過走行で老朽化が早まった車両 [無断転載禁止]©2ch.net
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新幹線0系で最初に作られたのは12年で廃車になったな
特急型車両が過走行になりがちで短命に終わる傾向がある まあ一社独占はよろしくない
近鉄乗り入れ車なら近車で良いではないですか 253系
登場から18年で259系に置き換えられ、一部が長電に譲渡されるも大半がそのまま廃車解体
185置き換えに使われず
351系も廃車予定だし、651系も結局廃車だし >>99
確かにその辺りまでは置き換えスピードは今ほど極端に速くはなかったからな >>102
253は空港特急独特の設備が多すぎて転用できなかった。
e351は少数派で扱いにくいため。 >40年使用する時代はもう終わった
>今の車両は電子部品が多数使用している為
>車両を更新するよりも直接新車に代替した方が経営的にも良くなった
>5300や12-000は塗装車体の維持、東急9000や解体された205は保守部品確保の為
>8年前とは車両に対す扱いがすっかり変わったんだ
>今の電車は20年した持たない
2002年にその231-500番代に加え、京急N1000・相鉄10000・小田急3000・東急5000と各社103世代置き換え用の新車が出たが、
むしろその辺りから使い捨ての時代が始まったと言えそうだね
ただ、都営は昔から40年使用する概念がない
昔から25〜30年で廃車だった
なので、5300・12-000は廃車時期 >>105 古い車両を改装して台車や駆動装置、車内空調等のアコモを新型化するよりも、新型車を導入する方がコスト・パフォーマンスで有利なんでは?
最近は、特にホームドア導入やバリアフリー対策など、新たな要求に対応しなくてはならないわけで、103系など古い車両を限定的に改装する程度で間に合った時代とは異なる。
気動車にしたって、自動車のEV化が進むと鉄道は別だということにはならないだろうから、じきに蓄電池車両にどんどん置き換えられる。 通勤電車に求められるのが、乗客を詰め込んで輸送するだけの機械では済まなくなってきたんだよなあ。 乗客を詰め込んで輸送するだけの機械以外に通勤電車に求められるものって何? 103でも車イススペースくらい付けられるし、ホームドアも福岡では対応していたけどな。
むしろ全国の都市圏輸送はすべて103だったのだから、
その時代にホームドア付けるなら今よりやりやすかったはず。
というかその頃の方がホーム転落事故今よりはるかに多かった。 >乗客を詰め込んで輸送するだけの機械以外に通勤電車に求められるもの
快適性とかバリアフリー、それに安全性ってことなんでは? 空調にしても、各車両を均一に冷房すればよいということではないわけで。安全性の面ではATSが高度化しているし。
>その時代にホームドア付けるなら今よりやりやすかったはず
ホームドアつけるだけの予算があったのかねえ? 線増や車両数増加に追い回されてた頃でしょ。人口全体同様、乗客の高齢化も進んでいなかったから、ホームから転落しても自力で這い上がることができたが、高齢者が多くなるとそんなわけにもいかなくなる。
まあ、昔の鉄道等、公共輸送が体力のない者、あるいは障碍者を排除していたわけで。 同時代の大手私鉄車両では標準装備だった空気バネを装着せず、高速走行時の振動、騒音が大きいJR103系は、乗客を詰め込んで輸送する機械の代表例ではないかなあ >>99
東急5000系列量産もJR通勤型を新津に回した分八景のラインに余裕ができたためにそれを救済する意味もあったのだが… >>109
103-1500はホームドアには非対応(非連動)。地下鉄空港線内で車掌が乗務して、車掌が
ホームドアと車両のドアを個別に操作して開閉していた。 新快速電車の223系は酷使され続けているが長持ちだな 223などは朝こそフル稼動だが、昼間や休日は結構休んでいる
名鉄2200はウンコ抜きで入庫してもすぐに出庫
朝から夜まで走りっぱなし
1200は長持ちさせるために、2011年改正で昼寝もするようになった 京急2000形・西鉄8000形・阪急6300系
阪急6300と西鉄8000は走行距離が非常に長い為、先に登場した阪急3300・5300や西鉄5000より先に引退
京急2000は無理やり3扉に改造したためか今年度で全廃 スレチだがプロ鉄道カメラマンの真島光秀が撮り鉄で自家用車で全国を飛び回り酷使しまくって何度も買い替えてたな
過走行車は鉄道でも中古市場で査定ガタ落ちだろうし
プリウスのタクシーは年間走行距離10万キロという過酷な使用に耐えられず3年でダメになるとか聞いた事がある >>99
231が出る少し前までは、201・205のリニューアルはできそうだったかもしれないが
結局は201は一部のシングルアーム化と妻窓閉鎖、205は先頭改造車と武蔵野用5000番以外はほぼ原形のままで終わった
また中央総武は209-500導入前の時点で整備不足が原因とみられる車両故障が頻発していた
つまりその時点で将来車両をボンボン使い捨てしまくる気があったんだろう >>118
というか中央・総武緩行の車両故障が後を絶たなかったから、本来作る予定のなかった209-500が作られたんだよね? >>119
本社は新車に置き換えたかったが、保守要員を合理化出来る新車は労組が反対して入れられなかった。
そんな折、MGから火を噴く事故が起きた。原因はカーボンブラシのカスの清掃を怠ったこと。
だから、モーターの清掃を徹底すれば対策になったんだけど、車両の老朽化が事故の原因
って事にして、新車を無理矢理放り込んだ。
E231開発中の話だったので、とりあえず209-500を数本入れて残りはE231に。 東急5050系5155F
5050系なのになぜか廃車
8500系の置き換えが終わってないのに8090とか8590とか9000を潰して、更に5000の6ドアまで潰してるのに5050まで廃車とか頭悪すぎ 相鉄8000系8707F
僅か13年で廃車
旧7000系淘汰が終わってないのに何で8000系を廃車にしたのか?
京急1701
こちらもなぜか廃車になっている
1701が廃車にならなければ800と2000の廃車が早くなっていたはず >>87
譲渡してすぐに廃車になったのは未更新車だったため。
2011/3の南大阪周辺のダイヤ大改正で未更新車・特別保全車は原則として全廃。
>>92
207を作ろうにもライン閉鎖。
後に321を予定より3本多く製造して対応した。
ちなみに813系が追突事故で廃車となった分を同形式で代替新造できたのは、当時2連を3連化する計画があり、
その3連化用中間車のおまけで代替新造しただけ。 >>121
元住吉でみなとみらい線の車両に追突したため。
813系事故車と同じように全車両の両端部分がまんべんなく破損しており、修理困難だったと思われる。
>>122
8707Fは相模大塚で工事用重機に激突、1701編成は京急田浦〜安針塚で土砂崩れに巻き込まれ脱線した。
8707Fは一部廃車して先頭車代替新造と10000への置き換えを比較した結果、検査費用の点で10000(10708F)への置き換えが将来的にコスト削減可能と判断されたため全車解体。
1701編成は修理予定で総合車両製作所に入場したが、総合車両製作所がアルミ通勤車の生産を終了していたために修理を断念したものと思われる。 >>105
都営5300形はわざわざ久里浜で塗装しているが、それを止めたいから。
(馬込車両検修場には塗装設備が無く、わざわざ京急の久里浜工場まで回送して再塗装をしている)
馬込車両検修場が塗装設備持っていたら5300形は更新とかしたかもしれんが。 >>125
というかなぜ最初からステンレス無塗装で造らなかったのか、
10-000形や6300形のように。 >>121東急8500がいつまでも残ってるのは不思議だよね。東急がJALの大株主でJAL が一度倒産した時に大損して8500を置き換える余裕がなくなったって噂は本当なのか? 8500他オールステンレス車は元々長期間使うつもりだったが東急車輌の経営が怪しくなったから仕事与えるために新車に置き換えることにした
結局東急車輌を売却したから新車入れる必要がなくなったので再び長期間使う方針に戻った >>125
都5000が鋼製車体だったのに、何故工場に塗装設備がないのかと
>>127
合併の経緯から、東急はJALの大株主のひとつだった。
そのJALが経営破綻したから、それで大損して車両どころじゃなくなった
時期があったのは事実。 >>129
工場は元々車庫と別の場所にあったけど、移転して今の場所に移った
その時に塗装ブースを設置しなかったんだと思う
昔の工場は東海道新幹線から見えたけど今はもう跡地がどこだったかもわからなくなってるな >>130
たしか学校になったんだっけ。
実家が馬込だけどしばらく行ってないw >>99
新津車両製作所を開設したのはe231デビュー前。 首都圏の車両は過走行もそうだがラッシュ時の乗客の重みで台枠が変形してしまったのもあったというからかなり過酷であることが伺える
阪神ジェットカーも初期のやつは20年で廃車になったが高加速での車体の負荷が強烈だったため 北大阪急行8000形
基本物持ちがいい関西としては早すぎる廃車
2000形は冷房搭載不可という明確な理由があったけど >>135
大阪市営地下鉄の10系もそれほど長く使ってないし第三軌条式の問題もあると思う。 関西でも御堂筋線だけは首都圏並みの過酷な運用だしな。 >>98
少なくとも201・203・207-900はTKの旧世代車両検査業務終了で全廃
この3形式は部品がTKにしかなかったため即全廃に >>92
普通は同数の207を新造だよね?
どうかしてる
まさか当時の酉はJR型の評判が良くなかったためとか? >>125
というか5300形って普通に久里浜入庫運用あるのにわざわざ回送してたの? >>143
お泊りかお昼寝か知らんが出庫までに塗って乾かすのは絶対無理w >>143-144
5月のファミリーフェスタで行けばわかる。1両ずつばらして塗ってるから。 >>145
それを何で俺にレスするのだ
バラさなきゃ塗れないのは自明だわな >>144
回送はせず定期の久里浜出入庫運用で送り込み、
何日か停泊すれば良い話だと思うが。 >>101
東急車輛製造時代に作られた東急の車両達「...」 大阪市営地下鉄の10系もそれほど長く使ってないし第三軌条式の問題もあると思う。 >>103
束は103が故障しまくったことがトラウマになってむやみやたらに置き換えている可能性
この故障前までは、束も一応車両を長く使うつもりではあったようだが・・
(方針転換の結果が予定外の中総209導入、転換前は中総は現231-900の試験結果次第での量産になる予定だった) 初代リンクのエンジン換装車
機関換装と両運転台改良のため、老朽化が早まり、神々のトライフォースを故に廃車された。
最終期では、無理を通して、95km/hほどでの運転が多かったのも災いしたな。 >>87
泉北から南海に譲渡された3000も当初は使い捨て前提で座席の色が泉北時代のままだった
しかし8300が出た辺りに座席が8300仕様の物の交換されたから、使い捨て前提ではなくなったっぽい 中央快速線の201系も過走行で重要部検査を2年に1回実施する有様だった 山形新幹線400系
スーパーあずさE351系
いずれも、平成時代に生まれて平成時代に滅びた。 カシオペアのE26系客車なんかはステンレス製だから、
台車を交換すれば100年でも200年でも使えるのかな。
電車と違って電動機器がないし。 >>155
300系、E1系もあるし
平成の初めの新幹線車両はそんなもんでしょうなあ >>155
小泉今日子が唄ったCMソングの登場車輌、無事なのは房総ビューエクスプレスこと255系だけに。 101系や103系は過走行というよりか首都圏ラッシュによる乗客の重みで台枠が歪んだなんて話もある
台枠が重みで変形を繰り返すことで金属疲労を起こして短命に終わった車両が多数 >>117
自家用モデルのハイ・タク営業用途には無理がある
(営業用は信頼性重視の耐久設計、エンジンはタイミングチェーン仕様が多い)
自家用では廃車まで10〜15万Km程度の走行を想定して設計だから
40万Km運用の営業用は不可能 クモハ84は足回りがもとから古いのと配属場所が過酷。 メガライナー
東京〜つくばなんて短距離路線で使っていたはずが
TX開業後に夜行に転用したばかりに・・・ >>164
長距離運用で酷使されて過走行だったのもあるが兎に角車体が脆弱すぎた
車体が腐食してジャッキアップしたら崩壊したなんて話も
JRに承継されたのは事業用車代用で東日本に2両だけ 新幹線0系はひかり用編成とこだま用編成で老朽化の進み具合が思いっきり違ってたな
ひかり編成が早々にガタが来たのに対しこだま編成は老朽化があまり進んでなく25年くらいとか長寿命の車両があった JR四国2000系
置き換えが始まったが2000系より古いキハ185系は余剰以外で廃車が始まってない キハ283系もキハ281系より新しいのに車体が弱くて廃車が始まってる 会津鉄道に行ったキハ8500
過走行ではなく車両性能と使用環境のミスマッチで寿命を縮めた希少事例
元々120キロ運転を前提に製造されてたのを65キロくらいで各駅停車で運用したため足回りに負担がかかった >>166
特に1・2次車はずっとひかり専用だったこともあってガタが来るのも速かったらしい。
特に博多延伸後はWひかりのロングラン運用に充当されることが多かったのもあって、
劣化が急速に進んだらしい。 国鉄時代全盛期は20年で廃車するのが通例だったが最近は40年以上使ってるの多いな
Hゴムの部分で腐食しやすかった
201系から耐候性高張力鋼板を用いるようになって腐食しにくくなった 耐候性高張力鋼板の採用自体は、国鉄では60年代後半から始まっている。
