オリエント・エクスプレス'88 [転載禁止]©2ch.net
ステイホームとやらで外に出られず
古いVHS引っ張り出してきて見返してるとフジテレビの特番でオリエントエクスプレスが出てきた
あの頃の高揚感を思い出した
涙が溢れてきた バブル時代のフジサンケイグループのムーブメントの仕掛けは神懸かってた
鉄に理解のある社員も多数いたのだろう JR側にも山之内さんとか須田さんとか(勿論よい意味で)真性鉄の役員が健在だったしね。
新自由主義のプロ経営者がトップにいなくてよかった・・・。 ヒットを飛ばすのはヲタ気質の人間の方が確率高いという説もあり、
当時のフジはそういう社員を大事にした。
今は成果主義の悪弊で、失敗を恐れて2匹目の鰌狙いの輩ばかりになってるだって。 オニ23は現存しているのだろうか?
編成端にあって写真が撮りやすかったので、オニ23を本物だと勘違いして記念撮影した一般人がよくいたと聞く。 マワシェビチェ(Małaszewicze・・ポーランド語って読みにくい)なんて地名、
日本じゃ滅多に聞くことはないだろうな。ポーランドのベラルーシ国境近く。
Googleマップで見る限り、他に目立った建物もなければ観光スポットもない田舎。
Wikipediaも日本語版にはこの地名がない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ma%C5%82aszewicze
(で〜もよく読んでみるとこの板の連中には興味深い記事と写真だ)
https://jp.reuters.com/article/china-europe-silkroad-idJPKBN1JO0IP
https://globe.asahi.com/article/12111661
https://toyokeizai.net/articles/-/277753?page=3
コロナさえなければ今頃はもっと栄えていたかもな。マワシェビチェ操車場は
中国・ロシアとヨーロッパの貨物列車を中継する、向こうでは注目を浴びている
場所なのだ。
で、>>116これが答えだよ。
で、ここに数年前Youtubeにすごいものが投稿されたんだよね。
https://www.youtube.com/watch?v=hi2c6TZSKCw&t=205s
https://www.youtube.com/watch?v=t5l-S1E3nro&t=9s
https://www.youtube.com/watch?v=tayQe1UANPI&t=301s
残念ながら日本語による解説はないが。
外板も傷んでいるし、車内も荒れ果てているけどね。どうもこれをSNCFが
手直しする計画があるって話を聞いたことがある。 >>92
>>113
鉄のカーテンはあっさり崩れたけど、竹のカーテンは難しかったか・・。
経済力を持っても体制が隠蔽体質の共産主義のまんまじゃね。
だからコロナも蔓延したんだし。
(竹のカーテンって言葉はネットでもあまり使う人はいないけどね)
さて。
この企画の次の年だったんだな、東欧革命・ベルリンの壁崩壊・天安門事件は。
冷戦が終わる前だからこそ実現できたのか、冷戦が終わった後だったら逆に情勢
が荒れてやりにくかったのかな?
Wikipediaを読んでも通過した国に「東ドイツ」があるのに時代を感じた。
テレビでは東ドイツの国境を通過するところまでは放映したと思う。 >>124
製造か60年経って日本を走ったクルマがその30年後も生き延びてくれていたとは!
また日本を走ってほしいね・・・前澤さーん・・・ マワシェビチェ操車場って蒸気機関車の動態保存もおこなっているんだよね。
(しかしポーランド語ってなんであんなに読みにくいつづりばかりなんだろう?
変な舌を逸らすような発音もある)
オリエント急行以外にも注目すべきスポットかもしれない。 プレジデンシャルNo.3354D、ドイツに移ってプルマン車カラーに塗られた写真を見た事がある
「何て事しやがる!!」と心の中でブチ切れたものだったが、その後はどうなったのやら
モノがモノだけに解体はされてないとは思うが 今はこんな壮大な企画を通せる腕力を持ってる人物がメディアにも鉄道側にもいない 本当だw
この両者がバブル時代にコラボしたのも因果な縁だな 撮ったとしても先頭のD51498にばかり注目していて…というのはよくある話 そりゃそうだろ。498のときは61と重連だからな。そっちに注目するだろ
復活したてで距離も短くてオリエント牽いたのはそのとき限り
それで注目してなんの問題が マスコミが斜陽になったのは自業自得よ
コロナで信頼を失った(もともと信頼されてなかったという声もある) いつもの腐臭トンキンちゃんが何処に引っかかって140を書きこんだのか意味不明
関東ガー東京ガーとはどこにもないのに
やっぱりキチガイはキチガイか オリエント急行が走行前、走行予定線ではオイラン車が走り回っていたのを懐かしく思う。
現在、オイラン車が使われることはないだろう。 もっと撮りに出かけておけばよかったなぁ
30余年経って鉄道がこんなにつまらなくなるなんて思わなんだ >>146
ナウでヤングな若者は、そんな中で色々愉しさを見つけてるはずだ。
そして30年くらい経ったら、なんでこんなにつまらなくなったんだ、って言い出すはずだ こんなスレまで鉄屑君はいるんだな。厨房かと思ってたわ。ヲタジジイの成れの果て
>>148
61だろうと思ってたら宇都宮のきったないPFだったという。1007見るたびに思い出してたけど
その1007もいなくなったな PF+12系で999はないだろうと小学生の我も思っていましたw 同意。
西武鉄道沿線のガキだった俺は、「西武山口線に999のヘッドマーク着けた方が
よほどそれらしい」って思ってた。 1988年というと時代的に自粛ムードがないわけでもなかったが、
決行できたんだね 本格的な自粛ムードになる前にパリを発っていたからね
東側や中国も巻き込んだ国際イベントだったし 当時はバスでも似たような企画が実施された。ようは世界的にバブルな時期だった。
ちなみにヨーロッパから韓国まで一応レールは繋がっているから、パリ発釜山行きとかが運行可能。
ただし、韓国と北朝鮮か未だ冷戦状態で、実はそこが一番の障壁。 「オニ23 1」の表記って、書体そのものは所定なのに
「1」の字だけヒゲが付いてたんだね。
tps://pbs.twimg.com/media/FKrRVVbaQAQ8PHk?format=jpg&name=4096x4096
「マニ50 2236」のほうは、見る限り「2236」だけオリジナル書体。
tps://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/railway-photo/20200821/20200821080935.jpg
それぞれ、わざわざ変えてある。
なんか意味があったのかな? 余剰車を整備しただけで、車両番号の変更はないそうだね。
ということは、同じような余剰車だったら、ひょっとしたら番号を選んだかもね。 マニ50もオニ23と同じ塗り分けにするか
せめて本物と同じ濃紺に塗ってほしかったね
今と違ってお金もいっぱいあったのだし(´・ω・`) マニ50が残念だったからな。丸妻のマニ36とか用意してくれれば。まぁもうまともに動くのなかったろうけど
スエ78はあったよな >>124
マワシェビチェにあった車両達だけど
2018年にフランスに回送後、ずっとレストアしてた様で
どうやらまもなくお披露目になるらしい
そして2024年、パリ五輪に合わせてオリエント急行が復活すると
「伝説の豪華列車『オリエント急行』、パリ・ウィーン間で復活へ」
https://www.designstoriesinc.com/europe/orient-express/ 日本を走ったクルマも含まれるんだよね
東シナのペイントも復活しないかな
それにしても嬉しい話 >>163
今回は新製当時の姿に復元するみたいだから、日本仕様の標記は期待薄だけど
日本人としてはやっぱり見てみたいよね
今回復元される面子だが、元NIOE関連だと箱根のラリック美術館にあるプルマン車と
食堂車プレジデンシャルを除くほぼ全ての車両が入ってる模様
これで元NIOEの客車の消息がほぼ掴めたが、唯一不明なのがプレジデンシャルの3354号車
本当に何処にいるのやら。由緒ある車両故に廃車解体はされてないと思うが... >今回復元される面子だが、元NIOE関連だと箱根のラリック美術館にあるプルマン車と
>食堂車プレジデンシャルを除くほぼ全ての車両が入ってる模様
( ゚∀ ゚) アヒャー
3354号車の行方は気になるけれども
再び日本に来ることは決してないだろうけれども
本当に嬉しい話 いつの日かタルゴのような軌間可変式列車でアジアと欧州を結ぶ国際急行列車が登場するかも。 懐かしい名前w
今生きてたら高齢だろうなぁ
フジのオリエント急行の番組に出てた上月晃も安部譲二も鬼籍入りしてしまった 民営化後の最初期まで汐留貨物駅が生きていたら
あのヨーロッパの駅のような広大な上屋のホームに停車してたら
さぞ似合ってただろうと思う。 汐留は単なる頭端式ではなくヨーロピアンな大屋根がよい
あのような上屋は国内には他になかったからね。 >>170
>>172
同じこと思ってました
他にはない雰囲気がありましたよね汐留 安部氏は塀の中の懲りない面々を書いた作家さんだけど
なんであの番組のキャストに選ばれたのだろうか 作家サンだから文章は上手いが喋りは
濁声と滑舌の悪さでしんどそうだったな >>164の自己レス
しばらく見ないうちに続報が来てた。それも1年近くも前に
外観
https://www.cnn.co.jp/travel/35194672.html
内装
https://www.pen-online.jp/article/011876.html
ウチらがイメージしてたのと大分違うね
ワゴン・リの紋章も無いし、内装もラリックのガラス細工が殆ど...
いや一切残ってない
SNCFが一足先にプルマン車でやってた様な「復元」ではなく、アコーが手掛けた車両たちは
オリエント急行という列車のコンセプトを現代流に解釈し、残された車両を「素材」として
再構築したものの様だ
まぁ、それでも乗ってみたいって気持ちは変わらないけどね >>174
上屋が全蓋タイプで緩やかにカーブしてたのも雰囲気あった バブル日本か・・
中国国内を走るときはアメリカンな中国の機関車・客車(控え車)が一回り大きかったが、
日本国内では屋根やステップの車両限界に引っかかる部分を撤去したんだな 車体の長さは日本の車両より長かったけど、幅はむしろ狭かったから
車端部のステップを切る程度でどうにかなった >>5
品川駅でビアホールにされたりノスビューになったりHITACHIの家電アピール用に12系色になったりと サイエンストレインもあったね。何回も見に行ったな。万博も何回も行った
楽しかった。それに比べて今回
>>180-181
幅は標準と同じくらいでしょ。ただ古いからそれほど長くもないんだよね、
それでも赤羽駅は東北貨物の線路を移動してるんだよな、東北貨物のホーム、地上で単線だった
ずらっと4面のホームが並ぶいまとは隔世の感 >>178
まさかのワゴン・リ紋章なしのペンキでOE(^_^ゞ
あちらの会社ってネガティブなコメントは絶対に出さないから分からんけど
実は装飾品の劣化が相当に進んでしまっていたのかもしれませんね
それでも乗ってみたい・・・ 中央本線は単線トンネルでガリガリしちゃうので恐らく走行不可
四国も高松駅だけだった バブル時代はなんでもありだったらしいよ
特にテレビ界は
この企画は鉄道がテレビにお付き合いしてやったようなものだ