オリエント・エクスプレス'88 [転載禁止]©2ch.net
海外の列車が日本のJRを走った唯一の事例であるオリエント・エクスプレス'88について語ろう セノハチはEF65PFの重連、上越国境越えはEF641000の重連だったな
EF66牽引は東京-品川(客)の間だけで田町駅はものすごい事になっていたが
京浜東北南行がいて駅先端7mくらいのやつしかまともに撮れなかったらしいw
自分も北海道、海峡線、新疋田ループ、瀬戸大橋と撮影行きまくったw
同時期に運転されていたアメトレもあったが影が薄かったな 個人的にはオリエントエクスプレスに似合う日本の機関車はC62とEF66だと思う。 オリエントエクスプレスにはEF64-1000重連が最も似合っていたと思ったのは俺だけか? 九州ではJR貨物の青いED76、
東北ではオリエントサルーンのED75重連が常連でしたね >>20
オリエントサルーン指定機重連の予定が、1機は故障で一般色に変更になった記憶が… 13両編成であったが24系客車15連より重かったはず
瀬野八は力づくで上ったんだな
最高速度95キロなのでEF65が使えたが24系15連は110キロで走るためEF66必須だった 12月25日。EF58 61牽引の運転最終日。
渋川南方の大カーブには有名鉄ちゃんを含む大勢が待ち構えることとなった。
「ここ渋川〜八木原で1発めを撮って、関越道渋川伊香保IC→本庄児玉ICを使い、本庄〜岡部で2発めを…」
と考える鉄ちゃんは、自分を含めて何人もいた。
現地は快晴ながら、バックの上越国境山々は雲に覆われ、国境の長いトンネルを越えると雪国であろうことは想像に難くない。事実、水上も雪がちらついていたという。
空っ風が吹きすさぶ中、静かに確かな足取りで61オリエント通過。
速攻で車に乗り込み、先を急ぐ。
前後に、ケンメリと親しまれたスカイラインが何台かいる。さすがに、スポーツタイプとはいえ1600cc級のコンパクト車では関越道では歯が立たない。
とはいえ、同じことを考える鉄ちゃん車が、自車も含めて何台も、少なくとも自分の普段の運転とは明らかに違うもの凄い勢いで、他車そこのけそこのけとばかりすっ飛んでゆく。
本庄〜岡部では、先に陣取る連中よりも遅くに着いたとはいえ、スリックマスタープロの高さを活かし、比較的いいアングルを確保。
結果的にこれが自分のオリエント急行ベストショットになった。
※これは、決して危険な運転を奨励するものではなく、速度などの明記は控えさせていただく。 国鉄の客車形式を当てはめると重量記号が全車「カ」級(47.5t以上)ってスゲーなw
ななつ星がアルミ車体のくせに「マ」になってるのも凄いが やはりバブル時代だからこそ仕掛けられたイベントだったのですかねえ >>25
それと東海が今ほど他のJR各社と孤立してなかったこともある。 青函トンネル通過時の火災騒ぎの時は
海底駅に止まらずに走り抜けたのか? あれ下手したら青函トンネルに入れず北海道走行は貨物船に乗せて海上輸送の可能性も考えられたはず
内装材に木材を使ってる上に石炭ストーブとか現代の水準では考えられない位だった
結局火災報知機を取り付け防火責任者を配置する事で特認を得たがトンネルに入る前にストーブの火を消さないと青函トンネルの火災報知器が誤作動する懸念があった? >>34
オリエントエクスプレス来日は1988年。
青函連絡船廃止の翌年だよ。 >>35
1988年
青函航路廃止 3月
復活運航 6月〜9月中旬
OE渡道 10月下旬
若干微妙だが仮に航送するなら
最もおそくても復活運航中に話しが出ていただろうから
無理ではない。 >>36
中坊みたいなこと言うなよ。
廃止してしまったのだから無理でしょう。
「廃止」の意味、わかってる?
OEのために連絡船復活?
そこまでに掛かる税金とかの経費は誰が払うの? アメリカントレインはわざわざ鉄道が無い沖縄まで航走したというから凄まじかったな
オリエント急行は流石に沖縄まで行かなかった 食堂車がとくに重たくて、日本製の台車のバネが役割を果たせなかったことから、
冷房を撤去して重量を下げるなどしてたな 滋賀県大津市のホテル紅葉パラダイスで列車ホテルとして保存使用されていたオリエント急行の客車と
蒸気機関車は老朽化で解体作業中に客車から出火して炎上し、現在は完全に撤去されてしまった EF58が牽引したらイメージ的にピッタリだったはずだが出力が足りず不可能だったな
D51牽引時も補助機関車が付く有様だった 食堂車はカニ22よりも重かったってw
日本の客車史上最も重量が重い電源車より重かったって凄いな
冷房装置撤去する羽目になった 日本国内を巡業した客車たちのその後は?
現役車(定期運航している)は居るの? NIOEが倒産して客車たちも散り散りになっちゃったんだよね(´・ω・`)
それにしてもTR47が普通に似合っていたなぁ。
当時はまだあれだけの数をカキ集められたんだね。 車両メーカーに在庫が有ったのかな?
E3甲種では 黄緑色に塗った TR213を履かせていたけど >>49
ただ板バネ台車だったので乗り心地はゴツゴツしてた?
バネ定数変えたとはいえ特に食堂車が重くてサスペンションがボトミングしてしまったとか
もしや重さを実測してみたらカニ22に匹敵する位の重さだったとか? >>50
国鉄精算事業団からの購入。
当時はまだ解体待ちの旧客がゴロゴロしてた。 >>15
家にパリから中国まで移動したときの番組の録画あるけど
「本日の天皇陛下の御容態」とニュース速報みたいに出てくる
輸血量とか >>44
上越線でEF58 61が
東海道本線でEF58 122がけん引した。 >>15 >>16
その頃、自粛なんかあったんかなぁ・・・あまり覚えてないわ。
その当時は俺は18才、休みなしで働いていたので、それどころではなかったわ。
オリエント急行が大阪駅に来る時に見に行きたかったけど、それも叶わなかった・・・
この車両は確か香港から下松まで船で移送、台車を旧客のものに変えていた?
あと、妻面に「南シナ」と表記されていた?・・・はず。
その当時のソ連や中国ってペレストロイカとか解放改革とかがあったんだけど、
それでも良くこういうのが実現したと感心する。当時の東欧人・ソ連人・中国人は
普段見ることがない青い客車とその乗客を見て何を思ったんだろうか。 >>57
漏れは予備校生だったけど祝日に大阪駅へ行ったよ あの当時のフジテレビは空前のF1ブームで財力あったんだな
前年に中嶋悟がF1デビューしてフジテレビでF1中継が始まりF1ブームに火が付いた
丁度バブル絶頂期だったのでフジテレビ黄金期だった スポンサーは日立だぞ。そのためか牽引機は日立製のカマが多かった。 >>60
それなら余計に北海道でC623が牽引して欲しかった・・・
あとEF66の牽引が回送だけにとどまったのも日立製がないのも関係しそうだな。 パリ〜香港を走行してるしてる写真って探したけどほとんどないな 台車がポアされてるからな
完全コピーの列車を作った方が安いだろうな
それじゃ意味ないか 次はフライングスコッツマンかマラードが来てほしいな 日本一周列車はJR各社間で調整しないといけないので難しくなったな 日本一周、アメトレとかサイエンストレインとかもあったけど
最初は駅号だよな。20系使った
オリエントはバブルすぎ。D51と61の重連とか発狂するだろ。大宮までだったけど
最近も上野−尾久でやってるけど、客車がね >>57
フジの番組だとソ連の場面は行程的には相当あるはずなのにかなりはしょられたなw
撮影制限は厳しかったんだろうな
ドイツとポーランドと中国が大半占めてた
ただ西側初でバイカル湖を空撮するというペレストロイカの時期らしい映像もあった
後中国とソ連の国境の駅で両国の鉄道マンが作業しながら一言も口を利かなかったり
政治資料としても貴重かもしれない 日本にカネが唸るほどあった時代だな。
>>37が問題にしてる経費もどうにかなってたろね。 アメリカ人の社長かなんかがなんか企画したと思ってた
なんかフジの番組で出てきてたし
安部譲二が同乗してたな フジの社員の企画だったのも凄いけどな
一番交渉に難儀だったのがソ連ではなく中国だったと後に言ってたけ 中国じゃなくて香港の九広鉄路。当時は英国領なのでエゲレス人幹部か。 当時通っていた中学校が、
京都大阪間の東海道線沿線。
ほとんどの教室から、走っている車両が見える、鉄要請場みたいな環境。
他の優等列車よりもゆっくりと重厚な走りを見せるオリエントエクスプレスに、
クラス全体、授業も中断して見とれていたなぁ。
まぁ、頻繁に通るので、
そのうち、鉄でさえチラ見する程度になったけど。 客車重量50トンオーバーって前代未聞だろ
重量記号当てはめると全部「カ」級ってw
積車時のコキ50000より重かった
日豊本線みたいに幹線であっても路盤が弱い線区は端から入線させないつもりだったみたいである 通過区間は線路傷めるだけだもんね
地元で滞在してお金を落としてくれたらいいけど 車体重量が軒並み全部50トン超えてたとかスゲーなw
24系客車15両編成よりも重かった?
重すぎて空転が多発し「貨物列車のように運転すること」と通達された位
バッファで引き伸ばされるために圧縮引き出し不可能と誤解されやすいが電磁自動空気ブレーキではなかったので先頭車から順番に応答していくのを利用して圧縮引き出し可能 セノハチ越えるためにEF65 1000番台が重連で引っ張って行ったからな >>89
貨物並みに重いがEF67付けなかったんだな 青函トンネルもED79重連だったよね。
100番台が旅客列車の牽引に加わったのは、あれ以外知らない。 >>81
ただ、フジの放送でもフランス、西ドイツ、ポーランドはそれなりにやったが
ソ連・中国はあまり時間割かれなくて色々許可が難しいんだろうなと思った
そういや、東ドイツは一コマもなかったかな
ソ連も西側初のバイカル湖上空撮影とか柔軟になって
ゴルバチョフ体制の影響が出てたが オリエントエクスプレスと聞けば
レオ贔屓の私としては、郭泰源ですね TRAIN SUITE 四季島やTWILIGHT EXPRESS 瑞風も重量50トンオーバーあるよな
豪華列車は異様に重くなる法則が成立してる カシオペアの先頭車がカハフだったのに驚いた。
軽量ステンレスなのにカのクラス?
発電機を積んでいると聞いて納得。
日本でのオリエント急行も早いもので30年前か。 >>93
懐鉄板で野球の話しても誰も反応しないよ
みんなスポーツ音痴だから フジテレビがここまで零落れるとは誰も思わなかっただろな 当時のフジテレビの現場は構想力企画力が抜きん出ていた
今は過去のコピーしかアイデアを出せなくなってるらしい
やはり組織は、人なんだな 儲かってないでしょ。バブルと民営化の象徴みたいなもんじゃね 日テレはウルトラクイズ→電波少年→イッテQと
ドキュメントバラエティの血脈を受け継いで人気あるのに
フジお得意のスタジオバラエティは
ひょうきん族→みなおか→めちゃいけ
で完全終止符になったな >>99-102
だからカレチ堺は、在籍中に日枝錬金術の浮き沈み両方を見る結果・・・
>>103
そのCXバラエティー3作はすべて河田町時代の企画だということ
しかも人的に矢印順には継承されてない
ひょうきん(横澤班)
みなおか(石田班)
の2つは遭い入れない存在に対し
おだいばZ会のシリーズは両班の出身スタッフが担当 なるほど・ザ・ワールドは王東順班だからどちらでもなかったな。
夜ヒットは疋田拓だったが、この人はバーニングと懇意だったという話も。
テレ朝に移籍したら皇達也と対立するなど社風と合わなかったようだ。 この車両は1両の長さが確か23メートルなので日本の既存の車両もそこまで長くできるはず。 >>108
確か車体が細かったので問題なかった
オヤ31のかんざしを長くした特製の建築限界測定車で入念に測定した結果あちこちで限界抵触することが判明し線路を微妙に動かしたりとか大変だった
今だったらJRが乗り入れ拒否するはず >>104
来た頃にキャラメルか何かで
おまけにオリエント急行のミニチュアがつく菓子があったから
よく買ってもらったような記憶がある このあと1989年に中国で
天安門事件が起きてるから
企画としてはギリギリ間に合ってるけど
危なかったね バラスト軌道は線路を少し動かして接触回避できたがスラブ軌道はどうしようもないな
ミニ新幹線は在来線規格に収まって今でも甲種輸送してるがE3系でホームを擦った事故があった 豪華列車は重くなる法則が出来てるな
TRAIN SUITE 四季島は両先頭車が64トンとかカニ22並に重いしTWILIGHT EXPRESS 瑞風も58.3トンある車両がある プルマン車のNo.4158Dは箱根仙石原のラリック美術館にあるから何度も見に行ってるが、
他の客車達はどうなってしまったんだろう?
とりあえずプレジデンシャルNo.3354DとクルージングサービスNo.4013の生存は確認出来たが
(No.4013は元の厨房付きプルマン車に復元工事中)
Wikiでは殆どの車両が「廃車待ち」となってるが、これだってもう10年近く前のソースだしなぁ...