153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 12 [無断転載禁止]©2ch.net
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153系、157系、165/169系、
451/471/453/473系、455/475/457系、
キハ55系、キハ56/57/58系、キハ65形、
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前スレ
153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 11
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1437357187/ >>844.846
JR化前後の車両も鋼板が薄くなっているのだが
キハ130ぐらいしか問題化しなかったな 海沿い走るから日高のは例外なんだろうね
他の三セクのはもうちょっと持ってるけど
それでも20年で取り替えでほぼ次世代NDCになってる >>853
「伊予灘線」の潮風は余り関係ない?
キハ32はすでに30年越え。 日高線は潮風に加えて、濃霧(塩分が多い)に頻繁に曝されていた、
という事情が大きいかと。 あと風ね。吹きさらしの潮が凄いよ。
瀬戸内は海にしちゃ穏やかで、
四国で塩害なら阿佐海岸とか土佐くろ側じゃないかな 何でもそうだが、平素の地道なメンテナンスがモノを言う。 >>684
備中高梁でサボ裏返してるのを見た時は、裏面は岡山だったけど。 北陸の475系は概ね45年間長生きした。
軽量車体で腐食云々は完全に言い訳だよ。
国鉄の現場荒廃で初期の新性能電車は寿命を10年は縮めたと思う。 >>862
長生き出来たのは新製冷房車だからでは?
冷房改造車とは車体強度が根本的に違うんじゃないの? 交直流急行型の新製冷房車は457ユニットと同時増備の付随車だけね
高耐候性鋼鈑の採用がいつだっけ?
新性能初期には未採用なのは確実
MT46搭載車は全形式該当のはずなので労組問題他のメンテナンス問題もあるだろうがいずれ寿命は長くなかっただろう
(一部の471ユニットや453ユニットがむしろよくJR化後も生き残ったというべき) ハイテン鋼板や台枠側構間の突き合わせ溶接は201系量産車から採用。
それでも水が溜まる戸袋、屋根肩、裾、水回りは錆びる。
錆が鉄骨を犯す前に手当すれば長持ちするのだが、
国鉄工場は外板のクサリを継ぎ接ぎするだけで柱は朽ちるに任せていた。
80年代に特別保全工事をするようになって漸く予防保全へ動くようになる。 >>866
初期の新性能電車と北海道は何の関係もないと思うんだが 新日鐵に定年まで勤めてたおいちゃんは鋼板はグレードによって全然違うのと戦後自動車用に大量生産する中で飛躍的に性能上がったって言うとった。新性能電車が出る昭和30年代前半ではまだまだ発展途上やったんやない? みんな国鉄に寛容だなw
営団300とか名鉄5500とか阪急2000(能勢電1700)とか長生きした初期軽量車体もたくさんあるのに >>865
117系や185系は腐食しやすい箇所はステンレス使っているんだっけ?
水気による腐食は防げても、異なる金属同士での電蝕起こしそう。 >>870
アルミと普通鋼だとそれはあるけど
ステンレスって鋼の合金だから普通鋼と接して電蝕起こすわけがねえよ >>870-871
ステンレスと異種金属との接触についての問題点
http://www.jssa.gr.jp/contents/faq-article/q9/
↑によるとステンレスはイオン化列に当てはめると銅(Cu)と同じくらいらしい
塗装や水抜きさえしっかりしていれば問題なさそう? >>864
485系だと、43.10の新製車以降じゃなかったかな。
キハ58系では、キロ28の最終増備車のみのはず。
それからすれば、多分キハ65は最初から、
電車急行は新製時からの冷房付き車両からだと思う。
あやふやなレスすまぬ、資料はあるが、正直出すののマンドクセ('A`) 185系は腰板、戸袋、水回りがステンレス。
あと強制換気にして車内の気圧を上げ、水を進入しにくくした。
100系では屋根板にステンレス波板を使用。
JR化後の鋼製車はこの造りが主流になる。
117-100では一段下降窓のステンレスユニット化による水密、排水を実現。 昭和57年川崎駅に廃車留置してあった153系は塗装がベロンと剥げて茶色く錆びてた。
彼らを追い出した185系はピカピカ新車で踊り子などに活躍。前の年までは153+185の併結なんてのもあった。
あの時点で留置中の153の車齢は僅か22年位。一方で185系は今年37年でまだ特急料金取って走ってる。 上野駅まで行くと153系の後輩165系急行草津、白根、日光 455系急行ときわ まつしまなど現役バリバリ。上に東武の事誰か書いてたけど確かに6000系とか車内は153系165系の急行テイストだったねのオレは東武スカイツリーライン沿線民 笑。
朝夜などは外板が超ベコベコのオロネ10オハネフ12スハネ16の急行寝台がまだあって 車齢20年と僅かの割には内装もすっかり黄ばんでいてあれに急行料金や14系と同じ3段寝台料金払って乗る北陸や奥羽地方の人が気の毒であった。
東京駅まで戻るとスレ違いだけど24系25型などは24系25型200番台が組み込まれたあさかぜはまだ新車の匂いが残っていて勿論外板はピカピカだった。
だがその20年ちょっと後2005年頃北斗星に運用されてた24系ファミリーは外板がべっこりハゲ落ちてその惨めさは往年の10系寝台を彷彿とさせるものがあった。 末期に見られたG車の一段下降窓→二段化は、メリットがあったんだろうか。 二段窓化が行われたのはS55頃だが、
交直流のサロ451・455はもう急行からの完全撤退が迫っていたせいか1両も施工されなかった。 >>880
先頭車改造して普通車格下になったクハ455−606〜610はユニット窓だったが、
サロ165からの改造だった。 611もね
なお竣工時AU13持ちは602-605と611のみ サロ165とかの下降窓は雨水が溜まって腐食が進行したからな
小田急が普通鋼で下降窓を採用して問題なく行けてるのは鋼体内に水抜き穴があるためだが国鉄型には付いてなかったのか?
117系100番台は窓の下をステンレスにして解決した 117系も205系も増備途中で下降窓
今のJR型もほとんど下降窓
下降窓好きだねぇ 安全上と構造上の問題だろ
二段上昇とか身の危険感じたわ 2段上昇はトロッコ列車みたいだったな
風通しを優先して乗客の安全が軽視された感がある
窓から体を乗り出して架線柱に激突して死亡する事故が結構あったようで後年下段が開かないよう改造されたの多い 開けるのはスムーズだが、閉めたい時に思わぬ苦労を強いられる上昇窓
そんなイメージしかない。 桜木町事故を想定すれば
2段上昇の方が安全なんだけどな さすがに現代で桜木自己想定はしなくて良いだろうし
想定してもドアと貫通路で間に合うんじゃないか? 一段下降窓、小田急も近鉄も外板厚でしのいでたとか。
国鉄1.6ミリ時代に3.2とかね。 それでも小田急5200や9000は裾だけ張替えとかやってて
8000からアルミユニットになった。 国鉄でも車掌室窓は下降窓が続いたけど、どうやって手当していたんだろう
そこだけ厚くしていたんだろうか ユニット窓化は本当にその時期だけで、
東海のサロ165や丹波のキロ28は最後まで下降窓で残ったものが多かったから
やはり国鉄の保守がズタボロだったのは否めない。 >>892
>>891のは乗務員室扉じゃなくて、車体についた窓のことでしょう キハ82系もハイテン鋼使っていなかったからか、
アルファコンチネンタルもフラノエクスプレスも
車体新製とは言え早期引退したな。 ユニット窓化が現車が特定できる記録残ってないのは何なんでしょうね(ピク増刊急行型気動車でも不明だって)
>>896
アルファは56系種車で先頭車前半分以外は旧車のまま
フラノは先頭車後ろ半分は旧車のはず
新造はオールハイデッカーのトマムサホロかな
ただせっかくわざわざ改造したキシって有効活用出来てたのかあれ? ブルトレは寝台の各区画に窓ガラス割るハンマー付いてたな
しかし見た目が普通の金槌で割れるのか疑問
自動車用の緊急脱出ハンマーは先が尖ってて容易に割れるが金槌では強度的に割れにくい
新幹線も0系の最初の方は非常口があったのに消えて後年埋められた 711系900番台なんて、外から見れば急行型そのものなんだが、急行運用もあったし。
長くはなかったがロングシートがあれば近郊型ということか。 711は、後の185(電車)みたいなものだ
急行(特急)と普通の兼用車 >>898
あのハンマー西村京太郎のトラベルミステリーで車内殺人事件の凶器になってたな。 >>903
元々赤いから血が付いてもバレないってかw 宗谷は客車から気動車化。
だいせんは気動車から客車化、のちにまた気動車化されたけど。
客車化じゃ遅いしキハ56じゃボロいので、キハ40系をパワーアップ急行型化という苦肉の策だったな。 >>884
国鉄のエライ人が、横浜市営地下鉄の加工窓を見て即決した。 >>907
それマジなの?
確かに横浜市営2000系とJR205系は側面がよく似てるが >>908
雑誌で読んだ記憶があるが、具体的な掲載号が思い出せない 909の中身読めよ。 当時の掲載誌とWikipediaに載った出典本全部書いてあるぞ >>911
土岐実光さんだっけ?電車を創るで読んだな
連載は鉄道ファンだっけ? 別に矛盾する話ではないと思うけどな。
国鉄の車両屋達はせっかくのステンレス車だから一段下降窓を採用したいとは思っていた。
しかし205系先行車は時間がなかったし、添加励磁やボルスタレス台車のように開発試験もしていない。
10系客車など過去の失敗から、おそらく検修や経理を説得できる自信がなかった。
そこで腹案を実現させるため、原設計を変えずに下降窓化する方策を練りつつ、
決定権のあるボスに決断させようとシナリオを書いた。
さも偶然のように東急車輛で205先行車と横浜市交2000を並べて見せたわけだ。
どこの会社でもよくやる臭い芝居w 久しぶりにビコム日本列島列車大行進98
急行よねしろとかたかやまとかキハ58系急行がまだ走って懐かしすぎた >>914
その後東横線急行の8000系がすれ違うときの下降窓のバタつきを目にしたらどうだったろう?
正直下降窓は見かけ倒しと思う。 東急8000、京王6000は手抜き設計の権化と言われてるからなw >>877
はまなすの晩年なんて、塗装や外板が、涙なしでは見れない感じでしたな。 4VKは3000rpmで回転させてるために非常にうるさい上に本来60Hz用の冷房機を50Hzで動かしてて冷房能力落ちてたな
自動車のエンジンを空ぶかしさせてみると分かるが60Hzで動かそうとすると3600rpmになってしまい燃費も騒音も凄くなる
2極発電機であるため回転数が異様に上がってしまう
キハ181系は4極であるため1800rpmである >>918
東武に渡った客車だっけ?あれも外装かなり痛んでいたな。 元キロ25のキハ26-400は、車両によってモケットがえんじ色のままだったり青色に張り替えられたり、
地域によって座席が向かい合わせに固定されたり回転機能が存置されたりと、まちまちだったな。
回転機能が存置されている場合でも背面のテーブルは撤去されていた模様が。
元キロ60のキハ60-101は、ブログに上がった写真を見ると、回転機能が存置されて、カーペットも敷かれていたけど、
背面のテーブルは撤去されていたように見えるな。 >>921
えんじ色のは小牛田のやつ、青は南九州の印象が強いね 新津運輸区にいたキハ58系って、いつから両端ロングシート改造されたかわかる人いる?
急行べにばな運用についていたときから? べにばなって91年の板谷峠工事の時からだっけ、その2年後93年に
磐越西線で「あがの」で乗ったやつは3タイプくらいあったよ。
近郊化改造されてないオールクロスも混じっていたが車番メモってないな。 >>924
91年8月末の中途半端なダイヤ改正で快速化されたことだけは確かなんだけど、
急行運用でロングシートはないよね? >>925
末期のDC急行能登路、セミクロス車の運用多数。 オールクロスカ改造されたとはいえ、415系で急行料金と
どっちが良いやらw 当時は新車の115系急行の方が断然いいべ。(ただし非冷房車) >>930
『本来は』と断っておくべきか
本来は
急行券=長距離を高速で移動する料金
特別急行券=長距離を高速かつ快適に移動する料金 >>932続き
よって特別急行は原則全車指定席だった。 能登路の415-800はちっとも早くないし短距離だから
急行料金失格だったわけだ。 それで今、413と同じ普通専用なわけだが。 草を生やすのに足るレスですな
短距離だから、、、、、
ウケる 走行距離で 急行・準急行 を分けた時代もあるんだよ 車両も綺麗な43系 新車のキハ58 と、35系くたびれたキハ55とか、分けていたり しかし、こだま形以降は格下げを考慮しない特急専用車が次第に増えていき、
昭和47年の山陽新幹線岡山開業でスレタイ急行形の新製はほぼ打ち止めに。 >>934
急行料金失格なら、今の大原〜大多喜はw
嫌なら乗るなって話だが。 >>934
当時の時代背景から壁面の灰皿存置で一応喫煙可能な車両(クモハ415)もあったしな、
今の猟奇的ファシズム全盛期なら考えられないだろうけど。
輪島珠洲と穴水で分割されていたDC能登路ではどうなっていたかは記憶が曖昧、
普通にスパスパやっていた記憶はあるが、それがいつまでだったのかがわからない。
禁煙アナウンスに楯突くほどイカれてるわけでもなかったしな。 153系よりも明らかにデラックスな157系が準急か 東上線特急(8000系)より豪華だった伊勢崎線急行りょうもう(1800系) >>938
一番若い車両でも車齢45年を超えているんだな
一番最後の国鉄急行型ってなんだったっけ?金沢の475系?あるいは、富士急の元パノラマエクスプレスアルプス? >>943
急行券と快速急行券が同じ料金
伊勢崎線りょうもう(1800系) =日光線だいや・おじか(5700系・6000系・6050系)
日光・鬼怒川向け特別料金という名のボッタくり(DRCより安いことで騙される) >>942
同じ準急型で差があっただけだからな
今だって特急型は一律同じじゃないだろ? 157は151を補完する実質特急型つうか、特急への転用を前提とした車両なんでは。
当時、6両程度の短編成直流型電車特急を広範囲に走らせる予定が無かったので、比較的少数量産に留まったが。 >>944
一番最後の急行形は昭和53年製の12系客車だな。
もっともこれは動力近代化計画に完全に逆行しており、
組合対策でしぶしぶ作った例外。
昭和47年の岡山開業で153系が関西の新快速、中京地区快速に回り始め、
昭和50年の博多開業で475系の九州ローカル転用が本格化した。 >>948
老朽化が著しい旧客と10系客車での急行列車置換えが急務だったから仕方なかった。
この時、DCはキハ66,67が少数作っていたけど、何よりも余剰気味だったELとDLを活用しなくてはいけないから、
客車列車を運行する必要があった。
一般形の50系客車も同じ理由。 >>948
185系が急行型としてデビューしていれば。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。