【トルペード】木造車【トラス棒】 2両目
>>57
無理な注文だが関東大手の観察記録も遺して欲しかった
京浜1形など、どう表現されただろうか 元京急木造車
御大は琴電や和歌山に引き取られた車なら見たことあるんじゃないか? >>42
飾りというと静岡のトレインフェスタの帰りに見た静鉄のデワ1は、
電動貨車である以上絶対に装飾目的なんてないはずなのに、
なぜか正面から見るとカンテラを思わせる美しいデザインだったな。 >>60
京浜は外観だけ。
しかも正面のオデコのとこ。
車内は特筆するものがなかったに違いない ぶっちゃけどこまで木造車とするのか定義がわからない。
窓枠含め壁など内装が木製なら木造車なのか、外板まで木製でないと木造車ではないのか 内装は木でできてる方が暖かみがある
阪急が木目調の化粧板を使ったのは慧眼 樹脂の匂いが鼻先を霞めると
木が使われてることを実感できた 京都のJRバスで嗅いだ記憶あり
2000年頃な
さすがに今はもうお釈迦にされただろう >>63
静鉄デワは木造車マニアの最後の砦
長崎とか他社のやつはイマイチ好きになれん >>68
俺の地元では東武78の一団
雨の日の翌日は濡れた靴の裏面にくっついてきた砂が乾燥して床一面に拡がり
なんともカオスな状態になってたのを思い出す >>80
最初は単車の置き換え目的だぞ
田栗さんの著書を読めばわかる >>22>>23
別府は遠すぎて行けなかった子供の頃の自分にとって西武山口線は聖地だった
初めの目当てはSLだったのに、何のきっかけか分からないが元頸城のPCに気が入ってしまい
他の子どもたちがSLを前にしてはしゃいでる傍らで自分だけPCに張り付いてたw
親もさぞかし不思議に感じてたに違いないw
その後遊園地に行くたびに乗ってた おとぎ列車懐かしい。
大人のくせに窓から身を乗り出して前景見てるのもいたし、
危ないからやめろと注意してもどこ吹く風、
事故起きなかったのが奇跡だな
オープンデッキなのでステップ部まで足を踏み出して
沿道の木々を触ろうとしてるのもおった 特急車など乗ったことがなかったからデッキ式が珍しかったし
戸閉しないまま走り出したのも驚きだった 営業車といっても山口線はアトラクションだからな
乗り鉄的には別府鉄道の方に魅かれる >>0PD88ilT
お前さんが書いてるのは木造車の思い出というより山口線の思い出じゃんか そういえば山口線も別府線も奇しくも同じ1984年廃止 >>98
メンテナンスのノウハウがしっかりしてないから たとえ手間かかってもペンキ塗りに限る
ラッカー仕上げはだめ 静態ではあるが天竜のサエ9320などは、
拝みに行った木造マニアも多いのではないかな 日本古来の建築物で竹で出来てるものがあったら教えて欲しい
昔から使われてないということは後は推して知るべし >>101
ここで聞くことではないかもしれんが
昔、どのくらいの頻度で塗り直してたのかな 廃止直前の別府鉄道で初乗車、そしてラスト。
あと10年早く生まれてたら… 南海軌道線のモ101 路面電車と思えない風格でかいマスコン
内装も手が込んでいる >>121
だな
鉄ヲタってこういうところでケンカするから嫌だ 有りし日の北丹鉄道の映像アーカイブを見てきたが、当時でもかなり古めかしい木造で、客が「大丈夫かこれ?」と半笑いしながら乗り込んでいたのが印象に残る
車両もボロなら線路もボロ、ボロボロ尽くしでよく大阪万博まで持ったものだ 今格差社会というけど 高度成長期のころもあったからねえ
ネットが通じてる今と比べて田舎へいくと発展途上国みたいな感じだったし
北丹は別格だが はつかりガッカリ、ですね。
鉄道なんでも入門で知りました >>125
見ただけで傷んでると分かってたのか
そのような車両を乗ったことも見たこともない 紀勢線下里⇔串本間開業当初の混合列車の写真を某HPで見たことがあるが
バッファと螺旋連結器を付けたC11が牽くダブルルーフの二軸客車が
明治村で現役のそれに似ていた(同型か?) >>132
非動力車は走ってる最中に分解しなければそれでヨシ! >>133
そうかもしれないけど、昔は日本中に同じようなのが走っていた。 >>133
新宮鉄道の国有化後も社形車両しばらく使用されてたわけだから
同形式そのものじゃね? >>130-132,134
監督官庁の抜き打ち検査みたいなものは当時無かったんだろうか 末期の草軽電鉄でなかったっけ?
北丹でもあったのかな あっただろうが、軌道の整備不良じゃなかったっけ?
当時はまだ木造車は珍しくなく、木造だから直ちにダメという風潮はなかった 北丹は昭和45年まで存続した
もうこの時代になると木造車を営業線に出してる事業者はかなり珍しくなってたのでは?(遊覧用を除く) スレチ失礼
>>137
新宮鉄道は明治村のやつを記念で里帰りさせたよな。
木次線100年のとき加悦の機関車里帰りを提案したんだけど無理だった
雲南市レベルでは自治体に体力ないから仕方ないから 見た目にそんなに特徴なくて気づいてない客は多かったはず 燃え難い処置は施されてるだろうが一旦着火したらすぐに炎上するのだろうか 駿遠線は路線縮小のときに鋼製車を廃棄して木製車を遺したんだっけ? 茨交水浜線も10両の鋼製車は縮小時仙台市電に売られて、廃線時は6両の木造車で
運行していた そうだったんだ……
客の目にはどう映ったんだろうね
もう辞める気満々じゃん!とか 本当は抱き合わせで売りたかったのに買い叩かれて木屑だけ残ってしまった
まあ動かせないこともないのでそれでもいいか、となった >>155
減便とか値上げとか、ほかのところで感じ取れることはあったと思う でも仙台市も茨城交通から買って10年もしない間に自らも廃業の憂き目に遭いました 小田急って創業以来一度も木造車を保有したことなかった? >>159
いや、戦前の一時期、車輌増備がままならず省のモハ1形3輌を譲受し、
モハ51形として使用した時期がある。
大東急時代に転出 仙台市電300型連接車、書類上新製でよく昭和30年に木造で認可が下りたね >>161
カラーブックス「小田急」によると、故障が多くでダイヤを乱したのでギャングと呼ばれていたそうだ 中古品の取引とはそういうリスク込みでお互いやってるんだろ
中古車市場と同じ