ED70【交流専用機関車総合スレ 】EF70・50/60Hz
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ED70、60Hz ED71、50Hz ED73・そして短命に終わったED74、
交流区間の標準となったED75、やはり少数派だったED75300番台
そして変わり種のED30、北陸地区無煙化のエースEF70、
ゴハチの引退に伴う直流機関車化候補だったが、あえなく廃車。
もし実現していたら形式はどうなっていたのか?
セレン・水銀・サイリスタと様々な整流方式が採用された。
初期の機関車では雲母の製造が大変難しく、初期不具合が多発した。
あけぼの牽引では重連で頑張った矢板峠のEF71。
磐越西線無煙化のエースED78、901号機の屋根上の特徴的なドームには
当時斬新だった。
青函トンネル専用機ED79、交流電気機関車では初めてシングルアームパンタ化された。
最大勢力を誇ったED75も貨物は全廃、残った旅客用も風前の灯に・・・
九州のED76も風前の灯にJT塗装のED76が懐かしい。
そんな絶滅危惧種に成りつつある交流専用機関車について語りませんか。
なお、交流区間専用であれば電機・蒸気・DLは問いません。 >>101 >>99
つVVVF方式へ交換の205-5000番代てのは?@武蔵野・京葉線。
担当の気分次第って気もするけどなぁ。
64の時は、同一形式じゃ無いと本社を通れなかったはず。
いつの間にか組合のせいとは!?
高速試験とか481就航前の試運転とかは国労組合員の運転士が担当してるよ。
瀬野八で1ユニット・カット起動試験とか、湖西線の高速試験とか。
保線が特に典型だが、自分たちの怠慢・エラーを「国労の非協力」という呪文ですべて免罪するズルがもう組織的にやられてる」。 >>98
サイリスタだけなら75や76みたいに番台区分だったかも知れないけど、79は軸重も歯車比も変わってるしな
DE11や72、73はSGと軸重で新形式だし、青函専用で当時は注目されてたから、81や61みたいに番台区分
ってわけにもいかないでしょ
>>99
どうせ新線だし訓練しなきゃいけないから64-1000みたいな組合のアホどもの縛りはなかっただろうね ED700とかEF700とかEH700は出てこないんだろうなぁ
EF72もないな あ、EH800がもう交流機なのか
今の形式区分がよくわからんorz 100、400、700が直流電動機、200、500、800が交流電動機、
100〜300が直流機で、400〜600が交直機、700〜900が交流機
700は直流電動機の交流機だからもうありえんね。ED79の次があったらED700だったかも知れん >>107
おお、ありがとです!
なんか国鉄型の区分が染みついてるオッサンにはややこしいね バブルの頃、青函トンネル開業ブームの頃、
ED76-550番台が登場したな。
たった一両しか改造されなかったが・・・。 ED94 デッキ型
ED70 跳び箱スタイル
ED71 EF60顔
ED72/73 ヨーロピアンスタイル
ED74 EF80顔
昭和35年前後の機関車の方が面白い EF64、ED74以降EF66を除き非貫通、貫通形共画一化されたね、特に交流機は。 >>110
いろいろ違ってね?
デッキ付きはED45とかだろ
パノラミックの二枚窓はED46からEF60へ。それをくの字にしたのがED72。72や73と同時期に二灯にしたのがEF80と
貫通つけたEF62。以下略 交流機でもEF66のような斬新なスタイルが出ても良かったね 空転防止には砂を撒くのではなく、力行しながら単弁を扱うのが最も効果的らしいね 仙山線のED78で
軸重設定14tで重い列車を牽き出すのに苦労して
16t設定で牽き出したという話があるとか
規制緩和後の大型トラックにも似たような機能があるな
他の軸重替えれた機種でもこんな話はあるかもしれないね あれ仙山線って以前はED16じゃなかった?
交流電化前ね。
米福線だったっけ? 仙山はデッカーとかED14。ED16は上越。福米はEF15とEF16 良く解らないんだけど、
>>119
の場所は上越線を除いて交流電化にしてしまったけど、
せっかく直流電化にしたのにそのまま直流電化を推し進めていけば、
東北本線の黒磯口も直流電化してたんじゃないかな?
無駄なことだと思うけどなぁ・・・
一旦直流電化にするとか意味がわからん、無駄な設備投資じゃないの? 直流電化と交流電化の長短調べて、自分の脳ミソ使え!
変電所が余計に必要になる、電車による過密ダイヤ運転が求められるか?
といった要因によるコストパフォーマンスの比較 だって最初に直流電化したんだぜ、
地上設備だってデッドセクションだって直流電化だろうが交流電化だろうが
必要なんだよ。
未電化区間から交流電化なら話は解るが、最初直流電化までしといてEF64まで入れてるんだよ。
それなのに、また交流電化にする意味がわからんっていうことだよ。 仙山線が全線交流化された68年頃、将来の奥羽線山形以北の電化が計画されていたわけでしょ
羽前千歳、山形間が直流のままだったら、山形以北は直流にするのかね?
それとも羽前千歳で交流直流切り替えて、電気機関車付け替えるの?
値段高くなる交流直流両用車両入れるわけ?
コストパフォーマンス考えようよ 直流電化したのは、直流電化しかできなかったから。長大トンネル、特に勾配のトンネルがある幹線は煙害で
乗務員バタバタ倒れたから優先的に電化されてる。
碓氷、関門、板谷、上越はそれで電化が早い。で、そこらが直流電化された後に交流電化が実用化された。
仙山の直流電化はトンネルある一部区間だけ。機関車もボロだから問題ないねw
福米は福島、米沢で交直切換する選択もあったかも知れんけど地上切換は設備が大がかりで機関区も
操車もある福島では無理。デッドセクションだと結局、EF81と同時期に勾配用交直機を開発しないといけ
ない。どっちにしろ64はお払い箱。まぁ行き先決まってたし、無駄になったのは直流変電所くらいじゃね。
それもなくて済むようになったんだから無駄ではないね >>124
いやEF71を新規に作ったんだよ。
それでも無駄ではないと思う?
EF71なんて30年使わなかったんじゃないの?
それに比べてEF64は旅客ではまだ現役。 EF71新製コストと、交直切替の大がかりな地上設備などのコスト比較、
それに車両運用の共通化の問題など、総合的判断ができそうにないヤツがいるんだなあ♪ >>122
板谷向けの64は最初から将来の交流転換→他線転属を見込んで製造した
(発電ブレーキ採用もこれ以上直流変電所を改修せず新型機入れるため)
ED78・EF71が25年弱で消えたのは国鉄解体と新幹線の都合で路線自体が梯子外されたんでまた別の話だ… うーん、まあなんつーかさ、色々試してみたかったんじゃないの?
メーカーとしても金のなる木じゃないけど色々皮算用して煽ってたとかさ 交流電化方式の開発試験の線区を、一部直流電化、残部機関車牽引の仙山線に選び、
3方式の開発比較試験を行ったから、意図的に3方式で運用した。
この試験結果でまず北陸線の交流電化を行ったから、
開発試験地が仙山線(ED45の三種)、初の実用化が北陸線(ED70)ということになっている。
当時の列車のは「機関車牽引」が常識で、特に蒸気機関車は水と石炭の補給で長くない距離で必ず停車したから、
その停車時間で機関車交換するのが当たり前の感覚だった。
北陸線米原−田村間を蒸気機関車牽引として南は直流機、北は交流機という原始的な方法を採ったのはその感覚だ。
いくら何でもと、黒磯は地上切り替え。
その間に急速な電車化で、通勤圏常磐線や関門の直通運転要求が強まり交直流車を開発。
電気機関車も長距離運転要求で交直流機を開発。
結果的に直流変電設備の2重投資になってしまった。
電車化・長距離化を見通せずに交流・直流それぞれのコスト比較を行ってしまったエラーではあるが、
もう一面は、交流電化成功が新幹線の基礎技術になっている。(直流では無理だった) >>125
タップ昇圧の段間を磁気増幅器による位相制御で無段化して粘着限界いっぱいの運転のできるED75が入線したら、
高圧タップ式のEF71では、水銀整流器をシリコン整流器に換装したけれど、メンテが面倒なだけで、
使い勝手の良い方に運用が統一されてやや短命だったんじゃ無いの?
直流機だって分割民営化前後に大量処分されてる。
大量の首切り合理化で手が足らなくなったから、傍流機から捨てられるのは当然。 高圧タップはED71。EF71は低圧タップのサイリスタ位相制御。水銀はED73までで、EF71は最初からシリコン
DとFを間違ってググっちゃった?もう一回やり直しw EF71は直流機に変更する計画は無かったのか?
車体だってED78の最終ロッドにしたって10年ちょっとしか使用していない・・・
いったい何十億無駄にしたんだか・・・
EF71はEF69にすべきだったような希ガス。 >>132
先に大量余剰になったEF70での計画倒れが影響してるのかも
まあEF62で誤魔化してるうちに荷物列車も廃止の方向だったし
直流機が足りない事態はそれで解消しちゃったのかもね というか交流機関車を造りすぎたんだろうね
直流車はほぼすべてEF級で、あとは平地用か山用しかなかった
交流車はその他、周波数の違い、動軸の数や遊軸の有無、整流素子の違い、SG搭載の有無で矢鱈に形式が増えた
EF級はED級の重連で、軽負荷なローカル線用はディーゼル機関車でもよかったのではと思う >>129 交流の方が電圧高いから、より細い電線で大量の電気を供給できる。変電所が一段階不要であることもあって、送電設備に要するコストを節約できるという利点がある。
60〜70年代、直流電化だけだったら、電化の進捗はもっと遅れていたと思うが。 EF70の高圧タップ制御は、抵抗制御、則ち直流電機の制御に近く、則ちEF65を交流にしたものと考えても良い。 俺が思うにEF71やED78の短命原因は使用路線の改軌が一番大きかったと思う。
そりゃわざわざ1067mmから、1435mmに機関車だけ変更しないからな。
救援機関車1両ぐらいは変更しても良かったと思うけど、
クモヤを改軌しておまけに逆に交流化してまで使ってるのは良くわからない理由だけど。
直流から交流、或いはその逆の交流から直流なんて簡単に出来るんだろうか? DD18とかDD19は改軌したけどね
交直両用じゃない限り、交流化も直流化も簡単にはできないからモーター以外の制御機器まるごと載せ替え
クモヤ743は改軌もしてるから車体だけじゃないか、流用してるの
EF71は改軌が直接原因だけど、ED78はその後も仙山貨物で使ってたから。客車列車の廃止と貨物の廃止が
たいていの原因。20年弱で廃車なんていくらでもある。 >>131
EF70とEF71の混同>>130。EF70が水銀整流方式で登場し、後にシリコンに換装されている。
当初の交流電化は車載水銀整流器(=イグナイトロン、エキサイトロン:単極水銀整流器)で実現したが、
これを安定動作で扱いの楽なシリコン整流器に換装した。
当時まだ信頼性に疑問のあった大電力シリコン整流器を新規採用するに際して、その経過から考えると、
もし失敗しても水銀整流器に戻しやすい構造として、ブリッジ整流とセンタータップ整流を比較した場合、
加熱や点弧・起動で複雑な陰極周辺回路を持つ水銀整流器を
●ブリッジ回路では使いたくない。∵電位の異なる陰極とその周辺回路が3組必要。
●センタータップなら2陰極共通の1電位だが、タップ切り替えが低圧では2組必要。
前置の単巻き変圧器で電圧調整する高圧タップ式なら1組で済む。
こういう事情から、高圧タップ式で、センタータップ整流方式を選んで、
水銀・シリコン両用構造の保険を掛けて、まだ脆弱だったシリコン整流器を怖々採用した可能性が強い。
すなわち最初のシリコン機は、万一の場合に水銀に換装しやすい高圧タップ式で作り、
その運用実績を経て低圧タップ式(単位スイッチ)+位相制御(磁気増幅器:段間)+ブリッジ回路(ED75)方式に収斂したと考えられる。
>>136
交流電化は実質が直流変電所の車載化で、列車密度の低い線区で安上がりは確かだから亜幹線電化に採用したけれど、
急速な電車化は想定していなかったので交直直通要求で矛盾を生じてしまった。
非過密線区単独で交流電化が安上がりなのは否定してないよ。直流区間と高頻度で直通するとこに交流を採用したことの問題。>>129
北海道は全交流で無問題。九州は関門と地下鉄の直流を切り離してやや強引に無問題化(w。黒磯は交通圏が分割されて何とかOK。
矛盾が顕在化したのが北陸線と常磐線で、前者は交直セクションを次々移設して調整してきたが、
常磐は移せなくて通勤圏に交直セクションを置く増発のネック。取手まではゲタ電の走る直流複々線だが、その先の新興住宅地域には交直流車しか入線できない >>131 >>140
元の資料の読み誤りをしていた!スマン。
EF70は二段トランス:高圧タップ式だが、整流器は最初からシリコン整流器で出場。
当時のシリコン整流器は高逆耐電圧のものが得られず、
5素子〜6素子を直列にして各素子に分圧抵抗を噛ませて逆電圧の均等化を図るなど、
実用的信頼性確保にかなり涙ぐましい工夫をしている。
6素子直列型では3段目から呼称警報電圧を採るなど、怖々使っていたことが判る。
EF70では高圧タップ式のシリコンブリッジを採用しているとWiki記事(w。最初からググるべきだった。 >>141
× > 6素子直列型では3段目から呼称警報電圧を採るなど、怖々使っていたことが判る。
○ > 6素子直列型では3段目から故障警報電圧・・・・・・ すまない、専門的すぎて何が何だか俺にはよくわからんorz まあとりあえず、交流にも色々な問題があるのが、
内容は分らないけど判った気がする。 >>143
つまりブリッジダイオードで直流にして、
大容量の電解コンデンサーで整流してるっていうことだよ。
電解コンデンサーの耐圧は2000Vぐらいか。
電界効果トランジスタがまだ無かった時代の、
シリコン整流器の初歩的な回路ですよ。 >>140 常磐線の取手以北の電車本数が増えない原因
藤代、佐貫周辺は低湿地帯が多く住宅建設をする場合に土盛りが必要で、建設単価が高くなる。
その先、牛久辺りには台地があるが、都心から時間がかかる。
バブル期、比較的地価が安かった茨城県南部方面まで住宅開発の波が及んできたが、バブル崩壊し地価が下がったため、低調となった。
沿線人口が増えないので、本数増やす必要なし。その点、TXは台地状の地域を通るので沿線の宅地開発に成功し、沿線人口が増えている。
まあ、旅客需要があれば、交直流車両で本数増やせるんだよ。 常磐線は全部交流にできなかったかなあ
快速線の路線は上野からほぼ独立しているから、できないわけないと思ったけど
電車はM比の低い交流電車が使えるし、機関車もD型を使えるのでコストも交直流より抑えられる
諸外国は交流電化に統一されている場合も多いわけだし >>147 新松戸周辺、金町付近、それに三河島付近に交直切替ポイントが必要になるわな。
それと、上野駅の構内、常磐線は快速電車含め、全部専用ホームとしなくちゃならないわな。
山手線に近い上層ホームに常磐快速を止めることができなくなる。
常磐線は交流電車だから、整備のため尾久に回送することもできなくなるのか。
これだと、70〜80年代の多客時、上野駅の配線がパンクするだろうなあ。
車両だけ見て、線路とか施設上の問題考えようといない奴が結構いるんだなあ・・ >>146
単純に東京から40km以上離れてるってことも大きいだろうな。
これぐらいの場所だとそろそろ都心への通勤が億劫になってしまう距離だから。
これでも、千葉より先の房総や高尾より先の中央線に比べれば電車も便利だし客も乗ってるけど。 ついでに、昭和30年代、常磐線上野まで交流電化した場合に、必要なものを考えてみる。
1)長距離列車の整備のため、尾久の代わりとして三河島付近貨物線側に施設を設ける。
三河島付近で、朝ラッシュ時に推進回送の列車が上り線を横切って整備施設に入るため、上りの通勤電車のダイヤに制約が加わる。
2)上野に常磐線用にさらに2線追加する必要が生じるが、20番線(当時)よりも東への駅拡張は困難。
20番線まであっても、品川特発で乗り切らなくてはならなかったことがあることを考えよ。
上野拡張が無理ならば、三河島付近に長距離列車専用のホームを設け、そこで捌くしかないだろう。
北千住はスペースがない。南千住は、日比谷線の位置を移動させれば可能かもしれないが。
いずれにせよ、不便になる。 まだ問題点あるな。
3)隅田川貨物駅は田端方面からの連絡線含めて直流電化のままとするならば、常磐快速線の北千住方面からの引き込み線に交直切替ポイントを設けなくてはならない。
常磐炭鉱からの石炭積んだ同貨物駅行きの貨物列車は、交直流電機牽引としなくてはならない。
4)東北線が事故で常磐線に貨物列車を回さなくてはならない場合に備え、交直流電機を相当数、用意しておかなくてはならない。
5)我孫子の車両基地(松戸車両センター我孫子出張所)では、直流の緩行線車両と交流の快速線車両を一緒の電留線に置くことができなくなる。
電留線の運用に支障が生じる。松戸の車両基地拡張して、緩行線車両をそこに集中させるか?
6)JRの緩行線車両が修繕のため大井の車両基地に向かう場合、快速線を通過するわけだが、電化方式が異なるから快速線上を自走できなくなる。
交直流電機に牽引されて大井に向かわなくてはならなくなる。
東京周辺で交直流電機が、もっと多く必要になるだろう。 もしも交直流機がなかったとしたら…
トワイライト色のEF70とか想像すると胸熱
トワイライト色のDD50はちょっと微妙だな >>152
それは湖西線が存在しない、と言う前提で言ってる訳だね >>152
DD50は登場時の塗色を考えると違和感ないと思うけど >>153
そうなりますね
もし湖西線が存在してて交直流機がなかったとしたら
永原〜近江塩津は坂田〜田村のようになっていたのかも
ところで急行きたぐにのPC時代最終期って坂田〜田村間が交直セクションだったっけ?
PC最終期も牽引機は米原までEF58、田村までDE10、その先EF70?
それとももうEF81になっちゃってた?
>>154
濃い茶色に塗装してななつ星を…いや、なんでもない >>155
湖西線の場合は既成通りではなく、近江今津に黒磯の様な方式の交直切換施設や配線路が出来ていたかも知れませんね。
(当然ながら管轄管理局も近江今津以南が大阪で以北が金沢) >>156
近江今津の地上切り替え方式も思い巡らせておりました
それはそれで胸熱です ED75最強!
重連で「ゆうづる」を牽引したP型はもうヨダレもの。
赤い車体に赤いHM着きの昭和60年以降の姿が最強! ブルトレを牽くEF70-1000の雄姿を一度この目で見てみたかった
当時HMは付けてたんだろうか?
つべでEF81と重連で貨物牽いてるEF70を発見
前が70で前パン、後ろが81で後パン
総括なんて出来ない(よね?)から81は通電してるだけの回送かな?
それとも協調?な訳ないよね
>>160
RJに100`出してるED75の高速貨物の運転台とか
表定速度28`のED75貨物のルポがあったなぁ
1003号機は台風かなんかで陥没したとこに突っ込んで廃車だったっけ?
その写真も載ってた記憶がある EF70のヘッドマーク付き写真は見た事があるが、実際に見た事がある人は少ないのでは。
おじさんには懐かしい敦賀機関区の撮影会ではヘッドマーク付きのEF70が並んでいたが。
私は、九州のED75が好きだった。ED73が健在だった頃はED73の方が好きだった。
この動画で思い出した。
http://youtu.be/Fgt9M8w9vY0 >>162
敦賀二区の撮影会行きましたよ
小三の頃だったからもう三十年以上前か
拙い写真を引っ張り出して来て見ると
EF70-1、1001、36、1002、EF81-1の並びがメインだったのかな?
順に白つるぎ、日本海、御召仕様、日本海、青つるぎのHM
EF70は他にも彗星、あかつき、かもめのHMを付けてるのもありました
でももうEF70は大量余剰が発生してる時期なんですよね
庫内のEF70の運転席に座れたのはいい思い出になってます EF70の保存車が1両も無いのが悔やまれる、
高崎のは横川へ持っていったらしいけど直流機関車の中に交流機関車展示だし
しかもあれ野外展示でしょ?
くち果てるの早いだろうなぁ・・・
西日本は吹田にあったような気がするけど、
確かEF15や60なんかと一緒に解体したんじゃなかったっけ? 吹田にいたのは78-901と77-2、EF70-70だっけ?
一度か二度ぐらい吹田撮影会にも出てきたね
撮影会はわざわざ門司から76の試験色持ってきたり気合い入ってたなぁ 利府の交流機関車郡も交流電気機関車館にして屋内展示にしないといけないよね。
あそこへEF70を持っていくのがいいのかもしれないけど、
50Hz区間に60Hz専用電気機関車がいるのもおかしいかな? >>166
何で東北と関係ない機種を利府に持って行かねばならないの?
利府のは東北で活躍した機種だから、そこに置いておく価値がある訳だろ。 門司港レトロの側線に持っていけば?
EF30 1が置いてある所だがEF70も縁があると言えばあるだろ >>163
敦二の撮影会懐かしいな。あの年の夏は米原も浜松もやってたんだよな
18切符で敦二の撮影会いって、山陰回って旧客乗って、帰り際に米原寄った覚えがある
いい夏だった
>>164
能書きはいいから朽ち果てる前に」横川行って1001みてきなよ。縁だの活躍してただの、暢気だねぇ まあ保存するには先立つものが必要な訳で
拝観料でペイ出来るのならば可能性もあるのかもしれないけど
ここでどうこうするべきって言ってても現実は厳しいんでしょうね
EF70に牽かれた「きたぐに」や旧客に乗った事、敦賀二区での撮影会
幼い頃の記憶とはいえ、脳裏にずっと保存しておきます 公園機関車は反対だな、
せめてEF577みたく屋根つけてほしい、
元宇都宮運転所のOBの方の熱意が感じられるね、あの機関車は幸せ者だよなぁ。
義経と静香のようにEF5621とEF577を再会させてやりたい。 >>171
人もだが管理費出せるかどうかという感じだな
船岡のED71も最初は出してたが90年代半ばから… >>155
1983年4月から
大阪〜米原 EF58
米原〜新潟 EF81
1982年11月に14系に変更されてから4カ月半は田村〜富山EF70使用かな? 11:40〜 EF70-9の釣り掛け音が聴けます
https://www.youtube.com/watch?v=eqNVdv5F0oY&list=PLeaqvL2kJ_clOBnQ2xP93BpQfB0SvkObz >>176
事故が起きたときは百零にしたい?
100を0にしたいって言ってるのか
関西弁は聞きづらいわ 大半の交流機関車がマーク付きの定期列車担当したことがあるんだな ED74の前照灯もEF80みたいに引っ込んでいるんだな 直流機には引っ込んでいるのが一機種もないんだよね(´・ω・`)
好きなのにアレ その後引っ込んでるのが出なかったのは不具合があったのかな? ED78とEF71の重連
全ての組み合わせ別の仕業があったとか
71×2の仕業が一番少なかったらしい >>186
書類上はそうだがED78を仙山線に割く都合もあって臨時や運用変更があると回送目的のEF71重連が出た >>186
板谷スレあるぞ。元々EF71は補機目的だから。でも末期はED78が仙山に回ったから板谷は1往復除いて
EF71だけになった。あけぼのもED78重連がEF71重連になったり。夕方にはEF71重連に50系3両の福島行
があったな >>189
あいやすまんことで
先日購入した「証言」日本国有鉄道って書籍にOBさん等のインタビューが載っていまして
EF16やEF64にも触れているので直流時代からの方々らしく…
末期の話は皆無だったもので
あまり話題に上がってこない機種もありますれば
板谷の事に限らず、交流機の一つのネタ振りになればと思ったので御座います
ではついでと言っては何ですがも一つネタふりをば
イエローナンバーED73-1000
黄色文字なんて交直含め他にありました? >>190
ED73は門司区所属だったな。
同僚で関門通過用のEF30及びEF81-300番台が、黒地に黄文字のプレートを付けてた位だろうな。 >>191
ステンレス地にメッキとかステン切り文字とか白とか目立ちませんもんね
ローピンにしちゃった81-300は白なんですよね ちょっと前までJR九州の中の人?がED76の前面展望をつべにうpしていたな
確か西鹿児島〜熊本間の貨物 昨日敦賀で機関車等展示
475系くずりゅう、81-113トワ機HM付、81-108ローピン日本海HM付
当たり前の話だが、三十数年前のような70の姿はない
つーか、もう直流区間だしなorz ED74は保存機がひとつもないんだな
DD54は1両あるだけ幸せだなぁ ED74は言い方は悪いかも知れないが左遷先(九州転用後)のほうが花形として活躍した気がする。 74は特に保存する理由も無いような…
合の子みたいな感じだし >>200
EF71はED71、75、77、78共々1号機が利府の新幹線車両所で展示
(最近は公開日も敷地に入れなくなってる辺り実質放置だが) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています