過走行で老朽化が早まった車両 [無断転載禁止]©2ch.net
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新幹線0系で最初に作られたのは12年で廃車になったな
特急型車両が過走行になりがちで短命に終わる傾向がある 札幌市営地下鉄南北線1000・2000形
いわゆる「新交通」と同程度の脆弱な構造のシステムを札幌のような巨大都市の
メインルートに使うことは当初から危惧されていたわけだが… EF65-500が1000に交代になったのも割と早かった様な 阪急の歴代特急車両は短命だった
2800系はドア増設で強度が落ち15年で廃車になったのある
6300系は過走行と停車駅増大に伴い条項に時間がかかり厄介者扱いされ京都線特急から撤退 初期の新幹線車両は、10年程度で耐用期限が切れることを前提に設計、量産されていたわけなんだが。
寿命延長改装工事するよりも、新車に取り替えた方がコストパフォーマンスが高いというわけで。 E331の何処が過走行なんだよ!
過小走行の挙句、償却も出来ぬうちに闇に葬られたんじゃないか。
東日本旅客鉄道唯一の名車の廃車は断じて許されない。 過走行って「本来の走行性能にそぐわない使い方で酷使する」って意味でいいのかな?
JR西日本 クモハ84
クモニ83の改造車(元をたどれば63系)で、宇野線で快速にも使われていたせいか、8年で廃車になった タクシーは年間走行距離10万キロとか過酷な世界だな
プリウスのタクシーを見かけるが3年でガタが来てしまうらしい 中央快速線201系
走行距離が長くなりがちで通常は4年に1回行う重要部検査が2年に1回になってた 初期の0系は車体そのものや下回りよりも車内の気密性能の低下の方がさらに深刻だったからな。
しかも気密の低下は想定外に進んでたらしく、それが新車で取り替える方針になったとか。
本来なら961系の量産型というべき車両が登場してもおかしくなかった時期だが、
編成中に製造年次の異なる車両が何両もあったために、結局0系で0系を取り替えるということになったとか。 1〜2次車が予想以上の劣化、食堂車ユニットなどは数年前に造ったばかり
新旧混成するしか方法がなく、同形車で代替するのも仕方ないわな キハ81
東北本線特急「はつかり」でデビューした時から上野〜青森間の長距離運用や「はつかり」電車化後も
「いなほ」や「ひたち」での共通運用による長距離運用も多く、また、太平洋や日本海沿岸部を走ることも多かったことや
寒冷地での雪害や塩害による車両の傷みも目立ち、「くろしお」に転用後も海岸沿いを走ることなどから、
車体の金属疲労による傷みや汚れがかなり目立っていた。
使いづらさもあり、1・2・4・6は昭和51年頃からキハ82に置き換えられて廃車となり、
晩年は3と5だけが紀勢本線電化まで残り、3は廃車後、交通科学館に保存された。 583系は意外と長生きした印象だな。
本来なら昼も夜も特急として走り続けて、過走行で十数年しかもたないような運用だったが、
早々と本来の役割を終え、419/715化されたり波動用になったりで、2017年まで運用された。 >>9
プリウスタクシーは車体もだけど、バッテリーが厳しいことになると運転手から聞いたな。
客の乗降などを考えると専用設計のクラウンコンフォートがやはり出来が良いらしい。 京成3400形
3300形だと金町線で晩年多用していたこち亀ラッピング3348偏差、これは更新後5年は8連で優等主体。かつたまに北総や京急に乗りいれたり酷使。
その結果、晩年は葛飾ラッピングを口実に走行キロ少なく速度遅い金町線で多用した >>15
スレチだがコンフォートGT-Z乗ってみたいわ >>6
まんま209系だなw
新幹線も、当時は技術革新を反映させる目的で、寿命を短く設定していたはず。
ところが細部の改良はあったにせよ、基本設計はそのままで平成まで走り続けた。 >>15
たまには日産の商用小型車クルーのことを思い出して下さい。
商用セドリックがY31車体でLPG燃料のタクシー専用車がつい最近まで作り続けていた。
その間を埋めたのがクルーでRB20Eと言う珍エンジンだった。
商用だけでなく一般にも売っていたから自家用に買った中にはRB26DETTに積み替えたバカも。
今や日産のタクシー専用車はLPG燃料のNV200ってワゴン車ベース。
プリウスは屋根が低いから頭ぶつけるらしいが、NV200はワゴン車だから乗降も楽だし
介護用タクシーにも使っている。 >>8
でもあのクモニの出所は山陽線用に使ってたやつで中央本線とかじゃないからね。
(仮に中央本線からだと低屋根が必須になるので低屋根車になっただろうし、山岳線で相当酷使なはず) 日光準急用の157系も酷使しすぎて、活躍できる期間が短かった
車輌ですね。
当時の東武鉄道との競争のために、豪華すぎて乗客から大好評だったけれど、
他の線区に回されたりして、悲運の電車といえるかもしれませんね。 157系は東京と大阪を毎日往復する運用したこともあるからそれなりには酷使してる
新幹線開業後は伊豆に足を伸ばしたから今度は塩害にやられるという 157系は開閉できた下降窓からの雨水侵入で車体腐食が酷くて寿命縮めた。 >>13
キハ81は「はつかり」以外では使いにくかったからな。
非貫通で運用上不便というのが仇になってしまったのは云えるし。 昭和30年代初頭に国鉄に次々と投入された車両、電車でいうと新性能の第一世代の車両は総じて20年程度で廃車になったのに、すぐ後の昭和30年代後半以降に生まれた車両は30年〜40年使われたのが多い。国鉄財政破綻して延命せざるをえなくなった事が理由なんだろうけれど。 >>33
そのなかでも西日本に引き継がれた車両は割と長生きしたのが多いのに対し、
東海に引き継がれた車両はJR化後早いうちに姿を消したのが多いというのはあるけどな。 >>33
私鉄でもそういう傾向がある。
やはり新性能第一世代では当時の最新技術を盛り込んだものの、
どこか無理があったり(軽量化が行き過ぎていたり、機器に負荷がかかりすぎたり)、
不経済だったり(M比が大きすぎたり、ランニングコストの高い特殊な部品があったり)で、
早期廃車せざるを得なかった。
第二世代だと、それらの欠点が克服され、耐久性も向上した。 中古車市場でも過走行だと査定ガタ落ちするよな
新幹線300系もピーク時は東京〜博多間を1日1往復半するとか過酷な運用してた 長期的な耐用て
実際に走らせてみてわかる部分も
大きいんだろな >>35 >軽量化が行き過ぎていた
例えば相鉄の5000(車体更新前)に東急・玉電の300とか
ボディマウント構造で車体に負担がかかり過ぎたというケースだな 国鉄の63系だって、そのままでは10年ちょっとしか持たなかっただろうな。
桜木町事故を契機に車体改造され、新性能電車の投入が間に合わないための繋ぎとして車体更新や改造が施されたから、あれだけ持った。 >>23
亀レスだけど、クモハ84の種車は中央本線運用車でなかったか。
クモニ83000の最初増備車は標準屋根に山用パンタグラフの組み合わせだった。
あと改造から漏れたけど83815も西に引き継がれてた >>41
そういえば中央線の荷電廃止後、103系編入改造される101系クハを連れて自力回送で来阪する写真どこかで見た記憶ある。 南海20001系「こうや」
難波〜極楽橋間を1日2往復するだけで、過走行でもなくスピードも
それほど速かったでもなく、冬期は大晦日と正月3が日を除いて運休し、
この間に全般検査や重要部検査などを行うなどして、南海電鉄は
この特急車を大切に扱っていたが、老朽化を理由に昭和58年に30000系に置き換えられて
登場から24年で引退した。30000系の方は今年で登場から34年にもなるが、車両が老朽化したなどの
声は全く聞かれない 定格速度が極めて低く、速度を上げなくても回転数は高かったから
それなりに傷んでたのかもね 新造から35年、更新から間もなく20年、こうやも代替の話が出てくる頃か?
