【実践王子】本部朝基【琉球唐手】
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本部 朝基 もとぶ ちょうき
1870年5月5日(明治3年4月5日) - 1944年4月15日) 沖縄県出身の空手(旧称・唐手)家。
「琉球の名門本部家に生まれ、唐手の戦闘術、すなわち実践の強勇に至っては、郷里に誰も知らない人はいない大剛者」
(『キング』大正14年9月号)[1] と評されたように、20代の頃から伝説的な強さを誇り、戦前「最強空手家」と称えられた空手の大家である。
日本傳流兵法本部拳法(本部流)の開祖。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%9C%9D%E5%9F%BA
本部朝基は、明治3年(1870年)、本部御殿の当主・本部按司朝真の三男として、首里赤平村(現・那覇市首里赤平町)に生まれた。
童名は「真三良(三郎)」、あだ名は、その身軽さから「本部御殿の猿御前(サーラーウメー)」、「本部の猿(サールー)」などと呼ばれた。
御殿とは王族が住む邸宅のことで、同時に王族の尊称でもあった。
本部御殿は尚質王(1629年 - 1668年)の第六王子、唐名・尚弘信、本部王子朝平(1655年 - 1687年)を元祖とする琉球王族であり、国王家の分家として、日本の宮家に相当する地位にあった。
また、本部御殿は、代々本部間切(現・本部町)を領する大名であり、琉球王国最大の名家の一つであった。
沖縄時代
本部朝基は幼い頃から武を好み、数えで12歳(満11歳)の時より、首里手の大家・糸洲安恒を唐手の家庭教師として招き、長兄・本部朝勇とともに師事した。
糸洲に師事した期間は7、8年だったと言われる。
成長するにつれて、首里手の大家・松村宗棍や佐久間親雲上らにも師事した。
また、泊手の大家・松茂良興作にも師事して、特に組手を教わった。
朝基は「武これ我、我これ武」というほど唐手の稽古に打ち込み、上記の諸大家以外にもおよそ名のある武人はすべて訪ねて教えを乞い、実際に立ち会い、唐手研究に没頭した。
本部家に訪問した武術家が帰る時には、玄関口で待ち伏せして「おじさん!手(空手)をしましょう!」と声をかけるほど手に熱中していた。 >>656
いや、言い訳いいよ。ようするにオフしたくないんでしょ? 分かったから。
あとはID:yL13UN370の出方次第だな
ID:yL13UN370もオフから逃げるの? なら2人ともヘタレって事になるけどな >>661
誰だって嫌だろ
やってもなんの証明にもならんもんに時間と交通費使って、
腹パンされるだけって ネットでは威勢が良かったけど、オフになると急に言い訳がましくなるんだな >>663
じゃ、お前が受ければ良いんじゃね??
腹パンオフやれば??
俺である必要ないもの
言い出しっぺのお前が受けろよ
てか、いつ威勢の良いこと言ってたっけ??
俺???
威勢のいいこと言ってたの
ID:yL13UN370 じゃん。
なんてたって琉球空手のどの流派も失伝してる
「真の当波」を解明したって言ってるんだから。 >>664
分かったからお前はもういいよ。どうせビビってID:yL13UN370とオフしないんだろ?
お前はオフしないから、後はID:yL13UN370の返答待ちだ。
もっともID:yL13UN370はもう見てないかもしれないから、そうするとオフで逃げたのはお前だけって事になる
それならそれで終了だな >>666
いやお前こそID:yL13UN370だろ? >>665
え、煽るだけ煽って自分はリスクを負わないんだ??
へええ、
腹パン受けるだけでしょ??
腹筋固めりゃ腹だけで済むんでしょ??
逃げるの??
へええ >>669-670
じゃあID:yL13UN370は行方不明
オフの話になった途端ID:C8ruV6OP0が急に言い訳しだして逃げたって事で決着ついたな。
面白かったよありがとう >>671
おっと、自分ルールのオフ会を煽っておいて、
自分に振られたらソッコーで逃亡と
カッコワルー >>669
>え、煽るだけ煽って自分はリスクを負わないんだ??へええ、
当たり前だろう当事者じゃねーからな。
当事者のお前はたかがオタの突き腹に一発食らうのさへビビって逃げてるけど()
まー人それぞれだからな。それもいいと思うよ。
>>672
ID:yL13UN370が出てきてくれたらもっと楽しめたんだけど、残念だったな >>673
当事者じゃないのに自分ルールのオフ会煽って、
自分ルール以外の開催は逃げた認定
で、自分に振られたら慌てて広げた風呂敷を畳み出して
理由が当事者じゃないから受けない??
お前主導で煽った時点でお前も当事者だろうが!!
俺が逃げてるのならお前も逃げてるじゃん
流石に言い訳も行動もダサ過ぎるだろ スパオフとかだったら行きたいな。
スパで当破って使えるの? 腸腰筋が正中線に衝突するということは
骨盤動いてるよね どっちにしろ、ムエタイや総合格闘技どころかフルコンや寸止めの前ですら手も足も出ないよね・・・
伝統武道って力の出し方や姿勢が云々とか、宗家の正伝がーとか、秘伝がーとか
御大層な蘊蓄は大仰だけど肝心の中心がスカスカ。
武道なんて名乗るの辞めてドーナツ体操って改名すれば? 取り敢えずさ
1、日本の古流の当身技法に
威力を持たせるような特別な発力法なんてない。
2、沖縄唐手の当破は失伝した
って断言してる奴は
その根拠を書いてくれよ
俺は古流出身だし
沖縄唐手は師匠が習ってたんで簡単な手ほどきを受けただけだが
その二つの説には納得できないな
正直に書くと素人が妄想を書き連ねた程度にしか思えない 一時期、チンクチ、ムチミ、ガマクとかが流行ったけど今度はアテファ(笑)か。
オタッキーはほんとこの手の幻想が好きだよな。
中国拳法なんかだと、全然筋肉の付いてないガリガリの頭でっかちが
ハッケーがどうこうとか浸透する力がとか、したり顔で語っていたりするけど
それと同レベル。挙句の果てには我が家には口伝がとか、
流派の秘伝がとか時代錯誤な妄言を始めるんだから笑っちまうね。
やっぱ実際に試合をしない武術はだめだね。
現代格闘技にはアッサリ負ける癖に下らない権威付けばかり。
中心線がブレない秘伝の歩法?王家(笑)の打撃法?
だったらボクサーや総合格闘家相手にやってみろってのww >>680
>2、沖縄唐手の当破は失伝した
失伝したんじゃなくて、そんなものは元から存在しない
対人稽古が存在せず自由組手どころか約束組手すらやってこなかった沖縄唐手に
特別な威力を持った突きなんて開発する土壌ががそもそも無かった
存在しないことを突っ込まれたら困るから、失伝したと誤魔化してるだけ。
古伝の当破がどうたら言って実演してるのは中拳なり柔術なり他の武術から最近になってパクってきて
その突き方を唐手風にコーティングして当破だの古伝の突きだの言ってるだけ。
対人稽古が無くて自由組手をしたことなかった。現に戦前に弟子相手に組手の稽古をつけた唐手家はほとんど居ないし
組手どころか当破だの突きの威力だのを門下生に教えた唐手家も居ない。教える段階ではなく腹を突いて威力を体験させた
なんて記録「すら」残っていない。どの流派の高弟ですら組手の稽古も威力の体験も開祖にしてもらっていない。
それらの突っ込まれると困るから、夜に秘密の稽古があったとか、特別に開祖に教えてもらっただとか
戦後開祖やその関係者が無くなった戦後になってから急に言い出した。そんな高弟達の都合の良い吹かしの証言を
真に受けちゃった幻想オタが当破は存在するとか型に意味はあるとか信じちゃってるだけ。
沖縄唐手は組手どころか約束組手すら対人稽古をしてこなかったんだからさ。当破なんて技術は失伝したんじゃなくて、元から無いんだよ。
戦後になって作った技術を昔からあったあった詐欺で吹聴し、それを信じちゃってる人間が多い。 対人稽古があったら、すでにそれらを指す名称が昔からあるハズだが
本土の学生達によって作られた自由組手、約束組手という名称をそのまま逆輸入で使っているのが現状。
昔はなんて自由組手や約束組手は何て呼ばれてたの?って聞いても、出てこない。存在しないんだから出しようがない。
ひとつの流派が使ってんじゃなく、沖縄の全ての流派がそういう現状だからな。
フルコン、寸止め、防具組手、これらの練習形式も本土の学生や朝鮮人が試行錯誤して発案したも。
わざわざ発案しなくても沖縄にそんな練習形式があったらとっくに伝わってるって。
無いからこそ本土の学生や朝鮮人は考えたし、当然自由組手や約束組手の名前の件と同じく、これも沖縄に逆輸入
されてこれらの練習形式を採用してます。
そういう現実に都合が悪くなった一部の人達は、記録も残ってない掛け試しをあったあったと言い出して
誤魔化してる。どこの世界に対人稽古もせずいきなり目つきあり金的ありの何でもありの殴り合いに毎晩行くバカが
いるってんだよw 百歩譲ったとして、練習もせずいきなり実戦で身につけろってんなら、そもそも唐手を習う必要がない。
唐手なんか習わなくても掛け試し()に行って技術を身につければいいってことになるしな。
農作業や漁業という体を使った仕事が主だった収入の当時の沖縄において、腕折る足折る顔面を殴る目をつく金的をつぶす、だのの
一銭も儲からないどころか体を損傷して仕事に支障をきたすような行為なんか誰もやらんよ。
やるとしたら、農作業や漁業に差し支えないよう、怪我をしない練習。それがつまり、マキワラ、型、これならいくらやっても怪我をしない。
なまじ対人稽古なんてするから怪我が増えるわけで、自分のペースでマキワラ突いて型やって、それでもモノ足りなかったらチーシでも振って
ああいい汗かいた、拳タコもこんな立派なのが出来た、型で突きや蹴りを力強くやってる俺カッコイイ、きっと実戦でも何もやらないよりかは役に立つぞ!
