【失敗】悲運、54の車両たち【短命】
古くはED54、C54、EF54、間近くはDD54。
そんな悲運な車両たちを語ろう。 キハ54 スロ54 クモハ54
スマン、揚げ足取りだったかなw EF54→EF14は大阪駅の入換を47-3までやってたから地味だったとはいえ
あながち短命とはいえない希ガス >>6
スロ54はマイナーどころか旧型客車急行G車の中核形式、スロ51〜53は冷房化も
されず早期に通勤形などに改造。
クモハ54も飯田線での主力形式で、旧型電車の最晩年まで残った。
両者とも長命を保った。 C54とDD54のツートップがあまりにもアレだったもんだから、他の54ナンバーは割を食っただけかもしれない。 54といえば福知山線を思い出す。大阪駅で福知山行の客レの先頭にC54がついていたのをよく見た。無煙化後はDD54の思い出。
今になってよく考えてみるとC54もDD54も私は福知山線以外では見たこと無い。 >>4
だが、あのデカい図体だぜ、EF50も入換えしてたが本来の性能考えると惨めだ。
もともとはEF52の派生形式で2両しかなくで継子扱いになったのが運のつきかな。 ED54の走りっぷりを見てみたかったな
ブッフリドライブってどんな音立てて走るんだろ? そういえばED54も折角の高性能を生かしきれずに
晩年は入替扱いだったんだっけ? >>8
クモハ54も如何せんクモハ51の派生形式だからね^_^;
41に対する60とか43に対する53のような クモハ54の新製車は9両のみ
大半はクモハ60改の100番台
基本番台のほうが少数派 ロクイチは最初、54が割り当てられていた。
それがお召し機は連番が望ましいということで、61になっている。
意外と当事者が54の飛檄を知ってたから番号変えたんじゃないか。
もし、予定通り54だったら……。 >>19
でも型式で54は不運続きだけど同一型式内の54号機って別に不運ってワケではないでしょ? >>20
19だが、お召しだけにゲン担ぎで不吉な番号を避けたとも考えられるぞ。
因みに当初61の筈だった、54は宮原に配されて天寿を全うした。 たしかにゲンを担いで番号変えたとはどこかで聞いたが
『4』という数字が駄目だった気が…
間違えてたらスマソ >>22
関西私鉄では4という数字を嫌ってる会社が多いね。
400型とか4000系という形式の車両って事業用車(貨車など)くらいでないか? >>23
関西だけではなく関東私鉄も避けていたが、
最近は車両の増加でそうもいっていられないみたい。
スレチぽい気がするので引っ込みます。 >>23
国鉄だって3桁新性能はまん中が4と9の形式は事業系だね。
スレチなのでちょっと戻して、末尾4なら、ED74も悲運だな。 >幸運の番号『58』を語れ
キハ58、EF58、C58 一の位が4の形式
ED14、ED24、EF14、EF64、ED74
DD14
キハ04、キハ24、キサハ34
クモハ14、モハ34、クモハユニ44、クモハユニ74
スハ44、14系客車、24系客車
*54除く
短命の形式もあるけど、長寿なのもありますね
76年生まれの俺がC54なんて機関車があった事を初めて知ったのは、
小学校3年くらいの時にケイブンシャの「蒸気機関車」という本を読んだ時だ。
それまで梅小路と交通博物館と青梅を網羅しときゃ、全部知っていた積もりだったもんだw
DD54は世代的に知っていたのだろうなぁ。 >>25
末尾4で不運といえば、ある意味クハ103-4も該当しないか?
阪和線転用計画があったけど直前に事故に遭い転属対象から外され非冷房のままさっさと
民営化後早いうちにアボン。
関西に来ていたら冷房改造されていて未だに阪和線で爆走していたかもw その流れだとC62 4号機も形式中廃車第一号として思い出した。 14系、24系、24系25形
寝台系はすべてメイン系列だな >>26
つクハ58⇒半数が4扉化され残りは戦後早々とクハ47100へ改番
つサハ58⇒流電3扉化のマイナー形式のまま戦前型20m車ではクモハ31に次ぐ形式消滅
>>34
展望車のマイ(ロ)テ58は?
たった2両だけの改造車だけど、最後は青大将色になって客車特急の最後を飾った。
>>30
35系客車の転換式2等車スロ43の格下車だね。
他の並ロ格下車同様、6年余りで通勤型に改造され、うたかたのように消えて行ったな キハ54はどうだろう?
国鉄時代に作られたっきりだが。 >クモハ14、モハ34、クモハユニ44、クモハユニ74
「クモハユニ74」なんて存在しない。
そして抜けが、クモハユニ64,クモユニ74,クモハ74,クモハユ74,クモハ84 C5754では昭和42年廃車で比較的早いし
新製配属は不明だし、戦後は尾久を経て平で生涯を終えているがC62の影に
隠れたように見えているところにも54の悲運が見え隠れしているようだ。
C1154
C1254
C5054
C5154
C5354
C5554
C5654
C5754
C5854
C5954
D5054
D5254
D6054
54号機はD51以外無名カマが多いなあ >>42
C55の54号機は大分機関区時代に僚機51〜53号機と共にテンダをD51と交換している。
時期が日豊本線急行「高千穂」新設時と重なるが、指定牽引機としてのロングラン対策か? >>43
交換が昭和27〜28年。そのころの「高千穂」は都城までの運転。
昭和35年頃だが「高千穂」は既にDF50だけど、普通列車で大分ー鹿児島(約330km)
のC55ロングランがある。これの指定機かな? キハ54 500代は最後に残る国鉄型車両になるのでは。 車両形式ではないが、MT54モーターは特急から近郊型まで、
はたまた私鉄でも採用された大ベストセラーだったぞ。 京阪の2代目1800系(1981年〜89年)。
ガルダン駆動なのに非冷房・コイルサスで登場。
急場凌ぎとして登場し、短命であることを宿命付けられていた。
名鉄1030/1230系1134F
あの日あの時間にスリランカのクソ野郎が線路上を走ってなきゃたった9年で指定席車廃車は無かった C54の最終廃車がS37年頃
俺が生まれたのがS38。浜田生まれなのに一度も実車を見ることがなかった。 C624は、アメリカ軍のテロによって、廃車になった。 DD54は新三菱重工製、新製後数年で推進軸折損事故。
後の三菱ふそうトラックのハブ折損事故と重なる。
VVVFも209・E217系等三菱(電気)製の短命が気になる(54と無関係だが)。
アンチ三菱の書き込みがウザい。
EF66 54は昨日〜今日に掛けてメトロ15000系甲種の牽機として健在ぶりを見せつけているところ。 まぁ専用線に特化した車両の宿命ですわな。
D51 EF65 DD51の様な標準型汎用機は長生きするもんな。
というか生き残ったから標準型汎用機と言う方が適切かも知れんが。 >>56
ま、悲劇の極めつけだな…
逆に最終的には運の良かった形式という意味では53と62かね。 >>58
C53、EF53、ED53にC62、EF62、ED62と保存機や根強いファンがいるし
貶され続けたD62も最近になって名誉回復を果たしたものな。 キハ54はジンクスを破ったな。
国鉄民営化前に、先の苦しい経営を考えて、
かなり強固で長持ちするように製造されたと聞いた。
2エンジンの強力車で、乗り心地も良い。 まあ、戦前国電最盛期に生まれ、末期まで長く生き延びたクモハ54や、
ヘビーウェイトが災いしてTR23付きマニに改造されてしまったのが大半の特ロ客車軍団の中で
唯一冷房化改造されてグリーン車マークを付け、昭和50年代まで延命してもらえたスロ54のおかげで、
「54のジンクスがあてはまるのは機関車のみで、旅客車両には影響ない」
というのは明らかなわけだが。
キハ54−500は、あの時期の民営化対策車各車の中でも最高にいいクルマだと思う。 >>62
キハ54の同時期に開発されたレールバスより長生き。
そのことも予想できたのだろうか。 C54の角をカットしたデフ+スポーク+フタコブってC11とかと同じ構成なのにこの格差 まぁ良かったのはキハ54、クモハ54ぐらいってとこか・・・・
キハ54 500を国鉄型と呼んでよいなら、最後まで残るそれになるのでは。
エンジン、変速機、台車などが交換されている。 あ。
このテメーが言わんとしていたことが>>54で既出だった。
殊にC63なんか… スロ54が冷房改造した見返りに同じ特ロのナロ10を冷房改造したオロ11の転落を見ると。
下降窓で老朽化に電暖付けるとスに上がっちゃうからと付けられないから九州あたりの急行で
こき使われておしまい。 >>65
艤装品にバス部品を多用していたので、その供給が早期に絶たれるのでは、
との懸念はされていたし、もともと長期間もたせる設計ではなかった。 NDCとかLE-Carを導入した会社は、それらの寿命が来たらまたキハ20を買いあさってたよね。 そんな車両を導入する路線自体がせいぜい10〜20年ぐらいしか持たないって考えもあったし。
実際にそうなったのもふるさと銀河線とか何路線かあるが、後日若干頑丈になった新車が
入った路線がほとんどなんだよな。 54が悲運のナンバーなら64は変態車両オンパレードだな
人々の度肝を抜かした蒸気動車・キハ6401から始まり
4扉両運転台の変な?改造車モハ64
キサハ→サハ→キサハというとんでもない経歴をもつサハ6400
貨車ではホッパかタンクか有蓋かわけのわからないタキ6400
そして史上最大のタンク車・しかも予定の65tから減トンされ生まれたタキ64000
極めつけは国鉄史上最大の変態電車と変態客車のクモハユニ64とオハ64・オハフ64 特徴的な窓配置・ジャンパ連結器照明付のEF641000も変態? >>77
他の50系グループに比べたら幸せなグループなことは確か >>81
まぁレールバスの寿命分持ち応えた会社は当面存続の見込み有りとして、
もう少し真っ当な車両で更新する方向に行くだろうし、
信楽クラッシュでレールバスが一般鉄道車両に較べどれだけ脆弱か、
明白になってしまったのも大きいと思う。
特に一般鉄道車両と混用がある路線じゃ、もうレールバスは使えんでしょ。 >>82
EF64の悪口はそこまでだ
聞き捨てならねえ >>89
0番台と1000番台であれだけ違えば十分変態だろうw >>47
その記録を更新したのが東武2080系だなwww
54で成功したのはスロとキハだけだな。 東武2080は改造だからな。
似たようなものでは、上毛に行った3000と3050、足回りも足回りだが、あれは何だったんだ? >>92
2代目の方の京阪1800も東武2080同様に改造車だったのだがな。 >93
600系の車体に1800系の台車を組み合わせて、
昇圧前後の車輌不足を補うその場しのぎ的車輌だったな。 54と言うとJR東日本の201系の試作車って昭和54年式だったっけ?
まだ京葉線に103系も残る中でのお役御免となって、大宮に運ばれて後に開業する鉄博にでも展示するかと思えば先の福知山線事故の教訓とかで救出訓練の練習台にされ車籍も抹消前なのにメチャメチャに切り刻まれたとか。 >>95
車体は丈夫そうだが、足回りは更新工事を行っている。 これは気づかなかった
54という記号には確かに儚さが漂っている でも地味にジンクスを突破した車両形式(国鉄はスロ・キハ)においては
54という数字に接したとき、それを特に感じないのは意外に不思議。 電化後わずか5年で1067ミリ改軌により
お払い箱となった栗原電鉄のナロー電車
たしか下津井電鉄に一部が引き取られたんだっけな スマン誤爆した↑
まあ悲運という意味では強ちスレチじゃないかもね DD54好きだったけどなあ
周りの鉄に聞いても誰も肯定してくれなかったw >>104
SLブーム時代なら納得できる。
それ以降〜全廃までなら、割といるんじゃ?
他に例を見ない独特のスタイルは人目を引くよね。
俺はDLならDF50が好きだった。 >>2
スロ54とキハ54は成功したろ?
クモハ54は悲運だったがなw 京成スカイライナーの初代AE形
成田空港開港を見据えて新造したものの、反対運動のせいで空港開港が遅れ、車両も過激派に焼き討ちされる。
ようやく開業しても、空港駅からターミナルまで遠く、バスなど相手に苦戦。
ようやく空港ターミナルに乗り入れた頃には後継車両が登場し、短い生涯を終えた。 >>47-48とかもそうだが、このスレ、単なる「悲運の車両」スレと勘違いして
書き込んでくる慌てもんが、定期的にいる。これも多分そのパターン。 >>109
クモハ54のどこが悲運だ?
新製時こそ9両のみ新製の1両戦災だが、クモハ60を飲み込んで飯田線では主力形式になっただろ >>107
パワーがありすぎて沿線の住宅のピアノをゴミにしてしまった噂があるDD53の事ですか? ピアノだけじゃないぞ。
破壊した物の数は鉄道車両一ではなかろうか。
スレチなのでこの程度で。 >>112
そもそも>>1自体が雑誌の受け売りでこんなスレ立てちゃったのが… >>114-115
夏の後補機ですら驚きなんだが…何が有ったんだ? >>116
いわゆる「震源地」って、30年ぐらい前のRFかな?
それとも、もっと前から言われてる? >>117
確か、雪を飛ばす力が強すぎて沿線の民家を吹っ飛ばしたとか。 国鉄昭和54年製の電車や気動車が短命な理由:
・普通鋼製で腐食が早い(赤字だったこともありそもそも設計耐用年数の長期化を考えられなかった)
・ローカル向け車両でもワンマン対応していない
・電車ではVVVFでないため物理接点が存在し、機器回りの寿命を縮めている
・気動車では性能が劣るため新形式車両との運用の互換性がない
・尼崎事故以後車体強度の問題が急浮上し、強化を図った車両への置き換えが進んだ
両運・普通鋼製車が駆逐された今の予土線の状況も参考に キハ54はバリアフリーに難(キハ32も同類)
経年のキハ47のほうが適しているという事実 東武にも54系一党があったね
あまり悲運は感じないが、この一党の中の戦災国電の再生車だけは
どうにもみすぼらしさが拭いきれず不人気だったと何かの記事で読んだことがある 一回火に焙られてるわけだから劣化も相当なものだろう >>126
火に巻かれるなんて十分すぎるくらいに悲運だよね
それはさておき、一番悲運はやはりDD54ですかね DD54の大事故は山陰線湖山駅でのプロペラシャフト折損棒高跳びで工場に
飛び込んだ事故。
コクヨの関係工場だったらしく原信太郎さん(故人)から「夜中に機関車が
飛び込んできた−−−と電話があって起こされた」と聞いた。(原さんは当時
コクヨの専務)。
兎に角減速時にガクンガクンのショックが大きくて嫌いな機関車だったが、
後年播但線に入ったときに有名な636レが新野の水車の後ろを走る写真を
撮影している。 54は個人的にも嫌いな数字
51とか55はいい数字
例イチロー・DD51・松井秀喜 野球関係でいうと、51より54の方が好きだな どうでも良いけどw >>130
51、55は言うまでもなく
52は川崎宗則、53は赤星憲広って感じで
印象深いが54って誰かいたかな? 俺的にはバースの54本塁打w
大リーグ史でもルース含め何人か54本を記録している。 やっぱ54は王に一歩届かない不運さの象徴じゃん
バレンティンが60ぶっこいたけどさw >>132
ロッテ暗黒時代の不運のエース黒木がいるじゃないか
純司じゃないぞw キハ54はそれなりにいい車両だよね
国鉄最後のリベンジって感じか
車令30年経った今も快速きたみっていうオホーツクより人気の看板運用持ってるし
事故以外での廃車も出ていないはず 東武は何故国鉄ばりに73系とか54系などと二桁の数字で
形式を総称していたのでしょうか 別に東武に限ったことではない。
京都や大阪の地下鉄も2桁形式だし。 寝台列車で短命なのが北斗星とカシオペア。
(解体さえなければ鉄博別館兼、列車ホテルとして汐留に保存できたのでは?/団体専用列車を除く) でもDD5433が保存され、今でも見られるのは僥倖だよ
動労もたまには良い事をする
C54見たかったなあ
C51よりも先に消えるとは現場では相当嫌われてたんだろうなあ 合理的な理由がなく、単なる風評で現場に嫌われたものもあったらしい
まあ所詮人の子、食べ物の好き嫌いと同じで些細なきっかけから使い難いメンテし難いなどとレッテルを貼られることは想像に難くない もちろん、>>150さんのいうのもあったろう
当時、現場ではC55、出来ればC57を希望してたらしい
しかし、やってくるのはC51の古物もしくはC54
C51より空転しやすいC54じゃ嫌われるだろう
なんで俺たちはこんなのばっかり・・・ キハ54は長寿であるが、保有している会社・路線が留萌本線の様に赤字だらけで悲惨。
あと俺が小学校のころ、乗車して1年後に骨折してしまった。
黒字会社だったら、真っ先につぶされても不思議じゃないが、
ステンレス製だし日高本線で使っていたら、キハ130よりは持っていたかもしれん。 >>1-49
2009
>>50-67
2010
>>68-87
2011-2013 >>88-125
2014-2015
>>126-146
2016-2017
>>147-155
2018-2019
苦難の道を歩むであろう、北海道四国への国鉄からの置き土産。
それがまだ走り続けている。
泣ける。 故障や事故になってからでは遅い
使いきるまでは、無理だろう 新車を入れる余裕すらなくなってきた
鉄道業冬の時代 MT54の車両が比較的短命なのは、そもそも設計上の耐用年数が短いことにもよる。
そろそろ国鉄の財政状況が厳しくなってきつつあった時で、赤字ローカル線切り捨ても含めて経費削減を目指す中で、耐用年数の見直しも行われ、車両は安く作り早く捨てる、という方向に変わってしまった。
分割民営化は遥か昔のことではないのに、国鉄型の生き残り車両が(国鉄最末期の車両を除いて)極めて少数になってしまった背景。 >>173
車両用三相交流電動機と制御装置の実用化によるものだろ。 昭和54年って不細工な電車や気動車ばかり作ってたよな、JNRも営団も MT54が短命なのは国鉄、JRだけで、私鉄系の新製車両では、基本設計がMT54と同じ主電動機がまだまだ現役。
MT54車が意外なほど短命だった一因は、搭載された車両の車体が普通鋼製で、腐食に弱かったこともある。 当該主電動機をヒッシにサゲてるけど
むしろ有名じゃんw 昭和54年頃に作られたJNRの近郊型電車気動車は短命な車両が多い気がする >>179
無理してこじつけるな。当時の旧国と比べてみな 初めから短命にしようなどと番号を付けるわけではないね 「54」という数字に運命性を保たせるのはいかがなものか
たまたま、です 背番号54といったら、巨人の槙原しかおるまい
(のちに17になったけど) MT54のいいところ
・余計な装備がないため省エネ
・釣りかけでもなくVVVFでもないから静粛
MT54の悪いところ
・汎用性が無く通勤型には使えなかった
・直流モーターであるため必然的に物理接点が多く
耐久性が低かった
・国鉄のお財布事情がありそもそも設計寿命が短かった
MT54の気の毒なところ
・宇都宮線系統などでは淘汰を早めるためわざと酷使されたふしがある >>188
>釣りかけでもなくVVVFでもないから静粛
少なくともこの一点だけは同意できない 短命もなにも
MT54は「つなぎ」じゃん
製造当時抵抗制御の時代の終わりが来ることは見えてたし
実際、宇都宮線系統のMT54車は淘汰を早めるため末期に使い倒した、って噂もあるくらいだし やっぱり使い倒して早く寿命にしちゃおうとしてたんだ 関門トンネルではMT54がまだ現役
あと、魔改造切妻クモハ115も改造車にしては意外と長生き 旧型国電から入った者としては
モハ54/クモハ54のイメージのため、54に対する感情は無いですね
あるとしたら63です 54=悲運の構図は発想としては面白いけどさすがに無理がある DD54は当時の国鉄労使関係の悪化の犠牲者ともいえる。 スカイラインS54も名車だがプリンス合併の悲劇ともいえるな
スレ違すいません