懐かしの山形交通・庄内交通 [無断転載禁止]©2ch.net
かつて山形県内に存在し、1970年代前半に相次いで廃止された、
山形交通(三山線、高畠線、尾花沢線)および庄内交通(湯野浜線)を懐かしみましょう。 沿線にさしたる都市や観光地が有るわけでもないのに戦後30年近くも生き永らえた山交は
素晴らしい >>1 アンタ最近やたら地方私鉄のスレ乱立させているでしょ?
嫌いじゃないけどさー
路車板の時事ネタスレ乱立某並みに煩いよ。
懐古は鯖容量小さそうだし、住人も少ないんだその辺の事情考えてよ。
アンタの情報収集目的の為にあるワケじゃないんだから・・・ >>3-4
そんなことどーでもよい
それより、山形交通の車両が廃止後に
遥か遠く離れた四国の琴電に
引き取られた事の方が興味ある。 >>6
それこそお前しか関心ないことじゃん
誰もそんなこと知りたいとも思ってないよ 間違えた 訂正。
>>5-7
どっちもどっちだなw 山形車の琴電逝きは、意外に思うかもしれないが、西武所沢が介在していたと思う。
事実 山形交通各線廃止時には、西武は尾花沢線のEBや使う宛の無さそうな木造客車まで引き取っている。
西武所沢は、琴電に嫁いだクルマの整備は関与していないが、仲介(情報提供)くらいはしている可能性が高い。 同様に蒲原がモハ81だっけ?を山形から買ったのも、もう車両供給をアテにしていた西武
からは、国電中古以外でないので、西武所沢の介在で逝ったと思う。
東濃車の流山逝きや琴電逝きも名鉄の影もあり微妙な気もするが、西武所沢が多少関与していると思う。(特に流山逝き) >>2
尾花沢線は国鉄駅と市街地が離れてたためこれらの連絡を使命にしてたと。
だからこそ最後まで生き残るのかなと思ってたのに、逆に最初に無くなってしまった 尾花沢線はあまりにも距離が短すぎて、
この程度ならバスの方が合理的という判断がなされたようですね。
さらに言えば、これはどこのローカル線でも同じですが、
クルマ社会の進展で貨客ともに取扱量がジリ貧になっていたという背景もありました。 バスは固定資本無しでも展開できる
道路を自前で準備しなくて良いからな 庄内って 路線バスが東急カラー(銀 赤帯び)の時期があったみたいだけど、
東急資本入ったコトあるの?
東急 初代3250形の供出と酒田東急インくらいしか関わり感じないのだが・・・? 高畠線はジークライトの貨物需要もあったな。
一部併用軌道
ジークライトは板谷にもあってデカいタンク車が留置されていた。 高畠駅の重厚な石造りの本屋は有名だが
現役時代には今で言う広域避難場所のような機能も持たせるよう考えられていた
一民間事業者が行政の遥か先を見据えた施策を実行出来る懐の深さが、地方にもあったことを伺わせる逸話だ 鉄道の駅が避難場所ですか。
この地域で想定される災害といえば、地震か台風か豪雪か、
そのくらいですかね。
建築には疎いのでよく分かってないのですが、石積みの建築物は
耐震性の面で大丈夫なのでしょうか? 確かに当時は村役場などは平屋造の木造建築だから強固な石造りは避難先として適切ではあろうが
そもそも当時に行政が地域の防災に関わる発想が有ったのか?
時代的に無理なものを要求して行政批判しても不毛な気がした。 行政の先ってのは言い過ぎだろう。
俺には分を弁えない贅沢の言い訳に聞こえるなw
いざという時は公の役に立つからといいながら、実際は今日に至るまで役に立った事はないだろう?
自治体なら無駄遣いの象徴となるところを民間はなぜか美談扱いってところじゃないの。
仮に、これが壊すに壊せない頑丈な元、町役場です、という建物があったらどう思う? >>19
外装にタイルのように貼る意匠でのみ使用が認められている状態。
確か関東大震災で浅草十二階が崩れてから、レンガや石材を積み上げただけの作りの新築は原則として認められなくなった筈。
博物館明治村では石造建築の移築に苦労しているみたいで、石材の中に鉄骨を隠して入れてるとか。
問題の駅舎は、中にコンクリートの壁とかないんですか?
建築時点での建築法規が判らないが、容積が小さいから緩和措置で認められたとか、そんな気がする。
耐震という目的に石造りという発想は、当時としてもないと思います。 俺の母親(昭和十八年生まれ)は山形県高畠町二井宿の出身。
高畠線に乗って県立高畠高校へ通ったそうです。
水害で線路が駄目になり、復旧することなく、そのまま廃止になった、と聞きました。
今では、二井宿地区は路線バスすら廃止されてしまいました… うちの会社に尾花沢出身者(現在60歳)がいるが、鉄道の存在を知らなかった。
S45廃止と言ったら驚いていた。 宮脇氏の本には農産物輸送目的と説明されてたが、念のため調べてみたら、
尾花沢市のHPは石炭となってる。
知らなかった 宮脇氏が全部取材して情報収集したわけではないし、取材先が事情に詳しくない場合もある。
役所が作ってる市史等の方がまだ信憑性がある。 役場の編纂した史書とて郷土史家に丸投げしてるだけ
郷土史家に鉄道の知識が無ければやっぱり記事の信憑性は落ちる 信憑性は出典の明示によって誰でも検証出来ることがポイント
ただ、それも限界があって結局はそれに接する人間のスキルが最終決定する 当方よそ者につき山形の地域性に疎いのだけど、
山形交通と庄内交通ってどうして住み分けできたの?(両社が戦時統合せず済んだの?)
寡占防止?それとも 県が同じでも地域的に酒田は、別ブロックなの?・・・要は静岡(浜松、等)や富山(高岡)みたいな状態? >>32
>富山(高岡)みたいな状態?
富山は戦時統合では高岡近辺も地鉄に統合されたんだが 戦時統合の趣旨が活きればよいのであり、ブロックについては別に県単位でなくてもよかった訳ですよ。
バス会社の整理統合程度で終わって、鉄道線は全く行われていない地域もある訳です。
実は行政手続きについては、ほとんど研究が行われてなかったりします。どのレベルで誰が決めたのか。関東では五島慶太みたいな奴もいた訳ですし京阪神急行も近畿日本鉄道も政治的な動きは充分に解明されたとは言い難い。 五島帝国は伊豆急 上田交通 函バス 網走バス 北紋バス 北見バス 宗谷バス
小田急 箱根登山 東海バス
貨物では東京通運に日本貨物急送とその傘下の運送会社
東亜国内航空
まだある? 戦時統合とそれ以外は別でしょう。この話の流れから言えば。
ヤマコーグループは面白いとは思いますが。 >>32
庄内とは出羽山地を隔ててるし、最上流域とは繋がりが弱いからかも。 >>6
正面二枚窓湘南タイプのモハ111が白眉的存在
もちろん山形時代は知らず、琴電に移ってからしか乗車経験はないが
彼の地ではさぞかし人気であったであろう輝きを持っていた 琴電時代を知ってる人は多いだろうが、
山形時代に乗車体験のある人はいらっしゃるのだろか 三山線は軌道の状態がイマイチだったこともあって、走行中は結構硬い乗り心地でしたね。
吊り革も揺れっぱなし…
後ろにワムとか繋いでる時の、連結器からの衝撃も良い思い出。 三山線の乗車経験をリアルに語れる人といえば、今は50代以上? 自分ギリギリ40代。
ジャリガキだったけど、三山電車に乗った日々は記憶に残ってる。
親戚が貨物関係の仕事をしてたし。 尾花沢線のワフ1を模型で作ろうと思って調べたら時期別に三種類あって頭を抱えていますw ワムには何を積んでいたのでしょうか?
農産物ですか >>46
ワムには果物や米俵を積んでました。
西海味駅に農協の側線があって、一生懸命手積みしてたのを見た記憶があります。 小学生低学年の頃にテツに目覚めて夏休みには親にせがんでローカル線旅行に連れて行ってもらったものだが
この2社は親の都合がつかずに先送りしてるうちに廃線。悔しがって泣いたものだw そうな、ガキの頃は何するにしても親に頼まないとどうしようもなかった
一人旅するにしてもカネがかかるし 昭和20年代後半の仙石線本塩釜駅の写真を見たんだが、
この頃に山形-仙台-松島なんて長距離路線の山形交通バスが
あったんだろうか?山形交通のバスの前には仙台市営バス写っている
モノクロではっきり言えないが雰囲気的にそう思えるんだが? >>49
費用は親に出してもらうしかないが、
鉄道友の会とか愛好家団体に加入していれば
親に連れて行ってもらわずとも撮影旅行などに参加して地方私鉄をめぐることだって可能
俺の場合も親が非鉄だったので期待できなくてそうしてた
ただし団体行動が苦手な人はネックになるかもな >>32
山形に縁が無い方には理解し難いでしょうが、
大して広くもない県内ですが、庄内地区は、他の三地区(村山・置賜・最上)とは全く異なる地域と考えてもらえばいいかと。
言葉も食物も違うし、北前船が寄港したことから、関西地方などの「外来」文化の影響も受けており、
むしろ分かれるのは当然、同じ山形扱いする方が無理があるのです。 >>15
RMMによると?
戦後しばらくは、道路整備や管理も受益者負担という概念があった
特に除雪はバス事業者負担になることも、羽後交通は道路整備以前
路線の除雪を進駐軍払下トラックベースの除雪車で自ら行っていた >>37
今更ながら、戦中と戦後がごっちゃだな
・小田急以下は大東急解体による分割で離脱(子会社などの株式は京王、小田急、京急、国際興業他に分割)
・公共交通系は北海道と中部の一部しか挙げてない >37が挙げてない、戦後(慶太の意向)影響下にあった企業の一例
公共交通など
定山渓鉄道(→じょうてつ)、早来運輸(→あずまバス)**、斜里バス**、越後交通*、群馬バス**、草軽電鉄(→草軽交通)**、おんたけ交通*(のちに名鉄系)
静岡鉄道◇(現在も筆頭株主)、東急鯱バス**(→鯱バス、貸切・送迎)
〜〜以下は一般に知られていないものを中心に〜〜
タクシー、都市交通系
神奈川都市交通◇(かつて昇が取締役)、日本都市交通○(荏原交通に譲渡)、都南交通○、多摩田園タクシー○
有料道路
箱根ターンパイク(→東急ターンパイク→箱根ターンパイク)**
製造業
東急くろがね工業*(→東急機関工業→日産工機、破綻後日産傘下)、日東タイヤ*(英・ユニロイヤル提携、→日東化成、のちにNITTOブランドは東洋ゴム工業)
金融
國民相互銀行*(→国民銀行(第二地銀化)、のちに破綻)
流通、サービス
白木屋(→東横→東急百貨店)、東映*、日本教育テレビ○(→全国朝日放送→テレビ朝日→テレビ朝日HD)
【凡例】
無印:現在もグループ加盟
○:グループ非加盟
◇:大東急解体で離脱
* :1960年代〜離脱(慶太没後の体質改善策)
**:1990年代〜離脱(バブル崩壊後の体質改善策) 大都市でもないのに1970年代半ばまで続けられたのはすごい >>61
南部縦貫鉄道、加悦鉄道、片上鉄道、他にもたくさんある 昭和46年には山形交通のバスが仙台駅前より1日20本運転されたいたそうな(行先は不明)
山形駅行き・寒河江行き・新庄行きかな? >>61
特に三山線は起点も終点も都市でなかったわな 盗撮目的でカメラ付きレコーダーをスカート内に 消防官を逮捕
5/3(金) 20:14配信
山形県警鶴岡署は3日、県迷惑行為防止条例違反(卑猥な言動の禁止)の現行犯で、
最上広域市町村圏事務組合消防本部予防課設備係長、奥山隆浩容疑者(39)を逮捕した。
逮捕容疑は、3日午前11時45分ごろ、同県三川町のショッピングセンター内で、
庄内地方の20歳代女性のスカート内にカメラ機能付きICレコーダーを入れ、
さらに女性に不安を与える言動を行ったとしている。
同署などによると、庄内地方の40歳代女性が犯行現場を目撃して捕まえ、
駆けつけた同署員に引き渡した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190503-00000564-san-soci 善法寺駅跡は今は庄内交通の所有ではないの?
寺の参拝者からのクレームとかないのかな? >>75
もしかして銀山温泉のこと?
実際に行けばわかるかと思いますが、
旧・駅から歩いて楽に行ける距離ではないですよ。 >>72
なのに1970年まで生き延びたのはよく頑張った 月山街道旧道の道脇で
〇〇しょんしてたら草むらの
蛇がベロをペロペロしながら
おらほばみでだ
おっかなかった 庄内モハ7は最後までいた 京王時代脱線ばかりしてたらしいし 京王昇圧時にもっといいのと取り換えればいいのにと思っていたが
なんの問題もなかったか金がなかったんだろう 山交は はやくからドアをプレスHゴムにするのを徹底してた むしろ都市部よりも >>71
田舎の場合は地元の役所のホームページに「思い出の○○線」みたいなタイトルで写真や簡単な解説が載せられている。
その出典(ネタ元)をたどって行くと、OBだったり、郷土史家だったりに行き当たる。
もし幸運にも好意に甘えられたら、
書物にもネットにも出ていない貴重な話を聞かせてもらうことが出来るかも知れない。 そのような方々はもうご高齢だろ
迷惑になるような事やるなよ 1971年に羽前高松で撮ったデカイパンタグラフのプリントカラー写真を1枚だけ撮ったはず。捜索中。ばあちゃんちの西寒河江の隣駅だった。 >>53
だんたいこうどうするつもりはなくても、オハ児顔ぶれがジュッと続くこともあるので
傍から見たら仲良し団体に見えるかもしれない。 外交ボイコットとかいうけど
スポーツの祭典に政治家が出席することがそもそもおかしい
早く気付けよ 造語とは大袈裟なw
強いて言えばオタ同士のみで通じる符牒みたいなもの 三山線のモハ106はバス窓を前面助士側にあしらう心憎いデザイン
実際に乗ったことも見たこともないが前から模型にしたい電車ナンバーワンでした 三山線も高畠線も付近に大きな街もないのによく持ったな(特に三山線は枝線の枝線みたいな存在) >>95
ググればいくらでもヒットするけど、簡単に言うと二段窓の下段が上昇可能で、上段がH字型断面のゴムで固定されているスタイル。1950年代に普及したバスの工法に因む。 そういえばバスマニアのみなさんと話すとき
彼らの口からバス窓という言葉を聞かないわ
鉄チャンだけなのかな