【Gr.C】グループCを語るスレ其の26
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↑本文の一行目に書く
古き良き時代、懐かしのグループCについて語るスレです。
現代車との比較は構いませんが、あくまで話題はグループCについてにしましょう。
グループCに対する批判、煽りなどは極力控えてください。荒らしはスルーしましょう。
※前スレ
【Gr.C】グループCを語るスレ其の25
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1497963603/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>143
バルクヘッドから後車軸までの位置関係だったら、多分エンジンは載ってないので
車体後半部を支えるサブフレームに何かを噛ませた程度で辻褄は合うかと。
後端に見えるミッションケース自体は全て同じものだから見えてる部分の姿は変わらないし。
幅部分は昔ダラーラのF3で、ワイドトレッドにするのを試すのが流行った時期があって、
チームによってはアームごと作り直す大工事をしたけど、ハブ周りにゲタ入れるだけで済ませたチームもある
(スクラブ値が変動して大変なことになるとは思うけど)というんで、
実走するレーシングカーですらその程度で済ませちゃうなら、押して転がせる程度の機能を保てれば良いなら
全くそれで十分ってところだと。
787→787Bだとモノコックタブ本体の形状は基本的には一緒で
(ただし製法が違って787Bの方が剛性が上がってるのと、接着されたアウターパネルの形状が違って
多少ワイド&ローな形状だったり給油口の位置が違ったりなど細かい差異がある)、
足回りの幅やホイールベースの違いはサスアームの形状違いによるものだけなので、
事故修理みたいな要領でアウターパネルを交換したうえで足回り全とっかえしちゃえば
限りなく787Bに近い仕様の車が出来る。
だから787ベースで作ったやつは実はきちんと再整備したらレプリカ形態のまま
そこそこのスピードで走行出来たりして?w 787は全て動態保存されているのでレプリカにされている物は無い
というか当たり前の事をさも論文のように長々と書かれても困ります >>146
145じゃないけど787-001はレプリカにされたんじゃない?最近復元されたの?? 昔オースポにキャノン956の展示用ドンガラが載ってたね。
あんなんだったらホイールベースなぞ意に介する必要も無い。
長い >>147
なんか勘違いしてたかも・・・
とは言っても長文の内容が正当にはなりませんよ? 要旨だけ書きゃいいのに、彼は何故ムダな付け足しを増やすんだw これだけ皆に叩かれても尚ポリシー貫く長文貼り付けるとは >>145
そんなこたーわかった上で、一台一台どこでどーやって辻褄合わせてるの?って話なの〜 いや、そう思われるんならそうかもしれないけど
左右方向は「簡易工事」ならハブにゲタ噛ませて広げるのが手っ取り早い。
前後は車体構造によってやり方が違うけど、ダミーブロックなりサブフレームにゲタ入れて伸ばすのが
通常の常套手段。ただし787と787Bみたく極めて構造が似通ってる場合には
アップデートキット的に違ってる部分だけ組み替えちゃう方が早いって話なんですが、
そこを嘘吐きだの不必要に長文だの言われると何て言って良いのやらと。
なお91〜92年のオフにオレカに置いてあったのをPF先生が75歳の誕生日に乗せてもらったのも、
その後マツダ本社に送り返され現在アメリカマツダでレーシングコンディションにレストアされてイベントに登場してるのも
いずれも787-002(91年ルマンのNo.56及びSWCレギュラーシーズンのNo.18)であって、
91年のルマンでTカーを務めた787-001は日本に送り返されて787B-003の完成まで中継ぎを務めた後
(富士500マイルでは2ndカーとして出走したものの、春先から全く走行していなかった旨で終始不調)
表には出ていないはずです。
そしてその後787Bレプリカの最後の1台に改装された、というのが通説ですが。
なので90年スペックの787のまま原型を留めているのはアメリカにある#002しか無いはずなんですよ。
仮に余剰のスペアモノコックがあって別に組まれた車両があるとかいう内部情報があるなら知りませんが。 >>154
そりゃ合うように合わせるしか無いでしょw
意外でもない知ってる人は誰でも知ってる話、フロントガラスとミッションは
757〜787Bを通じて全部一緒で実は共通で使えるなんてのもあるし。
ベースに使う車が757と767/Bと787しか無いんだったら
モノコックは基本的に3種類しか無い。だったら辻褄の合わせ方も3種類しか出てこないんで
とりあえず自重を支える強度の確保と取り回しのためにステアリングが動く程度の機能が確保出来れば良ければ
どこにゲタ入れるっていうのは、レーシングカー扱い慣れた人とか試作車や「コンセプトカーという名のハリボテ」作り慣れた人なら
言われなくても頭に入ってる話ではないかと。 >>156
実際に連中がどうやって組んだのかを自分の目で確認したいというだけの話ですから。
何を今更レベルの話を延々されても困ります。 そういうことなら現存してるレプリカが公開されるたびに見に行って
1台1台隙間から覗きこんで見えてる範囲だけでも確かめるとか
自分で関係者を取材してみるとか、そういう地道な作業をやっていくしか無いんじゃ?
普通の展示用レーシングカーをリアカウルの隙間から覗いたらエンジンはおろか排気管すら無いとか
サイドポンツーンの中スッカラカンでせめて蓋しとけよとかは結構あるある系だし。
「本物」でも搬入・搬出の時とかアプローチアングルやらオーバーハングやら色々の都合で
カウル外して取り回す事があるから、そういう時間から来て眺めてれば中身見れるかもよ? で、あなたは見に行かないで推測や妄想を含んだ長文をここで垂れ流すのですね 鈴鹿SoEはR86Vが追加されてるな。
これが燃えなければ萩原光はさっさと菅生に行かなくて済んだのに… >>160
彼は脳内でイって賢者タイムをエンドレスリピートし続けてる様子だからそれはそれでいいんだろうけどw
他人のオナニー見たかねーやw >>161
死んだのレイトベンツじゃんと思ったが意味が分かった リタイアでとっとと引き上げ → レイトンオーナー用新車のシェイクダウンを依頼される → そして運命の事故へ、という経緯だったか。 事故に遭った白い(とされる)新車ってのがシーズンを本格的に走るためのエースカーで
既に用意されてて結果的に黒沢/影山組で運用されるようになったやつが
TカーもしくはNo.2カーとして予定されてたのかと思ったら違ったと?
で、R86Vってのは蓮池レーシングサービスでレストアした例の元チームルマン車ですかね? 鈴鹿500` No.28ニチ-ラ
ライトの上に、レイトンのロゴ。
あれが無ければ、ルマンのR86Vは色が違っていたのかな…… >>169
ル・マンでレイトンカラーにしたいとレイトン側からオファーも、なんだかよくわからない企業のスポンサードはワークスとして受けられないと難波さんが断った。 ところで1985富士500マイルから1986…鈴鹿500キロまでなんで星野車は28番? けられたレイトンはルマン直前トムスにオファーて事? 赤城「金は××円出しましょう。それでこれを車に貼っていただきたいのですが」
舘「わかりました。ところでこのレイトンハウスって何ですか?」
赤城「いや、それはまだないんですよ。実態はこれから作ります」
舘「(´・ω`・)エッ?」 >>172
別に23番付けてる車が居たんじゃ…と思ったらそうじゃないようですね。
まだ「シルビア・ターボシルエット」名義で出てる85年にしても、
少なくともWikipediaの85年のエントリーリストでは他に23番申請してるチームも無いし。
長谷見車(スカイラインターボC)の方はスカイラインシルエットとストックカー風仕様の
あの11番(WECのみ50番)のキャリーオーバーってのは容易に分かりますが。
現存してるスーパーシルエットの方のシルビアは23番、
マーチ83Gシルビアも23番を付けてるようですが、これらが28番で走ったことっていうのはあります?
