【Gr.C】グループCを語るスレ其の26
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古き良き時代、懐かしのグループCについて語るスレです。
現代車との比較は構いませんが、あくまで話題はグループCについてにしましょう。
グループCに対する批判、煽りなどは極力控えてください。荒らしはスルーしましょう。
※前スレ
【Gr.C】グループCを語るスレ其の25
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1497963603/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 日産のR89/9xC系はセンターセクションの外装はモノコック一体式で容易には交換出来ないんで
後から交換したのなら真ん中の部分が辻褄合わなくなるはず。
実際にデイトナで優勝した車両のシャーシナンバーが幾つ、というのも公式記録見ないと分かんないんでは。 R91CP同士での交換の話なので、デカールさえなんとかすれば十分に化けうる。
90年代前半にシャシナン映した写真がどこかにあれば信憑性高いんだがねぇ。 R9xCシリーズのシャシーヒストリーはここが詳しく調査してる
http://malaysiansimacher.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/c-8a59.html
どうも08年末にデイトナ優勝車を動態化させる際、モノコック交換(というか実態は前後カウル付け替え)したみたいだな
コクヨ号の方がコンディション良くて動態化が手っ取り早かった、ってのが一番有り得そうな理由 コクヨ号無くなったの?フロムAも無くなって寂しいなあ。
残ってるマーチ85のテストカーはぜひシルビアターボCニチラWEC優勝車に塗り替えてください。
LM04もスカイラインターボCカラーにしてくだちい。 >>48
09年3月の時点でコクヨ号はモノコックとカウルの色がちぐはぐになっており、
ワークスカー色のモノコックにコクヨのカウルが装着されてることが分かる。
2011年11月くらいまでは目撃情報が見つかるけど、最近はどこにあるのか分からんね。
https://minkara.carview.co.jp/userid/209778/blog/12333334/
https://minkara.carview.co.jp/userid/482195/car/593144/2889375/photo.aspx
ちなみにフロムAはR90CKの事ならプラネックスの久保田さんが動態で持ってる。
去年の鈴鹿SoEで走ったよ。しかも現役当時の数秒落ちでクソ速い。
ル・マン商会のLM04Cってそもそも現存してるの? NME R90CK には、楕円形等の”NISMO”のロゴが
貼られなかったのは 何故?
NMEって、大森の子会社だよね?それとも本社直轄組織だったの?
『大森とは、別組織』の意思表示だったのか?
当時、クルーのウェアにも、楕円形は無い。 >>49
今はどうなのか知らないが、数年前には3号車(85年前半戦セントラル20使用車)が謎のカラーリングで座間にあった。
>>50
NMEはニスモの子会社。最初はニスモの欧州法人・前線基地的位置づけだったが、WSPC、WRC参戦のころは本社直轄みたいに。
後に欧州日産の子会社になり、後消滅。
ちなみにNPTIは米国日産と日本日産が出資。 NMEのNISMOマークは生沢さんあたりが、「NMEはNME」って独自性とか士気を上げる為に取っちまったのかな?(笑)
イマイチ覚えていないのだけれど、デイトナで優勝した時って、
「Cカー」として勝ったの?
それとも「IMSA仕様」にして勝ったの? 本来NMEはニスモの子会社だからニスモのコントロール下にあるはずななんだが、
88年はル・マン遠征の前線基地+ETCにR31スカイラインで参戦、だったが、
89年にグループCプロジェクトが本社直轄になり町田さんが主管に、ニスモの子会社のはずのNMEも本社直轄に。
ここで町田さんと難波さんが微妙な関係に。それでも89年はニスモもNMEも「ニッサンモータースポーツ」(ニスモ)で一つのチーム感はまだあった。エントラント代表は難波さん。
それが90年に生沢監督招聘で決定的に決裂。一応NMEはニスモの子会社だから難波さんは必死に抵抗したそうだが押し切られる。
90年ル・マンはエントラントは「ニッサンモータースポーツインターナショナル」(ニスモ)で代表は一応難波さんだが、この微妙な空気で難波さんは記念撮影に加わらず。
同じトリコロールでも、ニスモ、NME、NPTI3チームのカラーリングは微妙に違ってましたね。あまり一体感無かった。
89年のR89Cはみんな一緒に見えたけど。 スポンサーは違うけどカラーリングは同じじゃね?
そりゃ90CPは違うけどもCKは同じに見える。 ホイール違うから印象変わるよね
NPTIはタイヤのGYロゴとゼッケンのフォントも 89年のR89Cの3台は、ゼッケンとスポンサーと窓のシールドの色以外みんな一緒だった。
90年は確かに同じトリコロールだが微妙に違う。同じR90CKでも上の方が書いたゼッケンのフォント、
ヘッドライト、ラインの太さ、ホイール、ミラーの位置、出光のステッカーに赤が入るか入らないか、ウィングの高さ。
シビエとケンウッドのステッカーがあるのはNMEだけ。そしてタイヤ。
少なくともぱっと見て間違えることはまずない。ちょっと同じチームとは見づらかった。
TWRジャガーはWSPCチームとIMSAチーム違いなどわからなかった。
トムスもどっちが日本でどっちがGBかなどわからない。 90年は トムス(日本) と サードが WSPC鈴鹿で使った車を
トムスGB が使っているものと思っていた。 >>51,52,54 良く判りました。ありがd。
R89Cは、57さんの言うとおり、3台とも楕円マーク貼付け、
NMEのドライバースーツにも、腕に楕円有り。52さんの発言、マジに思えてきたw
ニスモ設立後、日産ワークスカー(NPTI除)で、ニスモロゴ無しなんて、
R90CK、Gr.AのGti-R、そして水野さん指揮のニュル24HのR35くらいかな? >>47
デイトナウィナーの車そのものを92年シーズンにテイクワンに貸したか売ったかで、
それ以降はデイトナウィナー仕様はずっと#03をベースにしたレプリカだったんじゃないかとも見える。
デイトナVer.も何年かに1回は姿を見せてるんで。
「ここ1ヶ月くらいで綺麗にした」ってのはあるいは今度こそ元に戻したのかね。
しかし日産の場合、例えば
・R32GT-Rニュルブルクリンク優勝車→実車はテストカーに回してしまったので座間保存車はレプリカ
・R31GTS-Rリーボック→座間保存車は元々ニスモ本社のゲートガードになっていたリコースカイライン
・日産GTP-ZXT→座間保存車は色だけ塗り替えたローラT810フェアレディZ・C
といった具合で保存車のヒストリーが結構滅茶苦茶なケースがあるんで何ともね。
LM04Cは要らないんだったら放出してくれれば好事家がレストアしそうなのに。
ヒストリーからいうとコカコーラかキヤノンになるはずなのね?
ルマンでPPを獲得したNMEの24Tは10年くらい前に海外の売買サイトで売りに出てるのを見たんで
座間には無い、という以前に日本に戻ってきたこと自体無いかもしれない。
あれこそ貴重なマイルストーンの1つなのにね。 52です
適当に生沢さんならやりそうなんで書き込んだんだけど、後から知ったけど、NMEのウェアデザインも生沢さんがしたと思うんだよね。
最初に当時の雑誌で見た時に妙に格好良くて印象的だった。
帽子も今みたいに所謂キャップ(ベースボールタイプ)じゃなくて、NMEだけでベレー帽だったか、ハンチング帽で、みんな満面の笑みで記念写真。
ああいうのが欧米人とかの心には特に響いたのかなと思う。
日本(日本人)にやらされている感が無く、特別感がして。
「NISMO」「NME」「NPTI」は結局、日産の「日本(本社)」「欧州」「米国」それぞれの思惑とかもあって、三者三様になってしまったのは、船頭多くて何とやらになったんだろかね?
そうならずに「結集」出来れば、Cカー時代にWEC系の年間チャンピオンやルマンの総合優勝も同じ年に出来ただろうに…
だらだら長文失礼。 そもそも「ニッサンモータスポーツヨーロッパ」が出来た1988年当時は「NME」と言う名前は無かったはず。
「ニスモヨーロッパ」だったと思う。トムスGBみたいなあくまで現地法人。
89年にWSPC参戦で本社直轄になり、ニスモの子会社ながら独立傾向が強くなったような。
「NME」ってステッカーもロゴマークも無いでしょ?「NPTI」みたいな。 トヨタCカーレギュラー参戦の推移
1983年(1台)
・トムス
※イクザワがWEC参戦も練習中に全焼
1984年(3台)
・トムス、童夢、イクザワ
※ミサキスピードがWECにスポット参戦
1985年(5台)
・トムス、童夢、イクザワ、オートビューレック、レイズ
※ミサキスピードがWECにスポット参戦
1986年(8台)
・トムス2台、童夢、イクザワ、オートビューレック2台、サード、ルマン
1987年(5台)
・TTT、童夢、オートビューレック、サード、ルマン
※最終戦富士500キロにTTTの2台目がスポット参戦
1988年(4台)
・TTT2台、オートビューレック、サード
1989年(3台)
・TTT2台、サード
1990年(3台)
・TTT2台、TTS
1991年(3台)
・TTT2台、TTS
1992年(3台)
・トムス、サード、トラスト
※富士1000キロにTTT1台、MINE500キロにTTT2台スポット参戦 日産Cカーレギュラー参戦の推移
1983年(3台)
・ホシノR、ハセミMS、セントラル20
1984年(4台)
・ホシノR、ハセミMS、セントラル20、ルマン
1985年(4台)
・ホシノR、ハセミMS、セントラル20、ルマン
1986年(4台)
・ホシノR、ハセミMS、セントラル20、ルマン
1987年(3台)
・ホシノR、ハセミM、ルマン
1988年(3台)
・ニスモ2台、ルマン
※WECにルマン2台目スポット参戦
1989年(3台)
・ニスモ2台、ルマン
1990年(3台)
・ニスモ2台、ルマン
1991年(4台)
・ニスモ2台、ルマン、ノバ
1992年(4台)
・ニスモ2台、ノバ、テイクワン
※最終戦MINE500キロにニスモ3台目スポット参戦 >>62
ゼクセルGT-Rの本物がどっか行っちゃう会社ですので何とも…。 Cカーじゃないけど、プレジデントのエンジンを積んだZX−Tって現存してるのかなぁ >>70
本物のGTP-ZXTとか300ZX-GTO/GTSとかの例から見るに
「日本に来てないけど現地に残ってる」の可能性は結構ありかと。
300ZX-GTSはスーパーGTで使うためにチームルマンが1台日本に引っ張ってきたはずですけど
アレはどうしたんでしょうね。 >>71
共石だと「幻のICL」の時にN-GT仕様1号車に改造されちゃってるねぇ。
でJGTC開催時にシルビア共々カスタマーチームに売却されたはずなので消息から確認しなきゃだけど
かなり大改造されたので復旧は困難か。 トミー・ケンドールのシボレー・イントレピッドの完成度はどうですか? 汎用マーチ
汎用ローラ
ローラコルベット
ローラ日産
マーチBMW
ザクスピードフォード
もう一つフォード
ジャガーXJR5
スパイスポンティアック
シボレーイントレピッド
他にある? 鈴鹿SoEのCカーエントリーは出揃ったかな。
https://www.suzukacircuit.jp/soundofengine/events/grc/
自分的には今回CカーよりFL500のほうに目が行きそうではあるw >>76
トヨタさんよぉ
TS010の出番だろうによぉ >>76
アローS2が走るんだ。これで片野さんのやカプリシャスが居れば・・・・・・ Cカーは イマイチだけど
F1 は結構充実してんジャマイカ
FL500 の YAMATO は出ないのかね? 確か美祢サーキットかどこかで90年代初頭くらいまで
FL500の地方選手権って開催されてたんですよ。それに加えてジムカーナDクラスとかでも
使われてて、それで意外と残ってるのかも。
ヒストリックF1のリストを見ててモーリス・ナンが亡くなったと知ってショック。 >>78
撮影時期 2018年8月 のグーグルマップを見ると
カタノ さん 営業しているようですね シルビア・ターボCは登場当初はレース用エンジンが手に入らなかったと
市販エンジンを積んでいたけど、今も同じなのかな? 鈴鹿参加予定のR90CKって例のオークションで売りに出たヤツだよね
コンディション抜群だし、去年に続いてCK大暴れ期待したいが、新オーナー次第か 82年のフォードのCカー(C100だっけ?)って結構カッコ良かったなあ…
フォードがCカー止めたのが残念だ… >>82
例えばの話、素のFJ20を東名さんに持ってくとF3エンジンくらいのスペックには
組んでもらえるものなのかと。
そうだとしてリストリクター抜きのNAで実馬力200馬力程度出れば上出来かしらん。
そこにターボ付けて耐久性が大丈夫なレベルでどれくらいまで上げられるかと。
ヒストリックGr.Cのルールだと多分当時積んでた履歴のある型式のエンジンじゃないと駄目だろうから
手に入る可能性のある選択肢ではFJ20しか無さそう。 >>72
ルマンで走った車をそのまま持ってきたのかと思ったけど違うのね。
てっきり国内に2台あったかと思ってた 大森は、85GとT810で、何故マーチ85Gを継続→86Gして
ローラシャーシを止めたのかな??
エレクトラ・モーティブ(後のNPTI)は、T810→ZX-Tで、一定の成果。
88年までマーチを使い続け、ローラに変更したのはNPTIの成功も影響したのかな? ローラシャーシはエレクトリックモティーブからVG-30を買う時のバーターで
無理やり買わされたと書いてあったよ >>87
ターボCってDR30後期のインタークーラー付きのやつじゃね? Cカーに付けた「ターボC」の名前(1983年)を、1984年2月デビューのR30スカイラインRSインタークーラーターボの愛称に採用。
ステッカーもあった。俺缶ペンケースに貼ってた。 >>87
パナスポーツ日産が、85年にFJ23積んでたよ。 >>82
FJ23やFJ24はFJ20とは似て非なるエンジン
トヨタの503Eみたいなもので元々レースエンジンとして開発されている
FJ24はOHしたことあるが専用部品がもう出なくて困った >>91
エレクトラモーティブのVG30は10年ほど前にヤフオクで見かけたわ
アルミブロックだったかどうかは覚えてないけど デモランで使う分には何でもいいけど
ヒストリックレースに使うには
搭載実績のあるエンジン型式じゃないとダメでしょ。
(この場合は、L20B か FJ20) >>88
GT選手権に参加してる時にフレームまで歪めちゃったと聞いてたけど
それもきちんと直ってるって現オーナー凄い熱意ですな。
タイヤはやっぱりこの場合エイヴォンかグッドイヤーしか選択肢は無いんだろうかと。
>>90>>91
Gr.CとIMSA-GTPはアンダーパネル周りの空力規定が違う
(GTPの方が自由度が高いというか、フラットボトム領域範囲が狭くてエアトンネルを大きく出来る)
ということに対してローラの相性が合わないと判断されたというのは「可能性としては」あるかも。
もっともマーチ85Gだって結局はアンダーパネルは解釈で揉めて無理矢理な処理になったんで
(この辺はタナケンさんが詳しいかと)、翌年以降共同開発で仕事を進めていくとしたら
マーチが良いかローラが良いかという問題でしかなく、89年から結局ローラと組むんだったら
結果的には遠回りしてたに過ぎないとも言えば言えちゃうことに。
マーチ86Gは確か日産用とIMSA-GTPのBMWワークス用、さらに市販型(ビュイックエンジン仕様)で
それぞれ外観やら空力設計やら違う3種類があったと。 >マーチ86Gは確か日産用とIMSA-GTPのBMWワークス用、
>さらに市販型(ビュイックエンジン仕様)で
> それぞれ外観やら空力設計やら違う3種類があったと。
日産4台、BMW6台、汎用1台(ビュイック)の11台かと。日産とビュイックはほぼ同じ外観。 タミヤからラジコンが出ていたBMW-GTPだけど6台も作って
1シーズンで撤退とは失敗作なのかな? タミヤのアレは実は1/24プラモとして販売されてる962Cと基本的なサイズモジュールが一緒なので
(これはランチアLC2やマスタングGTPも同じく)、収集しつつタミヤ962Cのプラモも確保してる昨今。
どうせボディ載せるだけなので作りかけジャンクだろうが何でも良いし。
タムテックとして走らせるつもりだと部品供給が絶望的な割にはシャーシの相場は滅茶苦茶高いので。
というのはともかくBMWのIMSA参戦自体は少し前から行われていたようでもあるので、
ポルシェが本気出してきちゃったから潮時と見たのかどうか判断しにくい部分はありますね。
実際アメリカにおけるポルシェの伝説、アル・ホルバートも、956自体はIMSAの規定に対応しないので
マーチシャシーにポルシェエンジンの組み合わせで出走していた時期があるともいうし。
一方でダン・ガーニーもトヨタ88Cでやってた頃には勝つところまでは行かなかった、
エレクトラモーティヴも素のローラT810だった頃にはやっぱりポルシェと対等に戦うには厳しかったので。 圧縮すれば簡単に5分の1に縮む糞長文
あとこちらも大量の社外デカールの消化でタミヤの962Cを買ってるし、5chでもリアルでも邪魔しないで >>103
むしろタミヤの962Cはタムテック用ボディに下半分を付け直した商品構成ゆえに
模型商品としては幾らかタミヤらしからぬ粗があるんで、
かっちり作り込むならハセガワのが良いですよ? http://www.racingsportscars.com/photo/1981/Riverside-1981-04-26-002b.jpg
これのプロトタイプがスパッツ付きで未来的で好きだった。あのアルデックスS80のサルドゥ氏がデザインしてた
マイナーCカーの筆頭?ミラージュM12もルマンで失格食らって以降IMSAで走ってた。やはりスパッツ付は良い
http://www.racingsportscars.com/photo/1983/Riverside-1983-04-24-045.jpg
それにしても、デビットホッブスさんやブライアンレッドマンさん達
一期ホンダの残党の息の長さ、キャリアの多様さにはたまげる >>106
ハセガワも作ってるけど、タミヤと仕様が違うし、別の荒さも有るからどっちもどっち
というか来ないで >>101
燃費制限が無ければ最強クラスのM-12エンジンを積んでるのにな
この頃から総合力の時代に入ったのだろう >>108
そーいやハセガワってとトヨタ88Cがハンドル切れない仕様で腰抜かした覚えがありますが
962Cもアレなんですか? >>108
ハセガワはカスタマー後期仕様なんだよなあ
大半の色替え作るには手を入れないとならん >>110
ハセガワのCカーは今度出るR91CP以外、基本的にステアの切れないハリボテ仕様
まあ、エンジン付きのR89Cがかつて有ったけどその辺は変わらず 962Cボディ、ハセガワはモールドがダルいしタミヤは論外。
タミヤはシャシー側は見えなくなるモノコック前端も再現してるのにちぐはぐだ。
https://www.1999.co.jp/10083873
ハセガワはこれだけバリエーション出すなら新規で作って欲しい。 しかしそれではハセガワは絶対的にいえば数作るには向いてるということで
総数70台ともいわれる全部を作ろうとかバカなことするには向いてるという訳ですねわかります。
R89Cにしてもシャーシ側の構造は絶対的にいえば簡単なので、
それなら例えば90Vの91仕様やら90/91CKやらとボディ側に気合を入れて取り組む場合とか。 >>113
962Cは人気者だから元気なビーマックスが模型化されていない
ロングテール辺りを発売するかもしれない あとは是非GTI-RLRとかIMSA-GTPのインテーク付きとか特殊仕様を。 カスタマー向け962Cが出たけど猶予期間で956も使うことが出来たっていう時期に
一部ユーザーがレースによっては956に962Cリアカウルを組み合わせて使ったと聞くし
実車ではこれは当然ポン付けで出来るんでしょうが、
プラモの場合はデフォルメの都合だ何だで微妙にサイズが違って大々的に調整しないと付かない、
とかいう話になりそうなw
逆に切り口の合わせを確認したうえで薄付けパテ程度の修正で相互交換出来るのであれば
タミヤの956は82年ルマン仕様のはずでロングテールなので、両社962Cに付ければそれっぽいものに?
あと956ならレベルとプロターから出てた記憶が。 タミヤの962Cはリアカウルにタミヤの956をそのまま流用出来るが、フロントカウルがルマン仕様と違うので改造が必要
(やらないとシュパンポルシェ962LM風になってしまう)
ちなみにレベルのイェーガーマイスター956Cはハセガワの962Cそのもの
というか長文黙れ 956と962Cって細かいアップデートはともかく、基本的にフットスペース分フロント延長以外の違いって何かあったっけ?
956のフットスペースレギュのあるIMSA仕様が962で、Cカーにもフットスペースレギュが導入されたから962にした、って覚えてたけど、間違って覚えたかな? >>119
そもそもラジエター導入へのエグりが浅すぎてどうにもこうにも
タミヤ使うなら割り切って塗装を楽しむくらいでいんじゃないかな
長文は透明あぼーんでスッキリ タイヤとホイールはハセガワと比べれば良い出来だと思う >>123
ブルンポルシェならホイールカバー無しで出来は良いと言いたいのでは?
(他3つは一体整形だからアレだけど・・・)
そういえば962Cは956から途中でタイヤを大きくしてるけど、タムテック時代のは初期型でタイヤが956と同じ大きさ、
その後プラモ化したときはリアディフューザーがレギュ改正後の中期型相当でタイヤがデカくなってる
だから、タミヤの出来が悪いのはタムテックベースだけでなく、ボディの上下で仕様がちぐはぐなのが原因だと個人的には思っている >>102
なんだ最近みないと思ったらこんな所にいたのかよ プロの人が取材で行ったんだったらレプリカ787Bの詳細仕様は
もうちょっと詳しく確認してくれりゃ良いのにと。
ベースが757系か767系か787系か程度の話だったらコクピット覗き込めばすぐに分かる
(757→全部アルミ、767→サイドアンダーの一部のみカーボン、787→フルカーボン)もんだし。
コクピット背面のバルクヘッドパネルがカーボンかそうじゃないか程度は
「触らないでください」「ロープの向こうに入らないでください」でも分かんでしょ。
ちなみに昔世田谷のM2に展示してあったやつはドア開けて展示してたけど、
中身は767系のアルミ/カーボン混成モノコックそのままで、アルミ部分を黒く塗って目立たなくするとか
特にそういう処理はされてなかった。 マツダ本社ミュージアムで影武者として使われているのは、
アルミモノコックでコーションプレートはEx-03 757-101?102?
ちょっと前まで小樽にあったやつは、
どうもカーボンモノコックっぽいので787-001ベースかな?
ちなみにコーションプレートはEx-05と打刻されているそう
あとは767ベースが2台とさらにもう1台ある?? 787Bレプリカは全部で5台あって、うち4台が現存していると中の人に聞いた >>133
海外コレクター所有の車両に加えてマツダアメリカ所蔵の車両を含めると
ex片山レーシング車とex静マツ車(例の国内の方がレストアされて現スイスのコレクターの車両)
の他に、マツダアメリカに純正仕様の年季の入った外装の付いた「普通の757」が1台居て、
一般に原型のまま現存するとされていた数より1台増えてるので
757レプリカだったやつを1台元に戻したんではないかと推測。
マツダにもう1台残ってる方は757Eだし。
787-002といいMX-R01KAJIMAといい、最近マツダアメリカは割と凄い勢いで
本社で余剰になってた車両の収蔵やレストアに取り掛かってるし。 >>135
757に絡んでた人でーす
001 787Bレプリカno.3に
002 757E 4ローター開発車両
103 日→英→スイス
104 日→米→ヒストリックで走ってる
アメリカのマツダの757は002を3ローターに戻したのかなと思ってたけど、001を757に戻したの?
片山Rから出た104を国内で持ってた方は757Eのリアカウルや残存部品少々を持ってたけど、霧散しちゃったのかなあ。 >>137
広島にまだ757Eがあるのか無いのかだと思うんですよね。
あの87年ルマン当時の古いオリジナル外装一式は別に保管されていたようですし。
逆に787B-003が一時期002の部品取りにされて凄い半端な状態で横浜に置いてあったのが
その後にある程度まともな状態に再レストアされた辺りで
レプリカ用に使い回してた当時のスペア外装一式を剥ぎ取ってきて使って
この時点でレプリカが5→4で1減ってことだと、ガワ剥がれて種車の中身だけになったレプリカが
1台出来たことになるんで、それがどの車だろうって話にも。
アメリカでセブンストックとかのイベントにヘッドライトが(というかその保護シートが)
凄く黄ばんだ757が登場するようになったのが787B-003の復帰と近い時期なんで
そっちの線(=レプリカだった757に保存されてたパーツを組み直してのレストア)もあるのかなと。
787-002の方がアメリカでレーシングコンディションにレストアされたのはもうちょっと後、
2台の787Bのフルレストアとさほど違わない時期ですよね。 >>138
787Bレプリカはレプリカで、ベース車両とのホイールベースの違いをどうやって辻褄合わせたのかな?とか細々とした気になる謎がてんこ盛り。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています