懐かしの山形交通・庄内交通 [無断転載禁止]©2ch.net
かつて山形県内に存在し、1970年代前半に相次いで廃止された、
山形交通(三山線、高畠線、尾花沢線)および庄内交通(湯野浜線)を懐かしみましょう。 >>75
もしかして銀山温泉のこと?
実際に行けばわかるかと思いますが、
旧・駅から歩いて楽に行ける距離ではないですよ。 >>72
なのに1970年まで生き延びたのはよく頑張った 月山街道旧道の道脇で
〇〇しょんしてたら草むらの
蛇がベロをペロペロしながら
おらほばみでだ
おっかなかった 庄内モハ7は最後までいた 京王時代脱線ばかりしてたらしいし 京王昇圧時にもっといいのと取り換えればいいのにと思っていたが
なんの問題もなかったか金がなかったんだろう 山交は はやくからドアをプレスHゴムにするのを徹底してた むしろ都市部よりも >>71
田舎の場合は地元の役所のホームページに「思い出の○○線」みたいなタイトルで写真や簡単な解説が載せられている。
その出典(ネタ元)をたどって行くと、OBだったり、郷土史家だったりに行き当たる。
もし幸運にも好意に甘えられたら、
書物にもネットにも出ていない貴重な話を聞かせてもらうことが出来るかも知れない。 そのような方々はもうご高齢だろ
迷惑になるような事やるなよ 1971年に羽前高松で撮ったデカイパンタグラフのプリントカラー写真を1枚だけ撮ったはず。捜索中。ばあちゃんちの西寒河江の隣駅だった。 >>53
だんたいこうどうするつもりはなくても、オハ児顔ぶれがジュッと続くこともあるので
傍から見たら仲良し団体に見えるかもしれない。 外交ボイコットとかいうけど
スポーツの祭典に政治家が出席することがそもそもおかしい
早く気付けよ 造語とは大袈裟なw
強いて言えばオタ同士のみで通じる符牒みたいなもの 三山線のモハ106はバス窓を前面助士側にあしらう心憎いデザイン
実際に乗ったことも見たこともないが前から模型にしたい電車ナンバーワンでした 三山線も高畠線も付近に大きな街もないのによく持ったな(特に三山線は枝線の枝線みたいな存在) >>95
ググればいくらでもヒットするけど、簡単に言うと二段窓の下段が上昇可能で、上段がH字型断面のゴムで固定されているスタイル。1950年代に普及したバスの工法に因む。 そういえばバスマニアのみなさんと話すとき
彼らの口からバス窓という言葉を聞かないわ
鉄チャンだけなのかな あと10年残ってくれてたら確実に撮りに行ってたんだけどなあ
残念 湯野浜線は比較的長生きしたにも関わらず遺構が少ないのが寂しい
廃線敷の活用といえばサイクリングロードが定番だが
ここにはそれがなく整備され何も残ってない箇所が多い >>109
湯野浜線は路線長12キロほど
少ないとは言えない 湯の浜線はサイクリングロードというより
通学向けの自転車道ってことだわ 湯野浜線は昭和50年まで持ったね
よく頑張ったと思う 鉄道の展示はSLが置かれてないとどうも人気が出ない
庄内は不利 >>114
鐵道がもし残っていれば自転車ではなく、列車で通学だったのかな? SL置いてたら繁盛するなんてそんな簡単なものじゃないよ >>98
本家であるバス側が
わざわざ「バス窓」とは言わんわな。
バス界では逆に、引きちがい式の側窓のことを
「メトロ窓」って言うのも不思議 >>120
確かに・・・
それで繁盛するなら本物そっくりの模型を展示すると良いね。