薄幸の国鉄直流電気機関車 EF60/61を語る [無断転載禁止]©2ch.net
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国鉄電気機関車史上薄幸の部類に属するEF60/EF61を語るスレです。 連すまん
また、中部支社管内(名局・静局)だと、最高速度85km/h以下の列車の速度査定はEF60。
これはEH10でもEF60の運転曲線で走っていたということ。
EH10のほうが高速性能が良かったということもある(ソースはRF76年10月号)。
いずれにせよ、貨物では花形の「コンテナ列車」などの牽引は少なかった記憶がある。
(山陽区間ではEH10が岡山以西に入らない関係から少しは多かったかもしれん)
ざっとの記憶だが、沼津浜松のEF60はあまり山陽区間に入っておらず、
また岡山広島のEF60も東海道区間にはあまり来なかったんじゃなかったかな。
運用的にEF65は特急貨物を牽くなどまだ華があったが、EF60は地味だったな。
EF60の急行貨物で記憶があるのは名古屋地区に朝来る1151列車(泉発安治川口行・沼津のEF60牽引)くらいか。
長文すまん。 スレ主が浅学すぎるからな
薄幸ってのは「54」の一族にのみ許される表現 EF60とEF65は
101系と103系のような関係 実家が沼津に近かったので全く薄幸なイメージ無かったな、実際ゴロゴロしてたし
御殿場線での運用もあって、実家の脇でも見られるアブラゼミ並みにありふれた存在だった
但し500番台はミヤマクワガタ並みにレアだったw むしろEF18の方が薄幸だったかと 当方は磐田近郊だったからEF18はよく見かけたし薄幸な印象は全く無い
区間貨物や入換運用はひたすら地味だったけどね
近所のスルーガーダーで10軸ジョイント音響かせ
夕日を浴びて浜松に帰ってゆく姿が大変印象的だった 500番台、高二の頃見たけど、それほどレアって感じはなかったな。一般色だったし
一つ目は得した気分になったけど。500番台の2次の方が少なかったんだよな、これも見たんだろうけど
印象に残ってない
501は国鉄末期に特急色になったね。高崎公開で見た。510も特急色に戻れて大宮公開で展示されて
解体前に日の目あびてよかった 28年運用されたEF18と26年運用されたEF60
どっちも薄幸とは言い難いと思うのだが
何を以って薄幸とされるの? EF58のナンバーまで付けて落成間近まで出来てたんだよな
ドッジお前のせいだ EF18は大井川鐵道へ乗りに行く時に金谷で休憩してた
デッキ付機関車を初めて見たんで新鮮だったな 例えばEF60の特急運用が一部にでも
残っていたら、
存在感がもっとあったのかな 国鉄時代は貨物扱いのある駅が多かったからね
高速貨物や特急のような華は無いにしても
EF60 の存在感が薄いと感じたりはしなかったな うちの方の駅でもEF60の貨物列車が発車待ちで停まってるのをよく見かけた 60の中でもサイドビューが65風の奴は影薄かったな
60と認識されてなかった可能性大 EF67になったのはそのグループだったから、むしろ幸運かもしれない
EF65が種車の増備車もあるけど そうかあれがあったか
100番台はデッキがないのがけしからん 改造されたのは最も新しい65の最終グループ
0番台だって経年浅い最終グループだし こうして見るとEF61はともかくEF60ってちっとも薄幸じゃないね
スレ主は一体何を見ていたのか EF61は誕生時から貨物転用を考慮した設計だったのに、急行旅客相当の急行荷物列車で生涯を全うした
決して薄幸とは思えない
薄幸といったらDD54が筆頭かと
EF60とEF61は、EF58やEF65と比べると「中二階」だよね
とはいうものの、スレタイとしては 薄幸 でいいんじゃないの 花形とは言えないが薄幸でもない
ラインに組み込まれている割に、何処と無くラインから半分外れたようなポストを昔は中二階といったが、今はあまり言わないねえ EF61は薄幸だろうけど
EF60はそうでもないだろ 当時EF58から置き換わって、誰も撮りに来なくなった後にすぐ消えたねー。紀勢線。
30年経って、高崎線で同じような列車が今でも健在なのは皮肉だがな。 >>51
生誕の地と終焉の地が異なってたら薄幸なのかw EF70は北陸の主
ED74追い出して
余剰廃車にならず使いつぶしたから幸運だろ 東海道山陽に転属したEF62
合わぬ路線ですぐ潰されたが、天下の東海道を営業運転できたから薄幸とは言えないか >>56
合わぬ路線じゃなくて、荷物列車全廃のあおりだろ うん、それはそうだが、そもそも東海道山陽の高速運転に合わなくて主電動機フラッシュオーバーやらかしてたらしいから、荷物列車全廃がなくてもどうなってたことか
天下の東海道に出てこれても、決して幸福ではなかったのでは
花形部署の水に合わず、閑職への異動を願い出たら会社が潰れてしまった、ようなものかと >>55
でもED74は九州左遷と思いきやその左遷先で特急牽引仕業が出来たから栄転とも思える。 EF61とED74だとどっちが薄幸だ?
他に薄幸と言える機関車はEF14やED77辺りもそうだな。 >>59
しかしED74は計画変更でたった6両しか作っていない。
それよりもクイル式が失敗していなかったらEF61も花形仕業持てたと思うんだがな…。
あとはEF61は200番台に改造されたものが瀬野八補機仕業に就いたが結局EF59を全機置き換えることができなかった。
0番台も200番台もそう言う意味では薄幸だな。 >>60
EF61は実働23年、ED74は実働12年
EF61の方が1年先輩で10年長生きしてる
しかし特急運用はED74の方が長い >>61
>>62も言うように
61-200の種車に61はないわけだが
61→61-100
60→61-200
の予定が100番台はキャンセル
生い立ちの意味そのものである58の置換えから叶わなかった EF70とED74の関係は
EF71とED78の関係に近いようで違うんだが
後知恵で見ればどちらも場当たり的な感はある >>65
昭和30年代の国鉄は輸送化以前に迫られて、多方面に急速に進化しているから、場当たり的というのは致し方ないのかもしれない >>56-58
荷物列車全廃ありきで「余ってるし特性合わないけど使い倒しちまえ」
てな感じでのコンバートではなかったっけ。
末期が哀れという意味では薄幸機の仲間ですね・・・。 フラッシュオーバーガーっていうけど、入換する時に62の運用にいれられた58は短期間なのにバッタバタ倒れていったからな
ギア比が低くても新性能は伊達じゃないんだよ
>>65
ED74は線区の需要にマッチしなかったけど、EF71は場当たりじゃないよ
まぁ作り方が場当たりでD級より空転しやすいとかいうおかしなことになったけど >>70
最後下関に集められたゴハチは、廃車間際で最低限の整備しかされてなかったからな。 >>70
EF71は帯に短し襷に長しになったんじゃね?
ED74は付け替えの手間が最初から分かってたろうに
組合対策とかあったのかねえ 末期は数両の50系客車を引いてたりして持て余してる感じだったな >>73
EF64重連の置き換えにD形重連は余力不足でF形重連は過剰という経緯でのEF71+ED78だからあれは
一定のED78を仙山線に向けるため奥羽線内運用をEF71主体にしたり貨物減で昼間の重連自体が減ったからあんなことにもなるが… >EF70とED74の関係
このEF60とEF61に関係にも言えないか? 茶色時代の61があさかぜ運用に就いてたのは有名だが、
イレギュラーでマーク付けてあかつき等も引いてた記録あるんだよな。 国鉄時代かなんかの雑誌に写真が出てたよ。
年代的には1965年頃、65500の代走になる。
またあかつき、日本海には1974年頃にもマーク付きで代走している。 >>80
> 65500
その書き方されると535号機がキリ番に思えてくる >>81
年代的に東海道夜行時代しか無理だろう。
臨時の14系金星ならあるかもしれないが。 >>64
15進数って意味だと思う
つまり4桁だとFFFFh=65535
E500号機って存在しないから536号機でも良いかな >>85
0〜9の10進数、
0〜Fの16進数
なんで、15進数じゃないヨ。
どういう意味か暫く考え込んでしまったが、>>82と>>84への応答を>>64と間違ったからイミフになった!
>84:「ぞろ目」妥当=FFFFH=65535。「キリ番」は65536=10000Hだね。 冒頭で少しやり取りがあったが、薄幸というとどうも違う気がするね >>87
「国鉄JR悲運の車輌たち」寺本光照著2014/02/01 JTBパブリッシング刊のパクリ標スレタイ題なんじゃないの?
設計目的の仕業がなくなると、その特殊性で使い回しが出来ない機材は即廃車とか、(DD53高速排雪機関車)、
トラブルに備えて列車毎の座席数を固定したい東海の運行上の要求で追い出された500系とか、
メンテ指導抜きで輸入して、お守りできる技術力が無くてさっさと廃車にされたとか、
無理するとすぐ火を噴くのは分かってても、代替機関と整備体制がなくて、延々と使い津図蹴られてしまった10系気動車とか、
先行新幹線列車を追い越して、故障救援には向かえないことが作る前から分かってるのに、
ワカランチンの横槍を宥め交わすためにだけの目的で作られた新幹線救援用高速ディーゼル機関車とか、
空港整備区域でのターボファンエンジンの整備試験騒音が大問題になってるというのに、
ガスタービン動車を試作するとか、ガスタービン除雪実験を2箇所独立でやってどっちも見事大失敗するとか、
明らかな検討不足に発する、無茶苦茶なのが一杯転がってる。
失敗例を公式に報告して総括しないから、同じ失敗を繰り返す国鉄JR型エラーの派生物の話がこのスレ。 EF60以後、似たような箱型車体を作り続けたのは芸が無いのう EF10からEF15とEF58更新前までも似たようなもんだろEF13戦時型みたいなのは別として 新製から青とクリームの直流標準塗装になったEF60は
第4次量産車から? 塗色の規定が変わったのは新製が終わってから
新製で採用は62と63の途中からと64の最初からだな
むしろ64が先のようだが 新性能直流電機で茶色が野暮ったかったわ
よくEF64とかEF65とか茶色にしたもんだ 新性能化がもうちょっと遅かったらEH50の可能性があったってヤツか EF66も特殊仕様じゃなくて65ベースのEH級にしてればもう少し延命できただろうに >>100
民営化してなければブルサンがEH50
と思ったが使用料の問題がなければ普通に重連か >>102
EF型重連だと出力過剰になるだろうしEH級か、DD50のようなED型重連じゃないか? >>104
東海道山陽東北上越中央はED型の重連
首都圏の短距離運用、四国、九州はED単機
北陸が微妙なラインだな。
これなら基本EH型で統一のほうがいいか。
それとも全ての貨車にジャンパ栓引き通しで名鉄のようにEDでのプッシュプルというのも選択肢としてはあると思う ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ >>106
>全ての貨車にジャンパ栓引き通しで名鉄のようにEDでのプッシュプル
結果としてM250系に落ち着くね もう一度見たいな
EH10、EF58、60、61、65、66が走っていた時代が嘘のようだ EF61は、36.10改正により一時的に東海道・山陽筋の旅客機(=EF58)が不足するのを
カバーするために開発された機関車であり、電車化が進んでEF58の数が足りるようになるまで
の、いわばワンポイントリリーフ的存在です。貨物機への改造を考慮した設計になっていたのは
そのためです。したがって実質的にはEF58の増備機的位置付けであって、EF58を置き換える
目的はそもそもなかったのです。したがって、EF61をEF58の後継機と捉えるのは誤った歴史観
だと思います。
ワンポイントの筈が、「9回」即ちSGの廃止まで投げ切ったわけですから、そういう意味でEF61を薄幸
呼ぶのは今一つなじまないのではないかと、個人的には思うわけです。 >>116
そうだけど、あまりかたいことを言うなw
結局100番台改造も回避したしな、
あの時代の機関車で22年ちょい使ったなら上等だろう。
貨物に使われることも多かったが、50.3までは阿蘇や音戸?の急行牽引も結構あった。
名古屋地区へは自動車急行(6852・6853)でも来ていた。
>HN・・・独特のペンタプリズムが懐かしい EF61、性能が向上したから旧型電気に比べても遜色なく貨物用にも使えるってだけで
貨物用に改造を考慮なんかしてないよ
EF15と58、EF65PとF以上の差以上に中身が違うからな。まぁそれで別形式なんだけど >>118
私が>>116で述べたEF61ワンポイントリリーフ説の根拠として、鉄道ピクトリアル1971年3月号
を挙げておきます。
EF61が、貨物機への改造を考慮した設計になっていたことは、詳しい号は調べないとすぐには
わからないですが、鉄道ジャーナル誌上で、国鉄の関係者がそのように述べていますので、事実
と考えられます。なお、前掲の文献でも、「部品の追加及び小改造を施して貨物用として使用できる
ように小歯車を変更すれば貨物用として使用できるように設計・制作されたのがEF61である。」
としており、その執筆者が国鉄車両設計事務所の粟田志朗氏であることからみても、EF61が貨物
用に転用することを考慮した設計だったのは事実(史実)と考えるのが妥当だと思います。
戦後の歴史でさえも、ちょっと油断すると史実と異なる歴史認識が一人歩きする可能性があることを、
EF61は教えてくれているような気がします。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています