湘南2枚窓・切り妻3枚窓の電車について語る
>>348
幌が付いているのと付いてないのとでずいぶん印象が違って見えた 実車を見たことはもちろんないだのが淡路交通に食パン大顔面の事業用電車がいたという なぜ食パンデザインを採用しようとしたんだろね>京成 >>365 金がなかったからなんでは?
1930年代の不況期に造られているわけだし、国鉄の63形ほどでないとしてもデザイン簡素化して安く量産できる方がいい。 関西で食パン大顔面に抵抗感無かったのは結局南海だけ? 抵抗感は知らんが
実際に採用したのは南海。
あと更新で山陽が一編成
それくらい >>373 そもそもロクサン、性能に車体の耐久性悪くて入線可能としても私鉄各社は使いたがらなかったのが本音なんでは。
それでも車両数や輸送量が絶対的に不足してたから、東武や小田急は結構入れたけどね。 >>373
採用も何も、役所が割り当てると言ってきた車がロクサンなんだから
「デザインが気に入らないから他の車にしてくれ」なんて言えない 散々語られてるが山陽は他社以上に選択に苦渋したのだろう
なにせ入線に先立つ設備投資がハンパなかったわけだから。 東急7000(T)が弁当箱と渾名されたが
福島や水間等ローカルへ売られる時に中間車に運転台を引っ付けた切妻こそ
弁当箱の名に相応しいと思った >>376 戦災や洪水で稼働可能な車両が15両ほどに減少してしまった状態で、他に車両不足を補う方法がなかったからなんでは?
阪神が小型車を貸してくれれば昇圧などの設備投資は不要だったのだろうけど、当時の阪神や他の関西地区の私鉄にもそんな余裕があったのか。 もしかしたら近鉄と並ぶ広軌20m車を標準サイズとする私鉄になってたかもしれん >>379
山陽程度の沿線人口ならば輸送力を持て余すだろうな >>382 小田急のネコ、2200が典型だろう。晩年は1900に次いで多摩線走ってたが。 京阪500
奇しくも京阪線も大津線もともにベチャッとした二枚窓のなんちゃって湘南フェイス 大津線の方は短命だったが、何がネックになったんだろ 冷房ついてなかったしリニューアルして発展したんじゃないの >>388
先月とうとう鉄懐カテに入ってしまったね 新京成8000を湘南顔に含める説なんか一度も見聞きしたことねえよ ここまでプチ国鉄80系みたいな静鉄20系がない
関係ないけど100系も登場時は153系にだいぶ影響を受けた-みたいだ >>393
今は知らんが昭和末期の少年向け入門書・図鑑の類は2枚窓=湘南、
として、語られているものが多かった 東急アマガエルは湘南顔とは言わんね
あれも2枚窓なのに 京急が1960年代前後に湘南モドキを量産したな
400、500、600そして浅草線乗入仕様採用前の1000 地下鉄乗り入れ用は仕方ないが前面悲貫通はもはやポリシーでしょう >>404
京急に湘南モドキの印象なんか全くないけど?
悪意を持って見たらそう感じるのかな 元祖湘南電車80系でも京都鉄道博物館にあるのは正面3枚窓