153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 12 [無断転載禁止]©2ch.net
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153系、157系、165/169系、
451/471/453/473系、455/475/457系、
キハ55系、キハ56/57/58系、キハ65形、
スハ43系客車、10系寝台車、12系客車
などの急行形車両について、楽しく語りましょう♪
ベルが鳴り終わりますと、ドアが閉まります。
閉まるドアにご注意下さい。
前スレ
153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 11
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1437357187/ 当初153系の置き換えと言いながら
代替車が185系という、特急向けの
形式を名乗った時点で決まったな。 185系は?
コンセプト的に国鉄版りょうもう(1800系ビジネス急行)って感じ
既存優等車と比較してコストを抑える点では同じ
東武(私鉄の国鉄)は
急行用1800系(私鉄の157系・日光形)が
デッキを東海形並みに拡張(長距離通勤(出張)ニーズを考慮)
走行機器は通勤形8000系(私鉄の103系)と同等
DRC(私鉄のこだま形)より経済性や利便性
本家の185系(日光形・デラックス準急の再来?)も
デッキは東海形相当(急行や快速運用を考慮)
走行機器は新快速117系と同等
183系と比較して経済性や利便性を追求 185系は長い間伊豆方面への人気特急として活躍している大成功の車両じゃない
スーパービュー踊り子やリゾート踊り子など他の踊り子号もあるが基本は185系
日曜日の上り列車などグリーン車付の長大編成が満席となる 117系と185系は、先頭形状が東海形(所謂クハ153・500番台タイプ)と同じで、
貫通扉に電照掲示板付でもいいけど、俺は受け入れられたんだけどな。
尚且つ185系の方はあれで種別が、急行(新急行とかもダーメ!)のままだったらなあ。
サロ185のドア幅が1メートルあるのも失格なんだよな。
185系は東海道線用も北関東用も塗装が間抜けだったしね。
そして「踊り子」っつーのも名前も下品だし冗長で嫌だった。
やっぱ伊豆半島に行くなら「伊豆」「天城」だろ。 飴のキャラクターに見えた踊り子のあのイラスト、
ヘッドマークで人物が描かれているのって他にある? 大井川鉄道の客車の後ろに茶摘みおばさん描いてなかった? くまがわも
川下り船に小さいけど人物が描かれていた絵画風のHM >>294
亀レスだけど
神領の165系は
82年ダイヤ改正で急行用として配置していたのが全廃で配置がなくなり、89年のダイヤ改正で大垣と豊橋の3連口が転入してきた、という流れだね。
代わりに115系が飯田線運用に回ったと >>298
サロ185以降に製造された211系のグリーン車や
それ以後のグリーン車は
急行サロや113系サロと同じく細ドアだったな。
なぜサロ185だけが?
いやその前にキロ26が既に幅広ドアか?
奥に当たるとオグオグオッグ! 3連口は日根野のが思い出深いな。
新宮夜行でもお世話になった。 >>308
それは特急型で片デッキだからだろ
183系だって普通車は両デッキでもサロは片デッキだったしね >>310
デッキ数の話じゃなくてドア幅の話なんだよなあ。 >>311
急行形や近郊形のサロは狭いドアだけど二箇所
183系の場合は狭いドア一箇所
185系はその中間で広いドア一箇所
ということでしょうな >>307
急行用が一度転属したあとに大垣から移動してきた
大垣夜行の臨時にも使用されていた >>309
あれが凄いのは阪和線内快速だからな。23時過ぎとは言うものの阪和線線内で、165系が快速電車として通用してたのは上尾事件知ってる世代的に驚きだった。今ではそんなわけにはいかないだろうが >>312
そういえばサロ185はデッキ一つだったか。 451系と471系は当初扉が外吊りだったそうですが
153系とどこか構造に違いがあるのですか。 >>320
トンネル突入時に負圧でドアが浮いてパイロットランプ消灯する欠陥が露呈した
引き戸に改造した時に台枠を切り欠いたために補強材を入れて自重が0.9トン増加した >>314
三国ヶ丘・東岸和田も通過の時代。
大阪市街(長居付近)も高架になる前だから、一段と速く感じた。 まだ阪和線直通は昼間特急だけで関空もない時代、西九条駅あたりから知らずに乗り込んだ酔っぱらいとかいてただろうな >>321
トンネル突入時は外気圧が高圧で車内が低圧だから
ドアが外から押し付けられるんじゃないの? >>324
自分はほぼ素人だけど…それは違うんじゃ、と思うなぁ。
正面の部分は確かにトンネルの空気を押すから陽圧になるだろうけど、正面で押し出された分、トンネル内の空気が陰圧になって、車内の空気圧が勝ってしまい、扉が外に押されてしまうんじゃないかなぁ… >>325
新幹線はトンネルで気圧が低下しないよう与圧されててトンネルで車体が膨らむ
膨らんだり萎んだりを繰り返すために100系で金属疲労で骨組みにひびが入って問題化した
0系の最初の頃はデッキが気密になってなくて仕切り扉が開かなくなったとかあった トンネルと言えば総武快速線の東京トンネルだけど、
東京トンネル開通時には、特急新設による183系新造ではなく、
急行増発で165系・地下トンネル突入仕様車を新造して欲しかった俺。
前面がクハ165と同一で、車内設備と側面外観は185系風(転換クロス、幅広ドア、デッキ有)というか。
そんで同様の車内・外観仕様で、457系豪雪仕様も新造して、
夢の大阪〜青森、上野〜金沢(長岡経由)、上野〜青森、上野〜秋田(山形経由)、上野〜秋田(新潟経由)の電車急行誕生。 あの時代に、急行用に転換クロスを期待したらいかんだろう。
新幹線0系もまだ転換クロスで新製していたんだから。
かといって、あの時点でボックス席の急行型を新製しても、特急型より
大幅な節約になったとも思えないので、より儲かる特急型にするしか
選択肢が無かったと思われる。
あと時代的には、同じ首都圏の京成スカイライナーや西武レッドアローの新製に
国鉄が影響を受けたという感じもする。 70年代前半はもはや赤字で青息吐息だが国会通さないと運賃上げられないから既に料金のある特急に格上げしての増収策、なので急行は車両の新造どころか客車を中心に余剰車しか出ない状態だからなあの頃の国鉄は
しかし値上げやったらやりすぎで旅客の逸走起こしたし 当初の計画通り東海道急行が157系かその改良型で電車化されてたらどうなってただろうか きちんと格式ランクがあったんだねえ
185系普通電車がショックだった
そして183系189系の急行アルプスが終焉であった >>332
当時まだ大量に残っていた「並ロ」の存在との整合性が課題だったろうねぇ。
当時の並ロで一番は装備改装のオロ35・42、次に固定クロスのオロ40の装備改装車、
あかんのは装備改装していない固定クロスだが、S39ごろまではダブルルーフの並ロが残っていた。
急行の座席を転換クロスにするということは、当時の普通列車用の1等車(35.7までの2等車)からして、
確実にそれよりは上のレベルの車両になる。157系の回転クロスなら完全に上過ぎる。
まあ、いくら国鉄内部には電車気動車を下に見る風土が合ったにせよ、一般客からすりゃボロの並ロが格下。
接客設備が急行の2等車>普通の1等車はさすがにまずかったんじゃないか、特急ならまだしも。
長文すまん 昨日、今発売中の急行型気動車の雑誌観てたら、初期のキハ58の正面ライトが若干内側だったのを知った >>335
キハ58ではなく、キハ27・56・57の初期車じゃなかったっけ? 関係ないけど>>336読んで横軽向け2エンジン普通車が存在しなくてよかったと思った すまん1エンジンだった
呼称改正の時に何で1/2エンジン車で数字合わせようとしなかったんだろ? 奥飛騨温泉にキハ27を動態保存しようとしたホテルがあるらしい 保存されたのは神岡線が廃止になるずっと前でしょ
鉄道ファンでも取り上げられたのに見なかったのか? あそこはキハヲタが勤めててそっからの進言で保存活用の流れになったはず。
だから動態運転出来るよう線路は長めに敷いてある。けど走らせてないw >>342
見てない 不勉強で申し訳無い
南部縦貫鉄道みたいに上手い事いかないものかな >>333
185系は急行と特急の中間的存在だったからな
ラッシュ時間の送り込みに対応出来るよう広め2扉採用したのもそれが理由らしい >>333
189系の急行ならまだしも、
183系の場合、普通とかもうね。 急行アルプスにはグレードアップ編成も担当されていたことがあるから
結構豪華な急行だった 運用の都合上だったんだろうけど、利用者の多い下りが9連で、上りが11連ってのはなんか釈然としなかったやうな >>349
逆に妙高は9両編成だったので
グレードアップ編成は充当されなかったっけ?
塗装変更前に列車は廃止 ホテルヘルス&デリバリーヘルスとして大阪の日本橋に降臨!!!
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神戸・福原 和歌山エリアトップクラスの人気を誇る
興味のある方は、「日本橋ビギナーズ」で検索♪ キハ65は物理的にトイレ設置不可能だったんだな
エーデル車はトイレ設置車は水タンクのスペース捻出のために4VKを撤去してる
大型ラジエーターを床下に無理矢理押し込んだために床下がいっぱいになってしまったようでキハ66・67は再び屋根上にラジエータが設置されたが強制風冷式が採用された >>354
登場当時の鉄道雑誌(超専門的な)によると、
付けれんことはないが、重量が嵩みすぎるのでやめたとのこと。
水タンクならキハ58のように屋根に積めばいいが、
なんやかんやで重くなりすぎる、ということなそうな。 東海373系も、165系おきかえが目的のため、185系と同じく、急行型の流れを汲むものだけど、衝撃的だったのは、特急車なのに、通勤型と同じ両開き扉を採用したこと。
特急のカジュアル化が進んで久しいが、ついにここまできたかとおもった。
その373系も、登場20年が過ぎた。 リクライニングシートと大型の固定窓は特急型の威厳があるけど、
それ以外の車内設備はデッキの仕切扉省略とかトイレが3両に1つとか急行型〜準急型って感じだな。
両開き扉は普通列車運用あるから仕方ないにせよ、
あの幅狭の小さなドア窓が広いデッキの中に妙な閉塞感生んでて意味不明だわ。 北陸の電車急行で、「しらさぎ」みたいに
名古屋発・米原折り返し・北陸方面行きの列車ってあったのかな?
名古屋発〜九州行きの電車急行があったようだが。 >>358
急行兼六(名古屋-米原-金沢)
他に
準急(→急行)こがね(名古屋-米原-金沢-高山-名古屋)
準急(→急行)しろがね(名古屋-高山-金沢-米原-名古屋)
急行能登(東京-名古屋-米原-金沢)も
名古屋発・米原折り返し・北陸方面行きではないから条件に合わないけど名古屋-金沢を通ってたな 名古屋から北陸の入り口まで行って
山陰行きというのもあったな
あさしお>大社 185系以外で(もう衰退するのみだから)、ムーンライトながらに最適なのは、房総特急のE257系1000番台だな。
5両編成のモノクラスで、2本つなげて10両は形態的にもちょうどいい。
房総特急の縮小で、もて余し気味。
両数以外は、かつて使われていた373系に似ている。
東海エリアでの間合い運用にも適しているが、カラーリングは別として、最大のネックは、東海型ATS-Pに対応してないことだな。
それ以外でも、東海は東の車両を使うのを拒否する。 名鉄のキハ8000で2エンジン+4VKとか超重装備仕様あったな
2基のエンジンの間に4VKを無理矢理押し込んだために全長が少し長くただでさえ名鉄規格で細い車体が更に細くなってる
キロ58で無理矢理4VK搭載したのあったらどうなっていたか >>364
>>363はいつもの知識をひけらかしたいだけの痛い奴だからスルー推奨 キハ8000は名鉄規格で車体が細いためにラジエーターがデッキに床置きしてあるとか設計に苦心してるよな
キハ82とは異なりキハ58ベースで95キロまでしか出ない
キハ58と併結は可能みたいだがやった事例あったっけ? >>365
さあ?
国鉄名古屋〜岐阜〜高山 を走ったことはある やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 別冊の急行型気動車ってのもほしいけど高くて買えないや。 ピク増刊はキハ28 1000番台の冷改前の写真のストックがなかったという話に驚いた
4VK搭載改番(3000番台)と冷改が非同期だった車両があるってことかねえ? >>373
キハ28 1000番台の配置は中部以西(中部管内は美濃太田の1001番のみ)だったから、
冷房改造と同時に4VKを搭載していたと思う。
多分AU13搭載のみのキハ28 1000は無かったんじゃないかな。
キハ28 1000番台は比較的早くから冷房改造が始まっており、最後になったのが確か1001番で昭和53年度、
多くは昭和40年代に冷改を終えていた。
当時、キハ58系は「普遍的過ぎる」存在だから、わざわざキハ28を選んで撮った人は少ないんじゃないかな。
当時、名古屋局だとキハ28は先頭に立つことがほとんど無かった、ということもある。 281000冷房改造前のは、奈良〜天王寺でよく見かけたな 本屋でちょっと迷って増刊の方はスルーしてしまった
乗車体験が少なくて中央西線の間合い各停と1981年8月の比叡51号くらい
もっと乗りに行っとけばよかったなぁ うちは鹿児島だったので、キハ58モデルチェンジ車は、らくだ増備車になったキハ58 1131+キハ28 3015と
リクライニング座席交換のまましばらく指宿枕崎線に突っ込まれてた乗り徳状態のキハ58 1133を覚えてるわ ボックスシートは戦後の客車からキハ40系まで同じに見えるやん >>378
座席の通路側にある手摺りが違うけど、これは165系増備途中からの変更かも 網棚がパイプ棚に替わったのも165系から?
いやこれも途中からか? 臨時大垣行きでやって来た神領車が網(金網じゃなくてハンモックみたいなの)で面白かった思い出。 荷物載せると「ぼよん」と沈むのが、なんか楽しかったな 153系は運転台裏のデッキが広く
客席からも前がよく見えてよかったね >>381
昭和42年度頃の変更だったはず
キハ58だと700番台後半、クハ165では100番台後半くらいか、
>>382
これは冷房付き新製車からじゃなかったかな、
気動車ではキハ65とキロ28 2000のみだったはず
ちょっと調べれば出てくるが面倒、ごめん。 >>378
153って全車旧型の灰皿だっけ?
下が丸いやつ >>359
電車だと兼六だけだね。
交直流電車急行の黄金期って、新幹線開業〜博多延伸までの関西〜九州を結んでいた時期かな。
北陸も東北も関西〜九州に比べるとちょっとローカルな雰囲気で一枚落ちるイメージが・・・。
日本海縦貫の電車急行や、東北本線全線走破の電車急行があれば太刀打ち?できたかも知れんが・・・。 >>388
仕切りに窓あったのってクハの運転台直後のデッキと客室のとこだね。
あれは153からの新系列急行型は共通の造りだと思われる。 >>388
仕切りに窓あったのってクハの運転台直後のデッキと客室のとこだね。
急行型車両ならほぼ共通であるけどもね413系と組むタイプはないかもだけども 確か153も165もクハだけだったかな。
クモハ165はモハサハと同じく戸袋窓部分の2人がけはデッキに背を向けて座るタイプ。
で、仕切扉があるから少し幅狭になった外れシート。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています