153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 12 [無断転載禁止]©2ch.net
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153系、157系、165/169系、
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153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 11
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1437357187/ 1980年10月の改正から比叡廃止の1984年2月までのことだろうけど
鳥取5:45-大阪10:45/11:25-名古屋14:14/14:25-浜松16:04/16:12-静岡16:42/16:44-東京19:40
というような感じだが
これって比叡に乗る必要ないんだよな
姫路で新快速に乗って草津で乗り換えると同じ浜松行の快速に乗れるから
まあワイドかミニなら関係ないけど >>792 >>798
おそらく117系「快速東海ライナー」のことかな?
当時、関西では117系は「新快速シティーライナー」になるからな。 >>794
今年の鉄ピク4月号に新快速色で非冷房車が鷲羽に組まれてる写真が載ってる
1972年3月改正直後は非冷房のまま運用されてた可能性はあるね >>801
ということは、新快速色が峠を越えて岡山県宇野まで入っていたということなんですね。
新快速間合が上郡まで入っていたのはかすかに記憶があるんですが。
東側はどうなんだろう、関ヶ原越えもあります? >>804
その鷲羽は間合い運用ではなくて新快速運用を控えての塗色変更だからね
新快速運用から離脱し大垣区に転属後しばらく新快速色で運用されている
前回の特集2001年10月号ではこまどり運用で上京の写真が載ってた 新快速色は153系以降の車両にも使用しても良かったと思う 急行型じゃないが阪和線新快速も類似の塗装じゃなかったっけ?
JR化以後の色彩センス無さ過ぎの雑多な地方色に比べれば再利用されても良かった気はするが 現代ならまた見直される色彩かも知れんが、
昭和末期や平成初期は彩度高いのが鉄道以外でウケてたからなぁ
最悪なのが福知山の113-800かな。 117系に153系新快速色は似合いそうだな。
鉄道模型のネタによさそうだ。
俺は塗装ヘタだからできないがw
阪和線のは帯が朱色だった。(よな?w) >>809
阪和線新快速は東海道・山陽新快速と同色。朱色帯は関西本線快速。 >>806
夏向きの涼しげな色だが、紀伊田辺〜新宮の113系4連はすべて非冷だったな。 紀勢本線ローカルに165系が入った時は新快速色に塗り替えるのかと思ったが。 >>795
内側線走行の153系は、100キロが最高じゃなかった? 169系のしなの鉄道色とキハ58のハウステンボス色は目立つ色だったな 正面全面オレンジが153と155だけだったのはなんでだろうね >>817
形式毎に区別付けるためか?
>>818
そこはむしろ低運転台車なのでは? 上沼垂の165系トップナンバー編成って
わざと揃えて組ませたの? 新製時から新潟離れてないからずっとそのままだったのかもね K2は更新されてて三鷹へ転属
何と9372Mの先頭にも立った 紀勢線の珍車は、急行「きのくに」の南海車かな。
最後まで非冷のままだった。
同じころ、有田の急行車が紀勢線湯浅まで乗り入れていたなあ。 >>825
キハ55系が国鉄急行から引退してたんで選んで乗りに行ったよ。
真夏以外は特に問題ないしDCで南海線内乗るのも面白かった。 国鉄急行併結の私鉄車って南海の他は富士急の58と島原の26位か 茨城交通は逆に乗り入れた臨時急行(あじがうら)が勝田で茨城交通の気動車と連結して線内走ってたな >>821
現役末期の頃はそう
Mc-1は元はTc-162とかと組んでなかったっけか? JRR80年版国鉄電車編成表より抜粋
新ニイ 165系
Mc1 M'1 Tc27 T10 Mc23 M'23 Tc166 Ts80 Ts91 Mc100 M'64 Tc61
Mc33 M'33 Tc59 T6 Mc16 M'16 Tc1 Ts92 Ts98 Mc31 M'31 Tc24 サハシ抜かれたのは53−10の準備段階の53−6ってなってるな >>830
クモハとモハはユニット組まなきゃならないので
お揃いなんだな 中央東線のサハシとは僅か数年差とはいえ廃車時期分かれてたのね
あと電動車ユニット組み換えは急行型では事故廃車の都合で起きたクモハ169-9?位? よほどのことがなければ製造時の相棒と添い遂げてるっぽいが
(新性能全般だと改造種車捻出用に意図的にユニットをバラす目的で新製のモハ180-115とかいるけど)
165系全体だとモハ164が0台500台800台まぜこぜ&モハ165が挟まったりで相棒がどれだかよくわからんのですが >>835
晩年の東海車は汚物処理装置の関係でかユニット組み換えてたねぇ。後は身延線絡みかPS23換装車は生存率が低かった。 急行東海は81年に153系からモハ165入り12連になって、
そのまま96年の廃止までモハユニット中間のまんまだったかな。
番号組み合わせは変わってた。 165系化完了で東海の編成は短くなったけど
サロ2両込み貫通8連は急行としての風格があったね
廃止直前に逆台形HMと緑帯復活で有終の美も飾ったし
=表示で大垣夜行でもHM掲出したんだっけ? >>838
K編成とF編成連結して12両編成のときなかったっけ? >>840
置き換え完了直後は12連だったけどサハが無かったからね
編成美の点ではちょっと、ね Kenjiの車齢57年は驚異的すぎる
来月引退するが >>842
逆に、昔は無駄遣いしていたのでは?
