昔の国鉄土讃本線 [無断転載禁止]©2ch.net
その歴史が自然災害との闘いの歴史でもある
国鉄時代の土讃本線の思い出を語ろう 土砂崩れによる惨事が多いので土惨線の異名をとる
まめな そんな呼び方してる人なんてごく一部のオタクだけだよ
恰かも一般的に広まってるような誤解を与える投稿は控えよう 山を突っ切るのだから線路ギリギリに山肌が迫っていて
土砂崩れが起きやすいのは当たり前 DF50が警笛轟かせてた頃に比べると、今はみなおとなしい 客が減ったからSLやDLが客車をたくさん牽いて走る場面が減ったということだ。 琴平駅前の土産物店にいた前歯のない店番のお爺ちゃんが懐かしい
コンピラを「くんぴら」と発音してたっけ。 >>9
参詣客が鉄道を使ってた時代は良かったよ
今じゃ大型バスで門前まで行けるから見向きもされない >>10
概ね同じ形式が配置されてたと思ってたが、違ったのか。 何をもってランクが高いと言うか、
で話は如何様にでも変わる 子供の頃夏に四国へ旅行したときに琴平駅から乗り合わせた客車は、風鈴がついていた それは風流ですなぁ
駅本屋やホームに風鈴が付いていた例は知ってるけど、
車中は知らなかったよ 普通はキハ20一党だけになって面白味に欠けるようになってから
撮影しなくなり、足も遠退いた。 国鉄DCなんて全国どこでも同じじゃないの?
趣味的には琴電や伊予鉄の方が面白いと思うけどなー 土讃本線と言えば、土佐と讃岐を結ぶ鉄道と言うが
土が惨めな『土惨本線』または頭に土がドサンと落ちるから
『ドサン本線』と言う。
実際、1972年に大雨が原因で鉄道事故が発生した。
則ち、繁藤駅構内で土砂崩れが発生し、DF50が川に転落した。
実際1972年の7月、8月は大雨が原因での土砂崩れによる鉄道事故が多発した。
則ち、高知・熊本・山口で。
高知は前述の通り。
7月にも、熊本は肥薩線 大畑ループ線、大雨で、地盤の緩んだ大野築堤が、DD51の自重で崩れて、DD51は築堤下に転落した。
8月は、山口の美祢線 厚保ー松ヶ瀬信号場間の奥畑集落の切通しで土砂崩れが発生し、
貨物列車が脱線事故が発生した。D51が大破し、乗務員が死傷した。
それが原因で、宇部興産道路の建設ピッチが早まり、美祢線からの貨物列車の全廃の発端になった。 よしの川号のHMがいつも傾いて取り付けられていた
急行系キハ58などのフック?が合ってなかったのだろうか あの急行はいつもガラガラだったな
他も大して変わらんがw >>23
何かにつけてやっつけ仕事だから。
ただ野球だけは例外、、、あっこれは仕事ではないかw 土讃本線が
『土惨本線』とか 『ドサン本線』と揶揄されて、土砂崩れが多発している。
それには訳がある、高知の地質が砂岩で構成されている。
お隣愛媛の地質は、石灰岩で構成されている。
おまけに、高知は雨が多い。ひと月に35日も雨が降ると言う。
ひとたび高知で梅雨前線が発生すると、お隣愛媛に行こうとするが
愛媛側の気圧の高さで梅雨前線が愛媛に入らず
高知に押し戻される、砂岩の脆い地質だから、土砂崩れが多発する。
大歩危、小歩危の地名、前述の土讃本線が 『土惨本線』『ドサン本線』と揶揄される所以である。
愛媛の石鎚山の裏側には、断層がある。
それも原因がある。 >>26
野球が本業みたいになっちゃってたらしいな 地震が少ないと言われていた九州でもあれだけ被害の大きな地震があったのだから
四国とて安心とは言えないわな >>29
通学定期は割引率が高いので実は実入りはそんなに良くない
お得意様は切符を買って乗ってくれる不定期客。 中学の頃、一人旅でDE10に牽かれた鈍行50系に乗ったっけな
一駅一駅に風情が違って、まだ年端も行かぬのに感慨に浸ってた
撮り鉄ではなかったので、その風景は自分の脳内にあるだけなのだが… 夏休み、就中お盆期間前後は鈍行の客層が通常と違ってたそうだな
それだけ当時からローカルムードを味わおうとする乗り鉄やキッパが一定数いたということなのだろうか 今となっては駅名も思い出せないが、
周囲に本当に何もない駅があった
夜は真っ暗で怖ささえ感じさせる雰囲気。 >>22
当時の繁藤の話、今は亡き父方の婆さん
から聞いた事ある。
婆さんは土佐山田在住だったが家が
床下浸水したらしい。
(自分は神奈川在住&当時1歳なんで
体験はしてないが、、、、) >>36
駅の発祥が、人や物資の集積地のほかに、行き違い設備として設けられた場合もあるので
距離的に行き違いに適している場所がたまたま人里離れるのは
ままあること 駅ができてから駅を取り囲むように集落が形成された例も、稀ながらもある 土讃線経由で高知方面に二回行ったが二回とも車酔いして駅でゲロゲロした
高知の皆さんごめんなさい
振り子車両は苦手だ 駅のトイレでなら汚さない限り自由だろ
車内ならダメだけど 1990年ごろに坪尻駅で降りた時には不法侵入防止のフェンスも塗装がしっかりしていて
手入れはそれなりに行き届いている様子だったが今はどうなってるだろう >>44
車酔いはツラいね
経験したからよく分かる 入明と円行寺口の両方に続けて停まる普通列車が無いので、時刻表のクイズになってた た〜た〜え〜よイ〜ペ〜コ〜
か〜がやくイ〜ペ〜コ〜
イ〜ペ〜コ〜 イ〜ペ〜コ〜
お〜 お〜 わ〜れらがイ〜ペ〜コ〜 >>38
会社の同期にこの苗字の人がいた
珍しい響きなので生まれを聞くと、やはりこの地方の出身で
昔からこの一帯には同姓が多いとのこと
地方に行くと知名と苗字が同じケースをよく見かける 今はネット動画の普及で秘境駅探訪も値打ちが無くなってしまった >>33
オレの事だ
受験に失敗して浪人の身でありながら親には合宿の講義があるとか騙して
フラりと出掛けた
旅費は昼飯代とテキスト代を節約して浮いたカネを貯めて賄った
二泊三日だったか、ヤブ蚊に噛まれながら町外れの小駅で夜を明かした思い出もある ローカルは旧客、DLでばかりで代わり映えせず趣味的には今一つ
専ら車窓からの眺めだったな、ここは >>54
高校豚双六で宜野座高校の宜野座投手や久慈高校の久慈選手とかね。 >>61
どこまで行っても鬱蒼とした木々の中を走ってるだけで車窓風景も単調と言ってみるテスト 山間部を走るローカル線がつまらないのはトンネルの連続だからでFA トンネルにしてくれてるからこそ目的地にショートカットで行けるのよ
ループなんかにされたら時間がかかってやりきれない トンネル連続の代わりにスイッチバック連続がそんなにいいか?
鉄オタにとっては面白いだろうけど、土讃線がそうなってたら、その横を走る高速道路に対抗できずもう廃止されているんだろうなあ。 しかしこれだけ豪雨や台風やなんだかんだ天災が多いと山間部の路線は持たなくなるかもしれないね 海辺走ってたら津波でやられる
結局どこを走ってても天災には勝てぬ 四国で初めて乗った優等が土佐なんだが、南風などに比べると扱い悪くて不憫だった
JR転換後割りと早く消えてしまったし というより、高知方面に所用があるのに、当時の鉄道以外の移動手段があったのか?
高速道路や空港の整備は? >>80
四国の高速道路なんて昭和60年に開通した川之江ー伊予三島間が最初とちごたかな?
そこからの話やから高知県に高速道路が通ったんて平成に入ってからとちゃう? リモートワークの普及でわざわざ遠方まで出掛ける必要がなくなった
ビジネス客はもう取り戻せない >>76
土佐は足摺よりも冷遇された
要らない子、みたいな たしかに、何故?と問われると答えに詰まる
土佐の何がいけなかったのか 2008年高知駅を訪れた時ちょうど高架切替直前で自動改札機が置かれる時の予告ポスターを目にした時を忘れない なんでも昔は良かったと切り捨てるつもりはないが、
高知駅は前の方が良かった。
くじらドームはないわw 西武百貨店が元気だったころ、高知駅の待ち合い場所やロビー部分にセゾンカードの宣伝ポスターがたくさん貼られて勢いを感じた
野球も西武が強かった >>96
昔は乗換の利便性など眼中にない時刻設定だったのが全国各地で…
跨線橋を全速力で駆け抜けてもタッチの差で無情にホームを発車する列車を見送らされた記憶のある人も多いのでは?