ED70【交流専用機関車総合スレ 】EF70・50/60Hz
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ED70、60Hz ED71、50Hz ED73・そして短命に終わったED74、
交流区間の標準となったED75、やはり少数派だったED75300番台
そして変わり種のED30、北陸地区無煙化のエースEF70、
ゴハチの引退に伴う直流機関車化候補だったが、あえなく廃車。
もし実現していたら形式はどうなっていたのか?
セレン・水銀・サイリスタと様々な整流方式が採用された。
初期の機関車では雲母の製造が大変難しく、初期不具合が多発した。
あけぼの牽引では重連で頑張った矢板峠のEF71。
磐越西線無煙化のエースED78、901号機の屋根上の特徴的なドームには
当時斬新だった。
青函トンネル専用機ED79、交流電気機関車では初めてシングルアームパンタ化された。
最大勢力を誇ったED75も貨物は全廃、残った旅客用も風前の灯に・・・
九州のED76も風前の灯にJT塗装のED76が懐かしい。
そんな絶滅危惧種に成りつつある交流専用機関車について語りませんか。
なお、交流区間専用であれば電機・蒸気・DLは問いません。 ifの話してスマンが
ED76 500~が別形式で出てたら
ED79はどうなってたんだろ >>1
矢板峠?
磐越西線のエース?
突っ込みどころ満載だな 交流機って50Hz、60Hz、整流素子、暖房の有無や種類、さらには補機用とかで、少量多品種なんだよな
せっかく経済的な交流電化でも、これほど多品種の機関車作ったらコストに見合わないんでないかな >>6
新幹線や直流車両にも技術が反映されたとはいえ交直接続の問題含めかなりの勇み足でやったからな… 北陸本線電化の立役者 ED70
東北本線の先駆者 ED71
九州北部電化のパイオニア ED72 とED73
少数ロットで目立たない悲運の ED74
交流電機のスタンダード ED75
九州のエース ED76
ディーゼルに駆逐された道産子 ED76S型
磐越西線のニッチャー ED77
仙山線の山男 ED78
青函のワンポイントランナー ED79
北陸本線の王者 EF70
板谷峠のシェルパ EF71 >>9
ED75300を忘れてるよ。さくらの先頭に立つ姿が忘れられない。 「空転時の再粘着などの粘着性能では、交流電機のED級は、直流機のEF級に匹敵する!」
と交流電化の利点が宣伝されていたが、何か広大広告のような気がするが、・・・。
交流専用電機の最大の利点は、当時の技術では、回生ブレーキを導入し易い、と思う。 確かに交流機は雨の日など初期の電気機関車は絶縁が悪くピリピリ来たらしい。
落雷が一番怖かったそうだよ。 関西人の俺にとって交流機といえばEF 70だな、はじめての出会いは海水浴の帰りに乗った臨時急行立山で12系客車だった、当時は雷鳥に乗りたがって泣いて親に抗議したが今思えば貴重な経験が出来たて有難いよな。因みに往きは臨時急行加賀でEF 81と14系客車でした。 ED72/73は
機械室の騒音がうるさいと不評だったらしい >>17
EF70は1次型が大好きでした1灯ライトに側面のエアフィルターの形状が
EF61に似ていて好感が持てました。
2次型はシールドビーム2灯でEF65に似ていましたね。
EF70は2次型が宮原の保管庫に確か1両EF15なんかと一緒に保管されてた思うのですが
現在はどうなっているんでしょうかね? 宮原じゃなくて吹田じゃないの?
吹田のなら貴重なED7778と共に潰しやがった
78は試作機だっけね 北陸本線の機関士が
「交流機は良かった」
そう言ってたとの記述が宇田さんの著書にあるな
これは再粘着のことだと記憶しているが直流機とどう違ったのかな? >>24
無論限度はあるが交流だと空転した際に電気的にもそれを抑えられる 交流区間で直流機のようなEF81は交流機乗りにはちょっと理不尽な事だったのかな? それは比較にならないのでは?
EF30が門司から先の交流区間での仕業があったのなら話は別だが >>28
EF30、EF80は1台車1電動機方式だからEF81とは比べられないのでは?
粘着だったら寧ろEF81とEF641000番台とを比較するべきだと思う。 EF70
某山頂付近に置かれている1,000番台は見るも無残な状態でした
夏休み、敦二開放に行ったのもいい思い出 >>32
変圧器があるのに、電圧制御しないで電力を抵抗器で捨てるとか
もったいないように思ったわ
欧米だと、直流機関車+交流機関車というパラレル構成が普通だな 38豪雪で前面雪ダルマになったEF70
あんなんでよく走れたもんだ
つべに同じような状態の64がうpされてるな >>36
ワイパーも洒落た形状のあれだから
殆ど役に立っていなかったらしい。
二次型から標準型ワイパーになって一次型み順次取り換え。 >>37
洒落た形状てw
氷点下の吹雪なら地面に対してほぼ垂直前面のガラスにはどんなワイパーもきつい
ガラスに熱線入れるべきなんだよなぁ
標準型も中央に垂れ下がってくるとかあったようだし EF70の画像を観返したら、前面窓に四角い枠があるけど
あれってデフロスタ?って言うヤツ?
凍結防止くらいにはなるんだろうか?
EF71には前面窓に熱線入ってなかったっけ? >>39
そう、曇り止め
熱線で中の空気温めるから防止にはなるだろうね
EF71は12号機〜から熱線入りガラスになってデフロスター廃止したよ ED75に牽かれた「はくつる」に乗ってみたかった
EF71に牽かれた「あけぼの」に乗ってみたかった >ED75に牽かれた「はくつる」
あったっけ?って思ったけど、20系の頃にあったか
って43.10の前じゃねぇかw ED75と言えば
ゆうづるとあけぼののイメージしかない
あとは津軽と八甲田とおがくらい >>43
申し訳ない
583から24系になって、北の方はED75牽引だと思ってた>はくつる
>>44
そうね、赤いED75の車体に赤いゆうづるのHMが印象的でした
東北のブルトレ、夜行客車急行、乗ってみたかったなぁ >>10
300番台は門司機関区のカマだから、博多あさかぜ、はやぶさ、あかつき、みずほ、明星にもED72/73と共用されてたな。 北陸から九州へとEF81に追い出されたEF70
2〜3年とはいえ、またブルトレ牽けたんだからまだ幸せだったかもしれないな >>48
老朽化したED72/73の代替とカマの運用減による統合で20両が門司に転属して来たんだな。 >>49
過剰出力、熊本以北限定で使い勝手はあまりよろしくなかったとか
出力に関して、余裕があるのはいいんじゃないかと思うのは素人考えなのかな? 過剰出力はあんまり関係ないんじゃね。それが理由なら先に九州いったED74の立つ瀬ない
ED72や73を同じ高圧タップの70で置き換えても、それの代替にしかならんよね。すでに使い勝手いい
ED76あるんだし、その76もすぐに余るようになったしな。合理化で80年代は機関車余りすぎ。 50,60Hz両用の交流機って作れなかったの?
まあ81作ったらそんなのいらんか 両用にするのは意外と技術的に難しいというのか妥協を要することみたいで、
交流電源で直接駆動する交流回路の冷却系で使ってるモーターとか、
50Hzで十分な能力を発揮し、60Hzで過回転にならないように設計するのは大変だったようだ。
415系すらJR東日本の末期車はあえて50Hz専用にしたぐらいだからな。
60Hz区間も走れる200系やE4はあくまで暫定処置で、数回の使用にしか耐えられないレベルだったらしい。 ほほーなるほど
昔の家電製品のように切り返スイッチでなんて簡単なもんじゃないんだね ED72の中間台車は規格の低い線路に入るためでなく、
ボイラーの水量加減による軸重調整のためだったの? 50Hz車は60Hzでも走れるけど逆はダメってやつだな
だから基本的に50Hz車をベースに共用車を作るんだけど、そうすると60Hzだと回転数が落ちる
デカイ変圧器使う上に性能が落ちるのを嫌ったんじゃないかな
交流電機は地域によって仕様違うから広域転配もあまりしないだろうし 考えてみれば交流50、60Hzのセクションなんかないですもんね
だから分断地帯(フォッサマグナ?)は直流ばっかりなんですかね?
新幹線はどうだかですけど…
そう考えると交流電化は九州はまだいいとしても
北陸は陸の孤島のような感じかな? >>57
新幹線は、東海道は強引に全線60Hz、長野/北陸新幹線は軽井沢で切り替わる。
北陸交流電化は今となっては裏目だろうな。技術開発の面でも東北と九州だけで十分だったし。 >>57-58
北陸は元々米原〜敦賀の煙害対策と勾配緩和に合わせて直流電化する話があったのを急遽交流化した辺りまあ… 北陸が全域的に直流電化されていれば、当然カマは敦賀前後の勾配と寒冷対策を考慮して、上越線と同じ機種が使用されていたかもな。 50年前の判断だからな。それを裏目って言われましても
っていっても確かに米原−田村のデッドセクションとか無茶苦茶だったからな。電化されてるのにD50使ったり
E10使ったり、変な交直機持ってきたかと思ったら、最後までDE10使ったりして
柳ヶ瀬と山中でヒデー目にあってたから最新の交流電化で楽出来ると思ったんだろうな
田村、ただの田舎の駅なのに側線にEF70溜まりまくってて面白かったけど 米原〜敦賀も今は直流だもんね
アーバンネットワークによるところが大きいかとは思うけれど
新幹線が通れば三セク化だろうし、これ以上直流電化の浸食はないかな?
敦賀機関区の交流電化発祥の地の碑も今はなんとなく場違いと言うか…
ま、これも歴史だね
>>60
ED16?EF64-1000? >>62
抑速制動装備が前提条件なら、最初は板谷峠と同じくEF16辺りからスタートして、史実通りに金沢、富山、糸魚川の順を追ってED61、EF64、64-1000に以降して行くと言う感じかな。 >>62
抑速制動装備が前提条件なら、最初は板谷峠と同じくEF16辺りからスタートして、史実通りに金沢から糸魚川の順を追ってED61、EF64に以降して行くと言う感じかな。
64-1000の投入は上越線と同じ時期に成りそう。 >>61-63
史実では板谷峠から追われてEF15に戻された一桁ナンバーのEF16もそっちに行きそうだな 柳ヶ瀬、中山越えなくなった電化後の北陸線とか普通に平坦機が入るだろ
EF70やEF81の単機で1200tいけるんだから まあ連続勾配って言っても北陸トンネルの11.5‰だったっけ?くらいしかないしな ED74が時速100キロまで飛ばしたことってあるのかね? >>69
当時は95`が最高じゃないかな?
日豊の20系牽引も最高95`だったみたいだし
回復運転とか試運転ではどうだったかわかんないけどね
ED74といえば初のDT129台車
ジャックマン装置は乗り心地がよろしくないとか 50Hz60Hzに分かれているのは当時輸入した変圧器の国がドイツのアメリカで違っていたから
どうして統一しなかったのか疑問だ。
電力会社も民間ではなく公営にすればこんなことはなかったのかもしれないな。
でも国鉄は自家発電だから関係ないとは思うけど、使ってる発電機が輸入だったからか? >>72
富士24系化が1968
ED74日豊本線運用離脱が1978
うーむ、24系富士も牽いてたのか?
日豊本線は24系なら最高100`だったのか? >>73
24系は向日町に配属された1974年頃から日豊では彗星に使用され、
富士の24系化は品川に転属した1975年3月ダイヤ改正からだよ。
1978年に大分運転所のED74は運用離脱したけど、当時廃車が進行していたED72の代替に門司機関区へ転属する方法も考えられなかっただろうか。 ヘッドマークも誇らしげなED74彗星
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=ED74#mode%3Ddetail%26index%3D0%26st%3D0
えっ?富士もやっぱあった? イベント?
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=ED74#mode%3Ddetail%26index%3D35%26st%3D1035 ・ヨンサントウで大分以北の120km/h対応
・14系か24系使用
この条件ならED74も100km/h運転の実績あった?
それにしても日豊本線の電化遅い・・・ ガキの頃、パワー厨だったのか
直流機はF級が主で概ね2.550kwなのに
交流機はD級が主で概ね1.900kwなのが腑に落ちなかった >>78
EF58は1時間定格出力1.900Kwだよ。 単純に、1.900kwの交流機をF級にしてしまえば2.850kwなのにって思ってました ED74って九州に来てからのほうが花形運用に充てられてるような。 >>81
モーターには直流専用機より電圧を高くかけられるが、変圧器、整流器、制御装置あたりの関係で電流の方に制約があるらしい。
EF71はあと一息届かなかったな(2700kw)。 EF71、モータを2個直列3並列の台車単位の制御にしちゃったからな。それで出力落としたんだよな
で、EF67がチョッパの6個並列でそれをやった、>>81
>>80
ED71とED72の1と2のMT101が最強なんだよな 台車単位は違うか。1-4 2-5 3-6 かな。それだと軸重補償やってるんだろうか。調べないとわからん EF70は?
あれ6軸駆動だけど2550kwでしょ >>85
EF71の主電動機接続は1〜13号機の新製時が1-4 2-5 3-6(+空転検出回路)で
14・15号機は空転対策上1-5 2-6 3-4に変更、13号機以前も後日同様に改造 どうしてED72とED73だけ先頭部、鳩胸なのだろう?
他の形式は皆、先頭部フラットなのに。 >>86
EF70はもっと弱い。端子電圧は直流機と同じだが、交流機器の容量が足を引っ張って2250/2300kwしかない。
D型では北陸トンネルでちょっと不安があるって理由でF型にしたから、あまり性能は追及しなくても十分だったようだ。 なかなかの良スレに育ってきましたね
やはり交流機それぞれにクセがあり
それを自由自在に操る職人があちこちの機関区に居られたのでしょうね
懐かしくもなんともないEH800
あれ、つべで観ただけだけどバケモンですね >>71
周波数統一はやる時期を逃したというのが最大の理由な気がする。
東日本大震災の際東日本と西日本の周波数の違いで電力の融通が思うように出来なかったことから統一出来ないかを考えたことはあったようだが。
もし統一するとしたらやっぱり東京に合わせて50Hzか?
でも有事を考えたらアメリカに合わせて60Hzにするほうが良さそう。 >>71
国鉄の自家発電分は東京でしか使ってないから、使う段では全部直流という罠。
交流電化区間は全部地元の電力会社から買ってるから結局民間に左右されるという。 >>88
開発者の話によると、全長変えずに運転室のテーブルを
広くでき長所があったらしい。
流線型もそうだったが、欧州のマネもしたのかも。
流行るかと思ったけど、ED74から再び箱型へ。 >>91-92
周波数によってモーターの回転数と消費電力も違うから、統一しない厄介なんだよな。
わかりやすく家電で例えると、扇風機などは60Hzの方が回転数が多く消費電力も少ないが
これがレコードプレーヤーになると厄介で、モーターの回転数が違うから東京から大阪へ
引っ越すと、レコードプレーヤーのモーターを交換しないと、きちんと33回転や45回転が出なくなる
トルクコンバーターやピッチコントロールで回転数を変える方法もあるけどね。 ED70の運転席って折りたたみ椅子に毛の生えた程度の陳腐な感じだな
交流機の汽笛って直流機より甲高い音な気がするけど何でかね? >>95
国鉄型のロングセラー、いわゆる労研型の椅子は昭和40年頃だからね。
それまでは社長の椅子(例 80系)とかモタレが高く座り心地の良い椅子(例 ED72)だったからね。
警笛は、雪の降る路線の電機はピーッと甲高い(ED75 EF81)
暖地の電機はポーと低め(ED76 EF66)
あくまでも個人的感覚だけど。 >>94
電動車の走行モータは電源周波数には関係しないよ。
直流直巻きにしてもVVVFの誘導電動機にしても一旦直流化してから使ってるんで周波数無関係。
影響するのは主トランスが周波数反比例だから、50Hz用は60Hzと兼用可。逆はだめ。
&交流をそのまま使う周辺機器に影響:コンプレッサーモータとか、冷却動力関係。
交直両用機は直流機に変電所を載せた方式だから、基本的には50Hz用は60Hzで逝けるはず。
あれは60Hz運転を試してない=未認定だけの問題の気がする。 新製した訳じゃないのにどうしてED79にしたのかな?
ED75-2000番台とかじゃダメだったのか?
そしてその次にD級の新製があったら形式名はどうなってたのか? >>93氏
ありがとうございます、
やはりテーブルは広いほうがいいですものね。 >>98
制御機器は勿論歯数比まで変えてたのを同一形式で括るのはさすがにな >>101 >>99
つVVVF方式へ交換の205-5000番代てのは?@武蔵野・京葉線。
担当の気分次第って気もするけどなぁ。
64の時は、同一形式じゃ無いと本社を通れなかったはず。
いつの間にか組合のせいとは!?
高速試験とか481就航前の試運転とかは国労組合員の運転士が担当してるよ。
瀬野八で1ユニット・カット起動試験とか、湖西線の高速試験とか。
保線が特に典型だが、自分たちの怠慢・エラーを「国労の非協力」という呪文ですべて免罪するズルがもう組織的にやられてる」。 >>98
サイリスタだけなら75や76みたいに番台区分だったかも知れないけど、79は軸重も歯車比も変わってるしな
DE11や72、73はSGと軸重で新形式だし、青函専用で当時は注目されてたから、81や61みたいに番台区分
ってわけにもいかないでしょ
>>99
どうせ新線だし訓練しなきゃいけないから64-1000みたいな組合のアホどもの縛りはなかっただろうね ED700とかEF700とかEH700は出てこないんだろうなぁ
EF72もないな あ、EH800がもう交流機なのか
今の形式区分がよくわからんorz 100、400、700が直流電動機、200、500、800が交流電動機、
100〜300が直流機で、400〜600が交直機、700〜900が交流機
700は直流電動機の交流機だからもうありえんね。ED79の次があったらED700だったかも知れん >>107
おお、ありがとです!
なんか国鉄型の区分が染みついてるオッサンにはややこしいね バブルの頃、青函トンネル開業ブームの頃、
ED76-550番台が登場したな。
たった一両しか改造されなかったが・・・。 ED94 デッキ型
ED70 跳び箱スタイル
ED71 EF60顔
ED72/73 ヨーロピアンスタイル
ED74 EF80顔
昭和35年前後の機関車の方が面白い EF64、ED74以降EF66を除き非貫通、貫通形共画一化されたね、特に交流機は。 >>110
いろいろ違ってね?
デッキ付きはED45とかだろ
パノラミックの二枚窓はED46からEF60へ。それをくの字にしたのがED72。72や73と同時期に二灯にしたのがEF80と
貫通つけたEF62。以下略 交流機でもEF66のような斬新なスタイルが出ても良かったね 空転防止には砂を撒くのではなく、力行しながら単弁を扱うのが最も効果的らしいね 仙山線のED78で
軸重設定14tで重い列車を牽き出すのに苦労して
16t設定で牽き出したという話があるとか
規制緩和後の大型トラックにも似たような機能があるな
他の軸重替えれた機種でもこんな話はあるかもしれないね あれ仙山線って以前はED16じゃなかった?
交流電化前ね。
米福線だったっけ? 仙山はデッカーとかED14。ED16は上越。福米はEF15とEF16 良く解らないんだけど、
>>119
の場所は上越線を除いて交流電化にしてしまったけど、
せっかく直流電化にしたのにそのまま直流電化を推し進めていけば、
東北本線の黒磯口も直流電化してたんじゃないかな?
無駄なことだと思うけどなぁ・・・
一旦直流電化にするとか意味がわからん、無駄な設備投資じゃないの? 直流電化と交流電化の長短調べて、自分の脳ミソ使え!
変電所が余計に必要になる、電車による過密ダイヤ運転が求められるか?
といった要因によるコストパフォーマンスの比較 だって最初に直流電化したんだぜ、
地上設備だってデッドセクションだって直流電化だろうが交流電化だろうが
必要なんだよ。
未電化区間から交流電化なら話は解るが、最初直流電化までしといてEF64まで入れてるんだよ。
それなのに、また交流電化にする意味がわからんっていうことだよ。 仙山線が全線交流化された68年頃、将来の奥羽線山形以北の電化が計画されていたわけでしょ
羽前千歳、山形間が直流のままだったら、山形以北は直流にするのかね?
それとも羽前千歳で交流直流切り替えて、電気機関車付け替えるの?
値段高くなる交流直流両用車両入れるわけ?
コストパフォーマンス考えようよ 直流電化したのは、直流電化しかできなかったから。長大トンネル、特に勾配のトンネルがある幹線は煙害で
乗務員バタバタ倒れたから優先的に電化されてる。
碓氷、関門、板谷、上越はそれで電化が早い。で、そこらが直流電化された後に交流電化が実用化された。
仙山の直流電化はトンネルある一部区間だけ。機関車もボロだから問題ないねw
福米は福島、米沢で交直切換する選択もあったかも知れんけど地上切換は設備が大がかりで機関区も
操車もある福島では無理。デッドセクションだと結局、EF81と同時期に勾配用交直機を開発しないといけ
ない。どっちにしろ64はお払い箱。まぁ行き先決まってたし、無駄になったのは直流変電所くらいじゃね。
それもなくて済むようになったんだから無駄ではないね >>124
いやEF71を新規に作ったんだよ。
それでも無駄ではないと思う?
EF71なんて30年使わなかったんじゃないの?
それに比べてEF64は旅客ではまだ現役。 EF71新製コストと、交直切替の大がかりな地上設備などのコスト比較、
それに車両運用の共通化の問題など、総合的判断ができそうにないヤツがいるんだなあ♪ >>122
板谷向けの64は最初から将来の交流転換→他線転属を見込んで製造した
(発電ブレーキ採用もこれ以上直流変電所を改修せず新型機入れるため)
ED78・EF71が25年弱で消えたのは国鉄解体と新幹線の都合で路線自体が梯子外されたんでまた別の話だ… うーん、まあなんつーかさ、色々試してみたかったんじゃないの?
メーカーとしても金のなる木じゃないけど色々皮算用して煽ってたとかさ 交流電化方式の開発試験の線区を、一部直流電化、残部機関車牽引の仙山線に選び、
3方式の開発比較試験を行ったから、意図的に3方式で運用した。
この試験結果でまず北陸線の交流電化を行ったから、
開発試験地が仙山線(ED45の三種)、初の実用化が北陸線(ED70)ということになっている。
当時の列車のは「機関車牽引」が常識で、特に蒸気機関車は水と石炭の補給で長くない距離で必ず停車したから、
その停車時間で機関車交換するのが当たり前の感覚だった。
北陸線米原−田村間を蒸気機関車牽引として南は直流機、北は交流機という原始的な方法を採ったのはその感覚だ。
いくら何でもと、黒磯は地上切り替え。
その間に急速な電車化で、通勤圏常磐線や関門の直通運転要求が強まり交直流車を開発。
電気機関車も長距離運転要求で交直流機を開発。
結果的に直流変電設備の2重投資になってしまった。
電車化・長距離化を見通せずに交流・直流それぞれのコスト比較を行ってしまったエラーではあるが、
もう一面は、交流電化成功が新幹線の基礎技術になっている。(直流では無理だった) >>125
タップ昇圧の段間を磁気増幅器による位相制御で無段化して粘着限界いっぱいの運転のできるED75が入線したら、
高圧タップ式のEF71では、水銀整流器をシリコン整流器に換装したけれど、メンテが面倒なだけで、
使い勝手の良い方に運用が統一されてやや短命だったんじゃ無いの?
直流機だって分割民営化前後に大量処分されてる。
大量の首切り合理化で手が足らなくなったから、傍流機から捨てられるのは当然。 高圧タップはED71。EF71は低圧タップのサイリスタ位相制御。水銀はED73までで、EF71は最初からシリコン
DとFを間違ってググっちゃった?もう一回やり直しw EF71は直流機に変更する計画は無かったのか?
車体だってED78の最終ロッドにしたって10年ちょっとしか使用していない・・・
いったい何十億無駄にしたんだか・・・
EF71はEF69にすべきだったような希ガス。 >>132
先に大量余剰になったEF70での計画倒れが影響してるのかも
まあEF62で誤魔化してるうちに荷物列車も廃止の方向だったし
直流機が足りない事態はそれで解消しちゃったのかもね というか交流機関車を造りすぎたんだろうね
直流車はほぼすべてEF級で、あとは平地用か山用しかなかった
交流車はその他、周波数の違い、動軸の数や遊軸の有無、整流素子の違い、SG搭載の有無で矢鱈に形式が増えた
EF級はED級の重連で、軽負荷なローカル線用はディーゼル機関車でもよかったのではと思う >>129 交流の方が電圧高いから、より細い電線で大量の電気を供給できる。変電所が一段階不要であることもあって、送電設備に要するコストを節約できるという利点がある。
60〜70年代、直流電化だけだったら、電化の進捗はもっと遅れていたと思うが。 EF70の高圧タップ制御は、抵抗制御、則ち直流電機の制御に近く、則ちEF65を交流にしたものと考えても良い。 俺が思うにEF71やED78の短命原因は使用路線の改軌が一番大きかったと思う。
そりゃわざわざ1067mmから、1435mmに機関車だけ変更しないからな。
救援機関車1両ぐらいは変更しても良かったと思うけど、
クモヤを改軌しておまけに逆に交流化してまで使ってるのは良くわからない理由だけど。
直流から交流、或いはその逆の交流から直流なんて簡単に出来るんだろうか? DD18とかDD19は改軌したけどね
交直両用じゃない限り、交流化も直流化も簡単にはできないからモーター以外の制御機器まるごと載せ替え
クモヤ743は改軌もしてるから車体だけじゃないか、流用してるの
EF71は改軌が直接原因だけど、ED78はその後も仙山貨物で使ってたから。客車列車の廃止と貨物の廃止が
たいていの原因。20年弱で廃車なんていくらでもある。 >>131
EF70とEF71の混同>>130。EF70が水銀整流方式で登場し、後にシリコンに換装されている。
当初の交流電化は車載水銀整流器(=イグナイトロン、エキサイトロン:単極水銀整流器)で実現したが、
これを安定動作で扱いの楽なシリコン整流器に換装した。
当時まだ信頼性に疑問のあった大電力シリコン整流器を新規採用するに際して、その経過から考えると、
もし失敗しても水銀整流器に戻しやすい構造として、ブリッジ整流とセンタータップ整流を比較した場合、
加熱や点弧・起動で複雑な陰極周辺回路を持つ水銀整流器を
●ブリッジ回路では使いたくない。∵電位の異なる陰極とその周辺回路が3組必要。
●センタータップなら2陰極共通の1電位だが、タップ切り替えが低圧では2組必要。
前置の単巻き変圧器で電圧調整する高圧タップ式なら1組で済む。
こういう事情から、高圧タップ式で、センタータップ整流方式を選んで、
水銀・シリコン両用構造の保険を掛けて、まだ脆弱だったシリコン整流器を怖々採用した可能性が強い。
すなわち最初のシリコン機は、万一の場合に水銀に換装しやすい高圧タップ式で作り、
その運用実績を経て低圧タップ式(単位スイッチ)+位相制御(磁気増幅器:段間)+ブリッジ回路(ED75)方式に収斂したと考えられる。
>>136
交流電化は実質が直流変電所の車載化で、列車密度の低い線区で安上がりは確かだから亜幹線電化に採用したけれど、
急速な電車化は想定していなかったので交直直通要求で矛盾を生じてしまった。
非過密線区単独で交流電化が安上がりなのは否定してないよ。直流区間と高頻度で直通するとこに交流を採用したことの問題。>>129
北海道は全交流で無問題。九州は関門と地下鉄の直流を切り離してやや強引に無問題化(w。黒磯は交通圏が分割されて何とかOK。
矛盾が顕在化したのが北陸線と常磐線で、前者は交直セクションを次々移設して調整してきたが、
常磐は移せなくて通勤圏に交直セクションを置く増発のネック。取手まではゲタ電の走る直流複々線だが、その先の新興住宅地域には交直流車しか入線できない >>131 >>140
元の資料の読み誤りをしていた!スマン。
EF70は二段トランス:高圧タップ式だが、整流器は最初からシリコン整流器で出場。
当時のシリコン整流器は高逆耐電圧のものが得られず、
5素子〜6素子を直列にして各素子に分圧抵抗を噛ませて逆電圧の均等化を図るなど、
実用的信頼性確保にかなり涙ぐましい工夫をしている。
6素子直列型では3段目から呼称警報電圧を採るなど、怖々使っていたことが判る。
EF70では高圧タップ式のシリコンブリッジを採用しているとWiki記事(w。最初からググるべきだった。 >>141
× > 6素子直列型では3段目から呼称警報電圧を採るなど、怖々使っていたことが判る。
○ > 6素子直列型では3段目から故障警報電圧・・・・・・ すまない、専門的すぎて何が何だか俺にはよくわからんorz まあとりあえず、交流にも色々な問題があるのが、
内容は分らないけど判った気がする。 >>143
つまりブリッジダイオードで直流にして、
大容量の電解コンデンサーで整流してるっていうことだよ。
電解コンデンサーの耐圧は2000Vぐらいか。
電界効果トランジスタがまだ無かった時代の、
シリコン整流器の初歩的な回路ですよ。 >>140 常磐線の取手以北の電車本数が増えない原因
藤代、佐貫周辺は低湿地帯が多く住宅建設をする場合に土盛りが必要で、建設単価が高くなる。
その先、牛久辺りには台地があるが、都心から時間がかかる。
バブル期、比較的地価が安かった茨城県南部方面まで住宅開発の波が及んできたが、バブル崩壊し地価が下がったため、低調となった。
沿線人口が増えないので、本数増やす必要なし。その点、TXは台地状の地域を通るので沿線の宅地開発に成功し、沿線人口が増えている。
まあ、旅客需要があれば、交直流車両で本数増やせるんだよ。 常磐線は全部交流にできなかったかなあ
快速線の路線は上野からほぼ独立しているから、できないわけないと思ったけど
電車はM比の低い交流電車が使えるし、機関車もD型を使えるのでコストも交直流より抑えられる
諸外国は交流電化に統一されている場合も多いわけだし >>147 新松戸周辺、金町付近、それに三河島付近に交直切替ポイントが必要になるわな。
それと、上野駅の構内、常磐線は快速電車含め、全部専用ホームとしなくちゃならないわな。
山手線に近い上層ホームに常磐快速を止めることができなくなる。
常磐線は交流電車だから、整備のため尾久に回送することもできなくなるのか。
これだと、70〜80年代の多客時、上野駅の配線がパンクするだろうなあ。
車両だけ見て、線路とか施設上の問題考えようといない奴が結構いるんだなあ・・ >>146
単純に東京から40km以上離れてるってことも大きいだろうな。
これぐらいの場所だとそろそろ都心への通勤が億劫になってしまう距離だから。
これでも、千葉より先の房総や高尾より先の中央線に比べれば電車も便利だし客も乗ってるけど。 ついでに、昭和30年代、常磐線上野まで交流電化した場合に、必要なものを考えてみる。
1)長距離列車の整備のため、尾久の代わりとして三河島付近貨物線側に施設を設ける。
三河島付近で、朝ラッシュ時に推進回送の列車が上り線を横切って整備施設に入るため、上りの通勤電車のダイヤに制約が加わる。
2)上野に常磐線用にさらに2線追加する必要が生じるが、20番線(当時)よりも東への駅拡張は困難。
20番線まであっても、品川特発で乗り切らなくてはならなかったことがあることを考えよ。
上野拡張が無理ならば、三河島付近に長距離列車専用のホームを設け、そこで捌くしかないだろう。
北千住はスペースがない。南千住は、日比谷線の位置を移動させれば可能かもしれないが。
いずれにせよ、不便になる。 まだ問題点あるな。
3)隅田川貨物駅は田端方面からの連絡線含めて直流電化のままとするならば、常磐快速線の北千住方面からの引き込み線に交直切替ポイントを設けなくてはならない。
常磐炭鉱からの石炭積んだ同貨物駅行きの貨物列車は、交直流電機牽引としなくてはならない。
4)東北線が事故で常磐線に貨物列車を回さなくてはならない場合に備え、交直流電機を相当数、用意しておかなくてはならない。
5)我孫子の車両基地(松戸車両センター我孫子出張所)では、直流の緩行線車両と交流の快速線車両を一緒の電留線に置くことができなくなる。
電留線の運用に支障が生じる。松戸の車両基地拡張して、緩行線車両をそこに集中させるか?
6)JRの緩行線車両が修繕のため大井の車両基地に向かう場合、快速線を通過するわけだが、電化方式が異なるから快速線上を自走できなくなる。
交直流電機に牽引されて大井に向かわなくてはならなくなる。
東京周辺で交直流電機が、もっと多く必要になるだろう。 もしも交直流機がなかったとしたら…
トワイライト色のEF70とか想像すると胸熱
トワイライト色のDD50はちょっと微妙だな >>152
それは湖西線が存在しない、と言う前提で言ってる訳だね >>152
DD50は登場時の塗色を考えると違和感ないと思うけど >>153
そうなりますね
もし湖西線が存在してて交直流機がなかったとしたら
永原〜近江塩津は坂田〜田村のようになっていたのかも
ところで急行きたぐにのPC時代最終期って坂田〜田村間が交直セクションだったっけ?
PC最終期も牽引機は米原までEF58、田村までDE10、その先EF70?
それとももうEF81になっちゃってた?
>>154
濃い茶色に塗装してななつ星を…いや、なんでもない >>155
湖西線の場合は既成通りではなく、近江今津に黒磯の様な方式の交直切換施設や配線路が出来ていたかも知れませんね。
(当然ながら管轄管理局も近江今津以南が大阪で以北が金沢) >>156
近江今津の地上切り替え方式も思い巡らせておりました
それはそれで胸熱です ED75最強!
重連で「ゆうづる」を牽引したP型はもうヨダレもの。
赤い車体に赤いHM着きの昭和60年以降の姿が最強! ブルトレを牽くEF70-1000の雄姿を一度この目で見てみたかった
当時HMは付けてたんだろうか?
つべでEF81と重連で貨物牽いてるEF70を発見
前が70で前パン、後ろが81で後パン
総括なんて出来ない(よね?)から81は通電してるだけの回送かな?
それとも協調?な訳ないよね
>>160
RJに100`出してるED75の高速貨物の運転台とか
表定速度28`のED75貨物のルポがあったなぁ
1003号機は台風かなんかで陥没したとこに突っ込んで廃車だったっけ?
その写真も載ってた記憶がある EF70のヘッドマーク付き写真は見た事があるが、実際に見た事がある人は少ないのでは。
おじさんには懐かしい敦賀機関区の撮影会ではヘッドマーク付きのEF70が並んでいたが。
私は、九州のED75が好きだった。ED73が健在だった頃はED73の方が好きだった。
この動画で思い出した。
http://youtu.be/Fgt9M8w9vY0 >>162
敦賀二区の撮影会行きましたよ
小三の頃だったからもう三十年以上前か
拙い写真を引っ張り出して来て見ると
EF70-1、1001、36、1002、EF81-1の並びがメインだったのかな?
順に白つるぎ、日本海、御召仕様、日本海、青つるぎのHM
EF70は他にも彗星、あかつき、かもめのHMを付けてるのもありました
でももうEF70は大量余剰が発生してる時期なんですよね
庫内のEF70の運転席に座れたのはいい思い出になってます EF70の保存車が1両も無いのが悔やまれる、
高崎のは横川へ持っていったらしいけど直流機関車の中に交流機関車展示だし
しかもあれ野外展示でしょ?
くち果てるの早いだろうなぁ・・・
西日本は吹田にあったような気がするけど、
確かEF15や60なんかと一緒に解体したんじゃなかったっけ? 吹田にいたのは78-901と77-2、EF70-70だっけ?
一度か二度ぐらい吹田撮影会にも出てきたね
撮影会はわざわざ門司から76の試験色持ってきたり気合い入ってたなぁ 利府の交流機関車郡も交流電気機関車館にして屋内展示にしないといけないよね。
あそこへEF70を持っていくのがいいのかもしれないけど、
50Hz区間に60Hz専用電気機関車がいるのもおかしいかな? >>166
何で東北と関係ない機種を利府に持って行かねばならないの?
利府のは東北で活躍した機種だから、そこに置いておく価値がある訳だろ。 門司港レトロの側線に持っていけば?
EF30 1が置いてある所だがEF70も縁があると言えばあるだろ >>163
敦二の撮影会懐かしいな。あの年の夏は米原も浜松もやってたんだよな
18切符で敦二の撮影会いって、山陰回って旧客乗って、帰り際に米原寄った覚えがある
いい夏だった
>>164
能書きはいいから朽ち果てる前に」横川行って1001みてきなよ。縁だの活躍してただの、暢気だねぇ まあ保存するには先立つものが必要な訳で
拝観料でペイ出来るのならば可能性もあるのかもしれないけど
ここでどうこうするべきって言ってても現実は厳しいんでしょうね
EF70に牽かれた「きたぐに」や旧客に乗った事、敦賀二区での撮影会
幼い頃の記憶とはいえ、脳裏にずっと保存しておきます 公園機関車は反対だな、
せめてEF577みたく屋根つけてほしい、
元宇都宮運転所のOBの方の熱意が感じられるね、あの機関車は幸せ者だよなぁ。
義経と静香のようにEF5621とEF577を再会させてやりたい。 >>171
人もだが管理費出せるかどうかという感じだな
船岡のED71も最初は出してたが90年代半ばから… >>155
1983年4月から
大阪〜米原 EF58
米原〜新潟 EF81
1982年11月に14系に変更されてから4カ月半は田村〜富山EF70使用かな? 11:40〜 EF70-9の釣り掛け音が聴けます
https://www.youtube.com/watch?v=eqNVdv5F0oY&list=PLeaqvL2kJ_clOBnQ2xP93BpQfB0SvkObz >>176
事故が起きたときは百零にしたい?
100を0にしたいって言ってるのか
関西弁は聞きづらいわ 大半の交流機関車がマーク付きの定期列車担当したことがあるんだな ED74の前照灯もEF80みたいに引っ込んでいるんだな 直流機には引っ込んでいるのが一機種もないんだよね(´・ω・`)
好きなのにアレ その後引っ込んでるのが出なかったのは不具合があったのかな? ED78とEF71の重連
全ての組み合わせ別の仕業があったとか
71×2の仕業が一番少なかったらしい >>186
書類上はそうだがED78を仙山線に割く都合もあって臨時や運用変更があると回送目的のEF71重連が出た >>186
板谷スレあるぞ。元々EF71は補機目的だから。でも末期はED78が仙山に回ったから板谷は1往復除いて
EF71だけになった。あけぼのもED78重連がEF71重連になったり。夕方にはEF71重連に50系3両の福島行
があったな >>189
あいやすまんことで
先日購入した「証言」日本国有鉄道って書籍にOBさん等のインタビューが載っていまして
EF16やEF64にも触れているので直流時代からの方々らしく…
末期の話は皆無だったもので
あまり話題に上がってこない機種もありますれば
板谷の事に限らず、交流機の一つのネタ振りになればと思ったので御座います
ではついでと言っては何ですがも一つネタふりをば
イエローナンバーED73-1000
黄色文字なんて交直含め他にありました? >>190
ED73は門司区所属だったな。
同僚で関門通過用のEF30及びEF81-300番台が、黒地に黄文字のプレートを付けてた位だろうな。 >>191
ステンレス地にメッキとかステン切り文字とか白とか目立ちませんもんね
ローピンにしちゃった81-300は白なんですよね ちょっと前までJR九州の中の人?がED76の前面展望をつべにうpしていたな
確か西鹿児島〜熊本間の貨物 昨日敦賀で機関車等展示
475系くずりゅう、81-113トワ機HM付、81-108ローピン日本海HM付
当たり前の話だが、三十数年前のような70の姿はない
つーか、もう直流区間だしなorz ED74は保存機がひとつもないんだな
DD54は1両あるだけ幸せだなぁ ED74は言い方は悪いかも知れないが左遷先(九州転用後)のほうが花形として活躍した気がする。 74は特に保存する理由も無いような…
合の子みたいな感じだし >>200
EF71はED71、75、77、78共々1号機が利府の新幹線車両所で展示
(最近は公開日も敷地に入れなくなってる辺り実質放置だが) 前照灯の引っ込みの不具合のはなしだが
EF80は庇装着で対策ってので?となったが
雨水が走行中の風圧で下からあの窪みに溜まるのか?
ED72〜74も庇装着してたら顔つきの印象変わってただろうな EF80は民営化直前まで活躍
ED72〜74はその前に全機引退 最大勢力だった75の話題があまり出ませんね
汎用機?ゆえエピソードが少ないのかな? JR貨物のED76の側面乗務員室扉だけステンレスの無塗装の奴に交換されてるけど、
オリジナルのだと腐食してしまうから、ステンレス無塗装のに交換したのかな?
側扉だけ塗って無いと、なんだか西武鉄道の電車みたいだなw 門鉄魂のカスタマイズ
デコトラならぬデコロコかもよ >>205
塗装の乗りが悪いから剥がれて地肌出てくるんよ EF7057の特急色塗装はなんだありゃ?だな
九州のDE10かよ
来年解体されるんだって? >>208
ググって見てきた
隣県にこんなんで保存?されていたとは知らなかった
なんつーかこの塗装は死後に亡骸が恥を晒しているというか、死人に鞭打つというか http://www.jnr-photo.com/
色々と追憶の彼方
湖西線沿線に最近トワ目当ての撮り鉄増えたなぁ >>208-209
2両のオハ47も485系カラーだなwww
あのセンスはいったい何なんだろう???
思わず首をかしげる光景だな。
オハ47は電暖付きの2000番台だから東日本が購入しないかね? >>159
遅レスですまない
糸魚川で撮影されたと表記があるED74-6を発見した
運用あったんじゃないかな? ED70
ED74
EF70
の3形式は、新潟県にも入線していたことになるのか >>213
撮影日時は1966/4/2となっているよ
交流機は米原側がギリギリの田村からの使用だったんだから
ギリギリの糸魚川まで入線するのは当然だわな
じゃなきゃ何のための電化かって話になるし
ちなみに
田村〜糸魚川間交流電化完了が1965/9/30
EF81は1969/9/?の糸魚川〜直江津電化開業から使用開始 BSフジの鉄道伝説
国内初の交流電化みましたか〜? >>216
仙山線のやつだろ?
見逃しちまったよorz
またタバコの煙モクモク会議はあったんか? 仙山線、救援機関車も残しておかないからこんなことに・・・・・
ttp://www.sankei.com/affairs/news/141203/afr1412030005-n1.html >>218
その辺てディーゼル機関車の配置ないの? イグナイトロンとかエキサイトロンとか
おもしろい名前だな >>220
・・・・・・トロンは真空管構造に良く付けられる接尾語。
電子レンジの「マグネトロン」、マイクロ波発振の「クライストロン」、
「キネマトロン」「クロマトロン」・・・・・・ときて、
水銀整流器の点弧極に「イグナイター」という高抵抗半導体を使ってるのをイグナイトロン、
励弧極として「エキサイター」を使うのをエキサイトロンと商品名を付けたもの。
どちらも水銀整流器の一種だ。
それとは違う系列が「パラメトロン」増幅・記憶構造。
交流電化区間などで、鉄道信号電源の分周器に鉄芯コイル式が使われてるし
マイクロ波増幅にバリキャップ(可変容量ダイオード)式が使われているが、こちらの語源はわからん。 電子管の英語名“Electron Tube「エレクトロン・チューブ」
シンクロトロン "Synchrotron Radiation「電磁波」 整流は電子回路を使用するという方式の研究は、昭和10年代からサイラトロンを使用して始められていた。
サイラトロンとは、大電力の開閉器として使われたガス封入型の熱陰極硝子管である。三極管、四極管、五極管があるが、三極管が最も一般的である。
封入するガスとしては、水銀蒸気、キセノン、ネオン、水素(水素は特に高電圧な場合や高速なスイッチングが要求される場合に使われる)がある。
真空管とは異なり、サイラトロンでは信号を線形に増幅することはできない。
大正12年、サイラトロンは初期の真空管からの派生として登場した。例えば UV-200 はアルゴンガスを少量封入してあり、電波信号の受信感度向上を目的としていた。
ドイツシーメンス社の LRS Relay 管もアルゴンガスを封入していた。整流器としては真空管よりも登場が早く、アメリカGEのアルゴン封入のTungar管や Cooper-Hewitt の水銀整流器
がある。ガス封入管での整流作用の発見者は、アメリカGEのアーヴィング・ラングミュアと G. S. Meikle とされている。
交流電気機関車は、単相交流整流子主電動機を使用した直接式と 交流を直流に変換し、直流電動機で駆動する間接式が作られた。
ED441は日立製作所水戸工場で昭和30年6月に製造された直接式の試作機関車で、間接式の試作機としては、ED451が昭和30年7月に三菱電機で、ED4511が、昭和31年2月に東芝府中工場で、ED4521が、同年3月に日立製作所水戸工場で完成した。
これらはいずれも水銀整流器で交流を直流に変換するもので、間接式が有利と認められ、ED451をベースにしたED70形が昭和32年10月の北陸本線、田村〜敦賀間交流電化用機関車として作られた。
昭和30年代にはサイリスタやトランジスタを使用した実用的な無整流電動機が製造されるようになった。 4点補足
>>228
☆サイラトロンは一種のスイッチ素子で、オシロスコープの時間軸(鋸歯状波)発生器の定番だった。
使用数としては電力用よりこちらの方が多いかもしれない。
CR回路に充電して境界電圧になると放電・短絡するので鋸歯状波となったが、オーディオ周波数領域が使用限界だった。
☆×無整流電動機→整流子式電動機(従前の構造で脈流駆動を許すもの)。ED75,79まで直流整流子モータ。
整流子の無い交流誘導電動機の機関車への採用はズ〜〜っと後のEF200が最初だったはず。
>>224
「トリニトロン」を忘れてはSONYさんが可哀想。画面が非常に明るい「クロマトロン」を売り出したのだが、
製造収率が悪く商業的には最後までペイできず意地で作り続けたのを、1ガン式カラーブラウン管=トリニトロンでコストダウンし切り抜けた。
1ガンだから従前のRGB3ガンより大口径でシャープな電子ビームを作れたことと、
光点を従前の○から方形にして発光面積率を上げて従前よりは光量を確保、(これに他社も追随したが)。
>>225
シンクロトロンは電子やイオンの加速器じゃないかい?真空動作だから「・・・・トロン」で合っている。
電子がこのシンクロトロン加速器で加速度運動をすると電磁波を放射するのを「シンクロトロン放射」といった。
☆とうとうブラウン管式テレビが世界中で全面製造中止だってねぇ。
残る真空管はマイクロ波関係の、マグネトロン、進行波管、高級家電用の蛍光表示管くらいになってしまいましたか! >>229
ブラウン博士が発明し、日本では㋑の字を映したものが初めてだったね。
トリニトロン方式のカラーテレビはフライバックトランスレス方式のTVや櫛形フィルター搭載の、
ブラックトリニトロン、フラット防磁スピーカー搭載のトリニトロンTV
三菱電機が開発したTVの画面を伝送式でコピー出来る、TV画面コピー機なんかもあった。
ブラウン管はカラスに鉛を混ぜて製造するから、どうしてもリサイクル出来ない、
現在でも地中に埋めているから、PCBやロッカクロム問題が起きなければいいがね。
日本では辞めてしまったが、日本と同じ方式のNTSC方式のTV放送はまだ、
韓国、台湾、フィリピン、中南米(ブラジルを除く)などで採用されているから,
海外ではまだブラウン管式のTVは需要があって走査線1050本のハイヴィジョン放送の方式以外の
1秒間あたり約30枚(≒秒間29.97フレーム)の映像を525本の走査線に分割して放送する方式なので、
日本製のまだ使えるカラーTVは海外へ売り飛ばされてる。
白黒テレビとの互換性が高いから、日本でも未だ監視カメラのモニターやPCモニターにも使われている。
最後まで残る真空管は、やはり蛍光灯だと思う。
LEDとさほど現在では消費電力が変わらないし、LEDが切れたら取り換えが出来ない、
これが改善されたら、蛍光灯は無くなるのかもしれない。 >>232 スレタイ内容とはかなりズレるが、
「櫛形フィルター」ってのは、ブラウン管とは無関係じゃ無いの?
カラーTVの色信号分離復調に必要な部品。
&
電子レンジのマグネトロンと、マイクロ波中継器の進行波管は、蛍光灯より長生きしそう。∵代替素子がないから。
蛍光表示管の「高級感」も棄てがたいが、こちらはLED代替可能。
鉄道車両の案内表示も15インチLEDディスプレーだしねぇ。 >>231
他ロットとの違いと、どの辺が貴方の好みなのかをkwsk >>236
前面窓の上に付いている庇。トンネル内に垂れさがったツララを切ってガラスが破損するのを防止する。 そういや、つらら切って機関車だけの装備だよね
電車や気動車ではガラスは破損しないのかな つらら切りって言うけど、あんなんでつららでのフロントガラス破損を防止する効果あるのかね?
EF58にあったもっと出っ張ってる庇でも個人的には疑問だ
まあ車なんかの飛び石よりは破壊力はないだろうけど つららの破壊力は意外と強いよ、普通のガラスなら簡単に割れるからね。
ただ鉄道車両のつらら切りの効果は疑問、普通ならつららが成長する前に
列車の屋根に当たって落ちるはず。でも、長時間阻止後の運転再開時には
使えるかも、つららが出来る所は決まっているので、徐行すればOK
話は変わるがED75+旧客でも見てくれ
http://youtu.be/NhAcqLa6RCw >>238 北海道の電車や気動車にも、デフロスターはあれど、つらら切りのような庇を付けたものなさそうだ。定山渓鉄道の車両の画像も調べてみたが。
そもそも、電気機関車の庇ってつらら切りが本来の目的か?東急の電車とバスの博物館に保存されている3000系(初代)のような、日よけ用ではないのか? 折らずに当たるのと折ってから当たるのとの差だろうけど、上越の16はもちろん、58や15、65は必ずつけてたし
板谷機やA寒地のDD51は冬季にはプロテクタまでつけてたから効果あったんでしょ。まぁ当時はガラスが悪かったり
画一的につけてたのもあるんだろうけど。いまとなってはEH200やDF200もつけてないけど、EH200は割れたって
話はあったよ。昔はツララ出来るような時に走る夜行や貨物は機関車だし、悪天候で間合いあるとカッタ
走らせたりしてたから電車の被害はでにくいだろうし、ローカルのキハは速度遅いのと漏水してツララできるような
所は徐行してたんでしょ >>242
基本的に旧国鉄では電車屋・気動車屋と機関車屋では、まったく別の組織だったらしいから、
マスコンとブレーキの位置に象徴されるように、つららへの対応も異なっていたのではないか
機関車屋には蒸気機関車以来の伝統もあったのでしょう 直流だけど、EF58の青大将も庇付だぞ。こちらは元々、東海道線用だろ。
日よけが主目的だったとしか思えない。上越線にも同形式の庇付が入っているから、つらら切りや前面窓の着雪防止の効果も狙ってたんだろうが。 244だが、庇付の青大将って、元々、上越線用だったのが東海道線に転用されたものか?
転用組で庇を撤去しなかったものが相当数あるそうだし 58は高崎にいたり東京機関区の時に高崎に貸出しされてたりしてたからだよ
広島の一体型は日除け目的だけどな。ツララ切り、一度つけたら外したのはないだろ ツララ切りよりデフロスタの方が氷溶かすのは効果がありそうだな。
ED78の最終ロッドは庇タイプから、
熱線式のデフロスタ入りプロテクター柵に変更に成った。 EF58の庇は高崎のつらら切り形と東海道山陽筋の日除けに区別が出来るそうだ。
同じように見える大型の庇も高崎は上向き、東海道山陽筋は下向きになってるとか。
30年前の鉄ピクの特集で読んだ覚えがある。 >>248
当時の東京機関区の職員が洒落で付けたっていうことが35年前の鉄Fに書いてあったよ、
では本題に、さよなら交流電気機関車orzこれEF641000と同じロッドだよ。
20年余りで廃車は早いし惜しいなぁ、直流機への転換は考えなかったのかね?
http://ed75.la.coocan.jp/contributors/009s/2000.07-08/m/ED7812-01.jpg >>247
三八豪雪のときなんかEF70のデフロは役に立たなかった
ワイパーも耐雪構造でなく、軽自動車のリアワイパーみたいなやつだったし ちょ、ツララ切りってトンネル等に出来たツララ対策?
それともフロントガラスにツララが出来なくするための対策? >>242
最近の機関車は複層で被膜入り強化ガラスを使っているため、粉々に割れることは無いので
庇は付けていない。 >>250
鉄道車両はデフロスタから熱線入りガラスに進化したよね。
自動車でも欧米ではフロントガラスに熱線入りがあるけど何故か日本では熱線入りフロントガラス装備はない。 自家用車の場合バッテリーが上ってしまったらそれまでだからな。
最近の乗用車は電気部品が多過ぎる。
90年代の車から急激に変化したね、パワステ、電動ミラー電動窓開閉、
ETCにGPS、車載カメラ、バックセンサー、カーステ、手動式でも問題無い物までも電動化してるからね、
それに現在の技術では合わせガラスに電熱線を組み込んでしまうと、
事故等でフロントガラスが粉々に割れなくなってしまうから危険なんだよ。
今、日本板硝子と某自動車メーカーとの共同開発チームで、フィルム熱線シートを組み込んでも従来の合わせガラスのように
粉々に割れる研究はしているよ。2030年までには実用化したいって言っていた。 >>254
クルマはエアコンあるから強いてつける理由がないんじゃね
機関車は電熱線別体が組み込みになると視界が開けるんだろうけど、見てる方はデフロスタ付の方が
かっこよかった。いま電機のデフロスタ付ってP501くらいか。6019は外したんだよな >>256
冬場始動時にフロントガラスについた水分が凍った時を溶かす時フロントに熱線があったらな、と思う。
エンジンが 暖気するまで(ヒーターが効くようになるまで)多少時間掛かるし。
フロントの熱線入りガラスは欧州車やアメ車で日本仕様以外の仕様では標準装備となってることが多い。 >>256
貴方は車運転しないの?
冬場エアコンかけると車内側と車外との温度差で
フロントガラスが曇って視界が悪くなって見えなくなるんだよorz
熱線入りガラスだとそんな事が起きないので、早く実用化して欲しい。 >>257
アメ車はイージーな車が多いから事故を想定していないんだろうねぇ・・・
米国らしいと言えばそれまでだが。
イタ車なんかも事故を想定していないんだろうね。
日本は人命最優先だから、ドアミラーだって未だにタクシーはフェンダーミラー(個人は除く)だよ、
まぁドアミラーよりフェンダーミラーの方が見やすいっていう理由もあるんだけどね。
俺の乗ったベンツは日本で乗ったから熱線は入ってなかった。
右ハンドル車だしなorz
正規ディラー通してしまうと、右ハンドル仕様になるよ。 クルマで例える奴とかクルマの話始める奴はほんと空気読めない馬鹿だよな
>>258
貴方は頭悪いの?フロントはデフにすればエアコンの乾燥空気を送ってその程度の曇りはすぐとれるようになってるだろ
みみっちくコンプレッサ止めてるからそんなマヌケなレスになるんだよ >>260
えっ何で???
運転中にマジでフロントガラス曇るじゃん。
俺そのたんびにタオルでフロントガラス拭いてるけど
最初は曇ってなくても運転中に曇るんだけど・・・・・
エアコンの温風切るか、温風の風の向きを変えれば曇らないんだろうけど
それじゃ車内が寒くてたまらんw >>261
ン? 今時どんな車乗ってるの。。。260氏のようにすればすぐクモリは消える。 >>254
バスなら運転席側窓と前扉に熱線入りがオプションである。
フロントガラスなら下部に熱線のワイパーデアイザー機能が付いた国産乗用車があったはず。
フロント全面に普及しないのはコスト面、断線したらガラス毎交換になるからだと思われ。
それにデフロスタの機能が優秀だからそれで事足りる訳で。
>>255
フロントガラスは合わせガラスじゃないとダメ。
粉々になる安全ガラスはだいぶ前に不可になったぞ。
>>258=260
まずガラス表面が相当汚れてる筈。
だから先ずはシリコーンが添加されてないクリーナーで清掃しる。これで軽減される。
またデフロスタを作動させる際に少しだけ側窓を開けてやれば曇りが早く取れるからやってみ。
風の流れを作ってやるイメージで。
あと風当てて曇るのは内気循環にしてるんじゃねぇのか?
暖まったらすぐ外気にしろ。
>>260
惜しい。
外気温が一定以下になるとA/Cにしてもコンプレッサは作動しない車が少なくないんだよ。 温風式曇り止めは息苦しくなってくる
EF66の1次型は温風式だったけど、2次型から電熱線膜にマイナーチェンジ
車もそれにしてほしい 電熱線膜はガラスが温まるのが遅い。東のE5以降は運ちゃんの要望でクモリが取れるのが早いデフロスタも併設している。 俺としてはフロントガラスの曇りも気になるが、ぶち当って潰れた虫の亡骸も非常に気になる
停車時間の長い駅とかで雑巾で拭いたりクリンビュー吹きかけたりしないのだろうか? 485系とか特急型はワイパー水装備しているけど
国鉄電機は無いね
100キロ程度の速度だからそれほど汚れないのかも >>267
いや、ほぼ垂直面なフロントガラスは凄く汚れるよ >>266
>>クリンビュー吹きかけたりしないのだろうか?
眼鏡曇っちゃった?
by
月の家円鏡w おじさんには懐かしい、平成生まれには新しい?
1984年に行われた敦賀第二機関区の撮影会の動画を見つけたよ。
EF70のパンタグラフて大きい上に前に出ているよね。
http://youtu.be/aRxl6oI2bjk 交流電気機関車の電気暖房って変圧器から
電源取っていたの? 次はセクション!
ガリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ(ノッチ戻し)
ガッチャガッチャ(二度締め) ED7680とED7681は同じED76でも随分違う。
則ち変圧器の絶縁油が80号まではPCBオイルであったが81号からはシリコンオイルになった。
変圧器の冷却ダクトのシャッターが80号までは3枚で構成されたが81号からは1枚で構成された。 ED7680とED7681は共に大分機関区にあったが
80号は日豊本線宮崎電化でデビューしたが
81号は同じ大分機関区にあって、大分と180゚違う長崎本線・佐世保線電化要員であった。 >>278-279
詳しい方ですね。
質問したいんですが、
最近のJR九州のED76は機関車側扉だけ色が違いますが、理由が何かあるのですか? JR貨物のED76は一部ドアが銀色になっているのは、
ステンレスに変えているからです。それはED7681です。 ED75700は秋田機関区にあって、奥羽本線・羽越本線を走ったですね♪
羽越本線は新潟寄りに直流区間がある。一部の列車がEF81に取って代えられた。更に湖西線電化でEF81が増備された。ED75700は羽越本線から撤退した。東北本線の八戸までの運用が新たにできた。 ED75の運転台の計器って0番台から共通?
EF81みたいな速度計だけちょっと出っ張ってる仕様が好きだわ 700番台はそれだな。6連横並びのやつ
0と1000番台は速度計が別なんだよな おお、即レスサンクス
じゃ、つべにあるレール7の八甲田は700番台牽引だったって事か ED75はM型が最高にかっこいいなぁ。
勿論P型も捨てがたいけどね。 >>288
可動させようにも機器が著しく老朽化して、部品類も無ければ動かせないでしょ。 最新の機器に乗せ換えてだな…
インバータ音を奏でながら動き出すED70 大分機関区にいたED74
6両と言う数の少ない事の悲劇、特急『彗星』の牽引の任務を与えられたのも束の間、宮崎電化で、ED76に牽引の任務を奪われた。
以後は貨物列車専業になったが高圧タップ制御のせいで空転が多いと乗務員の評判が悪かった。 エルム、最初の頃は田端のPFに青森の75だったからな
その頃はまだ客レもあって青森もMと1000の最終型と700が配置されてた ED76の1000番台は、時代によって、造りが異なる。
則ち、1001〜1010は鹿児島本線 鹿児島電化でデビューした、特急『はやぶさ』『あかつき』則ち20系客車の為にあった、電磁ブレーキが必要。
1011〜1014は、特急『彗星』増発の為にあった。
1015〜1023は、日豊本線、鹿児島電化の為にあったというが、側窓を桜島の火山灰侵入防止の為、ユニットサッシになった。特急も24系25になり電磁ブレーキの必要性が薄れた。
また、ホイッスル音がED76の癖にEF81並みに甲高い。 南今庄の待合室に、EF70一次型のブタ目がどうのと落書きがしてあったのを思い出した 餓鬼っぽい質問で悪いが
EF71とED76-500 が引っ張り合いしたら前者が勝つかな? 単純なパワーではなく、粘着性能勝負になるかな?
F級が有利か?
結果どちらも空転で引き分けとか… 空転癖をだいぶ悪し様に書かれたりもするがさすがにFの71だろう なぜ78ではなく76-500なのかわからんが、微妙なとこをついてるのは確か
軸重を16.8として、違いは78、71が全サイリスタに対して、76-500はタップ間サイリスタ
78と76-500なら台車間長さは76-500が少し長い
78と76-500のツナギは4個並列、71は2個直列を3並列
空転し始めると71は弱いけど、空転しなきゃ71かな。早くノッチアップした方が負けるとかじゃね ED78はもったいなかったねぇ、
ED75に改造するなりして再編入すれば現在でも残っていたろうに。
空いているED75800番台にすればなぁ・・・・・ どうだろう。ED75の晩年は重連運用が主体だったから、ED78じゃ長さ違って使いにくいとかクレーム出て終了だったんでは?
ED76-500の青函向け改造車もそんな理由でさっさと廃車になったし。 EF71vsED76-500
砂撒きと単弁の扱いの極意を知る機関士が操る方が勝つのであった 交流D型電機は直流F型電機に相当する粘着係数なんだっけ?
直流F型の方が重くて出力はあるけど、引っ張り合いっこすればがっぷり乙なのかねぇ。 >>306
え〜、その試合の場合はデッドセクションを設け、控え車を何両か介する訳ですね?
セクションより向こうに牽き込まれたら死亡?
ABB作動で仮死状態かな? >>306
違う。交流機の粘着係数が高いから直流6軸機と交流4軸機は同等って言われた。再粘着が有利だからなんだけど
これは引っ張り合いしたら直流6軸機が勝つよ。EF65とED75の起動引張力を比べてみればいい 交流モーター積んだ本当の交流電機って
ED45だっけ? 今月のてつピクに、EF70と、EF81の重連写真。
前の70は前パン、後ろの81は後ろパンなのが新鮮 >>312
同様な重連の貨物列車がつべにあったと思う
まあ81は回送だろうね >>311
ED44だよ。ED45 1号機の方式を改良して量産したのがED70。 黒磯で変更前の電流対応車がパンタ下げていないのに電流切り替えちゃった事故ってないの?
で、もし そういう事故事例があるなら該当したクルマはどうなった? 交直両用車ならABBやヒューズが切れるだけ。黒磯に入る交流専用車もそれの対策用のヒューズを持ってる。
直流専用車でそれやったらえらいことになるだろうな。 ちょっとスレチ気味で申し訳ない
交直両用車所属の機関区って検査等の為に庫内では交直切り替え出来るんだっけ?
だとしたら同区に交流機or直流機が所属していたら神経使っただろうね >>317 通電テストは、工場だけじゃね?(工場が掛け持ちなら そりゃ多少神経使うだろうが・・・)
所属機関区での検査(月検や出入庫検)では、精々MS(メインスイッチ)とか切って通電しないで確認点検では? いや田端、というか尾久の検修庫には交流が切替できるようになってるよ
大宮工場にもある。通電テストできないといきなり本線試運転で確認になっちゃうだろ 土崎工場は逆に秋田なのに試運転線でEF64が走っててシュールだった 土崎でやるとなんか直流機関車の調子がおかしく成るよ、
以前EF5861が土崎へ入場したときに色の調子がおかしかった。 >>316
直流車に交流20kVかけると避雷器が反応して回路を守るんじゃないか? 交流車に直流かけると保護回路ないやつはあぼんだった気がするけど。
交直流車しかしらないから憶測だけどね 交流冒進はVCBかABB作動で遮断されるけど、
直流冒進だと主ヒューズが飛んでヤバいのでセクション区間が長いんだっけ。 ☆☆☆☆☆
☆ 自民党、グッジョブですわ。 ☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆ >>324
むしろ逆で、直→交は遮断機が確実に作動するための時間を作るために長い。
交→直は遮断機作動しないから短くてすむ。作動させないのは、交交セクションと区別がつかないからだと思った。 また戦友がこちらへと…
これが同期では最後になるのかな? おいおい、まだ俺が残ってるって
君を淘汰したのは時代の流れだったんだからいい加減許してよ
兄弟たちもそっち逝ったの多いしさ
俺もそのうち逝くよ 81の様に20系、10000系コキ用込め過ぎ防止ピンは70にもあったのかな? 映画"夜叉"
念侍さん、EF70-15の前で健さんにボコられる 昔の映画やドラマって操車場で殴り合いとか普通になったな あぶない刑事でも横浜の貨物線での撃ち合いがあったりした ED71って薄の侘しい秋の景色と良く似合う顔している気がする >>333
何かそんな写真雑誌で見た事あるなぁ
上下分離区間なのか単線なのか、ススキの中を旧客牽いてるED71 金谷川付近だろうか
ED71ってなんか哀愁漂うんだよな 直流区間にもセクションあるのは知ってたけど
交流区間のように惰行しなくても良かったんじゃなかったっけ?
今回の京浜東北の事故… 北陸のEF70は、一部九州に亡命しました。
亡命生活が短い割に、実のある仕業があったという。ED74は、大分までしか走らないのに
EF70は、熊本や長崎まで走った。 この話もループでスマンが
九州へ行ったEF70は再度ブルトレ牽けたんだよな
1レのさくらとか博多あさかぜとか
ED74も彗星を牽いたし
ある意味返り咲きだ 餓鬼の頃は75やら76の500番代しか知らなかったから交流機の汽笛は甲高いモノと思い込んでた。
九州で76の汽笛聞いてそうではないと知った。
まぁ寒冷地対策の汽笛カバーが原因なんだけどね。 ピーとポーだな
暖地向けのは低く聞こえるし、寒冷地向けはラッパも付属 こないだ長浜の保存館に行ったが、ED70って随分短命たったんだね。 >>343
ED71に比べればね、田窓のED71が大好きだった
でもED71って田窓と田窓じゃ無いのと有るけど器機とかも違うのかな? >>343
輸送需要の大きい北陸本線勾配区間を走るんで、大出力機EFに置き換えられたんでしょう。
勾配対策でループ別線を作ったり長大トンネルを掘ったりと地上側でも大変苦労してるとこ。 >>344
田窓
クイル式の前期型
試作機(1〜3の内のどれか1機)に前後非対称の物あり
横並び窓
半吊り掛け式の後期型 EF65よりも長いのに
フィルター窓が5枚なので短く見えるEF70 水銀整流器搭載車輌ってED70からシリコン整流器のEF70まで4年、試作のED45から数えても6年なんだよね、本当につなぎ的な採用だったけど多種多様な試みがなされてて興味深い。
ところで保存車輌で水銀整流器を残しているものってあるのかな?
現役時代にシリコン整流器に改造後保存(ED91 21)みたいなケースもありそうだし、なんらかのかたちで水銀が漏れたらヤバいから廃車時に基幹部を撤去したりしてるのだろうか? >>348
最終的な水銀保存法
http://www-cycle.nies.go.jp/magazine/kenkyu/20100125.htm
水銀合金化で固体にしたり、硫化物等で長期保管してるみたいだから、
水銀整流器の水銀はその処理・保管方式だろうけど、
いまだに大量に環境に放出されてるのは蛍光灯に使ってる水銀みたいだねぇ。
水銀灯もまだいっぱい使われてるし使用ゼロにはなってない模様。
水銀は発電や製鉄で副産物として元々生成されるもので、回収するが、やめるつもりはない。。
保存車両は分からん。
動いてるヤツはシリコン整流器に載せ替えてたから、その時に取り外して処分。 >>349
確かにそこら中に蛍光灯が廃棄されてるしなぁ
そんな事言ってたらシリコン整流器搭載の保存車輌だとトランスの中にはPCB油が残ってる可能性も高いし、撤去してなくても機械室内部の見学はハードル高そう >>350
車載の水銀整流器はタコじゃなくて、金属封止切り単極構造のイグナイトロン、エキサイトロンだから
中は見えず、どうってことないと思うけど。
かっては変電所が相間リアクトル2重星形YΔ12相整流方式で
水銀整流器は金属槽型6極で、真空ポンプと水銀拡散ポンプで引いて高真空を作りながら
運転していてそれらしい迫力だったんだけど、とっくにシリコン化されてしまい、
どこかに残ってるってことは無さそうだねぇ。 >>351
タコってなんかのオブジェみたいで綺麗だ
でも紫外線出すから直視しちゃダメなんでしょ? >>351
> かっては変電所が相間リアクトル2重星形YΔ12相整流方式で
水銀整流器時代は6相の「相関リアクトル付き2重星形」が主流でしたねぇ。
YΔ2基で1組にして24相にする方式は1995年の通産省「高調波抑制対策技術指針」あたりから主流で、
水銀整流器時代ではあまり多くなかった。
>>352
明るいとこで見ればそうでもないが、紫外線は「白内障の原因」とされてるから避けた方が良いのはたしか。
神田万世橋の交通博物館にはタコの動作展示があった。 >>353
× > YΔ2基で1組にして24相にする方式は1995年の通産省「高調波抑制対策技術指針」あたりから主流で、
○ > YΔ2基で1組にして12相・・・・・・・・
何をやってるんだろねぇ〜?スマソ。 重電系に詳しそうな人がいるみたいだから聞きたいんだけど
商用周波数用の交流整流子モーターってED44用に3社で作った6基くらいの規模の物って実用に即したものってあるんだろうか?
小さな物なら今でも電動ドリルやサンダーで見るけど
車載スペースという制約が普通は無いから昔の巨大プラントなんかなら水銀整流器なり回転変流機で整流して直流すればいいと考えると大型の交流整流子モーターっていらないよね? >>355
大量生産ベースで実用になった大型交流整流子モータは無いよ。
交流電気機関車をフランスから輸入するか、国産化するかのせめぎ合いの中で、
フランス現地で輸入交渉中の代表団に、交流整流子モータが回って国産化の目途が付いたことを伝えて、
輸入数を激減させることで交渉を決裂させて帰ってきた。
しかし試作一両に留まって、実用化したのは整流器方式。
交流機関車輸入案撃退の当て馬だったのがリアルなところ。
※小電力では昔からずっと使ってる。
指摘の電気ドリル、Oゲージ模型モータ、HO用にも製品があった。2極3溝だったが。
大型の14極〜16極なんて、数多いブラシの保守がやりきれないでしょう。 ED72量産機17号機か21号機
ED74も保存して欲しかったなぁ
唯一のED73はJRの放置プレーで解体されちゃったし・・・ >>356
交流直巻整流子モータを使ったED44は、「ノッチを入れてゆくと突然トルクが出て運転しづらかった」
という話があり、これは電流−トルク特性が2乗特性を使っているためと思われる。
鉄道車両での直流直巻モータの電流-トルク特性図を見ると、ほぼ電流比例の直線に近く、
常用動作領域では界磁が飽和領域であることが推認されている。
弱界磁率(=弱励磁電流率)50%〜30%〜19%などという値は磁束ではなく、励磁電流であり、
磁束の方は界磁の磁気飽和の影響であまり減らず67%前後と思われる特性が描かれている。
交流直巻モータではこの界磁飽和がないために生のままの2乗特性が現れているのだろう。
=交流励磁では鉄損も大きくなって飽和領域まで励磁しがたかったのではなかろうか。 >>360
鉄槽のゲート付き単極型のはずだが。
イグナイトロンとかエキサイトロンてのはその商品名。
点弧に「イグナイター」を使うとか、放電の安定化に「エキサイター電極」を設けてるとか
微妙な特徴で名称を決めていたが基本「水銀整流器」であることには変わりは無い。 水銀使っているので、
シリコン整流器に比べれば重い? >>362
真空管と、ダイオードの比較だなぁ。
基本的には様々な周辺が必要な真空管:水銀整流器の方が重くなるが、
耐熱ではシリコンが150℃〜175℃ってのはかなり低めで冷却装置が嵩んで差を埋める。
当初のシリコンはたしか6素子直列のブリッジで、均圧化抵抗まで抱いていたから、損失は水銀整流器にかなり近かった。
だからヤヤ重いかな。目方についてバラしたデータは見たことが無い。換装されてるから重くなったのは無さそう(w >>365,366
電気機械2、工学博士蓮見孝雄編著、実教出版1956/01/25初版\164。
5.4水銀整流器の原理と構造p199〜p229.p210図,p211)
(工高電気科教科書)
http://www.geocities.jp/jtqsw192/FIG/600rect/rect_cir.htm#F6 このスレ良スレですね、勉強に成りますありがとうございます。
EF70が直流電機機関車化されてたらEF58とEF61の置換用で、
でもEF61をEG改造する計画は無かったんだろうか?
交流リアクタンスのインバーター電源を搭載すればEF61もEG化は可能だったのにorz
やはりクイルが問題だったのかな? EF61は下回りもだが車体の老朽化(SG周辺からの腐食)が激しかったとかじゃなかったかな ED45って11号機と21号機は保存されてるのに1号機は解体されちゃったんだよね
エポックメイキング的な見方で言えば1号機を残すべきじゃなかったかと思うんだけど、どういう事情があったんだろう?
もっと言えばED44も残して欲しかったとは思うけど、こちらは休車になったのも早かったし、技術的に本採用にならなかった黒歴史的な要素もあるから納得いくと言えば納得いくんだが >>371
1,11,21号機は重電各社の競作試作機で、主要部品が結構違うはず。
使った単極封じ切り水銀整流器も、イグナイトロンだったりエキサイトロンだったりで、
液体水銀の陰極のための動作不安定もあって、
残す評価に影響してるんでは?うろ覚えだが、東芝、日立、三菱?だった気がする。
(資料を持ってるヤツがきっと割り込んでくる(w。)
差し障りがあって得失の詳細を明かさないんじゃない?
後の量産型も大容量シリコン整流器が出現するとさっさと換装されている。 >>372
1号機が予想外の高評価で「それなら」って事で他メーカー(東芝、日立)、他方式(空冷イグナイトロン、エキサイトロン、高圧タップ切替)を追加で発注したはずで11号機と21号機は1号機と同時進行ではなかった筈だし、
現場の評価も安定性を含めて1号機が良かっただけに1号機が残っていないのが不思議なんですよ。
水銀整流器機自体は試行錯誤の途中のままどれがベストか結論が出る前にシリコン整流器に置き換わったからよくわからないし 所詮ハコの静態保存なので内向きな技術的評価よりも表向きに出てる歴史的評価を優先すればやはり1号機だと思うんだけどなぁ ED70は19号機の方を保存して欲しかった
何故かこれだけ全長が長かったはず いやED74を保存展示してほしかった!残念だったorz
せっかく保存しても放置してボロボロにして結局解体してしまう
JR九州 EF70とED75あればいいだろ
少数機なんか失敗作のゴミなんだから解体でいいんだよ >>378
三島会社は余裕ないから…
ED72とスレ違いだがキハ07が残ってくれただけで感謝だよ >>380
EF71か?あれも1両も残って無いのか??? >>382
EF71なら利府の新幹線車両所で放置プレイ(最近だと一般公開でも置いてるトコに入れない)
同じ敷地にあったED78はこのままだと皆処分するから日立が引き取ったという噂あったがさて… ED75は1ノッチ入れた時の衝動がすごかったとか
切と1の間で調節するとか「証言」って本に書いてあるけど、そんな事可能なのか? タップだから無理だと思うけどどうなんだろうな。単弁残すとかそういうのじゃないのかね
>>384
ついでに言わせて貰うと、ED76の500番台はワイドボディなんだぜ。64-1000と一緒でちょっと違和感あるのはそのせい >>386
ED75だとタップの間を磁気増幅器による位相制御で無段階でつないでいる基本構造だから、
もし>>385が事実なら、細かなとこでなにかチョンボをやってると思える。
たとえばタップ間は磁気増幅器で繋いでも、0−1タップ間には磁気増幅器を入れられなかったとか(w
存在しない機能をノッチの中間で実現できることはない(w 75-300にヘッドマーク付けてやったのは
最後の花道飾る九州局の粋な計らいだった https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTeOp0(パトカーサービス不足ウソ製作費定義)
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算me-ka-
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田ピク底ファンド
頭皮成分不透明ベンチスタートドナルドストラテジエイト(弥勒ソフト) 75の300番代はヘッドマークがちょっと下に付いてて、東北のに比べると締まりがない気がした 75700番台のゆうづる牽引は最高にかっこよかった。
運用によっては重連に成る事もあり最高だった。
ヘッドマークの絶大なアシストもかっこよさが増した。 700番台は屋根上がすっきりして好きでない
やっぱり0番台か1000番台 ED75-1039
あのような運命になるとは…
それでも精一杯生きたのだろう 自分は屋根上は物々しくてツラ構えはスッキリしてた1000番台最終増備が好きだな ED78の最終増備車が好きだな、あの無骨なプロテクターが最高! 地元を走った機はどうしても思い入れとか出ちゃうよね
でも地元でHM付けてブルトレ牽けなかった不遇なED74
交流機でブルトレ牽いてないのはED77? >>399
団臨でもいいなら20系を牽いたことがあった >ED77 >>399
ED74は彗星と富士のおわん型HM付けていたよ
HM省略される前の1970年代初頭だったから実現できた >>401
ED74の不遇ってのは俺の地元、北陸時代の話だったんだ
分かりにくくてスマンよ ED76は、全廃の日が近くなるだろう。
九州電機落城?
北海道新幹線の開業絡みで、EH800が増備する。EH500は、青函トンネルから撤退する。
一部のEH500は、仙台から門司へ転属する。
そしてED76は全廃する。 >>403
不安定なイグナイトロン水銀製流管の使用などで
安定性能的にとしてはまだまだ半信半疑の試作機レベルと考えられて居た時代、
故障しても逆脚光を浴びない仕業に流れるのは当然。
一度も実施したことのない避難訓練試験にマスコミを招待してしまって、
操作エラーによるたった10分余の停電という軽微なトラブルを全国放送されてしまった、
北海道新幹線竜飛海底駅救援列車停電事故みたいな間抜けなことはしたくなかったのだろう。
安定したのはシリコン整流器の機種になってから。 ED70、ED71もブルトレ牽いたことないんだっけ? HMも付いてたよED71牽引「はくつる」
船岡に置いてあるのは2次型なんだっけ? >>409
船岡の37号機は一次車
あと20系時代の新星と津軽牽いたこともあった(共に短期間、特に後者は数日だけど) ED70って東北本線で試験走行もしたっけ
あれ?60Hzなのに >>411
50/60Hz両用試験車だった(外見も若干違う)19号機が一時期貸し出されてる ED7019号イグナイトロン交流電気機関車補機性能試験
著者:大野 寛孝 他
出版年,昭和34年-07 三菱電機
この本に東北本線での試験について詳しく書いてあるよ。 >>414
そんな資料、一般人がどうやったら入手できるのよ? ED76-500には
戸閉知らせランプがあったんだっけ? ED77はED75庇グループを間延びさせて感じだけど、
顔つきはなんか違うな。 901はおいといて、ED77、1号機から熱線なんだよな。ED75のツララ切り付きも途中から熱線になってて
デフロスタのと顔が違う。デフロスタの方がかっこいい >>419
同意。
でも曇が取れる視界が狭くて順次電熱線膜式に改造したんだろうね。
スレチだけどEF65の一部は頑なに最後までデフロのままだったりする。 配置地域の気候で熱線のほうが良かったのだろう
いや、熱線じゃないとダメだったのかも >>403,406
車載水銀整流器の不安定性で、逆弧を起こしたりしたんで目立つとこには使いたくなかったってのは正解らしいよ。
齋藤雅男氏がRJに連載で書いてた記事を本に纏めて「東海道新幹線/安全への道程」と題して
鉄道ジャーナル社/成美堂出版から出てる本のp180L4〜L7に以下のように書かれてる。
> 北陸本線に入れたED70型も成績が良くなかった。
水銀整流器による整流のため機関車の振動によってバックファイヤー現象がよく起きていた。
そのため、乾式の整流器が出来ないものかと関係者は知恵を絞った。
結果はシリコン整流器の完成であった。
となっている。イグナイトロンもエキサイトロンも単管封じ切り水銀整流器の一種で、
陰極が液体水銀だから、激しく揺れて跳ねると陽極やゲート極との短絡や逆弧現象を起こしやすかったのだ。
>406の推定は当たりだ。 液体水銀…
ガキの頃体温計を割って掃除機で吸い取った思い出 >>424
「違い」を論じるときには、動作原理の違いが主内容だろうが。
形態で論じられることは間々あるが、動作の主要では無いことに適用してはいけない。
まるで何が何でも書きたくて堪らないWikipedianではないか。
主機能である整流作用で分類するのが第一で、
陰極の熱電子放出由来と思われる放電の片極性で整流されるのが水銀整流器、
不純物半導体のPN接合の整流性を利用したのがシリコン整流器という捉え方が中心。
トラブル原因として、液体水銀陰極の不安定性を論じたいときにその範囲で湿式vs乾式という対比になるので、
そういう限定分野の定義を、主動作(=整流)にまで不当に拡げちゃイカンってことだ。 -0と-100は改造車だから廃車だろうけど-50どうするんだろう? 北海道と九州の電機は何故蒸気暖房式にしたんだろう? >>428
北海道
本州から孤立してたし、全体に占める電化区間の割合が低く周りはDL、SL牽引で暖房管の凍結を考えるとEL牽引区間もSGで蒸気通しておいたほうが安心
九州
東海道、山陽筋からの直通に合わせる為とは言われてるけど理由としては薄いんだよなぁ 九州は謎だなぁ
新型直流電気で唯一SG載せていたEF61も客車衰退で荷物列車専用に 2級じゃない?
前に勤めていた会社に国鉄〜JROBの人たくさん居て
貴重な訊いたけど忘れた。
EF58やDD51のSG動かしていて58のは調整難しいと。 10系寝台当時の上りきたぐにの車掌は大阪で
空調の苦情から逃げるように下車したってのもあながち嘘じゃなかったのか クイル式のトラブル対応でリンク式に改造してるけど、改造後の評価って聞いた事ない。どうだったんだろうか?
あとED72の試作機もリンク式に改造したっけ? ED76-500
EF71
EF70
ED78
大型交流電機はカッコ良かったな EF70、近所の山に1005号機だったかが置いてある…あった?んだが
意外と車輪が大きくて腰高に見えたんだが気のせいかな? それ焼肉屋が所有していたのだな
閉店して解体したらしい 門鉄のED76は鉄粉汚れで汚かった
鹿鉄の方は綺麗な感じ >>437
ああ、もう解体済みなんだ
自分が見に行った時は車体の中はがらんどうだったかな?
ミニ展示室だったような気もする
しかし何故焼肉屋だったのか…
バーベキュー施設の延長だったのかな? 福井県のボーイスカウトの施設にもある
485系特急色に塗られている
こっちは解体の危機 >>440
それ石川じゃないかい?
つべにあるけど見るも無残だったな
あの塗装は羞恥プレイだわ
57号機だったよね >>414-415
国立国会図書館の所蔵で、いつでも閲覧できますよ。 交流機は何で一貫して手動進段だったの?
永久並列だから渡りでややこしくならないから? >>446
機関車は手動進段がフツーで、自動進段や総括制御は幹線・急勾配等特別な条件で採用されていたから、
「なぜ自動進段ではなかったか」という疑問の方が実態にそぐわない気がする。青函機は総括制御。
加えて「D型交流機はF型並の牽引性能!」として導入されており、
それは低速ほど有効牽引力が大きいのを運転士の技術でフルに引き出して実現できるものだから、
限流継電器による一定電流での進段=自動進段では具合が悪い。
と考えると、敢えて自動進段にしないという判断には妥当性が有るあるだろう。
後日、交流機でもD型じゃ牽引力が足らないよって話が顕在化する訳で、
当初は牽引力に苦情を言うと、「再粘着が容易な交流機なのに腕が悪い」とレッテルを貼られそうで言えなかった雰囲気を感じる。 >>446
被牽引側が客車と貨物で重量にバラツキがあるから、発車や速度を維持するのにノッチ数増やして余裕を持たせ
たかったんだと思う。重連だと出力増えるから余計に細かい制御が求められるだろうし
ED71やEF70はタップの電圧制御25ノッチ(EF70は弱めで+1ノッチ)だったのを、ED75は電圧制御は13段階なのに
位相と弱め界磁で34ノッチまで増やしてる。0系や711系はノッチ数少ないから。構造的なことではなく、運転上で
増やす理由があったんでしょ。 >>447
>>448
交流機出現後に出て来た新系列直流機だとEF62以降は自動進段が採用されてるけど、確かに62,63,64は勾配線区用、65,66は幹線用になるけど、じゃあ逆に交流機で同じ様な括りをしたら特殊じゃない機種は何になる?
(ED75は軸重考えると65,66と同じ幹線用っていう>>447の言う特殊用途の括りに入るよね?)
あと、自動進段って操作自体は捨てノッチ+直列、直並列、並列+弱界磁だけど、機械の方で勝手に進段する抵抗段にはバーニア噛ませているから段数自体は相当数あると思うんだけど? ED76やED78などの、
中間台車に軸重掛けているときと掛けてないときの
通過音って違うのかね? 「自動進段」の制御パラメターは、電車なら主電流だけど、
機関車でそれをやると、牽引力一定だから、
単機99トンと、1200トン牽引では加速度が13倍も違ってしまう。
それでは、かなり扱いにくいから、自動進段を働かせるときは軽負荷時に経過時間制御を混ぜてるんじゃないのかねぇ。
ノッチにより上がり方を変えるとか・・・・・・・、
基本、運転士任せで、過電流を抑える範囲で上限だけ自動進段が現実的選択では? 自動進段
電車と機関車じゃ進段数が何倍も違うんじゃ?
電流計の振れが機関車では眼で追えないくらいらしいし
ただ空転時に苦労するみたいだけど
ノッチのボタンで進段止めれるんだっけ?
職人気質な機関士は手動進段を好むみたいだね >>452
jトレにも書いてあったわ
手動の方が自由というか無理がきくみたいだね 何もなければ電流計を片目で、前方をもう片目でって作業からある程度解放される自動進段
最高100キロとしてノッチ刻みが33段なら、単純計算で3キロ上昇でノッチアップは忙しそう ED74という中途半端な電機を何故作ったのか?
4軸でも6軸直流電機と同じ粘着係数得られるという自信があったからか?
しかし、北陸トンネルの勾配は予想以上にきつかったからF型交流電機EF70の
開発に至ったのか。 >>455
当初、北陸トンネルに対する要求仕様は「10‰10qの連続勾配を600t(ここはうろ覚え)牽引できる事」だったからD型機でも大丈夫という判断で作り始めた
けど、同時進行で進んでた北陸トンネルの工事で温泉性の地層を突き抜ける事がわかって、当初の想定と違い高温多湿な環境による粘着低下がかなりのものだし、長大トンネルの中での立ち往生だけは絶対避けたかったという事でされてF型機をメインにする事に変更したらしい
だから6両で生産が止まっただけでもまだ良かったんじゃないかな? 600トン級ってことは旅客列車かな?
時代は1200トン列車を引出し出来るスペックが求められている >>456
北陸トンネル以降の在来線の通る長大トンネルの標準勾配は12/1000になってるはず。
青函も12/1000で掘ってる。
&
D型交流電機に交流機開発当初に言われた直流F型電機並の牽引力は、実際には無いことが分かってきて交流機でもF型開発に踏み切った。
走行中切換を早くから採用した常磐線など東日本はF型交直両用機EF:すなわち直流機に直流変電所を車載した構造を標準とした。 北陸線は旧線、蒸気の時代に1,000トンやってなかったっけ? >>459
D51は牽引定数が重油併然で単機25‰350トン、3両使用で1000トンクリア。
ただし非力なDF50が1両入るとD51の負荷か増したそう。 12‰1000tなら交流D型でいけるんだよな。北陸は1200tの計画があったから
F級にして、青函は1000tだけど、速度だしたいのとお金ないから重連にした
杉津、PA出来たから行きやすくなったけど、あんなとこD51が3台運転してた
んだよな。感慨深い ED74以降の交流機の標準台車DT129って技術的な評価はどうなんだろう、あまり聞かないけど
設計通り所定の性能を満たした良品という事でいいのかな?
それともDMH17系みたいに改善点はあったけど数の要求が優先して改善が後回しになって、結局部品の互換性でなし崩し的な増えただけ? >>463
部品の構成とか電動機自体の限度はあるが無難にはまとまったほうじゃないか
いずれにしても交流電機に関する文献なり証言で読みやすいの少ないからね… ED75の庇以外は人間にしたら3枚目のブ男に見える DT129台車によるジャックマン装置
乗り心地はあまりよろしくないとか 敦賀〜新疋田複線化までの6年間(S32.10.1〜S38.10.1)
同区間では貨物の上りでED70の前補機仕業があったんだな
補機は新疋田解放で敦賀に戻ったようだ そういえば、幻となったEF70改のチョッパ直流機
力行はいいとして減速はどういう仕様を予定してたんだろう?
ゴハチの代替なら勾配抑速はあまり必要無いだろうし、直流区間だと変電所を運用区間全域回生ブレーキ対応にしないと常用に使うには不安定になりそうだから電気ブレーキは無し? 交流電機に爆走という印象はあまりなかったなあ
爆走というというと、個人的にはEH10が連想される イグナイトロンって変な名前だな。
トロンって電子レンジのマグネトロンと同じ意味ですか? エキサイトするからエキサイトロン
サイバトロンにデストロンはビーストウォーズだっけ? 新幹線にもEL作ったらよかったのにな
立ち往生した北海道新幹線をEH800が救援なんて日は来るのだろうか? >>479
新幹線在来線に関わらず救援列車は故障車と同じ一般の列車を充てるってのが
標準になっていて、機関車を派遣する方が極々例外。
東海道新幹線だって、現場に近いとこほど「救援機関車」のナンセンスは分かってた。
何かの言い訳用に作られたようだけど、結局試験車牽引用が主任務で終わったはず。
その「何か」が、資料が見つからず思い出せない! >>482
ナンセンスなのかぁ
DLならとも思っちゃうけどね
そういえば少し前に首都圏で救援出して30両編成ってのがあったよね
>>481
ん、解せぬか? KATOからEF70に続いてED70が出る!
ED74とED71も出してED72で完璧だな >>483
鹿児島線宗像海老津追突事故2002/02/22の事故車回収はたしか特急編成が押して、
先行7両+追突5両+特急6両の18連で走ったとおもう。
&
横須賀−総武の15連が過速度2.2km/h/sなのは、総武側出口の30/1000勾配を、
故障編成を押して30両で登れる限界値設定。
共に救援機関車なんか埒外で、一般列車を救援に仕立てる前提。
911なんか、先行列車が何本も在るだろうに、どうやって故障列車に辿り着くんだね。
そんな簡単な場面を想定しただけで、使い物にならないことは誰にも分かった。 >>485
はい、すんませんでした
ttps://www.youtube.com/watch?v=smXjndP4nes
やはり手動進段はせわしないね >>486
MT車みたいなもんだね
俺、MT乗りで運転するの楽しい >>487
5速なら楽しいけど、30速だとしたら?w これを手動進段っていうのかね。直流機と違って全部が運転ノッチだし
まぁ711や0系なんかと比べるとタップごとにノッチあるのはやっぱり手動進段か 30速もあったら時速何百キロまで出せるでしょうね
エンジン性能に限界があるだろうけど >486
見て思い出したが1970年半ば頃までは旅客車の出発合図は
線路脇「ブー」だったらしいが
なんで後に運転席「ブー」にならず、無線会話になったのか、 >>491
線路脇で「ブー」は機関車牽引列車に対する合図だからな。 昔は白色燈付ブザーで
合理化で駅員ではなく車掌が無線で直接ってことなんだね、 >>490
普通のMT車の一速毎を6倍って意味だよ
せわしないぜ〜 >>491
北海道のED76は運転室にブザー設置したとか ED71ってなんとも無骨だな
ああ見えて案外力持ちってのもいい >>498
前面窓がパノラミックウィンドウになってるのがそういう印象を持たせる要因なのかな? パノラミックウィンドウはED72からだろ
貫通を外開きにして前面窓を小窓にしてライトを台座付きにして飾り帯つけた
くらいだと思うんだが、ED70→ED71
まぁ結構変わってるな ED70はDF50に通じるとこがある
ED71はED60シリーズだな
ED72/73はかなり冒険したデザイン > ED70はDF50に通じるとこがある
ED70とDF50は諸三菱顔だな >>503
ED70とDF50って電化の進捗に合わせて敦賀とか福井、金沢で並んでるはずなんだけど写真を見たことがない ED75-300
ED74が製造されてなかったらその形式を名乗っただろうか
まあ時系列的にあり得んか 北海道は非電化が多くDL牽引の客車が数多くあったので
ED76もSG採用したのは理解できるが、
九州もSGにしたのが謎だ。 考えてみたら、現存してる交流機がED75,76とEH800しか無いって事は、マグアンプ機より先にサイリスタ機が先に淘汰されちゃったんだなぁ 幻の直流D型チョッパ機も実現したらDT129系履いていたんだろうか? ED63、B-2-Bで、DT138、TR103Dで計画されてるね 交流機と直流機では国鉄の開発設計部門は別れてたのかな? >>517
後年、交流機以降はメーカー主導設計で、国鉄は副か、発注者。
だって、開発したのがイグナイトロン、エキサイトロン、高圧タップ式の単巻き変圧器+降圧変圧器一体複合変圧器とか、
磁気増幅器位相制御とか、大容量シリコンダイオードとか、皆、電機会社開発の技術で構成されてるのをみても、
技術が国鉄独自開発ってことはない。まとめ役の発注者の立場。交流整流子モーターだってメーカー開発だった。
新性能国電101、151、系列を考えても、私鉄で確立した方法で、電装部品を集めて車輌メーカーに作らせてるから、
401/421ではもう整流部の開発が完全にメーカー任せで、「50Hz専用設計」とかいって、長距離60Hz用の設計代を支払わされてる。
使い潰しの短距離ゲタ電に60Hz専用はありうるが、50/60Hzに跨がりそうな長距離用に60Hz専用はない。
50Hz用で基本的に60Hzは走れるもの。国鉄が自分で設計してたらそんなものすぐ気が付く基本的知識。 >>518
疑問の回答になってない様な?
既に標準化されてたDT129系とDT138系、設計は若干古いがD型機は交流機ばかりとはいえDT129系ばかり使っていた訳でDT138系はD型機での実績は無い
保守的な国鉄ならDT129系使うかなと思ったらDT138系だったという点からの疑問な訳で、メーカーの新規開発の影響はあまり無いところでは? 台車周りと電気部品関係は分けて考えたほうがいいかも。特に交流機の特高圧、高圧機器は D級というか、交流タップ機は機械的に軸重補償するためにジャックマンにしたけど、直流の
抵抗制御やチョッパは電気的にそれやるから。
DT129、保守性悪かったみたいだし、必要なければ敢えて採用するほどのメリットもなかった
んだろうね また難しい話をsage進行でしてる…
ジャックマンは乗り心地よろしくないみたいですね ED75-300はピッチングが激しくて乗り心地が悪く、
ED72/73は電動送風機の音が五月蠅かったとか。 >>523
だからそれ等の問題を踏まえて、九州専用機に中間台車(軸重可変式)を装着したED76が開発された訳だな。 ED79は赤2号のはずなんだけど、
子ども頃の本の写真ではガンメタ系ピンク色になって見えるのがある。 大分機関区にあった、ED74
EF70に北陸から追い出されて大分機関区に亡命した。
特急『彗星』の任務にあったのは、せめてもの救いであった。
しかし、日豊本線宮崎(南宮崎)電化完成でブルートレイン牽引から撤退させられ、貨物列車専業になった。
代走要員は、ED76であった。
ED7681〜ED7686は、大分機関区にあって
長崎本線・佐世保線電化要員であったという。
電化完成が遅れると、ED74の転換要員になった。
だから、ED74は全廃させられた。 ソニー トリニトロンってなんぞや?
カラーテレビの商品名なんだな
イグナイトロン、エキサイトロンと関係あるのかな? >>528
このスレの>>224あたりから読むことを勧める >>527
休車中にそのEF70が門司機関区に、ED72/73代替で転入して来たのは皮肉だったな。
機器構成は74/70が同じ高圧タップ制御だから、門司への転出は考慮されなかったのだろうか? EF70は、高圧タップ制御である。
考え方は、直流電機に近く、則ちEF65を交流電機にしたと考えても良い。
だから、EF70を直流電機に改造する計画があった。
それにしても、九州に亡命したEF70は、ED74より実入りの良い仕業があった。
ED74は貨物列車専業で、大分までしか行かない。
EF70は、ブルートレイン牽引の仕業があった。『さくら』『あさかぜ』がある。
また、熊本や長崎まで行った。 >>531
よう、カメラ板の嫌われ者
いつ死ぬの? 唯一50/60Hz両仕様のあったED75
D級交機のスタンダードって意識が当時あったのかね? 300番台を当時の九州で活用するにSG無しは致命的、決定版がいたし狭いエリアで多機種いたら厄介者
喜んだのはカメラを持ってる商売人だけ ED74/75-300、EF70はSG無しだから九州内では厄介者だな。 軸重がね。電化したはいいけど鹿児島も日豊も末端は甲線じゃないから75、74、70は入れない
長崎は電化が遅かったし。
蒸機の頃は機関車変えればよかったけど、電機で運用範囲広くなって、軸重と暖房で制約あったら
面倒だわな ED72も軸重可変できないんだよな
鹿児島電化後でも北九州地区限定運用 唯一じゃねーな
76も北海道にあった訳だし
同一形式で50or60の2タイプ造っちまえって方針だったとか?
似て非なる?似てないが同一形式?
64とかとはまた違うよね Hz違いは変圧器くらいしか大きな変更ないって言っても電車は50/60Hzの違いだけで形式変えてたからね
その上、ED75とED75-500、ED76とED76-500は制御も違う別物だし
比較的新しい電車区と違って歴史と伝統のある機関区の労組はガチなんだろうね >>531
> EF70は、高圧タップ制御である。
> 考え方は、直流電機に近く、則ちEF65を交流電機にしたと考えても良い。
ダウト!
トランス制御と抵抗制御じゃ全く違って、共通はドンガラと台車、モータだけ!
高圧タップ式、低圧タップ式両方ともトランスのタップ切換制御なのを、変な伝説を信じて勘違いしてないか?
高圧タップ式というのは前段高圧部に単巻き変圧器を置く2トランス式だが、鉄芯を双方一体に作ってるから、
電気のシロートには単変圧器に見えてしまうが、決定的な間違い。
これはスコットT変圧器の単相2基一体構造、3相変圧器の単相3基一体構造と同様、軽量化の工夫だ。
もし単トランスという出典があっても、その出典が間違いで、電気的には2トランスだからWikipediaには書き込まないこと。
あそこはWiki管理マニアのキ印支配で「真実」より「出典」優先だが・・・・間違いは間違い。
技術的にあまりに当然のことは技術書ほど書いてないことが間々あるから、「出典」で無知が支配してしまうことがある。 >>540
> Hz違いは変圧器くらいしか大きな変更ないって言っても電車は50/60Hzの違いだけで形式変えてたからね
異周波数区間を通し運転する長距離用なら重い50Hz用トランスが必須だが、
九州北部など60Hz区間のゲタ電で使い潰す用途なら軽い60Hz用トランスを積んで無駄重量を無くす合理性がある。
トランス重量は同一出力なら周波数反比例なのだから。
∴401/421の周波数分けは北九州通勤通学のゲタ電で合理性があるが、
裏日本縦貫長距離運用の50Hz/60Hz両用には50Hzに耐えられるのが基本。
だから長距離用は485、583が基準であり、60Hz専用の481、581は元々おかしい。
50Hz専用483なんて国鉄幹部の天下り先確保発注?と疑われても仕方ない。
製造実数でも極少数なのはそのため。但し付随車は若い形式481、581のママ485、583に連結。現在では同一形式に分類されている。
中距離の451/471に、周波数毎で別車種を開発する合理性ありや?無しや?微妙ではある。 >>537
熊本以南と大分以南もEF81が入れるようになって
磐越西線と仙山線も結局ED75が入れるようになった
電化の時に線路強化してれば形式乱立抑えられたはずなのにと思う
逆に国鉄時代に線路強化しなかったのがJRになってからよくする気になったなと思う
旅客車の高速化という効果がないとする気にならないだろ 地域特化した交流機をそれぞれ開発するより
線路強化等したほうがコスト的に良かったのかも知れないね
それでも交流機開発で得た色んなノウハウはプライスレスか?
タラレバを言っても仕方がないけれども 50Hzエリアだとなんてこと無いけど60Hzエリアで仕事したらうまく行かない ED70 老朽化
ED71 寒さに弱いのでED75に座を譲る
ED72/ED73 ED76に座を譲る
ED74 中途半端なのでEF70に追い出される
ED76-500 DLと電車に駆逐される
ED77 軌道強化でED75に追い出される
ED78 山形新幹線開通後、仙山線で活躍するも貨物列車廃止でお役御免
ED79 北海道新幹線開通で廃止に追い込まれる
EF70 民営化前にEF81に譲る
EF71 山形新幹線開通で廃止に追い込まれる 地方路線が多かったから貨物の需要が減ったら呆気ないな ED75なんか常磐線や東北本線に行けば
ゴロゴロ居たのにいつの間にか消えてしまったな >>544
山之内秀一郎「新幹線がなかったら」によると、当時の国鉄は
新型車両導入には予算がつくが、保線側が線路強化を訴えても
「そんな金はない」と却下されていたというからね。
ダイヤ改正のたびに無煙化、スピードアップ、増発につぐ増発
が進められた時代だから線路より車両が優先されたのもやむを
得ないかな。 仙山線の試験結果を「交流機のD型機は直流機のF型機に相当」という盛った物でなく実際の「同軸数同出力の直流機よりは粘着特性は良い」ぐらいに収めておいたらED71の世代で水銀整流器のF型機か出てたのかな?
東北本線の勾配を考えると今でも貨物はF型じゃ足りなくてD型重連かH型な事を考えると微妙な想定にはなるけど 低コストで電化したいための交流電化開発だったわけで、機関車
の動輪数をなるべく減らしたいというのも背景にあったのでは。
不思議に思うのは、「交流(タップ制御)D型は直流(抵抗制御)
F型に匹敵する」というのは過大評価だったかもしれないが、
現在はインバータ制御なわけで「インバータ制御D型は直流
F型に匹敵する(凌駕する)」と言えるんじゃないかってこと。
それなら平坦線用直流機はD型で良さそうな気もするんだけど。 二軸貨車で最高速度が65km/hの時代ならD形電機でいいのかもしれないけど、いまや最低でも95km/hの時代だし、冗長化も兼ねてF形なんじゃねーの >>552
EH200やEH500はそれやってるでしょ。抵抗制御のEF重連を8軸で置き換えたんだから
元々EF200は1600tを高速で牽くために6軸必要で、EF210で後退したんだよね
構想にあった58や15置き換えの直流チョッパ機はD級だから、210は200の失敗が尾を引いて冒険しない汎用機
になったという 結果的に75は東北、北海道配置以外の76は九州で正解だった訳だ 今日は俺の誕生日
機関車ならそろそろ車齢的に廃車かな (日付変わって)昨日の4093レは76牽引で1時間の遅延でした
1015〜1022
81・83 元気です >>553
>>554
やっぱり堅実設計なのかな。ED500が量産化されなかった理由も
その辺にありそう。
>EF重連を8軸で置き換え
もし、板谷峠が標準軌になっていなかったらED78やEF71の重連
もEH500になっていたんだろうか。 そもそも電車だけになって機関車は入線なしになってそう 交流機牽引の客レで定数上の必要性から重連仕業になってたのって板谷峠のあけぼのくらい?
ゆうづるの75重連の画像は結構あるけど、回送機の送り出しが殆どでで定数には余裕あったはずだし >>566
板谷峠に新型電機があったとしても貨物が残れたかどうか次第だろうなそこは
ただ奥羽本線自体JR化前に漆山〜秋田間の貨物を全廃、板谷経由の貨物も2往復にまで減ってたが
>>567
板谷峠以外だとさすがにな(津軽も旧客で荷物車連結があった時代は重連) 重連運転のとき、運転士がいちいち外に出なく済む。
RMのEF64上越線の取材で貫通扉使って行き来していた。 厳寒期の東北や北海道って貫通扉機はヤバい気がするけど
ひょっとして溶接したかな? >>572
隙間風が入らない様に改造し
密閉化してる筈だろ 溶接したのと言ったらED70くらいじゃない?
新型のくせに、あれだけ内側に開くタイプだったので隙間風が酷かったらしい。
旧型電機のすべては内側に開くタイプで、電車だとシールゴムが
採用されたのが115系1000番台からだからね。 貫通扉は
D型が70,71,75,76-500,77,78,79
F型は71
扉アリのほうが多いのか 基本、田舎が交流電化で、田舎は山あるから重連が必要で総括制御がいるんだよな。で、貫通がつく
76-500は総括が必要だったのかという疑問は残るが。まぁそれを言ったら初期の一時期しか総括運用なかった
PFもそうなんだけど 新型直流機(改造車除く)も
貫通扉あり
D型はED60と61、F型はEF62、63、64、64-1000、65PF
貫通扉なし
D型なし。F型は60、61、65P、65F、66
で車種としては貫通扉ありの方が多いよな。
直流機でも山岳路線を中心に、重連が想定される路線には貫通扉
が投入されたんだろう。 貫通タイプ、経年数からすると剛性なんかの問題は多分なかったんだろうな 貫通型も絶滅の道だな。
PFばっかり増備したときウンザリだったのが、
JRになってから非貫通型ばかり。
最も新しいのは、ED79-50くらいで今のデザインで貫通型が出るとしたらどんな顔になるんだろう? 不具合あっても運転席のモニターでチョチョイのチョイだろうから貫通扉は今後ないんじゃない? 隙間風対策でガムテープ貼ってたのには驚いた
もっと他の手立て打ってるかと思ってたので 随分前の話だけど、山田線でキハ52がまだ現役で走っていたときに、
冬の隙間風対策のため窓がテープで目張りされていたことがあったな〜
さすがにガムテープじゃなくて透明なテープだったが。 >>576
一応配備当初は重い石炭列車も想定してたからかな >>576
>>585
そうすると九州の場合は75−300除いて非貫通だね
セラの石炭列車もあった
九州には峠らしい峠がないとか >>586
九州は筑豊炭田から港までの筑豊本線の電化計画が無かったからな、三池は海沿いだし
函館本線は空知炭田から小樽港迄なら電機に付け替えるのもアリだし 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否「お前ら何や」[
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長浜でED70を見るたびに交流機と和解せねばならんなぁ、と思うw 交流機関車黎明期、フランスに「サンプル2,3両売って」って頼んだら「50両とか100両」まとめてじゃないと売らない」って事で交渉決裂した結果、国産のED44、ED45が生まれたのは有名な話だけど
仮に国鉄側がまとまった両数買うことができたとしたら、狭軌で軸重14〜15トンの条件を満たした試作じゃない本運用に耐えうる機関車を出すことができたんだろうか?
直接式なら軸重はクリアできるだろうけど、起動トルクの低さや整流子からの火花は当時フランスでも決定打は出てないだろうし、整流器式は…
そう考えるとあのフランスからの条件提示はある種『お断り見積もり』だったのかな? >>590
末尾、その通り!
ED41を2両輸入して、デッドコピーに等しいED42を国産で量産!
その苦い経験からフランスが出した条件。
ところが国産推進の通産省の意向もあり開発に頑張っていたが実需に間に合わなくなり、
ヨーロッパに出掛けて10台以上の発注で交渉していたところ、
開発中の交流整流子モーターがチャンと回ったと言うんで、
輸入台数を2〜3台として提示し直し、日本側から輸入交渉を決裂させ、
ED45などの試作を成功させている。
交流機関車は、まさにタッチの差!で国産開発路線となった。 フランスもドイツから盗って以下略
新幹線開業時にフランスはわざわざ代表者を派遣して交流機器を見せろと言ってきた。
何事もなかったが、疑っていた訳だ。試験線でもある仙山線でも見せたのかな。 コピーは当時の日本の産業界は常習でもあったわけで、GE製だかのモーターの空冷放熱フィンの本数まで真似て本家に笑われたとかいう話もある。笑い事じゃなかったんだろうけど。
イギリス製の戦艦金剛は、日英同盟の好意もあろうが同型艦建造の許可を堂々と取り付けている。比叡など同級3隻はなぜか金剛の水準に届かなかったらしく、改設計を繰り返しても改悪ばかり。
ゼロから設計し直した長門級でようやく自信を得た。この間の期間の長いこと・・・・。
造船の勉強としてみても、戦艦建造費は常に国家予算の重荷であった。果たして妥当かどうか。
技術に国籍はないが、手中に収めるには時間と費用がかかる。
仙山線に資金を集中した判断は正しかったと思う。 ED41はスイス製だけどフランスにトラウマ与える程の影響をあたえたのか…
国鉄がフランスに車両購入の打診をした当時、フランスは標準軌で軸重20dを許容する環境で車両を作っていたと思うんだが、そこで狭軌、軸重15dの車両を作るとなると0からの開発に近いと思うんだよね
ED45の開発でも既存の技術で設計してみたら100d超えちゃって、そこから60dまで落とすのに苦労した様だし
仮に100両売れたとしても日本相手じゃ次は無いし、大陸内の標準軌の他の国への売り込みとしては過剰なクオリティで無理をした事によるとクレーム発生による風評を考えるとその場の売り上げしかメリットが考えられないのよ 白人の産業界に蔓延する偏見はメーカーの所在地にはさほど影響を受けなさそう。
それにヨーロッパではメーターゲージにも交流電化区間があるんじゃないか。既存交流機のゲージだけ直してくれという要求でもあるまい。 >>594
> ED45の開発でも既存の技術で設計してみたら100d超えちゃって、そこから60dまで落とすのに苦労した様だし
初段の電圧切換用単巻きトランスと、次段の降圧整流用トランスの磁路鉄心を一部共通にして軽量化を図った「高圧タップ式」
なんて涙ぐましい努力をしてる。単巻きトランス自体が小型ではあるが。
この2トランス一体構造が、ヲタなど一部に誤解されて、「高圧の一次側で電圧を切り替える」との理解が多数派だが、それは間違い。
2トランス式の、鉄心一部一体構造が正しい。これはスコットTトランスなどにもフツーに見られる構造。 >>595
当時のフランスなら未完成品を送り出してクレームが帰ってきても「東洋の黄猿が」で相手にしない可能性はあっただろうね
>>596
100d→60dのくだりは三菱でやった1号機の話だから低圧タップ式での話だけどね
後発の東芝(風冷イグナイトロン、高圧タップ)、日立(風冷エキサイトロン、高圧タップ)も三菱のそれを見て苦労したのは確かだけど ED45の1号機は1,000kwだったのに11号機と21号機は1,300kwに増強されて軸重そのままという要求だったからそれはそれで大変ではあったんだろうけど >>597
たしかにED45の1号機は完成が1年早かった。-11/-21もほぼ同時期と思ってたのは間違い。
いずれも軽量化には苦労したようだが、最初のが特に大変。
&
エキサイトロンは、一種アーク維持電極付き単極水銀整流器なんで、
陰極の水銀が車両の振動で揺れてもイグナイトロンより安定だったようだ。
&
直流直巻モーターの界磁はほぼ飽和動作だから、起動付近の電流−トルク特性は単純比例の直線型だが、
交流直巻整流子モーターの電流−トルク特性は、直巻界磁が不飽和で、電流の2乗比例特性になって、
ノッチ間隔が直流並みの均等だと、進段で突然大トルクが出てくる実に運転しづらい特性になったろう。
その配慮がED44ではなかったのかも知れない。
ED44の卓越した「功績」としては、その開発モーターが回ったことで、フランス調達を引っ繰り返して国産にしたことかなぁ? 固定編成の客車(20系、12系、14系、24系等)を臨時、団体含めて牽引してなさそうな交流機って試作のED44,45とED70になるんかな? >>602
臨時急行「ばんだい」で12系を引っ張っていたよ。 ばんだいの臨時があるね、12系
固定編成って言葉、20系にしか使わないよな
12系や14系は言わないと思う。24系も違和感あるし 定義の問題だろうが、旧型客車や50系のように一両単位で増解結
できる車両以外は固定編成ということでしょ。 松任だかにあるボーイスカウト施設にあったEF70解体されたのか >>607
持ち主の焼肉店が潰れちゃったからなぁ・・・ 個人が引き取ったのは悉く解体されてるな
末長く保存するには費用が懸かりすぎる イギリスの鉄ヲタ紳士貴族はせっせと保存鉄道に投資する
日本では皆無 直流電気車両の動態保存は横川とかあるけど、特高使う電気車両の動態保存って世界的にあるのかな?
まぁ、大井川のナショナルトラストの客車みたいに地上設備を営業中の路線に間借りすればできなくはないが、地上設備まで自前は流石にないよね? エルトン・ジョンはツアー中気に入ったオーストラリアの路面電車を買って自宅に線路敷いて走らせてるらしい ED44とED45の1号機が保存される事なく解体されたのはつくづく残念だったけど、これらの忘れ形見とか残ってないのかな?
ナンバープレートとか逆転ハンドルとか、日立や三菱にひっそりと保存されてたりしたらロマンだと思うけど 船岡のED71もボロボロだな
やっぱり屋根が無いとや〜ね〜 俺が腐るほどカネあるのなら、
柴田町にED71とオハフ保存整備のためにつかってくださいと
数億円ポンと寄付したいのになぁ。 交流機で保存状態が良さそうなのは鉄博のED75、長浜のED70、門司のED72くらいか? 長浜のED70、廃車後保存場所が松任工場→敦賀第二機関区→長浜と移っているけど、移動はトレーラー?。敦賀→長浜は時間が経っていたしJR化後だからトレーラーだろうけど、松任→敦賀は国鉄時代だしまさか甲種(この表現が適切かわからんけど)? 甲種輸送できるだけ保存状態よかったんだな
クハ181-45とかナハネフ21?とかはトレーラーで輸送 線路が繋がっているかって話で
大宮や梅小路は線路繋がっているけど金城ふ頭は…
倒壊が色々と揶揄されるのもさもありなんって感じ
稲沢の広大な跡地とかどうにかできなかったのかな?貨物との確執とか邪推しちゃいたくもなる
まぁ、名古屋市とか愛知県から強力なプッシュがあったんだろうけど ED76含む、軸重可変中間台車のブレーキって
圧しつけて軸重軽減している状態でないと、
ブレーキの制動得られない?
可変使っていない、ぶら下がった状態ではブレーキの意味がない? >>627
ED93のTR-103はブレーキなかったけど、量産車では両抱きのブレーキが付いたわけだから、そんなことないと思う。 このいつものおかしな質問君は計算もできないのかね
車両重量と軸重なんかいまは簡単にわかるだろうに >>628
ED72の中間台車にもブレーキあった? >>630
無かった筈
しかし、TR103ってED76にしろDD51にしろ途中から基礎ブレーキ追加になってるけど、そんなに不具合あったのかな?
とはいえ、基礎ブレーキの付いて無かった初期型を追ってブレーキ付きに改造した訳でもなかったようだし ひょっとして軸重可変の数値かな?
初期グループって15トンまでしか軽減できなかったような
それゆえ、長崎・熊本・大分限定運用 >>631
軸重負担が少ないときは、滑走しやすいとかあったのですかね。加減が解らなかったから省略したのかな?
積車と空車の突放で間違えて空車に乗ってしまうと、ブレーキ踏んでも全然止まってくれず、はるか彼方まで流されていくという話を聞いたことがあります。
若手の訓練でからかいがてらにやったそうです。 中間台車の通過音って上野のパンダの名前みたいな音がするよね SG使用エリアでの運用だったED75の300番代と500番代、電暖用の外装(ジャンパ、側部の表示灯)ってどうだったっけ?
300番代はどうやら最後まで表示灯はあったみたいだけど、ジャンパや回路自体はどうだったかな?
500番代も登場時は付いてた様な気がしたけど、小樽に保存中の写真では側面にそれらしいモノは見当たらないけど、試験が一通り終わった後の改造(おでこにあった変圧器だったかの撤去とか下枠交差パンタへの交換とか)まではあった様な?
画像検索しても見つからない…。昭和50年代、誠文堂新光社の電気機関車ガイドブック持ってて、それには改造前、改造後両方載ってたんだけど一時期鉄から離れた時に処分しちゃったorz >>635
RP93年7月号(ED75特集)に北海道入り直後のと改装後の両方写真があったが初期から電暖表示灯もジャンパもなかったな 皆さん、電暖表示灯はどのタイプが好き?
自分は電球交換が車内から出来るようになったタイプの内、縦長の奴がイイ 古い交流電機は運転席側に付いていたな
後退するとき邪魔だから増備途中から助手席側に移したわけで >>641
実際仙山線の試験で凍ったりしたのかな?
別に冷却水が直接作用してる訳ではないんだろうから、当時でも内燃機用の不凍液くらいあっただろうしなんとか応用出来なかったのかな? >>626
東海はあおなみ線への経営支援に関して名古屋〜名古屋(貨)間の鉄道資産を譲渡したり、名古屋工場や神領車両区から協力体勢を整備してるけどね。
勿論県と名古屋市からの要請有ってのもので、あおなみ線開通後に車両移動が可能になったからだろ >>615
今は展示内容変わってるかどうか分からないけど2008年に鉄博行った時にはED441のがあった
https://i.imgur.com/vH9oNoc.jpg >>644
少々疑問があるんだが
ED44って廃車時はED90に改番されてたけど、切り文字のナンバーを改番する時は周囲の外板ごと切り抜いて新たに板金して新ナンバー付けるのかな?
そうじゃないと画像のナンバーはありえないと思うんだけど 自己レス
自分のとこにある資料を見たらED44のナンバーは縁付きのナンバープレートみたいだね
ということは、>>644のナンバーは外したプレートから縁を切り取った物が保管されてたのかな? 小学生の時、誠文堂新光社の「電気機関車ガイドブック(交流、交直流編)を買ってもらったけど、コロタン文庫の知識しかないからED77とかED78の存在は衝撃的だった。
ED75、EF70、九州電機はブルトレ牽引機として、EF71はEF66に次ぐ高出力電機として子供向けでも情報あったけど77と78はピンポイントだったからなぁ WikiのEF71の項目ありゃなんだ?
広告のあおり文句にまで噛み付きやがって
挙句の果てに記述ではなく供述だと
なに犯罪者扱いしているんだか ED76の現役感がハンパない
個人的に思い入れは誰にも負けないと思っているが2010年代末までに退くと覚悟してきた
この分じゃ新元号まで走ったくれそうだ(何時までか?は解らないけど) >>649
肥薩おれんじ鉄道的には、比較的軸重の軽い後継機を入れてくれない限りは保線の負荷とか考えると残して欲しいだろうね
JR貨物に新規で後継機を入れる動きは無いみたいだけど >>650
保線の負担増分は国から補助金出るんじゃないの? >>650
そう言えば、JR貨物は九州用交流機関車を開発するとしていたけど、
いつの間にか消えてるねぇ。 >>618
船岡のED71
日立製作所水戸工場のED78 仙台車両センターのEF71 ED77 ED78は? 船岡も昔ほど状態よくないし利府のは日立が引き取って再整備したED78以外もう怪しい (九州エリア関連です)
76が順次落ちると聞きました
とりあえず81は走り続けるとして代替は510では?
と推測される方も
81とて昭和世代の釜はかなり限界が近いはず、さすれば選択肢は2つ
→76・81昭和製造の代替として510を新製もしくは転属させて充当
→運行線区を縮小し81平成と510の転属だけで凌ぐさて相成りますか? でもEF81にしろEF510にしろ、線路等級(許容軸重)の関係で運用範囲が
限られるんじゃなかった? >>660
現状鹿児島も延岡も鍋島も81が入ってるからなあ
最新の貨物時刻表だと76は大分以南運用無いし >>660
軸重的にはEF81もEF510もEH500も16.8tで同じなんだよね
未だにEH500が南に入れないのはなんでだろう?
橋梁のスパン耐荷重?、横圧?、変電所は交流区間だからキャパ的に問題ないと思うが… >>663
単純に所要数や定数の関係だと思う。3セクと線路使用料の折り合いがつかない、とかあるかもね。中央西線にEH200が入らないのは、そんな理由と聞いたことがある。 鹿児島本線は平坦線だから、EH500だと過剰なのかな。 ED72,73の所謂「鳩胸スタイル」って何で続かなかったんだろう?、EF66のはどちらかといえば流線型のイメージで鳩胸スタイルの派生ではないだろうし
「運転席が広く取れる」「前方視界が良い」みたいなポジティブな記述は見るけど、デメリットに関する記述は見た事無い それについては、rail No76号に面白い記事が書いてあるよ。
デメリットとしては“斜めの部分に取り付ける機器の艤装が難しくなる”そうだ。
それと、EF200、ED500、EF510が鳩胸スタイルじゃなかろうか? >>668
JRか後に出たEF66の100番台からの流れだね
66のイメージを残しつつシンプルにしたらああなったって感じ >>667
製造コストの問題かねえ。その後の鳩胸スタイルといえばDD54くらいか?
現在のJR貨物が設計した機関車がああいうスタイルなのは見た目云々より、
むしろクラッシャブルゾーンの必要性じゃないかな。
なにしろ国鉄時代の機関車は前面が鉄板一枚だったし。 EF200は外板だけでも8mmくらいあったような気がした >>659
76のラストはどうなるんだろうね?
75は残ってるのが東なんで牽引できる客車もあるし、「サヨナラ運転イベントで一儲け」も可能だけど
貨物だし、九州から借りるにも残ってる客車が「ななつ星」じゃ…、西から借りる?というか貨物会社って切符売れるんだっけ?
定期のラスト運用にヘッドマーク付けるにしても、全国ネットワーク故、ウヤや大幅遅延で運用変更ザラだからなぁ… ED75の略通称
基本番台は磁気増幅のM
500番台がサイリスタのS
1000番台がパッセンジャー(旅客)のP
300番台と700番台はなんと呼んでいたんだろう? 水銀整流器に何となくロマンを感じるんだが(w
国内で水銀整流器を搭載して稼働した最後の機関車はED72?
電気機関車EXの東芝電機特集の中で「廃車時期の関係で一部の車輌はシリコン整流器に換装されず」って記述があるから、クイル式で扱いにくかった試作機の2両が76年あたりで廃車だったと思うのでそこがラスト? 利府の保存(放置?)機、あまり騒がれる事なくひっそりと解体されちゃったね。
あれ、ED78だけはちょっと前に日立が引き取ってレストアして工場で展示してるみたいだけど、何でED 78だけ助かったの?
EF71以外は全部日立製だったのに >>679
日立が最後に作った国鉄電機がED78だからとかじゃね(ホントに最終製造となったのは12・13号機だけど) >>679
日立がその技術をふんだんに取り入れた、並列繋ぎのフルサイリスタ制御電機だからだろ。
それに全車日立製だったしな。
結局サイリスタ電機で完成されたのは、ED78だけになったな。 サイリスタが理由なら77でもいいだろ。78の方がかっこいいからだな
D型機では78は一番かっこいい。71と76-500もいいけどスマートさに欠ける >>682
ED77は日立オンリー製造じゃないし、一生磐越西線のみだったから本線運用もなかったしな。
ED78のようにヘッドマークを付けての特急運用も当然なく、極めて地味な存在だったのもあるな。 ED77以外はみんな優等列車けん引しているんだよな
ED70は急行日本海 >>684
ED77も不定期の客車急行ばんだいを牽いていたかと。 >>684
夜行の急行ばんだい(郡山以南はあづまと併結)が72年に455系化するまで客車だった >>686
「ばんだい」に統合されるまでは「ひばら」だっけ? >>687
43・10前はひばらだった列車だね夜行のばんだい
時代が下ってJR化したころにまた臨時急行でひばらを名乗ったけど(12系、郡山までざおうと併結) ED77の顔ってED75と同じ寸法?
なんか屋根から前面窓まで間延びしてるように見える。 新幹線総合車両センターの放置機は解体されちゃったけど、近くの児童公園に保存されてるらしいED91 11は健在? ED78とEF71が板谷峠を去ってから30年。かつてこの機関車たちが往来
していた路線から、駅が消滅することに。
https://www.minyu-net.com/news/news/FM20210121-578197.php
車両や駅舎が更新されていくのはある意味当然なんだが、駅そのものが
なくなるとは… さて、九州仕様のEF510の製造が決まった九州の76と、工臨用キヤの運用が始まった東北の75、
どっちが先に終わるのかな? >>695
JR東は24年までに営業用機関車を全廃予定。
貨物の九州後藤は25年までに国鉄製造機関車を置き換える。
79年製車両があるED76が、最後まで生き残りそうだな。 >>697
でも今は81が九州の貨物運用区間全線に入れるから、JR世代の450台、500台を最後に持っていくと、76はもっと前に全廃の可能性もあるんじゃない? >>698
JR貨物製造の81-450、500番代置き換えるには、後藤-300の製造両数が足らんな。
置き換えるとしても、26年以降になるんじゃね。
どのみちJR九州から買った76-0と、富山から来た81-600のオンボロコンビ4両があと数年で製造から半世紀の老朽化ぶりだから、後藤営業運転開始の23年春改正で真っ先に置き換えられるのは確実。 結局、将来的に残るのはDE10ってところか???
軽薄短小機種... 利府町のED91が風前の灯火みたい。
技術史的には貴重だけど保存は難しいだろうな。
状態も悪いみたいだしね。 >>703
>>694によるともう撤去された様だが? 東北線でED71が牽引する10連客車は迫力満点で、
発進時、瞬間的に機関車の前2輪台車が持ち上がっていた。
EF型ではさすがにそんなことは無かったが、ED型機関車の軽さを感じさせる瞬間だった。 ED71って最初3両日立、東芝三菱で試作機作ってコンペして日立の高圧タップ-エキサイトロン採用で量産に移行したけど、量産機は東芝も三菱も作っているけどエキサイトロンってライセンスの問題とかなかったのかな? とうとうED9111の解体がはじまったようです。
残念ですけど仕方ありませんね。
ED90やED92といった貴重な機関車もあっけなく鉄屑になりましたからね。 >>708
そんな粘着でとても10両を引き出せるとは思えない。。。 保存車両の冷遇は交流機関車に限ったことではないが、交流電化に関して学校の教室二つ分くらいのスペースを割いて展示してもらいたいと最近思う。 国鉄はバカなの?せっかく福島〜米沢間を直流電化してEF16だのEF64を入れたのにわざわざ国鉄は昭和43に年福島〜米沢間を直流から交流電化に切換えてしまった。また米沢〜山形間を新規に交流電化したことで、交流区間を走れない直流形EF64電気機関車(福島機関区所属の1〜12号機は職場を失い転属する羽目に成るしさ、こんなの2度手間じゃん(笑)国鉄はどうして直流電化を諦めてしまったんだろ?凄い疑問。 >>714
もし、福米間あるいは福島~山形~作並を直流で残したら、周りが
交流なのにそこだけ直流の孤島になってしまう。
通過する車両を交直両用にしなければならなくなり、北陸本線と
同じ状況になる。 一気に全部読んだ。
EF70を毎日見てたのに殆ど写真を撮ってない。
激しく後悔している。 交流用ELが赤で交直流用ELがピンクなのは
見分けが付きにくくない? オレンジぐらいが一番良かったな
でもDLと紛らわしいから駄目なのかな 501、3分割になってるんだな
内部機器、屋根から抜けなかったんだね
大事になったな
台車が抜けたのは、ジャックマンのおかげか 雨ざらしのEF70 1001が気になるな、解体されなければ良いが。 焼肉屋とボーイスカウトの施設のEF70は解体されたよ >>735
あれは場所がないからでしょ。それまでの保管場所になにか建てるために取捨選択した
年一の公開で使うか使わないかだけだから捨てる機会を伺ってたんでしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています