站椿は果たして武術の訓練に意味があるのか [無断転載禁止]©2ch.net
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立ってるだけじゃん!!
走り込みした方がましじゃない? うんこする時に便座に座らないで站とうしながら出してるよ。腹に気が通ってすごくブリブリでる 意味あるよ
ただ、90度の角度の站椿は、まず長く続かないし
マンツーマンでちゃんとした師匠に指導してもらわないと
無理してやっても、ひざ痛めて、修行中断したり、やる気無くしたりするだけ
120度ぐらいの角度なら、無理もなく、誰でも1時間ぐらい出来るようになったりする
120度くらいの角度で、毎日、15分から、1時間も站椿やって、継続すれば
肉体的な外功的な効果は、1年もせずに感じられるようになる
90度で長い時間やって、早く成果を出そうとして、膝を痛めるより→継続出来ない
120度くらいの站椿を1日10分
それをやるだけでも意味がある
継続が大事 気のトレーニングとしての難易度的は
遠隔気功、外気(外功ではなく内功でためた気を放出すること)=西洋科学で言うと、オカルトの領域>>>>>>>>>>>>>軽功>>>>>>肉体鍛錬的な外功=硬気功 たんとうだけで1時間やってる人って拳法全体の練習時間ってどれだけ
やってるんですか? 武術は、気の流れを感じる気感を強化するための体操って感覚 王向斉は4才だか7歳だかから始めたと思う。
彼の経験上技撃の素質ができるまで10年、一式を一時間半くらいが適当と言ってたと思うから左右やるはずだから一個3時間、それを10年、あとは練りはいみたいなもう少し細かい動きの練習をするはず、
彼は天才で最終結論が意拳のタントウだから多分元の形意拳の三体式を分かっている人に学ぶしかないと思います。
その師匠カクウンシンはこうもいってます。
その者でなければ学ぶにあたわず、その者でなければ教えるにあたわず。と
つまりタントウで強くなる条件は
正しい師匠
一日最低3時間のタントウ
10年間
稀なる才能
全部揃えられる人はやればいいのではないかと思います。 現代社会で仕事しててそんな練習できる暇人おらんやろw しかも、それって最低10年は
戦えないという意味ではないの?その間に護身が必要な場面に出くわしたら「武術」を
やっている人間として、どう対処するの? >>398
本来は幼少より訓練するんでしょう。遅くとも20までには始めないと多分無理でしょうね。 >>397
>つまりタントウで強くなる条件は
>正しい師匠
>一日最低3時間のタントウ
>10年間
>稀なる才能
結局才能頼りなのでは? 天才なら別にタントウじゃなくて他のことしてても
強くなるでしょう。それって武術のカリキュラムとしては失敗してると思うんだよね。
万人が強くなれないという意味で。学習塾で「うちの塾は天才ならテストで良い点
取れるようになれます」って言ってるのと同じ。
郭雲深が王向斉の才能を見込んで他の弟子と違うことをやらせたなら、その練習方法は
王向斉のための練習であって他の人には向かないと思ってたんでしょう。じゃないと、
郭雲深の形意拳はタントウしかやらない拳法(意拳みたい)になってたと思います。 テストにたとえるなら、公式を丸暗記したほうが点数はあがり親も納得するでしょう。普通の弟子にはこちらを教えたと思います。
しかし数学者を目指すなら公式の意味を徹底的に理解しないと無理でしょう。王向斉にはこちらを教えたと思います。
中華武術は時間をかければ誰でも強くなれるみたいな幻想がありますが、ある水準以上に行くにはやはり才能が必要だと思います。 タントウも亡くなった中国人指導者の方々は
生前長い時間立っていたそうなので同じように立たなければダメなんだろうよ。
日本のように忙しくない国の人たちが豊富に練習していただけだが。
都市部の中国人に聞いたが、現在の中国は忙しくなって武術は昔のように練習が出来ないという。 3時間タントウやって
6時間五行・十二形拳すんだよ 段々時間を伸ばしていくのを出来るのは無職か不労所得者だけですよ。
働いていれば出来るのは一定時間だけです。 騙されたと思って三体式タントウ1日2時間を10年続けてみ >>412がそれをやって身に着けた超人的能力を実証すれば
後に続く者も出るでしょう。 休憩時間に3分くらい細切れにやってる
站椿や立禅て胸の中丹田を中心に意識するのが普通だけど額の上丹田に意識するのもあるのだろうか? 似て非ざるものではないのでは?
立禅のトライポッドメソッドという本を出している
太気拳の松井欧時朗さんという方は有名な人なんですか? 昔 王樹金という人が当時(昭和30年代40年代)日本の武道家打撃系格闘家軒並み倒してる。王樹金はタントウやってるから意味あるんじゃないかな。 王樹金の弟子達もタントウをやっている。
意味あるんかな。 結局発勁て力の波だから、タントウの球を押し出す動きで力が乗るんだと結論に達した。 正確には統失予備軍か統失傾向にある奴が立禅やると余計に顕在化する
そして武術に興味ある統失っぽい奴が立禅的なオカルトっぽく見える練功やりたがる傾向にある。 気の感覚が分かるようになるとタントウの立ち方や手の形に大きな意味があると理解できるね
特に手は上からや下から入ってくるエネルギーに対して完全にアンテナの役割をしてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています