懐かしの併用軌道©2ch.net
鉄道線用高床車両が道路に敷設された軌道上を走る光景を懐かしむスレ。
江ノ電、熊本電鉄のような現存する路線の思い出話も歓迎。 そこまで限定しちゃうと、
東急の二子橋と、近鉄油阪〜奈良くらいしかないよ? 京阪は昔京橋から天満橋付近に併用区間があったらしいよ。
写真でしか見たことないが そんな半世紀以上も前の史実なんて
誰も話題について来れない 山陽電鉄の兵庫−長田間も追加で。
長田での神戸市電との600V・1500Vのクロスも忘れずに。 沼尻鉄道白津〜内野も入れておいてくれ。
ナローなら木曽森なんて林道との併用軌道たくさんあったが、
これは範囲外かな? 新潟交通 東関屋〜県庁前
制限速度15キロでは利用価値低かっただろうな 追加
北陸鉄道石川線 野町〜白菊町
ソースは保育社カラーブックスの記事。
でも写真は一度も見たことないです。
どなたか地元の方補足をお願いします。 >>5
少し前には現実にふれあった世代もいたんだよ
今は雑誌やネットで生まれる前の情報を
さも経験したかのように書き込んでいる輩しかいない >>11
そもそもカラーブックスがなかなかお目にかかれるものではないよね。
ヤフオクでも出品が少ない >>10
新潟地震の時に県警は撤退させたかったのにできなかったから
厳しい制限を付けてたという話を聞いたが、これも都市伝説かな。
1960〜70年代はとにかく道路上を電車が走るのは社会的損失だ!みたいな
風潮が強かったというからね。 昭和40年代にマイカーが短時間で激増した訳ですが、道路整備が全く追いついていない時期があったんですよ。
都市や通りによっても時間差はあるでしょうけど、設備が追いつかない分、規制で凌がざるをえなかった訳です。
巧妙に交通量を抑える工夫などのノウハウもなかった。
行政の悪意で捉える必要も無いと思いますが、それ以前は我が物顔で通りを独占できていた訳です。 >>16
電車は急に止まれないから軌道敷にクルマやヒトが急に進入してきた時の危険回避の術がない
安全優先と言うなら道路の効用を損ねることにはなるが軌道敷進入禁止にするしかない >>17
スレから逸れますが軌道線である京阪京津線でその議論がありましたね
三条側も浜大津側も、軌道敷の通行規制は実施されず、クルマは通り放題でした
全面通行禁止は無理でも、電車接近の時に限ってでも車は進路を譲る義務を課することはできなかったのですかね
道交法を詳しく知らないので的外れだったらすみません >>19
右折時はどうしたって軌道内に入ってくるのは避けられない
猫も杓子も免許が取れる時代にあっては後方確認もせずウィンカーも出さずいきなり進路変更するやつも少なくなく
電車との衝突危険性は高まるばかりだ。 ドライバーのマナーも時期により変わるし都道府県警の方針も変わる。
ケースバイケースとしか言いようがないから一概には言えない。
自動車交通が膨れ上がる過渡期には変な所が多かったんだよ。
福島軌道線とかね。
犬山橋だって自動車の洪水は想定外だろう。
具体的な場所、年代、対応策という風に個別に話を進めなくちゃね。 >>19
京都のクルマは運転が荒い
マイカーだけじゃなくて営業車、つまりタクシーとかバスも。
バスは路線バスも観光バスもどちらもひどかった。
後ろから来てるのに気づいてるはずが軌道敷に入り込んで信号待ちする
市バスの運転手さん、あれはいかがなものかな。
さすがに京阪バスはやらなかったけど 横川駅の裏にある駐車場には
鉄道文化むらから伸びる線路が撤去されずに
併用軌道みたいになっている。 >>22
京津線沿線を昔走っていた市バスはバス板の京都市バススレ曰く特に荒っぽい事で有名な営業所が担当していたらしくバス板の書き込みですが電車を煽るのは日常茶飯事でもっと酷い話ではミラーで電車を小突いていたとか言う話も聞いた事があります
運転が荒い車と言えば犬山橋辺りを走っていた愛知岐阜の自家用車も荒いと思いますがどっちが酷いんでしょうか?
バスはさほどでもないですが >>1
高床車走行に限定すんならスレタイに入れろや。 >>25
たしかに岐阜から一宮あたりにかけて運転荒っぽくなるが、
京都市は東京のトロッピー様とタメ張れるしな。
どっちも全国的に見て荒いレベルは高い。 京都の市バスは部落枠があるんだっけ。
そりゃ筋金入りだわ >>8
実際には見たことないのですが
併用軌道時代にはまだ700系は健在だったので
さぞかし目立ったことでしょう >>27
自家用は愛知や岐阜の方が荒い
バスは京都の方が荒い >>30
ググればヒットするよ
神戸市電との平面交差部分は撮影名所だったようです 資格は充分。
ただし、共感してくれる人物の高齢化は甚だしい。 近鉄の奈良市内とか名鉄の犬山橋とか垂れ流しトイレつけた特急が走っていたけど路面でもそのまま流していたの? >>35
名鉄の戦前の高山直通は便所付きだったらしいがどうだったんだろう・・・?
因みに戦後の北アルプスは当初からタンク式。
一番怪しい? のは近鉄奈良界隈だが・・・。 戦前は問題ないだろう。
エンジンのついた自動車と同じかそれ以上に牛などが曳く荷車が通った筈だ。
下水道などもない。全て汲み取り式だ。街中で糞尿などで驚くまい。 >>35
近鉄の奈良市内は到着間際か発車直後のせいぜい1〜2分程度だったから
そんな時に列車内のトイレで用を足す人はまずいなかっただろう。 「道路上につき、トイレはただ今使えません!」以上。 北鉄山中線とか京福越前線には道路と線路の区分がはっきりせずに
併用軌道のように見えてる区間があったらしい
ネットで調べてると屡々写真がヒットする
北鉄でいえば併用区間をしらさぎ号がノタリノタリ走ってる姿を妄想してしまう 元京福には今も曖昧な区間があると思うが。
志摩電鉄、渥美電鉄。遠鉄、静岡。この辺りにも怪しいところはある。
近鉄志摩線はかなりルートが変わってしまったが。 >>32
敷石の手入れができてなかったから窪みに足を取られて転倒しかかったり
動けなくなったりする単車や自転車が多かったとか 設計施工の時点では車両が増えるとは考えていないからな。
昭和40年代前半を境に軌道が壊された。
増える自動車に呆然とするだけで、軌道営繕費用の増加は事業者負担とされた。
ひどい話。 能勢電の昔の多田駅付近
北陸鉄道浅野川線の西灘駅付近 >>45
鼓滝駅からから多田駅南まで旧国道173号の東側に線路があったね。 >>40>>45
北陸鉄道ではほかに金石線も道路の端っこに軌道があって
1600や3300などの電車、奇怪なスタイルの電機がタンク車を牽いて走っていたらしい いや、今はネットで画像検索もできるんだから、らしいは要らないってw
先日金沢駅北口のビジネスホテルに泊まったんだが、あの金沢はどこへ消えたんだ、と思ったよ。
どこに、あの魅力的な駅はあったんだろう??
すべてが幻で、嘘みたいだった。 >>48
金石線こそ6000系や6010系を走らせてみたかった 福島軌道線なんて衛星画像見ても、どこにあったのかわからんなあ。
大きな歩道橋などが連続する僅かな区間だけが存在感を示している。
こんな軌道線があるのでは、全国どこでも線路が敷けてしまいそうだ。 江ノ電の併用区間で中間点くらいにも警報音(踏切の「カンカンカン…」というやつ)が
鳴っていた時代があった。
今は「電車接近」という電光表示板だけになってるけど。 窓を閉めてるとドライバーには聞こえないし
さりとて音量を大きくすると付近の住民に迷惑になるということで
警報音はやめたということらしい
難しいものだね >>52
江ノ島駅出て併用区間入る所に今でも打鐘式警報器あるよね >>54
普通は極論として斥けられても当然だが、
江ノ電の併用軌道部分では説得力を持つようにさえ思える
とにかくあの区間で共存は無理だろう >>55
平たい円形の鐘が縦になってるあのタイプは
「電鈴」と呼ぶものです。
ベル形の鐘が上部に載ってるタイプのほうは
「電鐘」です。 >>56
電車には罪はないね
クルマの洪水になるまでは、何ら支障なくあの場所を電車が通過できていたわけだから 要するにクルマ側で下手糞な運転する奴が増えたのが原因
交差点で電車接近してるのに進路塞いで平然としてるのみると
免許制度って何なんだろうと思う 幅が狭いから避けようがない
運転手がアホではないのだよ ならばそういう道路には進入すべきでないし、
そもそも警察が自動車通行禁止などの規制をすべきだろう >>28
シャブ打ちながら運転してた奴がいたぐらいだからさもありなん。
肩書は立派な市職員なのにヤクザの盃もらってたのもざらにいた。 公務員でリスペクトする価値があるのは霞のキャリア様だけだよ
一般公務員はダメだ。特に痴呆役所はね >>61
気持ちは分からんでもないが、空論だな
気を悪くしたのなら謝るわ >>25>>26 京都は狂惨盗が強い土地柄 自民に居た野中も隠れ左翼(引退後に赤旗に出るなんて・・・どんだけ?)