サザンも含めて サザンは走ルンですプレミアムのリピートオーダーだろうね。 >>45
りんかんとセットだろうね。橋本までりんかんと合体して橋本で切り離しとかやりそう。 北斗星、トワイライトエクスプレス
走行距離もさながら、青函トンネルの湿気が大幅に寿命を縮めたと思う トワなんか10年もてばいい方だと思っていたが、長寿の部類に入ると思うがな。 向日町運転所のキハ80系
白鳥・まつかぜ・かもめなど車両が共通運用されたりして、
寒冷地の青森から温暖な長崎、西鹿児島まで広範囲にわたって長距離運用されていたこともあり、
その後、白鳥の485系電車化などで向日町運転所担当のキハ80系特急は山陰本線特急のみになったが、
まつかぜ・あさしおなどは長距離運用も多く、晩年は車両故障や塩害や雪害による車体の傷み、
汚れがかなり目立っていた 阪神初代5001形
過走行ではなく加減速が強烈なことにより寿命が縮んだ珍しい事例 >>54
初期のジェットカーは実際に台車に亀裂入ったりしたはず 151系のDT23とか、東急青ガエルの台車も亀裂が入った
軽量化のため薄くし過ぎたからね ジェットカーは台車交換を始めたが、直後に冷房化のため代替新造に移行したな キハ181系も新製時から車輪の一軸蛇行などが指摘され、10年前後で台車枠に亀裂が入るなどし始めたため、
台車枠を新製して、キサシ180以外はすべて新しい台車に交換された コキ50000も脱線事故多発で台車枠全交換したな
「コキ50000に乗せるな」と一部荷主から苦情が来る始末だった 近年だと名鉄がボルスタレス式の電動台車を全交換したが、住金の欠陥?
まさか過走行で老朽化じゃあるまいし 過走行と言い方だと走行距離×速度って囚われやすい。
走り装置の亀裂だの破壊は負荷設計上のマージン不足か、形に無理があったってこったろ。
重さだけでなく、モーターやらブレーキの熱も相当伝わるものだしな。 東武は成増で10000系の台車がひび割れて盛大な脱線したし、西武は20000が所沢かどっかで
車輪がもげたほど脱線したんだっけ。 北海道は、線路が過走行で老朽化したと
いえるかもしれん >>61
マッコウクジラの台車は揺れ枕や空気ばねは流用してたから、台車枠の強度に原因がありそう。
交換後のFS510はスイングハンガー型だけどSミンデンの特異な外観だったね。
この形態は他には東武デラさんのFS370くらいしかない。 冷房化改造で重くなって台車枠交換したのあったな
阪急みたいに台車を過度に軽量化してはいけないという思想の鉄道会社もある 京急2000形は過走行でガタが来る前に快特を2100形に置き換え格下げ改造したが阪急2800系の悪夢再来にならなかったんだな
あれ過走行に加えてドア増設で強度が落ちて15年で廃車されたのある >>60
59俺は覚えているよ。台車枠交換の記事を覚えているよ。 "無料で楽しめるインターネットテレビ局"「AbemaTV」にて5月15日より新たに『鉄チャンネル』を開設
豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」などの『記憶に残る列車』シリーズや 岡山の観光列車「ラ・マル・ド・ボァ〜しまなみ編」等のAbemaTVオリジナル番組放送決定
https://www.cyberagent.co.jp/newsinfo/info/detail/id=13661 過走行が寿命を縮める例ってあまりないのかもな
長く距離を走る車両は多くの収入を生むから早く元が取れて廃車が早くなることはあるかもしれんが
583系とか最近の近鉄特急とか見てると長く使おうと思えば使えるっぽい >>71
昔バスの整備してたんだけど、10年超えの車の点検口を開けると、内側の腐食が酷くなってくるのがわかる
風雨と電喰が積み重なって、外板裏や底に穴があくことも珍しくない
修理はしても、過走行の振動や歪みの蓄積が進むと、つぎはぎボディでは厳しくなるんじゃないだろうか?
と、ボディ側から勝手に想像してみた >>68
通勤車格下げから逗子エア急誕生までの間ラッシュ時専用になっていたから、
それで老朽化は抑えられたのでは? >>71
583は予備車化して臨時に回されてたから、長持ちしたんだろ >>74 定期運用にしても、急行きたぐに用のように、夜行だけで昼間は留置が常態化したわけだし JR東日本の車両全般
過走行ではなくラッシュによる乗客の重量による過負荷で老朽化が早まった 国鉄は輸送力が段違いだから私鉄の車両と比較しちゃ駄目 名鉄へ行った東急3700。東急時代は駅間1キロ程度を50〜60km/hまったり運転、
が名鉄では高速運転を強いられ、特急運用まであったが短命に終わった 最初から使い捨て前提だったのでは?
当時、3扉は3550ぐらいしかなかった
あと、2扉+3扉が数本
6000の両数が増えるまでのつなぎ >>82
加速は良かったが弱め界磁が付いておらず高速運転が苦手で各停専用だった ブレス オブ ザ・ワイルドでのアイテムは基本的には使い捨て。
ある程度使っているといずれは壊れてしまう。
壊れたら、新しいアイテムへと切り替えていく使い方が基本。
アイテムポーチは限りがあるので、常に取捨選択する必要がある。 JR東日本からJR西日本に移籍した103系も使い捨てだった感がするな
元々首都圏での酷使で老朽化が進んでたので戸袋窓は埋めたが延命工事は行われず
それも何か未更新車買ったみたいで車内の化粧板が緑色だった 相鉄8707F
京急1701F
東急5155F
横浜高速516F 小田急9000系
>鋼製車両で、先頭車がMc、しかもATCつき
>地下鉄乗り入れ車で、急勾配で酷使された
>小田急初の一段下降窓が、当時の工作技術が未熟で、腐食が早まった(後の5200系などではよくなった)
など、過走行、短命化、早期廃車の条件がそろっている。 >>87
JRになってから、東日本から西日本への移籍あったんだ? >>90
福知山線脱線事故の車両補充のため。
ちょうど321系登場直前で、西日本では通勤車の空白期間だった。
一方、東日本では、山手線へのE231-500の大量増備で、各地に205がばらまかれた時期。 >>60 コキなのにコキまくらないで コケ(脱線)しまくり?
>>64 ワーオッ!東村山!!! >>88
いずれも事故廃車。
8707Fは相模大塚で軌道整備車に激突。
当初は一部の車両だけ廃車で、変わりに先頭車1両を新造して8両にする案も出された。
しかし8000系の生産が既に終了しており、また検査費用の点で10000への置き換えが将来的にコスト削減可能と判断されたため、全車廃車された。
1701編成は田浦〜安針塚の安針塚寄りのトンネル内で土砂崩れに巻き込まれ脱線。
損傷具合を見るに一部代替新造が必要だったが、既に1500形の製造終了から20年が経っており、今更1500形の代替新造なんかできる訳が無い。
更に総合車両ではアルミ車両通勤型の生産を打ち切っていたため、この時点で復活は無理。
よって廃車は妥当。
Y500と5155Fは元住吉で、5155FがY500に追突したため。
5155Fは損傷がかなり大きかったため、損傷が軽微なのだけ残して他を代替新造するより、編成ごと代替新造した方が得策と判断したんだろう。
Y500は先頭部が大破しただけだったから総合車両に陸送されたが、最終的には編成自体が製造から10年以上経っていたために修復を断念したものと思われる。 西武3000系・2097F・9000系
9000系は機器流用車だったのが災いしてしまったと言えるが・・ 東急の雪で衝突したのは
両方のぶつかってないがわを
ニコイチにしたらだめだったんかな
車体幅とか微妙に異なるのは
目をつぶるとして
所属が異なるのが問題? >>95
3000系は3ドアが仇になって廃車。
9000系の登場理由も4ドア増やしたいのが理由と思われる。
2097Fは協調性が悪かったらしい。 >>77
>>79
検査要員削減も大きいからね。
大船工場の廃止・大井工場の旧世代車両検査棟の閉鎖も新系列車両で要員削減ができた結果。 >>77 >>79
束が車両をボンボン使い捨てすぎなのもただ単純に総合車輛(新津と横浜)を維持したいだけというような気がする
231系500番台が営業開始する辺りまでは普通に103が走っていた >>99
総合車両も、会社を維持するならもっと外販に力を入れればいいのに。
東急車輌時代は、関東の大手私鉄の全てから受注したくらいだから。
例えば、阪神の近鉄乗り入れ対応車だって、単純な仕様で大量に必要だったんだから、こういう条件こそ、総合車両の得意とするところだったのに(もちろん、当時は東急車輌だったし、現実は近畿車輌が作った)。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています