房総を駆け抜けた183系2【ウイングエクスプレス】
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当たり前のように毎日房総を走っていた183系を懐かしもう 快速に乗ってると、急いでる時に限って市川で長停車して特急を待避。
183系の姿を恨めしく見送ってると、その向こうで各駅停車までがこっちを追い越してって…。
あれは実に腹立たしかった。今は生活が変わって、これを味わわされる事はまずないけど。 183系はATS-SとATCしか搭載してなかったが、総武緩行線に乗り入れた時はどうしてたんだろう。
錦糸町―御茶ノ水間がS型にも対応してた?今更の愚問で失礼…。 >>5
1990年にP課される迄はBとS併設だったんじゃないの?
B型対応のキハとか無かったよね? Pイヒ前、EF64、DE10、ゆうゆう東海が走ったくらいだから併設じゃん? >>6,>>7
Thanks!
車両の方は、複数種のATS(ATC)対応ってのもピンと来るけど、
線路がそうなってるってのは、ちょっとイメージし難かった。 線路がそういうイメージないって…
中央快速線もBS併設だったろ 逆に聞きたいがATS-Bだけの線区ってどこかあったけ?
ちなみに俺は埼京線の新宿乗り入れでATS-SとATC併設になったのが、( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーだった >>10
Bだけでどうにかなりそうなのって山手線と京浜東北線(横浜-大宮)くらいかな
埼京線の場合新幹線並行区間でATS-Bだと不安があったんでATC入れたんだよね >>10
こういうのを見つけた。
http://homepage3.nifty.com/kiha/SP/sp-ATS-06.html
>>11
新幹線のATC信号電流が、埼京線のATS-B電流に影響を及ぼす恐れがあるので、ってどこかで読んだ気がするんだけど、
俺の単なる記憶違いかな? 山手線や京浜東北線は東海道新幹線と干渉しなかったのかと思ったが、間に東海道線があったから大丈夫なのかな。
東海道新幹線は60Hzだから大丈夫だったのかもしれない。 183系投入で特急新設、ってなっても、軌道強化とかはなされなかったんだろうな…。
オンボロの線路走らされたのが問題だったのに、車両自体がお粗末みたいに評価されるのは、
183系(設計製造担当者)にとって不本意だったと思われる。 >>16 はあ?
房総特急が走り出す直前の72年春に、土気周辺の路線付け替え、それに蘇我・安房鴨川間の自働信号化が行われているんですけど。
内房線の方は、71年に千倉・安房鴨川間の自働信号化によって、全線自働信号となってますね。
まあ、路線付け替えや自働信号化なんてどうでもいい、と考えている方もおられるのかもしてませんが・・ >>17
自動信号にすると、「自動で」軌道強化もされるの? >>20,>>21
こちらとしては、「列車の高速走行に直接繋がる対策」という考えでいて、
軌道強化(重軌条化)・一線スルー化・複線化・曲線緩和・なんかはイメージしてたけど、
>>17の指摘のような自動信号化は頭になかった。誠に失礼。
タブレットの授受がなくなれば、確かにある程度は運転自噴の短縮にはなるだろうから、
これも考慮しておくべきだったと言えそうだな。 ×運転自噴の
○運転時分の
重ね重ね申し訳ない…。 >>16
1968年に行われた物井-佐倉間のルート変更も忘れないで。
500m距離が縮まったのに、現在もなおルート変更前の営業キロで設定しているという。 183系のパンタグラフが1基使われなくなったのは、いつからだっただろう…。
最初は東京側を折畳にして、後に撤去された、って経緯だったと思ったが。 片側2扉にするのは普通車に限る、ってのは開発段階から合意されてたんだろうか?
グリーン車も同様に、っていうのは確かにピンと来ないけど…。 グリーン車は何より両エンドに和洋便所がないことに対し趣味的に見て格下グリーン車の感があった。 >>25
雷鳥の130km/h運転ていつからだっけ?
そのちょっと前だったような気がするが・・。 「グレードアップさざなみ」とかを登場させるには、走行距離が短過ぎたんだろうか…? >>29
私鉄ではグレードアップ車レベルの車両がもっと短い距離で活躍してるでw さざなみは、アクアラインによってあまりに遠回りルートになってしまったから、どうにもしようがなかった。 4連×2とかで蘇我で分割するとかあったら面白かったのに
かもめみどりと違って当時の東京トンネルでは幌をつなぐことに
なったと思うが 「さざなみ・わかしお」、「しおさい・あやめ(すいごう)」の併結、
がなされれば、「さざなみ」「わかしお」を京葉線経由に変更する事もなかった気がする。
同線沿線の住民は反発するだろうが、京葉線経由化の恩恵に浴せた人数と、不便を託つようになった人数と比べた時、
全車の方が多いとは思えなくて…。 × 全車の方が多いとは思えなくて…。
○ 前者の方が多いとは思えなくて…。 >>34
そりゃまあ
錦糸町、千葉>>>>>>>>>>海浜幕張
だからなあ >>34 蘇我での分割・併合に要する時間のロス。ただでさえも遅いと言われる房総特急を、さらに遅くするのか?
ダイヤ乱れの原因にもなるし。さざなみ、わかしおを京葉線経由にしたから、総武快速線でNEXの増便を図ることが可能になったのでは? 総武快速線は、特急が時間4本まで設定出来ることを前提に、配線が計画されてた筈。
(まあ、現状は錦糸町の通過線が無いので、これを作らなきゃダメだろうが)
NEXの設定当時だと、さざなみの本数がまだそこそこあったから、京葉線へ振ったのは仕方が無かったと思うけど、
今なら1時間当たりNEX2本、しおさい、わかしおでパターンが組めそうな気も。
あやめは朝晩のNEXの一部を千葉。成田停車にしてこれにぶら下げ、さざなみは京葉線経由で放置。
そもそもNEXは時間2本も要らない気がするし。 >>38 NEXは時間2本も要らない
京成スカイライナーの本数考えてみたら?むしろ、不要なのは「しおさい」に「あやめ」だろ。
鹿島や調子に行く高速バスに対抗できないから。 >>39
あやめは既に日中はほぼ壊滅してるが、しおさいの方はバスが銚子まで下道区間が長くて遅いから、
そこまで大ダメージ食らってない。
さざなみには新車投入してもあっという間に落ちぶれた一方、後回しにされたしおさいが逆に生き残れた。 成田空港関係は,始発駅は東京駅だけでなく,郊外各駅からくるわけだから
時間2本あっていいだろう。ああいう列車はいわば広告塔としての役割が大きいから,
乗車率だけで考えるのはよくないと思う。
「あやめ」はもともと4往復だったけど,鹿島神宮は別にして空港以外の
成田山あたりへの需要というのは初詣シーズンでもないとないんだろうなあ。
上りは朝1本,下りは夜1本というのは,昔は日中含めて数本走っていた田舎への
路線バスの成れの果てみたいな感がするね。
高速バスの場合,ビジネス「帰り」には使えるが,「行き」は時間が読めないのが
ネックだとは思うのだが・・・ >>41
東京から出る方は意外とスムーズで、時間通りか早いくらいよ>バス
なので下道の区間が短い佐原・鹿島あたりはバスでもかなり時間が読める。
これが勝浦、鴨川、旭、銚子あたりだと、高速降りてからが遠いので、時間が読めなくなってくる。
勝浦まで線路強化が済んでる「わかしお」なんか、
間もなくお古になるE351でも貰ってくれば良いんじゃ無いかと思うくらいだけど。
あと、「すいごう」とこれの成れの果ての1往復もたまには思い出してあげてください… >>42追加。
首都高中央環状線の北側〜西側が出来たせいで、箱崎が劇的に混まなくなったので、
最近は東京へ入ってくるバスも、ある程度時間が読めるようになってるよ。
「しおさい」なんか、本当はこうなる前にちゃんとテコ入れすべきだったんじゃないかと思うけど。
唯一やったのは183系の老朽取替えだけだもんなぁ。 特急はもとより、鉄道もない神栖は寂れていくはずだったのに >>44
使えない,やる気ない旅客列車が通ったことも忘れないであげてください。 俺みたいにトイレ近いのが怖くてバス乗れないって利用者いないのかな。 >>46
自分が乗ったことがあるのは「かしま号」だけだが,
東関道高速バスは,トイレ設置車が多い。
但し,貸切応援の臨時便は…。 「183系は、頻回に停車するんだから、従来の特急型と同じ性能じゃなくて、
最高速度は抑えても、高加減速性能の車両にすべきだった」
って評する向きもあるようだが、どんなものだったんだろうか…。 >>48
房総向け専用車としてならその考えでもよかったが、実際のところ直流区間の汎用車として考えられた車両だし、
あずさとか181系と同じ列車の運用に就くこともあったから、性能的には同じくらいにせざるを得なかっただろうな。 6M3Tもあればそんなに加速悪くないし負荷も少ないでしょ。 ホームライナー千葉でお世話になった、それも189になりダサカコイイE257になり。
国鉄特急の天井内装、メラミンをネジで止めるシンプルな開放感が好きだった。 >>48
どういう理想があってもいいけど
その当時の国鉄の懐事情を考えてあげようね。 秋葉原のホームでは晩年においても美しかったなぁ…。
