国鉄片町線
>>723
西日本に配置された非ATC高運クハ103の新製配置路線別リスト
片町線
797・799・802・804
829・831・836・838
(797は非ATC高運の第1号車)
大阪環状線
800・806
(反対側クハは造られず)
阪和線
823・825・827
830・832・834
(非ATCブルーは首都圏には存在しない)
福知山線
833・835・837・839・841・843
840・842・844・846・848・850
(850は103系地上形クハのラスト) JR西日本化後に改造されたクモハ103-5000は高運より後かつJR西日本化後にも関わらず、低運を採用した点からも西は高運をあまり好んでいなかったと想像 >>725
その前年に登場したクハ103-2500/2550も低運2個ヘッドランプの顔になったのは投入先の大和路線には当時高運が居ないのでそれに合わせたのかなと思ったけど学研都市線用クモハ103-5000は反対側先頭車のクハに高運クハがあるのにやはり低運になったのも高運不評説の信憑性が増す 1974年〜1978年は関西地区の103系新造は中間車のみで、先頭車は首都圏の新造投入で余剰となった1964年〜1969年製のものを関西地区に転用させていた模様
それで低運ばかりになってしまったと思う 片町線の分割編成化は史実ではわざわざ先頭車化改造したが、仮に国鉄時代だったら、阪和線の4連化みたいに首都圏が絡んだ大規模な転配になっていたと思う 片町線103系投入が新製配置で行われたのは1979年長尾複線化のタイミングになったのはこの時に6両編成化されてクモハが不要になったこと、そして首都圏ATC化による車両投入とそれに伴う他線への転用が一段落したという側面もあったのだろうね 101系はJR西日本では片町線に2編成が継承されただけだった
なので早々に消滅したんだろう
(103系編入車は除く) >>720
月日が過ぎるのは早いですなあ。
あっという間にワシもじいさんになってしまった。 生きている限り加齢は避けて通れません。
過去を振り返ったり過去の自分と比較するから苦が生じる
それをしなければ楽しく生きられるよ 今の自分を見て、結果オーライと考えるのがが、良いと思う。 バカボンの「これでいいのだ」って存外スゴい考え方なんだぜ
失敗(済んだこと)や、過去との比較に縛られなくて済むからね 小生が小4の頃、大回り乗車を小学校の先輩に教えてもらった
京都【東海道本線】大阪【大阪環状線】天王寺【関西本線】奈良【奈良線】東福寺
今、思うとなんで片町線に乗らなかったのか残念
ディーゼルカーに乗りたくなかったのかな
ちなみに奈良線で105系が走り始めた頃の話 そういえば桜井線和歌山線が電化されてからは大回りでディーゼルカーに乗れる唯一の路線だった
昭和60年頃はキハ58,53,47,35あたりが良く運用に付いていた
レンガホームの祝園駅でのタブレット交換が懐かしい >>720
美とルズが初来日した当時の動画を見た。
若者達がかなりフィーバーしていた。
彼らも現在ご存命なら、皆さん古希を過ぎを過ぎているはずだ。
「今の若いもんは・・・」なんて云ってるじいさま・ばあさまにこんな動画を見せてやりたい。 若い女性が失神してオシッコとかあったらしいね。
全世界的にそんな時代だったみたい そんな人たちもすでにばあさまだと思うとしみじみとしたものを感じる。
片町線のオレンジのモハ72や非電化区間の気動車が過去著入りしたように。 >>744
その頃地下新線が出来、福知山線と直通になるなんて、想像すら出来なかった。 東西線の開通前の大阪城北詰の仮称は片町だったのに何故変えてしまったのだろうか? >>746
仮称のままだった駅名のばかりのような
片町→大阪城北詰
南森町→大阪天満宮
桜橋→北新地
??→新福島
野田阪神→海老江
歌島橋→御幣島
??→加島 >>740
今は大阪近郊区間が広がったから、加茂〜柘植でディーゼルカーに乗れるようになったな >>746
あと数十年もすると、片町線だった由来を知らぬ人がほとんどになるのではないか? 同志社前駅のサロ581はいつ頃から存在していましたっけ? >>743
それはグループサウンズでもにしきのでもフォーリーブスでも
ザラに起こります >>750
駅開業時からだから、昭和61年からかな。
当初は喫茶室もあったけど、いつの間にかなくなってしまった。 >>751
今はそんな事案は聞かないね。
当時の女の子(今のばあさま達)の方がフィーバーしてたのかな?
グループサウンズ自体も死語かと思料する。 >>752
最初は2両分しかないホームだった。
喫茶室でコーヒーを飲みながら列車を待てるのは良かった。 207系量産先行車の投入路線に東海道山陽緩行線という選択肢もあったかもしれないが、初のVVVF車という事で初期故障対策を考慮し当時運行系統が独立していた片町線への投入になったんだと思う >>755
でも量産先行のF1編成は当時の片町線で行われてた分併対応でなく7両固定編成だったのが謎
本当は本線緩行投入で計画していたのを東西線計画対応が割り込んで来て初期故障対策などの点で他線との関わり等の理由など再度検討した結果片町線投入になったと想像 東海道・山陽線の方は最初6両固定だった
どういう運行を想定していたのか >>757
和田岬線でのテスト運用・・・?なわけないか >>757
データイム6両、2編成連結してラッシュ時12両なんて思料した。 207-1000の事なら、当初はラッシュ時は2+6の8両、昼間は6両単独だった 東207-900と西207が同じ「207」だったのかが未だに疑問 >>762
ちょうど、国鉄からJRに移行する時期に完成した車両だからこのようなレアなことが起きたのだと思う。 そのまま国鉄だったら207-900タイプが各線に投入されたんだろうな。 >>757
東西線開業前後に想像していたこと
・快速は4+4で8両編成、松井山手で分割併合
・普通はラッシュ時は6+2の8両編成や3+3の6両、4+3の7両など雑多な編成、データイムは1000番台6コテや3+3の6両で最遠は松井山手まで
こんな運行を想像してた >>762
763が書いてるが登場時期が民営化前後というイレギュラーだからな。
207系だけ特例みたいなもんだよ 福知山線の快速で207系の4両単独運転があって
117系との格差を感じた >>754
今では立派な駅舎も出来て隔世の感があるね >>766
国鉄の民営化がもう少し早かったら、207系は一足早く321系を名乗っていたのではないか?
また、東の207系はE207系となっていたと思う。 207系は袖仕切りが阪急等と同じ仕切りのみのタイプになっちゃったのがね
いくら国鉄車の車内が関西人に合わないとは言え 関東民に合わないだけで叩いていいわけですか。勝手なもんだな。
場所によって変わっていいじゃん >>743
事前に想定してオムツしなかったんだろうか? 震災が無ければ東西線開業後に大阪環状線を皮切りに南アーバンにも投入されていて、その過程で207自体の整理も行われていて0番台3連や1000番台初期車の扱いも違っていた可能性がある >>774
紙オムツは昭和52年にアメリカから輸入したのを嚆矢とするらしい。
今では布オムツは絶滅危惧種かと思う。 介護の仕事をしている。今は100%紙オムツで、脱着も楽なリハパンも多く使っている。これが布オムツだったらと思うと負担が多すぎる。 紙オムツ自体はもっと昔からあったらしいけど、高吸収ポリマーが発明された功績は大きい。 そろそろ本題に戻そう。
101系は何故桜島線と片町線との共通運用だったんだろうか?
103系は何故環状線や桜島線と共通運用にならなかったんだろうか? >>778
片町線は大ヨド、桜島線は大モリで、分離されてる。
103系、環状線は8両編成、桜島線は6両編成だったからだと思う。 >>780
確か1985年3月改正までは桜島線は淀川電車区持ちで101・103系非冷房車が片町線との共通運用となってたと記憶してる
101・103系冷房車は片町線専用となってた まさか東寝屋川が改称されるとは思わなかった。
いくら地名に無いからといって
他例をみていたら、理由としてはかなり弱いよね
施設名か付いててそれが撤退したとかならまだしも。 >>781
まるで青梅/武蔵野線みたいだね(一時期は共通運用だった模様) >>784
武蔵野が6連だった頃の一時期、五日市線も含めてそんな運用があった。
103,101−1000,201が共通に使われていた。
モハ72改造の103−3000も編成中混じっていることもあり、東京地下駅で見かけたときは感激した。 >>783
国鉄時代に事務的に付けられた駅名だから地元民から改称の要望があったんではないかい。 最近のJRは東西南北を使わなくなってきてるね。
どうにもならなくてつけたのは武蔵野線の吉川美南。
昔だったら間違いなく南吉川だったと思う。 >>787
高輪ゲートウェイも西だったらJR高輪だったろうな >>789
他にズバリの「高輪」駅がないから
(都営浅草線に高輪台駅はあるけど)、
多分、そうはならなかったんじゃない?
案外、札の辻とかになったりして >>786
それは理解してる
そのうえで、地元?も変な部分にこだわるなあと思う
A駅の東にあれば「東A」駅、なんて命名は
東Aという地名が無くても、全国ザラにあるよ? 純粋なA駅とか、西A駅がなくて東A駅、みたいなのだけある例としては、
東田子の浦 くらいしか思いつかん…
「東寝屋川」も、京阪の「寝屋川市」に対比する形での命名だろうし 東武には東あずま、東向島があった。もっとも近鉄には向島があるけど。 富良野線には西が着くのがごっそりある。
西御料、西瑞穂、西神楽、西聖和 >>764
となれば地上線用は205と同じ前面だったろうな >>763
東の901も207での形式重複を受けてでの試行錯誤だと思う
最終的には形式の前にEを付ける事になったが >>803
東寝屋川の改称強行の件がフツー、みたいな反論があったからだろ?
これほど投下されたということはフツーじゃねえじゃん 「片町線」の由来になった片町駅は無くなってしまったが、線名としてはしっかり残っている、このような例って他にあるかな?(未成線は除く)
部分廃止で日高振興局に届かなくなった日高本線が該当するか
あとは札沼線か 信越本線は会社はバラバラになったが路線としては信濃と越後を結んで残ってるからなぁ 信越本線(しんえつほんせん)は、群馬県高崎市の高崎駅から群馬県安中市の横川駅まで、長野県長野市の篠ノ井駅から同市長野駅まで、および新潟県上越市の直江津駅から新潟県新潟市中央区の新潟駅までの区間を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、越後石山駅 - 新潟貨物ターミナル駅間、上沼垂信号場 - 東新潟港駅間の貨物支線を持つ。 >>807
論点がずれるが、
片町駅は実質的には改称相当だからなあ。
終点でなく中間駅化し少し移転したのと同時に改称 >>811
大阪城北詰駅は片町駅のまんまでよかったと思うが、JR西としては消したかったのかなぁ 東寝屋川→寝屋川公園みたいに、大阪城北詰→片町に改称する署名活動でもしようか。 東西線が建設中に、地下鉄西梅田駅の案内板が新調されて、まだ開業前の案内部分は黒シールで隠されていたのだが、そこに透けて見えていたのは、「←片福線(桜橋駅)」という案内文字だった 仮称から本決まりになるまでには紆余曲折がある訳だね 駅名が変わるのはわかるとしても、あの位置でここは大阪城の北詰でんねんといわれても全くピンとこない 「大阪天満宮」も、「南森町」のままでよかったのになぁ
片町線に話を戻すと、「京田辺」も「田辺」のままではダメだったのかな? 田辺のままでも問題ないけど、田辺町が市制時に和歌山の田辺市と重複するのを避けるため、京を付けたのに倣ったと思う。
昔はオンボロ駅舎で、利用者は京阪利用がはるかに多かった。 >>818
大阪民ならそういう気風なのを解るだろうが
「どーせ移転するんだしせっかくだから変えようぜ」的なノリもあったかと。
あと、民鉄駅が先に存在する地への新規開業駅は
絶対に同じ駅名にしないという強い意志を感じたね。
→その後は既知(実利)優先へと方針転換して「JR○○」方式の命名に変わるけど。