例えば481・483系から485系へ増備が切り替わる時に採用している。
ただし通勤車への採用はかなり遅れた。
これだけでも格段に鋼体の寿命は延びたが、80年代に入って、
201系(量産車)や185系200番台のタイミングで腐食防止対策が強化された。
主な対策としては、
・外板裾の台枠への連続溶接
・扉周囲の連続溶接
・雨樋・通風器を鉄製→FRP製へ
・冷房機カバーを鉄製塗装→ステンレス製無塗装へ
この他、415系500番台では外板裾部をまるごとステンレス板へ変更している。
ガラス押えのHゴム→ステンレスへの変更もこの時だが、交換周期の延長が
主目的。 対策で書き忘れた。
・屋根のイボ付ビニール布→塗屋根化。
ビニール布は継ぎ目の溶接部分が弱点で、経年による裂け目から雨水が侵入して
腐食の原因となっていたため、寿命が長く裂けないウレタン塗料による塗装へ変更された。
従来は無かった塗料の新製品が開発されたため。 国鉄が労資紛争してた頃はメンテが悪くて
車齢が古いのじゃなく状態がぼろかった
各種初期新型車が寿命短めだったのは 軽量だったのとそういう事情が重なったんだろうか 逆に過少走行で老朽化が遅くなった車両:養老鉄道に行った東急7700系
何か車体だけ見たら80年位使うつもりだとか >>177
181系なんか、職員の手による落書きがされたまま営業運転されていたもんな。
中には良識ある人もいたんだろうけど、ある程度車齢を重ねた車両が
本来受けるべきメンテナンスを受けられていたとは考えにくいよね。
新幹線100系もX編成とV編成が東京〜博多主体でG編成が東京〜新大阪主体で走行距離が多くないG編成の方が長持ちしたとか話あるよな
X編成は短編成化されず編成丸ごと廃車となった 高速バスでははかた号とか超長距離路線で使うやつは7〜8年でダメになる
通常は高速車で10年ほどで一般路線車が15年ほどと乗用車より長い JR北海道ではキハ183が残ってるのにキハ283を、JR四国でもキハ185が残ってるのに2000系が、JR東では351系が廃車に、
これは振り子が嫌われてるのか、それとも過酷な運用なのか?誰か教えて・・・ >>186
e351は全体的に特殊だったからでしょ
システム面では251/253/651は205/211とほぼ同じだったし、
まだ廃車にはなっていないが255も209/e217とほぼ同じだが 新幹線700系は16両編成は東京〜博多をひっきりなしに往復する運用があったりとか使い方が過酷で早々に廃車されたが8両のE編成はまだ廃車が出てない
新大阪〜博多のみで怠けた運用しかしてなくて長持ちしてる >>13
中途半端な高さのせいでタブレット交換が面倒な事に 正しくはこうだったと思う
黄色と黒は勇気の印
24時間戦えますか 新幹線は全般検査サイクルが36ヶ月または120万キロ(0系だけ90万キロ)と規定されてるがこだま編成だと走行距離が少なく36ヶ月が先に到達した?
のぞみやひかり主体だと90万キロか120万キロが先に到達する 681系も置き換えが予定されてるんだな
北陸新幹線大阪開業まで我慢できなかったか >>158
「よーこすかせんにそぉーぶせん〜」がまだ多数残ってる 旧型国電の時代は、製造から15年低緯度で更新修繕、なんてのが当たり前だったが
昭和30〜40年代は輸送力爆発の時代。とにかく低コストで一両でも多くの増備が必要だった。
防錆・耐蝕なぞに構ってられなかったんだろう、と今更。技術の進化もあって20年程度で置き換えてしまったんだろう。 歴代の京阪特急は特急専用にしては長寿だな
旧3000系がちょっと特殊で8000系を輸送力増強用に投入したら8000系に乗客が集中し置き換えが決定したが1編成だけ細々と残ってた 新幹線200系シャークノーズ
スーパーやまびこに重点的に使われてて走行距離過多になって早々に消えた 西鉄2041F
特急での過走行もあるが事故の後遺症で老朽化が早く進んで一足先に廃車された ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています