【市電トロバス】大阪市営交通黄金時代【地下鉄】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
万国博を機会に市電・トロリーバスを廃止し地下鉄網を完成させて躍進した大阪市交通局。あの時代の大阪文化や世相も交えて語り合おうでは有りませんか。 >>42
アルミ→軽量化が主目的
捨てん→省塗装と防腐
あと、コストやどちらか一つに絞るとコケたらリスクがデカイ。
将来御買い上げ前提で作っても、発注主や購入者は北急。まず、自社の管理都合の良い番号を採用するのは当然。
売却後、大阪市がどのような番号にするかは知った事ではないし。発注時に大阪市の増備計画数や内容なんか知る由もないし。
オール先頭車の編成があったから、四つ橋線投入くらいは大阪市から聞いていたかも知れんが。
何で中央線は、中央が後回しになり開業したの?
確か千日前線も同じく、同じ時期分断された状態で開業したような・・・・
コレって需要を考えたり、車両搬送は勿論 業務一般総べてにおいて極めて
不合理な気がするのですが、市民の財布を無視してネットワーク構築の段取り
が組まれたからですか?
余談ですが、大阪市って顕著に業界で注目される事業者でもないのに、
(例えば、名車○○系とか無い癖に・・・)鉄道設備全般にカネ糸目
を、つけないような印象があるのですが・・・ >>44
繊維街の立ち退きが遅れたから
中央大通・船場センタービル・阪神高速一体で施工したので
工期もかかったしな
千日前線も同じようなもんらしい。国鉄湊町駅の下掘らなきゃ
ならないし、難波の地下街もあるし、近鉄難波線と土地の取り合いしてたし
設備が豪華なのは、創業当時から「地下設備は拡張するのに
金がかかりすぎるから大きめに作っとけ」ってのが言われ続けているからと、
いい物を作らなきゃ都市としての品格が問われるみたいな考えがあったのかも
大正時代に東京を抜いて日本一の都市となったから
ま、基本は新しいもの好きだしね>大阪 >>44
中央線は一体施工で時間が掛ったというのもあるし、
千日前線の場合は野田阪神駅が阪神電車高架工事との兼ね合いで、
当初2両分の単線ホームしか確保出来なかったということもあるが、
要は、根本的に当時の大阪旧市内の公共交通の需要は南北>東西なので、
後回しにしても大きな問題ではなかったからだと思う。
大阪市の車両は派手さが無いだけで市電地下鉄とも完成度が高いよ。市電を例に取ると、
和製PCCカーを大量かつ主力として使いこなせたのは大阪市だけだよ。
鉄道設備建設に余裕を持たせるのは大阪人の性。だから大阪市だけでなく在阪私鉄はだいたいその傾向がある。
東京では小田急が新宿駅改築に失敗し、丸の内線も銀座線も輸送力増強がままならず、
名古屋も東山線のような大幹線ですら極小の設備投資で大失敗している。
予備部品供給源として固定編成化時あふれた 旧6100形6111号車の早死には(半端製造は)確信?
そもそも 6100製造の時点で、2両連結常態化していて、単車運転は殆ど無くなっていた
のでは、?だったら 5000+5500の6000ボデイ版を造ればよかったような、気が
するのだけど・・・・ 確信も何も、新鮮建設でお金の無い時期に予備車を2両も抱えてどうする。
1両予備で運用が賄えたから1両になっただけ。
1000型も端数増備だし、1100型も端数増備。
つまり予備車を最小限にするのは大阪市の伝統。
30系ですらC編成を作って予備車を1編成ではなく半編成にしている。
早死には結果論。 >>46
市電の話題が出てきたら、福町車両工場の話が
出てこないのはおかしいぜ
ま、空襲で壊滅>廃止という流れなので私も知らないけど、
東洋一の規模だそうで
あと、電車連動信号(トロリーコンダクター)は大阪市が
特許を持っているらしい。すごいね 1000の正式な淘汰除籍は何時なのですか?
工場入れ替え用に510号車が選ばれた理由は何故ですか?
1000B形淘汰時、交換しても良かったような気がするのですが・・・・ 救援車を少しでも若い車両に、ってことだろうが、その性格上から
もともと稼働率が極端に低い車両を、吊り掛けの旧性能車という意味では
大して変わらない1000B形へ取り替えても費用対効果が小さいんじゃない?
どっちにしろ吊り掛け駆動の営業車は車齢を問わず全廃になる運命だったんだし。
廃車になった半端車は、車体だけ現業組合の事務所として活用されたんだからw
検車場の事務所棟内に組合の執務スペースを確保できないこととなっていたから、
(実際は別名目で提供)ちょうど良かったんだよ。 救援車なんて使用実績が殆んど0で済む車両だから、動けば何でもいいんだよ。
昭和50年代半ば、一度510の中に入った事があるが、
あんなカビ臭い車内(放置車両独特の臭い?)では本当に稼動実績無かったんじゃないかな。 大体、救援車が活躍できる局面って限られてるんだよw
救援車が出動する大事故って、該当区間は第三軌条を停電させてる可能性が高いから
救援電車は現場直前まで到達できない。直前までに他の編成が本線上で立ち往生してたら?
その編成が移動できたとして、それは事故が発生してから如何ほど時間が経過してるだろうか。
よく考えると510号は訳の解らない代物だった。
今は事故編成を何とかして、推進か牽引で転がせる状態にすることを考えて復旧訓練をしている。 510は我孫子車庫の廃止と同時に廃車解体されたの? 廃車の日付なんて手続きだけの問題だからそんなもの車庫の廃止と一致しなくても無問題。
ところで、このスレはいつの間に教えて君へのお答えスレになったんだ? ケチケチしないで教えてよ。
情報の継承は、後世の愛好家の為、必要だと思うよ。
俺は、駅員や乗務員やっていたけど、子供でもマニアックな事を聞いて来る子供には、
真面目に分かりやすく、教えてあげていたよ。
俺も、会社の守秘義務に関わらない事(時効の事とか、公になっている以外と知られていない事
事)については、疑問カキコがあれば伝えているよ。 >>46
大阪市って路面も高速も新技術に意欲的なのに全国的に全く評価されへんなぁ〜。 OECブレーキとかね。
20系は第三軌条初のVVVFだし。 昔の学研の「○年の科学」だったかで,大阪市の電気バスいうのがあった。
万博開催といい,あの頃の大阪は輝いていた。スレチ失礼。 いんや、スレ違い違うで。
電気バスはあおぞら号だったかな?大都市では初の電気バスで昭和47年4月1日に2両デビュー。
所属は九条営業所だった。
電気バスが大阪市に残した遺産は、
この年秋に導入された路線バス新車体塗装の先駆けとなったことかな。(車体下部の緑のライン処理や黄色帯の有無など多少異なるが。) >>60
その後春日出に転出。厄介者だったらしいな そりゃバスの購入費だけで当時のディーゼルバスの2倍強の970万だったからな。
バッテリー交換も一日2回やってたし。 大阪市の電気バス、知りませんでしたありがとう。
電気バスって、昭和50年代に京都市にもあった(桂駅からどこか?)。
神戸市の初代ハイブリッドバスは、走行距離の9割でエンジンが
回っていたことが判明し、あぼ〜ん、、 大都市圏なんとか調査?モデルバス?方々数社点々として試用された。
って覚えている? >49
> あと、電車連動信号(トロリーコンダクター)は大阪市が
> 特許を持っているらしい。すごいね
一方、軌道回路式は京都市が特許を取った方式だそうな。 >63
京都市交の電気バスは、大阪、神戸と同時期にも1台いた。
それも、廃車になったトロリーバス改造という変わり種。 >>65
京都には連結車計画があったから、トロコンではまずかったのでしょうね。
無人の交差点での市電のポイントの切り替えはどうやっているのか
長いあいだ疑問でしたが、京都市電末期に、漏れた都市ガスが軌道の下で爆発する騒ぎがあり
TVニュースで、黒こげになったポイントマシンの写真を見て納得…
大阪の話ではなくでゴメン… なんとも何も戦前の電気バスは全国的に代燃化の選択肢の一つだった訳だが・・・。 うむ。自動車登場の黎明期は電気自動車の方が
シェアが高かったと言う、ウソのような本当の話がある。
しかし、自動車の内燃機関が高性能になるにつれ、
航続距離が短い電気自動車は消え去ってしまった
というわけで、戦中前後に登場した電気バスは
「うわ〜、何あの古いバス。電気バスだって〜!。
電気バスって許されるのは小学生までだよね〜」
とか言う会話がされたとかされないとか 代燃化の問題と言うのは機関のメンテナンスの苦労以外にも、燃料の木炭を自家生産或いは如何に安定的な供給先を確保するかに掛ってるんだよね。 岡山の山奥まで行って、山を1つ買ったらしい。
でもって、その山の木を木炭にするために職員を
住み込みさせて生産させたと。(交通局40年史より)
すごい時代だ 大阪万博の影響か、30系が今だに未来の電車に見えるwww
しかし御堂筋用アルミしか知らなかったところに旧7000+8000を見た時は正直萎えた。
どことなくバランスの悪い前面にRの無い(四角い)側扉窓。
20年ほど前、2年半 だけ 大阪近郊に住んでいた私が来ましたよ。 >>73
あー、運行番号窓埋めた奴ね。
あれは希少価値があったので、知り合いはアレに当たると
嬉しかったとか言ってたな。
私は1号線に乗る機会がめったにないので知らなかった。
そういや10系の試作車はひっそりと消えて行ったな。 10系試作車が保存されなかったのは意外だね。
まあ高性能鋼製車も50系が1両保存されているだけなので仕方ないが。
でも保存するなら最末期の姿じゃなく、出来るだけ初期の美しい姿に戻して欲しいなぁ。 15年ぐらい前、谷町線の都島―守口間の各駅の駅名票が少し変わったものだったような記憶があるんですが・・・
ヒゲ文字と普通のゴシック体を合わせた感じで、横長のものだったような・・・。 都島〜守口の開業(昭和52年)から地下鉄駅のサイン類のデザインや規格が一新(例えばホーム壁面の駅名標が横長方形から横細長に変更)されたのを機会に、ヒゲ文字も止めました。 もう一度、森之宮の保存車を見られるチャンスが!
しかも、新型車両30000系の試乗会つき! 35年も前の幹線支線分離開始時期
支線系統用 オレンジ塗装にメトロ窓のB623Eが懐かしい・・ >83
最後は中津に集中配置されてたヤツね。
幹線41で時々大阪駅に来てたけど、歌島橋バスターミナルにいる方が多かったね。 確かに!
ゼブラバスリバイバル塗装(あるいはラッピング)を見てみたいですな。 >>85
空気読まない交通局は、先代の旧塗装を復活!
→誰も気づかなかった。
というオチが頭に浮かんだ。 おれ最近まで今のバス塗色は1972年式がベースだと思ってたもん。
今のバスは1972年式より色が明るいんだね。 市電は残っていたらバスと同じ塗装になったのだろうか?
それとも地下鉄のようにラインカラー導入したのだろうか? >>89
市電は複数で操車しているから、ラインカラーなんて無理
で、なんで電車とバスのカラーを同じにするんだ? >90
塗料代節約で一緒にするとかはあるんじゃないか?
ラインカラーは市電全体で1カラーという手があるね。 末期の市電はワンマンの帯の有無だけで色は皆同じだったんだが。
市電とバスを同じ色にしたら利用者は遠目でどっちが来たか分らんではないか。 バスが(同じ色に)塗り替えることってあるのですか?
おおかたの自動車と同じく廃車までずっと新車時の塗装のまま
かと思っていました。sage 大阪市は知らんが民営では塗り替えは普通に有る。
京都交通(京阪京都交通)のみたいな貧乏ったれでも頻繁に色が変わったし。 基本的には数年に1度塗り替える
塗装って経年劣化で色褪せてくるから、
結構みすぼらしくなるからね 大阪市交通局の場合2002年くらいまで再塗装をしていたけど
今は新車時から廃車までずっとそのまま。 阪神国道線の塗色しかり
南海大阪軌道線の車両デザインしかり
何で大阪市電と同じにしたのか分らん。
>>95-96
目からウロコですありがとう。
関係ないですが何年か前に広島で元大阪市電の2600に乗りましたが
窓も大きく、内装も当時としては綺麗なのにびつくり。
もう大阪に居た時より永い時間を異郷で過ごしているのですね、、 >>98
3001型のデザインは秀逸だと思う。
広電では江波の系統で使ってるんだよね
冷房化もしてるし、まだ主力でいけそうだけど、
中型車なのでラッシュ時の運用は辛いかも。 鹿児島からパーツを貰ってきて3001形をフカーツ
なんてことはしてくれるわけないですよね… 3050の保存車があるだろ。
もう数メーター長く作ってくれたら南海が大量に引き取っただろうな。車体だけ。 万博なんてついこの間と言う感覚だったのに、当時の現役車両0だもんな。
阪急は一杯居るけどw >104
大阪万博と言えば、30系だな。
デザインと座席がボロクソ言われるが、あの当時、万博にふさわしく、
未来は大袈裟にせよ、最先端の電車に見え、衝撃的だった。
今でもあれが斬新に見えるのは、トラウマと言うものだろうかww
いやいや、60系もすごいよ
前面ガラスを意味もなく天井にまで伸ばしたデザインは
この60系が最初。このあと他社局の電車にも続々と採用されて、
鉄道車両のスタンダードになった。
大阪市交はいつもパイオニアなのだ 60系はラインカラー化以前の「ほおべに電車」の頃の方が可愛かったなあ。 5→6連になったときに中間車となったやつは、
最後の最後まで赤かったよな 万博 アルミ車 近未来って感じだったもんね。
30系アルミ車はあのどうしょうもない安っぽさが逆に新鮮だった。
でも最初からヒーターくらいは付けて欲しかったぞwwwwww 本当に、ほおべにから日本の電車の顔が変わった様な気がする。
市電と言えば、台風の時、今里車庫の全車両が浸水被害を避けるため上町台地に上げられていました。
小橋と上六の間に新旧車両がずらっと並んでいたのを思い出した。圧巻でした。
大阪の60系もそうだけど、営団の6000系のほうが電車の顔としては革命的だったんじゃないかな。
前面の中央以外に貫通路(非常口)を持ってくるという発想がこれ以前には無かったのだから。 ところで別スレに一番好きな都電の車両・系統があるが、みなさんの一番好きな大阪市電の車両・系統は? そんな質問答えられる年齢層が何人このスレを見ていることやら。 初めて大阪入りしたのは万博の年なので
市電をリアルで知るヨシもないけど、3001形はすごいと思う。
わざわざ鹿児島まで乗りに行ったが、連接化されてもあの走り。
タネ車を60`くらいで思い切りトバせたらと考えると、萌える。 >>112
特にないな
まあ、実家が都島車庫の近所だったので
15あたりを挙げておこうか
これがあれば梅田・難波・天満橋どこでも行けるからな 言い出した私も。
乗ったことはないですが4系統ですかね。
阿部野橋・上本町・天満橋・梅田・なんばと国鉄・私鉄のメインターミナルをつないでいたんですよね。
循環系統というのも大阪市電らしいと思います。 >>116
俺の亡き親父が通勤に使ってた系統だわ。南海平野線→恵美須町→長堀橋だったな。 写真で見ただけだが2011(868)形はいいね。
戦前に正面が左右非対称というデザインにドアより高めのところまである窓。 世界恐慌のあおりで中型車を作った時期があったのですね。
数年前の朝の連ドラであのあたりの電車が古い写真をCG合成されて
昔の大阪の街並みの中を走っていたような。 バス・タクシーに客を奪われて、電車に金がかけられなかったからじゃない?
まあ、確かにこの時期の数年間の新造は11m車しか増備されてないけど、
開業区間も支線区間しかないし。
大型車を増備する必要がなかったと
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
>>120
戦後も戦前ほどの大型が作られることは無かったしね。
3001型や2600型がもう少し大きければ南海が買っていただろうね。 >>122
大型が増備されなくなったのは、二人乗務制にしたからかな?
戦後、トロリー線の1線化・ビューケル化・車掌一人乗務っていう
効率化を進めた結果、大型車では停留所で乗客を捌けなくなったとか
詳細はよくわかんないけど >124
輸送量が減ったというのもある。
とはいえ14m級の3001とかネタ半分でも作ったほしかった気がする。 大阪市電の中型車には熊本に引き取られたのがありましたが
路線の大縮小までのつなぎだったのか短命だったらしいですね。 >>123
南海車両サイズと同じ1601型が導入されているから、
3001型はともかくとして2601型が大型なら車体くらいは買ったかもしれませんね。 >126
900は車体が特殊構造だったから傷みやすくすぐ廃車だったらしい。
ワンマン用に大改造したのもあったのだが、10年持たなかった。 >>125
100年史に詳細があった
経営合理化のため3人制から2人制にする必要が
迫られたため中型車が登場した
とある
中型の中扉が車体中心ではなく、やや後にオフセットされているのは
大型の中扉と位置を合わせるためなんだよな 側面非対称、上から見ると点対称のドア配置の元祖ですね? >129
厳密に言うと最初の801は車体中心だった(正面の中桟も中央)。
801の実績を元に修正したのだろう。 なぜノーシル・ノーヘッダの3001型を採用した後に、
シルヘッダ付きの2601型を作ったんだろ? 2601型にシル・ヘッダーつきのがあったのですか? 2501形のことを言ってるのでは
形は1801とかと同じで方向幕は大型
4両ぐらいしかなかったような >134
とりあえず2100を改良した、と言う感じで作ったのだろう。
レイアウトは3000・2600に引き継がれたが。 2501形は、1001形の車体更新の試作的な要素が強い車両ですが、2201形が登場(昭和29年12月)してから
3ヶ月後に2501形が登場しているので、製造した大阪車両が、2201形の車体で製造する準備が整わなかった
のかも知れません。
2601形は昭和30年11月に最初の車両が登場していますが、こちらの製造も大阪車両でした。 2201形=新製
2601形=木造車の改造名目じゃないのか?
つまり、当初更新車は2101形ベースで製作予定だったけど、
3001/2201形が好評なので、更新車も同じボディーにしようと あのまま市電を縮小してでも残っていたらどうなったんだろうな。
鶴町線と松屋町筋線、あみだ池筋線あたりが残っていたらかなり楽になった気がする。 海外のトロリーバスに乗ると、結構な速度も出るし、侮れないとは思うけど、日本の交通事情だと、やはり厳しいかも。 都市部のNOX削減には効果があるのかなあ。
まあ、これからは電気自動車かハイブリッドカーの時代になるんかいなあ。
サラダ油の廃油でもバスは走るらしいけど。 暑い大阪の、暑い扇風機の地下鉄は強烈だった。
開けられた窓からは、爆音と生暖かい風が入ってきていた。
淀川を渡るときは少し臭っていた気がする。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています