昔の北関東の路線バス 2号車
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昔走っていた北関東(群馬、栃木、茨城)の路線バスについて語るスレです。
なお、東武バスについては専用のスレがありますのでそちらをお使いください。
前スレ
昔の北関東の路線バス
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/bus/1360068227/
VIPQ2_EXTDAT: checked:default:1000:512:----: EXT was configured >>360
移籍後路線運用で使われなかったのが悔やまれる。 関鉄移管すれば良かったかもしれない
土浦〜竜ヶ崎線存続のためにも >>362
茨観倒産前に路線譲渡出来ていても
土浦発着便は壊滅に近かっただろう。牛久江戸崎線とかも維持出来なかったと思う。 群馬バスの前橋営業所は前橋市の六供町にあった。
道路の拡張工事か区画整理で移転しなくてはならなくなって、高崎に集約。
前橋市内の路線バスは嶺公園方面は永井運輸に移管したり、前橋駅〜中央前橋駅〜群大病院、前橋駅〜バラ園とかは廃止になった。 >>364
前橋駅〜群大病院線なんて東武→関越交通と競合していたんだろうな。 >>364
群バス前橋営業所はいつ頃まであったのでしょうか? 東武バス>関越交通の群大病院行きや経由便は国道17号経由。
群馬バスの群大病院ゆきは中央前橋駅経由で経路が違う。
1986年頃は3往復ぐらいあったかも。
あと、群馬バスと群馬中央バスの前橋駅~高崎駅の路線を含めて、群馬バスの路線は前橋駅構内のバス停ではなく、ひとつめの「ユーアイホテル」前が始発だった。
群馬中央バスも反対側に自社の本社があって、一階の駐車場が乗り場に使われていたみたいだ。
群馬バスの前橋駅行きにのると「次は前橋案内所前、このバスの終点です。このバスは前橋駅にまいりません」というアナウンスがながれていた。
前橋駅のバス乗り場が整備される前は、駅構内は、東武バス、上毛電鉄、上信電鉄のみ発車していたようだ。
駅前にあったイトーヨーカ堂ができる前は東武バスの前橋営業所だったし。
今はない、ユーアイホテル周辺の土地は群馬バスの車庫だったかもしれない。
昭和30年代のバスの写真集に出ていたし。 >>367
>>368
JRバス関東から路線譲渡されるみたいだね。 >>367
群馬バスにあった前橋高崎線ってどこ経由の路線だったのでしょうか? >>368 正直関鉄移管は意外だった。あれだけ茨交で固めているエリアなのに >>370共同運行していた群馬中央バスで今でも残っている、前橋駅〜芝塚〜高崎駅線。
国鉄時代のJR両毛線は本数が少なくて、1960〜70年代はドル箱路線。
今の一時間に一本なんて考えられない。
高前(たかまえ)バイパスが開通した時には
前橋駅〜バイパス〜問屋町〜高崎駅
前橋駅〜バイパス〜北高崎駅〜高崎駅
とバイパス経由で速達制を考えたが、車社会の群馬県。
群馬バスの前橋営業所がなくなって、群馬バスのバイパス経由の共同運行が無くなり、群馬バスの運行分がなくなり、JR両毛線の本数が増えて、速達タイプのバイパス経由の意味がなくなり、群馬中バスも減便→廃止。
芝塚経由も群馬バスの撤退で群馬中バスのみに。
鉄道並行路線バは厳しい。
長文失礼。 群馬県内の鉄道並行路線といえば、群馬中バスの、前橋駅〜駒形〜伊勢崎駅が廃止になった。
本社が駒形?に移転したから、前橋駅〜駒形はあるはず。
東武バスが群馬県から撤退するときに、前橋駅〜広瀬を群馬中バスにという話もあったけど。
あとは、高崎駅〜群馬県立女子大〜伊勢崎駅
昔は直通もあとたけど、今は県立女子大で分割されてしまった。 >>372
ご教示ありがとうございます。
芝塚経由もバイパス経由も2社合わせて本数多かったんですね。 水戸支店も平成初期まではJRバスだけで石岡まで乗り継ぎ可能だった
国鉄バス時代は水戸から宇都宮までJRバスだけで行けた 今調べたら群馬中央の前橋-伊勢崎線は日赤病院(朝倉町)-伊勢崎市民病院北に短縮してた
新日赤病院乗り入れとともに前橋大島駅以西廃止になるとはねえ >>375
水戸駅〜赤塚駅〜常陸高田〜羽鳥駅
羽鳥駅〜一高農場〜石岡駅
これで繋がる 関鉄バスが水戸線の駅に乗り入れてたのは
福原、岩瀬、新治、下館、川島、結城
岩瀬は筑波鉄道廃線後に乗り入れ 水戸支店移管後のJRバス関東水戸支店の廃止
1989.3.11 下入野〜大貫海岸
1991.3.16 水戸駅〜水戸駅南口
1992.11.16 三夜前〜谷津三叉路
1993.3.18 常陸山崎〜新興農場
1993.11.01 羽刈口〜飯沼転向所
1995.4.01 柿岡線、羽鳥線全線
1995.11.01 常陸高田〜飯沼転向所、下石崎秋の月〜涸沼
2000.3.27 南開江〜済生会病院、飯沼線全線
2003.3.01 赤塚〜双葉台、水戸南本線、涸沼線全線
2004.4.01 県庁シャトルバス 国鉄バスの謎は羽鳥周辺を昭和50年代になってから走らせているんだよな >>381
羽鳥〜常陸小川 1960年開業
羽鳥〜友部 1963年開業
北浦団地支線と納場〜飯沼線はなんと1982年開業
1982年は水戸南本線が廃止された年でもある >>382
本線格は昭和30年代なのか
国鉄バスは1度も黒字にならなかったけど、昭和50年代後半には収支均衡目指して各地で廃線が進んでいった
そのような時期に開業させたのは、もちろん黒字の見込みがある路線なはずだが、あの辺で黒字は無理だろうに 北浦団地が開発されたのが昭和50年代だったし、あの辺の需要見て路線開発したんだろうな
昭和50年代は常磐線普通の本数もまだ少なかった 羽鳥駅にみどりの窓口が開設されたのもだいぶ後になってからだった
飯沼なんか集落の外れで転向 群中のブルドックは前中ドアの元神奈川中央交通と、前後ドアの元京阪バスかな。
なぜか、群馬バスも元京阪の中古を好んでいれていたな。
群馬バスから分裂したのが群馬中央バスだから。
群中バスは労働組合が作った会社と聞いたことがある。 >>367他
昔は、前橋駅前の広い通りの駅を背にして左側の営業所兼?乗り場の
立派な建物に、大きく「高崎への最短距離、芝塚経由高崎行乗り場」
と書いた看板が貼ってあって、常に人で賑わっていた記憶がある。
まだ、共同運行という概念がなかった時代のような・・・。 >>386
群馬バス京阪中古はREとかMP218が印象的だった
そう言えば元京阪MP218は群馬県内は群バス、群中、日本中央と居たな
隣の栃木も東野に居たし 京阪中古が12年位で放出されていた頃は茨観や関鉄でもK-REが採用されていたな。
群中は琴参中古リエッセが引退して前橋新前橋線以外はノンステ運用になっている模様。 >>386
末期は伊勢崎本庄線に入っていた都営中古ブルドックのP-MPもいたな。
DPF付けていた >>389
K-RCだな
関鉄は9026,9027,9029〜9033,9048〜9057と纏まって在籍
9028TCだけK-MP 某TwitterにJRバス関東水戸支店全盛期の路線図が出てるよ >>391
関鉄にいた元京阪のK-RCは3Eボデー車も在籍していたようですね。
茨観の車は車内が状態悪い車もいた。 >>392
民営化直後の路線図=JRバス関東水戸支店全盛期の路線図
というのは悲しい話だな >>393
9029〜9033の5台。全部YT在籍 群中は伊勢崎スマーク線にMPツーステ残っているな。
知多乗合中古は予備車みたいだが。 >>396
知田乗合中古まだいるのか
五日市観光廃業放出車がスマーク線に登場して随分経過してるから半分忘れてた あ、でも下入野から大貫海岸が無いことと、水戸駅北口から水戸駅南口への路線があることから1989年から1991年の間だ >>398
自治体名としてお亡くなりになってる所がそこそこあるのが時代を感じる 国鉄バス末期〜民営化直後は、今のJRバスでは考えられないほどの規模だった
西那須野駅〜塩原温泉 21往復
矢板駅〜関谷宿 10.5往復
東武宇都宮駅〜祖母井〜茂木駅 14往復
東武宇都宮駅〜祖母井 22往復
土浦駅〜江戸崎〜佐原駅 4.5往復
土浦駅〜江戸崎 37.5往復
佐原駅〜江戸崎 7往復
水戸駅〜双葉台五丁目〜谷津 8往復
水戸駅〜双葉台五丁目 29往復
石岡駅〜羽鳥駅 18往復
羽鳥駅〜恋瀬小学校 10.5往復
長野原駅〜草津温泉 36.5往復
詳しくはここへ
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 関東地方自動車局
http://www.magame.jp/fumo/jnr400.html#401 >>398
岩間町なんかバス停1つ
安居バス停も茨城オートがここ運行してたら爼倉バス停になっていただろう >>398 上君田はJRになっても残ってたんだなあ…「簡」とあるから平成になっても泊まりがあったんだろう。
既に岩間〜羽鳥十字路は廃止されてるけど飯沼線やら石岡やらはあるね。
こういう国鉄バス特有の僻地にひかれてた路線て全国的にほとんど淘汰されてしまったね。
その点長野県の高遠とか長久保はかなり頑張ってると思う。 >>404
高遠や長久保は自治体がJRバスへ丸投げして補助金出してるからね
JRバスだけでやっていたらとっくに撤退してる
補助金貰ってても割に合わないからか、本数はダイヤ改正の度に減少してるし運転手も白髪が目立つ人ばかり
いつまで持つかね >>398
水戸のエキナン路線があったのは当時の車庫(水戸機関区裏)への回送を兼ねだったのか。
南口から車庫への回送が一旦桜川の土手道に出てから左折していたのか、去年までテレクラがあった国鉄敷地沿いの道を通っていたのか、気になる。 あの界隈の路線縮小も1986年にやってるね
オートの石岡撤退とか、笠間から西側の東武バス撤退とか 水戸線、両毛線沿線は平成に入ってからはバス路線が空白化するとこが目立ってきた
近年、筑西の広域バスが一部区間カバーしたけど >>401
霞ヶ浦線は江戸崎から先は桜東バスに移管
その桜東バスも新車のエルガミオを入れるなど頑張ってる バスの全盛期だと、両毛線に閉校して、東武バスが桐生天神町~東足利を10分間隔とか。1980年代は日中一時間に4本くらいか?
あとは、群馬中央バスが伊勢崎駅~前橋駅、東武バスも伊勢崎駅~二ノ宮~前橋駅をやっていたけど、ワンマン化で二ノ宮で路線を分断して不便になったし。
路線バスをやめた上毛電鉄も、じしゃの鉄道と一部並行で、前橋県庁前~中央前橋駅~赤坂車庫~伊勢崎駅と、山側をはしっていたな。 >>411
上毛電鉄バス
伊勢崎まで来ていたのか。 上毛電鉄バスは伊勢崎市の華蔵寺公園の前が前橋県庁前行きの経路だった。
伊勢崎駅のバス停はタクシーのりばのすぐ横で、駅舎にむかって、バックで停車した。 日立電鉄、茨22あ1850の廃車体が某所にあるらしい 神奈中のフェンダー塗りより人気が出るか判らないが、知ってる人は喜ぶだろう。 >>331
0757 富士 いすゞ 1316(柿岡)※塗り広告(結婚式場リムジン) で、後ろに美容って文字が付くんだろ?
つまんねえんだよ。 群馬の各バス会社は大丈夫だろうか?
路線より貸切の方が更に打撃だけど >>418
常総筑波から関鉄に移動したやつはボディーも全てエンジ バス部門を廃止にした、上毛電鉄は観光バスは新車で購入していたけど、
路線バスは「古いものをより長く大切に使いましょう」で
昔の観光バスに後ろのドアを付けてワンマンバスにしたり、ボンネットバスの現役もなながかったし、末期は元関東バスの非冷房車を中古で買ったりと、バス部門は厳しかったな。 >>431
末期に居たボンネットバスは引退して倉庫代わりになってたのを復活させたんじゃなかったっけ?
今日野オートプラザに保存されてる車 >>432上毛電鉄最後のボンネットバスは一度倉庫になった、前後ドアの日野のボンネットバス。
UDのツーサイクルエンジンの前中ドアのバスに前橋から伊勢崎駅まで乗ったけど、座った席の窓のつまみが片方壊れたままで開けることが不可能だった。
もちろん冷房がない、1988年頃そのバスが引退して元関東バスの非冷房3ドア車に。
東武バスの大宮地区から前橋営業所に移籍したバス同様に、中ドアを閉めきりで、後ろのり前尾りで使用していた。
ちなみに、ボンネットバスが走っていた上毛電鉄の前橋病院線は、廃止代替バスに代わって、上電ハイヤーが担当。
前橋駅~中央前橋駅の間に乗降制限をもうけて、前橋駅ゆきは降車のみ、前橋病院ゆきは乗車のみで、上電の赤坂車庫ゆきや伊勢崎駅ゆき、同じ区間を通る、群馬バスや東武バスとわけていた。
代替バスが正規の路線バスの乗客を奪うと、当時はまずかったのか、あるいは東武バスと群馬バスから申し入れがあとたとか。
しばらくして、上毛電鉄のバス部門は日本中央バスに変わって、変わった当初は、上毛電鉄バスの赤坂車庫をつかとていたな。
長文失礼。 連投します。
群馬バスがまだ東急系列の1990年代の頭に、高崎駅から乗った群馬バス。
運賃箱は昔ながらの鉄の箱。両替機はいわゆるオタ席と言われる前ドア直後の場所に、100円と50円のみの対応だった。
群馬中央バスと東武バスは紙幣両替機つきの運賃箱に変わっていたが…
磁気カードのぐんねっとができで、群馬バスが新法人にかわって、自動両替機つきの運賃箱にかわったのだろうか?
最近は群馬に行くこともないので地元の人教えてください。 >>410
桜東は運賃が安いからな
朝晩は地元の高校生らが多数乗っている >>354
0971 呉羽 三菱MK115H改 土浦22あ37(石岡) >>436
関鉄石岡に呉羽の三菱MKはレアだね
後は1257と新呉羽MKの1560ぐらいか >>434
群バスは今はレシップの快適1号の運賃箱積んでいる
新型エルガミオも10台入っているよ >>438情報ありがとう。まだ、高崎駅~前橋駅を群馬中央バスと共同運行していて、六供に群馬バスの前橋営業所があった。
たまたま、乗ったバスの車内でお客さんへのアンケート用紙があったので、共同運行している群馬中央バスや東武バスと同じ、千円札対応の自動両替機つきの運賃箱に交換して、同じようにしてくださいと書いた。 呉羽の三菱MKが多く居たのは水戸、鉾田、土浦、下妻 >>440
MK117の元年式は鉾田と下妻にしかいなかった >>444
その路線すら片道1kmあった
国立病院線以外に、土浦市役所行きの路線もあった >>446
P-MRがメインだったがたまにLRも運用入っていたな。
末期は元茨観MKが専ら入っていた 双葉団地線も5分くらいしか無かったな
最も昔は藤代庁舎から運行 >>433
上毛では出所のはっきりしない中古車が何台かいた
UDの前中扉も、その前にいた一つ目の前後扉も元が分からない
前後扉は元西武だと言われているが側面方向幕がないので元東急なのか?
あと富士重車体の日野RE120とかツーマンでRB120?もいた 上毛電鉄バスの場合は、冷房もなく俗に言うバス窓の1965年製の観光バスに後ろのドアを増設してワンマンバスにしたりとか、1980年代まで古いバスがいたな。
他社だと、今は子会社の大鉄アドバンスにバス事業を全て移管した大井川鉄道が直営でバスをやっていた時は、観光バスは新車、路線バスは中古か貸切落としだったからな。
名鉄グループ時代には名鉄グループからの移籍車があった。
名鉄グループになる前から路線バスか中古というのもかなり高年式のバスだらけだったと思う。
その辺が群馬県の昔からあるバス会社と同じか?
新車も入れたけど、群馬バスや群馬中央バスは元京阪バスの日野やふそうをいれていたし。 >>451
上毛のRB10Pのように昔は路線バスとスタンダード貸切バスの差がロマンスシートとエアサスだけ、
バス窓、前面方向幕付き(場合によっては側面も)シャーシもエンジンも一緒というのが多かったので
全国的に用途変更は多かったし数年貸切で使って乗合に持って行くと最初から決めているところも多かったんだよ
関東地方で言えば1960年代末〜70年代に関東自動車や東武鉄道にはざらにいた
関東は中扉増設のワンマン、東武は日光や沼田では前扉のままで他は扉を中折戸で作り直したツーマンというのが存在した
名鉄の場合は1980年代中古車をグループに移籍させる手法をとっていたしグループ同士での移動もあった
群バスや群中の場合は60年代末〜70年代、需要が旺盛だった時期に比較的多く購入した車両の代替時期に衰退期が重なり
年式も新しく使い勝手がいい京阪車を導入したのだろうが中間に入っている販社(伊勢崎?国定?)の目利きが優秀だった >>454
1399RGモナー
ワンステ・ノンステ車は太鼓橋を渡ることなく双葉団地線は廃止になったな 北村MRは無理がきくなどの長所があったけど、エンジン音で早期廃車に >>459
1211TCならバスモデル画像集のとこにも出てる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています