阪和線沿線民なら昭和の頃、小学校の修学旅行は「お伊勢さん」だったという方は多かったに違いない。
利用した交通機関は、基本、近鉄派(あおぞら)と国鉄派に分かれ、おじさんは国鉄派だった。

あれは昭和55年の5月頃か…早朝、津久野駅に集合し、わくわくしながら急行型のキハ58や65で組まれた臨時列車に乗り込んだ。
おじさんのクラスは新しいキハ65で感激、隣のクラスは座席がくたびれたキハ58だったので
運がよかったのかも知れない。

隣の上野芝駅では他校の生徒が乗車、杉本町から阪和貨物線・関西線亀山経由で一路、伊勢市駅へ。
途中、関西線のどの駅か憶えていないが、行き違いで停車、その駅のめちゃめちゃめちゃ古い木造の駅舎に感激した。
おじさんは当時から鉄ヲタだったが、何処の駅で運転停車したかは憶えていない。
多くの駅を通過し、関西線の電化区間はそこそこ飛ばしていたと記憶している。
因みに復路は鳥羽駅から乗車、同じ編成だった。