特別急行を名乗るに恥じないオーラがみなぎっていた。 わかしおに乗るたびに、急行外房と速度も停車駅も変わらないボッタクリ特急としか思えなかったけど、たまに同じマリの183系のあずさに乗ると、山岳路線をものともせず力走する姿に興奮したのを覚えている。 「あずさ」に転用する時は、5号車以外の号車札を全て入れ替えなきゃいけなかった。
8両分32箇所だから、何人かで手分けしてやったとしても、一仕事だっただろう。
しかも、平素の5・6号車(「あずさ」としては5・4号車)に関して、「自由席」から「指定席」に表示替えする必要もあった。 >>55
違うよ。@号車の号車札の裏はH号車、A号車の裏G号車…。
裏返しにするだけだよ。 >>40
さざなみが落ちぶれたのは何年か前に突然平日日中のさえんざなみを全廃したことだよ
千葉支社は旅客減を理由に全廃したけども、あれで一気に高速バスに流れたもんな
また183系8連だったのが2004年12月ダイヤ改正でE257系5連になって木更津からでは自由席は
混むようになったのも原因かな? さえんざなみって何かと思ったらw
それはさておき、たしかに空気輸送だった感は否めないが、
今は日中に走ってないのかー。
かつてのL特急が日中走ってないってのは寂しいモンだなぁ。
どちらかといえば さざなみ わかしお よりも地味だった印象の
しおさいが未だに健在なだけに。 竹岡であとから来る特急待避する普通があったくらいだったのにな〜
今日中の普通は青堀から先は閑古鳥が多い 竹岡って1人だけ仲間はずれみたいに1本も停車しなかったな。
那古船形もそうだが・・・。
そしてなぜか「君津市」なのに君津も停車しなかった。 君津に停まらなかったのは、木更津と連続停車になるのを忌避したせい(1985・3・14改正で一部が停車に)…?
ちょっと想定し難いけど、そんな気もしなくはない。
或いは、何らかの政治的な力が作用してたとか。 >>61 千葉以南の主要都市、木更津に隣接しているのと、近くに海水浴場等の観光地がないから通過していたということなんでは?君津って製鉄所しかないだろ。
最近になって道路事情がよくなり、この辺の観光地に鉄道で移動する客が減った(マザー牧場を初め、中途半端な観光地ばかりで飽きられたということもあるのかもしれないが)から、通勤やビジネスの客を見込んで君津に停めるようになったのでは?
マザー牧場の入口、佐貫町の凋落とは裏腹かもね。 >>62>>63
だいたいそういう理由だとは思うけど,
この区間の連続特急停車駅なんてむしろ珍しくない。
というのも,木更津〜館山間では,君津,竹岡,那古船形以外全部特急停車駅。
確か昭和50年3月改正時にこの区間に快速列車があって,この快速が通過して
特急が停車する駅が3駅あった。青堀とあと2駅は忘れたが,
普通列車が停車して特急が通過する奇異な駅として当時は有名だった。
他同種の駅は,新大阪,神戸,西明石,三島だけだった。
新大阪,神戸,西明石は新快速が通過。
三島は上り344M(大垣夜行)が通過。 君津は急行すら通過だった気がする。
確かに駅前に何にもなかったが・・・ 君津は、大規模な町村合併で市になったわけだから、中心市街地の規模は大したことない。
もちろん、市になるための中心市街地要件は満たしているが。
市原や富津にしても同様。広域町村合併が早くから行われていたのが、千葉と埼玉の違いだな。 >>64
>快速が通過して特急が停車する駅が3駅あった。青堀とあと2駅は忘れたが
佐貫町と保田だね。 70年代であっても、内房の海水浴場に接した駅なんて、夏以外は利用客が非常に少なかったと思うのだが。
それでも、通年、特急を停めていたということんんだろうか? >>68
そうだよ。
結局のところ,ドングリの背比べみたいに駅が並んでいるから,
どれか1つに停車させると他にも停車させざるをえない。
昭和50年3月10日改正時点での「さざなみ」停車駅。
東京,錦糸町,千葉,木更津,青堀,大貫,佐貫町,上総湊,浜金谷,保田,安房勝山,
岩井,富浦,館山,(千倉)。
自分の脳内の話で恐縮だが,
全国主要各線の8割方の駅名は順番に頭に浮かぶのであるが,
木更津〜館山間が怪しくなるのはこの特急停車駅のせいだと思う。
駅名覚えの理想としては,郡山,福島のような大駅があって,
本宮,二本松,松川のような中駅があって,その間に1〜3駅程度に
小駅がある状態だが,内房のこの区間は「中駅」だらけで順番が
頭に入らない。
余談だけど,毎日各駅停車に乗っている路線は,
意識しなくても順番を含めて駅名が頭に入るというのは鉄道マニアに限らず
非鉄一般人にも当てはまるとか。 木更津、館山間で浜金谷だけ停車の特急があったし、時刻表の文字が太字で書いてあっただろ >>69
>余談だけど,毎日各駅停車に乗っている路線は,
俺もこのスレにいるから鉄オタではある訳だけれど、
八街から神田まで電車通学していたときは、
総武各停の中野辺りまでそらで言えたわw
東は八日市場辺りまで言えた。
覚え方はたしかにキミと一緒。 >>70
なまじ,自分の記憶の引き出しの中で「馴染みのある駅」が続くと,
却って覚えられないもんだよ。
ある一時「努力」しても,半年ほっとくとあやふやになる。
試験前の3日間だけ努力しておいて記憶を保つパターンだなあ。
馴染みの度合をABCとすると,AとAの間に10駅くらい
その10駅のうちBが2〜3駅均等というのが理想的だな。
飯田線は豊橋か辰野から順番ならば全部思い出せる。
ただし,いきなり上市場なんていわれるとえーと南半分のほうだけど
水窪のあたり・・・うーん水窪より北だと山奥になるから違うから
えーとえーと・・・となってしまうが。 60・3・14改正で、「あやめ」「すいごう」は佐原以東各停になったが、
「しおさい」は全区間特急で残った。
この辺りは矢張り、「本線」経由の列車の貫録だったのか、と思える。 今日は車が使えなかったから、しおさいで出勤したぜー(。A 。) 183系がホームライナーで使われてた時は、6両で足りたんだろうか。
時期によってはその両数になったけど。 36年前の今日、宮脇俊三氏は「最長片道切符の旅」で「さざなみ10号」に乗った。
当時は、氏は余り有名じゃなかったような気がするけど、
誰かがそれ(あの「国鉄全線完乗者」だ!)と気付いたりしたんだろうか…? >>76
いちいち気づかないよ。
まだそれほど有名でもない。 クハ183-0の運転台側のデッキは狭かった(805mm)。
乗降は結構大変じゃなかっただろうか…。 >>78
はい、春場所に両国で下車しようとした力士がデッキで身体が抜けなくなり、窒息寸前でレスキュー隊が出動しました
からね…。
結局、前面貫通扉を開けてそこから下車してましたよ。まさか183系の前面貫通扉がこんな時に役立つとは思いません
でしたよ。 >>79
入れたところから出れなくなったのか?
それとも車内でいろいろ食べ過ぎたのか? >>81
ですから両国始発、終着の優等列車はいつでも力士が乗降できますように乗降扉の幅ややデッキが広い
急行型ばかりだったでしょ?
“論より証拠”いや、かつての相撲界では“前面貫通扉より153系”と言われたくらいです。 多くの力士が両国まで電車で移動するものだから、モーターに負荷がかかり総武線沿線で変電所のヒューズが何度も飛んだからな。
両国発着の153系はオールMだったなあ・・ かつての房総急行にキハ35も使われた本当の理由がわかるような気がしないか? となると183系の場合、ドアの数増やすより、片側1ドアでいいから幅広げた方がよかったのか…? 房総地区の113系にクモユニ74が併結されていたのも、海水浴に行く力士の移動にも使えるからだ。
183系も、2mの両開きドア1個にすることが真剣に検討されていたからな・・ >>85
ドアの数が多くて幅も広いNEX車が最適ってことかな。ゴルフバッグも置けるし。 >>82
バカも休み休みいえよ。
両国がターミナル駅としての全盛時代は,相撲は蔵前だよ。 栃錦の時代に両国国技館ができたと聞いたぞ
だから昭和30年代前半か >>90
お前ナンだな?
最近見ないと思ったら意外なところでカムバックか クハ183-0に関してはもう1つ、運転助士席側にあった小窓が戸袋窓だったのが特徴的だったと思える。
特急型車両に戸袋窓、というのは、当時は他に例がなかった筈だから。 クハ183-5にかいじで何回かお世話になった、狭いドアに注意しとくべきだった。
今なら車椅子対応で幅広ドアなんだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています