103-15〜16、クハ103-17〜18といったド初期車の連番で組まれた編成は山手線出身で転属当初は正面に黄色の警戒色が入って関西線色になってたな 昭和43(1968)年の阪和新性能化第1陣の103系6連×4編成は新製投入なので
ステンレス扉だったな。旧東和歌山も和歌山に改名、ステーションビルになって
阪和線和歌山口も一気に現代的になった。 58 名無しでGO! sage 2023/05/22(月) 22:10:41.38 ID:jEzAOX+g0
阪和の天王寺に突っ込んだ事故のニュース映像をYouTubeで見たが、インタビューで現場が直すよう苦言しても一切直さなかったって言ってるな
現場の声を軽視する体質は当時から全く変わってなくて笑うわ 修理代をケチって大事故になって結局多額の賠償金を払わさせる羽目に 阪和線103系はいくら大半が1964〜1967年製とは言っても阪和線に来たのはだいぶ後なんだよね
ここが同時期の関西私鉄車両とは違うところ 113系は詳しくは知らないけど1964年に京阪神快速に投入されたんだっけ? >>594 68年の東京周辺であれば、中央快速の乗入れではあるが青梅線でも新性能電車走ってたし、中央・総武緩行や常磐線でも新性能車投入がかなり進んでたのでは。
大阪環状線でも72系が相当数走ってた頃か。 68年に新性能車初めて導入ということは、東京の私鉄では8000系入り始めた東武東上線と同様と考えればよいのか。 今の阪和線は223・225系に統一され隔世の感があるが、たまたま天王寺の行き止まりホームにいたところ、列車が全くいなくなった。
ホームのドームは昔から変わらす、今にもオレンジのモハ72が入線して来るように思った。 今の阪和線は223・225系に統一され隔世の感があるが、たまたま天王寺の行き止まりホームにいたところ、列車が全くいなくなった。
ホームのドームは昔から変わらす、今にもオレンジのモハ72が入線して来るように思った。 >>603
その223系も一部が嵯峨野(山陰)線に転属 ライバル南海の新性能通勤車は63年(昭和38)にすでに7001系をデビウさせていた。木目のアルミデコラにファンデリア、
住友ミンデン台車(空気ばね)にふかふかのモケットロングシートで乗り心地、アコモ共々上々だった。 >>606
その南海7000系は台車が東武8000系に類似してたな 103系は本来駅間の短い山手線用として開発された車両だったため、阪和線では使いにくかったと思われる >>602 東武東上線の8000系導入、63年だった。東京の大手私鉄幹線でかルダン車入るのが最も遅かった東上線に5年遅れて、阪和線にかルダン車投入ということか >>605
湖西線や草津線でも運用してる
>>607
でも当初は快速用として導入された 113系投入後、データイムはブルーライナー色(冷房付き)が新快速、間合い運用の春日色(非冷房)が快速というのが
ひとつのパターンだったような。んで新快速最終が天王寺(和歌山)に着くと、H・Mを折り返して赤と青だけの模様で
快速運用になった記憶。 連投だ。その春日色113系も関西線快速のH・Mは付けたままでこれも折り返して赤一色にして阪和線快速で運用していた。 阪和線の新快速に乗ったが、写真は撮っていなかった
まだ旧型電車が残っていたころで、そちらばかり優先、もったいない 103系の快速運用、周辺私鉄に例えるとすれば阪急3100系を神戸線の運用に就かせる様なもの
(3100系は宝塚線用の低速型) >>614
阪和沿線住みの天王寺区以南住み民は阪急を生活圏で使わんし
観光とかでたまに京都に出るときくらいしか乗らないから
例えがいまいちよく判らない。
他にわかりやすいタトエない? 103系は快速どころか、検査で113系が不足の時は新快速にも使ってたな。
区間快速乗ってて長滝で通過待ちしてたら吊り掛けのような爆音(多少色付け)で走行してたよ。 >>617
ええ103が新快速!?(モーター壊れそう)
想像しただけでも恐ろしい 103系は最高速100キロでそれ以上は出さないからな、心配無用。 >>616
南海6000は性能的には近郊型の方が近いから話が違う 七尾線で活躍して最近廃車になった415系の800番台33両は113系の改造車だが、その中には元天オトで長年新快速カラーで活躍
した車両がクハ4両、モハ7両合計11両ある。
阪和線の新快速カラー6連3本の18両だったからそのうち11両が415-800番台に改造されたわけだが、クハの4両(クハ111時代の
車番は52、339、352、360)のどれかは新快速色に復元して京都鉄博に展示してほしいなぁ。
でももう潰されて残ってないんだっけ・・・? 関西では103の使い方を本来とは間違っている路線が多かった感じ
東でも常磐快速線があったが >>622 東で武蔵野線、それに京葉線や埼京線の快速も同様。構想だけで終わった「105系(仮称)」を導入すれば良かったわけだが。赤字国鉄にコスト高の通勤車両を量産する余裕が無かった。 103は113/115の通勤型版ではないんだなぁ… 103の数をもっと少なくして、その代わりに113系のロングシート版を投入しておけば良かったのかも・・ 初めて103系が登場した当時の阪和線は、くすんだオレンジのモハ72や、古ぼけた70形
煙染みの付いた気動車の中にあって、「掃き溜めに鶴」の様相を呈していた。 >>625
まぁ現実には山手/京浜東北線のATC化による余剰車の活用もあった(と思われる)から… DC時代のくろしおは阪和間無停車で45分、きのくにで48分とかだったと思うが結構な俊足だったな。
紀勢線電化後もきのくにはDCで残ったけど、113系普通とたいして変わらない所要時間で
ただただうるさい存在でしかなかったw いえいえ、元々国鉄が昭和33年に運行開始、翌年から南海も自前のDC新製してきのくにとして乗り入れ開始。
最盛期14往復前後の大所帯急行だったな。片道夜行もあった。鈍行B寝台の後に天王寺出て新宮翌朝5時10分着くらいだったか >>629
南海から紀勢本線に直通する列車があったなんて隔世の感があるね 阪和間は今はクルマで往来しやすくなったけど、平成元年頃までは高速は阪南ICから海南まで。
昔ながらの下道(国道26)での移動だったな。海南から湯浅までは84年(昭和59)には出来たがそこからはやっぱ国道。
紀南観光というと釣りとかで荷物がある人は大体クルマ、温泉や名所めぐりは鉄道、みたいな感じだったかな? 阪和自動車道が松原まで繋がったのが平成初期なのよな >>629
南海きのくにを知ってる者が
どうしてそんな認識になるのか判らんわ。
片側だけ知ってるってのがありえん >>634
西名阪も近畿道につながっていなかった頃、トラック乗りをしていた。
名古屋から名神を使って大阪に行くより、実質高速の名阪国道を利用する方が
ずっと安かったのでよく利用していた。 西名阪はよいけれど東名阪を東京・名古屋・大阪の列挙として使うのをやめてくれ。 西名阪はよいけれど東名阪を東京・名古屋・大阪の列挙として使うのをやめてくれ。 急行きのくにのように、発着地が異なる編成を途中で分割併合するが、一つの列車名で統一するケース(他に伊豆急下田行き+修善寺行きの特急踊り子など)と、別々の列車名にするケース(例:DC急行ときわ+奥久慈、DC急行アルプス+かわぐち(富士急乗入れ)など多数)の違い、基準って何かあるのだろうか?
南海乗り入れの方を別の列車名としてもおかしくないと思うのだが。他に適当な名称が無かったからか? 60年代までは紀勢本線全線で運行区間で色々愛称があった。
紀州、しらはま、南紀、はやたま。。 >>642 マルス導入以前の話だろ、電話連絡だから多様な列車名つけとかないと間違いや混乱が生じる。
号数つけるにしても1号、2号位ならいいが、10号、15号と多いと混乱する。 >>641
埼玉県加須市立○○小学校
7月20日は終業式です。おかげさまで大きな事故や怪我・不登校もなく、1学期を締めくくれ
そうです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています