201系スレ
103系に代わる次世代の通勤電車として期待されながらも
様々な新機軸を盛り込んだ故の高コストが泣き所となり
ついに一大勢力を築き上げることのないままに終わりそうな
国鉄・JR201系に想いを馳せる人々のスレです。 101や103に比べれば、高速運転時に静かで振動も少ない。常磐快速の103はうるさかった。 とにかく不評だった国電通勤車の、
地に落ちていたイメージを幾分回復してくれたのが
201系だったと思う
そんなに悪い印象がない おおさか東線は201も103もあるよ。
関西本線もね。 思えば、緩行線からトタ青編成になった130両のうち20両以外は快速運用と無縁のまま廃車になったのだなぁ… >>58
何となく分かる
103が内装も性能もアレだったから、201の登場で国電も私鉄レベルになったものだと感じた 新しいだけでもう好感度急上昇w
そのくらい京阪神電車区間の車両は冴えなかった >>47 >>50
細かいことだが、時系列が前後しているので補足させてもらう。
(旧)特快のヘッドマーク廃止は86年3月のダイヤ改正時
201系の大月乗り入れ開始は86年11月改正時
(新)特快のヘッドマーク復活はJR化後の87年5月
特快のヘッドマークの電照化は92〜93年
だよ。 まとめ乙です
結構自分の記憶がいい加減なことに気づかされたわ‥ 京阪神緩行線からいなくなって、そろそろ10年か。
そのため、西日本からブルーがいなくなった。 ちょっと目を離したらこれかい
Evaluation: Good! 登場時、新聞に紹介されたときは従来の通勤電車よりもかなり快足になったと言われていた
比べる相手が103系では大抵そうなってしまうのだが(苦笑 103系だってそれまでの旧型国電よりは速いと言われてたでしょ 各停にしか使われない電車で速くなったと言われてもなあ
駅間で数秒程度じゃないの? 201系は風冷チョッパだったっけ?
太陽熱でチョッパ装置が熱暴走して対策として熱が蓄積しないよう機器箱を白く塗ったなんて事もあったとか
その後機器を小型化できるフロン冷却が主流になったがVVVFの台頭ですぐ廃れた >>85
ノンフロン冷蔵庫はイソブタンを冷媒に使ってるが発火性あるんだよな
大昔はアンモニア使ってたのもあった 今から思えば危なっかしい薬品が日常生活の中には普通にあったんだな >>76
出足は103系と大差ないと感じたが、その後の加速が新しさを感じさせた
やっぱり新車は速いなあ!と嬉しく思ったよ その気になれば110キロ運転も出来ただろうがやらなかったな
実験もしてないはず スピードよりも、
如何に詰め込めるか、
について重んじていたのでしょうか? いんや。
いかに詰め込めるかは、民営化に205系のサハ204が挑戦してるよ。 >>如何に詰め込む
冷蔵庫先生風に言えば、乗客軽視だろうなあw >>88
大多数の乗客はそんなことには関心なく、クーラーが付いてるとかシートが柔らかいとか、
まあそんなものだす。 冷房は当時の酷電には必須アイテム
おれ中学から電車で通学してたが特に梅雨時の蒸し暑さが
我慢できなくて冷房車が走り出した頃はわざわざ一本見送ってでも乗ってた でもすぐに汚れが付着してあの鋭い光沢が鈍ってしまうんだなー 大月特快の山線区間で中間運転台の計器を見るのは面白かったな。
90キロ近くなると直通の2針がバラバラ上がると同時にググーッと減速が効いて、電圧計もスイッと動いて…。
やがで60数キロ台まで落ちると「シュホ〜」のユルメ音と同時に針がスウッと戻る。 >>96
201系は揺れも音も車内明るさも101系や103系轟音とは比較にならなかったよ
冷房も扇風機もちがってて効きも違う 扇風機は滑らかに首を振っていたのが印象的
103系はカクカクとしたなんともぎこちない動き 201系に扇風機は無いだろう。
ラインデリアだよな? 試作車は最初KE90の他にKE76があったんだな
量産車にはなく試作車も量産化改造で撤去されてる
非常時に101系を救援するために取り付けてた? 青と緑の下駄電時代からの室内色調から一転、
ベージュ・ブラウン色を駆使した車内が国鉄としては新鮮すぎた。
幼かった僕は黒い顔、暖色系室内、天井のスッキリ感、
変わった音の出るモーター車、Hゴムが無くなってスッキリ、
銀色の冷房装置(関西出身なもので)、スムーズな乗り心地…
数え切れない程の新鮮さに虜になりましたのです。 分割編成は別として転用で短編成化された車両が
103系や205系に比べてあまりないよな 3両にしづらいし、転用が少なかったのは仕方ないわな
言葉を変えれば、あまり都落ちせずに済んだということか 2006年9月3日 信濃毎日新聞
http://www.shinmai.co.jp/news/20060903/mm060903sha4022.htm
JR手配ミスで臨時列車運休 諏訪の新作花火で計4本
諏訪市の諏訪湖畔で2日開かれた全国新作花火競技大会に合わせて、JR東日本が
運行を計画していた臨時列車など計4本が、同社が車掌を手配しなかったミスの影響で
運休となった。乗客約700人に影響し、同社は「お客さまに迷惑を掛けて申し訳ない。
2度とこうしたミスがないよう、再発防止に努める」(八王子支社)としている。
同支社などによると、臨時列車に使用するための回送列車(10両編成)が同日午前
11時47分に豊田駅(東京都日野市)を出発する予定だったが、車掌が現れないため
運転士が東京総合指令室に連絡。やがて車掌が現れ、約70分遅れで運行を始めた。
同支社は手配ミスの詳しい経緯を調べている。
この回送列車は午後2時10分すぎに小淵沢駅に到着して上諏訪行きの臨時快速と
なる予定だったが、運行できなかった。この影響で、さらに松本発小淵沢行きと富士見
発松本行きの臨時列車各1本、松本発上諏訪行きの普通列車1本が運休した。 >>114
え、東京の乗務員が長野県内の臨時にまで遠征してたのか。
今でもそんなやり方なのか? クモハ200に強引にATS-P付けたら凄い事になってたかもな
以下の案が考えられる
・客室内に設置する
・屋根上に設置する
・サハ201に車上装置を置いてジャンパ栓で引き通す(JR西日本のクモハ103が反対側のクハ103からジャンパ栓引き通してる)
・MGをSIVに変えるかサハ201に移設し床下に設置する 京葉線の900番台込み編成は固定で使ってたならば7+3でも良かったのに
こうすればパンタグラフの位置が量産車と合う >>117
別にクモハ115みたくに乗務員室仕切りに設置でしょ >>119
あれ機器箱を床上に置いてるとか不細工な置き方してる
119系ATS-PT取り付け改造はクモハ119だけ客室内にあって出っ張ってるが化粧板を貼って目立たないようにしてる
運転状況記録装置も大型で置き場所に難儀しキハ187系は網棚潰してる 鶴見線に201系投入されていたらどうなっていたか
先頭車化改造されてただろうがやはりATS-Pの置き場所に困ってただろうな 何にしても設置スペースに困ったら真っ先に皺寄せの対象になるのが網棚 103系でもクモハ103はATS-P設置スペースに難儀したな
乗務員室仕切りの天井付近に細長い箱があった
運行番号幕を潰した車両と潰してない車両がある
南武支線101系も同じ工法だった 初めて乗った時ポールダンス仕様に未来感(チビジャリでエロ興味はなかった)
乗り心地が頭をゆっくり振る感じになって空気バネすげえと思った
省エネブームの先鞭みたいなもんで後に大臣が半袖背広着るアホーマンスにつながった、のか 201系の広島転用は実現しなかったな
実現したら話題になっただろうが
103系もそうだったがロングシートでの長距離乗車は拷問ともいえた 山岳地域の走行感は103とはえらい違いだと思う。
中央線なら高尾から先、
大和路線なら河内堅上から先、
103はあえきながら、轟音を立てながら登るけど
201はホンマにすいすいと駆け上がってゆく。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ >>127
関西本線で体感した
並行するR25を走るクルマにどんどん抜かされるばかりの103系と
互角に並び最後にスイッと抜き去る201系の違い
103系時代の抑圧から解放されて、窓外の眺めが楽しかった 201系は回生ブレーキカット運転すると力行時ピーク電流が大きく103系よりも消費電力が大きくなる
回生ブレーキでトータルの消費電力を抑えてるので変電所が貧弱な線区では使えない
小浜線に持ち込んだらノッチを入れた瞬間に変電所がトリップしてしまい使い物にならないだろうな 総武緩行線を走っていた頃によく乗りましたが、
900番台の床が青かったのと、戸袋窓付近の座席端部の壁からの出っ張りが印象的でした。 もう撤退間近だが、西九条駅での桜島線シャトルの3分折り返しが中央線東京駅みたいで萌える。
中線に到着するや両側の扉を開け、運転士は次の車掌に、車掌は次の運転士に慌ただしくエンド交換。
懐中時計とスタフ入れてブレーキ弁突っ込んで運転台切替>運転整備。
4番桜出発進行、分岐制限35。ズシッと起動する。 方向幕に「甲府」が入ってたが使った事例あるのか?
毎年夏の花火大会でははるか先の松本まで行ったが「臨時」表示だった
ラストイヤーだけは「ナイアガラ」「スターマイン」をカッティングシートで作成して表示してた 「甲府」行きなら山用パンタグラフを一部の編成に取り付けた直後くらいに臨時であったけど、白幕表示で特快看板の位置に甲府って書いた板付けてたような?
まあ、使わなかったコマなんていっぱいあったろう
「尻手⇔川崎新町」とか 900番台は先頭車の全長が20p長いために乗車位置が微妙にずれるんだよな チョッパー制御と車体軽量化の効果で
103-1000の8M2Tから6M4Tへ
また201と比べ
主回路素子大容量化で素子数抑制
という意味で経費節減とのこと クハ201-134+モハ201-263+モハ200-263+クハ200-134
最後のバラ予備
185系以降は固定編成にて製作 デビュー当初の900番台は8M2Tでまともに走行試験やったのか?
ノッチを入れたら変電所落ちそう
5+5と7+3の2種類あったが7+3だと7連単独で6M1Tとかキチガイスペックになる
203系をも凌ぐ加速度3.5km/h/s位出そう >>143
8基パンタ上げて走ってたからテストはしてる筈だよ 加速性能を必要としない線区では4M6Tで導入しても良かったのに
MGの容量的に可能 GTOチョッパの実証試験やって欲しかった
チョッピング周波数が向上するので主平滑リアクトルが不要になる
営団の高周波分巻チョッパがGTOサイリスタでチョッピング周波数が高いどころか回路を繋ぎ変えずに進行方向変えるとか出来て理論上「直流電動機で純電気ブレーキ」が出来たがVVVF化までのつなぎだった感がする >>146
中央快速の運用数見直し(中野電車区廃止による緩行線の三鷹移管、三鷹区快速編成の武蔵小金井区移管による予備車見直し?)によって捻出した10連2本を6連3本に組み替えて投入したようです。
武蔵野線と共通運用だった青梅線、五日市線にも同時に走りだしました。
後に武蔵野線8連化と時を同じくして中央快速増発の為に中央線に戻されています。 デビュー当初の試作車はジャンパ栓が2本あって細いKE76が付いてたな
量産化改造で撤去された
101系を救援可能にするためか? 最高速度110キロの走行試験やって欲しかった
一部文献で設計110キロとか書いてあるのあったが本当なのか疑問
モーター出力や許容回転数や速度種別的には出せそう それどころか205も209もE231もいたな
あの頃は楽しかった 常磐快速線も201系を投入すればよかったのに
100キロから回生ブレーキが上手く効くのかが課題だが高速域の伸びが良いので最適