懐かしの東武鉄道について語ろうパート6
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>>361 冷房の問題だけでなく、全電動車だったのを一部電装解除して、比較的駅間距離の長い郊外区間に投入することに難点があったのでは?
元々、そう長期間使う予定ではなかったから冷房化見送りしたんだろ。これをもっと長期間使うことになれば、冷房化していたのかも。
阪急2000とはかなり事情が異なる。 モニタールーフだから冷房が付けられなかったというのは阪急からしてみればただの言い訳にしか聞こえない。 >>363 中間車の先頭車化以外に最小限の改造で暫定的に使用する予定だったから、金かけたなかったんだろ。阪急2000は先頭車化改造なんてしたか?
共に日比谷線乗り入れしていた東急7000にしても短編成化したが、冷房なしのままで秩父鉄道に譲渡され、短期間で廃車されただろうが。 そもそも、地上転用して冷房化するぐらいなら、2000のまま(地下鉄直通)で冷房改造するわな
2000の冷房化が困難ということにして、半ば強引に20000を入れたようなもの
で、中間車が車齢20年未満だから暫定的に転用 >>365 じゃ、東急7000はどうなるのよ。ステンレス製だから東武2000よりも車体寿命は長いわな。
2000のままの地上転用たって、18mオールM8両のままで伊勢崎線に入れるわけ?
10両運転やっている東上線じゃ使えないし。伊勢崎線でも東武動物公園以南の各停にしか使えない、ってことになるのでは? 東武熊谷線って今の秩父鉄道のホームから出て上熊谷まで共用だったのか
ということは羽生まで乗りいれもできたはず
イベントで活用しなかったのか >>367
ホームは共用していたけど、線路は別々で上熊谷まで並走していたんだよ。
ちなみに熊谷のホームは、熊谷線(4番線)と秩父鉄道(6番線)の羽生方面行きが背中合わせになっていた。
真ん中に車止めがあり、相互には行き来できないようになっていたし…。 >>368
これでしょ!
熊谷
http://dagashi.org/local/kumagaya.html
ttps://www2.ctv.co.jp/tekken2/files/2016/01/8c05b42a183e478161c81492be1db1fc.jpg
ttps://www2.ctv.co.jp/tekken2/2016/01/25/15253
ttp://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/jousetu/t_kumagaya_line/kumagaya_s.htm
上熊谷
http://sk-photo.main.jp/tetsu/1981/1018kumagaya/140.jpg
http://sk-photo.main.jp/tetsu/1981/1018kumagaya/kumagaya.html
ttp://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/jousetu/t_kumagaya_line/kamikumagaya_s.htm
熊谷線の線路は仮線で、秩父鉄道の熊谷〜石原にある複線用地を借りて敷設
本来は高架で計画されてたが、軍の早期開通を要望したため急遽仮線に変更
複線化時には返還する旨の契約だとか 熊谷駅の高崎線と秩父鉄道のホーム間に駐車場があるけど
よくみると階段があってホームの高さで階段が途切れてる
あれって駅舎建て替えたときに熊谷線用に作ったものなんだろうか
当時は既に熊谷線廃止が検討されていた頃だったから専用ホームは作らなかったみたいなのありそう >>363
電車の冷房化できないパターンは
1) 台車が増加荷重に耐えられない
2) 屋上の冷房機重量に構体が耐えられない(←2000系の場合/実際に更新前の1700系は耐えられず変形した)
3) MGの出力が足りない
があって、それぞれ
1) 台車(車軸)交換
2) 構体補強 or 軽量な冷房機を搭載 or 冷房機を床上に設置
3) MG(SIV含む)を増設・交換 or 直流電源作動形を載せる という解決策がある
東武の場合、阪神・京急みたくモニター屋根を引っぺがして構体を作り直す
(必然的に内装も解体する必要がある)までの手間はかけたくなっかったんでしょう
先頭車化改造なら改造部以外は内装もそのままでいい >>371
あれは国鉄の貨物ヤードを潰して作った高崎線の仮ホームがあった場所
それもあって国鉄は熊谷貨物ターミナルを建設した
(ソースは鉄道建設公団の上越新幹線工事誌、建設中は見たことがないです)
この影響で熊谷での国鉄-秩父鉄道間の貨物の受け渡しができなくなり
秩父鉄道は三ヶ尻線を建設した
この過程で大泉町の旧中島飛行機の飛行場跡地(当時自治体が保有)に国鉄が目をつけ、
貨物ターミナルの建設&東武熊谷線の利根川架橋を計画するが
同地に工業団地を誘致し、雇用を創出したい自治体側が煮えきらず、
新幹線建設待ったなしの国鉄は計画を撤回、現熊谷貨物ターミナルを建設するのであった
なお、飛行場跡地に工場誘致は成功し、スバル大泉工場となる この時点では太田飛行場跡は大蔵省保有(国有地)で地元自治体(太田市・大泉町)払い下げ予定だった(汗)
大筋は変わらないので許して 熊谷線残ってたらパレオエクスプレスどうなったんだろう?羽生までいってから方向転換? 先週の土曜(8/18)本川越駅ビル内にあるポポンデッタで
鉄道ファン1961年10月号を買った。裏表紙が前年(1960年)
デビューしたばかりのデラ(1720系)を扱った東武の広告だった。
そこには「世界に誇る夢の超特急」の宣伝文句もあったw
それにしても東武ってこの年まで床が木で出来ていた78系を
作っていたんだよね・・・・・・。 >>377
当時は国鉄も床が木の車両絶賛製造中ですよ
北海道向けディーゼルカーだけど 気動車の板張り床はあくまで保温目的で付加したものでしょ 熊谷線10mレールでやたら飛ばしてた気がするけど最高速どのくらいだったんでしょう? なんといっても、「DRCより新しい78があった」&「78の製造が終わったと同時に2000系の製造が始まった」という事実。 あの床の油臭さで戻してしまった可哀想な人もいるんだろうな。
学校の床掃除でリンレイの黄色いワックスは使ったものだが、ボロ電車には何の油を染み込ませてたんだろ?
適当な廃油か? >>383
クレオソートかなぁ?
防腐剤として木の枕木とかに使ってる
発がん性物質らしいけど
良くガーデニングに木の枕木使われてる
みたいだけど雨で防腐剤流されると白アリが
発生しやすくなるらしい >>380
吊革が網棚にぶつかりまくっていたものね。 >>385
野田線の3000系でもカコーン!とかなっていた
非冷房なので天井が高く、つり革の長さがやたら長い
吊り掛け駆動、開け放された窓、MGの軽い唸り、構内踏切、発条転轍機
交換列車は54系か?貨物列車か?
雑木林の中をゴトゴト走るローカル線が野田線のイメージ
柏ー大宮行きは30分〜45分に一本、運河行きは無くて、清水公園か野田市行き
船橋方面もそんなもん
今では信じられないが、逆井駅は単なる棒線駅で裸電球ひとつあるだけだった! >>383
リンレイの商品で「床油」というのがある
蒲原鉄道の車両の床は「床油」なるものを塗っていたと本で読んだのだが
おそらくこれに類するものかと
>>386
石油由来のクレオソートと植物由来の木クレオソートは別物だぞ >>380
運転士スタフには
熊谷〜上熊谷:35km/h
上熊谷〜大幡:55km/h
大幡〜妻沼:65km/h
と書いてあった覚えがある。 >>389
500馬力エンジンで時速120キロ運転していれば生き残れたかも >>391
カーブで横転必至。高崎線を跨ぐ築堤の上から転落。
…って、真面目に考える事ではないな。 >>389
それだけの速度が出てれば、バスよりは速いか・・・ >>392
現代ならロングレールとアクティブサスペンションでなんとか。 館長さんの本には運が良ければ高崎線の特急と競争することもあるって書いてあったっけ。 珍特急だよね?
熊谷はまだまだ通過する方が多かったかり、 東上線沿線住みなんだが、遠い昔の子供のころに「荷物電車」走ってるのを見たなあ。
あと武蔵嵐山〜東松山間の旧線跡の山林の中の小道をよく自転車で走ったりしたな・・・ 名鉄のスカーレットはパノラマカーに倣ったってのは分かるけど、
東武のセイジクリームはどこから出てきたんだろう。 塗り分け面積が1:1なら単純に工期が減るだけだよな。 手抜き塗装ってのは、窓回りのグレーだけ取り除いて後はそのままの西武線みたいなのを言うんだよ >>401
組合がスローガン書けないように、というのは単なるデマか? >>403
窓周りはベージュだね、4扉の2000からでしょ
>>404
かの下地色はアジ電対策!?
石灰ダメなら、つばめみたいに大判ビラ貼ればいいだけのこと
ttps://twitter.com/jonchama/status/525985911654203392
でも結局こんな感じになるのだろう(寺社にある千社札のような状態)
http://img-cdn.jg.jugem.jp/a06/3241263/20150428_278868.jpg
http://img-cdn.jg.jugem.jp/a06/3241263/20150428_278885.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>404
1色ならなおさら書きやすいじゃないか。
国鉄の電車を思い出せ。
ハケ書きだけでなくビラやステッカーも使ってたし。 >>400
この頃の東武は徹底した合理化を進めていたからねえ
当時、方向幕を変えるのも駅員の仕事で、駅員の削減で矢印の行き先が増えたのもこの時期
特に東上線は池袋を発車すると同じ種別で池袋に戻ってくるから
合理化しやすくて池袋以外は方向幕要員の駅員がいなくなった
越生線や小川町寄居間への回送は「坂戸⇔越生」や「小川町⇔寄居」の幕で回送していた
他社ではこの頃は既に乗務員が方向幕を変えていた時代だったが
東武では労組が労働強化に反対しててなかなか移行できずにいたのよね
>>401
昔、niftyの掲示板でセイジクリームは下地のさび止め塗料を使ったって書かれてて妙に納得してしまったw
当時の下地塗料はクリームかエンジだったしw 伊予鉄「朱色とクリームのツートンやめて片方だけの一色塗りにします」 回送のときも「回送」の表示は出さずに、中間の微妙な位置に合わせてたよな。 >>409
つうか[回 送]がないから中途半端な位置とか[○
○]になってたんじゃないのか?
運用番号表示の3000や2000の方がわりと[回□送]と表示していた気がする。 本当はちゃんと空白の位置にしないといけなかったんだけど
単に空白の位置まで巻くのが面倒だから中間にしていただけ 未更新8000の連結部のハンドルをくるくる回した思い出 >>407 合理化するんだったら、7800や7300の前面サボを廃止し、西武や東急でやったような運転室内方向幕に取り換える方が先決ではないのか?
準急や急行の表示は、正面窓の右上につける西武方式で。 フライング東上、ロマンスカーのころはまだしもボロいカステラとか乗る気にはならんかったろうな >>417 音がうるさいしね。モーター音だけでなく、コンプレッサーとか鳴り響いてるし。
これは、旧国73系の全金属型にしても同様だが。 東上線は途中でトイレ廃止するし、ロング車ばかりにするし、TJライナーまではやる気なさげだったな。
秩父行くにも西武国鉄のほうが100倍愉しかった >>416
東武の場合はそれ以前に労組が反対してたから、やったところでどうにもならなかったw
乗務員がやるようになったのは20年ぐらい前からだけど、
8000系未修繕車がLED幕なったのは乗務員が幕をが変えるなら全車自動幕にせよという要求を呑んだからだし >>420
そんなにうるさい労組なら行先表示なんて些末なことでなく、さっさと木床車輌の排斥を叫ぶべきだったよな。
浅草は誤魔化せても国鉄と並ぶ池袋では恥ずかしいんですよバーロー!とかな。 >>421
労組は車両を置き換える金があるなら合理化をやめろって立場だったし >>420 6050だと東武日光、鬼怒川温泉、会津高原のように3つの行き先が前面方向幕に表示され、かつ6両編成の各2両ユニットで側面及び車内方向幕の行き先が異なるものがあるわけだが、これら方向幕の転換全てが浅草駅の駅員の仕事だったのか? >>199
20050系・9050系のLCDは山手線のサハ204の影響じゃないかな?
小田急も1000形の一部で採用したがこちらも10年未満で撤去。 そう言えば1800系の行先札?
あれも駅員がやってたんかね?
それより、全指ならいらないような気もするけど。 >>423 >>426
みんなそうよ
サボだけでなく、ボタン1つの自動幕でも乗務員室に駅員が入り込んで操作してた 鶴瀬本の内容の感想キボンヌ。
高くて迷ってる。
読みにくいとかはいい。
内容の質を知りたい。 幼稚園頃に親と親戚のいる「イナカ」に行く際、久喜で東武に乗り換えると必ず恐いボロ電車(73か78)に乗り合わせたものだ。
反対側に来るキレイな電車(8000)が羨ましかったのと、連結面のマジックハンドみたいな金具が珍しかった。
国電に無かったアレは、何のためにいつまで付いてたんだろう? >>431
阪急の8040にも似たような金具が幌に取り付けられているから、阪急関係のスレで聞いてみたら?l 訂正、阪急7450+7320、先頭車同士の連結貫通幌写真だな。
NGワード規制かかっているのでURL載せられないが、検索して確認してみて。
これがないと、高速走行時に幌がガタついて困るとか。
ちなみに、別の車両だが、阪急の転落防止幌付きの場合、このような金具はついていない。 車番?の表示でクモハがクハと表記されていた気がするけど、いつのころからか番号だけに変わってしまった。
なんでクモハにしなかったのだろう。 東武の場合はクモハもモハですねw
車内表記で無くなったのは30000からでしょうかね? 現行色になったら種別表記をやめたよな。
乗客には無関係だし、内向けには見りゃ分かんだろってことか。 >>434
8000系の塗装変更(白に青帯)からだった気がする 話題に出ないから振ってみるが、6000系ってけったいなシートだったな。
背面は腰上10pくらいしかクッションが無く、それも上端がパネルから浮いてるから頭をもたせ掛けられないハンパ構造。
うとうとしたら後頭部をパンパン当てて痛くした記憶がある。
国鉄車両でなくてもクロスシートは普及してたはずなのに、なんであんなビンボタイプを採用したのかな。 >>440 国鉄115系並みと考えればよいのでは?
ごく一部を除き特別料金取らない快速運用だったわけだから >>441
当時は特急なんて浅草行かなきゃ乗れないお泊まり客様用列車。
今みたくどんどん乗ってください、というか乗れよ!なんて微塵もございませんや。
>>442
国鉄近郊型シートは幅が狭くても、肩が浮いたり頭の置き場に困らないから115系並みってのはない。
下半分だけクッションなんてのは湘南型80系の初期タイプ並みです。 >>443 一般的に、座席の幅やシートピッチの方が重視されると思うのだが。
東武6000のシートピッチは1480o、115系等国鉄近郊型車両は1420o。 俺も6000系にはあんまりいい思い出無いなぁ
シート背ずりの貧乏仕様もそうだが、
非冷房で、朝方上り快速にも平気で4両でやって来る
春日部駅から北千住駅までの20分ちょいの時間が物凄く長く感じた子供時代・・・ 幼い頃、DRCが満席で仕方なく6000に乗ったけど、なにぶん子供の頃だったから不満だった。
車内で揺れて座席のひじかけに頭ぶつけたり、混雑していて、正直嫌いな車両だった。
快速急行だいやで帰る時、ダイヤモンドみたいな豪華な列車が来ると思ったら、
6000系だったからがっかりした記憶がある。夏場は暑かったし。
中学生くらいに乗車した時は、夏場だったけど、窓を全開にして、
栃木辺りの風景と風が気持ち良くて6000も悪くない車両だな、と思った。 >>446
ダイヤというよりコンクリートみたいな座席だった 国鉄近郊形(ピッチ拡大前)の狭さもアレだったが、東武6000の上半分板張りはなぁ…
大人しく座っていれば問題ないとは言え、つい居眠りして寝返りうった時などにゴチン!とか
8000の冷房化が進むと、別料金出して暖房車!?みたいなところもあったし 6000系といえば、子供の頃、自分が乗ったやつの反対方向のが6050系で、何か悔しくて泣いたわ。 ほんの一時期だが6000+6050って編成もあったね
そういえば6000って宇都宮線普通列車の運用に入ったことあったっけ? 6000が冷房化できないのは床下がびっしりだから…が通説らしいが、そしたら6050更新の際は何をコンパクト化やMcへの移設をしたのかな?
ブロアレス抵抗器はご立派なままなのに。 適当というより、冷房搭載を前提に設計してないから各機器の間隔が余裕持って配置されてたんでしょ
6050では機器間隔を詰めたから搭載できたと 車体が対寒大雪設備が不十分で、冷房機を搭載すると車体が持たないから更新した、と聞いたけど、違うの? 単なる老朽じゃないのか?
更新時点で20年前後の経年だったし >>457
ほぼ同時期の8000が車体載せ替えじゃなくて修繕で済ませているという事実。
シートがそんなに酷かったんだったら、Tc車の床下機器配置を全部やり直して
冷房化してシート取り替えて・・・なんて手間をかけるより車体を
そっくり載せ替えた方が手っ取り早い、って判断なんだろうな。 まぁ、野岩線が開通するからイメージ一新しようっていうのもあっただろうね この時期は東武の車両置き換えや更新のプロトタイプって印象があるな。
戦前国電フォルムの78更新がほぼ終わる時期と重なったが、6050の前面や下降窓採用が斬新すぎるもの。
6000の焼き直しでなおも東武顔で造られても不思議ではなかった。
設計陣はよくぞあのカタチを通せたものだよ。 2000は代替新造
6000は車体載せ替え
8000は修繕
同時期の車両でもそれぞれ事情が違うから、手法を使い分けたということか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています