DF50総合スレ
DF50が茶色からオレンジに塗り替えられたとき、
ちょっとはスピード早くなるのかと幼心に思ったが全然でした。
牽引力はC58を少し上回る程度で、勾配区間ではSL並みにスピードダウン。
スルザーよりマンエンジン搭載の500台の方が、若干強力だった気がします。 >>52
DD50の当時の技術は今の北朝鮮レベル? >>51
その過程において、奇妙な試作機が1両製造されていたのをご存知でしょうか?
その形式名は「DF91」。もちろん電気式DLで、両側面の窓が丸窓であるという特徴があった。
これは船会社の製造技術を参考にした結果だとされているんだそうな。
>>31
こっちのほうが、より分かりやすい。
http://www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index.cgi?ac1=R523&ac2=R52301&ac3=3754&Page=hpd_view >>53
重連だとC62/D52を上回る出力になるから、交直接続用ではもったいない
気がするんだけど、他に活用なかったのかな?
SGないのが痛いけど。 >>60
6両3セットだと広範な運用で活用するにはタマ数が足りなかったって事だろう
軸重重いから使える路線は限定されるし >>59
当初はDF40、水色でEH10のツラ構えだったが整形されてDF91(2代目)になった。
以後は高松でDF50と共通運用、重連もこなした。
試作ディーゼル機のなかにあって天寿を全うした稀有な例だ。 横川のEF63が末期になって茶色になった時ゃ、
何てぇ訳の分からん塗装をしやがるんだ、アフォか。
とか思ったもんだが、登場当時は茶色だったらしいからね。
一定の世代以上の鉄ファンは赤いディーゼルやら、
青い電気機関車には違和感を覚えたのだろうか。 だが四国では(てか亀山時代)既に朱色と灰色だったからな。 DF50思い出の地
@荷坂峠
A斗賀野―吾桑
B田野―門石(信 みなしゃんは? どこかの青いDD13では、無理を通して、1両でタキを40両も牽引したところ、
勾配上での起動がきつく、2分間ほど空転しながらあえぎあえぎと喘いでおり、
やっとこさ起動し始めたのを見たことがあるぞ。 紀勢本線は全てマン社の基本番台しか配置されてなかったの? 0番台と500番台どうしの重連はあったのでしょうか?
同じ形式ですから当然重連は可能だと思うのですが実際は
どうだったんでしょうか? >>73
機関は違ってもモーターは同じだからね
しかしDF50は事故廃車多いね
事故廃車5両のうち転落が3両か >>73
さらに捕足すれば、DF40(二代目DF91)との重連もありました。 >>75
残り2両は
羽越本線でD51単機回送と正面衝突炎上
山陰本線でミキサー車と踏切事故
でおk? >>66
私にとっては、日豊本線。日南3号がC57牽引で走っていた時、その直前に
DF50の「富士」が来た。ヘッドマーク付きの富士は日南3号のリハーサル
列車だった。 >>82
日南3号がC57になった時は、もう富士のHMなかったでしょ。 >>83
82です。富士のHMありました。73年12月に撮影しています。 >>84
83です。
そうなんですか。
私は年末から行きましたが、すでにHMはありませんでした。
夏にはあったので、10月の改正で他の地区のブルトレ同様、
はずされてしまったのかと思いました。 DF50がさほど人気がない車両である事がわかった。 人気が無いというか、あまり注目されてませんでしたね。何故か酷く汚れた車両が多かった気もします(特に晩年の紀勢線
所属車)。
主立って注目されたのは紀勢線くらい。
当時は他にいっぱい撮影する物があったからな。 >>88
そんなもんかな…いゃ、あたしゃ40代後半で現役SLは滑り込みアウトな世代だもんで。
自家発電式電気機関車DF50は随分と撮りに行ったもんだが。
ところで…このスレ、写真ウプして良い? 古いネガ整理中なんだけど、撮影地が何処だったか
まるで記憶にないものがあって、出来れば同好の志に教えを請いたいんだが。 >>89
フィルムスキャナで取り込まれるのでしょうか?
褪色に強いフィルムもあるとはいえ、いずれは見るに耐えない物となってしまうかもしれませんよね。
そういった意味でもデジタル化して残すということは大いに意義のある事と思います。
往時が偲ばれる画像、楽しみにしています。 SL全廃直後に生まれた世代ですが、
ディーゼルというとDD51みたいな凸型と決まっていると思っていた頃に、
DF50という四角の機関車は斬新に見えた。
しかも電気式ディーゼルという表現が幼い頃には理解できなかったなぁ。
(実際には斬新というよりも古かった訳ですがw) >そんなもんかな…
そんなもんでしょ。
>随分と撮りに行ったもんだが
それ以上に他の物撮ってるでしょ。
>教えを請いたいんだが
カンチンプーですよ。 >>89
とりあえず見せてもらいましょうか
大概わかると思いますよ 日曜日までに何とか。
ネガが既に褪色してて、車体の色が出せずに苦労してます。
それと、SP3あてたら、「システムに深刻なエラーが」orz
日豊線の幸崎・南宮崎間の電化直前に南延岡駅の裏側に住んでいて、
父親の転勤で大分に引っ越して、2年後にまた南延岡駅の近くに戻って
きたときには、DF50の鮮やかな朱色が鮮明に記憶に残っていた私には
ED76の色は少しくすんだ感じがして物足りなかった。 補足
久大線沿線だったので大分県に住んでいたころは、DE10をみることはあっても
DF50・ED 76を見る機会はなかった。 >>98
「だが、おれは許さねえ!認めねえ!!」
概ね自称「DF50ファン」はこういった感じだな。
嫌っておきながら後になって撮っていなかった事を後悔するとか。
今一つ愛着心は感じられない。 >>92
子供心に、発電機から先は電気機関車と同じと思ったよ。 下は四国でしょうか
電化複線というと高松〜多度津のどこかかな >>103
四国とちゃうわい。
完全に考察間違ってるぜ。 >>102
大感謝です。大内山-梅ヶ谷間 でよろしいですかね?
>>103
下も紀勢線です。西寄りが電化される直前の夏休みに。
だんだん思い出してきた。でも場所は、うーむ。
>>105
上はそうですね。大内山の梅ヶ谷側の腕木信号が立ってた先ですね。
下も紀勢本線ですか。
私もポール立ってからは行かなかったし、
あっち側は古座あたりの海沿い区間専門だったので、わかりませんでした。
複線ということもあり四国かなと思ったのですよ。
紀勢本線の複線区間はそんなになかったですよね。
冷水浦あたりは複線だったかな。 >目的地に向かう途中の道すがらに
んじゃ、目的地の写真出せばもっと分かりやすいだろが。 >109
和歌山駅どころか和歌山市まで入ってましたよ。 西駅まではED76なのに、そこから先はDF50・・・・
DF50は格好悪い。
そんな風に考えていた30数年前も有りました。 非力さをはじめ、いろいろな点でスペックが辛くて、
6軸全軸駆動の粘着力と、直動でない電気式の長所だけで保っていたようなところはあったなあ
ともかく90km/h出せるにも関わらず、定格速度の低さにはあ然とする。
後継形式がDD51じゃなくてDE10で間に合ってしまう路線が四国などけっこうあったのも、笑うに笑えない……
(1060PS/1200PSで100kW主電動機6基駆動、最高90km/h、というDFのスペックなら、
1250PS・連結5軸駆動……つまりエンジン動力直動としては空転しにくい……
で伝達効率8割、最高85km/hのDEでも、軸重が若干軽いことを差し引いても代替できるだろうな) >>110
ありがとうございます!
S47、8年ごろ和歌山駅近くの病院へ通ってまして病院からの帰り夜20時ごろ和歌山駅で海南方面から轟音立てて入ってくる列車(貨物だったかも)を遠目に見たような記憶がありまして・・・確か箱型の機関車だったかと。
市内の路面電車がまだ走ってた頃です。 >>112
内燃化の胎動期なんだから仕方なかろう。
当時、電気式は構造が複雑でコストも高かった。
液体式は逆に構造も簡単で低コストだった。
因みにDD51が箱から凸型に変更したのも、コストやメンテを考えたからという(走ルンですの元祖?)。
コストやメンテを考えるのはどの車両も同じでしょ。
蒸気全廃へのカウントダウンが始って失敗は許されないし。
ってここはDF50スレか…。 初期コストが高いはずのDF50は長年大切に使われ
時代の徒花なのかDE11あたりは製造後数年で雨ざらしも多数… DE11って登場直後にいきなり「導入反対」て落書きされてなかったっけ?
誠文堂新光社の新車ガイドブックの写真で見たような SGなし死重積んでる貨物機がDE10だっけ?
DE10の番台変更でもよかったんじゃ? 違う違う
軸重13tで本線列車牽引・入替汎用仕様が原型のDE10で、貨物専用タイプはSGの代わりに死重で調整して番台区分してある
ラッセル対応バージョンがDE15で、これにもSG有無あり
最初からSGなし、死重を更に積み増して軸重14tにしたヤードの重入替特化仕様がDE11 marunouchi.OCNの規制に引っ掛かってカキコできんかった・・・
撮影地に関する考察、皆様ありがとうございました。
モノクロの方はジャギ氏の言うように切目−岩代間、ただし岩代駅の
スグ近くのような気がしてきました。なんも考えてない逆光構図と線形
からの推測です。
海沿いの定番地に行く気力が途中で萎えたものと…今も昔もヘタレ鉄w
DF200の活躍を天上にいるDD54やDF50はどう見ているんだろう…
「ワシらは世に出るのが早すぎたか…」 >>121
もはやDF200なんて興味ない。
天上にいるDD54やDF50もそう思っているだろうよ。
むしろ、こう言ってるだろう。
「いまさらもう少し撮影しとけば良かったなんてふざけるな。」 >>114
昔に較べて客車列車はほぼ壊滅、貨物も少なくなったとくれば、DEでなくても
間に合ってしまっただろう。
本来電気式は広い速度域でエンジン出力を有効活用できるから、同一出力なら
液体式より機関車性能は上のはず。それでも液体式で間に合うのは需要自体が
激減してしまったためだろう。 当方、山口県だがDF50は地元では見られんものと諦めていた(30年位前)。
でも、山陰側に行けば長門市辺りでまだ見られたかもしれんかった。
山口県ではいつまで走っておったんだろうか?
家の近所では石灰石積んだのをDD51が引っ張ってたが、つまらんかった。
DF50とかDD54とか見られる土讃線や播但線が羨ましかったなあ。 >>98
前原大臣の、DF50への熱い思いが伝わってくるね。名作だ。
それにしてもこの文章、鉄ヲタにとってはどうということない
が、一般的にはかなりマニアックな文面に映るな。前原大臣、
マジで鉄ヲタだわ。これだけの文章書けるんだから、間違ない。
政治的思考が自民党タカ派のそれに近い前原大臣だけに、今まで
はどちらかというと嫌いだったが、この文章で、少しは嫌悪感が
薄らいだ希ガス。
筋金入りの鉄道ファンですね。今の状況では、とても趣味を省みる時間は無さそうですが。。。 >>126
マニュフェストと現実との板挟み状態だから、長続きしないと思うよ。
八ツ場の決着を付けたら辞任、その後は小沢寄りのお年寄りが引き継ぐっしょ。 あの人は鉄だけに交通事情の現実もよく分かってると思うが、
国交相の守備範囲は広いから、喫緊の課題があまりに多すぎて、思うように動きがとれんだろうな。
127の言うとおりになりそうな気がする。 >>112
DF50とDE10ではどちらが伝達効率は良いのだろう。
機械式が最も良いのは分かるが、電気式と液体式もいい勝負な気がするが。
旅客用みたいに使用速度域が広い場合は電気式の方が効率が良く、入替用のように
専ら低速の場合は液体式が良いのかな。
>>127
つか高速道路無料化では理と情の間でかなり悩むんで無いの。 >>124
1974年にはD51に混じって走っていましたね。
1979年に行った時にはDD51ばかりだった気がします。 >>125
「だが、おれは許さねえ!認めねえ!!」
「赤ブタとほざいてた弟にDF50を語られてたまるか〜!!」 >>129
伝達効率だけで言うならDF50の方が効率が良い。
液体変速機は流体継手による「すべり」を利用して1次側と2次側の回転数差を吸収
するので、滑った分のパワーは熱になって逃げて行くが、DF50の電気式の場合直流
モーターの特性により回転数の差はトルクの反比例で吸収され(一応)無駄にならない。
また、多段式液体変速機の場合は段切替えによる変速ショックが出る場合が有るので
場合によっては空転の元になるが、これも当然エネルギーのロスになる。
DF50の場合も直並列切替えはあるが、液体式よりは無段変速に近いので、同等の
性能の液体式より重い列車の牽引が可能になる・・・・・・・理論的には。
DF50の癌はとにかく重い事。部品が高価な事。エンジンと電気動力の両方を整備する
必要が有り、整備の工数が多い事。
北九州地区に電気式気動車が投入された時、電気車両を整備できる技術者がおらず、
大いに持て余したのは有名な話です。
当時、近くに電化区間なんかありませんので。
>>129
よくは判らないが、四国のDF50重連で運用していた斗賀野−多ノ郷間の石灰石列車、18両だったのだが、DE10重連では16両に減車し、1往復増発した。
軽いDE10ではけん引力がDF50より落ちるからだったらしい。 >>1
DF50を語る言葉は概ね出尽くしたようだ。
皆、今月のJトレのように追いかけただけで終わったからな。 ._____________ ._ ___
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>>135
死ぬほどかっこいい!!
鉄道のフェラーリだ。 >>136
オイラは銀帯は写真写りが悪いんで好かんな。
やっぱ、白帯がよろし。 138両突破!!
「国鉄遺産名車両100選」という雑誌?
製造両数間違ってるぜ。
DF50ってその程度の認識なんだな。 土讃線を行き交う赤くて四角い箱型の機関車が牽引する黒っぽい貨車列車・客車列車に夢を乗せて… >>141
ハレパネで手作りとおぼしき「いい日旅立ちいいニュース(ニュース、の部分がこれまたNHKっぽいロゴタイプ…)」、
黒と朱の墨で「亀山が誇る美女3名(!!)ミス亀山と準ミス亀山さんによる(中略)多数のご参観をお願いします」…
この素朴な賑々しさが時代を感じさせてなんとも素晴らしい!
もちろん、写真も良いですね。初期型の車体形状の違いもよくわかる。フィルムの26コマ目なんてオチも懐かしい。 1950年代の本線用ディーゼル機関車の電気式vs液体式勝負って
西ドイツと日本以外は電気式圧勝なんだよね。
(あとは中国の北京形が頑張ったほうか)
まぁ西ドイツもDE2500試作してから電気式に流れていったけど。
DD51/DE10(或いはDE50)辺りの機関で純国産の電気式作ることが検討もされなかったのは
残念というか意外な感じもする。
1960年代ならDD51の対抗作として。1970年代なら今のように交流化・チョッパ化などの
ハイテクてんこ盛り機として。ダイナミックブレーキ(発電ブレーキ)目当てで
電気式という選択もありえたんじゃないのかな……。
以上妄想含みチラ裏スマソ。
DF50自体はよく活躍し、天寿を全うしたと思う。
>>145
内燃化が急がれて、値段的やメンテ的にも液体式が有利ということになった。
DD51は箱ボディーも検討されていたが、メンテフリーを考えて凸ボディーになった。
DD53はその箱ボディーの発展系だったかも。
その後の後継機は労使間に「大人の事情」があって、DD51とDE10、11の一つ覚えになり、
DE50や計画していたDF51が割を喰ったのだが、当時の「大人の事情」を考えても、機構が複雑でカネもかかる電気式はありえなかったろう。
と同時にDE50はともかくDF51は実現してても、無駄遣いに終わっていたろうな。 メンテナンスフリーは違うだろw
コストの問題。DD53は駆動系が複雑になったから箱形になった
今みたいに小型高速のモーターなかったから狭軌で軌道が弱いと電気式は辛いだろうね。 DD51があの形になったのは軽量化とコストダウンもあるが、一番大きいのは主要機器へのアクセス性を高める為。
最悪、機関の主要部品等を交換する事態になってもボンネットを外してしまえば機関はむき出しになる。 >>141
子供の頃の俺様が写ってないか探したじゃないか。
残念、写ってなかった。 >148
初期不良だらけのエンジンへのアクセス度を高めるのが
目的だったら 笑える
そこまでして「国産」のブランドが欲しかったのかなぁ
>>147
日本の機関車は狭軌ということを差し置いても、異常なほど軸重制限が厳しいからね
海外のレベルならDF50もDD51も従輪なし四動軸クラスでしょ
>>148
でも運転室を中央に置く必要はなかったんでないかな
主要機器へのアクセスというのなら、両端運転室で中央部をボンネットにする
組み合わせもあったんでないの
海外の鉄ヲタも、入替機関車然とした姿に疑問を呈しているのを見たことがある >>150
1ドル360円時代だぞ?
国産でないと安く出来ない。 釧路臨海鉄道DE601のスペックをDF50/DD50と比較しちゃっていいんだろうか……。
機関出力はDF50より小さいくらいなのに、主電動機出力はあっちの方が高い。
諸元表に載せる前提条件が違うような気がしてならない……。
或いは、電気式も(本場のアメリカで)1970年までに大幅な効率向上が為されたと
いうことか?
DE601がほんとに諸元表通りのスペックなら、当時あのクラスを国鉄が借入して
DE10/DD54と比較評価してたら……?と妄想してしまう。
>151
日本と線路条件変わらない台湾鉄道管理局ではアメDLガンガン走ってるんだよね。
6軸全駆動ばかりだが。
>148
運転台中央というと、フランスの交流電機が異様に凸型に固執した時代があった。
(1950年代、BB12000など)