153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 12 [無断転載禁止]©2ch.net
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153系、157系、165/169系、
451/471/453/473系、455/475/457系、
キハ55系、キハ56/57/58系、キハ65形、
スハ43系客車、10系寝台車、12系客車
などの急行形車両について、楽しく語りましょう♪
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前スレ
153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 11
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1437357187/ >>222
一つの案だが、当時のしらゆきの両数からすると、
McM'TsMcM'Tcが金沢青森往復で2本+予備1本
増結用として、McM'Tcが金沢秋田往復で2本
まとめると、McM'が8本、Tcが5両、Tsが3両、計24両
ただ問題が多すぎ
「きたかみ」を絡めた運用(秋田持ち)で、秋田青森間は併結となっていたが、
運用上は簡単に分離し別運転に出来るも、その分乗務員等が必要、
また、秋田青森間は線路容量が結構厳しかったと思う。
続く また、他の人がレスしている通り、金沢糸魚川間で併結している「白馬」が困る。
これは3両では単独運転は勿体無い、かといって他に適当な併結列車もない。
更に金沢口で七尾線ローカルの通勤輸送に使用しているので、
電車化した場合、その手当ても必要となる。
なお、電車化した場合の持ちは金沢、「ある程度は」北陸急行と予備が共通できる。
青森では予備車分が更に必要(しらゆき専用になる)、秋田は当時電車の配置なし。
青森が持つか金沢が持つかで編成の向きが逆になる。
結局、電車化するメリットはさほど無く、気動車のままだらだらと走らせたのが現実じゃなかったかな。
どのみち特急格上げが見えていたこともある。 >>227
その手があったか。
電化あるいはディーゼル機関車化されていたから、そこそこ行けたかもしれんな。
ただ気動車よりは多少所要時間が延びるかもしれんが、ごめん、そこまではわからん。
以上、長々すまぬ。 昔の鉄道ジャーナルで、急行列車・日本縦断の旅みたいのを二か月連続でやってたけど、
俺が興味を持っていた幹線系の電車急行には殆ど乗らず、
支線系の気動車急行・乗車レポートばかりでがっかりしたな。 >>232
読者予想(編者)が東京思考で電車より気動車・客車の方が価値あるという偏向は永年あるね。 しらゆきだけならさておき羽越奥羽線に何がなんでも電車急行だけ絶対入れない
!みたいなの感じられて結構嫌だったなe129系電車今でこそ走る村上以南さえ
2往復除き電車ではなくて客車か気動車 >>234
爺さん初カキコかい?
こんな感じで改行すると良いよ
しらゆきだけならさておき羽越奥羽線に何がなんでも電車急行だけ絶対入れない!
みたいなの感じられて結構嫌だったな
e129系電車今でこそ走る村上以南さえ2往復除き電車ではなくて客車か気動車
これでもてにをはや語順等おかしいけども
羽越あたりは当時の状況考えると仕方がないよ
急行型自体増備する時代じゃなかったし
457系増備したらまるごとキハ58系が余っちゃうんだから 九州も長崎線が電化したのに急行型電車は入らなかったな。
鹿児島線や日豊線では急行型電車を普通列車に使う余剰があったのだから、
それを「かもめ」「みどり」の急行版に回しても良かったと思うが。 中央西線や紀勢線は振子型電車急行走らず旧型ディーゼルのまま、特急地下駅も快速が乗入仕様なのに急行は旧型のまま両国行き。
やる気がないのは昭和40年代から >>236
グリーン車が足らなかったという理由をこじつけてみる、これではないと思うが。
出島・弓張は両方にグリーン車連結、出島8両弓張4両。
これを当時の九州電車急行でやろうとすると、
TcM'Mc・Ts(Tb)M'Mc+TcTsM'Mc (当時Tbは休車はったような)
で、付属編成にTsが入る形にでもなるのだろうが、
S51時点では交直流サロの余剰はなかった。
まあ当時乗車率の低かったであろう北陸から持ってくるという手があったと思うが、
この基本編成では気動車に比べると輸送力は落ちる。
どのみち特急格上げが見えている、で、やらなかったのでは。
>>237
昭和40年代後半には、普通以上は特急と快速にしていくという方針が決定していた。
振子電車という地上を含めて高価な車両を、金の取れない急行用として造ることは出来ない。
また東京地下も、新製するなら特急型、急行型には金かけて不燃化ATC搭載するまでもない。
長々すまぬ んなー事より、貴重な58系のカラー映像が一杯ですぜ。
余目鉄橋も。そこから飛び降りちゃう位です。
『夢千代日記』見なはれ。早坂さんの追悼番組です。 勾配区間冷房使えるようキハ65少量と本来は急行用じゃなく、万博に間に合わす臨時用として作られた
12系以外は急行用は作らないと決めてたからねぇ 12系きたぐにみたいに客車にするしか、しらゆき客車にするのが関の山なのか。何のために電化したんだと思うが結局、特急のために電化したということだね。羽越本線村上〜酒田間は今も同じだし、電気機関車が牽引をする貨物列車しか、走らなくなった糸魚川〜直江津しかり。 電車はお高いからな、特に交直流。急行型は制御車が多いし
まぁ田舎の大都市への直通信奉で上野口でも大宮に新幹線くるまで非冷房キハきてた
からな。便宜上長距離にしてたしらゆきにそんな車両いれられないでしょ >>236
鹿児島線や日豊線では急行型電車を普通列車に使ってたのに
その車両長崎本線急行に回したら鹿児島線や日豊線の普通列車どうすんのよとならないかな?
長崎本線からキハ55やキハ58回すのかい? >>237
お前さん相変わらずブレないね
振子式急行型スキーにも限度があるぞ >>241
地方の本線になると貨物無煙化と特急通す以外オマケみたいな形の電化だったからな元々
12系・14系の臨時列車も電機だけはあるので貨物少ない時期にそうやって使うという格好だったし >>241
「車両費のかからなかった電化」と言われました >>246
実際有効活用したからその分は余ってるとは言わない >>241
羽越線関連や長崎線関連の頃の地方幹線の電化は、
特急の電車化よるスピードアップと、
機関車の電機化によるパワーアップが主目的かな。
その頃には急行型電車は製造は打ち切られてたし。 東京大阪間の臨時夜行電車急行で
時刻表に1・2等、食堂マークが
つきながら愛称なし、というのが
あった。豪勢だな。 >>250
それは興味深いな
手元の交通公社1976年10月号の臨時ゆのか
上り51号(大分841―小倉1128)
下り51号(小倉1152―大分1416)
上り52号(大分1453―小倉1727)
下り52号(小倉1736―大分1958)
10/9〜10/11に限りG指定席連結とビュッフェ営業の注釈がある
10/9が土曜で10、11と連休になっているので状況的にはアリと思う
短時間の折り返し運用だし4列車に及ぶミスプリとは思えない
九州では1973年に営業休止のハズだが臨時での運用は続いてたのか? >>229
東北の県庁所在地駅で、唯一急行型電車が入ったことがないのが秋田なんだよねえ。
青森はくりこまがあったし、山形にはざおう・仙山が来ていた。
昼行のおが1・2号など全区間単独だったし、455ど電車化出来たんじゃ? とは思うけど…
出来ない事情があったんだろうな。 >>252
電化が遅かったから
昭和50年以降の電化で急行型電車になった急行って稀有じゃね? きのくにさえ定期はそうだったからな。きのくにが定期廃止され臨時で初めて、165系電車投入されたの結構強烈な記憶勿論南海線乗り入れあったこともあるが 直流電化でも伯備線福知山線は特急化、肥薩線、奈良線は急行廃止 >>256
そう筑肥線の間違い
すまない
急行「平戸」は非電化区間直通だから仕方ないだろうが、奈良線和歌山線の急行「紀ノ川」は全線電化区間、電車化はおろか代替の快速や普通列車も走らなかった
多少は人の動きがある奈良国体の年、急行「紀ノ川」はまったくあてにされていなかった 同じ急行型車両と言いつつ、格はやはり電車≧客車>気動車か。
準急を全部急行に格上げしないで、
幹線系や幹線から支線突入系は電車や客車に限り急行、
支線系と気動車を使用してる場合は全て準急とすれば、
上手く分類できたろうにな。 >>258
気動車のほうが停車駅が少ないことがあった(多かった?)ので
その手が使えなかったのではないのだろうか。 線区によっては長距離急行が客車列車で気動車準急より鈍足というのがあった おがは板谷峠もあるし電車でパワフルに走破してもらいたかったな
キハ58偏重で冷房付なのに使えない事態もあったみたいだし >>521
時刻表の原稿を作成する際に、編成表を鵜呑みにしてビュフェの営業ありに
してしまったという記述をどこかで見た覚えがあるが、真相はどうだろうか。 スマソ
>>521 → >>251
時刻表の原稿を作成する際に、編成表を鵜呑みにしてビュフェの営業ありに
してしまったという記述をどこかで見た覚えがあるが、真相はどうだろうか。 >>253
稀有な例として錦江があるね
すぐに快速になってしまったが >>263
それも考えたけどその号は何故か編成案内頁に
九州の急行は夜行のかいもん4号と日南4号しか載ってない
九州各線の定期電車急行は本文中にビュフェの表記は一切無し
1978年10月改正前まではサロと並んでサハシが組み込まれてたハズなので
営業不可能ではないけど誰か真相を教えてください >>253
50.3改正だけど、
「犬吠」と「水郷」はどうかな
あと「天竜」等の中部山岳ローカル急行 急行赤倉(名古屋-新潟)末期は165系に変わった。 赤倉→新潟発長岡行き普通電車→長岡泊→翌日の長岡発新潟行き普通電車→赤倉又は佐渡→よねやま→長岡行き普通電車
1月11日に新潟発長岡行きの普通電車が15時間も立ち往生したわけなんだけども
165系電車がもし今回みたいな立ち往生巻き込まれたら新潟⇔長岡間だけでなく165系電車の立ち往生がそれこそ遠く、東京や名古屋まで巻き込まれていた訳で
TVで今のように川島冷蔵庫とか所謂、鉄道コメンテーターが頓珍漢極まりないコメントを言うこともなかったのかな?と思う正直言って残念なところではある >>264
ああ錦江って電車入ったの日豊本線全線電化の時だから該当するね
それでもディーゼルも残ったんだよね
>>266
総武本線はそうだね
天竜等は電化自体は早いから
>>267
これも電化自体は早い >>268
165系
DD53
人員の数
直轄管理
国鉄根性
・・・
これだけ揃ってるから
あんな程度で立往生なんかしないだろう >>271
トータルでは、国鉄はけしからんことが多いと思うし
それ故消えてなくなったのだと思うが、国鉄であれば
今回のような長時間立ち往生はなかったともう。
JRは「お客様第一」を標榜しているが、所詮は
コストと風評の天秤で施策を決めているだけだ。 >>272
国鉄は三八豪雪の時
立ち往生した越路号に火鉢持ち込んで一酸化中毒大発生させたんだぞ
そんなことしなくても水補給すりゃ暖房効いたのに 立ち往生しても垂れ流し便所は極力使うなと国鉄の車掌は放送したぞ
情報を入手する術は感度の悪い携帯ラジオぐらいしかなく車掌は高圧的でどうしようもなかった 時速110kmで
雪の塊ボンボン蹴散らしながら走っていた165系。 ほぼ同時期に出た、西の117系(近郊型)と、東の185系(特急型)が、165系もさることながら、「急行型」というカテゴリーの衰退を決定づけた。 165系と言うよりも153系後継車としてRJに当時結構書かれてた様な記憶ある185系特急踊り子使われる様になるのは1981年昭和56年10月だが急行としては
7ヶ月前の同年3月から使われててしかも153系と連結組み合わせ結構あったからいきなり特急にすると顰蹙を買うので、7ヶ月間急行サービス期間設けた思うが >>279
格上げ前のサービスだったね。もともと急行伊豆って指定席中心の構成で
料金割高でも人は乗る場所だから特急化もまぁ受け入れられたんだと思う。 1986年頃といえば、飯田線に165系3連の三河川合行きなんてのが走っていたように思いますが、
ツリカケ車が165系冷房車に置き換えられたケースは他にもあるのでしょうか。 中央西線の80系廃止時、代替115だけでしたっけ? 165系の普通無かったかなぁ。 >>283
中央西線に115は居なかった記憶
113−2000だったかと >>280
確かに急行「伊豆」は急行「東海」より格上だったよな >>280
その頃に同時に上野口の北関東ローカル急行も新特急化したから
「東海」「御殿場」、大垣夜行、房総特急も185系にすれば良かった気もするな。 >>288
名古屋まで来てたのが1〜2往復程度で荷電付けてたんだっけ? >>287
同時じゃないよ
1年後に一部が特急になったが、急行も残り、新特急になったのは3年半くらい後 >>284
>>285
>>288
中津川以北の80置き換えは115系
但し115は神領には入らず、松本(長野だったか)に投入、115は中津川以北へ封じ込め。
80の名古屋中津川担当分だけ113-2000を神領に投入。
国鉄分割民営化直前、中央西線ローカルを神領に移管するため、115が神領に転入、
しかし短期間で165が中央西線山区間ローカルに入ることになり、115は静岡に転出。
こんな流れだったかと。 >>290
新幹線リレー号も使われていたから北関東の急行は残って
上野開業時に新特急化されて
踊り子の183系も転属した 中央西線に165入ったのってJR化後だったのか。
あの区間には合ってる印象だったけど >>291
おぉサンクス
名古屋口で115系見た記憶無いから話が噛み合わん訳だよね
>>293
きそ、つがいけ用165系は?
このスレで言う西線って中津川以北限定? 当初153系の置き換えと言いながら
代替車が185系という、特急向けの
形式を名乗った時点で決まったな。 185系は?
コンセプト的に国鉄版りょうもう(1800系ビジネス急行)って感じ
既存優等車と比較してコストを抑える点では同じ
東武(私鉄の国鉄)は
急行用1800系(私鉄の157系・日光形)が
デッキを東海形並みに拡張(長距離通勤(出張)ニーズを考慮)
走行機器は通勤形8000系(私鉄の103系)と同等
DRC(私鉄のこだま形)より経済性や利便性
本家の185系(日光形・デラックス準急の再来?)も
デッキは東海形相当(急行や快速運用を考慮)
走行機器は新快速117系と同等
183系と比較して経済性や利便性を追求 185系は長い間伊豆方面への人気特急として活躍している大成功の車両じゃない
スーパービュー踊り子やリゾート踊り子など他の踊り子号もあるが基本は185系
日曜日の上り列車などグリーン車付の長大編成が満席となる 117系と185系は、先頭形状が東海形(所謂クハ153・500番台タイプ)と同じで、
貫通扉に電照掲示板付でもいいけど、俺は受け入れられたんだけどな。
尚且つ185系の方はあれで種別が、急行(新急行とかもダーメ!)のままだったらなあ。
サロ185のドア幅が1メートルあるのも失格なんだよな。
185系は東海道線用も北関東用も塗装が間抜けだったしね。
そして「踊り子」っつーのも名前も下品だし冗長で嫌だった。
やっぱ伊豆半島に行くなら「伊豆」「天城」だろ。 飴のキャラクターに見えた踊り子のあのイラスト、
ヘッドマークで人物が描かれているのって他にある? 大井川鉄道の客車の後ろに茶摘みおばさん描いてなかった? くまがわも
川下り船に小さいけど人物が描かれていた絵画風のHM >>294
亀レスだけど
神領の165系は
82年ダイヤ改正で急行用として配置していたのが全廃で配置がなくなり、89年のダイヤ改正で大垣と豊橋の3連口が転入してきた、という流れだね。
代わりに115系が飯田線運用に回ったと >>298
サロ185以降に製造された211系のグリーン車や
それ以後のグリーン車は
急行サロや113系サロと同じく細ドアだったな。
なぜサロ185だけが?
いやその前にキロ26が既に幅広ドアか?
奥に当たるとオグオグオッグ! 3連口は日根野のが思い出深いな。
新宮夜行でもお世話になった。 >>308
それは特急型で片デッキだからだろ
183系だって普通車は両デッキでもサロは片デッキだったしね >>310
デッキ数の話じゃなくてドア幅の話なんだよなあ。 >>311
急行形や近郊形のサロは狭いドアだけど二箇所
183系の場合は狭いドア一箇所
185系はその中間で広いドア一箇所
ということでしょうな >>307
急行用が一度転属したあとに大垣から移動してきた
大垣夜行の臨時にも使用されていた >>309
あれが凄いのは阪和線内快速だからな。23時過ぎとは言うものの阪和線線内で、165系が快速電車として通用してたのは上尾事件知ってる世代的に驚きだった。今ではそんなわけにはいかないだろうが >>312
そういえばサロ185はデッキ一つだったか。 451系と471系は当初扉が外吊りだったそうですが
153系とどこか構造に違いがあるのですか。 >>320
トンネル突入時に負圧でドアが浮いてパイロットランプ消灯する欠陥が露呈した
引き戸に改造した時に台枠を切り欠いたために補強材を入れて自重が0.9トン増加した >>314
三国ヶ丘・東岸和田も通過の時代。
大阪市街(長居付近)も高架になる前だから、一段と速く感じた。 まだ阪和線直通は昼間特急だけで関空もない時代、西九条駅あたりから知らずに乗り込んだ酔っぱらいとかいてただろうな >>321
トンネル突入時は外気圧が高圧で車内が低圧だから
ドアが外から押し付けられるんじゃないの? >>324
自分はほぼ素人だけど…それは違うんじゃ、と思うなぁ。
正面の部分は確かにトンネルの空気を押すから陽圧になるだろうけど、正面で押し出された分、トンネル内の空気が陰圧になって、車内の空気圧が勝ってしまい、扉が外に押されてしまうんじゃないかなぁ… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています