105系スレ
地方電化ローカル線近代化の象徴でもあった国鉄・JR105系の思い出を語ろう ローカル線用なのに新製時から塗装を路線ごとに分けたのは国鉄としては珍しくないかな?
福塩線沿線で育ったので黄色の青帯のイメージが強いのですが... Tc+M+T+Mcの105系4両編成って貫禄あるよね!
特急車の4両編成より長く感じる。 103系1000台からの改造車、千代田線乗り入れ当時のリバイバル塗装って、やらないんだろうなあ。 >>133
主制御器を1編成に2個以上にすることで冗長化を図ったとしか思えない
登場から4年くらいで先頭車化改造されてる
113系転用じゃダメだったのか? >>136
ダメってことはないと思うが、当時は113系も地方幹線のフリークエントサービスでわりと幹線での需要あったんじゃね?
105系が持つスペックや開発目的を見ると、4両編成の登場も利にかなった事のように思える。 >>136
>113系転用じゃダメだったのか?
どこから持ってくるのかって話になる
113系が抜けた穴はどうする?新造113系?
だったら福塩線、宇部線、小野田線にふさわしい新車を直で入れた方が良いじゃん 101系だと車齢が高いしモーター熱容量的に4両編成はオールM必須なので没
主電動機をMT54に変えてその上で特別保全工事すれば出来たかもしれないが 1M2Tの3連用にサハ105-5〜を製造してもよかったのに
実際は3連はクモハを2連続の2M1Tしかやってない
下関にクモハだけ編成がある >>132 投入線区のイメージチェンジの意味もあるんでは。
80年代初め、常磐線415系鋼製車の塗装変更や、斜め帯入り塗装の185系など、画一的と言われてきた国鉄車両の塗装を変更し始めた時期だし。 119系も3両が有ったころには
<クモハ119-<クモハ119-クハ118>
だった。 1M2Tはクハ2連続も考えられるがクハだけで自走できないのでラッシュが終わった後の切り離して入れ替え作業に苦労する
JR四国7000系もそうだが一旦車庫に入れてクハを置き去りにしてまた戻ってこないといけないため手間がかかる 奈良線の105系時代って案外短かったのかな。
京都駅新幹線高架下からDCがぞろぞろ出発していたのが
電車化されてすごいなーと思ったものですが、
103系や205系が走り回るような路線に成長して・・・ チャレンジ2万kmやってた時、奈良線・桜井線・和歌山線・紀勢本線の和歌山市〜和歌山を連続でやっつけたんだけど、103系1000番台改造のガタガタの105系ばかりでホントいやだったorz >>146
103系1000番台って1970年製造開始で105系化は1984年だから
言うほど古くない
というか当時の105系のほうが今走り回ってる奴らより新しかったんだぜ >141
なるほど、ありがとうございます。
常磐線や新特急みたいに関東界隈だけでなく地方線区も同様に扱われてたって事ですかね。
福山界隈では山陽線はボックスシートで古くさく非冷車もあり、ロングシートかつ冷房完備だった105系の方が都会的に思えたので... >>148
登場時のよろこびのように読み取れますが、登場時って冷房なかったでしょ? 103系1000台からの改造車、登場した当時の内装はほとんど103のままだっけ。
シートも青色のままだったか?201系に準じたような内装にはしなかったのか、ということなんだが。 ふと記憶がよみがえったが、105系ってドア付近のポールに灰皿ついてなかった?
103系改造の可部線の105系だったんだけど・・・。 >149
登場時は知りませんが府中電車区の105系の冷改の方が岡山電車区の冷房完了より早かったのですよ。
なので山陽線で非冷房に当たると残念な思いがありました。 改造の順番がよく分からんかった
利用度の高い所から始めるのが普通だが? 府中電車区は総数20両くらいなので冷房工事完了が早かったんだと思います。
うろ覚えですが扇風機もスイッチ入れられたので冷房+扇風機で当時としては快適でした。 >>150
窓も地下鉄仕様で15pしか開かなかった。 >>156
窓開けても涼しい風なんて入ってこなかったからなあ
トンネル全体冷やしてるんだから本来ベンチレーターから取り入れる空気だけで冷える筈だった訳だし
全然効果なかったけど
そんなことより安全が大事だからなあ 抵抗制御がいなくなった今の方がむしろトンネル冷房はきちんと機能すると思う(?) 元103系1000番台のやつは地下鉄での安全対策用の開口幅制限ストッパ残ってた?