民度も交通マナーも正比例。
だからリニアは奈良を、通そう!
黙っていても観光客で金儲け出来るとアグラを掻いてる狂都なんか無視して奈良で観光しましょう! >>28
市バス運転手がシャブきめて運転してた徳島市もな。
>>68
あそこはもっとひどいだろw ポルシェ市職員はどうした。 新潟交通健在の頃に県庁前から前面展望できる機会があった(モハ10)が、
前出の江ノ電関連のレス同様に、操作の荒い(または無秩序な)クルマに翻弄され続けて
まともに走れてない印象だったわ
これでは客は逃げてしまう・・ あの区間は大型トラックやバスも普通に走れてたが
接触したり、ぶつかったりしなかったのかな >>70
客が減ったのが廃線の最大要因だが、
騒音が沿線住民の不興を買ったことも大きい
何しろ台車は古物で常に軋み、力行時の音、
ブレーキ時の音と合わせて電車追放を主張する手合いもいたから
存続など考えるべくもなかった 併用区間に途中駅がなく通過地域にデメリットしかなかったのも大きい 戦前は電停もあったらしいね
仮に戦後まで残ってたとしても昭和の新潟地震の復旧の中で
どのみち電停廃止は避けられなかった 福井鉄道みたいに広いならともかく
あんな狭くて交通量の多いところに電停作るのは難しかろう
江ノ電の併用区間の途中に駅作るようなもの
(あっちも大昔は駅があったらしいが、龍口寺前とか) >>77
その新潟地震復旧に託つけて電車全廃も
検討の俎上に乗った
復興の象徴として期待を集めてると思いきや
事態はその真逆で、
これほどまでに路上を郊外電車が走ることが
問題視されて(嫌われて)たのかと
会社の人は大いに落胆したらしい 当時の事情は知らんが嫌ってたのは併用区間沿いに住んでる連中だけであって
他の人々にとっては貴重な生活の足だったと思う。
世の中には、声の大きい人の意見だけで物事が決まる理不尽さが、たまにある。 電車が走ってなくても人通りが元々多いのだから五月蝿さには変わりは無い
やはり電車廃止ありきで話が進んだのと思う >>84
だからといって特定の人々に不利益を押し付けて良いの? >>83 専用軌道化、あるいは橋を架けて新潟駅まで延長、なんてことは会社に金がない、投資効果見込まれないから自治体も消極的だったというわけか? 90続き 自己レスだが、併用軌道解消のため、越後線の旧線払下げといった構想あったが、価格で折り合わず日の目を見なかったということだな。
福井地震を契機に中心街に道幅の広い道路を確保できた福井に比べ、新潟はそれができなかったから専用軌道化できずに需要減少、廃止という宿命だった。 新潟の旧市街地は恐ろしく面積が小さい。
信濃川河口部に堆積する砂洲に排水用の溝を掘って、そこに立て籠もった感じのする町だ。
信濃川の様な大河が他に見当たらない以上、非常に特殊な性格の都市なのだろう。
旧市街地に向けて私鉄が二社もターミナル駅を並べていた。
遅かった一社は併用軌道でしか接近できなかったし、その併用軌道でさえ旧市街地の縁から先は狭くて延伸は無理だった。
旧市街地では排水路を埋め立てて道路を作ったが、路面電車が入れる幅の確保は難しかった。
国鉄新潟駅は信濃川の対岸の湿地帯を埋め立てて作ったから、長く都心機能に欠けていた。
路面電車の実現は、あと一歩という当たりまで来ていた様な気がする。
旧市街地と新潟駅の連絡だって重要だろう。 福井電鉄の走る街は、道路の広さが印象的だもんね。
しかしそれ以上に新潟「市」の人口は多いんだぞ。
新潟交通の目指すべきだったのは地下化。
本当は長野電鉄や名鉄瀬戸線の後を追う案もあった。
新潟島は地盤が砂のようで極度に地盤が悪かった。
これが最大の理由。
もし出来るんだったらとっくに田中角栄が黙っちゃいないよ。
上越新幹線の整備と一緒にやったはず。
一部は複線にして強化しまくったかも知れない。
車両は小田急と東急と京王井の頭のおこぼれを貰うか。
中越の地震が起きたのが田園地帯で良かった。
新潟市内で起きたら阪神淡路並みになったぞ。
つか新潟は全体的に地盤が弱い。
新潟の原発が福島にならなかったのは奇跡に過ぎない。
事情としてはむしろ福島よりヤバかった。
福島は津波があったからあれだもんな。