と気持ちの良い妄想ふくらましながら日々の運動不足解消&ストレス解消という位置づけが一番コスパいいし、またそれこそが本来の唐手の役割と立場だったんだよ。 例外として、体怪我して仕事を休んでも「生活が保証」されてるような裕福な人間は
殴り合いなんていう道楽に精を出せるだろうな。どこぞの王族出身とかなら、それも可能。
実際の殴り合いをしたことある人間と殴り合いを経験したことない人間を戦わせたら結果は一目瞭然。
だからこそ実際の殴り合いを経験したことなかった当時の沖縄唐手家達の間で、本部は頭ひとつ抜けて強さを発揮できたんだろうな。おわり。 >>683
本部流は、掛け試しでは腕折る足折る顔面を殴る目をつく金的をつぶすなんて説明してないけどね。
似たような事を摩文仁賢栄もいってたが、ある程度ルールのある稽古の延長みたいなもんだったらしいぞ。 >>685
本部流がどうとかではなく、掛け試しに幻想を持ってるオタがそういう事を多く言ってたから釘を刺したまで
本部はあの当時ほぼ唯一といっていい対人稽古の経験者。おそらく対人稽古の相手は屋部だろう。
本部が言ってる掛け試しは中国拳法でいうところの推手みたいなもので、まあ沖縄でポピュラーな練習ではなく
本部独自が提唱した練習方法だろうな。本部以外で当時の沖縄でそんな練習の記録はないし当然本土にも伝わっていない。
当の本部は十二本組手(約束組手)で有名だが、あれとて別に本部が自分の技術の結晶をまとめたもので・・・なんて話ではなく
おそらく本を売るための付録として即興で作った程度のものだと推測する。
本部以外にああいう約束組手は伝わっていないし、また本部自身も十二本の組手を事更大事にして教えたりしていない。 本部はおそらく当時の沖縄で対人稽古が無かったから、とりあえずいきなり殴り合いの稽古を誰彼構わずふっかけて体得していったんだろう。
約束組手という段階を経ずに自由組手を経験した。それ故、実戦における約束組手の意味の無さを知っていただろうし
だからこそ十二本の組手も大事にしていない。本部の子息はオヤジに大した内容教えてもらってないから、仕方なく本部の技術の痕跡である十二本組手を
事更強調して教えてるんだろう。本に書かれてる十二本組手や夫婦手をさっ引いてしまったら、他の流派の唐手と大差なくなっちゃうからね。
大方十二本組手の内容は柔術や剣術の組立ちを真似て本部が即興で作った程度のものだろう。
それ故大事にしていない。実戦を経験してる本部だからこそ、現実の殴り合いでは相手が約束組手のように
真直ぐで視認できる分かりやすい突きなんてしてくるハズもなく、猛スピードかつ不規則な軌道をしてくる
なんてパンチは当たり前だったろうし、そんなパンチを空手の内受けや外受けで受けるなんてのは無理だし
仮に受けれても相手は約束組手のようにその突きのまま固まっていて、こちらの攻撃を繰り出すのを待ってくれてたりしない。 相手はパンチを繰り出したら、当たろうが受けられようが、間髪いれずにもう片方の腕でパンチを繰り出してくるし
あるいは掴む、あるいは蹴る、不自然な体勢だろうが威力があろうが無かろうが、猛スピードの攻撃かつ手数で圧倒するのが素人の喧嘩なんだから
相手の突きを受けれた→ はいこちらの攻撃の番! なんてお約束は無く、受けれたと思った瞬間にはすでに相手の次の攻撃が発射してる最中。
そんな無我夢中の泥臭い実戦において、約束組手のように綺麗に決まるなんてのは本部もさらさら思ってなかったんだろう。
だから十二本組手は有名ではあれど、当の本部でさへ重きを置いてたわけじゃないし
またその約束組手でさへ本部以外では当時の沖縄の流派では作られてすらいなかった。
故に今も残っていないし、また約束組手同様、本部が創作した掛け試しの稽古も本土で伝わっていない。
そんな掛け試しなんて稽古方があったら、とっくに船越や摩文仁もやってるだろうけど
弟子相手にそんな方法で稽古をつけた痕跡は無い。また、船越や摩文仁達がやっていなくても
そんな稽古がポピュラーなら、自著で紹介するなら、あるいは弟子にやらせるなら出来たハズだが
沖縄出身で本土に来てからも再度沖縄に帰って唐手の技術収集をしてきた息子の義豪でさへそんな稽古していない。 摩文仁は本土に来る前から柔術関係の人間と交流していたから、倒木法だか倒地法だか忘れたが
そういう稽古を自著で紹介してるが、まあ本部の十二本組手よろしく、これも摩文仁の創作と見て間違いないだろうな。
掛け試しにしろ倒木法にしろそういう稽古が柔術の世界に存在はしても、イコールで唐手の世界に普遍的に存在して行われていた
なんてヨソから植樹された一本の木を見て森全体もそうだと判断するような強引な妄想好きが空手界には多い。
>似たような事を摩文仁賢栄もいってたが、
再三言うけど、戦後になって開祖格やその関係者が亡くなってから
子息や高弟達の代になっていろいろ都合の良いこと言い出すよね。真に受けるやつが多すぎるわ。 >>680は根拠を書けと言ってるのに
それ以降の返事は、沖縄唐手が低レヴェルであって欲しい人間の
願望と妄想の垂れ流しであって
根拠ではない
ま、これがアンチ沖縄唐手の答えの全てだろうな >>690
反論なしでお決まりのレッテル貼りか。
根拠もなにも、まず当破だの対人稽古なり、あるいは失伝して技術だの
主張したいのならまず「普遍的に」存在していたことを証明するのが筋なんだが
主だった唐手家の死後たかだか100年も満たない間に失伝しただのの苦しい一点張りで
あげく存在を証明してもいないのに相手方に根拠を示せとか、そっちの方が笑えるわ
でもまあ、みんな昔の唐手家は殴り合いの経験をちゃんとしてて強かったし型にも意味がいっぱい詰まってるって
信じたいんだろうね。その涙ぐましい思いだけは理解しとくよ。俺はあった事もない昔の沖縄人が強かろうが弱かろうが
別にどうでもいいと思うけど、それを頑なに擁護するヤツを煽るのは面白いからここで書き込んでみた。
でもまあロクな反論もなくいつもどおりレッテル貼りで終わってるからがっかりだ。じゃあ、おしまいね。 掛け試しじゃなくて、掛け手という組手風の練習法が沖縄にあったのは本部関連の本に出て来るね
やり方を知らない船越義珍が弟子の前でボコられたやつ >>689
>子息や高弟達の代になっていろいろ都合の良いこと言い出すよね。真に受けるやつが多すぎるわ。
掛け試しにはある程度の秩序がある稽古の一環だった言ってるだけなんだが。
船越の最初の著作には型分解の説明が写真付きでのってるし
摩文仁の本には掛け手で行う掛け試しや夫婦手の説明があるし
本部の本には組手は制定されたものはないが普通に行われていたとある。
即興だろうがなんだろうが組手自体は普遍的な稽古法だったと考えるのが自然だろう。 空手の組手なんて現代においても柔道や剣道のように
統一されたものなんてないからね。
型分解の解釈も同じ流派でもばらつきがあるし
おれの師匠は習うたびに新しい分解を考えるような人だった。 昔の本を読むと普通に分解写真や掛け手の話が出て来るからな
「沖縄にはそもそも対人練習が無かった」という説が流行ったのは昭和後期からでしょ >>693
>船越の最初の著作には型分解の説明が写真付きでのってるし
船越のは柔術の投げ技(例えば谷落とし)などをパクってそれらしく撮った写真を載せてるだけ。
分解というのはそこに行くまでのやり方が書かれてなければ分解と呼べない。ただの一枚絵と同じ。
しかし船越は谷落としと同じく腕を押さえてる一枚絵の写真を「これは鉄騎初段の変手となる!」とか書いてるだけで
実際に谷落としだろうが変手だろうが、その図に至るまでの持って行き方を書いていない。ただ最後の部分の写真を載せてるだけ。なぜか?
船越は対人稽古をしたことないし、まして沖縄にそもそも分解なんて無かったから、そこに以って行く方法(谷落としや関節押さえ)などは
柔術の本や練習風景などからパクって載せることは出来るが、そのやり方までは実際に稽古をしないと分からない。
故に、やり方も伝わっていない。なぜなら船越自身、願望の強いオタが分解だと言い張ってる写真のワザにもっていくまでの過程を
習得していなかったから。
現在みんながこじつけ創作をしてるのと同じことを船越もやってるんだよ。
型の一部分を見て「分かった、これはこういう意味があるんだ!」とかこじつけるアレ。
シルエットクイズで鉄騎の最後の部分を腕押さえだとこじつけたのはいいが、そこにもっていくやり方が
分からなかったから写真でしか載せていない。なにより、船越は多くの弟子が居るけど、自著に載せてある変手や
あるいは他の分解の写真のワザが、弟子にまったく伝わっていない。船越の弟子は1000人は軽く超えるんだけどなあ。
だ〜れも谷落としだの鉄騎の変手だのやった記録がなく、久保田先生によるシルエットクイズの創作こじつけ分解ブームにより
他の多くの人も、色々とこじつけてこの型はこの意味が〜とかやってるだけ。1970年代後半くらいまで
船越が著書に載せてたオタが分解と思いたい願望創作こじつけ写真のワザを受け継いでる弟子の記録は見当たらないんですよ。 >>639
>摩文仁の本には掛け手で行う掛け試しや夫婦手の説明があるし
摩文仁の本に、貫手を極めれば岩をも削れる!とか書かれてあったらそれも信じちゃうの?
本部が創作した十二本組手と同じように、摩文仁が(おそらく本部の本に触発されて)
沖縄唐手になかった対人稽古のジャンルを本土の武術家につつかれたくないからあわてて粉飾
しただけのことなんですよ。まあ本部の創作の焼き直しみたいなものですな。
一本や二本植樹された木を見て、森全体の木がそうだと判断するのはバカだと書いたけど
ま〜だ分かってないのかな。
糸州は弟子がいっぱい居たハズなのに、糸州の掛け手の稽古を誰が見たんですか?
安里は弟子がいっぱい居たハズなのに、安里の掛け手の稽古を誰が見たんですか?
屋部は弟子がいっぱい居たハズなのに、屋部の掛け手の稽古を誰が見たんですか?
花城は弟子がいっぱい居たハズなのに、花城の掛け手の稽古を誰が見たんですか?
遠山は弟子がいっぱい居たハズなのに、遠山の掛け手の稽古を誰が見たんですか?
喜屋武は弟子がいっぱい居たハズなのに、喜屋武の掛け手の稽古を誰が見たんですか? 開祖と直々に掛け手の稽古なんておこがましい! 唐手は秘匿性が高いんだ!
とかいうなら、別に高弟同士でもいいですよ?
糸州は弟子がいっぱい居たハズなのに、弟子同士の掛け手の稽古を誰が見たんですか?
安里は弟子がいっぱい居たハズなのに、弟子同士の掛け手の稽古を誰が見たんですか?
屋部は弟子がいっぱい居たハズなのに、弟子同士の掛け手の稽古を誰が見たんですか?
花城は弟子がいっぱい居たハズなのに、弟子同士の掛け手の稽古を誰が見たんですか?
遠山は弟子がいっぱい居たハズなのに、弟子同士の掛け手の稽古を誰が見たんですか?
喜屋武は弟子がいっぱい居たハズなのに、弟子同士の掛け手の稽古を誰が見たんですか?
柔道で乱捕りの記録とか、あるいは打ち込みなどの対人稽古の記録なんて写真だろうが記述だろうが
ゴロゴロ出てきますよ。実際に存在してましたからね。
唐手はたった1人か2人が本に書いてたから、他の記録が不自然なほど無い状態なのにもう信じちゃう人が多すぎて笑う。
あれかな、貫手を極めれば岩を削れる!とか書いてあったら、それ信じちゃう系なのかな。実際に削った記録なんて不自然なほど見当たらないのに。 >>693
>本部の本には組手は制定されたものはないが普通に行われていたとある。
だから組手がどうこうというのは本部が言い出したことで、そんなものが行われてる痕跡は無いし
そんなものが行われているのならわざわざ本土の学生達が試行錯誤して組手を考えたりしやせんよ。
唐手なんかやってなくても沖縄出身の学生なんて本土にいくらでも居たんだから
そういう学生が「組手はこういう風にやってましたよ」って言えば済むことなんだが
本土で約束組手が始まって自由組手に至るまでにずいぶん時間がかかってる。
ちなみに、その当時に沖縄に調査に行った船越の弟子の学生が居て、そのときのことも本に記してるけど
組手についての記述はありませんねえ。1人だけじゃなく色んな先生を訪ねたんですが、組手だの掛け手だのは皆無。
型やったとか息吹やったとか、そういう記録だけ。
あったあった言う割りには、当時の沖縄の唐手家がだ〜れも習得してないし稽古をしてるところも見たことない。
でも本部の本に書いてあったから! って、その本部が唯一対人稽古をしてたから沖縄で猛威を振るえたわけで
そんな王族で沖縄に誇りをもってる本部が唐手の地位を上げるために話を盛るなんてのはちょっと考えれば分かるだろうに。
>即興だろうがなんだろうが組手自体は普遍的な稽古法だったと考えるのが自然だろう。
いえ、不自然ですね。でも貴方にとっては自然なのでしょう。 >>695
>掛け試しじゃなくて、掛け手という組手風の練習法が沖縄にあったのは本部関連の本に出て来るね
>やり方を知らない船越義珍が弟子の前でボコられたやつ
うん、出てくるね。戦後になって開祖や関係者が亡くなって高弟達の時代になってからそういう話が急に不自然なほど出てくるわ。
その本も確か2000年ころに出版された本だっけかな。あるいは1994年だっけ?
まあ、本部は戦前に船越は戦後ちょっとして亡くなったから、今となればなんともでも吹かせますわな。
そして、そういう死人に口なしで後世に書かれた都合の良い本の内容を鵜呑みにしちゃう人が多すぎる。
木を見て森を見ず、ではなく木を見て森全体を決めつける、ですな。 >>694
流派によって分解のバラつきがあるのは、対人稽古やってこなくてロクな技術が育たず
まして分解なんてロクに存在しなかったから。だからみんなが好き勝手に
こじつけるから、同じ流派なのに分解がバラバラとかなる。
そりゃそうだよな、シルエットクイズで「分かった、これはこういう意味がある!」
とか自分で決めつけときながら、それがまるで型に込められた意味だと云わんばかりに信じちゃってる。
いや、それは貴方がこじつけただけ創作分解であって、古伝でも何でもないし、まして型の意味ですらないから。
>おれの師匠は習うたびに新しい分解を考えるような人だった。
そういう意味では、貴方の師匠は創作を認めてるだけ立派。 つーかね、その個人で創作しておしまい、ってのが本当の意味での沖縄唐手の伝統なんだよ。
例えば糸州は突きに関して何かしらの効率の良い突き方を発見したんだろう。
決して松村から教えてもらったものではない。伝承されたものは次に伝承するという義務感や使命感の
ようなものが発生するから、そこでパタっと止まったりしない。本部も受け継ぐし、また本部も次の代に
受け継ぎ、そしてまた・・・と継がれて行く。例外はあれど基本通常はな。
だけど、例えば久保田先生のように自分一代で築いた技術は、例えば自分ひとりで築いた財産のようなもので
自分が稼いだ金なんだから私利私欲。都合のいいように使ってしまうよ。
これが代々受け継がれた遺産なら、そんな使いはせんが、まあ自分で汗水たらしてこさえた金なら
そりゃ次の代に只であげるのは惜しいし、良い言い方をすれば俺も出来たんだからお前も自分で研究しろ
ってことで、墓までもってくってこともありえる。
ようするに何が言いたいかというと
松村が型をやってマキワラ突いて、何か発見してちょっと人より秀でた。
その何かとは、平安初段のこの動作はこんな意味があるんじゃないかな?
程度のこじつけで終わり。もちろんそれを伝えたりしない。自分が楽しんで終わり。
次に糸州が型をやってマキワラ突いて、突きについて何か発見してちょっと人より秀でた。
その何かとは、突くときに後ろのカカトに重心を置くと強い突きが突けるかも?
程度の発見でおわり。もちろんそれを伝えたりしない。自分が楽しんで終わり。
次に本部が型をやってマキワラを突いて、それだけじゃモノ足りず沖縄では珍しく対人稽古をして
人より秀でた。対人での攻防のノウハウは人に伝えたりしない。自分が楽しんで終わり。 こうやって世代が交代していく中で、受け継がれるのは型だけであって、技術は受け継がれない。
糸州の突きの身体操作があれだけ弟子が居たのに不明で誰も再現できない。
本部の突きの身体操作があれだけ弟子が居たのに不明で誰も再現できない。
しかし糸州と本部の突きの原理は同じではない。なぜならそれぞれ個々の代での創作だから。そして伝承もしてないから。
また、その技術にしても、対人稽古が近年まで存在しない以上、別に深遠な身体操作なんてものは生れようがないし
また伝承をしない以上はバージョンアップも出来ないので、結局低レベルのシロモノとなる。
だから失伝したといっても、別に損失があるほどの高い技術でもないからあまり意味がない。
つまり、沖縄唐手は失伝してるかといわれれば、個々のつたない技術が個々の代で失伝してるよ
という意味では「沖縄唐手は失伝している」となる。
逆に、型は伝わっているのだから、沖縄唐手は失伝していない、なぜなら型は伝わっているし
伝統の技術などは無く個々がこじつけ創作するという手法こそが伝統だから、という意味では失伝していない。
それが沖縄唐手の正体なんだよ。おk?
つっても、ここまで書いてもおそらく誰も分かってくれないだろうなあ。疲れたなあパトラッシュ。めんどい。 個人の工夫レベルだったから後世に受け継がれないってのはわかるが、
相対稽古は本部とその仲間しかやってなかったというのは根拠が薄いだろう。
船越の投げ技がパクリだというのなら、本部十二本組手だって出版と同時にでっち上げたのかもしれないと言える。
沖縄に本土の柔術や剣術があったことは阿嘉直識遺言書みればわかるし、沖縄相撲とかもあったわけだから、
本土に紹介されるまで組手なしという方が不自然。 >>704
>船越の投げ技がパクリだというのなら、本部十二本組手だって出版と同時にでっち上げたのかもしれないと言える。
だから>>686-689で何度も何度もそう言ってんだろうが。ついでに言えば夫婦手ってのも本部以外誰も言ってない創作な。
本部の太鼓持ち(宮城の太鼓持ちでもある)摩文仁は話を合わせてくれたけどな。
>沖縄に本土の柔術や剣術があったことは阿嘉直識遺言書みればわかるし、沖縄相撲とかもあったわけだから、
剣道は防具あり、相撲や柔術は投げるだからなあ。直接顔面殴られる訳じゃない。
しかし唐手はその性質上、殴打が基本となる
どれか10回してください。
防具の上から10回叩かれるのと、10回投げられるのと、10回顔面殴られる
はい、どれですか? って言ったら顔面選ぶヤツいねーよ
ようするにそんなマネだれもしたくないし、そもそも本土の武術が存在する以上
怪我を覚悟してまで唐手にそこまで情熱をかける必要もない。
>本土に紹介されるまで組手なしという方が不自然。
だから糸州がどんな組手をしてたのか教えてって言ってんだよ
あ、糸州じゃ都合が悪いですか? じゃあ安里がどんな組手をしてたの?
あ、安里じゃ都合が悪いですか? じゃあ花城がどんな組手をしてたの?
あ、花城じゃ都合が悪いですか? じゃあ・・・って不自然な状況がざっくざく出てくるんですがね。
柔道の乱捕りや、剣道の組打ちの記録なんかワンサカ出てくるし、大会だって開かれてました。
唐手は大会といったら演武の記録しかなく、組手が普遍的にあったら柔道や剣道みたいに大会が開かれてもおかしくないんですが、
大会どころか目撃談すら皆無。 >本土に紹介されるまで組手なしという方が不自然。
だから、組手があったという証拠を待ってるんですけど、出てくるといったら
本部が本に書いてたから〜、摩文仁が本に書いてたから〜、他の状況証拠が壊滅的だけど
でも本に書いてあったからあるんだもん、って方がよっぽど不自然だと思うんですけどねえ。
つーか、十二本組手をさんざん即興で作った可能性高いって書いてるのにそれすら読んでないとかどんだけだよ。
疲れるなあもう。 めんどくさいから、最後にいつもの貼っとくわ
12 :名無しさん@一本勝ち:2016/12/19(月) 19:23:14.35 ID:RmOp6J9T0
>形は現実にあっていない技で構成されているのが問題って言っていた師範がいたな。
これはとても大事な意見でね。よく考えて欲しいんだ。
現実にあっていない技というのは、そもそも「実戦性」を前提に考えるから
「あっていない」となる。
でもさ、何でわざわざ現実にあっていない技で型の動作を構成する必要があるのよ?
誰が好き好んで現実にあっていない技で構成しようとするんだ?めんどくせえ。
そうじゃなくてさ、むしろこう考えて欲しい。
現実(実戦)にあっていない技で型を構成した、のではなく
現実(実戦)なんてものは創作時から念頭に無かったから
現実(実戦)にあっていない技で動作が構成されているのは当たり前
こう考えた方がよっぽど自然な流れだし、理にかなってるのよ。
型が使えるかどうかっていう問題はここにあるんだ。議論になるとき、それは必ず
型が実戦を想定して作られたことが前提で、しかし使えないから議論になる。
でも、初めっから殴り合いなんて考慮せずに作った(演武や舞踊目的)なら
非現実的な動作も、現在みんなの道場に深い技術がまったく伝わっていないのも、全て道理なんだよ。
この考えを何べんも言ってんだけど、多くの人は受け入れてくれないんだよな。難しいことじゃないのに。 大正3 年(1904) 琉球新報「沖縄の武技」1月17日号掲載
「沖縄固有の武芸にして田舎の舞方(メーカタ)なるものが、
いわゆる唐手の未だ発達せざる時代のそのままであらう。」
寄稿者:安恒安里
ここまで読んでもまだ唐手に対人稽古はあっただの型に意味はあるだの言う人が居たら
それはもう知らんね。お手上げだよ。 素手素面で当てる組手なら
危険だが出来なくもないし
俺自身さんざん経験した。
スポーツ空手とは似て非なるものだから、稽古相手との暗黙のルールでやるし記録にも残らないけど、やったのは事実だから
記録に残らないから無かったんだという意見に違和感を感じるんだよね。
剣術や柔術だって、講道館や武徳会以前は他流試合のルールとかはっきりした勝敗の記録なんて残ってないだろ。 >>708 それは論理の飛躍でしかない
適当な内容でも公に書かれれば
それが真実だと思い込める奴はそれでいいのだろうが
田舎の人間なら
新聞記者が来ようと学者が来ようと
平気で適当にあしらって
いい加減な嘘で追い払う事を知っている
理由は、他所者に内部に入り込まれて引っ掻き回されるのが迷惑だから
これが現実。
掛け試しについても証言が内部に在るので、部外者の異見や見識なんてどうでもいい。
部外者には解らんとしても構わん。
こちらこそがお前らが本来知りたかった筈の現実なのだが、
永遠に知ることはないので、大地らの辻時つま合わせと妄想が真実だと永遠に騙されてればよい。
大体、普通の感覚を持ってれば伝承された型が意味ない訳ないだろうと常識で判る筈なのに
分からないアホには永遠に真実は分からんままで良いのだよ。 >>705
夫婦手は本部朝勇も使ってるし、本部家の技術なんじゃないかな
細かいところに不同意な点はあるが、個々が好き勝手やってたのが伝統的な沖縄唐手というのは同意 >>709-710
長いから読んでないけどどうせ反対意見だろ? はいはい、じゃあもういいよそれで。 >>711
好き勝手やってたといっても、別に高い技術開発をしてたとかじゃないからな?
踊りが発端で元々大した意味が込められてない型をやって、武術やってるっぽい雰囲気にひたれて
運動不足解消&ストレス解消、実際の殴り合いの稽古はしたことないけど、いざ実戦となれば
何もしてないよりかは普段空気相手に突いたり蹴ったりマキワラ突いたりしてる分、有利なんじゃね?
という程度のシロモノが沖縄でいうところの「手」ないし「唐手」だったというわけ。
それに我慢できなかった船越は、鉄騎の最後の両手を横に突く動作は、きっと腕関節を押さえてるんだ!
とか現在みんながやってる創作こじつけをした。だけど悲しいかな、対人稽古をしてないから
腕を押さえに行くまでの過程まではこじつけられなかった、だから弟子は沢山居たけど誰にも伝わっていない
本部は船越よりかはもうちょっと過激に、実際の殴り合いという分野におそらく沖縄唐手界初で踏み込んだ。
殴り合いが強かった、あるいは一本拳で殴ってたから強かっただけで、別に特別な突き方とか開発はしてないと思うよ。
つうか、沖縄の名だたる昔の唐手家のほとんどは特別な身体操作なんて開発してないし受け継いでもない。
柔道は投げ技を弟子に体験させたりしてるけど、唐手家は弟子の腹に威力を体験させるなんていう
現在セミナーでやってる当たり前の事すらしていない。なぜか? していない、ではなく出来なかったんだよ。
危険過ぎるからとか秘匿性が高いから、ではなくただ単にそんな特別な突き方すら対人稽古やってないんだから身につけていない。
つまり、無い袖は触れないから弟子に体験させることは出来ないし、故に高弟達もそういう突きを身につけてもいない。 だから
現在みんなの道場にロクな突き方が伝わっていなかったのはそういう訳だし、
仮に伝わっているならそれは高弟の代になってあわてて他からこじつけた技術という訳なのです。
ちなみにほぼ唯一対人稽古という殴り合いをした本部が、威力のある突きの身体操作の開発に
果たして着手したかどうかですが、残念ながら別にそんな特殊な突き方なんてマネをしなくても
普通に顔面を突けば事足りるし、アドレナリンが出て普通の突きじゃ足りない相手であるなら
正拳でなく一本拳で突けば充分という実際の殴り合いの現実を知っていたからこそ、別に特別な突き方は
開発はしていません。故に、本部の突きがどういう身体操作だったか伝わっていない、それは元から存在しないから。
そういうつまらない現実を、失伝しただの、秘匿性が高いだの、夢見て
あるいは近年になってどっかからパクってきたり自分で思いついた身体操作を
「これこそが古伝の突き!」とかマスターベーションしてるわけ。
悪いとは言わないし、むしろ全然良いことなのだけど
理解に苦しむのはそれを認めないことなんだよね。認めちゃえばラクになるのに、なぜか意地張って妄想を続けたがる。 あ、本部が重ねた板を至近距離から割ったとかいう話は結構です。
それをもって特別な突きとか身体操作とか、そういう本部が亡くなったあと、戦後になって
急にあるある詐欺で弟子達が出した本の内容を鵜呑みにした妄想とかは結構ですので。ハイ。
以上でいいかな? じゃあレスないみたいだからな終了だな。みんなありがとう。 >>714
伝わっている突き方が後から取って付けたものという仮説は証拠的に否定されないが、肯定もされないな
が、殆どはそうだと思う 長文こんな連投しても誰も読まないって
おのれの意見を読ませたいなら、1日2レスぐらいで我慢しないと
沖縄に組手無かった説の男が人としての常識が無い事しか伝わってこない 掛け試しが夫婦手のやり合いって思い込める奴は
頭おかしいw >>713
>踊りが発端で元々大した意味が込められてない型をやって、武術やってるっぽい雰囲気にひたれて
>運動不足解消&ストレス解消、実際の殴り合いの稽古はしたことないけど、いざ実戦となれば
>何もしてないよりかは普段空気相手に突いたり蹴ったりマキワラ突いたりしてる分、有利なんじゃね?
>という程度のシロモノが沖縄でいうところの「手」ないし「唐手」だったというわけ。
刀持った島津藩とか相手にそんなのんびりしてたの?
沖縄って周り中敵だらけなのに? 正当な理由無くその土地を統治してる藩の役人(武士階級)に怪我なんて負わせたら
個人の問題じゃ済まず連座によって集落全体に懲罰がくだる。
逆に藩側の人間も町民や村民への正当なき暴行は公事方御定書によってきっちり咎め
られていて暴行どころか刀を使った無礼打ちなんかは死罪及び一家取り潰しになり
軽々に斬れない。琉球だけじゃなく奄美(鹿児島県)や他のどの藩でも事情は同じ。 まさか「唐手は薩摩の剣術を相手に素手で戦うために発展した武術だ!」
とか未だに信じちゃってる情弱は居ないよね? 信頼できる組手の記録ないから無かったんだというなら、
型もその他の鍛練法も無かった事になっちゃうよね。 >>696
本に書いてあるような
基礎的な技は普通に教えてるが? >>705
剣術の組太刀は防具なしで木刀を使う。
柔術の形には打撃もある。つーか投げ技のほうが危険。
これらは空手でいう約束組手だから
自由組手ができないというのならまだわかるが
約束組手すらなかったというのはおかしな話だ。 >>705
江戸時代には全国に普及して他流試合も行われるようになり
明治には統一組織ができて世界にまでひろまった柔剣道と
大正になってから本土に紹介された空手じゃ情報量に差がでるのは必然。 >>696
単にページ数の問題だろ。
型にいたっては挿し絵のみで
それすら省略してる箇所もある。 >>706
十二本組手が創作なら
本部が当時の沖縄では例外的に組手を稽古してたという根拠もなくなるよね。
そもそも、型稽古に関するデータも壊滅的だから、しまいには空手は存在しなかったことになりそう。 >>733
先人から教わったエッセンスはあるだろうけど、それと自分の経験、考えを元に朝基が作ったものでしょ >>734
普通に考えればそういう発想になるが
長文書いてる奴が、「証拠が出せないんなら無かったに違いないと言うから。 >>735
ただ正直先人のエッセンスは少ないと思う 松茂良と組手稽古しているし、先人のエッセンスはあっただろ。 松濤館の組手は学生の創作が殆どだけど強いからな。
琉球王国時代から型を学んだら後は自分たちで工夫するのが普通だったんじゃない。 船越義珍が組手を知らないというのは
本部朝基がナイファンチしか知らないと言われるのと同じかな。 >>740
本部朝基は他の型も指導してたという証言あるけど、船越義珍の組手って何かあるの? >>722
島津に負けて以来数百年に渡って戦いや一揆すらない世界でも稀に見る平和な国だったろ
それともあんたの頭の中では四六時中周りと戦争してたって設定になってるのかい? 前拳で防御、後拳で反撃というのも本部朝基にこきおろされてたが、
船越先生の琉球拳法唐手をを見ると、応用として前拳で攻撃することも認めてる。
防具の研究もするべきと述べてるし
よくある船越叩きは言いがかりとしか思えない。 >>742
写真教えてくれませんか?
何に載ってるのかでも >>746
ありがとうございます。
でもこれは買えない… 船越ってスレチじゃん
本部と全然関係ないし、弱い松濤館の話なんてどうでもイイ 対人練習が全く何も無かったら外人相手に一撃で倒せると思うか? >>750
朝基以外、特に先人達が組手してたのかという話でしょ >>751
考えても答えはでないと思うが
普通に考えたらやってるよな。
証拠がないとか言うやつがいそうだが
それは本部も同じ事だし。 普通に考えたらやってるのに、本土で組手を行なおうとしたとき
大勢の本土の学生や朝鮮人が1から試行錯誤して方式を模索しないと出来あがらなかったんですよね。
本土には沖縄出身の社会人や学生が居たにもかかわらず。 >>754
それに加えて、数百人を超える当時の沖縄の唐手家達がどういう自由組手をしてたか記録が残ってません。
弟子達も開祖と自由組手したことない見たこともありません。開祖どころか弟子同士でも自由組手した記録残ってません。
本土の伝統派の中山正敏は高弟と自由組手しまくったし、弟子同士も自由組手しまくってた
フルコンの大山倍達も高弟と自由組手しまくったし、高弟同士も自由組手しまくってた
当時の数百人の唐手家は結託して、人目につかないところでやってて
弟子達や近隣の人間達が目撃しそうになったら身を隠してたんですね。だからここまで見事に記録が残ってない。なるほど。
でもSTAP細胞はあります! あ、じゃなかった自由組手は昔からやってまーす、ですね。はい。みなさん信じてあげましょう。 当時の沖縄はカキダミシーと言って町中で喧嘩で実戦をやってたんだが。 >>757
そのカキダミーシの記録がありませんし、そもそも
町中の喧嘩ってことは何でもありですよね?
はて、唐手家は殴り合いの練習もせず型習ったらいきなり目つきあり金的あり道具ありの喧嘩を始めたんですか? 本土の組手をやってたなかったから本部は強かったんだよ >>759
本部が強かったのは、王族出身という事もあり逆らえなかったという面も多分にあると思いますよ うちのじいちゃんが第二次大戦中、九州に疎開してた時、九州で時々、カキダミシーで貫手による心臓パックリの殺人事件があったと聞いた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています