【トルペード】木造車【トラス棒】 2両目
題名を少しだけ変えています 「木製車」→「木造車」
この方が一般的だと思いました。 偽スチール車もここで語ってもいいかな
名鉄520が現役車としては最後になると思う 鎧を身に付けてるようなものだから半鋼製車よりも重いのかな 重さよりも、鉄板に被われてしまった木の外板が腐蝕しなかったのか気になる
誰か教えてエロい人 トラス棒をぶら下げながら走ってる電車はさすがに見たことない
棒があったら点検のとき邪魔でしょ トラス棒がなくて台枠中央が本当に垂下した車両があったのでしょうか
実は杞憂だったのではないでしょうか >>11
ピクトリアルで東武の前橋線(路面電車)が両端が垂れ下がったまま走ってる写真を見たことがある
単台車のため、中央ではなく両端が垂れ下がるらしい
戦後混乱期、保守がまともにできていなかった時代の話 >>9
テレビのCMに使われるなどして知名度が上がり切ってしまった晩年、
大勢の撮り鉄氏に混じってトラスロッドを観察させてもらった 外気に直接触れなくても腐食するでしょ
湿度が高い日本ならなおさら >>14
大多数は戸袋窓にレンズを向けてたと推測
ま、足回りにズームする人はあまりいない >>6
土山駅で目撃したのが廃止数年前、1982年頃
営業に使ってるのか単に放置されてるのかは
よく分からなかった 木造車体は色落ちしやすいから
結構マメに色の塗り直しをしてたのですか? 返す返すもザンネンだったのが西武山口線、井笠から来た木造車、ダブルルーフもあったくらいで
稀少なのはもちろん、実に楽しかったよ うわっ忘れてた西武山口線があったな
地元なのに完全に抜け落ちてた
井笠から来た客車とコッペルともども実家には何枚も写真残ってると思う 模型の世界だとジオラマに出てくるのが、真ん中が垂れ下がった客車が台車を外されて構内に倉庫代わりに置いてある・・・というシーン。
近頃はめっきり見なくなったな、もう覚えてるやつもいないんだろうか。 私鉄の省型客車の中には、締め過ぎによる逆反り状態のがけっこういたな。
満員時のことを考えてのことなのかと。 くだらん書き込みばっか
話題なかったら無理に振らなくていいよ >>3
誰も書かないけど偽スチール車といえば別府鉄道ハフ7
自分にとって唯一の乗車体験のある木造車
背もたれが昔の国鉄駅ホームにあったような横板を並べたスタイル
要するに布ではなく、硬いw
廃止前に乗って、その後の消息を知る由もなかったが
歳月が流れて自宅近くに保存されているのを知って嬉しくなってしまった。
出自が神中鉄道というのも当時は知らなかった 大都市近郊に時代が止まってるような小私鉄が1980年代まで生き残ってたことが奇跡 >>6と>>18に別府鉄道のこと書いてる人がいたね
スミマセン
>>34
近郊とは言い難いが近畿一円で京都の加悦鉄道も狙い目だったが、
行く機会がないまま廃線、乗車体験は叶わなかった。 内装が木でできてる半鋼製車がまだたくさん残ってた時代、
木造車の車内にそれほど感動する要素はなかった
マニアが木造車に乗る目的はただひとつ、外板を観察することにある 送信ミス失礼
ニセスチール車ならばそれもできないことになるな>>36 >>36
装飾は木造時代の方が凝ってたというよ
ピクトリアルのバックナンバーなどを読んでると、
たとえば大鉄デイは単なる輸送機械の範疇を越えて
芸術作品と呼べるくらいの精緻な造作が
車内に巡らされていたことが分かる
木造だからこそ可能な手技。
現役で活躍してた時代に乗ってみたかったと何度夢想したことかw 大鉄はちょっと異質だ
有名な側面飾り窓もそうだし、意匠に拘り過ぎ
同時期、他社で装飾にそんなに特色持たせたところはない >>42
典型的な頭でっかち思考だな
見もしないで何か分かるのか この手のスレはネットで得た知識の披露オナニー大会になってしまうな >>42
車内装飾に目が向くとはニッチ度はかなりのもの 静態保存以外でも
車庫や大きな駅の片隅にダルマにされて
朽ち果ててるのなら何度か見たことあるし
そういうのも書き込ませてもらうよ
現役で働いてる車に乗れた人なんて
かなり年輩しかいないはずだから そもそもスレ立て自体が無謀だったんだよ
10年くらい前のリアル体験談が多くて有益なスレばかりだった頃ならともかく、
雑誌やネットの情報を機械的に書き込んでるガキだらけに成り下がった懐かし板に… 廃止直前の鹿児島交通加世田駅にもダルマではないがボロボロに傷んでる木造客車が放置されていた
当時は客車よりもキハに関心が向いていたので
写真も撮らずにスルーしたことを後悔
すぐ傍には錆びたSLも野晒しで放置
プラットホームの間近にあって立ち入り制限の柵やトラロープもなく
何ともオープンな会社だなあと思った 末期は完全にやる気ナッシングで、
一旦廃止すると発表したと思えば一部復活して、
結局全面廃止するなど、
ぜんぜん経営になってなかった。
廃止後も長い間手を着けられずそのままになってた。 紀州鉄道の終点にも正体不明のダルマさんがあったっけ
長年風雨にさらされて無惨だった >>42
亀井御大が書いたデイの記事なら読んだことある
いくら業界人でも、あれだけ細かい観察はなかなかできない >>57
無理な注文だが関東大手の観察記録も遺して欲しかった
京浜1形など、どう表現されただろうか 元京急木造車
御大は琴電や和歌山に引き取られた車なら見たことあるんじゃないか? >>42
飾りというと静岡のトレインフェスタの帰りに見た静鉄のデワ1は、
電動貨車である以上絶対に装飾目的なんてないはずなのに、
なぜか正面から見るとカンテラを思わせる美しいデザインだったな。 >>60
京浜は外観だけ。
しかも正面のオデコのとこ。
車内は特筆するものがなかったに違いない ぶっちゃけどこまで木造車とするのか定義がわからない。
窓枠含め壁など内装が木製なら木造車なのか、外板まで木製でないと木造車ではないのか 内装は木でできてる方が暖かみがある
阪急が木目調の化粧板を使ったのは慧眼 樹脂の匂いが鼻先を霞めると
木が使われてることを実感できた 京都のJRバスで嗅いだ記憶あり
2000年頃な
さすがに今はもうお釈迦にされただろう >>63
静鉄デワは木造車マニアの最後の砦
長崎とか他社のやつはイマイチ好きになれん >>68
俺の地元では東武78の一団
雨の日の翌日は濡れた靴の裏面にくっついてきた砂が乾燥して床一面に拡がり
なんともカオスな状態になってたのを思い出す >>80
最初は単車の置き換え目的だぞ
田栗さんの著書を読めばわかる >>22>>23
別府は遠すぎて行けなかった子供の頃の自分にとって西武山口線は聖地だった
初めの目当てはSLだったのに、何のきっかけか分からないが元頸城のPCに気が入ってしまい
他の子どもたちがSLを前にしてはしゃいでる傍らで自分だけPCに張り付いてたw
親もさぞかし不思議に感じてたに違いないw
その後遊園地に行くたびに乗ってた おとぎ列車懐かしい。
大人のくせに窓から身を乗り出して前景見てるのもいたし、
危ないからやめろと注意してもどこ吹く風、
事故起きなかったのが奇跡だな
オープンデッキなのでステップ部まで足を踏み出して
沿道の木々を触ろうとしてるのもおった 特急車など乗ったことがなかったからデッキ式が珍しかったし
戸閉しないまま走り出したのも驚きだった 営業車といっても山口線はアトラクションだからな
乗り鉄的には別府鉄道の方に魅かれる >>0PD88ilT
お前さんが書いてるのは木造車の思い出というより山口線の思い出じゃんか そういえば山口線も別府線も奇しくも同じ1984年廃止