【Gr.C】グループCを語るスレ其の27
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古き良き時代、懐かしのグループCについて語るスレです。
現代車との比較は構いませんが、あくまで話題はグループCについてにしましょう。
グループCに対する批判、煽りなどは極力控えてください。荒らしはスルーしましょう。
※前スレ
【Gr.C】グループCを語るスレ其の26
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1539087374/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>871
1992のル・マンで旧レギュレーションのクラスでC28LMが
クラス優勝してるから作戦勝ちかもしれないね >>872
1991年の菅生インター500kmが読みたいかな
TWRのXJR-14が燃料制限有りのレースでもぶっちぎりの優勝を飾ったやつ
インタビュー記事はサンテックの幹部クラスででTWRのとやり取りやスポンサーや
神田正輝の起用など裏話など謎な所を読んでみたいもんだね >>874
菅生500マイルな。500kmは9月。何故かこの年は菅生で2戦。
カテゴリー1と2がガチ勝負したのはこの年はこのレースだけ。カテゴリー1に燃費規制あったけど。
結果はジャガー圧勝。普段430kmしか走らないのに800kmもった。燃費もクリアした。こりゃ翌年のル・マン大本命と思ったのだが…。
ただ噂によるとガソリンが違法て、提訴すれば恐らく失格だったとか…?ジャガー失格になっても日産のチャンピオン変わらないのでトムスは提訴しなかったそうだが。
折角ジャガー来たのにガラガラ。XJR-14来るの知ったの俺は土曜日。それから深夜バスで急遽仙台へ。 あ、そうそう聖子の旦那(当時)が監督w
あれル・マンだけでした?JSPCにも来てたの? >>876
スケジュールの都合が付けば来てたようですね
ガソリンの話は初耳ですがさすがはTWRですw
JSPCでのマシンの調整もサンテックのメカは殆ど触らせてもらえなかったそうだけど
菅生の時はTWR本隊だからサンテックの人達は只のお手伝いだろうね 92年のTS010のZENTカラーがすごくダサいと思います!
水色と横にオレンジのラインが入ってるやつ。
あんなダサい色使いのレーシングカーは珍しいです! >>878
SWCでしか見られないカラーだね
10年位前に名古屋にあったZENTのカーミュージアムに展示してあったのを思い出した
今は何処へ行ったやら… 海外でXJR-9にナンバーを付けて公道を走らせてるのが有る模様(所有者はSMPレーシングの関係者?)
しかし、実体はパイプフレームのモノコックに6や9、12のパーツを寄せ集めて作ったみたい
そのせいかパーツ毎のカラーリングや仕様が有ってなくてちぐはぐな状態
https://i.imgur.com/Y6zwvTz.jpg
https://i.imgur.com/tbSfgfO.jpg
https://i.imgur.com/8F5VXiA.jpg
https://youtu.be/0ATBtAwQ2uE >>880
これXJR-9じゃなくてXJR-12じゃん ノバが走らせた日産車だけど二台所有していて
1台は90CKの7号車だけれどもう一台は何号車なんだろうね?
いつものレーシングスポーツカーズのサイトでは尾えなかったけど
https://www.racingsportscars.com/type/Nissan/R90CK.html >>881
見た目は確かにそうだけと説明ではそうなっているのでとりあえずXJR-9とした
まあ、見た目はXJR-12ではあるけど実際はこんな感じで大分カオスなのよね
・モノコック:非オリジナルのパイプフレーム
・フロントカウル:XJR-9 LM用の改造品(ただしアンダーフロアはXJR-12?)
・ドアとルーフ:XJR-6
・リアカウル:XJR-9 89年〜XJR-12 90年
・リアウイング:XJR-9 LM用
・ウイングステー:車名は不明だけどスプリントかIMSA用
・アンダーフロア:多分XJR-12ベースの改造品 余った部品でこしらえた展示車と適当なレプリカやキットカーを合体させたとか(~_~) >>882
日産からレンタルしてたらしい06と新車の07 >>885
NMEから返却された車両ですね、ありがとう
NPTIへ送られた車両はNPTI閉鎖後に日産に返却されたけど
2016年4月に発行された書物だと90CKは4両ヘリテージセンターに保管されてるので
レーシングスポーツカーズを参考にシャシー番号を調べてみた
管理番号165 R90CK ゼッケン27 #06
管理番号121 R90CK ゼッケン83 #05
管理番号122 R90CK改 ゼッケン83 多分#03
管理番号165 R90CK ゼッケン84 #02
#1と#4番が早期に放出されてヒストリックカーレースに出走していた車両かも 魔改造車は外国のコレクター。もう1台もコレクターでユニシア仕様にしてサウンドオブエンジンに来ていた。
ただ結構コレクターに放出してるんで、今度座間行くとき見てみる。今はコロナで閉まってるから。
確かフロムAもコクヨも放出? R91CP#? デイトナ、座間に現存
R91CP#? コクヨ→放出?
R91CP#? R92CPに改造、座間に現存
R91CP#4 ルマンに納車、伊太利屋、お釈迦
R91CP#5 R92CPとして製作、座間に現存 >>888
今イベントで見かけるデイトナ優勝車はレプリカとか聞いたけれど
どうなんでしょう? R91CP/R92CPについては>>497と>>504を参照
>>889
R91CP/R92CPのレプリカシャシーは知る限り存在しない
デイトナ優勝車はおそらくR91CP-03で、現在のものが本物と思われる
去年あたりに外装をピッカピカにされちゃったけど デイトナ優勝車はR91CP-01、デイトナ優勝後にテイクワンへ売られた。
R91CP-03は元々スペアカーで91年JSPC後半戦の#1号車
(富士500マイルで吹っ飛んで大破したR91CP-02の代替シャシー) つまり今のデイトナ仕様R91CPはコクヨ号にデイトナカウルを移植、ある意味レプリカ?動態保存にはなったが。だからカウルきれいになった?コクヨ号が消えたのはこれが理由?
で、1号車は行方不明? 2013年頃からすでにデイトナカラーの03号車は元気に走り回ってたから、1年くらい前に化粧直ししたのは01の動向とは無関係でしょう
17年〜18年頃はあまり走行機会がなかったはずだから大規模メンテのついでにキレイにしたとかさしずめそんなとこではないかな >>892
>デイトナ優勝車はR91CP-01、デイトナ優勝後にテイクワンへ売られた。
これって確たるエビデンスがあるなら知りたい。 実は一度ニスモフェスティバルに出るはずだったR91CP-03?がなぜかこっそり欠場してたのか誰も見かけてないってことがあった
あのときに改修かなんかしてたのか、それ以降にR91CP-03の内装パネルが変わってる
多分13年あたりか? R91CP-01は91年シーズンのスペアカーで92年にテイクワンに貸与。
R91CP-03は91年23号車でデイトナ参戦。
その後JSPC用にルーフパネルを交換してR92CPになってスペアカー。
JSPC終了後はカウル交換でデイトナ仕様にされて展示車、
08年頃に01のモノコックにそれ以外の03のパーツを装着するレプリカ製作される。
ここで01モノコック+03ダッシュボードのデイトナレプリカになった。
11年頃に元の03モノコックに戻したがダッシュは01と交換したままなので
それぞれ完全でないデイトナ号とコクヨテイクワンが出来上がってしまった。
01はその後仕舞われていたが消息不明。
以上は画像とYoutubeから推察して辻褄合わせるとこうなる。
03が91年デイトナ車なのは間違いない。
01は02以降とディティールが違う部分があるので見分けられる。 チームル・マンの車両の消息が気になりますR89Cシリーズ
R89C#01 1989NME 1990年クラージュでLM参戦
R89C#02 1989JSPC 1990年CPへ改修
R89C#03 1989JSPC 1990年CPへ改修
R89C#04 1989NME 1990年90Vへ改修 ティノラスカラーでLM参戦
今のニッサンヘリテージコレクションでNo23のカラーリングで1台展示しているけど
元の車両は#01ですよね?そしてチームル・マンの#04はリースでなく売却?
その辺りが少々疑問です
ヘリテージのHPを見て2016年と比べて見ますとCカーでは
フロムAカラーの90CKが消えていますね R89C-01は今でこそあのカラーだけどよく見るとクラージュで出た頃の塗装が残ってるんだっけ
あと例のフロムAのR90CKは既に売却されていて、少し前にスパでクラッシュしてたような フロムA(Agg氏所有の07じゃなくて06)は久保田氏が持ってる
07は上の通りAgg氏が持ってたが最近はどうなんかな
2018のルマンクラシック
http://www.planexcars.jp/modules/cr/item.php?itemid=267 >>901
クラッシュした23は久保田氏(※普段つけてる27番は一緒にいた07が使ったため) >>898
R90VはR89C-03で座間にいたが行方不明
01はおそらく今も座間にいるやつ
02は元カルソニック、今24YHPで座間にいるR90CP
04はおそらくR90CPの1YHPで普段仕舞われているやつ
ルマンが購入したCカーはR88Sだけと思われる >>906
代理店のチームル・マン特注マシンとなってしまってると雑誌で見た覚えがある
スパークのミニカーは88Sと表示されてるけど日本のWikipediaは88G
RacingSportsCarsは1988年のルマンに参戦した二台を
No85 March88S→86G-8
No86 March88S→87G-1
のコンバート品と表示してるけれど真相は不明
情報ソース付きの裏付け話に期待 あのサイトが間違ってる。
マーチ86G-8が1986年全日本耐久第二戦富士1000kmから1988年ル・マン、及びWEC富士に参戦。ル・マンは87、88年連続参戦。
マーチ88Gはガンダム並のワンオフモデル。88年ル・マンから89年12月の延期鈴鹿1000kmまで。88、89年ル・マン参戦。 出てきた順番から自分もルマンの86Gは86G-8と思っていたが、
当時のチームの方から聞いた話では「燃えた車をイギリスに
送り返してリビルトした車」らしいので多分86G-5 マーチ87Gがマーチ88Gに変身?無いだろ?それ。あそこまでスタイル変わる?積んでるエンジンからして違うし。
てか3号車がR88Cに変身した後外国のコレクター、ってのが。R88C2台とも座間にあるし。
確か変身してない87Gが外国のコレクターのもとにあったと記憶してるが。 萩原光選手が亡くなる前の鈴鹿500キロで燃えたクルマ? http://classicscars.com/phpmembers/chassis/grc/ChassisMarch.html
ここにはこうある。
87G
Nissan V8 T
1987
C1
Nissan Motorsport
87G-02
Nissan V8 T
1987
C1
Nissan Motorsport
87G-03
Nissan V8 T
1987
C1
Nissan Motorsport
88G-01
Nissan
1988
C1
Le Mans Company >>909
そこのサイトは>>907の所と同じ解釈だね
うーん謎
でも面白いサイトだね有難う >>911
87Gは3台とも88年のR88Sになったようだが
座間にある89年序盤のR88S2台は86Gからの改造車
87G-3は海外に流れているが2もおそらくそう
87G-1はマーチに送られてVG仕様の88Gに改造されて
実質新車扱いになったんじゃないか?
>>912
そう 88Gが87Gの大改造とは初耳。まじそうなの?
R88Cが87Gの大改造は誰でも知ってると思うけど。 1988年のル・マンを走った88Sに伊太利屋のスポンサーが付いてるけど
1991年と93年にも国内でスポンサーぞしてるのでオーナーの林氏と
チームル・マンの経営者と仲が良かったのかな? もしかして あちらとは シャシbフ概念が、異なるのでは?
マーチ以外でも
モノコック修理→ シャシNo 打刻仕直して納品とか… 昔聞いた様な 昔こちらで頂いた座間の画像持ってるけど、今はもう残ってない車両が
ちょくちょくあるねぇ…R86Vって今はルマンのニチラ仕様だけど以前は
白ベースのトリコロールにカルソニックロゴだっけ。 だから、その乗りでLM04をスカイラインターボC仕様にして欲しい。が今無いんだっけ? 岐阜某所のフェアレディZC、一応中身入ってるように見えるが
04Cのモノコックかそれともクラッシュした03Cか。 もみぞうに、88オムロン(WEC富士はロスマンズ)の画像が。海外に売られていたのねヾ(´ー`)ノ あの車体 1990台後半のカーマガジン誌でワークスシャシーの956Bとシュパンのロスマンズ962Cを
乗り比べる記事が載ってたけど20年位前に海外に流失した あー、そうでしたか。どーもです。V・シュパンの会社が破産してから彼のルマン優勝車等も散逸しましたね。 >>926
ありがとうございます
マツダ経験はある方ですね >>927
雑誌に載ってた956Bだけどルマン優勝車両じゃなくショートテール仕様の
ロスマンズカラーの956Bという貴重品だった
>>918
レイナード88Dもチームル・マンのは伊太利屋カラーだったから
チームル・マンとは親密な関係だったみたいね >>929
あれ956Bなのにロスマンズのロゴが後期バージョンだから違和感半端ないんだよね
ベロフの乗ってた956Bそのものらしいけどね 吹田市のアートスポーツにあったBロングテールは83年シュパン優勝車じゃなかった? うろ覚えですが 956と同じ時期の雑誌広告に載ってた910というポルシェ専門ショップが
ホワイトボディにした962Cを所有していた思い出、
広告写真でも良く出演してたけど、車両の履歴は良く分からなかったね 1984のドイツ博に出展された956、どのような個体かご存じの人居りますか? >>934
TAGポルシェF1エンジンのテストベッドになってたカスタマー仕様956じゃないの? 956-107だっけ
最初は上で書かれている通りF1エンジンのテストに使われ、
その後は>>934を経て今は82年の2号車のショーカーになって展示されてるみたいね >>935-936
と言うことは実車なんですね。ドンガラだったらイヤだなと。
ドイツ博は結構大きな催しだったんで。 これは確かに956-107で間違いないね。
この個体だけ展示用になのか、黒いレザー調の内貼りが付いてるんだよね。
今はロスマンズカラーでポルシェミュージアムに展示中。 1983年のIAA(フランクフルトショー)で展示してた奴ですね。
日本にもこの姿で来たことがあったとは知らなかった。 >>939
カーマガジンの956の記事が載った時と同じ時期という意味で書いたけど
910のHPを見ると会社の創業時期からして2000年台かもしれない 956/962にV6積めるなら、V8やV12積めたな。
インディのV8の話しあったけど消えたな。
V12もフットワークでなく耐久に使ってれば。 >>942
積めてもシャシーに戦闘力が共わないとね
オリジナルシャシーを作ったブルンも試さなかったしスパイス位の戦闘力しかなさそう そもそも当時のポルシェってかなり貧乏じゃなかった? >>944
貧乏でCカーのチームを解散して
IndyCarプロジェクトへ全力投球中
フットワーク用のV12エンジンを開発した人たちは手が空いてたロートルの人達だし 87年ル・マンで勝ってワークス活動休止。V8搭載新マシン作るはずが消えた。
88年富士でワークス活動完全終了で91年3.5リットルNAで復帰、のはずが何をとち狂ったかフットワークに供給して…。 >>946
当時のエンジニアたちへのインタビュー記事を読むと
3.5NA車の開発はしていないよ
そこに割ける人員がいない 250kg以上あったV12エンジンはどうみてもF1専用じゃない気がする(@_@) フットワークから金を引き出す為に習作エンジンを没倉庫から出した!? Cカーじゃないけど、フランスのロンドーM379Bは好きだったなぁ。丸くてキャビンが大き目で、後ろ下がり。ムーンクラフトの由良さんも好みじゃないかと勝手に推測。 >>949
お金がないからやってしまった
高橋国光氏のル・マン挑戦のきっかけは、本人の希望か個人スポンサーの
横浜ゴムとケンウッドがクレマーのスポンサーに付いているから
その方面から声を掛けられたのかどうだったんでしょうか? 例の254、雨宮のところでエンジン載せ始めたっぽい ステッカーのデータはもう業者さんに送ってある
どっかの誰かさんのお望み通り雑魚だから、消火器とキルSWのステッカーの縁に書いてあるテキストが判読できる資料を見つけられなくてそこは再現できなかった。悔しい いつも拝見させて貰っているけど、300ZXの件も含めてあそこまで調べたり考察するのって本当の物好きだったり我慢強くなきゃなかなか出来ないと思う
これからも応援してます R91CP-04 伊太利屋R91VPだが、CPと空力詳細部が異なる。
ルマン車は長いこと型落ちのイメージが有ったが、当時の雑誌を見返すと、
隠すことなく ドライバーも”新車”と明言。モノコックは新品だが、
カウル関連は、もしかして90CPの 流用改造等だったのか? 91CPになってフロントガラスの形が少し変わったのに伴ってコックピット付近のパネル分割も変わってるし、
リヤカウルも91CPは給油中にリヤカウルを着脱できるよう、給油口を避けた分割に変更されてるので
前後カウル共、90CPの物を改修無しでそのまま流用するのは不可能だと思う。 ルマン
1984 新車LM04
1985 新車LM05
1986 新車マーチ86
旧車LM06(1年落ち)
1987 旧車マーチ86(1年落ち)
旧車LM07(2年落ち)
1988 新車マーチ88
1989 旧車マーチ88(1年落ち)
1990 旧車R89C(1年落ち)
1991 新車R91CP→旧車R89C(2年落ち) R91VPはR91CPそのものって話。R91CPの供給を求めていたプライベーターが他にも居た中で
ルマンだけに供給するとおおっぴらにしたら揉め事になるから、仕様を隠蔽する目的でカウル改造したとかなんとか トラストが、契約直前に 日産→トヨタに変更したのと関連有るのかな?
日産はトラストに、何を供給しようとしてたのか謎。 昨日は故萩原光選手の命日でした。アイドル歌手の自死より衝撃的だったなあ。 某所でナンバー付きになってるR86Eは、いつぞやのレースで炎上して萩原が菅生のテストに向かう原因を作ってしまったクルマそのもの
マーチに送り返されて修繕されて、シーズンの残りのレースをこなした後にチームルマンに払い下げられて、87年のWEC JapanではPPの大金星を挙げた…という、なかなか数奇なクルマ Ronに載ってた大川氏へのインタビューを見るとトヨタ系の仕事をしてる
メーカーとあるから、以前から声を掛けられていたNOVAと違って
型落ち車じゃないかなと推測 MAZDA MXR-1はJSPCはダンロップ、WSCはミシュランとタイヤを使い分けてるけど
やっぱりJSPCは前年のルマン優勝の関係から
ダンロップを履かざる得なかったのかな? 日本では遅いのに、ル・マンでは何故速かった?
787も普段は遅いのに、ル・マン凱旋富士500マイルでは何故速かった? ルマンではライバルは1000kg或いは950kgだから燃費やマシンへの負担が辛くて飛ばせなかったんじゃないの? 速かったといっても勝った91年ル・マンですらペースは1000kgのメルセデスより遅かったですしなあ
選手権で遅かったのはマツダスピードがル・マンのこと以外全く考えていなかったので必然 というか、他の選手権戦全部捨てレースにして、ルマンで有利な規定を手にしたと言っても良かろう。 マツダが90年出場時に前回から100馬力アップしたのは当時は知らなかった
知れてたらロータリー優遇はなかったのでは てかJSPCまじで戦う予算と運転手確保できたら、マツダもトヨタ日産と勝負出来たのにと妄想してしまうんだよね。
普段ダメだから「マツダは今まで頑張って来たし、どうせ勝つわけないんだからハンデ緩くしてあげよう」と言う結論に至ったとも言えるのだが。 マツダ本社は期待してなかったから予算もそんなに出なかったろうしな >>964
ル・マンでレナウンカラーもミシュランだからダンロップのメンツは丸潰れ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。