スカイラインみたいに「WECだけは11番が欧州チームにより使用済みなので50番、
その後もGr.Aのリーボックカー等しばしば50番を使用」っていうような例があったのなら
使い分けとして分かりますが。
個人的には長谷見車がGr.Cだけ86年からいきなり32番になった理由の方が気になる訳ですが。
トミーがメインスポンサーからは外れてもGr.Aでは50番を継続使用してるのに対して
Gr.Cではアマダが降りて杉山建設になってもYHPになっても、チャンピオンナンバーの時以外は
一貫して32番ですよね。 >>171
逆に萩原選手が初期に乗ってた車みたく丸昌興産のまんま「えぇ、ウチの家業の不動産屋です」って言って
今後ウチの物件のブランドネームをレイトンハウスにしますとかいう話にしとけば
難波さんはそれで首を縦に振ったって話になるんですかw いや、違ったわYHPになってから長谷見車は24番だ。
あのJSPCにおけるNo.2カーのカーナンバーの変遷ってのも結局何なんだろう。
90年のルマンでオフィシャルスポンサーになって公式ポスターの車両が
23〜25番の連番の中で「24時間耐久だから」ってことで24番のYHPカーだったというのは
理由として非常に良く分かるのだけど。
しばしばある「結局のところ何やりたいのか分からない」っていうのが日産だけに
23=ニッサン以外は「理由なんかない」とかいう変なオチに行き着きそうな感が非常に強そう。 日産の24は時代背景を考察すると
巨人の中畑が24番だったろ
それで決めたんじゃないか キャビン85マイルド、スコッチハウス25、日石ダッシュレーサー100 今思ったら柳田さんて84年あたりまでの初期の日産Cカー以降はCカー乗ってるとこ見たことない気が…
ルマンにも出てないですし
これは、日産系ドライバーのなかでエース格の星野さん長谷見さんはともかく、松本さんや高橋健二さん、和田さんよりも技術や体力的に劣っていたためでしょうか 1983年スーパーシルエットのチャンピオンなのにね。1986年いっぱいでグループCもグループAもクビになっちゃった。 あれ?ローラT810からマーチ85Gに入れ替えたタカキューZは
一応87年くらいまでは走ってませんでした?
そうはいってもチームルマンの赤い彗星の方が86G+スペシャルのVG30だったんで
かなり冷や飯感が強かった印象ですが。
確かにその後オートビューレックのBMWでGr.Aに出て
日産とはいったん切れちゃいますね。 >>182
和田孝雄や鈴木亜久里達若手と入れ替わったのかもね 柳田さん、昔のオースポ流し見てたら84年くらいだったか
「息子達にレースやらせたいけど興味持ってくれない」とか言ってたw
星野さんは大反対してたのに。
その後はやる気になったようで、GTチャンプにまでなったら大成功だろう。 主な日産ドライバーラインナップ
1983年
SS 星野 長谷見 柳田
耐久 星野/萩原 長谷見/都平 柳田/和田/亜久里/富岡
1984年
SS 星野 長谷見 柳田
耐久 星野/萩原 長谷見/都平 柳田/和田 高橋健/中子/利男
1985年
JTC 柳田/亜久里/星野/マッチ/長谷見 都平/萩原
耐久 星野/松本/萩原 長谷見/和田 柳田/亜久里 松本/中子/森本
1986年
JTC 和田/亜久里 長谷見/舘 柳田/中川
耐久 星野/萩原/中子 長谷見/和田 柳田/中川 松本/亜久里
1987年
JTC 星野/オロフソン/セトン 長谷見/亜久里 高橋健/和田 北野/影山 岩城晃一/サンチェ
耐久 星野/健二 長谷見/亜久里 和田/オロフソン
1988年
JTC 亜久里/オロフソン/都平 長谷見/健二 北野/和田 都平/関根
耐久 星野/健二 長谷見/亜久里 和田/オロフソン 柳田さんはいつの間にやら干されてしまったんですね
まあ当時は萩原、亜久里、和田、森本や中子と若手も多数ですもんね
いつの間にやら松本、高橋健二も消えていってますね 中子が85,86年乗ってるけどホンダの人じゃなかったのね 岩城滉一って日産系乗ってたんですね
R31のCMも出てたししっくりくるけど、彼のレーサーとしての実力がよくわかりません
F3000も乗ってたみたいだしマッチ程度の実力はあったんですかね
スレ違いすみません >>192
岩城はF3000で走ってたけど、全戦予選落ちだったw
なお決勝には1度だけ繰り上げ出場を果たしたが。 西部警察にレーサー絡みの回があって富士スピードウェイで収録されたときは
メカニック一同がセントラル20の服を着てた記憶があるな
協力クレジットは出てなかったけど協力だったんだろうか 岩城晃一/サンチェ
ごめん1986年だった。
チームイワキwithスピードスターレーシング
クラリオンがスポンサード
SSRがグループA後にも先にもこれだけの気がする
カラーリングはR31GTSのイメージカラーの黒/銀(でもクルマはR30)
レースドニッポンでパドックで接触したドライバーぶん殴ったのがフォーカスされ(死語)、
インターTEC以降出場停止。最終戦鈴鹿は代理ドライバー。 R31のCMも降板でした。ちゃんちゃん。
パドックで喧嘩するのはよくあること(byCG誌くまさん)で、タレントゆえの一罰百戒とも。 岩城滉一、4輪デビューの時柳田さんがコーチをしていた様な記事を読んだよ。
エントラントもセントラル20だし、日産繋がりよりも柳田さんとの関わりがきもなんでしょう
にしても滉一晃一の両方でエントリーしてて検索しにくい >>188
ホントだ記録見たら居ませんでした。
86年と87年のWECinJAPANのリザルトを勘違いして覚えてたようです。
明らかに型落ちになった車両自体の所有権が日産にあったのか、チームルマンの赤いのと一緒で
柳田さんのところに払い下げられてたのかはともかく使える車自体はあった訳ですが
(そういえばT810は「Z違いのやつ」に塗り替えられて座間にありますけど、85GタカキューZの方は?)、
メインスポンサーがコカコーラ→キヤノン→タカキューと変遷した後で
そのタカキューが降りちゃって資金の手立てが付かなくなったとかいう線はありますかね。
>>196
あれ、裕次郎さんの課長の愛車がガゼールのオープントップだったのと
その回のゲストで強盗犯の運転手を強要されちゃうレーサーが逃走車に使うのがフェアレディZ
(あの川飛び越えるアレ)ってことで合わせてきたんじゃないですかね。
ちなみに団長の車はまだマシンX(ジャパンターボ)で、あのZじゃないですw >>192>>197
日本のレース100戦見たらRX-7だかRX-3(少数ながらこの時点でまだ居た!)で
第一回WECinJAPANに出走してたという記録も。
ただ、予選だかフリー走行でコースアウトして車壊しちゃったかなんかで
基準タイム出てないんで特例出走みたいな話だったと。
あと富士GCにも出てた記録があって、ここではそもそも予選落ちが無いってのは別としてもw
一応それなりに走ってる記録があるのを見る限り、
GC終焉前後にバブルF3000に民族大移動してきたテールエンダープライベーターとか
ホビードライバー的な人くらいのドライブスキルはあった、ってところで良いんでは。
GCでは中堅プライベーターとして実績を残してた山田政夫さんが後年
F3000-1994規定ベース最後期のフォーミュラニッポンに出走した時に、
もちろん御歳のせいとか、年代物過ぎるマシンやカツカツのチーム体制のせいとかあるにせよ
予選通過基準タイム出すにも四苦八苦していたというのを見るに、
ダウンフォース発生量自体はGCの方が多い(ジェフ・リースはこの点を非常に気に入っていて
後年ルマンの出走台数が危機的になった時、GCカー的なマシンの出走を提案した程)というのに
純フォーミュラはそんなにも難しいもんなのかと。
逆にマッチの方がF3と掛け持ちでグラチャン出てたらどうなってたんでしょうね。
ホンダとも契約してた星野さんはそれが出来なかったけど
他の日産系ドライバー(長谷見さんとか松本さんとか)はOX66使えてたからその選択肢はあったし、
「速すぎるエンジンじゃ荷が重い」ってなればホンダ系ドライバーよりバージョン古いBMWって手もありと。
そういえば萩原選手は、GCでは最後までBMWだったように記憶してますが
亡くなってなければ86年はヤマハ使うことになってたんですかね。
長い ローラT810タカキューZを主人公に
「転生したらGTP-ZXTだった件」とか書きますかw
85Gの方は「?」→V8テストカー→タカキューZ→またV8テストカー仕様
…とかいうような履歴なんですかねアレ。VEJ積んでテストしてたの86年の春先頃のはずだし。 長文見えた瞬間読む気にならん
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Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 全部妄想かと。
全部妄想なのかね。
全部妄想だろうし。
全部妄想だったのでは。 >>206 転生したらGTP-ZXTだった件」とか書きますかw
二次オタか救いがないな スレチだがフォーミュラよりもそれにカウル付けたGCの方がダウンフォースが強いのは当たり前
だって空気抵抗減るもん 空気抵抗より平面投影面積とか真空引き効果とかの方じゃないのかと。
ウィングカー禁止規定以降のGCマシンは事実上モノコックの下とかフロントアンダー部、
一部の補機類の下回りとか比較的限られた範囲以外には床は無いですけど、
カウルの下に溜まった空気のほとんどは後ろから引き抜けることに違いは無いんで
そりゃー結構な力で地面に張り付きますって。
ウィングカー時代と比べると低い位置で掛かるダイレクトな地面効果が得られないから
路面状況やら姿勢やら、挙げ句は進行方向とかに過敏に反応しないだけで
ダウンフォースの絶対量自体はそんな減ってないんじゃないですかね。
で、「絶対的に影響するのは面積の方」だから、フラットボトム化してみたところで
迎え角がついちゃったりスピンしたりすると結局スポーツプロトの方が
圧倒的にフォーミュラより被害がでかいんですよ。重いはずなのに実によく飛ぶ。
逆に元々アメリカ向けプランの焼き直しってことでウィングカーであるはずの
フォーミュラニッポン・スウィフトが、それに起因して空飛ぶようなアクシデントも
ドライバーが重傷負うようなアクシデントも起こして無いですよね?
あれ、最初の散々な評判の割には全損レベルの事故も数えるほどあったかどうか程度なような。 >転生したら 意味が判らん。
88年時点エレクトラモーテイブでは、T810のローラのオリジナル部品は
リア・アップライトのみ。よってシャシ名はローラを名乗らず。
この流れは、R89C→R90CPでも再現される。 仮に サスやタイヤのトラブルが主因だったとしても
レースカーが飛ぶ事象が発生していたのも事実なのだぁ >>212
実際その通りで、だから何故座間保管庫にある「元々はローラT810フェアレディZ-C」
だったはずの車を、エレクトラモーティヴが北米王座を獲得した時点の
日産GTP-ZXTに色だけ塗り替えてるんだか全く理解出来ないんですよ。
オリジナルを尊重してレストアするのなら85年の全日本耐久やWECinJAPANで
実際纏って走ったキヤノンカラーもしくは86年のタカキューカラーであるべきだし、
「ローラ純正仕様時代のエレクトラモーティヴのマシン」ってのもこれも日産トリコロールではなく
何度か変遷したスポンサーカラー纏ってるので、北米レプリカならそうなるはず。
「GTP-ZXTのハリボテ」ならカウルだけでも取り寄せて載せ替える程度の手間は掛けるところですよね?
だからexセントラル20のローラT810からすれば「俺何でこんな事に?」じゃないのかとw
世界中のどこにも走ってなかった出来損ないコスプレ状態ってそりゃ余りにも酷いとw そーいえばR86Vの#23は日産自ら事実上のレプリカであるような解説をしてますが
あれはどういう履歴の車両なんでしょう。
Wikipedia等では日産仕様のマーチ86Gは4台が生産されて1台がチームルマン購入分、とある訳ですが、
このチームルマン購入分っていうのが例の赤いパーソンズカーで、87年になってから新車でおろした物なのか、
それとも86年のパーソンズカー自体がそもそもチームルマンの所有で、翌年は塗り替えただけって事なのかと。
それによってニスモが86年開幕前後に度重なったアクシデントで1台大破、1台炎上
(いずれも#23ニチラの星野/萩原車)という事態が起きた上に#32のハセミモータースポーツは
開幕時点で86Gが間に合ってなくて、パーソンズだけ86Gという状況の見方も変わってくるし。
パーソンズカーが日産所有の3台のうち1台ならホシノレーシングが乗り替わりするか
ハセミモータースポーツが86G、パーソンズが85Gの布陣も有り得たかとも思えるんで、
実は開幕時点ではニスモ所有の86Gは2台しか無いものが2台とも使い物にならなくなっていて、
3台目は少なくとも開幕戦には間に合わず、ルマン24時間までに揃うかどうかというのも最初っから分かっていたこと、
で、パーソンズカーはチームルマン所有分だったから開幕戦でのスライド使用が出来なかったというような話だと、
実はルマン24時間で使った車両そのものは「チームルマン所有のパーソンズカーをニチラ塗装にしたもの」
だったという可能性が。
それだと座間にあるやつはルマン24時間終了後に準備出来たハセミモータースポーツの86G
(赤帯付き赤ルーフの車)だったり、損傷した2台のどちらかを修復したホシノレーシングの86Gを
外観のみルマン24時間仕様に改装したもので、
「本当に86年のルマン24時間を走ったR86V」は蓮池レーシングサービスでレストア→保管されてる
レストア前には赤パーソンズだったあの車両、ということになりますか。 もしくは日産は当初は3台あれば足りると思っていたものが
(順調にいけばハセミモータースポーツも開幕から86Gが間に合ったはず)、
立て続けに2台が大ダメージを受けた上に、少なくとも1台は完全に全損になったか
部品取り程度にしかならない程度の被害状態にまで及んだために
1台は後から追加発注することになって、それで全日本用#32の86G化が物凄く遅れたとか
そんなレベルの理由でも?
所有名義の内訳は良く分かりませんけど、これだと確かに3+1の総数4台という辻褄は合って、
「輸送や部品確保の手間まで含めるとルマン24時間の時点で間に合う車両は
開幕戦時点のパーソンズカー1台しか無いはず」というのも合いますね。
その後どれがどこに行ったかという話までいくと分からなくなりますが。
一番距離を走ってないアマダカーをチームルマンに払い下げる(もしくは最初からルマンからレンタル)線か、
最初っからパーソンズカーがチームルマン所有ならそれがそのまま赤く塗り替えられるか。
ただ、開幕戦パーソンズ→86年ルマン24時間のニチラ車(→その後は3台のどれに割り当てたか不明)
だったそのものを日産が手元に残していて、それをルマン24時間当時の仕様に復元したのなら
そりゃー単にレストアしただけであって、サルテを走った本物には違いないんですけどね。 おいおい、ひょっとして推敲したら増えたとかそういう話か!? >>218
記憶を整理したらどんどん枝葉を思い出した現象ですw 長文さんの今回の考察は正しいの?
俺は理解不能だが プレシーズンテストでのタイヤトラブルに起因する大クラッシュに続いて
開幕戦で火災事故が起きたために、「もはや86Gに関する部品は使い尽くしていた」
という事情で修復すらままならなかった、とは当時のモーターファンの開幕戦レポートにありました。
実際、決勝で走っている86G(R86V)はパーソンズの1台のみ。
ワコール86Cやワープゾーン85Cと混戦を繰り広げる写真が載ってます。
皮肉にもこの号のニュースページには萩原選手の事故の速報が。 当初R86V 2台で ル・マン計画するも 冷却に問題有りで断念。
1台は、実績有るR85Vに変更。
86G-01 鈴鹿500`→マーチに送り返す→ル・マンテストデー参加(アマダR86V)
86G-02 富士1000`-No.8 松本車はチームル・マン所有→ニスモ借用→テスト。 光の話が出てたけど、86年のF2を代走したカペリはマーチ・ヤマハだったはず。GCの代走のほうは覚えてない、関谷だったかな。
長い 知ってるか
長文さんは現場経験者でも何でもなく本やwiki知識で語ってるんだぜ
しかも一方通行とか俺ならとっくにメンタルやられてるわw 萩原光の後任はF2がカペリ、GCが関谷。カペリ不在時はF2も関谷。 >>230
光はGCもヤマハだった?
星野がBMだったのは覚えてるけど。
赤城明が亡くなってるのを最近知ったよ >>232
そうだよ。ホンダ使ってないトップドライバーはみんなヤマハ。
星野と国さんはBMW。
ヤマハユーザー
リース
松本
亜久里
健二
関谷
長谷見
舘
和田 金曜はテスト走行やってたんだね。905いい音してた。
自分は今回行けないけど楽しんできて。 GCカーの真空引きってなんだ?
シャパラルかブラバムみたいにファン付けて引き抜くのか?
フォーミュラカーとプロトタイプカーではグランドエフェクトカーが宙を舞う原因が違うぞ
プロトは今はタイヤハウスの上に穴が開けてあるだろ >>226
86G-01の方が燃えちゃった車(開幕時点でのホシノレーシングの#23)で
マーチに送り返して修復後サルテサーキットに持ち込み。
86G-02のパーソンズカーの方は最初からチームルマン所有だった、という事ですか。
で、一応はどちらもサルテサーキットに持ち込まれているんですね。
86G-01の方がルマンテストデーでは#32アマダカラーで走行、
86G-02パーソンズもニスモが借用してルマンテストデーに持ち込まれた(#23?)
ということは、
・ルマン24時間の本番で使用された85Gは開幕戦で使用した#32アマダ85V(前年のマーチ・トミカスカイラインターボC?)
・同じく本番で使用された「86Gの方」は86G-01を再度#23カラーに衣替えしたものか
チームルマン所有の86G-02の方を一時的にニチラカラーに衣替えしたもののいずれか
…ということになりますね。
本番で使用したのが86G-01の方だと#23塗装に戻ったのでまたニチラカーとして全日本を走ったのか、
#32にまた戻して、つまり「最初は星野車だったものが後半は長谷見車になっている」、
そして後半のニチラカーは新車の86G-03もしくは04(プレシーズンテストで大破の1台が全損の場合)という
両方ありうる訳ですね。
ルマンで使ったのが86G-02だと「蓮池レーシングで赤パーソンズ→ニチラでレストアされた方が
本物のルマン24時間本番使用車」ということになって
日本に送り返されたにせよTカー登録されたにせよ決勝では使われなかった86G-01か
シーズン後半に新車で補充された車両にせよ、「シーズン後半にニチラカーとして使われた車両」
の方が座間で「ルマン24時間仕様車」として保存されているそのものという事に。 >>236
あの種の所謂ファンカーみたいに強制的に負圧掛けて引き抜こうとしなくても
床側はそもそも開いていて、「冂」の形になったテールエンドが開口してる時点で
100km/hとか200km/hとかいうスピードレベルでの走行時には
ボディ外側を流れる気流との風速差を考えたら相当な圧力で引き抜いてるも同然じゃないですか?
ラジコンカーですらボディのテールエンドをどの高さまでカットして良いかとかは
結構小うるさく規定で決まってて、その理由はそこなんです。
あの大きさと速度でもダウンフォースとかバランスとかがかなり違ってきてしまうので。
「ワールドドローム(現ジャパンドローム)」っていう、自転車競技のオーバルコース借りて開催する
超ハイスピードラジコンレース(1/10スケールで100km/h前後に達するという)があるんですが、
これだとストックカー系のカテゴリは「原則は規定で認めたNASCARのストックカー・ピックアップのボディを
規定通りのカットラインで使用。ただしリアパネル部のカットは可能」となってて
それをやるのは当たり前になってます。この速度レベルまで来るとダウンフォースどころか
溜まった空気が抜けないこと自体が、普通に進行方向向きに走る時点でも危険ですらありますからね。 俺も鈴鹿行きます。実ははじめてのプジョー905です。楽しみ。 >>229
関係者ガーとかスペシャリストガーとか言うんなら
誰か例えばGCカーとかグラチャンカーとか、いや無ければRSカテ辺りでも良いけど
テールエンドを側面と同じ高さまでぴったり塞いで、サーキットデモラン程度のスピードレベルで
走るのを誰か試してみて下さいよw
それは空気溜まってまともに走らなくて、建て付け次第で車ごと浮くかリアカウル吹っ飛ぶか
運が良ければそんな速度に達する前にスピン出来て終わるに決まってて、
間違いなくリアウィング外して走るどころじゃなく酷いもんになりますよ。
>>234
で、R86Vはどっちのが来ててシャーシナンバー何番でした? ラジコンで後部をカットするのはリフト抑制が目的
あれだけ姿勢変化する車体では床面のダウンフォースなんて期待できない
シャーシの前後左右に接地した跡があるくらいロールやピッチングが大きい
そもそもシャーシが軽量化と剛性のバランスを取るために穴だらけだし
実車のハコでもバンパーカットはするけどダウンフォースが目的ではなくリフトとドラッグの低減
草レース好きのチューニングショップのオヤジの戯言でした >>240
そんなに好きなら語ってないで見に行きなよ鈴鹿
金ガーとか距離ガーとか言い訳に過ぎん
本当に好きなら実物見たいのが普通
毎度そんなだからウザがられるんだよ
オーナーなら得意のウンチク聞いてくれるんじゃない?
それともレースカーでなく語ってる自分が好きなだけかな?w >>241
どっちにしろ「そのままだと確実に空気溜まってリフトはする」てのは事実ですよね?
そのうえ車重が軽いところにパワーだけは物凄く、電動のダイレクトドライブなら
大抵は後輪駆動だからリアを食わせるのに常に苦労するものだし。
トゥエルブとかプロテンみたく幅広なシャーシだとエアトンネルになるべき面積が足りなくて、
例えば細身のフォーミュラ系シャーシにスポーツプロトのボディを載せたような
例外的形態(それこそF1用を想定して作られたTRG社のロイスやMCS-IVみたいな)だとして
数値としてそんな強大に掛かるとは思えない訳ですし。
それこそリアルガキの頃にドライヤー(無論冷風w)とキッチン秤で雑に
当時のワイドF1シャーシのリアウィングでどのくらい掛かるか計測してみたら
ピアノ線ステーだから曲げて角度を弄れたから衝立みたいに立てた状態のところに
強風モードで当てても50gも掛からないって程度でしたからねぇw
当時の吊るしのタミヤF1は装備重量で1kgちょっとだから、そこで後輪側に50gあったとして
ほんのちょっとの味付けくらいにしかならないくらいは分かりましたよ。
ただ、「少なくともリフトしちゃう(アナログ秤だからそうなるとマイナス側に振れますw)よりは絶対マシ」
という点では意味はある訳ですが。
タミヤツーリングのドノーマルとかだと実際そういう荒っぽい計測したら
ホントにマイナス値が出てるかもしれませんし。
これは古い車で高速走ると、「現実的に捕まらない程度の速度」でも浮いてんのが分かるというか、
明らかに頼りないグリップ感になるみたいなもので。
>>242
実際モータースポーツジャパンくらい近い時には行くこともあるし
筑波や富士なら足も伸ばしますよ。車バイク系だけでも興味の範囲が幅広過ぎると
注ぎ込める予算なんて無限にあるわけじゃないですよ?
鈴鹿に1回行ったら「リアルで観に行く系活動」のワンシーズン分全部飛ぶくらいには逝きますから。
だから「伊勢参りみたいなもんで一度は行きたいとは思ってるけど、それをやるなら一大決心」
って話になるんです。 フォーミュラだと星野が速かったけど、Cカーだと長谷見の方が上手だったよな
タイヤがBSとDLに別れてからは星野組が勝つようになったけど
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