【トルペード】木造車【トラス棒】 2両目
>>132
非動力車は走ってる最中に分解しなければそれでヨシ! >>133
そうかもしれないけど、昔は日本中に同じようなのが走っていた。 >>133
新宮鉄道の国有化後も社形車両しばらく使用されてたわけだから
同形式そのものじゃね? >>130-132,134
監督官庁の抜き打ち検査みたいなものは当時無かったんだろうか 末期の草軽電鉄でなかったっけ?
北丹でもあったのかな あっただろうが、軌道の整備不良じゃなかったっけ?
当時はまだ木造車は珍しくなく、木造だから直ちにダメという風潮はなかった 北丹は昭和45年まで存続した
もうこの時代になると木造車を営業線に出してる事業者はかなり珍しくなってたのでは?(遊覧用を除く) スレチ失礼
>>137
新宮鉄道は明治村のやつを記念で里帰りさせたよな。
木次線100年のとき加悦の機関車里帰りを提案したんだけど無理だった
雲南市レベルでは自治体に体力ないから仕方ないから 見た目にそんなに特徴なくて気づいてない客は多かったはず 燃え難い処置は施されてるだろうが一旦着火したらすぐに炎上するのだろうか 駿遠線は路線縮小のときに鋼製車を廃棄して木製車を遺したんだっけ? 茨交水浜線も10両の鋼製車は縮小時仙台市電に売られて、廃線時は6両の木造車で
運行していた そうだったんだ……
客の目にはどう映ったんだろうね
もう辞める気満々じゃん!とか 本当は抱き合わせで売りたかったのに買い叩かれて木屑だけ残ってしまった
まあ動かせないこともないのでそれでもいいか、となった >>155
減便とか値上げとか、ほかのところで感じ取れることはあったと思う でも仙台市も茨城交通から買って10年もしない間に自らも廃業の憂き目に遭いました 小田急って創業以来一度も木造車を保有したことなかった? >>159
いや、戦前の一時期、車輌増備がままならず省のモハ1形3輌を譲受し、
モハ51形として使用した時期がある。
大東急時代に転出 仙台市電300型連接車、書類上新製でよく昭和30年に木造で認可が下りたね >>161
カラーブックス「小田急」によると、故障が多くでダイヤを乱したのでギャングと呼ばれていたそうだ 中古品の取引とはそういうリスク込みでお互いやってるんだろ
中古車市場と同じ