153系急行伊豆あたりは車齢20年そこそこで廃車だったし。
せめて後付けのクーラーだけでも非冷の近郊型に転用すれば?と思っていたわ。 昭和30年代前半の軽量車体は耐候性鋼板じゃなく実際持たなかったようだし・・
10系客、153・157、151-181、キハ10他 JR東車はDMH17H全廃政策で新型に取り換えられたのが奏功した
独特のエンジン音は失われたが保守費用低減に貢献したともいえる
180PS→250PSと出力が上がって5ノッチ5分が無くなったのでランカーブが修正された?
JR東海は快速みえで110キロ運転対応でエンジンが交換されたが長続きせず >>843
広島地区だったかな
近郊型冷房改造の際に再利用されてたね >>844
融雪剤のせいでうちの車もボロボロです>< >>844.846
JR化前後の車両も鋼板が薄くなっているのだが
キハ130ぐらいしか問題化しなかったな 海沿い走るから日高のは例外なんだろうね
他の三セクのはもうちょっと持ってるけど
それでも20年で取り替えでほぼ次世代NDCになってる >>853
「伊予灘線」の潮風は余り関係ない?
キハ32はすでに30年越え。 日高線は潮風に加えて、濃霧(塩分が多い)に頻繁に曝されていた、
という事情が大きいかと。 あと風ね。吹きさらしの潮が凄いよ。
瀬戸内は海にしちゃ穏やかで、
四国で塩害なら阿佐海岸とか土佐くろ側じゃないかな 何でもそうだが、平素の地道なメンテナンスがモノを言う。 >>684
備中高梁でサボ裏返してるのを見た時は、裏面は岡山だったけど。 北陸の475系は概ね45年間長生きした。
軽量車体で腐食云々は完全に言い訳だよ。
国鉄の現場荒廃で初期の新性能電車は寿命を10年は縮めたと思う。 >>862
長生き出来たのは新製冷房車だからでは?
冷房改造車とは車体強度が根本的に違うんじゃないの? 交直流急行型の新製冷房車は457ユニットと同時増備の付随車だけね
高耐候性鋼鈑の採用がいつだっけ?
新性能初期には未採用なのは確実
MT46搭載車は全形式該当のはずなので労組問題他のメンテナンス問題もあるだろうがいずれ寿命は長くなかっただろう
(一部の471ユニットや453ユニットがむしろよくJR化後も生き残ったというべき) ハイテン鋼板や台枠側構間の突き合わせ溶接は201系量産車から採用。
それでも水が溜まる戸袋、屋根肩、裾、水回りは錆びる。
錆が鉄骨を犯す前に手当すれば長持ちするのだが、
国鉄工場は外板のクサリを継ぎ接ぎするだけで柱は朽ちるに任せていた。
80年代に特別保全工事をするようになって漸く予防保全へ動くようになる。 >>866
初期の新性能電車と北海道は何の関係もないと思うんだが 新日鐵に定年まで勤めてたおいちゃんは鋼板はグレードによって全然違うのと戦後自動車用に大量生産する中で飛躍的に性能上がったって言うとった。新性能電車が出る昭和30年代前半ではまだまだ発展途上やったんやない? みんな国鉄に寛容だなw
営団300とか名鉄5500とか阪急2000(能勢電1700)とか長生きした初期軽量車体もたくさんあるのに >>865
117系や185系は腐食しやすい箇所はステンレス使っているんだっけ?
水気による腐食は防げても、異なる金属同士での電蝕起こしそう。 >>870
アルミと普通鋼だとそれはあるけど
ステンレスって鋼の合金だから普通鋼と接して電蝕起こすわけがねえよ >>870-871
ステンレスと異種金属との接触についての問題点
http://www.jssa.gr.jp/contents/faq-article/q9/
↑によるとステンレスはイオン化列に当てはめると銅(Cu)と同じくらいらしい
塗装や水抜きさえしっかりしていれば問題なさそう? >>864
485系だと、43.10の新製車以降じゃなかったかな。
キハ58系では、キロ28の最終増備車のみのはず。
それからすれば、多分キハ65は最初から、
電車急行は新製時からの冷房付き車両からだと思う。
あやふやなレスすまぬ、資料はあるが、正直出すののマンドクセ('A`) 185系は腰板、戸袋、水回りがステンレス。
あと強制換気にして車内の気圧を上げ、水を進入しにくくした。
100系では屋根板にステンレス波板を使用。
JR化後の鋼製車はこの造りが主流になる。
117-100では一段下降窓のステンレスユニット化による水密、排水を実現。 昭和57年川崎駅に廃車留置してあった153系は塗装がベロンと剥げて茶色く錆びてた。
彼らを追い出した185系はピカピカ新車で踊り子などに活躍。前の年までは153+185の併結なんてのもあった。
あの時点で留置中の153の車齢は僅か22年位。一方で185系は今年37年でまだ特急料金取って走ってる。 上野駅まで行くと153系の後輩165系急行草津、白根、日光 455系急行ときわ まつしまなど現役バリバリ。上に東武の事誰か書いてたけど確かに6000系とか車内は153系165系の急行テイストだったねのオレは東武スカイツリーライン沿線民 笑。
朝夜などは外板が超ベコベコのオロネ10オハネフ12スハネ16の急行寝台がまだあって 車齢20年と僅かの割には内装もすっかり黄ばんでいてあれに急行料金や14系と同じ3段寝台料金払って乗る北陸や奥羽地方の人が気の毒であった。
東京駅まで戻るとスレ違いだけど24系25型などは24系25型200番台が組み込まれたあさかぜはまだ新車の匂いが残っていて勿論外板はピカピカだった。
だがその20年ちょっと後2005年頃北斗星に運用されてた24系ファミリーは外板がべっこりハゲ落ちてその惨めさは往年の10系寝台を彷彿とさせるものがあった。 末期に見られたG車の一段下降窓→二段化は、メリットがあったんだろうか。 二段窓化が行われたのはS55頃だが、
交直流のサロ451・455はもう急行からの完全撤退が迫っていたせいか1両も施工されなかった。 >>880
先頭車改造して普通車格下になったクハ455−606〜610はユニット窓だったが、
サロ165からの改造だった。 611もね
なお竣工時AU13持ちは602-605と611のみ サロ165とかの下降窓は雨水が溜まって腐食が進行したからな
小田急が普通鋼で下降窓を採用して問題なく行けてるのは鋼体内に水抜き穴があるためだが国鉄型には付いてなかったのか?
117系100番台は窓の下をステンレスにして解決した 117系も205系も増備途中で下降窓
今のJR型もほとんど下降窓
下降窓好きだねぇ 安全上と構造上の問題だろ
二段上昇とか身の危険感じたわ 2段上昇はトロッコ列車みたいだったな
風通しを優先して乗客の安全が軽視された感がある
窓から体を乗り出して架線柱に激突して死亡する事故が結構あったようで後年下段が開かないよう改造されたの多い 開けるのはスムーズだが、閉めたい時に思わぬ苦労を強いられる上昇窓
そんなイメージしかない。 桜木町事故を想定すれば
2段上昇の方が安全なんだけどな さすがに現代で桜木自己想定はしなくて良いだろうし
想定してもドアと貫通路で間に合うんじゃないか? 一段下降窓、小田急も近鉄も外板厚でしのいでたとか。
国鉄1.6ミリ時代に3.2とかね。 それでも小田急5200や9000は裾だけ張替えとかやってて
8000からアルミユニットになった。 国鉄でも車掌室窓は下降窓が続いたけど、どうやって手当していたんだろう
そこだけ厚くしていたんだろうか ユニット窓化は本当にその時期だけで、
東海のサロ165や丹波のキロ28は最後まで下降窓で残ったものが多かったから
やはり国鉄の保守がズタボロだったのは否めない。 >>892
>>891のは乗務員室扉じゃなくて、車体についた窓のことでしょう キハ82系もハイテン鋼使っていなかったからか、
アルファコンチネンタルもフラノエクスプレスも
車体新製とは言え早期引退したな。 ユニット窓化が現車が特定できる記録残ってないのは何なんでしょうね(ピク増刊急行型気動車でも不明だって)
>>896
アルファは56系種車で先頭車前半分以外は旧車のまま
フラノは先頭車後ろ半分は旧車のはず
新造はオールハイデッカーのトマムサホロかな
ただせっかくわざわざ改造したキシって有効活用出来てたのかあれ? ブルトレは寝台の各区画に窓ガラス割るハンマー付いてたな
しかし見た目が普通の金槌で割れるのか疑問
自動車用の緊急脱出ハンマーは先が尖ってて容易に割れるが金槌では強度的に割れにくい
新幹線も0系の最初の方は非常口があったのに消えて後年埋められた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています