懐かしの雲仙・西海、阿蘇・くにさき
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ところで阿蘇・くにさきに連結されているマニ37は何をどこからどこまで
運ぶんだ?雲仙・西海にもマニ37連結されてる。ググても広島駅で何やら
積み下ろししている写真があるのみ。 雑誌とかじゃないの?
大分駅でくにさきから受け取っている職員見た記憶があるよ 799です。みなさまアリガットン。すっきりしました。なるほどジャンプ
とかなら急行で送らないと発売日に間に合わないよね。たしか西日本は
ジャンプの発売日は昔から月曜日(連休除く)やたかな。 >>803
北九州市でも1985年位まで火曜日だった。 雑誌降ろしている職員も受け取る兄さんもきびきびしていたな
今の宅急便のちんたら荷受けと全然違うわ 末期の2000年頃は門司-西鹿児島・宮崎間、はやぶさ、富士の基本編成を併結して九州内で寝台利用できた。ヒルねじゃなくて寝台として。
基地で寝かして置くだけじゃ無駄だから次の運用まで走らせて働かせる、有効活用の一環かな。
基本編成単体では他にも寝台特急桜島とか吐か喇とかの運用があった。 大分駅についたら金池バスターミナルに誘導していた
大分交通の職員はまだあれやっているのだろうか?
湯布院にはこちらーとか 今でもやっているよ
大分交通の呼び込み
さすがに豪雨があった今はやってないけど 俺は地元だけど寝台特急桜島は本当にあった気がする
その頃の時刻表が見つからなくて確認できないけど 長崎が水害にあって眼鏡橋がやられたとき
雲仙はあったっけ >>809
確かにあったよ。
運行区間は博多〜西鹿児島だったはず。 阿蘇は九州島内だけでの使用を歓迎していなかったのか長崎から福岡まで乗るのに指定席券が
500円だった昭和54年。全車指定だったよね?
姉貴たちと旅行した時車掌が検札に来て
オレが指定席料金300円勿体ないナアって
呟いたら、車掌が、500円だよウフって
やな奴と思った記憶 くにさきに小倉から別府まで乗ろうとしたけど
座席2人分占領して酔っぱらって寝ているおっさんとか
床に新聞紙引いて酒のつまみかピーナッツの殻が散乱していたりしていて
座席探すの苦労した思い出があるわ そうそう
通路にビール瓶が転がっていることもあった
九州内で乗ろうとすると 高校の卒業旅行に九州一周した。最初に乗ったのがくにさきで お盆期間中に下りのくにさきに乗ったけど
彗星の切符取れなかった親父に家族全員で文句垂れていた
神戸に帰るときは彗星の切符取れたけど くにさきも快適だったろ
寝台に比べればそりゃそうだけど
親父さん気の毒 くにさきは特急用車両とは言え、ガッチャン簡りくじゃなかったっけ?夜は煩うてかなわんだろ 眠れたもんじゃなかったぞ
夜間も電気つけっぱなしだし
くにさき 当然
電源コンセントもついていなくて不便だったわ
客室設備 ジオパークの見どころ 「柱状節理」、国が掘削 南阿蘇村
読売新聞 (2017年09月14日)
https://egg.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1505384434/
熊本県・阿蘇山の溶岩が作り出した“柱状節理”、国が復興工事で破壊
毎日新聞 (2017年9月14日)
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/news●plus/1505341554/
世界ジオパーク認定の柱状節理の一部 国の復興工事で破壊 阿蘇大橋の架け替え 熊本・立野峡谷
西日本新聞 (2017年09月14日)
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/news●plus/1505427550/
阿蘇ジオパークの「柱状節理」、国が県に説明せず破壊する 世界ジオパーク認定取り消しか
毎日新聞 (2017年9月14日)/読売新聞( 2017年09月14日)
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1505425004/ >>813
昭和54年は自由席あった。
空いてたから指定席に座ったのかw そもそもこの列車で指定席買うのはリーマンだけだったな
特急が停車しない駅で下車する
九州までは行かなかったよ 山口県内の駅で降りる人が
多かったよな リーマンは
彗星とか明星やあかつきは通過していたから 新日鉄の人が多かったな
大阪発は
新幹線では光市行くの乗り換えあるし 朝一到着は無理だからな まんま今の夜行バスの防長ライナーと同じ使い方されているのか >>845
昭和49年の指定席券は、新幹線博多開業前なので、このスレでは反則w くにさきに乗って別府の実家に帰省していたのが
社会人になって彗星で帰れるようになったときの嬉しさ思い出すな バルトーク/ハンガリーの風景
ピエール・ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団 >>849
すまんでござる
中学時代SL撮影で九州方面に出かけたが、西海、雲仙、阿蘇は定期列車の指定席が取れず
いつも52号や55号だった思い出が....... 彗星に乗れた時の嬉しさは格別だったな
本物の寝台車だし 彗星って芸能人には嫌われていたらしいからな
彗星のごとく現れるというイメージもあるけど
すぐに消えてしまうイメージもあって 芸能人は乗りたがらなかったらしいわ
スレチすまない >>853
確かに新幹線博多開業前までは、583系オンリーだったw
このスレにある新幹線博多開業の3急行設定で成長したが、国鉄大幅値上げ・旅客離れで
衰退の一方だった。 >>855
中坊の頃、乗り物は鉄道と飛行機以外酔いまくっていたのだが、
九州旅行の計画を立てた親父が、
行きの大阪~長崎以外、全行程を観光バスとフェリーにしようとしたんで、
親父、せめて帰りの別府〜大阪だけは寝台にしてくれ、
と頼み込み、何とか許可を得たことがあった。
まだ新しい2段B寝台に乗って、心の中で手を合わせたのも遥か昔。 くにさきって大分ついたら
乗換はいなかったな 他優等列車に >>857
宮崎方面は後続の「にちりん」だったような。
この山陽夜行急行が健在の頃も、大分〜宮崎と、八代〜西鹿児島は急行の本数が少なく、
周遊券利用客には泣き所だった。 >>859
むしろ小倉・大分間の普通列車の少なさが今では考えられない
当時は単線だったしな 正月とかのUターンは、客は疲れている
寝台ではないでギスギスしたムードだったな
阿蘇 大雪?
後に、500番代改造で、「大雪」に使用されたと思うけど。 雪での遅延はあったな
くにさきが 52年の冬の下り
柳ヶ浦で1時間半停車 それでも払い戻しにならない2時間以内に到着して
逆に客に文句言われていたな
大雨の時とかも 国鉄は、とにかく二時間以内の遅れで運転する努力は凄くやっていたな。 んで客が不満顔で駅員に詰め寄ると
夜行列車の場合は特にだった
特急・急行関係なく 大阪では新快速に抜かれて文句言う客もいた
こっちは余計に金払っているのに普通運賃で乗れる電車に追い抜かれるなって 家電の事ならGood Price 2018にお任せください!
お求めやすい価格にて販売しておりますので、是非ご覧ください!
店舗ホームページ
「 http://goodprice2018.shop-pro.jp/ 」 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:fc5433912aa55592f73f2dda4d43bdf8) 小倉と博多の間は今はなき特別快速に邪魔者扱いされていたし
博多で追いつかれていた その点 くにさきは割と余裕あるダイヤだったな 日豊本線内は 当時は単線だったからね
にちりんの追い抜きはなかったし 小倉から大分のほうがスピード出していたような
くにさき 雲仙・西海も長崎本線 佐世保線に入ってからのほうがスピード出ていた
ような どうせ肥前山口で解結・待避で長時間停まってたんじゃねーの むしろ下関と門司駅の機関車取り換えが時間掛かっていたような 併合は時間かかってただろ
相手待って、客車ごと転線してたんだから 14系になったときに自由席と寝台車も連結しても良かったのでは >>890-891
当時あかつき・明星が一部14系で運転されていたから、本数をまとめれば不可能でもなかった。
ただ583系の明星・彗星も、一部寝台をセットせずに座席指定で運転してたから、夜行の座席需要を
読み切れなかったかもorz >>892
寝台をセッテングする人が足りなくて、座席で走らせていたと聞いた。 人手不足ならゆうづるみたいに
編成丸ごと座席車で運用するんじゃない?
1両や4両だけ座席車というのは旅客の
選択肢を広げるためかと思ってた。 ガキの頃めいせい(変換されん)の座席仕様のに乗ったけど、乗り心地悪かったな。向かい合わせになったリーマンさんが、
「こっち側に脚を伸ばしていいよ」って気を使ってくれたけど、ボックスのみんな、ほとんど寝れなかったよ。
彗星だったかもしれん。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています