武の定義とは
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スポーツではルールが在り、平等公平に互いの了解の上、ゲームを楽しむことが出来ます。
されど一線を引く『武』の認識では基本的に無差別であり、例え敵に刀を持って背後から打ち掛かられても、退けられねば殺された方が悪いとそんな極端な認識です。
ようは襲われる状況を作ったのは己に原因があり、襲われない状況に身を置かねばならない。
昨今、我々の武の考えとは、如何なるものでしょうか。 軍隊が格闘技を取り入れるのはそれこそ体力強化とか戦闘時における精神力鍛錬の意味合いが大きいでしょ
>>558
戦術の違い
武術は個人の範囲のサバイバル的な技術に対して軍隊は組織的な戦闘技術だから >>559
最初から治安維持を目的としている捕手術とかは武術ではあり得ない? >>561
捕手術が必要とされるのはとても個人的な範囲とは言えないと思うんだけど。 >>562
いや別に捕手の技術が治安維持に使えるってだけの話で >>563
治安維持に転用してる訳じゃ無くて、そのために編まれた技法じゃない?
公的にそういう役目を持つ人や家が、公的な役目を果たすために作ったんだと思ってたんだけど。 >>565
個人の範囲のサバイバル的な技術じゃ無くない? >>567
時代を問わずそういう技術だと思うんだけど。
ひょっとして、治安維持のための技術という公的な立場から離れた明治以降とそれ以前で分けるべき? 治安維持と武術流派の捕手術があるでしょ
勿論捕手の技術は共通するものがあるけど >>569
申し訳無いけど、個人的な理由から生まれた捕手流派が思い付かないな。
例を挙げてくれると嬉しい。 日本の古武術は詳しく知らないのだけれど、刺又や十手術はどうなの
琉球古武術のスルヂンとか >>570
竹内流とかじゃねえの
てか流派の創始者ってほぼ個人の技術の習得が主だと思うけど スポーツチャンバラは安全で楽しめるものという認識、見解なんだが、実はあれが武器を持った場合、一番実践的なんじゃないかと思い始めている ↓こういうのが何世代も前から日本国籍を持って、差別に繋がるので調査禁止とか結婚差別は憲法違反とかなってる、恐ろしい現代日本国
https://www.google.co.jp/search?q=%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%80%80%E6%95%B4%E5%BD%A2&rlz=1C2OKWM_jaJP785JP785&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=2ahUKEwiqkceQnM_dAhUUUt4KHeIQBnUQsAR6BAgEEAE&biw=2498&bih=1338
整形前の写真でも、すでにその時点で何度か整形が入っていたりするので二重まぶただったりする
韓国系のみならず、北朝鮮も意外とプチ整形が多い(北と南で遺伝子構成や本来の顔つきが意外に大きく違うが)
韓国系や日本育ち(昔からの日本国籍所持者含む)は、小さい頃から何度も整形を繰り返しているので、小さい頃から写真を撮りまくっててもそれをさも「元からこういう顔でしたよ」という【証拠】に出来るという事をやってる
金が無い家の多くは、大抵中学・高校卒業前の卒業写真撮影前に整形を短期間で一気に済ませてるので、【証拠】が卒業アルバムなパターンが多い
そしてかなり昔から整形があるが、最近では歴史的写真どころか歴史的動画まで顔を修正して流している模様なので、大変危険
李王朝などに関しては、元から日本人や中国人の血が入っていたり、そういう理由で二重まぶたで顔立ちが普通の朝鮮人とは違う者との結婚を好んだので、あれはああいう顔立ち
しかし、他は危険性高過ぎて無理 『武』とは卑怯、残忍でも相手を仕留めれば勝ちであり、例えば敵の刃を背で受けても殺されれば負けだと思うのです。
常に敵の刃の届かぬ所に身を置くのが最低の前提であり、どんなに高い壁を作ろうとも、乗り越えられれば意味が無く、足で地を引っ掻いた只一筋の線でも、越えられない状況を作るのが『武』であると思います。
これは孫子の思想に通じるのではないかと思います。 そう云えばエックススポーツの認知度が(アンケート対象中)四割越えしたそうです。
>>518
ところ変わって危険区でしたら、多分抱え込んだ側の人が一瞬リリースした左手で失明させるのが先のように思います。
>>580
孫呉の武は三国以降に奸計として引用されてから、奸計として(逆輸入的に?)流布した経緯が目立つ様子ですね。
原典のほうはむしろ壁を確り高く築いて管理しましょう、というように基礎を重視した比率が大きい感じです。
師を越えたともされる小笠原長治が強いて子弟に、宮本武蔵の名人ぶりを説いたそうです。
そこで子弟が言下に武蔵評を否定したところ、長治が子弟に允可を授けたとか。
古来、武術と兵法の相違として云い伝えられている説話です。。。 格闘脳の池沼が湧いてるな
こいつら実際に犯罪被害にあって殺されるまでわからない馬鹿なんだろうな
どうぞ頑張ってw
としか言えないわなw ただ勝てばいいのが「武」
勝つだけではダメなのが「道」 >>584
武=身を守る為の技
武道=近代体育の考えのもとに則った、健全な精神と肉体を養うために安全な技で競いあう教え
武術=純粋に身を守るための、反則や禁じ手という概念のない技の教え >>1
武に定義なんてねーよバカ
都合良く十把一絡げにすんな >>582
抑止力方面の発想に傾斜すると核抑止力(戦争抑止)のコンセプトに近付きますので、武(武術)というより兵力、実力(実力行使)の色彩を帯び易いように思います。
たとえ兵力で劣ろうと白洲次郎氏の名外交などのほうが、むしろ武術(武道)的と云えるのでは。
>>583
現代において格闘技(格闘競技でしょうか)と武術はとくだん相容れないものでもないと思いますよ。
一般的な法治下でのいわゆる勝利はやはり社会的勝利ですので、刃物を揮う犯罪者が多少傷付けたところで敗者(武術的敗者)は犯罪者のほうです。
最悪犯罪者に殺害されても、家族の名誉などまで考慮に入れればそこでまかり間違って過剰防衛などで犯罪者に成り下がるよりも死ぬが勝ち、というケースさえ有るかも判りません。
ただ格闘競技でも余りに実戦性と乖離した体系ですとちょっとした小競り合いでも多大なダメージを蒙るリスクが残るので、武術的と云い切れないとは思います。
例えばお互い四股立ちで一歩も動かず殴り合う民族格技が有りますが、そういうのは武術と離れざるを得ないでしょう。 定義というものが要らないんでしょうね。
武というのは人間の基本ですから。
ただ、道をつけたっていうのは日本ぽくて大成功でしたね。 戦争に属する技術や概念のことだろうよ、定義としては
兵は一般兵や雑兵のイメージ
武はそれより上位の将や王の属する概念
そこから派生したものが現在の武の概念 >>592
これは膝をヒネっていないからまだ好いようなものの、386にて書かせていただいたような膝をヒネる方向性の攻撃ですと本当にワーストですね。
場合ショック症状→吐瀉物(窒息)、で傷害致死に到ります(過度な激痛に対する、生理的連鎖)。
判らない方はこうした映像を見ても(窒息の単語から締め技を連想してしまうなど)何が危険なのかよく判らないのかも判りませんが、とにかく膝をヒネられることは死に到るほど危険な攻撃ということです。
つまり「武器を用いていない」「伝統武術の技法に見えない」「殺意が無い」などは、よく主張される「だから実戦(=武)ではない(危険な技ではない)」とする理由には当たらない、となります。。。 極端な話、こちらが素手で敵は銃を所持してどう対処できるか?
それが武なのではないかと思う。
スレを立てて暫く来なかったのだけれど、随分レスが伸びました。 >>594
ざっと言うと
「弱き者が強き者に立ち向かう術」
ということでしょ?
俺も本来の意味はそうだと思うよ >>594
最近黒帯ワールドで躰道やってるじゃん?
あれって銃を意識した動きなんじゃないかと妄想してる。
拳銃は直線だから、躰をその線から外す動きがあれなんじゃないかと。 数学で説明すると、無限級数って言うんだって
答えは必ず武になることは解ってるけど、過程を説明すると無限になる
武は絶対の死です。武士道とは死ぬことと見つけたり 本当にそうでしょうか。
ぼくは、ビジネスと武が対立すると考えています。 >>596
逃げ辛い状況、なんてのも普通に有るんですよ。
袋小路だったり護るべき人がいたり。
不用意に逃げるアクションを起こしただけで刺激され、反射的に発砲してしまう相手もいます。
貿易摩擦という戦闘局面でも、相手方の要求を丸呑みにするだけで交渉のテーブルから逃げてばかりでは、自国民や諸国にデメリットが大きいですよね。
そこはより好い交渉をしないと。
そして、そこで交渉(交戦して、撃退する)できる筋立てや心構えを持っておくことは、文でもあると同時に、多勢(兵力)の脅威を凌がんとする立派な武です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています