懐かしの雲仙・西海、阿蘇・くにさき
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
関西〜九州の内海フェリーと対抗していたので、寝台では料金的に拮抗できず、
ハザなんだよ。 連休中は混雑していたな
ただし明星とか彗星の切符取れなかった客で不満ぐうたら
寝られないとかで 寝られない原因は、簡リクにも原因があったけどな。
夜中にずっと、ばったん、ばったん、たまったもんじゃなかったよ。
安眠妨害。 >>901
長崎佐世保の港まで直通してなくてもフェリーはライバルになりうるわな 関西九州西部の夜行列車にとって
瀬戸内海フェリーは競合相手になりうるの? >>905
なりうるよ
門司に着いたら好きに長崎まで移動すりゃいいだけ >>909
お前がな
乗り換えの方が便利な場合だってあるんだぜ なんで「居ない」って断言するかね。
ここに門司上陸ルートを年1で実行しているもんがおるんだが。
港に着いたら駅までバスで送ってもらえるから大して面倒でもない。
博多まで出て高速バスで安くいってもいいし、JRなら途中下車できるから太宰府や武雄温泉なんかに立ち寄っても面白い。
旅ってのは効率だけが要素じゃないんだよ。 車利用ならフェリーに乗るのは充分ありと思うけど、
徒歩での利用は少数だと思うよ。 >>912
必死になって否定する理由を知りたいね。 普通にフェリーから鉄道乗換なんてないわ
九州方面で長崎方面に行くのに
居たらそのデータ出してよ 変なのが必死になって
否定するからじゃね
データ出せとか言うし この時代にユーチューブがあったら撮影してかも
前面展望ではないが くにさきが国東と書くことを知ったのは小6のときだった 「さいかい」と変換すると、最下位が出て来るくらい、西海はマイナーな名前である。
「西海」がでてきたところで、一体どこの海なのか普通は、分からない。
まあ、西の方じゃないの?いいんじゃね?
トンヘの西じゃね?そんな、感じ?
で、普通は終わるよね。
だから、終るわ。 >>924
東京では、そんな細かいこと習わなかったな。
普通の中学では、そんな無名な湾のことを習わない。
長崎ローカルのことじゃないの? >>924 それは大村湾ないし佐世保湾ではないのか?
西海国立公園や西海市はあれど、西海湾という地名はない。 ないだろうけどさ、西海って名前を付ける時点で推して知るべしなのでは 大阪・佐世保間の急行で平戸もあったが、松浦線には乗り入れないんだし。
弓張や九十九島は九州以外では知名度が低い。終点、佐世保は長崎ほどの観光地ではない。
西海が最も無難ということなんでは。 そりゃわかるわ
西海なんかどこ行くのかわからなかったし 大分行きに「九重」の名称がつけられなかったのは何故だろう。
九州島内の急行として短期間、この名称で走っていたが長続きしなかった。
国立公園の名称にもなっているし、観光地としての知名度は高いはず。国東半島は国定公園だからな・・ >>933
九重は阿蘇と比べるとマイナー過ぎて、関西人もどこへ行く列車か分かりづらいからでは?
でも新幹線博多開業で「阿蘇」「雲仙・西海」は名称を存続させたのに、「くにさき」だけ
何故名称を変えたのか?
「べっぷ」のままで変更しなくて良かったと思うが、大分市の感情が嫌がったのか? スレチではないだろうが
ただ関西から大分方面は彗星も含めて早くから客はフェリーにとられていて
閑散期の平日はガラガラで車掌に聞いたら、みんなフェリーに乗ってしまいますと語ったと
宮脇先生の本にあった 当時から船にとられていたのか
お客さん マイカー族って昔から居たのかね あと日豊本線方面は、飛行機に対しても不利。
本州から宮崎・大分は、飛行機の直線距離が福岡や長崎より短いので、通常運賃が割安。
なので国鉄大幅値上げ後の「彗星」で関西〜大分・宮崎は、飛行機より高額だった。
そして日豊本線は単線区間がほとんどなので、スピード面でも不利だし。 大阪港の近代化で1965年に弁天埠頭が開業して約10年が関西汽船別府航路の黄金期だな。
新婚旅行ブームもあって昼行便も設定されていたし。
衰退の原因は、直接的にはやはり75年の新幹線博多開業。
あと大阪の港湾地区の都市計画が迷走し、
フェリーターミナルを辺鄙な南港へ持って行ったのも旅客メインの航路にはマイナスだった。 今は夜行バスしかないから
客足奪い返しているよ 関西汽船
スレチすまない 弁天町の内回りホームに立ち食いそばがあるのは
弁天埠頭の名残り。 >>946
そいや大阪〜博多のムーンライト無くなったんだっけ。 くにさきはそこそこ人気があったような
阿蘇は空いていた >>956
当時のチケットの値段を覚えてるか?
競争にはならない。一部のビジネス利用だけだ。 >>957
「阿蘇」対飛行機はそうだが、寝台特急「明星」対飛行機なら国鉄大幅値上げ以降は
大差なかっただろう。
夜行なら座席車で我慢して節約するならいいが、そんな傾向でもなかったので「阿蘇」の
利用率は悪かった。
夜行を避け新幹線+「有明」なら、「明星」の寝台より安かったけど。 日豊線系統なんて格下だから、地味に決まってるんだが、
「富士」の使いどころがなくて意外に派手。 >>962
「富士」は日豊本線内で、一昼行特急に過ぎなかったな。
ただ日本一の長距離と、日本唯一24時間以上走行する列車で話題に。
末端区間で稀少価値のDF50が牽く列車なのもあった。 山陽九州筋の夜行急行が中国道全通前の早い時期に廃止されたのは、
瀬戸内海のフェリー2等に格安志向の客を取られてたのも大きな原因。
特に1976年11月の大幅値上げ以降はその傾向が強かった。 14系の簡リクが起き上がって、寝れたもんじゃなかったわ。 ストッパーなしの簡リクは倒したらダメ
そのままで座る(寝る)ものだ
リクライニングは無いものと考えて それでも今の夜行バスに比べると快適に思える
なによりもスマホの着信音とかで起こされることないし
ま、当時はスマホなんかなかったけどね >>970
空いてて空間が広かったから、そう思えるのだろうw
高速バスは座席がグリーン車並みで、夜行列車より安価なので発展していった。
比較された夜行列車が、主に国鉄末期の14系座席車だったし。 >>969
ストッパーなしの簡リクは安かろう悪かろうの見本みたいなものだったからな >>972
当時の国鉄がグリーン車との格差を保持したための、中途半端な普通車のグレードアップだったからな。
同時期に登場した183系・381系・485・489系300番台電車なども同様のシートにした。
それでも当時は急行で特急車両に乗れる、乗り得列車だったけど。 今でこそそう思うが当時は急行は固定ボックスシート特急はリクライニングしない回転クロスシートだったんだから
それから比べれば大幅なグレードアップだよ >>975
40年前の改正までは一応その大原則はあったけど、20系急行格下げもあったしな。グレードはその芳が勝った。
少し後に登場した781系や、183系気動車の普通車のようにストッパーがあればまだしもだったけど。 廃止直前に撮りに行ったら
サボが盗られるのか手描きのクッソ汚いのしか付けてなくて
ガッカリした思い出 しかし何時間も汽車に揺られている間、当時の乗客は何をしていたのだろう? 週刊誌や新聞をたくさん買い込んでから列車に乗り込んでいたよ >>976
20系格下げのシートは固定クロス(A寝台をセットしない)なわけだが
それとも寝台の話か? >>980
両方だろうね。ナハ21は4人掛けでも元A寝台。シートは既存の急行型より上質だった。
20系寝台も通路の折りたたみ椅子がある分、雑客寝台より落ち着きがあった。
その点60年前の登場時、「動くホテル」と言われただけのものがあった。 元A寝台であろうと固定クロスは簡易リクライニングに劣る ナハ21とか583系の座席仕様なんかは昭和30年代までの並ロに近いような雰囲気だったけどな >>984
A寝台の日中利用が元々1人掛け前提だったので、ある程度はそうかもな。
でも急行型ボックスも4人フルでは狭い! 急行形の座席、前後はともかく左右はかなり余裕ある
本当に狭いのはピッチ拡大前の近郊形
左右88cm、通路側に座ると肘掛が脇腹に食い込む >>981
>雑客寝台
また、変なのに絡まれるぞw >>987
ナハ21の座席幅は93センチ、急行電車は96センチだったかと 昔RJだったか旅鉄だったかで臨時つばさのルポで車掌が
14系座席は昼間乗る分には最高じゃないですかね、という発言してたので
当時のレベルはそんなもの
それを今の基準で評価するのは見当違いもいいところ >>989
絡まれてもそろそろ次スレなので、計算づくだろうw 今みたいに快適性と利便性よりも
早さ求めていた時代だからな >>993
速さ求めていた時代は、平成だぞ。
国鉄時代は、安さも大きな要素だったからな。 速さ求めてるなんていつの時代でもだろ
移動時間なんて少ない方がいいに決まってるんだから
あえていうなら得られる速さとかかるコストを天秤にかけて
コストのほうが(重りが)下がるのが今の時代だ レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。