これがあると下段を一番上まで上げることが出来ない >>159
自己レス失礼
>>155で答えが出てた コロナ禍で半自動機能使用停止が全国的に起きてるが105系4ドアの場合半自動・全自動のワンタッチ切り替えが不可能なのでどうしようもないな
ドアエンジンに改造を施すことで可能
キハ52も半自動専用で自動で開けられないので念入りに消毒するしかない ひたすら消毒…………
もう元の社会には戻れないのかな 第三波襲来で分かったろ
戻れないのさ
鉄道の未来は閉ざされた >>146
4ドアの座席は最後までオリジナルのままだったので座り心地に難があった。
3ドアと比較すると座面の奥行が浅い・・・
阪和の103系初期車でさえ座席が交換されていたからね。
ま、103系2000番以前の面影を強く残していたので「良し」とするか。 >>164
4扉は全て絶滅したと思っていたが、3日前の1月10日にその4扉と遭遇して驚いた。
紀勢線、新宮→紀伊田辺での話。 >>170
70系が4連だったからじゃないの?
詳しく知らんけど >>170
一応福塩線には当時4連の運用があったからと、Mc-T・M-Tcに分割できるかららしいが、
わざわざ新規に設計して中間車を作ったのには、将来的に3連での新製などを考慮していたからだろうか。
あとは、中間車のほうが先頭車より安いからということもある? 1M2Tはクハ2連続にするつもりだったのかクハ-サハ-クモハにするつもりだったのか
スペック的に旧型国電と同等の性能を確保できるが試運転でもやった事例がない
クハ2連続だとJR四国7000系もそうだがラッシュが終わったときにいったん車庫に入れてクハを切り離しまた戻ってくる運用が必要で手間がかかる 119系が当初3両が有ったが運転室は片方だけだった(単独で自走できたのかな)
<クモハ119-<クモハ119-クハ118>
後でクモハ119の反対側に設置された運転室は、いかにも後づけした感じだった。 >>176
ハァ!?
もっと調べてから書き込めよ。 確かにクモハ119のうち9両は両運転台化改造されているな。 105系投入前に、70系を撮りに行った時の府中電車区の人から105系の話を少しだけ聞きました
塗装が、今までの色ではなく、どこかの私鉄のように思えたとか言っていました
身延線の115系の時も驚きましたが、地方に新塗装とは、ちょっと信じられなかった
宇部線の105系と同じようなイメージを持っていたから、以外としか思えなかったです 車体カラーでイメージが変わるよね
新塗装は斬新性が感じられてイメージ良かった 阪和のモハ72はオレンジ塗装だったが、初めて見たとき斬新に感じた >>181
最初で最後に見て乗ったのが、阪和線の旧型電車の置き換え直前、
ぎりぎり間に合ったとき
そのため廃車前という姿ばかりで、退色が多く、別の意味で違和感でした
赤系の色は、どうも退色が早いように感じます >>182
片町線の旧型国電もオレンジの褪色は早かったね
吹田工場を同一時期に出場した101系と比較しても倍以上に褪色が進んでいたから >>183
片町線の旧型はギリギリ間に合わず、
淀川電車区で許可を得てクモハ32を区内で撮らせていただいただけでした
自分の勝手な印象では
ノーシールノーヘッダーの車両は旧型でも比較的色が変色していなかったが、
シールやヘッダーがある車両がダメと言う感じ
ただ、廃車後に天理の多数留置の車両の印象もあり、自分の印象だけでどうこう言うのも正しくないように
今から思うと感じる点があります 宇部、小野田線の朱色塗装は
いつまで残ってたんでしょうか?
ご存じの方、ご教授お願いいたします。 >>183
一時期天オトから千ツヌにたくさんのモハ72が転属してきた。
色あせてはいたが、オレンジのモハ72は斬新に見えた。
昔は千ツヌ車の運用があった成田線我孫子口でも見ることが出来た。 >>185
多分89年くらいまでではないかと…
90年に初めて乗ったときは赤青帯になってたので… もう少し後では113系ブルーライナーも転属してきた。
我孫子口でも見ることが出来た。 色によって軽快に見えたり鈍重に見えたりする
不思議 桜井線に投入されたとき「新型車登場!」の宣伝。
でも、地元客は微妙な空気だった… 103系よりも制御段数少なくして大丈夫だったのか?
ごつごつして乗り心地悪そう ほぼ同期に115系1000番台ってのがいるけど、福塩線で105系と115系1000番台と乗り比べした
時は断然115系1000番台がよかったなぁ。コイルばねだけどこちらはよくできてる頃の115系だから
余計その出来の違いがあった。105系はなんというか遅い。115系1000番台も遅いけどこちらは高
速域になると加速速くなって全然速かった。 ジャンパ連結器を細工してクモハ同士背中合わせとかあったな
しかしパンタグラフが接近するので押し上げる危険性がありそう >>198
115系1000番台と比べる方がまずおかしいだろ。
115系1000番台は300番台の最終進化形態で近郊型では一番使いやすいように設計されてあるんだからそもそも
比べ物にならないことぐらいわかるだろ モハ105とサハ105は製造意図が謎だったな
扱いにくくて製造からわずか4年で先頭車化改造されてる
ラッシュ時6両編成にするつもりだったのか編成の半分ずつ検査可能にするつもりだったのか >>202
製作費の低減をねらったんじゃないかな、廃車発生品を使うくらいだから
でも実際は短編成で高頻度運転が適切とされたから全車先頭車化改造 1M2T運転が決定してたらクハが余分に製造されてるかサハ105-5~が製造されてたはず
1M2Tはシステム上可能だが試運転したという話はない >>197
> 103系よりも制御段数少なくして大丈夫だったのか?
> ごつごつして乗り心地悪そう
それがですね、そんなに乗り心地が悪いと感じないんですよね。一度宇部に来てみては? よくよく考えたらモハ105・サハ105は冗長性的に最強だったな
主制御器が2個になるので片方潰れても1M3Tで応急走行できる >>207
おそらくそれが、波及形式である119系で1M2T運転しなかった理由でしょうね。 >>202
福塩線では70系同様4両運転継続するつもりだったのが思いの外乗客の減りが早かったから? >>187
最終的に単一塗装に戻すなら朱色1色のままでよかったのにねぇ…
JRだから国鉄とは違うぞ!ってところを見せたくてイキってたってことかね ゆうぱっく塗装は人気あるん?
個人的には春日塗りが好み 119系でドア位置を微妙に変えた意図が謎だな
105系は殆ど113系2000番台と同じ位置だが119系は両端のドアが外側に寄せられてる
それも全体的にオフセットしてて両運転台の100番台はよく見るとドアの位置が前後で不ぞろい 近畿導入分(奈良線・和歌山線・桜井線)はどうして逆向きだったのだろうか 後輩の107系は165系の機器を流用しているが同じ1M電車
戸袋窓が廃止された100番台2次車はスッキリしていた 床置クーラーは便所と見間違うほど巨大デッドスペースだった 奈良線に投入された105系改造車
車体側面上部にうっすらとJNRが見えていた
完全剥離せずにクリーム色に塗装したんだろうな >>222
宇部線105系の車体側面にうっすらとゆうパック塗り分けが
完全剥離せずに末期色に塗装したんだろうな 兄弟119系は両運化された仲間も居たけど
105系はサハモハの先頭車化だけで両運化は無かった
単車では走行不可でしたっけ? >>224
ほぼ同じ時期に製造された車両だからねえ。
可能なような気がするけど。
運用した路線に単行の需用がなかったのでは? 紀勢西線での活躍ってどんな感じだったのかな
くろしおやオーシャンアローに追いかけられて
必死で走っていたんだろうな >>224
増設側がいかにも後付けな作りだったのがすごかった >>227
103−1500や119とも瓜二つだったね