輪るピングドラム187 STATION
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
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※ワッチョイはスレ立てるごとに消えるので適宜増やす
■僕の愛も、君の罰も、すべて分けあうんだ。 きっと何者にもなれない お前たちに告げる
@TVアニメ『輪るピングドラム』公式サイト及びツイッター
・http://penguindrum.jp/
・http://twitter.com/penguindrum
@まとめWiki http://www48.atwiki.jp/penguindrum/
@こっそりピングドラム(「輪るピングドラム」をスタッフがこっそり語る番組)
・USTREAM 毎週木曜日 20:00〜(不定期) http://www.ustream.tv/channel/penguindrum
@TV各局放映及びWEB動画配信日程 平成23年7月より同年12月迄放送。全24話。
・毎日放送 (MBS) 毎週木曜日 26:10〜 7月7日より
・東京放送 (TBS) 毎週金曜日 26:25〜 7月8日より
・テレビ愛知 (TVA) 毎週火曜日 25:30〜 7月12日より
・アニメシアターX (AT-X) 7月15日より 毎週 金23:00〜/ 火17:00〜、29:00〜 / 金11:00〜
・日本BS放送 (BS11) 毎週金曜日 23:30〜 7月15日より
・バンダイチャンネル 毎週金曜日正午更新 7月29日より:http://www.b-ch.com/
・ニコニコ動画(公式配信) 毎週木曜日 24:30更新 8月11日より:http://ch.nico@@@video.jp/channel/penguindrum
※ニコニコ動画がNGワードなので@@@を取ってアクセスしてください
【 ※ネタバレ厳禁! 】 ネタバレは >>3 の 「ネタバレ&考察スレ」でどうぞ。
※BD/DVDの内容・特典に関するネタバレ解禁は、公式発売日の正午から。
【※実況厳禁!】実況はアニメ特撮実況板(http://hayabusa.2ch.net/liveanime/)へ…。
※ 著作権法の精神に照らして、投稿動画(公式配信を除く。)の話題・URL貼りは厳禁。
※ 荒らし、煽りは徹底放置。→削除依頼:http://qb5.2ch.net/saku/
※ 基本sage進行推奨。E-mail欄(メール欄/メ欄)に半角小文字で「sage」と記入。
※ 次スレは>>970が宣言してから立てる事。無理ならば代役を指名して下さい。
■前スレ
輪るピングドラム186 STATION
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ranimeh/1560793446/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) @制作陣
監督 》 幾原邦彦 美術 》 秋山健太郎 中村千恵子
キャラクター原案 》 星野リリィ 音楽 》 橋本由香利
キャラクターデザイン 》 西位輝実 アニメーション制作 》 ブレインズベース
コンセプトデザイン 》 中村章子 柴田勝紀
@登場人物/声の出演
高倉冠葉 》 木村昴 夏芽真砂子 》 堀江由衣
高倉晶馬 》 木村良平 夏芽マリオ 》 荒浪和沙
高倉陽毬 》 荒川美穂 渡瀬眞悧 》 小泉豊
荻野目苹果 》 三宅麻理恵 多蕗桂樹 》 石田彰
荻野目桃果 》 豊崎愛生 時籠ゆり 》 能登麻美子
@商品情報
輪るピングドラム BD/DVD 全8巻 …特典などは>>1の公式サイト参照 発 売 中
幻冬舎BIRZコミックス 輪るピングドラム 全5巻完結 柴田五十鈴 イクニチャウダー 発 売 中
「輪るピングドラム (上)(中)(下)」 幾原邦彦・高橋慶(カバーイラスト星野リリィ) 発 売 中
「輪るピングドラム ファビュラス・アンソロジー」 発 売 中
「輪るピングドラム 公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて」 発 売 中
「輪るピングドラム 試運転マニュアル 公式スターティングガイド」 発 売 中
「輪るピングドラム 星野リリィ アートワークス」 発 売 中
キャラクターソングアルバム.「トリプルH」 歌 》 トリプルH 発 売 中
OP主題歌CD「ノルニル/少年よ我に帰れ」 歌 》 やくしまるえつこメトロオーケストラ 発 売 中
ED.主題歌CD「DEAR FUTURE」 歌 》 coaltar of the deepers 発 売 中 @質疑応答
Q.これ原作あるの? それともオリジナルアニメ?
└A.オリジナルですが、アニメと同時進行で幾原監督と高橋慶さん共著の小説があります。詳しくは>>2
Q.「輪るピングドラム」ってどういう意味?
└A.以下の様な言葉が推測されています。
・ワーピングドラム(昇降機)→輪るピングドラム=劇場の幕が上がる
・"penguindrum"→"penguin"(ペンギン) ・ピクトグラム(絵文字、劇中のモブ)
・メインキャラの「苹果」(中国語読みで「ピングォ」) ・ピンクの洗濯機(スタッフ談)
Q.変身時の挿入歌は何?
└A.ARBの「rock over japan」のカバーです。
12月21日に発売されたキャラクターソングアルバム、『トリプルH』に収録されています。
Q.変身時の決めポーズで、陽毬は何と言ってるの?
└A.「イマジン(imagine)」。
Q.スレ内でよく出てくる「プリクリ様」って何?
└A.プリンセス・オブ・ザ・クリスタルの略。陽毬がペンギン帽をかぶって変身した姿。
Q.金髪の人(時籠ゆり)が時々言う英語のセリフはなんて言ってるの? 意味は?
└A.「ファビュラスマックス!(Fabulous max!)」 信じられない! or 素敵!
Q.16年前の事件って何?
└A.高倉家の両親が関与したと思われる (95) 3月20日の地下鉄爆破テロ事件。
同じ日に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件をモチーフとしているようですが詳細は不明です。 昔は我に帰れの方が好きだったけど今はノルニルの方が沁みる
我に帰れより無感情な曲調が聴きやすいのかな さらにOPよりDEAR FUTUREの方が好きなる現象 DEAR FUTUREのシングルはアレンジverが多くていいよな
イクニの音楽遍歴とか凄く興味がある >>12
成田忍さんのが好きで当時オリジナルより聴いてたわ あと堀江由衣さんの あとでセルフカバーも出してたの知ったけど、オリジナルで慣れてしまったよ。 思うに
歌曲単体でのエモさは少年よ我に帰れ
ストーリーとの親和性はノルニル
飽きのこなさはDEAR FUTURE
リアタイ視聴してなくて我に帰れを聴いてから見始めたけど、駆け落ち・心中ものなのかと思ってた
その辺むしろユリ熊っぽかったりして おとめ妖怪 ざくろ9話まで見た
そもそものきっかけはプリクリのドレスっぽいデザインはあるのかなーと思って見始めたのだが
それは中々行き当たらず。
代わりにサンちゃんっぽいリボン付けた猫が出てきたり
ヒロインの西王母桃が牛乳が嫌いな設定がピンドラの陽毬と似てるなと思った。
陽毬の牛乳嫌いの原因は20話の陽毬の考えにあると私は考えていたし
プリクリが陽毬の遺伝子や命をつなぐ獣としての本性の類だと考察した後もその解釈自体は変わってないが
星野リリィさんの作品ざくろの影響も出てたのかもしれんなぁ、ピンドラ20話は。 ワッチョイにした糞キチガイのせいで書き込みなし
キチガイはスレを潰すのが目的なんだろうな 社会に恨みを持ってそうな大人がいるなぁ
ワッチョイにしたのは>>1さんで彼?を糞キチガイだと思っているのなら
まずは>>1本人に直接不平を言ってその恨みを発散しなよ 自分は ワッチョイ b5b8-Wyxu なんだが、前スレでワッチョイでいいんじゃない?とは言ったものの
自分の占有率上がると控えちゃうってのはあるな 前スレでもワッチョイ反対されてたのに
無理矢理ワッチョイにした
元々過疎スレで誰も書かないのに
ワッチョイにする必要ないのに
過疎スレから無人スレに とはいえ ワッチョイ b5b8-Wyxu であのまま連投してたとしてもウザかっただろ
いいんじゃない? 仕方ない
独りよがりな連投が続けばワッチョイ付けようってなるし
付ければ書き込みが減るのはものの道理だよ
細々とでも続けばいいよ 再放送見てるけどくそおもろい
当時のファンに聞きたいんだけど当時は覇権やったん? 俺も当時はスルーしてたな
ニコニコで一挙やってたのを全話見たらハマったわ リアタイしてたけどツイッターはそれなりに盛り上がってたと思う
でも関西と関東の放送が1日ズレがあったから一緒に盛り上がるかというと微妙なところがあったかな
同じ年だとまどマギあの花タイバニシュタゲfateとかあったから覇権かというとわからない まとめサイトが陽毱の声優の彼氏とのプリクラが流出とかデマ流したから俳協が激怒したんだよな
結果逆恨みでアンチ煽り記事ばかりまとめられて最悪だった あの事件絡みでヤフートップに記事が来てたのは覚えてる 盛り上がりまくってたかと思ったんだけど意外と後追い多かったんだなあ
じわじわ来た感じか 一話でダークホースって言われて盛り上がってたけど全然核心の話が無しに1クール終わりそうで声が小さくなった感じはあったね 怒濤の2クール目でここも考察盛り上がってたなあ 後半の放送後は毎回考察と荒らしとファンの熱狂でスレの進みがやばかった 前半は話の筋よりも二人のストーカー女の言動がとかく印象に残った
けれども、後半は解説や推測する人達によるスレバトルを読みながら見ていたよ >>35
しかもそこら辺のアニメが今年に挙って劇場版やるのよな・・ 大体理解してからもう一度見ると面白さもわかりやすくなる
ただやっぱり前半苹果パート長過ぎるから劇場版では削られそう
ストーカー女から段々変わっていって「だから私のためにいてほしい」はかなり好きなんだけど 陽毬の「選んでくれてありがとう」を見てミカサの「マフラーを巻いてくれてありがとう」を思い出した
家族に迎え入れてくれた相手に対して恋をしてしまうところまで一緒だな なかなか映画の情報出てこないな
渋谷マルイでポップアップストアやってるけど
いい歳なのでキャラものよりピクトグラム主体のグッズが欲しいんだが 映画の情報でないね
4月に本当に上映されるのか不安になってくる
コロナのせいで公開時期を未だに見極めてるのか、それともクラファンで未だにコアファン多いの確定したから胡坐をかいてるのか
ファン心理としてはもっと多くの人たちに作品を知って欲しいから、プロモーションにも力入れて欲しいと思うんだけど BSの最終回って上映から一ヶ月切っとるやん
完全新作の映画ならともかくほぼテレビ放送総集編の映画で、ついさっき見終わったもんに金出してわざわざ映画館まで行くか?ってなるで 先に通して観ておかないとわからない超ダイジェストだったり 劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』は、TVシリーズを再構築し、完全新作パートを加えた編集劇場版として、2022年に《前後編2部作》にて公開予定です。
後編は前編の予告で上映日とかわかるかな >>56
完全…新作…????
総集編だと思いこんでたから急にドキドキしてきた この手の再編集版映画わりとみるけどそんな新作パートって多くないイメージあるな
あとはキャラの設定がガッツリ変わったりする
時間の関係カットするしかないからキャラ設定変更は仕方なかったりすると思うけど
ただクラファンしてるからどうなるか すごい希望入ってるけどウテナの劇場版がああなったから色々変えてきそうだと思ってる 映画のあらすじには
10年後冠葉と晶馬がひととき戻ってきたとあるから
二人が旧作の内容を回想して語っていく感じかなと思ってる 再放送やってるから見に来た 10年前だと新しすぎたのかも >>63
マジじゃん… ひとときと言わずこっちの世界に永住してくれ
この映画は新規用ではなくてファン向けなんかな 追加キャラのほうをメインにした企画なんかが進んでるのかも 総集編で振り返りつつ新規カットと10年後の状況を挟んで「ええ〜!?」とさせたところで後編へつづく…になるとか?
エスメラルダ出るかなあ
サンちゃんとエスメの茶番劇好きだった 新しいコメント出た!!!!!!
新しいピングドラムって木村昴言ってるしやっぱ新規パートちゃんとあるんやな… 劇場版。来月公開なのにいまだに公開館がわからないってそんなのある?
すごい少ない公開関数なんだろうか。 公開日は12月に出てたし今日もキャストコメント追加されてるし
再放送の最終話がちょうど1ヶ月前になるから焦らなくても良い気がするけども
映画って半年〜3ヶ月前と1ヶ月前に予告増えたりするしね 公開館もだけどいまだに前売り券もないってのがね、普通では考えられない
劇場版の原資はCFだし、利益は求めずイクニがしたいようにする気なのかな
CF参加者の先行上映もあるはずだけど何時頃になるんだろう? 本当に劇場公開なの?なんかネットフリックスかなんかで公開とかになりそう そうか、前売りがまだだったか
配給ムービックで映画館にはフライヤーなくてアニメイトで配布してるから映画館じゃないのかね 劇場版って書いてあって映画館でやらないことなんてある? 上映とも言ってるからそこが気になるんだよね
最近だとディズニーの映画が劇場公開予定だったけど独占配信になってた
でも映画館で予告ガンガン流れてたんだよね
前売りはなかったような気がする ディズニーはそれで映画館と揉めてる
ここまで情報出さないなら最近よくある2週間限定上映かな 基本、配信で劇場は2週間のイベント上映とかじゃないか? 総集編なら映像ぐらいは出せると思うんだけど
もしかしたらけっこうあたらしい場面多いのかな。 今夜新規PVだってさ
公開される劇場まだ発表されてないって上で言われてるけどこういう系の映画って東京の映画館4つくらいの小規模上映なイメージ 地方勢からすると上映館少ないのは困るな
せめて配信があればいいんだけど、ネタバレ食らう前にみたいし 全国からクラファン集めといて東京だけは流石に草も生えないなあ 上映館は多くて30館ぐらいかな?少ないと近場の映画館でやらない可能性あるもんな。
自転車で行ける距離で映画館3館ぐらいあるけど。なんかこの感じだと微妙だな。
電車に乗ってまで映画館にいくのはしんどいもんな。 劇場版「輪るピングドラム」新作パート収めた予告編、やくしまるえつこが主題歌で参加
https://natalie.mu/comic/news/470524 上映劇場も公開されたよ
北海道と沖縄はやらないのね
大阪やるなら観に行けるわ 胸に桃のマーク付いてるし
後ろにでっかい桃あるし
桃果っぽいな つまり完了してない運命の乗り換えを何とかするために
桃果プリクリに導かれて戻って来るってかんじだな 名古屋はミッドランドの映画館さえもスルーされたか
1つあるだけでもありがたいけど ようやく公開館も公開されたか。
最悪の可能性よりは多かったけど
近場二つはやらないわ。自転車で1時間ぐらいかけていかないとダメだな。 プリンチュペンギン可愛い
総集編に毛が生えたレベルかと思ってたから大人桃果登場はビックリした どうも陽毬役の荒川美穂が上手になってしまっている予感 わああああ……!!!!
公式のリツイートで見たことない単語ばっか流れてきてなにごと?!ってなった
いよいよなんだなーー!
ムビチケ買いたいんだが初めてでどうやって買うのか分からん
わからんけどがんばるわ あのムービーのあたらしいペンギン帽かぶってるのだれなんだろ?新キャラ? やっぱりこの日に発表するのかなと思ったら本当にそうだった
待っててよかったしクラファンも参加してよかった
楽しみだよ >>110
ありがとう
そっか、上映館の店頭で前もって買えばいいのか
ソワソワするな〜
売り切れないでほしい プリクリより断然桃果派だったから嬉しい
桃果として物語を先導してほしい
予告見てると冠葉と陽鞠のやりとりが多め?
晶馬苹果の方がテレビ本編の出番は多かったけどイクニ節全開の演出や見せ場はいつも冠葉と陽鞠だったから
後半にこの二人の話もあるといいな >>115
何故か後半の歌らしいね
前半はなんだろ 前編は記憶を無くした兄弟が桃果と一緒に本編の出来事を振り返る感じかな あ、マジじゃん存在証明は後半の主題歌なのか
ていうことはPV的に
映画前半…生存戦略
映画後半…存在証明ってコンセプトなのかな? そうなるのかな
しかし2クール分を映画前半にまとめると物凄いダイジェスト映画になりそう
1クールものの総集編映画でもダイジェスト感凄いのに 予告の本棚が建築の本ばっかだったから今回の鍵は建築なのかな
アニメは銀河鉄道とかえるくんが物語の軸だったし建築もそれくらい重要な役割を持ってそう 映画とかリメイクアニメとかでよくあるけど駆け足で話をおさらいしてから新しい話始める手法って誰得なんだろう
新規の為だとしても大体が駆け足すぎて意味不明で結局アニメ本編見たほうが良いってなるしアニメバッチリ見てきたファンには「ここ端折るのかぁ」ってガッカリされるだけだし
これで成功してるの見たことないわ そりゃ完全新作作るよりも予算が少なくて済むし儲かるからだろ
ガッカリすると言いながら特典や新カット目当てで来るんだから >>122
ピングドラムじゃない新作作ってほしいよね。 >>119
レゾンデートル = 存在理由 と近い?
自身が信じる生きる理由、存在価値を意味するフランス語の「raison d'etre」をカタカナ表記した語。他者の価値と比較して認められる存在価値ではなく、あくまで自己完結した価値を意味する。 プリクリ様の生存戦略!は相変わらず安定しないなwそれが好きだから良いけど 前編の主題歌はノルニルなのかな。
トリプルHの新曲という線もあるか >>125
ピンドラは自己犠牲で終わったって言われてたけど、そのつづきをやるのかな
思い出される2人じゃなくて、みたいなことかね
晶馬冠葉のサッカー服みたいなのが今更だけど気になるな 今更だけどクラファン20万入れてみたかったなあ
超高額なのにすぐ無くなったよな 北海道と沖縄で観られないのは残念だけれども、ご覧になった方々の感想を
楽しみにしています
もしかすると後日アマプラあたりで公開されるかな?とほんのちょっと期待していますw 木村昴心配
当時は下手だったけどいまは下手に加えてラップで声太くなったしへんな癖つけて話すから更に合ってない
平家物語もこいつ1人浮いてて最悪だった でもなあ、聞き始めた当初演技的な面で確かに違和感は感じたけど
TV板演じて冠場の声はもう木村昴で定着したからもうそれ以外は受け付けないかな
もし冠葉の声優変更するならたてかべ和也氏しか考えられないし ピングドラムの声優だとやっぱ晶馬と苹果の人が滅茶苦茶うまいなぁと思う
最終回でのこの二人のやり取りが本当に好きだった りんごちゃんの人当時全然有名じゃなかったのにめっちゃうまくてここでも話題になってたよね >>135
「そんなテクで女が満足すると思ってるの?!」は未だにビクっとなる >>137
言い方とトーンが変わったのかな?
自分もびっくりした
クレジットは同じ人ぽいね 被害者の会の女の子たちを狩ってるときの声かも>真砂子 プリンセス桃果見れてめちゃテンション上がったわ嬉しい!
ちょっと等身高めになって髪モフモフしてて可愛いな 音楽の人ってさらざんまいやカワウソイヤァの人なんだ
あの曲すごい 大人桃果かわいすぎるよねw
どんな活躍なんだろう。楽しみだなあ >>144
ねー可愛すぎるたまらん プリモモ様と呼ばれてたの好き
サネトシ先生ともまた絡んでほしいな とにかくどんな終わり方をするのかが1番気になる
本編をひっくり返すか更にハッピーなエンドにするのか
取り敢えず大人桃果には何でも出来そうな説得力はあるな 前回よりハッピーエンドにできるのかな?
10年経った俺らが運命をシェアしたとも愛を伝えたとも救われたとも思えないし
むしろ震災直後に一瞬生まれた分け合って生き延びようって空気なんてもう薄れてしまった
震災と震災後を経験した現在において、どんな風に前回の結論を修正してくるのかが楽しみ 成長した桃果ってよく見ると苹果そっくりだね。
ゆりさんがハァハァいうのもわかるわ 出だし予想。最終回のカンバショウマから始まる。後はわからん。 苹果と桃果の邂逅は最後まで無いのかなと思う
神秘性が高い桃果の人間性を引き出せるとしたら苹果だと思うけれども
生者と死者のままなんだろうなと 地味に桃果と苹果って一言も喋ったことないんだよな実の姉妹なのに 会ったこともない妹に黒歴史日記を読まれた上に再現される桃果 このエンドカードの手はりんごを見守る桃果じゃないかって当時言われてたね
日記読まれて再現は桃果の性格的にあんまり気にしなそうだ
あのりんごのお姉ちゃんだし
https://i.imgur.com/5NwCFE2.jpg まぁでも日記暴露でなくどちらかというと妹から崇め奉られてるから
映画にはなんであの日記書いてたのか話してくれる場面はあるんだろうか、プリンセス桃果
登場場面?がめっちゃスタイリッシュだけども むしろ日記を探せって導いてたからね
自分が楽しみなのは桃果の出番とサネトシとの絡み
あと晶馬はもっと救われてほしいな でもプリクリはその黒歴史を苹果の所産に仕立てあげようとしてたんだよな
「いいからテメェの腐った妄想垂れ流し、もとい運命日記をそこの小僧に渡しやがれ」
作中屈指のイケメンも苹果にとっては歴史修正主義の横暴な姉よ 横暴な姉ってのはわりとその通りなんじゃない
だけど桃果の乗り換えは自己犠牲の聖人行動だし
りんごやプリクリの暴走の方が目立って桃は尊い素敵な可愛い聖女美化演出で守られてるから得なキャラだと思うわ アニメ映画はその後を描くの?
だとしたらその後の現実にあった事件をモチーフにしたりするのかな。
3.11とかモチーフにするの難しそうだけど。 新しく出来たBS松竹東急(無料)で放映されるらしい >>161
初めて知ったのでググったけれども、昨日開局したのかしらね
4月1日に第1話が放送されるのね 桃果さんも10年かけて新しいペンギン帽を作り出すとは ってどゆこと?
「この発表によって、色々なものを失うことになると思いますが覚悟の上です。制作中の作品関係者各位にも迷惑をかけてしまうことになり、そこは葛藤したのですが、偽りなく生きることを選びます。」 宗教ぽいのだったらどうしよ 微妙な気持ちになってしまう 性自認は女性でそれを隠して来たけど
カミングアウトして名前も女性名にするとか…?
考えすぎか。宗教よりかは全然喜ばしいけど。 あるかもなぁ
昔から女作者が作る男キャラっぽいような気がしてるんだよな
絵としてのキャラデザって意味ではなく言動が 作家名義を変えるだけじゃなくて本名変えるみたいなニュアンスだな イクニチャウダー→イクニゴマモナカ→イクニラッパー→❔
今回はこのギャグパターンとは違うんか リプ欄で出演声優が遊んでるのを見るに、真剣な発表というわけでもなさそうな気はする
まあ変な宗教に入信して改名とかじゃない限り何でもいいけど >>178
それな
出資先もじってイクニホニャララにしたよ!公開まであとひと月だよ!みたいならわかるが
あとはギャグみたいな幾原☆邦彦くらいで笑うかパートナーの苗字になりますとかで祝いたいけどな ヒント
国際トランスジェンダー認知の日(こくさいトランスジェンダーにんちのひ、英語: International Transgender Day of Visibility)は、毎年3月31日[1][2]に行われる、トランスジェンダーの人たちを祝い、世界中のトランスジェンダーの人たちが直面している差別の現状の認知度を上げる(英語版)ための記念日である。 そういう日なのかあ
はじめ「迷惑」とかあるし公開延期とかの告知かと思ったから、個人としてイクニが何を選択してもアニメがんばってこれからも健康にすごして、って思うくらいだけど、なんでだか落ち着かないな トランスだったとして、手がけてきた作品の感じからして腑に落ちるっちゃ落ちる うーんあんまり知りたくないような…
伏せたままでいいのにな ファンだった作品の監督が実は、というのはマトリックスで経験済みだから、あんまり抵抗ないわ ボンソワールってこんばんはって意味なのね。
こんばんは幾原さん。 イクニが使えなくなった今、なんて呼べばいいんだ?
ボンイク? エイプリルフールかと思わせてそうじゃない日に発表告知→その日はトランスジェンダーの日→単なる改名でした
なんだこの引っかけ イクニチャウダーとかとはまた違うの?
女性的な名前になるのかと思ったら全然違ってびっくりしたよ ボンソワール幾原にして失うものってなんだ?書類に書くときの書きやすさか? もうイクニやない…
ikuni.netのドメインやらイクニチャウダーやら
あまりに多くのものを失うんや… 何がしたかったのか?なんでそれなのか?に疑問が集中するな
本家本元(?)のボンジュール鈴木さん的には大丈夫なのか…? これも差別的な発言かもだけどむしろよく男であんな世界観かけるなとは思ってた
全体的に美しい、可愛いが多いし >>206
あの手の連中がいう差別がお気持ちクレームをどうにか正当化させたいだけだから真に受けなくていいよ
ピンドラ映画のクレジットもボンソワールになんのかな
橋ミナミとか改名した後もそれ以前の仕事は前の芸名だったけど 今BS11で最終話見てきたんですが林檎の移動の解説という画像が貼ってあったんだけどよく分からない点が…
その画像で兄弟に最終話で「ごほうび」として林檎が半分ずつ与えられてるんだけど
・「ごほうび」は誰がくれたの?(あの羊の話の女神様?)
どなたか教えて頂けないでしょうか
画像貼りたいけど余所帰省が怖い… >>208
探してみたけど「楽しいりんごの計算」って画像?
たぶん描いた人の解釈でしかなくて、ちゃんと観たなら理解できるはずの正解って類のものでは無いと思う
それでもあえて図を読み解くと「愛のために自ら死を選択した者へのご褒美」が誰から与えられるか?は特に描かれていない、って自分は思う >>209
もしくは実際には付き合ってないにも関わらず
二人には何らかの関連があると周りの人間に思わせるため
という可能性もある
ボンジュール鈴木のほうはツイッターでなんにも反応してないからな 一部ガチギレしてるファンおるが
真意ちゃんと説明しないと新作に関わるぞ……大丈夫か? ボンジュールとボンソワールで繋がりがないとは言えないけど...前編主題歌が出てないのと関係あったりするのかな あまりにも地位がありすぎてこういうジョークも気軽に飛ばせないんだなぁ 日が日なだけにかなり落胆してる人いるな
なんつーか自己犠牲的な…名を捨てて実を取る…なのかね?
意図してなのか分からんけどそういうところも含めてイクニはイクニなんだろうな、昔もよくシスヘテロなことTwitterでも書いてたし
よくわかんないけど、ひとまず偉い人にしこたま怒られててほしい >>210
ラスト付近で林檎が無数に描かれてた内の一つが与えられたのかなとか考えてました
ありがとうございます これ明日(4/1)になって「改名と言ったなあれは嘘だ」ってツイートするやつ? 何か再放送を見て急に、これはエヴァの後追い作品だ!と喚くいつのバカだって感じの痛いのや
監督改名で訳の分からん癇癪を起こすのがいたり界隈の外から来た層が悪目立ちしてるなw
完全にエヴァに影響を与える側がイクニだったのは有名な話だけど知らないらしいし
まあ多数は作品に新しく触れて楽しんでてる反応だし新規ファン増えて良かった
改名も何かノリが根明な感じに取ってる人が多い感じで全て結局プラスだな
何であの名前になったのか理由は知りたいけどw 書いてて思ったがイクニのニの部分は無いから略称はどうしたらよいものやら
ボンソワールイクハラを短くする案があるなら発表してもらってもよろしくってよ
いや普通にあだ名だから今後もファン同士ならイクニで通じるんだろうけどね ワンダーエッグとかサニーボーイとか
難解心象アニメを見ると、ピングドラムを思い出すわ
元をたどれば、押井守がうる星やつらでやったオリジナルストーリー回とかが元祖なのかな? >>219
ワンダーエッグはピンドラ参考にしてそうな気がするな
ひまりってキャラが出てくるし 普通にボンジュール鈴木(と帝子)と仕事で組むだけだったな そう言われるとワンダーエッグ原案野島伸司の
ひとつ屋根の下ってピンドラとほんのり似てる気もする >>224
「そこに愛はあるのかい?」だっけ
改名ツイート、一部に怒られることもそれを冷笑するのも現れてしばらくあれこれ言われることもわかっててやったのかな
渡瀬眞悧やジャッジメンズ、概念ことカワウソを各作品に作ってきたひとだし
内実は「闘う女の子」がテーマのプロデュースで使用曲が多岐にわたるとか見てると、説明はしないで行くのかね
なーんも分からんからはやく劇場版ピンドラが見たい そういえば映画前半の主題歌発表されてないけどボンボン帝子なのかな >>226
予告で思い切りやくしまるえつこかかってるやん
例の改名ツイート、単純に受け取ってる人もいれば、やはりタイミングがタイミングなだけに割と近年のイクニ発言でもっとも荒れてるんだが、
本人は特にこういうこと説明や釈明はせずにいくタイプっぽいからハラハラするわ よく観たら予告に「後編主題歌」って書いてあったわ・・・すまん
前編はテレビ主題歌を使い回すとか? 音楽メインでこの先進まれるのかしらとか色んな事が頭を過ぎったけれども
一周回って「何か面白いものを作りそうだから、まぁいっか」に落ち着いたw アニメ最終回よく解らんのだけど
なんで子どもに戻ってたの?
陽毬は忘れてたっぽいし
だれか詳しく説明してほしい >>233
実は兄弟による「陽毬のベッド作成や高倉家リフォームをしていた回想時」に
高倉兄妹3人は運命の乗り換えをしていて3人家族になっていた。
しかし最終回で苹果による運命の乗り換えの呪文を聞いた兄弟は
陽毬の世界でたった二人の家族としての自分らの役割が必要無くなったと悟り
妹の陽毬を別の列車に移しその家族の契約を返上した。
15話の桃果の台詞通り「運命の乗り換えを行うと世界の風景が変わる。だけど"皆"は変わった事には気づかない。」
兄弟二人の自己犠牲に伴う運命の乗り換えから外れた陽毬も
その"皆"に入っていた為に忘れている。
ようするに「(1話から始まったように見える)兄妹3人による高倉家の生活」は陽毬がベッドで見ていた夢で
その睡眠から目覚めた為に夢を陽毬は忘れてしまった。
その夢が始まったのは「兄弟の高倉家のリフォーム時」で
あの時点で兄弟は世界から消えていたので
兄弟は子供に戻ったというより「桃果や眞悧と同じく年を取らない存在になっていた」
説明が長くて間違ってるかもしれんが
私はこんな解釈 追加で何故「兄弟の高倉家のリフォーム時」なのか?と言うと
5話の通り池辺の伯父が引き取れる子供は一人だけだから
陽毬の命を未来に生かせるチャンスはその時点しかなかった、って感じかな。
正史では兄弟も消えて高倉家で一人ぼっちで泣いていた陽毬を
偶然訪ねて来た池辺の伯父が見つけ彼女を養子にし
池辺家族ごと元高倉家に引っ越してきたのだろう。
権利関係はよくわからんが ついでだが
13話でTSM開業10周年とあるが
あの地下鉄は陽毬のベッドのメタファー。
つまり「陽毬のベッドや高倉兄妹3人家族の生活」を作って10周年という事。
だから1話の生存戦略バンクの始まりが家族の居間だし
最終話で後光を浴びて去っていく陽毬のベッドが
アニメ映画の「銀河鉄道の夜」でジョバンニの前に列車が到着するシーンの
オマージュかつ対比っぽい仕上がりになっているのだろう。 簡単に言えば
「高倉兄弟のリフォーム時」に陽毬の運命が2分岐するようになっていて
片方では兄弟と陽毬が「家族として一緒に生きたい」という夢(願望)を叶えていたが
それだと陽毬の命は未来につなげられず妹は死ぬ運命。
だから兄弟はもう片方の分岐である「自分らの想いを手紙に託し陽毬の命を未来につなげたい」というもう一つの夢を叶える方を選んで
陽毬は現実に戻った、って感じかな。
要するにピンドラは陽毬の夢オチと並行世界オチを兼ねている話だから
陽毬は「兄弟とリフォーム後も家族だった」という別の世界の出来事を忘れてるし
兄弟はリフォーム時の子供のままあの世界の神or幽霊的存在になり歳を取らなくなった。 >>236
この部分は違うか。
年表を見ると
「高倉兄弟が箱の中で林檎を分け合った回送」がTSM開業時期と重なっているのだろう。
つまりあれが高倉兄妹の列車の開業で
13話が丁度その10周年目だったのだろうな、失礼。 「運命の乗り換えを行うと世界の風景が変わる。だけど"皆"は変わった事には気づかない。」
自分の考えを纏めてて初めて気づいたが
列車の乗客は乗換えをしたら世界の風景が変わるだろうが
その列車に乗ってない皆はそりゃ世界が変わった事には気づかないわな。
家族(人とのつながり)という名の列車の乗客の話、か。 「愛は分け合うと減るんじゃなくて増える」みたいな言葉を
ネットで見かけたんだけど、ピングドラムのことを思い出したわ いまいち陽毬の生死システムがわからない
兄弟の何かを犠牲にしてそれで生きられるって何
病気だったでしょ陽毬…医学じゃなく他人が何かすれば余命が変わるの? 最後らへん陽毬は冠葉に着いていったけどあの時点で陽毬はどういう心境なの?
晶馬に対する恋心を思い出したがそれはそれとして冠葉に対する罪悪感・責任感から冠葉を止めたいってこと??? 「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」
ネタバレは出来ないけどこの台詞を本当に頭に入れて観に来て欲しい。
ってキャストの皆さんとイクニ監督がワクワクしながら言ってた 東急版画質レート低すぎw
でも字幕ありはありがたい クラファン参加してたら見れるやつだったのか
てっきり試写会買えた人だけのかと思ってた
ひとり静かに見てくる…
>>245
そんな感じに捉えてる
改めて見るとプリクリになったとき毎回ボッシュートするのは晶馬なんだよね…
一度だけ苹果選んで這い上がりダッシュからの帽子遠投されてたけど みんなが想像してるようなアニメ映画ではない
初めて観る人に楽しんでもらうのはもちろんクラファンに参加してくれたファンの方々が驚くような映画
総集編と思って観るととにかくびっくりする
え?これどうなるんだ?って構成
とにかくネタバレしたくてたまらない
想像の何倍も面白い
めちゃくちゃハードル上げてたな〜
さすがに楽しみすぎる 映画スレがあるならせめてこちらにはバレ書かないようにしよう
再放送見た人と棲み分けできるだろうし >>241
時系列を整えて「陽毬の病気の始まりはどこか?」と探してみれば見えてくる事だが
陽毬は「ダブルHのデビューを知った後」に病気にかかってる。
つまり9話の眞悧が言ってた「あんなこと」とは病気で病名は「心の病」。
カルテがあるようだが>>234>>237でも書いた通り「この世界は夢」なので
夢の内容に正しさを求めてはいけないw
ボンソワール幾原作品は時にこんな感じにフェイクをしかけてくるのも特徴。
陽毬の心の病の原因は主に
彼女の内的要因と外的要因に分かれていて
内的要因の方は陽毬が自分という箱の中から手を伸ばして「大切な人と運命の果実を分け合いたい」という欲望を諦めてしまったから。
陽毬は本当は箱の中で「高倉兄弟以外とも果実を分け合いたい」という欲望があり求めていたのだが
陽毬は両親の指名手配からダブルHとの友達関係が自然消滅する過程を経て自ら手を伸ばそうとしなくなってしまった為に
彼女の欲望は箱の中で餓死寸前、だから陽毬は病気になってしまったのだろう。
描写は無いがそんな想像は出来る。
そして陽毬は3話で苹果という美少女に出会い一目惚れをしたけど
ダブルHとの一件がトラウマになっていて苹果に本当の自分を見せられないし林檎も分け合えない。
で、その内的要因は今まで兄達に林檎を貰ってばかりいた子供の状態から成長し
最終話で林檎をカンバに返す為に自ら手を伸ばせるようになれたから解決。
きっと夢から覚めた現実では苹果と運命の果実を分け合えるような関係になれたのだろう。
また陽毬の外的要因は「果実を分け合うと呪いの業火に焼かれて大切な人が酷い目に遭うから。」
夫妻がテロを起こした高倉家の呪いは特に強いのだろう。
こっちの方も最終話で高倉兄弟が陽毬と縁を切り
乗り換え後パートの陽毬が高倉家から池部家の養子になる事で解決。
きっと呪いの強さは乗り換え前より大分弱まっているはず。 イクニがどう釈明しても燃やすやつは燃やそうとするでしょ
引用RTにそういう人がちらほらいるし気にしすぎない方がいい気がする 謝罪してくれてほっとした
イクニは作品の内容的にファンもああいうことには敏感だし
なあなあにしたまま劇場公開されると作品にも集中できなかった >>264
自分もホッとした
怒る方も必死な思いがあるしね
自分は何かしらの決意の文言が似てしまうのは仕方なくないかなと思ってた
なんであれ、こういう時でも言葉にして謝れるのはイクニだなと思うよ
完成挨拶で監督とPの顔色が悪いような気がしてたけどやっぱり考えてたんだな
挨拶は和やかに終わって安心したし、今は観に行くのが楽しみだよ なんにせよ私はアニメ特撮ソングがスキなイクニさんもスキだよ。
イクニさんのスキは同性愛だけではないのだし。
スキなものは増やしただけ人の心も人生も社会も豊かになる
違う価値観に触れて対立する事もあるけどその違いを許し認め合い共存する事も出来る。
やっぱりイクニ作品は素敵だ。 >>257
おお…こんな詳しくありがとう…
ちょっと確認して観ます 音楽ユニットのみの名義ってことなのね。
キレる人の意味がわからないが、ちょっとわかりにくかったよね 最近は冗談が通じない世の中になってきてるからねぇ
エイプリルフールをよくやってた企業も叩かれたりするし >>248
晶馬とペンギン2号はどちらも、誰かの汚い部分を見たくない/ゴキブリを嫌い
だから、ボッシュートという形でそれらから逃げる/殺虫剤で殺す
初回放送の時にこんな風に考察された方の言葉(うろ覚え)を思い出したよ
苹果のは、桃果と姉妹喧嘩した説が個人的に好き >>248
サンキュー
陽毬が達観してるように見えて晶馬への恋愛感情がわかりにくかったんだけどやっぱあるんやね
冠葉は報われんなあ 恋愛感情について
苹果ちゃんがどんどん晶馬へ惹かれてくのもわかるし、晶馬が苹果ちゃんを好きになるのもわかる
冠葉は最初から陽毬のこと好きなのもわかる
陽毬は晶馬のこと好きなのに忘れてたり、思い出しても恋する乙女!てな感じにならんからわかりにくい
そのへんがリアルで好きではあるんだけど 晶馬を好きになった後すぐ家族になったからその辺り曖昧になった(忘れた)んだろうし
晶馬と苹果が好き合ってる風なところに本格的に陽毬参戦してきたら気まずいから恋する乙女状態にならんでよかったよ >>271
ああ〜そっか、それはそうだな
苹果宅に侵入したときも晶馬は部屋に入れなくて冠葉に「いい子ちゃん」みたいに言われてたな
何となくペンギンはプリクリの配下みたいな気がしててボッシュートは陽毬の意志みたいに捉えてたわ
…ペンギンって何なんだろうな、映画でそれが分かるといいなあ >>267
無理やりなとこもあるけど
本編と辻褄合わせる事に特化した解釈なので
参考になれば嬉しいですね。 やっぱりこの解釈どおりだと
プリクリの正体は「陽毬という箱の中でダブルHと運命の果実を分ける予定だったけどお預けになったまま封印された彼女の欲望」
って解釈になるんだよなぁ、前スレでも言ったけど。
宿主の陽毬にお預けにされて箱に閉じ込められたから不機嫌になってるし電池切れ寸前だし
ダブルHへの未練たらたら衣装だし
彼女らのアルバムの言葉に即反応する。
きっとプリクリも最終話にリンゴ食べれて満足したのだろうなぁ。。。
で、プリクリの性格の起源は実母から受け継がれた彼女のDNAにあるのだろう。
きっと陽毬の実母か実父はヤンキーだった可能性が高いのだろうなw、晶馬の見立て通りなら。 イクニがニュータイプでロングインタビューするらしい ナタリーストアでペンギン張り子が再販されていたので買ってしまった 陽毬はプリクリという欲望を自分という箱に閉じ込めたので病気になったけど
マリオが病気になった理由は「真砂子が自分という箱にマリオの欲望(プリクリ)を閉じ込めたせい」じゃないかなぁ。、
「マリオを守らなければ」という使命感で過保護になっている姉こそが弟の毒になっているのかもな。
最終話の夢から覚めた現実の真砂子は過保護が解けたから
弟も病気が治った、或いは元々病気にはなってなかったのかねぇ。
「姉と跡継ぎ争いしたい」という祖父から受け継がれた遺伝子や欲望まであるかは分からんが
マリオにも姉から自立したいみたいな想いがあったのかねぇ。 つまりマリオのプリクリは「姉から自立したい」という欲望を叶える為に
姉にピングドラム「冠葉の愛」を取って来いと命じてたりしたのかもなぁ。
陽毬の生存戦略バンクは「陽毬の星」からロケットが発射する所から始まるが
マリオの生存戦略バンクは「真砂子の星」からロケットが発射してたりしてw >>275
ペンギンってなんだろねぇ、インタビューには該当するものが幾つかあるようだけど。
マリオだけ居ないって事は「心の成長を促されてる者」を対象に送られてくるものかもなぁ。。。 マリオさんはCDドラマで生存戦略するかと期待してたけどそうでもなかった 陽毬のプリクリの正体に自力でやっと辿り着けた興奮と
マリオの本編での成長シーンの無さから
ユリ熊嵐っぽく「マリオを箱に束縛してるのは真砂子」と思わず言ってしまったが
そっちの解釈はピンドラの世界観や眞悧の法則を考えると間違ってる気がするんだよなぁ。
再考
最終話の通り今まで見ていた世界が「真砂子の夢」だとすると
「病気のマリオは眞悧が用意した偽者」って可能性もあって私はそっちを疑っていた。
冠葉と真砂子に罪の意識を自覚させテロに参加させる為に眞悧が用意した別人。
16話で犬神家一族のパロディをやったが
犬神家劇中の「犬神家一族の佐清を騙った青沼静馬」と同じく「病気のマリオも偽者」と考えられる。
しかし「病気のマリオの正体とは誰か?」と考えると「犬神家の静馬」みたく
マリオの替え玉に相当するピンドラキャラを私は思いつかないんだよなぁ。
かつ眞悧の能力への理解不足。
つまり眞悧は21話の冠葉に「高倉両親は生きている」と錯覚させたように
冠葉と真砂子に「マリオは病気になっている」と錯覚させている、みたいな可能性が最も高いんだよなぁ。
犬神家と違ってマリオの替え玉がピンドラの世界には居ないのだから。
・・・イクニ作品はこれがあるから油断出来ないわ、落とし穴だらけじゃん。 あるいは夢の世界には「現実のマリオ」は呼ばれなかった、とかかな。
桃果と眞悧は特定の人物だけ呼ぶ、みたいな事も出来るのかもしれない。
夢の世界に呼ばれた現実の人間は「冠葉、晶馬、陽毬、苹果、多蕗、ゆり、真砂子」の7人だけで
病気のマリオは元々夢の世界の住人だった、とか? ドラマCD久々に聴いた
昔聴いた時は本編に関係無いのが多いという印象だったが
今聴くと魔球デスティニーも結構面白いな
苹果の最期をあしたのジョーみたいなオチにする予定で作られてるのは本編と同じだったのか
だから苹果は夕陽をバックにしてたのか。
眞悧とダブルHのラジオも後のユリ熊の塩辛ナポリタンにつながる内容でワロタ
腐女子だし後に鬼ビッチにアルバム渡す事になるしダブルHキャラ濃すぎるわ
このキャラならそりゃ鯉の生き血も飲ませる発想も出てくるわな、と改めて思った
>>284
通販のやつね
通販番組の電話先が高倉家なんて狐に化かされてる気になってくる。
眞悧が真砂子を罠に填めてる笑ってるのでは?と疑ってしまうな。 そういや、おとめ妖怪ざくろを見終わっての疑問。
ピンドラより放送は前だが
ざくろの母が幽霊のように描写されてた所が高倉夫妻を思い出したな。
アニメオリジナル展開らしいが星野リリィさんもOK出してたって事かねぇ。
監督の今千秋氏はイクニさんとのだめアニメで仕事を共にしたから
アニメの内容にも縁を感じたなぁ。
苹果の運命日記はイクニさんがのだめアニメで絵コンテを担当した
松田幸久の未来日記の影響を受けて生まれたように感じられるし。 マリオの問題について考えていたが
最終話の乗り換え後パートで夢から目覚めた真砂子に対しマリオはずっと起きていたようなので
「マリオは夢の世界には行ってない」という解釈がより正しいのかな。
つまり「最終話のマリオは真砂子に夢の話を聞かされても陽毬と違って思い出しはしない」
みたいな推測が出来る。 運命の乗り換えとか箱の中とか意味分からねぇと思って
ユリ熊嵐を思い出していたら
最愛の紅羽と純花のカップリングを思い出し「これかっ」と得心してその後微笑んだ。
多分正解に近づいたのだろう。
本質まではいかずともようやくイクニさんの姿を望遠で捉える辺りまで来たのだろうか。
しかし意地悪な表現を思いつくもんだなぁw 晶馬が紅羽だとするなら
陽毬は百合の花壇みたいなものか。
そして冠葉は純花。
で、嵐が来たと。 声優さん的に陽毬は銀子でも成立するのが運命を感じる。
純花は本当に良い子だった。
ピンドラも本当なら晶馬と陽毬がカップリングになる予定だったのかなぁ?
最後に両親を超えるテロを起こした冠葉と縁を切って。
やっぱり泣いた赤鬼とかコードギアスを思い出す。
夏芽父って美しい棺で冠葉を突き放したというのが世間一般の見解だが
私には夏芽父は冠葉が後腐れなく高倉家の子供になれるように悪役を演じたように見えるんだよなぁ。
その不器用な夏芽父の遺伝子は確かに冠葉に受け継がれている、とも私は思う。 まぁ泣いた赤鬼は高倉兄弟とは色と役割が逆転してるけどw >>294
本編に関係無い外伝っぽいのがスキなら聴いてみるのも一興だが
>>295
見た人自身のアニメ遍歴や感性で色んな解釈が出来るよね。
シンエヴァかぁ、特撮セットのシーンでお腹一杯になったから通しで見たのは一回だけだったなw
特撮セットのシーン自体はスキなのだが 試写会かぁ
このスレとも公開日まではお別れだわ
みなさんまた会う日までバイナラ 試写会に行かずんばファンにあらずな空気つらいけどそれはそうだなときちんと後悔した
冠ちゃん、これが“迷ったら終わり”だよ… 地方民で泣く泣く試写会クラファン諦めた人もいるんだからそういう言い方やめてー あ、やっとピンドラのオチが>>237で書いたような並行世界飛ばされエンドっぽかったのかという
理解に苦しまされた疑問に対する一つの仮説が突然思い浮かんだ。
また見直さないといかんな。
ユリ熊嵐の謎を数年かけて解き明かした時も感じたが
まるでウミガメのスープとか推理ゲームのようだわ、イクニさんの作品は。 BS東急松竹見てたら群馬サファリパークとのコラボ企画って宣伝流れてるんだがサンシャイン水族館とのコラボ企画って無かったのかな?
帽子売ってたら逃げるけど。 陽毬の実母実父辺りはヤンキーだったという可能性があって良いだろうが
それだとあの姫様口調や「ピングドラムを持って来い」みたいな高飛車で傍若無人な性格が説明出来ない。
この手の姫キャラで有名なのはかぐや姫だが
陽毬のご先祖様にも一人、竹取物語のかぐや姫みたいな傑物が居たのではないだろうか?
求婚してくる男どもに難題をふっかけ足蹴にしながら
世間の注目を集め最上玉の天皇をゲッツみたいな。
しかしその姫の遺伝子も時代の流れとともに没落し
とうとう一代前はヤンキーにまで落ちぶれてしまったが、
それでも自身の遺伝子を継ぐ子孫を陽毬までつなげていたのだろう。
夏芽家の祖父の左兵衛よりもっと長い歴史が
陽毬の遺伝子やプリクリには込められていたのかもな。
プリクリの脱衣バンクの一部にかぐや姫と同じく
月の姫属性を持つセーラームーンの変身バンクオマージュが入っていた理由も
多分そこら辺にありそうな気がする。
次作ユリ熊嵐のるる姫様も割りとかぐや姫系列だな、そういや。 >>305
覚えてないなぁ
水族館はペンギン槽が改築された事しか知らない
帽子買ったら自分の遺伝子のルーツが分かるかもよw 12話まで見た
プリクリが陽毬の欲望なら
「クリスタルワールドは高倉家という箱の中の描写だろうってのは想像出来るのだが
この回でクリスタルワールド内の冠葉が自ら服を破いたのに対し
現実の病院内の冠葉は服は破れてない。
ここでしっかりと「クリスタルワールドは非現実」ってのを描写していたんだなぁ。
見直していて初めて気づいたわw
というか冠葉自身が「破ったはずなのに何で服が破れてないんだ?」って疑問に思ってくれよw
考えるのは視聴者にすべて委ね、作品の異常さに視聴者が感覚を麻痺してる盲点を突いた手法を使っていたんだな。 見終わった
もう分かったつもりで見てたけど22話の陽毬死亡と23話の真砂子死亡復活でまた混乱したw
陽毬の方は分かるようにはなったが。
今までよりも真面目に林檎やそれ輪す様というものを考えてるけど
この作品は一体どこまで俯瞰して見る事が出来るんだろうなぁ?
どこまでイクニさんは考えて作っていたのだろう?
どこまで信じて良いのだろう?
池辺夫妻の件から推測すると普通の両親が育てられる子供は一人、つまり林檎は一個。
なので大人が用意出来る林檎は一人辺り約1.5個。
彼らと家計はそう変わり無さそうな高倉夫妻も同じく林檎一個で晶馬を育てていたのだろうが
冠葉と陽毬を引き取る事で林檎二個分さらに必要になった。
だから冠葉と同じく飢餓の会に更にのめり込んで
そのせいで時に家庭に災いが降りかかってきたり
最後には足がついて指名手配されてしまった、とは想像が出来る。
きっと13話の玄関の3個の林檎は自分が食べる分を手放してまで子供達に遺した
高倉夫妻最期の自己犠牲を伴う愛だったのかな。
高倉夫妻の林檎の件はそこで終わりなのでこんな感じでも辻褄はあっているのかな。
問題は兄妹の方の林檎だがこれは本当に難しいw
関係性が大スキなファンの方がのめり込むように理解していくのだろうが
私は百合専だから一歩引いて見ちゃうんだよな。 >>309
構成の伊神さんが推理作家だから得意ジャンルなのかもなぁ。 公開前特番やるってさ。
4月20日午後9時
特番「RE:union of the PENGUINDRUM」
イクニさんも出る、これは見逃せないな!
後4日か、それまでにどこまで理解できるのだろうか。。。 公式ガイドブックだけじゃ物足りなくて
オトナアニメvol22,23を買って読んだ
アニメライターさんの解説は信頼感があって良いなぁ
11話の真砂子はここだけ彼女のキャラが独立して繋がってないように思ってしまったから
絵コンテレベルでの解説はありがたいわ。
なんでプリクリはアールヌーヴォーなんだろうなぁ?
美術には疎いからミュシャくらいしか知らなかったが
ルネ・ラリックも同系列なのか。
フランスとかヨーロッパ発祥で
鉄やガラス・・・こどもブロイラー?
そしてメトロ様式。
東京駅丸の内駅舎もアールヌーヴォーなのか。
クリムトの接吻もヌーヴォーだし。
陽毬の部屋の茸スタンドもヌーヴォーに似たのがある。
こうして見ると色々とつながりがあったんだな。 やっと解釈が固まってきた
最終話の10年前の冠葉の箱の中にだけあった林檎は
22話の陽毬が命を引き換えにして神に「私がカンちゃんから貰った全てを、命を返しますから!」と願ったものが
叶えられたから「陽毬の命が林檎に変わった」のではないかなぁ?
それが時空を越えて10年前の冠葉の箱に届いた。
だから晶馬の箱の方には林檎は無かったし、10年前なので二人とも大切な人は居ない。
ファンタジーっぽいが陽毬が冠葉の想いを受け入れらず後ろ向きな自殺をする限り
この夢の世界もループする仕組みになっていたのでは?
しかし陽毬は最後に前向きに冠葉に林檎を返せるように成長したので
夢の世界もループから脱出出来た、って感じか。 最終話は考察に重要な要素をさらっと描写してるのが恐ろしいな。
高倉兄弟がピングループの箱に入れられてるシーンなんて
適当に見てる人は気づきもしないって、これ。
現に私も初めて気づいたw
ピングループとピングフォースや企鵝の会との関係性は
アニメではロゴマークでしか描写してないし
ガイドブックとかまとめwikiとか読まないと
「親に監禁された」とか明後日の方向に解釈してしまいそうだなぁ。
兄弟二人の箱は「自分という箱」であり
彼らを閉じ込めてるのは大企業ピングループも関わる社会の空気だったり
20話で猫をゴミ送りにした社会のルールでもあるのだろう。
>>257で想像したような陽毬が入った箱も似たようなものだろうな。
しかしピングループは悪い大企業ってだけじゃないんだよな
カレー粉や病院など高倉兄弟の生活を支えてもいるのだから。
だから結局、生きる為に林檎を求め
どんなに風当たりが厳しくとも外の社会へと手を伸ばす努力は
箱に入ってる当人がしなければならない、って事を一つこのピングドラムという作品は言いたいのだろうと私は思う。 つまり21話の高倉母の台詞「大丈夫、晶馬と冠葉くんは私たちが知らない間に仲良しになっていたんだもの」はループ二周目以降
言い換えると「陽毬が夢で過去を回送して見ている」という伏線だったって事かもなぁ。 つまり陽毬の夢の世界では
彼らが兄弟になるのは絶対に譲れない
なる前から決まっている運命だったって事なのかもなぁ。。。 そういや有名なピンドラの新聞記事を書いていた藤津亮太さんも
「苹果がなぜ運命の乗り換えの呪文がアレだと分かったのか?」と公式ガイドブックに書いていたなぁ。
「その答えは8話にある」と私は解釈している。
苹果は8話で荻窪線の終点・池袋駅(運命の至る場所)にある水族館で
父・荻野目聡が葵の母に結婚指輪を送るシーンを目撃、つまり父が「運命の乗り換え」をする瞬間を目撃したのだ。
そのシーンの父の台詞が「苹果には"運命の果実を一緒に食べよう"」と聞こえていたのだろう。
ピンドラの世界はそんなトリックも働いていて
だから苹果は「ダブルHのCDのタイトルから陽毬の一番大切な言葉も父の時と同じだ」と気づけた、と私は解釈している。
つまりピンドラ作中の夢の世界では「運命の乗り換えの呪文は『運命の果実を一緒に食べよう』で共通している」
と私は推測する。
ちなみに23話のアバンで桃果も早口で「運命の果実を一緒に食べよう」と言っている。
もしかすると桃果ちゃんには「どれが乗り換えの呪文か知らななかった」ので
運命日記を一生懸命暗記し早口で言えるように訓練していてvs眞悧で披露したのかもなぁw
それか知った上で「自分の運命日記を読み上げたい」という妙な性癖を持っていたのかもしれんw いや、10才の少女なら人前で自分の日記を披露するのはそんな恥ずかしくないのかなぁ?
私は桃果ではないので分からんw 運命の呪文なんて「愛してる」に代わるものなら何でも良かったんじゃないのか >>320
ピンドラ劇中の「東京スカイメトロ開業10周年」って
「冠葉と晶馬の二人が10年前に箱の中で林檎を分け合って家族になった始まりの日」だから
高倉兄妹にとって大切な言葉が影響されて呪文が統一されているのだろうね。
東京スカイメトロは一種の家族カップリングシステムって事か。
で、その始まりの林檎は22話の陽毬の自己犠牲によるご褒美だったとは。。。 ピンドラに感動する多くのファンがどこら辺に感動しているのか
ピンドラの謎に振り回され、理解出来てなかった私には今まで共感しにくかったなぁ。。。
しかし最終話の箱の中で出所も分からない林檎を見つけた冠葉とか
林檎の送り主(10年後の陽毬)の願い通り冠葉自身が生きる為に全部自分で食べてしまえば良いのに
晶馬に分け与え、まだ出会った事すらない大切な人(陽毬)の為に何度でも家族を作ろうとする所は
理解すると確かにエモいシーンかもなぁ。
繰り返す事も許される夢の世界だからこそ出来る林檎ループが
ピンドラという作品のクライマックスを彩るギミックだったと初めて理解出来た。 ・・・だが「冠葉の箱に入っていた林檎は真砂子(とマリオ)が送ったもの」みたいな解釈がネット上のピンドラファンの主流な解釈で
私みたいな「22話の陽毬が自己犠牲によって冠葉に返した命が林檎となって10年前の彼の箱の中に届いた」って解釈も
ピンドラ放送から10年間一度も見た事すら無かったんだよなぁw
私と他のピンドラファンの皆さんは本当に同じアニメを見て同じ感動をしていたのだろうか?
私は他ファンの解釈に影響されたくない捻くれイクニファンだから
もしかしたら私の知らない所で私と同じ解釈に至ったピンドラファンもどこかに居たのかもしれんが。。。
いわゆる「りんごの計算」みたいな絵の影響から
ネットでは「林檎が兄妹間でどのように輪っているのか?」を
ピンドラファンが10年間繰り返し語っているのを眺めていたが
皆で本当に考えるべき事は「冠葉の箱の中に入ってた林檎の出所元」だったって訳ね。
しかし「10年後から届けられたもの」なんて普通気づく訳無いか。
でも夢の世界だと分かれば10年後なんて縛りは無いようなものと分かるのだが。
・・・にしても22話の陽毬の自己犠牲のシーンは
番宣ttps://www.youtube.com/watch?v=zR66TT2fSDs
で台詞として登場するくらい重要な箇所なので
勘の鋭いイクニファンなら「番宣通りの奇跡が起こる」と気づいてもおかしくなかったと感じるのだけどなぁ。。。 陽毬は23,24話でも出てくるので死んでないからその解釈では辻褄が合わない、だから間違ってる
みたいな突っ込みもあるかもしれんが
後の作品通りイクニ作品では命=欲望で
22話で陽毬の欲望は彼女の自己犠牲によって属性を変え
「陽毬の欲望」が「陽毬の愛」になったたので
死んだ後の23-24話でも陽毬は高倉家の愛のメタファーとして登場してくるようになったし
24話の陽毬プリクリの瞳の色も「陽毬の欲望のメタファーであるプリクリと同じ赤色では無くなった」、と解釈している。
22話までのプリクリをプリクリ(欲望)とするなら
23,24話のプリクリはプリクリ(愛)
無論、愛の方が欲望より精神的に大人。
大人だから母性で冠葉を包み込めるし
冠葉の想いを前向きに受け取った上で林檎を返せるようになった、って感じか。 最終話最後の苹果陽毬は百合だ百合だ!って言われてたけど
「高倉晶馬恋愛被害者の会」と言えなくもない
…のか? 荒川さん地声がひまりで綺麗だった
Wiki見たら声のお仕事ほとんどないっぽそうだけどやっていけてるのかな。声優大変だなぁ 正直、良平くんの髪以外は10年前とほとんど変わらなくなかった?
できれば小泉さんの「こっそりピングドラム」も復活特別編がみたい 星野リリィさんの描くイラストカード構図が意味深すぎへんか
晶馬と陽毬は手を繋いでるのに冠葉の両手は誰にも繋がれてない
もう既に辛い イラストカードいいね
この作品の複雑な三角関係が好きだ 荒川さん控えめな人っぽいからあまり声優業界向きっぽくない感じがする
声はすごく好きなんだけどなあ 声質は好きだけどやっぱりちょっと棒読み気味なのはユリ熊終わった時点でも思ったんだよな荒川さん >>336
土曜日の東京FMで、ついにカーナビ役になっちゃったしなぁ
声はハマり役だととても良いんだけど >>325
「高倉晶馬恋愛被害者の会」か、確かにw
20話の陽毬の視点で見るとアダムとイブの話から恋愛の林檎だと解釈して
晶馬から林檎を受け取ったのだろうしね。
でもそれが実は兄妹の方の契約で受け取った時点でそれ以前の記憶は忘れちゃうしw
そりゃ記憶取り戻したら恨みつらみとか出たり別れ際にキスしたくなっちゃうのかもなぁw
晶馬の特徴って「困った人を見たら誰でも助けたくなっちゃう」のだろうな、ある意味で王子。
その癖が苹果の時も発動したんだろうな。
もしも陽毬に記憶が残っていたら嫉妬してたのだろうかw
小説版では乗換え後の世界で高倉兄弟と対になるダブルHの好みは苹果陽毬で分かれていて
苹果は光莉(晶馬)が好みで沼にはまったばかりって感じだが
陽毬はヒバリ(冠葉)と解放されたみたいだね。
百合か、ピンドラは後のユリ熊嵐のお兄さん分だが
個人的には作中ノンケ展開ばかりしていた苹果陽毬に百合の匂いは感じなかったんだよなw
小説版とか3話とか頭からカレーかぶった苹果に一目惚れするなんて
陽毬にはどんな嗜好があるのかとちょっと笑っちゃうが
この時点ですでに乗換え後の世界の影響が運命となって表面に現れていたのだろう、苹果と友達になりたいって。
そんな感じに陽毬を主役にしたストーリーとして一本筋を通して見るなら
百合というエッセンスを加えるととても分かり易いので
>>257で説明するために私もそれを利用させてもらった所もあるし
今後も考えてはいくのだろうなぁ。 でも20話の晶馬の林檎がなんであれ陽毬が受け取ろうとした行動の根源にあるのは
陽毬自身の遺伝子が命令した生存戦略なので
女の子の恋愛感情に鈍感な晶馬だけを責めるのもまた間違いなのだろう。
もしも晶馬が「恋人の林檎」と「兄妹の林檎」二種類を差し伸べていたら
陽毬はどっちを選んだのかは興味あるかもw そんな傲慢な事やったら流石の陽毬も晶馬を引っぱたくかもなぁw
恋に鈍感でも命が長らえただけ良かったと思うしかないね 荒川さん、陽毬の声はかわいいけど、低い声の演技の方が意外といいのかもと思ったり。 クラファンのうすい本まだ届かないんだけど
同じようにまだ届かない人います? ペンギン1号達の正体も何となく見えてきた
ピンドラ本編の3つの台詞と今まで行ってきた自身の解釈から推理する
・3話の苹果の台詞「大切な人と食べるカレーは幸せの味がする」
・24話の10年前の箱の中の冠葉の台詞「さっき夢を見たよ、大盛りのカレーを食ってたんだ」
・同話の10年前の箱の中の晶馬の台詞「大切な人に伝えて欲しい言葉か・・・、誰だろ?誰に何を伝えればいいんだろ?」
また、私的に今まで行ってきた解釈通りなら
・10年前の(自分という)箱の中の冠葉と晶馬の正体は「大切な人と林檎を分け合いたいという彼らの欲望」
・そして大切な人が居ない冠葉の箱に「10年後から大切な人(陽毬)の自己犠牲によって林檎が届いた」
つまり10年前の大切な人がまだ居ない箱の中の冠葉が「大盛りのカレーを食ってる夢」とは
「10年後に出来た大切な人(陽毬)達と共にしている食事」
つまり10年前の箱の中の欲望である彼らは「ペンギン1号と2号になってカレーを食っていたのでは?」と想像が出来る。
よってペンギン1号達の正体は「大切な人が居ない時代の箱の中の欲望」が「大切な人が出来た後の幸せな生活」を夢で疑似体験する為に
ペンギンの身体になって10年の時を越えて宅急便として届けられた、という事。
原理的には'19年のさらざんまいの「未来の漏洩」に近いのかな?
つまりピンドラ作中の夢の世界では
「ペンギンや林檎は時を越えて過去にも未来にも運命の列車で行き来が出来るのでは?」
とも推測が出来るようになった。 イクニさんはピンドラ劇場版の特番で
「10年経って(ちょっと傲慢な言い方をすると) 世間がピングドラムに近づいた」
「エッジが効いてる作品を作った」
と発言をしていたが
その10年間にエッジが全く無い尻子玉のように
消化し易い「さらざんまい」という作品を世間に出した結果
世間もピングドラムを理解出来るようになったんじゃないかなぁ?
と個人的には思ってるしそれを実証しているw 箱の中の自分とは?
箱の中の林檎の出所元
プリクリの正体
ペンギン1号達の正体
結局、楽しい所は一人で全部解いてしまったなぁ。
それもこれも前スレで書いた通り5ヶ月前に邦画・犬神家の一族を見て
「子は例え親を憎んでも似てしまう」という遺伝子の因果は
ピンドラも同じだと気づけたおかげかな。
遺伝子の話は銀河鉄道やカエルくんを読んだって分かる訳無いしね。
もっと手広く関連作を取り込まないとピンドラは理解出来ない作品だった。
新作の総集編劇場版でこれらの解釈が当たってるのか分かるのかなぁ?
楽しみだわ。 おっと、まだ桃果と眞悧があるか
流石に残り一週間で彼らの秘密に迫るのは無理だろうなぁw 劇場版が決定した日は
まるでサッカーのロスタイムが突然始まったような瞬間だったなぁ。。。
それまでは気が向いた時にピンドラの解釈を深めていけばいいと
ダラダラやっていたのだけどw >>342
ARBの事あまり知らないんだけど
何が来るんだろうねえ
>>343
やくしまるえつこさんの事あまり知らないにわかだけど
どの曲が有名なの? 当時は音大生とかの間で凄く流行ってたな >相対性理論
スマホ普及の過渡期で音楽業界も不況で可哀想だった >>354
サンクス、曲名だけ見てると何かの暗号でも見てる気分になってきますね やくしまるえつこのオープニング2曲は未だに聴くなぁ。 「箱の中」に関してまだ冠葉側の解釈が足りて無かったな。
冠葉には一応真砂子という大切な人が居る訳だし。
だから林檎を真砂子と分け合えば良い訳で
自己犠牲をした陽毬もきっとその展開を望んでたはずだし・・・
なんで冠葉の箱の前には晶馬の箱しか現れなかった?
なんで真砂子の箱は現れなかったんだろ?
真砂子の箱が現れなかった可能性として考えられるパターンの一つとして
時系列的に「箱の中」は真砂子とマリオを夏芽の家に帰した後だから、ってのがあるか。
そして冠葉が夏芽父に拒絶された後、晶馬と冠葉は箱の中で出会い
この時に冠葉の箱に林檎が届けられた。
となるとなぜ晶馬もついでのようにネグレクト気味になっているかだなぁ・・・
剣山の演説の途中で抜け出してるのがバレて父母に叱られでもしたのだろうか?
そして冠葉に林檎を分けてもらった晶馬は
陽毬にも分配した、って感じになるかなぁ。 冠葉は父に拒絶され
晶馬は父母に叱られて
自分という箱の中に自ら入ってしまったって感じか。
しかし陽毬の自己犠牲とはいえ間違ったタイミングの林檎到着だなw
真砂子達を夏芽家に送り返す前に林檎が届けば良かったってだけの話なのに
まぁ冠葉と晶馬が兄弟になるのは運命で決定事項だから、という事なのかなぁ?
夢の世界だろうと正史部分は変えられないのか。 >>356
「相対性理論」はやくしまるえつこがヴォーカルをやっているバンド名
代表曲は、、、「テレ東」かなあ?
そのバンド名とは別名義で出しているのが本作OPの2作など、他に良さ気なのは「わたしは人類」など
自分は本作から気になって色々聞き始めたよ まるえつさんは子ども達にも大人気
あたりまえつこのうた
子ども達も歌ってます
ブロイラーで なるほど
時系列を考えると
箱の中の林檎が「真砂子を企鵝の会から解放したご褒美」と解釈するピンドラファンの気持ちも
分かるようになってきた。
真砂子の林檎か陽毬の林檎か?
間を取って21話で妹の陽毬と真砂子が「冠葉を助ける」と同じ目的で協力したから
真砂子を解放した後の冠葉の箱に林檎が届けられた、って解釈もありかもなぁ。。。
というか陽毬の自己犠牲によって林檎が届けられたとすると
10年前の「箱の中」って夢の世界の追加エピソードみたいなものだから
現実の世界の時系列に加えようとすると破綻するような仕掛けでは?と考えるようになってきた。
10年前の「箱の中」は現在の出来事によって内容が変わっていくタイプの回想なのでは? 調べて初めて知ったけど
'18年のアニメ・ハイスコアガールのEDもやくしまる曲だったとは!
あのゲーセンアニメもスキだったなぁ。
基本アニメしか見ない人間なのでアニメ曲は馴染み易いですね。
スペースダンディや四畳半もだったとは。
>>360
わたしは人類、これもハイスコアガールEDとテンポが似ていて馴染み易いですね。
ピンドラOPが他より壮大に聴こえる理由はメトロオーケストラの方にあるのかなぁ。 ユリ熊嵐は独特の台詞回しが理解を阻む難物だったが
ピンドラは過去の時系列がどうなってるのか分からないのが難物かもしれんなぁ。。。 不思議の国のアリス形式なら
ペンギン1号達が見える世界が夢とするなら
ペンギンの見えない世界は現実、って感じ
でも1話のペンギンが届けられる前からすでに夢の中っぽいし
何なら3年前の高倉家をリフォームする辺りから現実と夢が分岐してるのだろうと
ずっと考えている。 で、分岐した「兄弟の居ない現実の世界」と「兄弟の居る夢の世界」の両方に住む陽毬は
どっちの世界でもそれなりに幸せに暮らしていたけれど
ある日、陽毬が「ダブルHのデビューを知った後」に2つの世界のつながりに決定的な破綻が生じ
「夢の世界」での陽毬は病気になってしまう。
それが陽毬を主役にしたピンドラの大まかな世界観だと考えてるんだよなぁ。 また、現実の世界の池辺陽毬も
ある日、池袋ホームで何かの事故に巻き込まれる運命になっていた。
それを桃果のように察知した現実の苹果が
池辺陽毬を救うために有楽町線?をショートカットに利用して
事故で死ぬ運命だった池辺陽毬を
現実の世界に繋ぎ止めた。
みたいな感じになるのかなぁ、無理やり妄想すると。 公式アンソロで星野リリィ先生が最終話のダブルH側のエピソードを描いてるけど
ダブルHも陽毬に貰ったマフラーを奪われたのか。
マフラーを奪われた彼女らの涙をどう解釈するか?だなぁ
個人的には「トリプルHの夢が完全に消滅した事への涙」だと思いたい。
陽毬との友情の記憶は残っている・・・はず。
高倉家のリフォームが運命の分岐点になっていないと
陽毬と池辺家とのつながりがアヤフヤになってしまうからなぁ。
だからそこまでの陽毬とダブルHのつながりの記憶も消えたりはしないとは思う、マフラーは消えても。 なんで運命の乗り換えで二人犠牲にならないといかんのか
今まで分からなかったが
おそらく池辺の伯父が用意出来る一人分の林檎をオーバーして
三人分の林檎を消費していたからかもなぁ。。。
だから二人消える運命なのか。
仮に晶馬が蠍の炎を引き受けなかったら苹果が消えていたのかなぁ?
ほとんど関係無い苹果が消えたら理不尽に感じるが。 劇場版は池辺の家族の登場シーンが増えるだろうなぁ、きっと 仮にダブルHが乗り換えの呪文を唱えて消えたら
世界はどう変わっていたのだろうなぁ? TV放送からダブルHが消えたりして
陽毬の病気が一旦治る、とかかなぁ? 高倉兄妹がわざわざ遠回りしてでも荻窪線で池袋駅まで行くのに拘った理由は
やっぱり(運命の)乗り換えをしたくなかったから、ってのがあるかもなぁ。
仮に途中で副都心線に乗り換えて池袋に向かっていたら高倉家はどうなっていたのだろう? 1話で思い出のサンシャニー水族館に行く為に乗り換えをしない「池袋行きのTSM荻窪線乗りたい」と提案したのは
小説版によると陽毬・・・ ゆりさんはともかく多蕗は列車を利用しないと生活が不便そうなのに
一度も列車に乗るシーンが無かった理由は
桃果の件でトラウマになってるからなのかそれとも他に理由があるからなのかなぁ? 5話でクリスタルワールドに「苹果の欲望」も取り込まれた時って
苹果にもペンギン2号達が見えていたのだろうか?
そして「クリスタルワールドが何なのか?」もようやく検討がついてきた。
冠葉を例に考える。
>>347の通りペンギン1号が(まだ夏目家だった頃の)過去の冠葉という箱に入っていた「大切な人が居なかった時代の箱の中の欲望」だとするなら
現在の高倉冠葉という箱に入っているのは「大切な人が出来た後の欲望」
そしてプリクリのクリスタルワールドに取り込まれる者は冠葉にとって「過去の欲望であるペンギン1号」と「現在の欲望」
つまり過去と現在の二つの欲望が交わった始まりの時である「大切な人と運命の果実を分け合った瞬間(ピングドラム)」を
見つける空間が「クリスタルワールドや運命の列車」であり
「輪るピングドラム」という物語なのではないだろうか? 高倉兄弟にピングドラムを見つけさせる為
ペンギン1号達を高倉家に宅急便で届けた人物はおそらく桃果の本体だろう、シールの演出からして。
劇場版では苹果ちゃんが列車に変形する、位は覚悟しといた方が良いのかもな。 一番始めの時間に見たいから梅田ブルク7のサイト毎日見てるけど4/29以降のスケジュールずっと決まらなくない?
これでこの日の予約取れなかったら凄いショックなんだけど >>379
大体火曜日か水曜日に次の週のスケジュールが決まるからもうちょい待つべし もしかして乗り換え後に高倉家のリフォーム時を分岐点に陽毬の人生をやり直す事が出来た理由って
ゴミだったベッドをリサイクルして天蓋ベッドとして甦らせた兄弟の善行が
女神様に認められて「あなた達の大切なものもリサイクルしましょう」と運命を変えてくれたから、なのだろうか? なんばパークスシネマの時間出たね。
今のところ1日2本か。 クリスタルワールドの設定を知ると
さらざんまいの欲望フィールドみたいなもの、って事が分かってくるな
ユリ熊嵐の承認フィールドはどうなんだろう
クリスタルワールド=欲望フィールド
プリクリの生存戦略=ケッピの欲望搾取
林檎を分け合った記憶(ピングドラム)を取り戻す為に自分という箱から欲望を解放する=喪失したつながりを取り戻す為に身体から欲望を吸い出して河童化
こうして比較するとピンドラとさらざんまいは矢張り設定がよく似てるな。
ピンドラの方がペンギンが居る分ちょっと複雑だが。 クリスタルワールドの設定が私の解釈通りで
5話でプリクリに取り込まれた苹果も箱から出て欲望(幽体離脱?)になっていたとしたら
クリスタルワールド内で苹果にもペンギン達が見えていたはず。
苹果は理不尽に自分を穴に落としたペンギンが何なのか気にはならなかったのだろうか?
5話でペンギン帽が戻ってきた後
苹果は晶馬に「あの時、私を穴に落としたペンギンが居たはずだけどどこに行ったの?」
って聞いたりしなかったのかなぁ?
私が苹果ちゃんなら問い質してとりあえず2号に仕返しするわw
12話でも落としたロールキャベツを巡って
妙な争いをしているペンギン達の姿が苹果にも見えていたはずだよなぁ、気にはならなかったのだろうか?
そこら辺どうなってるかピンドラスタッフさんに聞いてみたいし
それより先に劇場版で明かされるのだろうか? 初めてTV版見て「最後さっぱりわかんねー!」って新規さんも多いのだろうなぁ。
最終話で自宅でカレーを作ってる陽毬が電話で「伯父さん叔母さん」と言ってる人は5話に登場した池辺の伯父です。
陽毬は彼らと縁が出来ました。
その描写から逆算してこの世界がどう変わったのかを考えてみて下さい。 5話で約3分、13話で電話でチョロっと会話したサブキャラが
最後に重要キャラになってる、というのもピンドラが難解と言われる所以なのかもなぁ・・・ 乗り換え後の世界は
高倉家のリフォームと同じ時間軸に戻った高倉兄弟が
池辺の伯父に陽毬を任せるように連絡した後に
熊のぬいぐるみに細工をして兄弟二人は世界から消えた。
また、サル山の写真は
三人の子供の面倒を見るのは流石に限界だと感じていた高倉剣山が
陽毬だけに池辺の家族との面会を兼ねて動物園旅行を企画した時に撮っていたものを飾っている、と解釈している。
のだが本当の所はどうなってるのだろうなぁ?
劇場版で分かるのだろうか。。。 私は余程リフォームがスキなのか
あそこが運命の分岐点としか今まで考えられなかったんだよなぁ。
しかしリフォーム以前にも陽毬と池辺家が綺麗につながるような分岐点があったのだろうか?
無い事は無いだろうが
「全く描写してない時に陽毬は池辺家の養子になりました(まさかサル山の写真がそうなのか?)」
って言われても・・・としか思えない気がするんだよなぁ。
本当に「サル山の写真を撮った時に陽毬は池辺家の養子になっていた」
とあれだけで説明完了していたのなら
アニメとして他では見た事無いくらい視聴者との会話をシャットアウトしたようなオチだが
果たしてイクニさんにはそんな意図があったのだろうか?
・・・と劇場版を前に初めて苦悩してみた。 いや、それならそれの解釈の方向でも考えてみるか。
その解釈で考えていけば運命の乗り換えがどんな仕組みになってるのか分かるのだろうか。。。
でも「どうやって陽毬と池辺の伯父は接点を持ったのか?」って疑問がまず沸くんだよなぁ。
乗り換え後の世界では
陽毬は20話に晶馬にこどもブロイラーから救ってもらった直後に親を介して池辺家の養子になったのだろうか?
それとも陽毬をこどもブロイラーから救ったのは池辺の伯父、と運命が変わってしまったのだろうか?
・・・ドラマ的にはリフォーム時に運命が分岐した方が面白いと個人的には思うが
ドラマを犠牲にしてでも守るべきロジックがイクニさんにはあったのだろうか?
分からない事が多すぎる。
だからリフォーム分岐点説の方に今の私は執着してしまうのだろう。 10年ピンドラを見てきたけど一番スキで感動したシーンは
9話の陽毬と母親のやりとりと
13話最後の冠葉の動揺と
15話の桃果とゆりのシーン全般の3つなのは10年間ずっと同じで
そこはどんなに自分の感性が変わっていっても変わらなかったなぁ。 皆すまん。
きっと単純明快なレスの方が好まれるのだろうが
アホなので思考が中々纏まらないものだから。。。 >>394
思考まとまらないって自分でもわかってるならブログとか作ってそっちでダラダラやればいいのにとは思ってるよ 今でもずっと好きなのは死なない男の回だな
ただのネタ回じゃないと思ってる >>399
頼むから後半までにはTVシリーズも観てくれ… 詳しくなくても映画みて
ヒットすれば長く上映されるし プリクリは陽毬の欲望で
今まで「自らの遺伝子を未来につなぐ」という解釈を私は展開していたが
ピンドラがプリクリを通して本当に伝えたかったテーマは遺伝子ではなく「大切な人への伝言を未来につなぐ」事、と私は解釈している。
生存戦略バンクでプリクリがテディベア(陽毬の熊のぬいぐるみ)から出てくる理由もそこにあるのだろう。
そしてダブルHとの一件から陽毬が「大切な人への伝言を未来につなぐ事」を諦めてしまっているので
20話で幼かった陽毬がこどもブロイラーに自ら行く時に残した熊のぬいぐるみのそばに置かれた「さよなら」の手紙の頃と何も変わらないかのように
12話で死にかけたプリクリも「グッドバイだ」と言って運命の至る場所に帰ろうとした。
しかし22話の陽毬が自らの欲望を生かす為、冠葉の犠牲を見て見ぬ振りしてきた事を悔い改めて
愛による自己犠牲を選び心が成長したから
23話で陽毬の成長とリンクしていたペンギン帽の桃果も本来の力を一部を取り戻し、話せるようになったのだろう。
すべてが終わり、20話の熊のぬいぐるみに添えられてた陽毬の諦めの手紙に対し
最終話の乗り換え後の世界では高倉兄弟から「大スキだよ」という返信が入っていた。
ちなみに熊のぬいぐるみに入っていた「畳んだ手紙」は
'85年の映画・銀河鉄道の夜の「ジョバンニの切符」のオマージュになっているのだろう。
夢から覚め現実に帰ってきたジョバンニと同じく
池辺陽毬も「どこにでも行ける切符」を持って本当の世界をまっすぐに歩いて行かなければならない。
・・・そして10年経った陽毬はどうなっているのだろう?
それとも回想でTV版では隠されていた本当の彼女に会えるのだろうか? 後、自論をすべて覆すようだが
それ以前からあった「プリクリは桃果」って説があっても良い、と私自身は思ってもいる。
スティーブンキング原作のシャイニングの登場人物ジャック・トランスと
キューブリックの洋画シャイニングのジャックの対比みたく
「宇宙生命体に操られる」という解釈と「心の病」という解釈
ピンドラはどっちの解釈も受け入れられる世界観であっても良い、はず。 >>401
アニメタイムズとかいくつかのチャンネルにイクニ作品来てたよ
詳しくないけどdアニメとかも初月無料あったりするから、ピンドラが入ってるか確認して解約忘れないように加入するといいかも
自分は解約し忘れてたけどまた来月も解約できなくなってしまった… クラファンで名前載るコース選んだので劇場に確かめに行かなくちゃなのだが、ちょっと足を伸ばさないと観にいけない‥‥何とか時間作って行きたいなあ >>407
物凄い数の名前じゃない?
イクニチャウダーに電話してどこに載ってるのか確認してから行かなきゃ! >>407
クラファンし忘れたので数少ない同姓同名の人に期待する
これこそDESTINY >>409
イヤだわ、速く擦り潰さなきゃ ギュッギュ クソッ2号のマドラーほしいのに別のがきた
ランダム商法やめろよポップコーンそんなにくえねーよ 今更ながら考察サイトとか読んでたんだけど冠葉はもしかしたら左兵衛の子供なのでは?という説に震え…シビれた
確かにめっちゃいい子なのに父親は辛辣だったもんな Twitterで流れてきたプリクリフィギュアクオリティ高いな
アルターのは顔がなんか違ったが今回は違和感ない 劇場の音でノルニル聴けたのがよかった
スタッフロールみて愛にも大きさ重さがあってそれに準ずるご褒美もあるんだって思いました
だってそれは事実じゃんね現に最近映画あるって知ったし俺は
何者かになれた人はおめでとう 見てきたよ
ノルニル大音量で聞けてよかった
予告見て結構新しい話入ってるのかなと思ったけどやっぱりほとんど総集編でちと退屈だった
10年ぶりに見る人にはいいんじゃないだろうか
脳味噌ドクサレゲロ豚ビッチ娘は省略されてた
観客の年齢層が高かったw 俺が行った回は男3女7くらい
ピンドラ展は男1女9だった 福岡だったけど男のほう多かったわw
冠葉が病院の屋上から真砂子のとこまで降りてくシーンが耳障りなくらい凄いうるさかった
場面よく表現できてると思った サンクスまぁ場所によるかあ
女だらけだと少し肩身せまそう >>416
クラファンの名前の中で「ありがとう♥高倉冠葉」とか「夏芽真砂子FC」とか愛が溢れた名前見てちょっとジーンとしてしまった 映画とピンドラ展行ってきた
モモカちゃんがえっちでした(小並感) 前のウテナ展も男1人で行ったら男は自分だけだったし、男で幾原好きって珍しいのか…? むしろ男性の方が幾原好きだと思ってる
ウテナ展は行ってないけど映える展示になってたし女性は好きな人多いと思う 幾原弟子の古川監督が作ったスタァライトとかも、(かなり萌え寄りに作っていたけど)女性ファンがかなり多かった印象
考察アニメって女性ファンが付きやすいイメージ どっちだよw
りんごちゃんが床下にストーカーしてるとこに冠葉がペンギン達に生存戦略しましょうかって言うセリフ、アニメにあったっけ? >>429
あれもちょっと引っかかったけど新録っぽい
既存シーンのアフレコし直しかなりありそうね >>428
スタァライト懐かしいなぁ
放送1話目で予想していたのが監督担当回の7話で当たってた時は嬉しかったっけ
イクニ作品を少しでも理解出来るようになったんだなぁ、って証明できて さっきNHKのバブルの頃の番組がやってて、ピンドラ製作中の頃のイクニが「昔は勝ち組負け組っていうのがあって」って話してたか書いてたのを思い出した
某宗教団体もバブルの時代のものって括りだった、本当に狂乱な時期だったんだな
あとなんか日本株の暴落後アップルが躍進してカップルが救われるみたいな話が入っててnhk版ピンドラかよと思った
劇場版はTV版のその後をやるのかね パンフレット売り切れてた……
そんなに人気なのかこの映画(失礼)
クラファン一万円入れたけど名前入れられるコースにすればよかったなと思うくらいにはジーンときた ピングドラム展行ったけどプリクリ様フィギュア凄すぎだった
グッスマ超えたな グッスマといえばエスメラルダがお布団ポケットで寝てるトートがほしい
幻冬舎コミックスは大判ピンドラ本を早く重版して出荷して早くして早く早く サントラのタワレコの特典ステッカーが車内広告風かも 収録曲目のあとに特典画像一覧があるよ
https://penguindrum-movie.jp/music/
車内広告はマステになってたらよかったなペンギンそれぞれも TV本編通り9話が1話の補足の話だとするなら
クール便で送られてきた3号は「カエルくん東京を救う」を持ったまま凍っていた、という事になるはず。
なんで1話でペンギンの解凍を見ていた冠葉と陽毬はその辺をスルーしたまま9話まで一緒に暮らしていたのだろう?
そしてその本が図書館のものだとバーコードとかで気づくはず。
9話でその夢を見ても気づかないのは陽毬の台詞通り仕方ないとしてもだ。
>>308冠葉といい>>384の苹果といいピンドラの主人公たちは今一信用出来ないな。
感情に任せた行動を優先してるせいか
「うっかりしている」というかイクニ作品の不思議な世界で生き抜く為の注意力に欠けてはいないだろうか? 映画をきっかけに円盤見直したけれどやっぱりいい話だなあ
キレイに終わってるのに蛇足にならないといいけど 綺麗に終わってよな
ひまりちゃんは一人しかいないんだからあのエンドになるしかない 綺麗なのかな?
晶馬が居ない世界で
陽毬と池辺の伯父が何時何処に接点があって家族になったのか私にはよく分からない。
高倉家の近所に住んでる訳でも無さそうなのに偶然陽毬の居るマンションに池辺の伯父が現れて
偶然池辺の伯父がこどもブロイラーに助けに行った?
また、熊のぬいぐるみの方は乗り換え前の世界に居た兄弟からのご褒美で
3号が乗り換え後の世界に持っていった。
或いは兄弟による高倉家リフォーム時に運命の分岐点があって
そこまで兄弟は世界に存在していた。熊のぬいぐるみは陽毬と一緒に居られない兄弟が細工した。
サル山の写真はリフォーム以前の面会時に撮っていたものが残っていたから飾っている。
陽毬にも池辺の夫婦にもその時の記憶が残ってはいない。
みたいな2パターンが主に考えられて
どっちが正解なのか分からないから「綺麗」とまでは今の私には言い切れないんだよな。 陽毬は兄弟のこと知らないしテロのない別の世界線の話かと思ってた
テロがなければKIGAもないから全然別の世界かと…もう一度見直してみようかな 高倉家の近所、というより企鵝の会のアジトを兼ねたマンションに
彼らと縁の無い池辺の伯父が居ただろうか?
という所かな、最大の疑問点は。
まぁ陽毬の住むマンションに池辺の伯父も住んでた、って可能性はあるのかなw
あのマンション、社会のルール遵守してるし。
その場合だとルールを守ってそうな伯父が罪を犯して
こどもブロイラー行きの陽毬を助けるだろうか?って別の疑問が沸いて来るが・・・ 池辺の叔父さんは大した登場人物じゃなかろ
兄弟を解体して養育する社会福祉システムみたいなものとして数回出ただけ >>450
テロはあったはずだし最終話の乗り換え後の描写通りテロっぽい事はあるんだよ。
最終話のテロは小説版では「事故」として処理されてるけど。
>>452
養育するにしても高倉兄弟も高倉夫婦も居ない乗り換え後の世界では
陽毬と池辺の伯父が出会う接点が無い、という所が気になっている。
接点が無いのに社会福祉システムが働くなら養子縁組になる相手が池部の伯父である必然性も無い、よね?
「池辺の夫婦は子供を一人欲していた、陽毬は一人ぼっちで泣いていた」という点は
本編の描写通り素直に受け取りたいが。 >>453
ちょっと飛躍しすぎて何を妄想して居るのか分からない 高倉家リフォーム時に高倉兄弟が消えて世界が変わった、というパターンなら
陽毬と池辺の伯父の縁も多少なりともあるし養子縁組になるのも分かる。
高倉家リフォーム分岐点説の方が正しいのかもなぁ。。。
で、サル山写真はリフォーム以前に撮っていたのが偶然残っていたのだろう。
本当にそっちの解釈だったら陽毬と池辺の夫婦を会わせる為にセッティングされた動物園面会の話を
アニメで描写してくれよ、って話だがw >>455
仮に高倉家リフォームまで兄弟いたならなんで真砂子の記憶からも冠葉消えてるんだろね?
最後はわからないことだらけだから映画後編で明らかになったらいいなあ >>454
飛躍してるのは自分でも分かるw
ではアニメ本編の描写を元にして私たちの認識の隔たりを埋めていって
私の妄想を正して貰えないでしょうか?
まずは「乗り換え後の世界で、陽毬と池辺の伯父は何時何処で出会ったの?」という所から。
2パターン考えていたけど
高倉家のリフォーム時に高倉兄弟が電話か或いは自らの足で池辺の伯父に「陽毬を養子にしてくれ」と助けを求めに行った、と私は解釈しています。
「どうやって高倉家リフォーム時の高倉兄弟が最終話の記憶を引き継いだのか?」という全容はまだ自分には説明できないが
>>347の通り「ペンギンの正体が箱の中に入っていた兄弟の欲望」だと仮定するなら
ピングドラムの正体を知った1号と2号が運命の列車(クール便)で一度高倉家リフォーム時に時間移動して
「一人ぼっちになって泣いている陽毬」を前に右往左往しながらもリフォームしよう覚悟を決めた兄弟に対し
「こうすれば陽毬の命は救える」と手順を伝えたのでは? >>456
桃果&眞悧の時と違い完全な運命の乗り換えを果たした兄弟の記憶は
おそらく問答無用で世界の誰の記憶にも残らないんじゃないかなぁ?
夢の世界に呼ばれた真砂子の心の穴は
祖父が勝手に死亡した事で冠葉と呪いを分け合えなかった時から来るもの。
年表通りなら2008年の高倉家リフォームの約4年前である2004年の祖父死亡時から真砂子の胸に引っかかりがあったはずだし
陽毬を軸にして高倉家リフォーム時まで兄弟が居たと仮定するなら
真砂子もその時点まで「冠葉を取り戻したい」という想いがあったはず。
それなのに'04年から'11年の約8年の間、真砂子は何故自ら冠葉を取り戻しに行こうとしなかったのか?という理由は
「乗り換え後の世界」で見た夢の通り冠葉に「愛してる」と言われていた事実を
「乗り換え前の世界」だった頃の真砂子自身が忘れていたからじゃないかなぁ?
真砂子はその時の夢を冠葉と二人で会っていた東屋で寝ていて思い出したから
心の穴が埋まった、って感じかな。
約8年間何も行動を起こさなかった真砂子の不自然さを逆説的に考えると
真砂子は本当は最初から兄に「愛してる」を言われていた、とも解釈できる。
真砂子はそれを忘れていたから兄のストーカーになった。 >>457
乗り換え後の世界に池辺叔父さん居たっけ?
居ても居なくても良い存在では?
冠葉と晶馬が居なくなって煩わされることもなく平和に暮らしましたとさ、メデタシメデタシでは? >>458
高倉家にペンキを塗る&天蓋ベッドをゴミ捨て場から拾ってくる。 >>460
高倉家に飾ってある写真や生活感の変化だったり
本編の描写通りなら池辺の叔父夫婦が高倉家に代わりに住んでる。
池辺の叔父は最終話の変化した後の世界通り結構重要な存在。
兄弟が居なくなったけど陽毬が現実と向き合えるようになってメデタシではあるけど
細かい所が気になるファンとしては
どの時点で陽毬と池辺の叔父が養子縁組になったのか?とか
高倉家の誰かがその仲介人になっていたのか?とかその辺のモヤモヤした部分が色々と気になるんだよね。 >>459
いろんな解釈があるね
真砂子の行動原理はマリオを守ることが最優先事項で、一緒に呪われることが父や冠葉との絆と思ってるから、わざわざ取り返しに行く必要がなかったのでは? 池辺のおじさんと陽毬の関係なんてどうでもよくない?w
そういう論理的な考察とかするアニメじゃないと思うの
雰囲気やかっこよさで話進んでるアニメなんだから整合性を求める必要はない 姪の養育の面倒を見たとしても養子縁組なんて普通はしないし >>461
乗り換え後の世界は冠葉も晶馬も元からいないことになってるので、リフォームも無くなったと考えていいど思うよ。
高倉両親の犯罪もなかったことになって、理由はわからないけど死亡したか失踪でもしたんでしょう。 合理性はともかく陽毬が池辺の叔父さんに養育される世界への乗り換えを望んだから、なんで池辺の叔父さんかというと兄弟も視聴者も他に頼れる大人を知らなかったから、と解釈している
苹果の妹になってもよかったと思うけど壁のペンキ無くなったの見せにくいし うろ覚えだけど両親が指名手配されてる時に電話してきたのが池辺のおじさんじゃなかったっけ?
兄弟いなくても陽毬と接点はあったと思う >>463
マリオが病気になってそれを救うために冠葉と対峙しなければならない、という使命が与えられた時は
マリオが行動原理だった真砂子にとって渡りに船だったかもしれないね。
乗り換え後のマリオの元気な様子と夢から覚めた真砂子の正常な認識から
マリオの病気はほぼ眞悧の仕業だろうけど。
16話の描写通り、冠葉が約束し真砂子が祖父を殺す事で呪いが絆となるはずだった。
しかし祖父は勝手に死んだからその約束は失われてしまった。
約束していたのに「祖父殺しを真砂子自身が躊躇っていたせい」で父や兄との絆は失われてしまった。
だが真砂子が夢で無く現実で祖父を殺せなかった理由は
最初から夏目家の東屋で兄に「愛してる」と言われていたから、とも解釈できる。
また、兄に「愛してる」と言われていたから真砂子はマリオを病気にする事無く守り続けられたし
愛を貰っていて兄への執着が無かったから
長い年月があったのに冠葉を取り戻す為に高倉家に直談判をしに行かなかった、とも解釈出来る。
つまり東屋で「呪われるなら一緒に呪われてやる」と言った冠葉は眞悧の見せた幻で
真砂子は「自分が祖父を殺せなかったから冠葉と一緒に呪われなかった」と兄との記憶を書き換えられてしまった。
だから真砂子は兄のストーカーになってしまったのだろう。
私はこんな解釈かなぁ。
ある意味本編の描写を無視してるとも受け取られるかもしれんが
最終話の乗り換え後の世界を正しい基準だとして解釈するならね。 ピンドラ展滑り込みおかわり行てきま
たしか乗り換え後の旧高倉家の指示あり原画とかも展にはあったよ
20話24話の音声で耳から泣けて千々に乱れる場所だけど >>464
どこまでイクニさんは考えてたか?を知りたいんだよ
>>465
家計図的に血は繋がってないのに姪か。
つまり最終話の陽毬と池辺の叔父との関係は特に変わってない、みたいな解釈だね。
血の繋がりというなら冠葉とも繋がってないのに池辺の叔父も長男として受け入れてたしなぁ。
その辺もまた私にとっては不可思議だが。
兄夫婦に突然双子の兄が増える事をすんなり受け入れる池辺の叔父ってどうなってるんだろ?w
その解釈もあるなら
もしかしたら最終話の運命の乗り換えは陽毬と苹果との関係の変化以外は
余り気にしなくても良いのかもね。
兄弟が叔父夫婦に入れ替わる、なんて私みたいな疑い深い視聴者の視点では異常としか思えない終わり方でも。 >>466
元から居ないって事は
例えば高倉夫婦は子作り失敗したり
夏芽夫婦は双子ではなく長女を出産した、って感じか。
その場合でも「誰が陽毬を高倉家に連れてきたか?」という疑問が生まれて
視聴者が自分の想像で補わないといかんね。
しかし高倉両親の犯罪が無いと仮定するなら
苹果の「カレーの日」が乗り換え後の世界でもあるのは変じゃない? >>467
まぁ頼れる大人は他に居ないからねぇ。
苹果の妹か、そのパラレル世界もあったのかも、興味深い解釈。
離婚後なので荻野目母は陽毬の養育費分はおそらく自力で稼がないといけないのかもなぁ。
大丈夫だろうか?
>>468
両親指名手配は高倉家リフォーム前なので
リフォーム分岐点説が正しければ
その時点でも陽毬と池辺の叔父の接点はあるだろうね。
やっぱりリフォーム分岐点説で最終話も運命の乗り換えを考えるが一番分かり易いんだよなぁ。
劇場版後編でそこら辺は分かるのだろうか。 >>470
ピンドラ展の乗り換え後の高倉家の原画か
それはレアだね
公式ガイドブックでは比較はし易いけど画像は小さいからなぁ。 そこまで深く考えて見たことなかったわ
ゆりが乗り換えた時は父親とダビデ像消えたけど怪我は消えてなかったから今まで辿った軌跡は変わらず乗り換えた時点で別の列車の別の風景になるのかねえ? >>472
最終話を見てみると、乗り換え後の世界では真砂子には兄がいないことがわかるよ。
陽毬は晶馬と入れ替わる形で最初から池辺の親戚関係だったのでは。
カレーの日というのも、乗り換え後の世界では誰も言ってない。ただ2人でカレーを食べてるだけだね。
苹果は「我が家の秘伝」とは言ってるけど、桃果がどうなってるのかはわからないね。 >>475
おそらくゆりの人生の風景が変わったんだろうなぁ。
桃果に愛を貰ったから
父の言いつけ通り誰かに愛される美しい自分になる為に本当の自身を傷つけていく路線を乗り換えて
本当の自分では無かろうと美しい他者を演じられる舞台という駅が終点にある女優の路線に。
なんで元がダビデなのかはその辺の知識が無いから未だに分からないw
何がヒントになるのか分からんけど気長に調べよっと。 つい最近知ったが駅のプラットホーム(platform)には英語で舞台って意味もある。
ピンドラの劇中の演出で駅のホームと家のホームも兼ねた駄洒落にもなってるだろうし
きっとピンドラは英語圏の人の方が理解し易かったりしたのかもなぁ?
だからアメリカの方でもウテナと割と変わらず人気あったのかも。
ついでに舞台と駅を兼ねた劇場版レヴュスタは英語圏の外国人が見ると「ベタすぎるw」って
感想になったのかもなw >>476
乗り換え後の世界で真砂子に兄が居ないのは良しとして
>陽毬は晶馬と入れ替わる形で最初から池辺の親戚関係だったのでは。
そんな都合よくいくものかなぁ?
まぁ池辺の叔父は冠葉が長兄だと騙されてるような人だから上手くいくのかもしれんが。
小説版では最終話の描写は20日のカレーの日となってるけど
アニメ版は明確に20日だと分かる描写は無いからそんな解釈でも良いかもしれないし駄目かもしれない。
そして劇場版の最後がどうなるかも私は保障できないけどw >>479
そうなんだ>カレーの日
まあ総集編+αだし、桃果が大人になってたりいろいろあって楽しみだけど、あまり過度に期待しすぎてもね。 池辺のおじさんは高倉との血縁云々よりも、あくまで「一般的な大人」として描かれていると考えてた。
陽毬が池辺家に養子になったと表現する事で、乗り換え後の世界では、陽毬のような捨てられた子を救うシステムが社会的に確立している事を示したかったんだと解釈してるよ。 乗り換えた先の世界では当然冠葉と昌馬の罪は存在ごと消えているわけだけど、陽毬とWHの接点がなさそうだから陽毬の罪が消えた世界でもあるはず
真砂子が夏芽家にいそうなのは気になる。冠葉がいなくてもあそこにいるということはどんな形にせよ真砂子父の罪と呪いは消えていそうだけど陽毬母のネグレクトという罪と呪いは消えていない。陽毬は冠葉の手で直接乗り換えたはずなのにこの差はどこから来てるんだろうね
企鵝の会関連がまるごと消えてると考えるのが簡単だけど、そうすると高倉夫婦もあの集合住宅に来ないから本当に池江のおじさんとの接点はなくなりそう。後ただの演出で作中では認識されていないのかもしれないけど電車内に置かれた熊のプラモが乗り換え後の世界では誰が置いたか分からなくなる 考察は自由だけどそこまで理屈をつけて見る必要ないんじゃないかと個人的には思ってる 全部読んでなくて申し訳ないけど、乗り換え点はプリクリバンクのところだと思う
真砂子が「自分に兄がいた夢を見た」と言うってことは高倉(夏芽)冠葉が生まれていないってことだし、高倉晶馬も同じく生まれていない世界ってことじゃないかな
旧高倉家が陽毬の住む場所として残っていること、池部夫妻が保護者として一緒に生活していることとかは「変わってしまった世界」を端的に表せるからだと思うよ、大量の白いテディドラムは見えないか消えてしまうのかもね
情を捨てて合理的な物語にするなら、陽毬は全然違う地域の知らない保護者に養育されてまた違う苦労や孤独を抱えているかもしれないし苹果との接点も乗り換え後の一回だけで他人どうしになってたかもしれないけど、それを最終話ラストで描いても混沌としすぎるんじゃないかな
小説はちゃんと読んでないからなんとも言えないけど、原作はアニメのほうだから小説だと云々ってするのは少し違うかもなーと思うよ 俺は兄弟が産まれる前で分岐したという考えには反対
透明になって忘れられただけだと思う 「乗り換え」というとどこかから枝分かれした別ルートに…というイメージもたしかに思い浮かぶけど、
あれは世界を「冠葉・晶馬の二人は初めから存在しなかった」という前提で再構成したらああなった、みたいな感じだと思ってる 個人的には
乗り換えの呪文を言って貰った相手とつながりのある家族の代わりに
大切な人になろうとしているのかな?と私は思っている。
15話では乗り換えの呪文を唱えた桃果が時籠父に代わってゆりの大切な人になった。
24話では乗り換えの呪文を唱えた苹果が高倉兄弟に代わって陽毬の大切な人になった。みたいな。
なんで呪文を唱えたら蠍の炎で燃えるのかは意味不明だが
考えられる意図の一つとして
「大スキな人の為なら私はここまで出来る」という自己犠牲精神を証明する事で
執着心の強い家族(晶馬、ゆりの父)の罪悪感を目覚めさせる為という演出かな?
15話の乗り換えも最終話と同じだと言うのなら
ダビデ像の近くでゆりの父も呪文を唱え目の前で燃えた桃果を見て
流石の父も罪悪感を感じ桃果の蠍の炎を引き受けて世界から消えたのかもなぁ。
にしても、なんで陽毬は高倉兄弟を忘れているのに
ゆりは父の事を覚えていたんだろうなぁ。
乗り換えの仕組みを事前に教えられたから? 運命の乗り換えと蠍の炎は大岡裁きみたいなもの、か?
究極的な場面だとどっちも乗り換えの呪文を唱えて蠍の炎に包まれて
我慢比べしたりするのだろうかw リンゴは禁断の果実的な原罪の象徴でもあるから、生きることが罰を受けることであり、その本質的な運命自体は変わらないんだと思う
真砂子の呪いって家族から愛してるって言ってもらえなかったことだから、冠葉という家族は失ったけど愛してるって言葉が伝わることで家族の呪縛から解放されたのでは?
苹果は失った家族の絆を取り戻すのではなく、誰かと新たな関係を結び、愛してるって言ってもらえることが必要だったのかもしれないし、陽毬は家族の罪を背負う罪悪感から解放されて自由になったのかもしれない
よくわからないけど >>488
ゆりが覚えていたのは「この世界から消えた桃果」にとって
自分が存在したことを誰かに忘れないでいて欲しいと無意識に願った結果
最も仲が良かったゆりと多蕗の記憶の中に留まれたという感じかなと思った
高倉兄弟の時は、前回の乗り換え前と後の記憶を保つ大人二人が兄弟に執着していたから
桃果の時と同様になったのかもしれないし、高倉兄弟はあの世界では架空の存在ではないと
いう証人としているのかもしれないと思った 補足
488さんのレスのように、初めての乗り換え前に桃果からゆりが仕組みを
教えられたからかもしれないし
ゆり父が消える直前までゆりを傷つけたいという欲求をとても強く抱いていたから
桃果でもゆりの記憶から消しきれなかったのかなとかも思った 僕の存在証明を聴いてると
一通りTVシリーズを辿ったあと、もう一回焼かれそうな気がしてきた
「カムバネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺんやいてもかまわない」
だもんなあ わかるわ
存在証明ずっと聴いてるとそれしか思い浮かばん 陽毬が2人を思い出す→死ぬ運命に戻る→焼かれて乗り換える→忘れる→思い出す→
で延々と陽毬が思い出すたびに焼かれるってオチを妄想してる なんか最近そういう映画?あったね
10年越しに新作やって主役が死んだみたいなやつ
何だったかは忘れたけどツイッターで話題になってた >>495
クッソワロタwwww
クラファンまでして、今やりたいピンドラが
オーバーキルとか、なんか分かる!! >>498
最近って言ってるんだからオーズじゃない?
こっちは放送版の冠葉とそう変わらないけどさらざんまいの世界観にいきなりピングドラムがぶち込まれたみたいな違和感があったな あぁ、platformには駅のホームや舞台以外に教壇って意味もあったのか。
だから多蕗は教壇(ホーム)に立つ生物教師で
ピアニストの夢を自ら壊した後に
桃果が「鳥に詳しい生物博士だ」と煽てて導いた多蕗にとっての新たな人生の出発駅だったのね。
やっぱり英語圏の人の方がピングドラムの駄洒落演出に気づきやすかっただろうなぁ。
もっと早く気づいてくれよ、昔の私。。。。 教壇と教団(ピングフォース、企鵝の会)の駄洒落までは流石にイクニさんも考えてないだろうが
主人公たちの父親が企鵝の会で演説する為に教壇に立っていた時は、剣山や夏芽父にとっての再出発駅(platform)だったとは言えるのかなぁ? >>491>>492
15話と24話の乗り換え後でも記憶が続いてるか忘れてるかに関しては
共犯者になったか、共犯者になってないか、の違いなのかもしれませんね。
15話は事前に運命の乗り換えの仕組みをゆりに教えたから「父消しの罪」に関して桃果はゆりと共犯関係になって
15話の乗り換え後もゆりは覚えていた。
それに対し、苹果は運命の乗り換えの仕組みを陽毬に教えなかったから陽毬は知らないし
23話でゆりが苹果に「誰かが世界から消える」と教えなかったから
24話の乗り換え後の世界で苹果も消えた兄弟の事を忘れてしまっていた。みたいな。 真砂子も夢から覚めるみたいに乗り換え前の世界のことを覚えてたし、陽毬や苹果も夢の中の出来事として目覚めた直後は覚えてたんじゃないかと思う
夢は時間がたつと忘れちゃうし、桃果や東京タワーみたいに乗り換えを証明してくれるシンボル的な存在がなかったから忘れてしまったのでは?
眞悧が言ってた通りに何も残せず消えていくはずだった 所見と同行者にどんな話が聞かれて答えられなかったけど、皆はどう説明するの?
てんとう虫兄弟みたいな、仲良し孤児家庭が崩壊する話・・・で合ってる? >>504
病弱な妹を兄二人が助けようと頑張る話
なんか不条理っぽいギャグが多め
主人公たちのバックグラウンドはわりと暗め https://febri.jp/topics/recycle-of-the-penguindrum1/
冠葉と晶馬は彼ら自身
彼らが居たのは乗り換え後の世界
眞悧って乗り換え後の世界に来なかっただけで行くことは出来るんだっけ? 呪いだからかなあ
ピングフォースシールになったのかシールいっぱい作ってたんだね
映画の高倉兄弟は小学校高学年くらいなのかな?中学生ではなさそうだったけど 高倉兄弟もTV版の最後の乗り換えで箱の中から解放されて桃果と同じく幽霊になったんじゃないかなぁ?
「箱の中」の時と衣装と同じだし。
>>507
公式アンソロで桃果は最終話の乗り換え前後を跨いでダブルHのライブを見ていたようだし(高倉兄妹の事はペンギン帽に任せていたのかw)
幽霊の桃果が出来るならきっと眞悧も出来るっしょ。 眞悧と同じようにマフラーを巻いてる所が桃果も彼と表裏一体というか等質さが現れてる、という感じがするな
公式アンソロ
まるで眞悧がダブルHに渡したマフラーを自ら回収してると解釈しても問題無いかのような。。。 時系列的に苹果が乗り換えの呪文を唱えた後「陽毬の欲望(裸)」は運命の列車から居なくなっているから(箱としての陽毬はベッドで寝たまま)
「陽毬の欲望(幽霊)」が時空を越えてダブルHのライブに降臨して奇跡のトリプリH結成をした、という描写かもなぁ。
それが公式アンソロの真実か。
もしも苹果より先にダブルHが「乗り換えの呪文」を歌っていたらダブルHの方が燃えていたのだろうか?、シビれるねぇ
そりゃ幽霊桃果も見守っててしかるべき、か。 つまり最終話の運命の乗り換え後に「ダブルHは(少なくとも)陽毬にマフラーを貰った記憶は確実に忘れている」という事かな
ダブルHがどこまで陽毬の事を忘れているのかは分からんが。
高倉夫婦の指名手配後、陽毬が小学校退学してから陽毬とダブルHの交流は無いので
乗り換え後の世界では「陽毬というクラスメートがある日、病気で小学校を退学した」という事実をダブルHは思い出せるはずだが
退学後「陽毬は池辺家の養子になった」という事かなぁ? 陽毬の反応は謎だけど、ダブルHとは無関係になってしまったのかもね。
さすがに運命の乗り換えではトリプルHにすることはできなかったか >>512
ダブルHが「トリプルHになりたい」って言ってるし
乗り換えの意思も示してダブルHは歌っていたんじゃない?
タッチの差だったのかもなぁ、陽毬ちゃん愛されてるねぇ。
苹果と3人同時に唱えていたら蠍の炎の我慢比べが始まるところだったのかもな。 小説版では陽毬は「はっきりと物心がついてから覚えているのは池辺の叔父夫婦の事だけ」と言ってるけど
「池辺陽毬が物心がついたのは10歳時の2008年、高倉夫婦指名手配後に一人ぼっちになって池辺家の養子になった後」という解釈もありかもなぁ
10歳で物心つくのは一般的に遅いが
イクニ作品では一作に一人くらい記憶が曖昧なキャラが登場するのがお約束だしw 「物心がつく」って池辺陽毬自身は言ってるけど
10歳の頃に色んなショックが重なって記憶喪失になったのを池辺陽毬は知らないだけ、という解釈もありだな。
その解釈の方がイクニキャラっぽいw
>>514
先に苹果に言われたからダブルHは乗り換えられなかったのかな、と思う。
タッチの差じゃないかなぁ?
もしも少しの時間差があっても蠍の炎の勝負が始まっていたら
百合修羅場っぽくて興奮したかもしれんw でもダブルHが先に「乗り換えの呪文」を歌っていた場合だと
苹果と違ってダブルHは晶馬とは仲良くないから
蠍の炎で燃えちゃったかもなぁ。。。
ダブルHにマフラー渡した眞悧先生の真の狙いはそこにあったのかもね。
陽毬の大切なダブルHを思わぬ自己犠牲で世界から消して
陽毬を更に絶望させるつもりだったのかもなぁ。。。 つまり桃果側のゲーム勝利条件は
「晶馬と仲の良い苹果が(どんな方法でも良いから呪文を手に入れて)ダブルHより先に乗り換えの呪文を唱える事」だったのかもなぁ・・・
罪悪感の強い晶馬を世界から消せば勝てる、という世界の意思を感じる もしもダブルHが「乗り換えの呪文」を歌ってライブ会場で燃えたら
過去の関係性を掘り返そうとするゴシップ記事に色々と書かれて
また陽毬が世間に叩かれていたのかもなぁ。。。
眞悧が喜びそうな展開。 乗り換え後の世界での「ダブルHと陽毬の友情の記憶」について考えている。
乗り換え後の世界では公式アンソロ通りダブルHのマフラーが陽毬に貰った記憶とともに消えた事になっているはずだが
ダブルHが作ったアルバムのタイトル「運命の果実を一緒に食べよう」の曲の方はどうなっているのだろう?
マフラーが消えたのだからダブルHのタイトル曲も「消失したor変改している」と考えるのが妥当だろう。
それとも運命日記や「熊のぬいぐるみに入った手紙」と同じ「乗り換えの呪文」が記された歌曲だから形を変えずに残っているのだろうか?
それらと同じ呪文が書かれた特別なものなのでダブルHが「陽毬の為にこの曲を作った」という制作経緯は忘れたとしても
乗り換え後の世界にダブルHの「運命の果実を一緒に食べよう」という曲は残っている気はする。
また、乗り換え後の世界で
陽毬とダブルHが友情の記憶を忘れてしまっても
世界には「陽毬が病気で退学するまでのダブルHとの友情の記憶が残っている」と私は予想する。
何故なら9話の描写通りユニット名「トリプルH」の元々の名付け親は陽毬で
ヒカリとヒバリはその名残惜しさからダブルHと名付けたのだろうから。
仮に陽毬が存在しない世界でユニット名がどうなってるかと仮定した場合9話通り「ラッコーズかペンギンズ」になっていただろう。
しかし乗り換え後の世界でもユニット名はダブルHのまま。
つまり運命を乗り換えてもダブルHがユニット名になっている事実こそが
陽毬とダブルHが忘れたとしても歴史に「陽毬とのダブルHの友情は記憶されている」という何よりの証拠。
よって3人が思い出す切っ掛けさえあれば友情は復活する、はず。 それとも乗り換え後の世界では
ダブルHの作ったアルバムのタイトルが「運命の果実を一緒に食べよう」から
「大スキだよ!!」に変わってるのかなぁ?
だから陽毬はCDを探してる最中に熊のぬいぐるみに入っていた手紙を見て泣いたのかもな・・・
そりゃ探し物と同じ呪文が書かれた手紙を偶然見つけたら泣くっしょ。
つまり9話で愛も罰を分け合い運命共同体・トリプルHになった帰り道に陽毬が言った「二人とも、大スキだよ!!」こそが
ダブルHの言った「陽毬が一番大切にしていた言葉」で
かつ乗り換え前の世界で「運命の果実を一緒に食べよう」で統一され隠されていた「真の乗り換えの呪文」だった、って事かな?
そして陽毬は両親の指名手配とダブルHとの友達関係が自然消滅する過程の中で
その呪文を唱えたい欲望を箱に封印してしまい病気が悪化してしまったけど
乗り換え後の世界で兄からの手紙を見つけた事で
隣に居る苹果に「大スキだよ」って自らようやく伝えられたのだろうなぁ。。。 大スキだよ、愛してる等々
「一番大切にしていた言葉」は人の数だけあるのだろうが
乗り換え前の世界は多くの人間を乗せて走る夢の列車だから
乗り換えの呪文は「運命の果実を一緒に食べよう」で統一されていたのかなぁ?
そして苹果は8話で父の乗り換えに近づいて偶然呪文を聞いていたのかな、と私は思う。 もしもこの推測通り
乗り換え後の世界にダブルHのCDのタイトルも変わっているとするのなら
このアニメは隠してる事が多すぎるよ、イクニさんw
手紙と一緒にCDも見せれば良いじゃん
恥ずかしがり屋さんなのか終った後もずっと視聴者に考えて欲しいのか
どっちの意図が強いのだろうなぁ? そういや22話で陽毬は冠葉に「大スキだよ」って言ったのに伝わらなかったから
冠葉に「命を返す」為に水族館で自己犠牲して倒れたなぁ。
現在の冠葉に伝わらないのなら10年前の箱の中の冠葉に返す方法を使うしかないか。
ここまで考えてようやく>>314に繋がった。
やはり24話の冠葉の箱にあった林檎は
「大スキだよ」と過去の冠葉に伝えるために自己犠牲をした陽毬の命、という解釈になりそうだ。
・・・では最終回の24話のサブタイも「大スキだよ」にするのが妥当なのに
イクニさんは何故「愛してる」の方を採用したのだろう?
随分考える事になったが
これで7月公開の劇場版後編で明かされるかもしれない
「冠葉の箱の中の林檎が誰から届けられたものか?」への自分なりの解釈が整ったかな。
真砂子派のファンとどっちが正しいのかドキドキだね。
スキをテーマにしたユリ熊嵐を時間をかけて理解していなければ
ここまで気づくのは無理だったろうなぁ。。。
24話もあるピンドラ本編でたった数回しか言った事の無い台詞が「陽毬が一番にしていた大切な言葉」なんて探すの大変だったわw
イクニさんもうちょっと視聴者に優しくしてw 大スキの呪文が林檎であり>>403の銀河鉄道の夜の「どこまでも行ける切符」にもなったって訳か。
何故、イクニさんは銀河鉄道の夜の林檎と切符を等質のものだと解釈してピンドラを作ったのだろうなぁ? 最近再放送で知ったニワカなんだが冠葉にリンゴあげたのは真砂子派だわ
真砂子が冠葉に撃つ赤い玉がリンゴでしょ
真砂子が送った「愛してる」を冠葉は忘れてるけど >>508
自己レス、兄弟の年齢は24話初っ端で10年前って出てきてた、6歳か
ずっと高倉家が不安定になってそうな小6ぐらいかと思ってた
>>509
あの「箱の中」の場面は苹果による運命の乗り換え場面と重ねられているけど、冠葉と晶馬が家族になった「運命の乗り換え」を表してるように思う
晶馬から陽毬へと同じで桃果や苹果とは少しちがうささやかなもの、だから共同生活内の小さなできごとを「生きることは罰なんだ」って振り返ってるシーンに繋がるのかなと思う
完全ガイド持ってなかったから公式の設定は確認できてないけど ブルーレイ見終わったので疑問点をいくつか。
冠葉はテロ組織の一員だったのに、父親が指名手配されたとき
「父さんはそんな人間じゃない」みたいなこと言ってたのはおかしくない?
エスカレーターから女を突き飛ばしたのは誰だったの?
マリオは運命の乗り換えを行わなかったので死ぬ? >>533
@5話を見たら分かるけど冠葉は心の底から高倉父を尊敬してる。
その冠葉が本当に大切にしているものが13話で否定された現実を絶対に認めたくない想いが口から出た。
理屈ではなく感情の叫び。
A真砂子
冠葉と企鵝の黒服とのつながりを阿佐美が見たから
冠葉の危うい秘密を守る為に口封じで突き飛ばしたのでは? 13話の冠葉は個人的に一番スキなシーン。
私のピンドラの感動ポイントは
9話とか15話とかどうやら「幼少期に喪われた大切だった人との回想」と共通点が分かり易い。
真砂子は自分で元カノけしかけといた後で突き飛ばしておいて最後に記憶を消すって
冠葉に近づく女に対してサイコって感じが強いw
何故その行動力を最初から陽毬に向けなかったんだろ?と一つ疑問が湧くなぁ。 >>533
B死にはしない。
22話の冠葉の台詞「夏芽の家に帰してあげて、普通の子にしてあげて」の通り
本来ならマリオは夏芽家のまま運命の乗り換えをしなくても死にはしなかった。
それなのに劇中のマリオが病気になっていた理由は
>>257の陽毬と同じく「マリオが自分という箱に自身の欲望を閉じ込めてしまった事による飢餓」と「夏芽家の呪い」が重なったから、だろう。
「マリオの欲望」は本編では全く明かされずに終わったが
多分「姉に守られるだけの弟のままでは居たくない、姉と果実を分け合って助け合いたい」とかそんな感じだろう。
だが「マリオを守る」という父との約束を果たし、そのご褒美に父や冠葉に「愛してる」と言って貰いたい姉の真砂子が
必要以上に過保護になってマリオを守っていたから(毒姉)
マリオも必要以上に自分の本当の気持ちを箱に押し込めて塞ぎ込み病気になってしまった、と推測する。
だけど乗り換え後の世界では真砂子が夢の中で冠葉から「愛してる」と言って貰えたので
最終話で描写された通り世界が「マリオの病気は無かった」事に変わったのだろう。
また、強欲な夏芽家(祖父)の呪いの方も「姉が兄から貰った愛」で上書きされたはず。
よって、マリオ自身は乗り換えををしないまま夏芽家に居続けたとしても
愛された記憶があれば真砂子と生きていく為の支えや自信になる。
・・・マリオは陽毬と違って描写がほとんど無いから推測でしか語れないので
この解釈で正解かどうか分からないけど、自分ではそうやって納得してる。 >>527
冠葉は真砂子と林檎を分け合う事を拒絶してるのではないかなぁ?
夏芽家が高倉家とつながりがあると事件加害者の呪いで真砂子やマリオにも危害が及ぶだろうし。
忘れ玉は撃たれた者の「大切な人への執着心と記憶を消し、つながりも消す」みたいな効果と設定があるのだろう。
20話で晶馬が陽毬にあげたKIGA林檎にも似た効果はあるが「家族のつながりを作る」という点が違う、はず。
それに対し、最終話の冠葉の箱の中の林檎にはKIGAマークは無かった
「企鵝の会に属してない陽毬が送った林檎」だからKIGAマークが無かったのかな、と私は推測してる。 >>531
すべて同意するし
最終話で乗り換えの呪文を唱えたのは苹果、と私も理解しています。
晶馬と陽毬は冠葉に林檎を返し正気を取り戻させようとしたけど
陽毬の為に呪文を唱えた苹果を見た兄弟が本当の光(本当の陽毬の幸せ)も見つけて
陽毬と高倉家の縁を切る方向に舵を切った。
そして「箱の中」の回送で高倉兄弟は自分達の運命の始まりである「林檎を分け合って乗り換えた時の決意」も思い出したから
兄弟二人で高倉家の呪いも罰も引き受けて陽毬と苹果を現実の世界に返し
引っ込み思案で友達を作れない池辺陽毬の為に「大切な人への伝言」を熊のぬいぐるみに込め3号に届けさせたのでしょうね。
そして呪いと罰を引き受けた高倉兄弟は「箱の中」から解放され、その時の衣装のまま幽霊になったのかなと。
すべてに自信は無いけど最終話の展開とオチはこんな解釈なのだろう、と私は思っています。 >>538
ウテナ的に考えるとそう捉えて間違いないかと。 >>540
兄弟の寵愛を受けるために大人に成らない、学校に行かない、病弱で死にそうというか一旦死んでいて、飲める牛乳を飲まない。
王子候補を気取らせる兄弟と共依存状態を維持する呪われた存在だよね? >>541
気持ちは分からないでも無いですが陽毬ちゃんも流石にそこまで堕ちてはないかと・・・
地下鉄爆破テロ容疑者の元娘というレッテルを貼られてるせいで中々社会復帰が出来ないという点もあって
一人ぼっちの現実よりダブルHと縁りを戻したいという夢と
優しい兄弟が存在した頃の夢に浸っていたのでしょうね。
彼女にも不憫な所もあるのでそこの所も理解してあげて欲しいです。 >>537
興味深い考察なので、後でじっくり読ませてもらいますね
真砂子を運命のリンゴを分かち合う共同体に入れたのは4匹のペンギングループに入ってるからという単純な理由だけど、真砂子の行動はいつも矛盾している
忘れ玉を冠葉に撃ちながら「私があげた愛を思い出せ」かと言うように冠葉にあげた愛の形をこれでもかと見せつける
それは「生きている人間は平気で嘘をつく」からだと真砂子は言う
真砂子は冠葉を追いかけながら、本当は追いかけてほしいと願ってる
冠葉に本当の自分を所有してほしい
夏芽家当主で祖父の生き写しのような今の自分は偽物、あの日冠葉とリンゴを分けあった自分こそ真実の姿だと思ってる…んじゃないかなあ? 一応、陽毬の命は冠葉の稼いだ企鵝の会の金で出来てる訳だから
陽毬も企鵝の会に属してると言えるのかもしれない。
しかし自己犠牲で死んだ陽毬の命は「どこにも属してない汚れの無い魂」だから
何のマークも貼ってない林檎なのかもなぁ。。。
仮に真砂子が林檎を持ってるとしたら夏芽マークが貼ってあったりするのだろうか?w >>542
それは魔女が見せてくれる願望への幻想に過ぎないのでは?
トリプルHになって独り立ちしたり、病気が治って健康になると兄弟との共依存構造が破壊される
だから諦めたように見える弱い存在として気を引いて関係を続けていった
それがヒマリの生存戦略、最後に革命が起こされて兄弟から卒業した(するしかなかった) >>545
ヒマリが薔薇の魔女と同じ立ち位置、と私が同意したのは忘れてください。
やんわり言い直すと「陽毬はアンシーみたく救われる側」かなと。
高倉両親の指名手配の前、トリプルHになる為の夢があった頃の陽毬は病気は酷くは無かったので
アイドルになって独り立ちしたり親孝行する事も出来たかな、と思います。
まぁ罰を与える女神様は甘くないのでそんな絵に描いた幸せは許さなかったでしょうが。
また、健康になる事は陽毬自身望んでいたと思う。
しかし高倉家の呪いで「ダブルHと果実を分け合いたかった」という欲望を自分という箱に封印したから病気になったという事実や
その病気の原因が医者にも突き止められない夢の世界ではどうしようも無かったのかなと。
陽毬は呪いのせいで他に友達も作れないし病気の再発は免れない。
また陽毬の生存戦略は20話の通り「大切な人が選んでくれるのを待つ事」と私は解釈している。まるで餌を取ってくる親ペンギンの帰りを待つ子ペンギンみたいだ。
こどもブロイラーに行く時に「待つって事は辛くない事だって初めて思ったんだ」と手紙に残した通り
当時3歳ながらも帰ってこない母親を待つ事の辛さを痛いほど理解し、機会があれば成長したいという意思は陽毬自身しっかりと持っていたのだろう。
その意思を実現にした時の演出もペンギンで表現されている。
9話や22話など陽毬が兄餌を持ってくる兄弟を待って彼らが苦労してるのを見て見ぬフリをしていた子供だった時は
水族館で5匹のペンギンが飛び込むシーンが挿入されていたけど
最終話で成長した陽毬が冠葉に林檎を返す為にクリスタルワールドに飛び込んだシーンでは
飛び込むペンギンは一匹、つまり陽毬が11話の皇帝ペンギンの話通り危険に飛び込むファーストペンギンとなり一歩大人へと成長したという演出になっていたのだろう。
よって世界が変わるより先に陽毬は成長出来たから
革命が起きても彼女は対応は出来たんじゃないかなぁ、と私は思ってます。 >>543
真砂子のキャラは17話で決闘した時のゆりの評価が的を射ているらしい、小説版によると。
林檎を分け合ったあの日ってのは本編での描写が無いで解釈に違いがあるかもしれないけど
一緒に呪われるという叶えられなかった約束がそうだったし
真砂子はその時の呪いに執着してるのでしょうね。
また、改めて考え直してみると
例え真砂子が冠葉と林檎を分け合ってなかったとしても
真砂子を支えてくれる連雀がそばに居たおかげで
真砂子はマリオを今まで病気無く育てられたとも解釈出来るのかもしれない
小説版だと連雀は過去回想でも出番が多かった。 >>547
ゆりと真砂子の決闘シーン大好き
確かに素直に考えれば真砂子が言う「あの時の言葉」は「一緒に呪われよう」ですね
それが真砂子にとっての絆なんだろうけど、その前(10年前)に真砂子が冠葉に愛を送っていて、冠葉もそれを受け取り大切な妹弟だと思ったから二人を夏芽家に返したのでは?
これは冠葉が自分を身代わりにして陽毬だけ乗り換えさせたのと一緒の構図だと思う
真砂子にとっては父や冠葉と引き離された=選ばれなかったという悲しい思い出だったので、一緒に呪われることが絆だと上書きした
小説は読んでないけどマリオや連雀の存在は大きそう そもそもなぜペンギン帽(桃果)は陽毬を助けたのか?
陽毬を助けたことによって冠葉が眞悧に協力する動機付けを与えた。
これは眞悧の暴走を止めるという桃果の目的には反する。
それとも
陽毬が生きていて苹果と友達になる→
苹果が陽毬のために運命の乗り換えの呪文を使う
というシナリオを桃果は知っていたのか。
そう考えるとなんか全ての登場人物は桃果の手のひらの上で
踊らされていたみたいでちょっと妙な感じになる。 桃果は死に、冠葉と晶馬は「初めからいなかった」ことにされた。
桃果は人々の記憶に残ったが冠葉と晶馬は忘れられた。
この違いは桃果の行った運命の乗り換えが半分しか成功しなかったことによるものか? もし眞悧がダブルHにマフラーを渡さなかったら、
苹果が呪文を知ることも無かったかもしれない。
これは眞悧にとって予想外の展開だったのか。
それとも彼は本当は彼らがピングドラムを見つけて
運命を乗り換えることを望んでいたのか? >>550
個人的な考えだけど
まず冠葉は乗り換えの呪文の副作用で消えたわけではない。苹果が呪文を唱えたその副作用はおそらく全て晶馬が引き受けてるので、桃果がどうだったかとは関係がないと思う。
晶馬が存在ごと消えた理由は乗り換える運命の差分が大きいほど、あるいはそれによって生死が変わる人数が多いほど呪文の副作用が深刻になるからじゃないかな?ここからはただの妄想だけど、恐らく最終回の乗り換えでは電車でのテロが防がれただけじゃなく企鵝の会も無害な形に大きく変質させられたか消滅してると思うんだよね。その分代償も大きくなったんだと思う 自分も眞悧の起こしたかったことを冠葉が意思を持って引き受けた形になってると思う、兄弟ひとまとめではないね
冠葉の見つけたと言う「本当の光」は兄弟妹でピングドラムを分け合ったこと(自分自身?)で、晶馬の「これは僕たちの罪だから」はそのピングドラムの代償の意味もあるのかなと思う
KIGAマークは明と暗それぞれ同時にあって、桃果・眞悧もそういう表裏のものなんじゃないかな
帽子(桃果)が冠葉に生命の代償を求めたから眞悧の呼び水になったともいえるし、マリオ・真砂子の場合も同じだったのかもしれない
そういう意味では冠葉と真砂子はよく似た精神性の双子だなと思う、20話までの真砂子はミスリードを誘発させる存在だったのがややこしいけど 「10年前の箱の中」の描写が何なのか?を考えている。
小説版によると
3年前、冠葉が高倉家リフォームを提案した時に晶馬はようやく彼を兄だと認めたらしい。
しかし最終話で晶馬は「あの日(10年前の夏芽父の葬式)、父母に兄と呼べ」と言われた事が気に入らず、ずっと冠葉を兄だと認められなかったらしい。
つまり葬式後から高倉家で暮らし始めた後からリフォームまでの7年間、「晶馬は冠葉とは兄弟仲では無かった」
となると「10年前の箱の中」で林檎を分け合った時に交わした冠葉と晶馬の契約は「兄弟になる為」ではなく
「大切な人に"大スキだよ"と伝える為。」
しかし21話の通り、3年前の高倉両親の失踪と指名手配報道の後、陽毬はずっと泣いていた。
小説版の晶馬の描写から推測すると
3年前に泣いていた陽毬の為、冠葉がリフォームを提案した時に
晶馬は「10年前の箱の中」で冠葉と交わした契約を
「大切な人に"大スキだよ"と伝える為」から「冠葉と本当の兄弟家族になって陽毬を守る為」に更新したのではないだろうか?
そして高倉家のリフォームは完成した。
「高倉父母と一緒にKIGA林檎を分け合って出来た5人家族」ではなく
「(高倉父母とKIGA林檎を排除し)冠葉と晶馬が10年前に林檎を分け合って始まった3人家族」として。
また家のリフォームは和製英語でrehomeではなくreformと書くらしい。
その単語の違いが高倉家(Home)を運命の列車が停車する高倉駅(RE:platform)に変えたのかもしれない。
幾ら過去を忘れたくても血の繋がりや家族の呪い、運命の列車からは簡単に逃れられない。
だからリフォーム後の高倉家は東京スカイメトロとも繋がり
13話のTSM開業10周年のリポーターの教訓は
「KIGAとの付き合いを無くし両親も居なかった事にして高倉家を[10年前の箱の中]の時からやり直そう」という晶馬の教訓と決心にもなっていたのかもしれない。 >>549
桃果をペンギン帽に変えたのも陽毬にペンギン帽あげたのも眞悧だから、眞悧がピングフォースの後継者を育てるためにしたことだと思ってるわ
桃果とは前回は相討ちで終わってるからリベンジマッチしたかったんだろうな つまり3年前の高倉家リフォームの時に「10年前に箱の中で冠葉と交わした契約」を更新したせいで
「大切な人に大スキだよと伝える方の契約」を晶馬は忘れてしまっていたのではないだろうか?
だけど最終話で本当の契約を思い出したから冠葉と兄弟の契約を解除し
眠ってる陽毬を現実に戻して
池辺陽毬に「大スキだよ」と伝えられた。
そんな感じじゃないのかね。
'19年のさらざんまいで例えると
真武=高倉兄弟
玲央=池辺陽毬
で高倉兄弟は10話の玲央と一緒に居る為につながりを捨てた真武みたいな感じかなぁ。
「愛してる」と伝えた途端、爆発して消えてしまう。 小説版によると最終話の晶馬は「陽毬の一番大切な言葉」を知らないらしい
その大切な言葉とは20話のKIGA林檎を陽毬に渡した時の呪文「運命の果実を一緒に食べよう」だろう。
その理由を推測すると
高倉家リフォーム時に契約を更新し、父母と友にKIGA林檎を排除した時に
呪われた記憶と共に晶馬はその乗り換えの呪文も忘れてしまったのではないだろうか?
だが22話で思い出し玉を食らった為か本当の契約を思い出した時に
10年前の箱の中で分け合った「大スキだよ」の林檎の方は思い出せたのだろう、KIGAに属していない陽毬の命の林檎だから。
つまり「運命の果実を一緒に食べよう」はKIGAや世界共通の乗り換えの呪文で
「大スキだよ」は陽毬or新高倉家オリジナルの乗り換えの呪文、みたいな解釈になるのか? では何故24話の箱の中にあった無印林檎を
世界共通のKIGA林檎を分け合う時と同じように冠葉は「運命の果実を一緒に食べよう」の呪文とともに分け合ったか?だよなぁw
箱の中の冠葉は世間と同じ真似事がしたかったから世界共通の呪文を唱えたのだろうか?
冠葉が林檎にKIGAマークが無い意味が分からなかったのか
それとも私の解釈が何処からか間違っているのか? >>556
アニメ前半がペンギン帽の桃果のターン、後半がサネトシのターンっていう、サネトシが仕掛けたゲームって感じがしてたわ >>548
ゆりと真砂子の決闘も色々と意味不明ですよね
まずあのサンシャニー歌劇団マークのボウガンは何だとw
劇団謹製の小道具か何かかな?
おそらくゆりも生存戦略で家族の欲望をクリスタルワールドに取り込むプリクリみたく
池袋駅にある舞台(stage platform)に立つ女優として観客の意識(欲望)を取り込んでく能力を持ってるけど
同じ特殊能力持ちも真砂子とぶつかったから決闘後お互いにボロボロになっていたのかもしれませんねw
12話のクリスタルワールドで服を破ったはずなのに現実では破れてない冠葉と違って。
舞台だけに'18年のレヴュスタを思い出すなぁ。
後から連雀の存在を思い出してすみませんね。
私もピンドラのすべてを把握してる訳では無いので。
そもそも全部把握していたら今のように頭を悩ませる事も無い、或いは減っていくのでしょうが ちなみに生物教師で教壇(teacher's platform)に立つ多蕗の授業も
生徒として聞いている晶馬によると意識が遠くなって眠くなるらしいw
駅のplatformと家のhomeを駄洒落にした演出で
ピンドラのキャラや設定を作っていたんだなぁ、イクニさんは。
陽毬がなれなかったダブルHの舞台も同じplatformだろうし
苹果のイリュージョンも似たようなものだろう。 >>549-551
ペンギン帽が助けた理由は
最終的に運命日記を使ってストーカーやろうとし始めた妹と陽毬をつなげる為かな。
どう足掻いても離婚で失われた家族やダブルHとの舞台が取り戻せないなら
その二人をくっつけてやろうと。
確かに手のひらの上だがそれが「運命」って奴だからなぁ、視聴者が受け入れられるかどうかでしょう。
高倉兄弟が「初めからいなかった」とは私は考えてないけど
他は大体一緒の考え。
眞悧は生前、箱の中にずっと居たせいで「誰かと林檎を分け合いたい」という欲望の形を忘れ
乗り換えの呪文が「運命の果実を一緒に食べよう」って事も分からなかった。
9話で陽毬がダブルHに「一番大切な言葉」を話す本を見ていればワンチャンあったかもw
でもそれを見ても眞悧には分からなかったかもなw
その時に乗り換えの発動は無かったようだし 或いはアンプル林檎の描写から
眞悧先生は「愛は金で取引するもの」って価値観しか知らない人だったのかもなぁ。。。
さらざんまいの誓みたく。 そういやアンプルとアップルも駄洒落かw
本当イクニさんはこの手の演出大スキだな 眞悧が愛=金の人なら
ロハでダブルHに陽毬のマフラーを届けたのは
シラセとソウヤの反応通り意外な展開だったのかもなぁ。。。
捨てられてしまう物に関して同情しちゃう人なのかもなぁ、何となく共感するわ。 20話の標語の通り
この世界は「捨てる神アレば 拾う神アリ」なのかもな。
マフラーのように捨てられた物に神の奇跡が起こる世界なら
ゴミ捨て場から拾ってきたベッドを再利用する事で
運命の分岐点が生まれても不思議は無いかもしれん。
やはり3年前の高倉家リフォーム時が運命の分岐点になってる説は合ってそうだ。
ダブルHのデビューがリフォーム後の1年前なのに
乗り換え後の世界でもダブルHのユニット名のままな理由は
リフォーム前にオーディション用紙に書いといたのが残っていたから、かもなぁ。 過去スレ久々に見たら少なくとも'16年からずっとリフォーム言い続けてるなぁw
私だけなのか? >>561
あの箱の中のやりとりはよくわからないところが多いので映画後編で何かヒントがあればいいですね
プラットホームが舞台と家にかかってるダジャレならすごい!
ゆりが多蕗に「家族のフリから始めよう」って言うように高倉家も家族ごっから始まった関係ですね
>>563
桃果が苹果と高倉家が繋がることを望んでたというのも納得
たぶん眞悧には運命の果実を分けあえる相手もいないし、運命の檻に囚わた人と人が繋がれる訳がない!て思想の人だから一人ぼっちなんでしょう
忘れ玉をたくさん作って人同士の繋がりを否定する
逆に言うと忘れてるだけで以前誰かと繋がっていたのかもしれない
その相手を思い出すことが大切だった >>569
家族作りに積極的なゆりさん良いですよね。
運命が分かるトップ娘としてトップスタァをとっかえひっかえして舞台に君臨していたから
乗り換え時に代償を支払う羽目になったのは自業自得で笑っちゃうけど
ブロイラーで桃果に助けられた理由を思い出した多蕗が庇うのを見たら「お幸せに〜」って感じです。
本当は桃果とゆりのカップリングが一番スキだったんですがw
プラットホームの駄洒落は自信ありですね、気づけて良かった。
しかし今後このネタを使った演出のアニメが愉しめない可能性があるのが勿体無いかもしれませんw
眞悧は乗り換えで箱から出て自分は幽霊になってそこで満足すれば良いのに
世界の人も救いたいというアリガタ迷惑な存在なんでしょうね。
鷲塚医師と関係はあったのでしょうが本当の自分を見せた事は無かったんでしょう
あるいは医師と出会った時には既に箱の中の欲望が餓死していたのかも?
汎用性高そうだけど忘れ玉をどう使ってたんでしょうね。
ピングフォース時代も玉はあったのだろうか? >>570
忘れ玉は組織の活動で使ってたんだろうけど、冠葉や晶馬、陽毬が過去に繋がってた思い出を忘れてたのと何か関係あるのかな?
20話の企鵝の会のアジトにいっぱいあったけど、ここに集まってる人達はピクトグラムなのに靴だけきちんと描かれてて、まるで大家族の玄関みたいだった
もしかしたらあのアジトは社会のシステムから排除された人達の受け皿になっていたのかもしれない
以前いたコミュニティとの関係を断ち、新しい家族になる場所
そこは優しい人達の集まりではあるけど、居心地の良さを優先して不都合な事実からは目をそらし続けないと持続できない関係
高倉夫妻の愛情が偽りとは思えないけど、晶馬には何かがおかしいという違和感があった 冠葉が家族の為に行動することで孤立していき、かえって家族を崩壊させてしまうのも眞悧は見越してたのかも 眞悧はなぜあれ程、人同士の繋がりに対してネガティブなんだろう?って考えると、桃果が死後も思い出してくれる人がいるのに対して、眞悧は組織の残党からも思い出される描写がないからでは?
桃果は暗闇を照らす東京タワーのように誰かの記憶の中に留まり続けるのに、眞悧は組織の中で呪いという形で継承されていくだけ
組織の中心にいながら誰とも繋がれず、社会からも忘れられていく >>574
君も桃果も他の誰も、彼を愛さないから
つまり我々のせい >>574
何話か忘れたけれども、後半で陽毬の主治医が眞悧のことを覚えていたよ
才能を惜しまれていたから優秀だったのかも
>>575
愛したり愛されたりする以前に、彼は誰からも共感されていない
冠葉には淡く共感したけれども最後に呪いの言葉を吐いたから
共感よりも利用価値の有無で人を判断するのかもしれないと思う
博愛精神を持つ桃果ですら匙を投げたのがTVシリーズのオチだったね >>576
えー!サネトシ先生は人望あるでしょーが!
そして実際にヒマリを延命したり人助けもしているよ サネトシは作品の登場人物としては別に悪人ではない受験戦争や就職戦線の敗者みたいな立ち位置だし
ウテナの成分を二分して分けるとモモカとサネトシができる感じ 延命や人助け、敗者に対する共感的姿勢はゲームを有利に進めるための手段でしかなく、
企鵝の会も剣山や千恵子も、冠葉も真砂子も陽毬もぜんぶ眞悧の駒のひとつにすぎない
作中でも「君たちは亡者に呪われている、僕は『呪い』のメタファーなんだ」って独り語りしてたよ
ずっと「ひとりぼっち」の存在で、そのことを世界の所為にしているってことじゃないかな >>577
確かに優秀だったと言ってくれる人もいるけど、彼の本質を理解してくれる人はいなかったのかもね
陽毬のお薬ってなんだろう?
KIGAマークのついたリンゴからできてた高いお薬だけど、あれは運命の果実ではなく実りの果実だったのでは?
選ばれた者しか手に入らない高価なお薬をちらつかせて、欲しければ力で奪い取ればいいと囁く闇ウサギ 眞悧が呪いなら桃果も呪いみたいなもんじゃないかと思った。
どっちも世界の法則の外にいる存在だし、
苹果や多蕗やゆりは彼女の存在に呪縛されてる。
桃果の日記を追う冠葉や晶馬や真砂子も彼女に呪縛されてると言っていい。 眞悧を単なる悪人と見るなんて勿体ない
彼は世界を革命するもの
参政権のない時代の女性や黒人みたいなもんだろう
図らずも無理解による拒絶が革命を誘発する構造をレスした者が再現している様は喜劇 眞悧は阻害された記憶を持つ人たちの怨念みたいな存在であって
特定の社会層の人と安易にイコールで結んで良い存在ではないと思うよ
そうした人たちだけでなく私達誰の中にもいるかもしれない存在だと思うし 黒ウサギ。ペンギン帽。日記。りんご。
いずれも本来はひとつのものが二つに分けられてる。 初見で今18話まで見たんだが…
あの状況で田蕗はどうやって陽毬を助けられたんだ…?
田蕗(と苹果)は屋上、冠葉はそこより上で宙づり、陽毬はそこより下で宙づり、
で、晶馬は陽毬より下…
ちょっとギャグっぽくなるが、晶馬の上に陽毬を落とすか、
カリオストロのクラリス落下時のように田蕗に鉄骨側面を走らせ、
空中を泳がせて水のタンクか何かに落とすとか…
それだとシリアスシーンに合わないっていうなら
何かリモコンボタンでも押すような描写だけでもあればもう少し納得感が…
恐らく、一度視聴者を絶望させる意図があったんだろうが…
であれば、次話で種明かしと共に復活させればいいんだろうが、
なぜか25秒後に陽毬の腕を見せ、35秒後に全身を見せて安心させてる…
このささやかなサプライズと引き換えに、視聴者はモヤモヤを植え付けられる…
よく分からん演出だな…
毎話陽毬の女王様シーンが出てた前半は面白く見れてたが、
後半は妙にシリアスシリアスしててちょっとつかれるね おとといやっと映画館で観れたぜ大好きな音割れドヴォルザークが映画館の音響で聴けて嬉しかったぜ 赤い靴の女の子のくだりは無駄に話をややこしくしてるだけで何の意味も無いので不要だったと思う。
ただのミスなのにエレベーターとエスカレーターの違いがどうのこうのって深読みしてた人たちが気の毒。
真砂子が冠葉の元カノの記憶を奪うのも何の意味があったのか不明。
序盤のエピソードの多くがそうだが、ただの尺稼ぎだと思う。
彼女たちの口からテロ組織との関係がバレないように記憶を消したという解釈があるけど、
冠葉が付き合ってた全ての女にテロ組織のことをベラベラ喋ってたとしたらただのバカだろう。
ただスナイパーというビジュアルのカッコよさとか、
冠葉の愛を独占したいという真砂子の執念みたいなものは伝わる。 尺稼ぎっていうかミスリードね
自分も日記の女の子の件入らなかった派だが
日記の能力が違うものだった名残じゃないかと思ってる
元カノの記憶奪うのはアサミが冠葉と黒服が会ってるところを見てしまったから
それを言いかけてるセリフがある 真砂子の冠葉の元カノ襲撃入れた意図はよくわからない
私怨としか思えないシーン
テロリストが過去に復讐するために無関係な人間を巻き込んでる 車で聞くためにサントラの音楽データをサントラとドラマとTVサイズソングに区分してきて気がついたんだけど
TVサイズの「少年よ我に返れ」って収録されていない?
「ノルニル」は収録されているのに、、、 リアタイ時もゴンドラの件は時空を超越してるってちょっと物議を醸したよねwww
いい思い出だ
個人的にはあんま気にならないからなあ >>592
そもそも少年よ〜はサントラに収録されてないよ 自己犠牲を描くのであれば、自己犠牲には痛みが伴うということを
ちゃんと見てる側に伝えないと駄目だと思うが、
このアニメでは直接的な描写を極力避けようとしてるせいで、
その部分がちょっと中途半端になった感じがする。
母親をケガさせて陽毬が罪悪感を抱くという場面も
「ちょっとほっぺた切っただけなのに大げさじゃない?」と思ってしまう。
同様に父親が冠葉を助ける場面もディテールが無いので印象に残らない。
(両親は二人ともガラスでケガしてる。)
わざわざ子安と井上使ってこれだけ印象の薄いキャラを作ったのは凄い。 9話を見ると、陽毬にペンギン帽を被らせたのは眞悧の意志ということになるが、
利害が対立してるはずの桃果と眞悧が
連携してるように動くのは何故なのかという疑問が生じる。 ガラスの欠片は粉々に砕かれて透明な存在になる子供たちのイメージとも重なって好きな表現
陽毬の「生きるってことは罰なんだね」って言いながらガラスの破片が刺さってもまっすぐ冠葉に向かって進んでいくところとかも大好き わかる…すごい沁みるよね、あのまっすぐさ
世界からいなくなってしまった冠葉晶馬だけじゃなくて、陽毬も(苹果も真砂子も)それぞれ自分を投げだして止めようとしてたんだなあって
ガラスが割れるのはなんか複数の意味が込められてるような気もして見返すんだけど毎回お口ポカンで見入ってしまう ぼんやり考えてたんだけど、
>>555 -559
冠葉と晶馬の「約束」が小説では「契約」ってなってるのか
でもそこだけ抜き出すと、本編で手を伸ばし合ってる意味合いがなんとなく変わってしまわないかな
リンゴのやりとり以前に、生き残ったほうがもう一人の代わりにしたいこと(大切な人に伝えてほしい言葉を伝える)をしようって話してる場面が本編にはあるよ
箱の中(指名手配以前だけど世間の視線なのかな?)で2人はかなり消耗していて、晶馬は誰に何を伝えたいのか分からない(欲望がない)状態だけど、
冠葉は箱から出たら伝えたい相手・言葉があったからリンゴを見つけられたのかなと思う
でもそのリンゴを自分がひとり生き残るためではなく2人で「分け合う」ことをしたってことだと思うんだけどな 乗り換え後、サンちゃんが陽毬の部屋に持って来たクマのぬいぐるみのお腹に二人の言葉があったのは、かつて過ごした日々のなかで既に伝えていた(過去の修復時に封入)ってことなのかな〜と思う
陽毬は「生きてると感じられたのは冠葉と晶馬がいたから、高倉陽毬でいられたから」それを「忘れたくない、失いたくない」と強く言葉にしていて印象的だったけど、
そこからさらに、兄弟が伝えようとしていた言葉がぬいぐるみと一緒に送られて、最後「忘れないよ、絶対に」につながって終わるくだりは何度見ても震える
学校に行けなかった陽毬もまた“何者にもなれないかもしれない未来”を抱えてた人物だったんだよね
あと、サンちゃんは編み物もできるし名もなき草の発芽と成長を見守る有能なペンギンさんだなと思う プリクリの「“きっと”何者にもなれない」って言葉がネットミーム化してなぜか他人を見下す意味で使われてるのにムカついてたけど、
あれは存在そのものを否定したわけじゃなくて「すでに何者かではある」んだからそれが何なのかピングドラムを見つけてこいってことだと受け止めてたから、
劇場版で桃果が新しく言い放った台詞にイスから転げ落ちるくらいびっくりした
少し前に出てた劇場版のインタビューで監督があっさりプリクリと桃果の言葉の意味について話してて、自分の思い違いにもびっくりしたけど
もう少し前に、ピングドラムに参加してた古川さんのレヴュースタァライト総集編劇場版の歌詞にもびっくりしてたな、あれは作品スタァライトへの意味なんだろうけど 長文くんいい加減自分のブログか何かでやってくれ
ここはお前の日記帳じゃねえんだ ごめん、簡潔に書けなくて
555に返してるけど自己レス長文の人ではないよ 真砂子が元カノ達の記憶を奪うのが謎というかあの弾の存在が一番納得いかない…
あんなん作れるなら世の中もっとうまいこと出来たんじゃないの?と思ってしまう アレはカンバが悪いコトしてるのを
糾弾してる
を物理的に表現してるのかと あの弾は組織のもので冠葉も真砂子もそこに近づいて利用しようとしてるけど
逆に絡め取られて利用される危険があるそういう組織があるって描写なのかも ウテナはわかり易いし何度見ても爽快感があって面白いけど
ピンドラは何の話がよくわからないんだよな
結局、ヒマリがテロリストの娘として虐められるし気が塞いで自ら世の中に出ていこうとしなかった
つまり兄弟に保護される病弱な妹を演じ続けることで共依存関係を継続していたのに対し
高倉兄弟が居なかったことになかったから社会に出て行った(行くしかなかった)てこと? 分かりにくいかも知らんけど、わかるようには作ってあるし、話もちゃんと纏まってるからなあ
理解して観ると傑作としか言いようがない 個人的に、回想シーンで「この人とこの人も知り合いだった」を繰り返すのが後出しっぽくてうーんという感じはあったな
ウテナやさらざんまいみたいに決闘でその回のトラブル解決、とかの構成ではないので何かしら見る側にモチベーション(コミカルな演出とか美麗な作画とか)要求される作品ではあるような気がする >>610
共依存の元凶は実子の昌馬
昌馬に拾われた恩のあるヒマリ、
ヒマリや兄弟のため家出した冠葉はそれぞれの
愛で共依存関係してる
人をコロコロした冠葉はともかく、昌馬は
なんで世界から消えることを選んだのか 晶馬も苹果ちゃんに会えてなかったら一生あの卑屈な気持ちから抜け出せなかっただろうから、苹果>世界だったんじゃないかな? >>613
兄弟が居る世界でヒマリは自立でなく依存を選ぶから消えたんでしょ? >>616
ヒマリは昌馬や冠葉がそうあるように望んだから演じていただけにみえるよ
りんごがいたことで冠葉昌馬以外の人間と付き合えることに安心していたし
トリプルHとの繋がりを怖がらなくなったことで余計に離れられるようになった
それを認められなかったのが冠葉だけど、
ヒマリからピングドラムを受け取れたことでヒマリを生かして世界から消える選択ができた
けどなんで昌馬まで消えたし(´・ω・`) 冠葉と晶馬はカンパネラとジョバンニで銀河鉄道の夜でも蠍の灯を見ながら「僕たち一緒にどこまでも行こう」って言うんだよね
運命の至る場所って冠葉と晶馬が運命の果実を一緒に分けあった時のことではないかと思う
二人で乗り換えの代償を払ったおかげで世界から消えても一人ぼっちにならず箱から出れた気がする たぶんどうでもいい情報。
1話で晶馬が寝てる時サンタみたいなナイトキャップをかぶってるが
21話ではかぶってない。
というか陽毬の寝室に白雪姫の本が置いてるので、
白雪姫→七人のこびと→キャップという連想か?
後半の季節は冬なので暑いから脱いだというのは無さそう。 ネットでこのアニメを考察してる人が、「監督の言葉こそ真実」みたいなことを言ってたけど、
監督の言うことが絶対に正しいという思い込みは結構危ないと思う。
作り手が嘘をつかないという保証はないし、アニメは一人で作るものではない。
ただ幾原監督みたいに自分の色を強く出してくる人の場合、
純粋な作家主義というものが存在してるという錯覚を見る側に与えやすいんだと思う。 イクニ監督ってそういうの危惧して断定的な発言は避ける人みたいやな 巨匠系アニメ監督の様な上から目線がないのは世代間差だろうね 幾原監督は放送中とか放送後は言葉を選んではぐらかした返答が多いけど企画意図とか製作背景についてはわりと明確に答えてる気がする
劇場版についてのインタビューでは総集編の構成もあるしTV版のことやそれぞれの違いについて明確に話してくれてると思うよ
桃果とプリンチュの声優さんのと劇伴製作の人のインタビューは別視点からの話だったから面白かったな なんかすっかり忘れてて観に行こうと思ったらもう九州やってないやないかい! 運命を乗り換えても陽毬がアイドルになる世界にはならなかった訳で、
結局トリプルHとは何だったのかと考えてしまった。 陽毬がずーっと晶馬の方を向き続けて晶馬はそれを避けて家族ごっこをやりたがってる状態に居続けた冠葉地獄すぎる ひまりってさねとしに言われてから過去の記憶(運命の果実を誰かと分け合った)思い出したけど、そのときにはまだ相手が晶馬って分かってなかったじゃん?
そんな晶馬の方ばっか向いてる描写あったっけ >>631
苹果ちゃんが「陽毬ちゃんを見てれば分かる」とか言ってたり、冠葉の前ではお戯れごっことかするのに晶馬の居るときは終始可愛かったり、子供の頃の写真も晶馬の方ばっかり向いてるから最初からずっと気があるもんだと思ってたけどそういや途中で思い出したんだったわ >>632
ひまりを見てれば家族ごっこしてるのがわかるって言ったのもどこに違和感を覚えたんだろ、りんごちゃんは 結局冠葉は祖父と母の子供なのか?とか
陽毬とマリオは兄弟なのか?とか
謎が残った訳だけど多分映画でも補完されないよなこの辺は >>633
そこで陽毬の気持ちが既にあって気づいてたなら晶馬に恋する苹果ちゃんが鬼畜になるなw
うーん分からん
イクニアニメに整合性を求めてはいけないと思いつつも 陽毬な晶馬と苹果の日記のやり取りを黙って見ていたし
兄二人の前では本音隠して妹っぽく振舞ったりっていうのがわかるってことでしょ >>635
正解はない、感じたままにってことかな
>>636
どことなく遠慮しがちってことだったのかな 18話は素直に感心したけど結末は微妙なんよな
宮沢賢治の作品を下敷きに良い部分も多かったけど罪のない大勢の人も死んでて主人公の自己犠牲で運命を乗り換える以外に方法がなく救いとは程遠い
前半の時代錯誤な卑猥な描写や食べ物を粗末に扱うシーンとりんごを分け合う比喩表現が噛み合ってないなと感じる
放送当時としても不快に感じる下品な描写だった
幾原監督や制作陣が高尚な作品として過剰に扱われるの嫌ったのかな?とも思ったがどうにかならなかったのか 下品でくだらないギャグも
頭沸いてるバンクも
ピクトグラム多用のアートワークも
自己犠牲なメロドラマも
日本人が抱えてそうなメンタルな課題も
すべて監督なりスタッフなりが入れようと思って入れた好きなものだと思うぞ 家族愛の象徴たる食べ物を粗末にする演出なのは分かるけど仲直りのロールキャベツのときのようにペンギンが拾う等のフォロー入れて欲しかった
実写ドラマと違ってアニメだから実物を粗末に扱ったわけではなくとも見ていて不快感がある ゆりが父親から醜いって言われてた理由って四肢があるからってことでいいのかな?
父親の部屋においてた像はみんな手が無かったしノミは四肢を切断するため? 古代彫刻は長い年月で手足が欠けてても美の基本があるから手本とされてるとは思うけど
彫刻みたいにっていうより狂ってる父親に破壊されそうなほど愛されていないってことだと思った
子の意思や気持ちを無視して親の思うように変えようとして起きる親子の事件って絶えないし >>642
なるほどな~比喩っぽい感じもあったしいいねそれありがとう アマプラで見て面白かったので色々調べたらさっき劇場版やってた事を知った俄ですが
後編だけ見に行くか前編がなんかしらの形で見られるまで待って両方見るか悩みます
前編で話の内容が著しく変わってるとかありましたか? アマプラで見れるの?
いいこと聞いた
ネトフリ消えてから見れなかったから 前編は退屈なくらい総集編だったよ
でもちょっとテレビの続き?みたいな新しい話入ってる
ほんのちょっとだからネタバレ見てから後編見るのがいいんじゃないかな
やっぱ映画館で見るのは良いよ
期間限定だし
ネタバレって言っても前編の予告編見るだけでも十分かもw >>646(645)さん
ありがとうございます!
ものすごく話が変わってるかもと心配でしたが安心して後編を映画館で見ようと思います
前売りどこで買うか探ってたら新キャラとあらすじみたいなのがやんわりわかったので楽しみです アニメにでてきた運命日記って実際の桃果役の豊崎愛生さんの字とかイラストに似てるような気もするんですが、実際誰の字かとかって発表されてますか? サネトシ先生のカウントダウンボイス聞いたけどなんか声違くない?
パチモン感あって全然だよね、ってならなかった そろそろ後編公開されるのに気づいて帰ってきて
思い出すために漫画版見始めた
とりあえず1話分読んだが
アニメ版と違ってペンギン2号が晶馬を落とした後に羽を水平に動かしてるようなバンクに
コマを割くのは何か理由があるのかなぁ?
漫画版では二号が落ちてる晶馬に手を振ってる、みたいな感じだろうか
陽毬が病気治ったら学校に戻れるかな・・・、なんて言ってるが
辛い事ばかりなのに本当に戻りたいのかなぁ?と読者的には疑問ではある
だから三点リーダなのかもな 漫画5話分まで読んだ
ラジオのカッコウは誰の暗喩なのかねぇ
世代を越えた描写が無いから分からんが
真っ先に思いついたのは陽毬から冠葉の愛を取った陽毬だな
漫画ではスカンクが出てこないんだな
トリくんTシャツも苹果が来たままだしスカンクが居なくても話は成立するってか
どうも二人の服を交換させたい展開が欲しかったのかな、最後に蠍の炎を引き受け
陽毬と林檎を分け合う役目の交換のにおわせか
アニメでも思ったが苹果は身体能力高そうなのに何故泳げないのだろう、そりゃ溺れる為ではあるが
過去の玄関の林檎を幻視して手を伸ばす冠葉が印象的 10年ぶりぐらいにピングドラム見直してるけど当時よりいろんな描写が心に刺さりまくる
当時はあまり意識しなかったけど、サネトシはモモカにぞっこんだったんだね
劇中何回か出てくるサネトシの持つリンゴ(ピングドラム)も全てモモカだけに向けられたものだろうし
最終話の、箱に閉じ込められた冠葉晶馬がリンゴ分け合う描写も当時は状況が意味不明だったけど今なら不思議なぐらいにストンと感情移入できる 漫画9話分まで見た
マラカスのデザインの違いの演出が印象的、というか初めて気づいた
何故ピングループのマークの有無の差があるのだろう?
アニメ4話見直してみたら確かにピングループマーク無しのマラカスだった
何かしらの演出意図があるのだろうか
例えば過ぎたもの、過去の回送の場合にピングループマークに変わる、みたいな感じなのかねぇ。
それと、高倉家は何時テレビデオからデジタルテレビに買い換えたのだろうなぁ?
9話の回送から陽毬がダブルHデビューを知った後。
結局テレビデオはゴミ捨て場行きになったのに
読んでた本通りカエル君はテレビデオを救ったと言えるのだろうか?
そもそも救うってなんだろう?、失われたものでも陽毬の記憶に残ってる事が「救う」なのだろうか。
そらの孔分室は大切な記憶の保管庫で
不要になった記憶もこどもブロイラーに捨てられるのかねぇ。
また、陽毬がペンギン帽を買ってもらおうとした理由は同じのを被ったマリオを見たからなのか。
しかし周りに家族の居ない彼を見て陽毬はどう思ったのだろう?
その一つ前、陽毬が水槽越しに見たペンギン3号が誰にも見つけてもらえなかった頃の自分の姿と重なったのかもしれないとすると
一人で水族館に来たマリオを見て陽毬はファーストペンギンのように度胸あるなと思ったのかもしれないな。 9話の姿見のシーンでのマラカスはピングループマーク無しだな
陽毬にとって都合の悪いシーンでマーク無しな理由は
マラカスのピングループマークがトリプルHの絆みたいなものだからなのかねぇ
漫画版ではそれが失われたと。 前編見逃した人、15日からレンタル配信してるみたいよ
見てみたら? 漫画2巻読み終わった
今回の時系列的に1話前のおまけ漫画は本編に加えて欲しい位良いなぁ
陽毬を大切な光と表現しているがこれが入ってる事で
最終話の本当の光が何かがより分かる。
大切な光と本当の光はユリ熊嵐のスキと本物のスキくらい違うものだろう。
やはり苦労して探さないと本当にはならない
或いは高倉家リフォーム時の契約の更新で高倉兄弟は「本当の光」を求める気持ちを一度忘れてしまっているのだろう。
苹果とプリクリに同じ性質を感じている晶馬の2コマが印象的
プリクリが桃果とは私は思っていないが荻野目家の女は男の弱みを握ってこき使う遺伝子なのだろうか。
それと冠葉もまた苹果とプリクリに同じ性質を感じてるのかも?と思わせるが
冠葉は真砂子と陽毬に同じ性質を感じてるのだろうから関係無いかもな。
にしても仮にプリクリが運命日記を手に入れていた場合、彼女はどうしただろう?
黒歴史として焼却処分しそうな気はするが、褒美として誰かに乗り換えの呪文を教えもするのだろうか。 漫画15話分まで読んだ
仲居姿の真砂子がアニメより可愛い
漫画では山下が福引を当てなかったルートになってるんだな
わざわざ同階に客は居ないと説明させてまで
漫画版は気にならない感じに端折る所が上手いな
漫画版では流石にユリさんの亀甲縛りは無いか。
アニメ版15話のユリが亀甲縛りした苹果を放置して布団や枕を整えてるシーンが
一部のマニアに有名なAV「職人と人妻〜日本が誇る伝統の性技〜」のパロディと言う解釈を見たのだが本当なのだろうか?
確かにイクニさんのスキそうなシュールなAVに思えるし
AV発売日の'11年の3月7日に対しピンドラ15話の放送日は10月21日
アニメ制作には疎いが絵コンテのイクニさんか柴田さんが
震災後のストレスのかかる時期に発散の為AVを見て影響を受け2,3カット挿入した、くらい考えられるのかもしれない
私はそのAVを見た事が無いので分からんがどれだけ似ているのだろうなぁ? 漫画18話分まで読んだ
マリオが意外な所で登場
冠葉と絡んでアニメよりキャラ像が見えてくるのだろうか
多蕗はあの後、義弟を愛せなくなったんだな。そりゃそうか。
にしても都立外苑西高等学校は男子校の設定のはずなのだが出席簿の築山京子ちゃんって誰や
漫画では設定変えてるのだろうか 劇場版後編みた感想
テレビ版をもう一回みたくなった
とくに最終回 劇場版は結局ほとんど総集編だったなぁ
これにクラファン20万とかしたのが俺だったらキレてたかもしれん
まあそこまで払うやつは信者も信者だから大丈夫か… そもそもあのクラファンって新作出しますって名目で始めたやつじゃないでしょ 新規映像30分もないとは思わないんじゃないかな
まあ分かりやすく纏めてたし
ピングドラムという作品が広まるのには良かったんじゃないか
ただ乗り換えたのにループにしたのはどうなの?ってちょっと思ったけど 観てきたー
温泉の卓球対決とかアホな話が好きだったのだが、流石にカットされていたなw
テレビシリーズ後半のシリアスなエピソードを繋いでグイグイ引き込んで行く展開はとても良かった
あと、やはりこの作品は音楽がめちゃくちゃ良い♪
観に行って良かったわ 前編で奪われた日記の争奪戦……みたいなものはバッサリ切って、各キャラに焦点当てて見やすくなった総集編(プラスアルファ)という感じ
初見の人は劇場版の方が入り込みやすいんじゃないだろうか ラスト変えてくると思ったのに結局同じなら何で今さら二本立ての総集編なんてやったんだろう >>675
これは思た
僕達は間違ってなかったんだってのを再認識させただけというか
正直別ルートとか少し違った展開期待しすぎてたのもあるけど、再編集と考えるとこんなもんかと思う 再編集で初めての人にもとっつきやすく2時間ずつで分るようにして、その先をやったんだと思う
劇場版に残したものに意味が込められてるんだろうな〜どういうことだろ〜って色々考えてたら、
最後の唐突な檻のシーンの意味がなんとなくわかったよ 自分はサブスクで一気見したけど、通常のアニメ放送見れてた人すごいと思うわ…
1話から8話くらいまでキチガイ女追いかけてるだけだし脱落してたと思う エンディングのcoaltar of the deepersが好きで、曲聴きたさに観てた。
あと、まどマギの次はピンドラが来る!みたいな空気もあったし 総集編としてはよかったから上下巻で見やすくなったのは成功なんじゃないか
映画としては正直劇場で見る価値あるかといわれるとないだろうけど
家でみても変わらない
予算も掛かってないだろうし興行的にもマイナスではなさそうかなとは思うけど >>678
やっぱ当時も思ったけどリンゴちゃんパートが長すぎたな
リンゴちゃんストーカー抜いたら普通の女の子すぎていいとこもわるい所も大してない子なのにめっちゃ尺とるから
あそこで振り落とされた人は多いと思う。 個人的にはりんごちゃんパートのキチガイっぽさ好きだけどなあ 2周ぐらいするとむしろ前半のよさがしみじみと感じられる
後半は重すぎ ワンクールにまとめてたらもっと話題になってたろうにな
まどマギの3話までを、こっちは10話かけて見せられてる感じだから辛い フグの毒とかタコとかで尺稼ぎしてたのを全部バッサリしたら良作になりましたっていうのがこれだから
あとTV版のラストはどう考えてもクソだったので新規カットは良かったわ カットされすぎててスカンクが訳わからない感じになってたね。 サントラいつのまにかAmazonミュージックで配信されてて小躍りしてる
運命の子たち聞けるよ 山上事件でフューチャーされ知り土日で一気見した
最初ギャグアニメ調だったのが9話くらいからサスペンス調になってグングン引き込まれた
リアルなオウム事件を下敷きにしてるのに終盤かけての魔法を絡めたオチは自分に合わなかった
映像や演出は古さを全く感じずひたすらカッコ良く気持ちよかった TV版を初見で全話みました。
斬新な演出でよかった。
4話ラストでりんごちゃんが、エスカレーターから赤い靴の女の子突き落として
デスティニー!とサイコパスなことしてたのに
なんのお咎めもなく終わったのがもやる。
ももかちゃんは16年後の未来のことを妄想して日記書いてたの?
ヤバイ小学生だな。 陽毬はカンバとしょうまの愛を犠牲に生存の戦略をしてたってわかった
カンバとしょうまは存在が罰だから死んで嬉しいと思った
りんごちゃんの純愛や運命を汚してしょうまは焼き殺されて当然だと思った >>677
自分は檻のシーンだけどうしてもわからない。
ほかの部分はそういうものがある世界として無理やり解釈できなくもないけど唐突すぎる。
メタ的なことはなしにして、劇夕の意味だけで時間軸がいつで、夢(妄想)なのか、現実なのか、なぜ入れられたのか、親はどうしているのか。
みんなどう解釈してるの? >>697
時間軸は晶馬が陽毬に会う前
現実(監督が確か断言してた)
運命の日(事件の日)に生まれた子が複数だったから選別のためと理解している
ただそうすると冠葉と双子の真砂子も檻に入れられないとおかしいんだよなー >>698
そういうことね、ありがと
時間はそういえばひまりと会った時より幼かったな。
選別してたって話の中で出てきた?理解力なかっただけかな? 選別の話は無かったかもなー
勝手解釈だったかも知れない
晶馬の両親は「いつのまにか2人が仲良くなっていた」
と言っていたシーンがあったので知らなかったのかと
そのあたりで思想心情で子どもに目が向いていない両親の影が描かれていたのかと理解してた 監督が断言してたってのはどこでの発言なんだろね。
メタファーと考えたほうが他の描写とも合う気がする でも、選別だと子供ブロイラーと同じことしてる事になるからピングフォースの思想と逆になるのよ。
子供に目が向いてないことの比喩的な表現としてもカンバは妹がいるから、孤独でショウマと共感しようがない。檻の中で死にそう=孤独ならカンバの「生き残った方が…」のセリフも変だし
設定としては実際に起こったことっぽいけど >>700
あの箱は懲罰房の一種?と思いながら見ていたよ
冠葉が真砂子達を家に返した裏に三角木馬の爺さんの圧力があったからかもしれないけれども
妹を説得して脱会させたことが罪とされるかも
晶馬は演説の最中に抜け出す癖があったことくらいしか思い当たらないし
同等の罪になってしまうのかは分からないけれども、組織に反抗的ということなのかな
子どもは起きると寝るのサイクルが短いので精々1日位の間の出来事で
2人の記憶が曖昧なのは時間の流れが分からない空間だったからなのかなと思った
血が繋がる晶馬と両親との関係性の薄さと、赤の他人の冠葉や陽毬にとって
一見子供思いの親であるという違和感は、外面は良くて家の中が疲弊している家庭っぽくてリアル 現実に起こったことだとすると、冠葉の箱にだけ林檎が入ってたのが気になるよね。
回想としては10年前になるみたいだけど。
円盤のコメンタリ聞いてみようかな。 >>697
677だけど
698の前半には同意だけど「選別」とは思わなかった
何度も電光掲示板で「10年前」って強調されてるところとマークがピングフォースでも企鵝の会でもないのがずっと引っかかってた
近いのに出自の違う2人はあそこで運命の乗り換えをしてるんだろうと思った
具体的な乗り換え前後の違いも見つけられないし話の筋にかかわってるのかもよく分からないから
何とも説明できないしただの勝手な思い込みなのかもしれないけど
自分のなかでは腑に落ちたよ 円盤情報出たな ジャケットはリリィさんか西井さんが良かった、西井さん劇場版関わってないみたいだけども… わかる
劇場版のキャラデザの人、いいんだけど晶馬かわいすぎてちょっと苦手だ カレー食った
劇場版円盤の情報出たけどいまいちテンション上がらない
劇場版やったせいでむしろピンドラ完結感があるかも >>710
晶馬はまつ毛バチバチで可愛いくらいがちょうどいい まつ毛バチバチで可愛いならむしろ西位さんのほうが可愛いんだよなあ いま2話まで見たけど面白そうだなね、ウテナは知ってたけどこれはノーマークだったわ
ウテナに魅了された熱が劇場版ですっかり醒めたせいか、幾原監督に失望感があったけど
これは面白そう いま7話?で能登さんがパリの歌、うたってるんだが…歌下手だな! 桃果の日記って本当に桃果が書いたのか?めちゃくちゃ痛い妄想日記になるけどそんな事書くような子に見えないよ ゆりさんはあの日記読んで多蕗に嫉妬しなかったのかな 訳分からず見て途中から物凄い作品かもな気がして最初から観直して今終わった。
これ、ファンタジーってことにして、突っ込みを辞めて観ると、とんでもなく面白い作品じゃない?って思ってる。劇場版も観たい。面白かった ファンタジーかと思ったら事実だったのがびっくりだわな
子供ブロイラーなんて現代日本ではありえないと思ってたのに・・・ 寓話みたいなもので、現実離れはしてるところあるけど、それだけではないよね 初めて作品知って視聴中です
トリプルHのアルバムって楽曲はフルサイズですか?
もしかしてTVサイズでしょうか? 全部フルサイズですよ~
TVサイズはTV版のサントラに入ってます >>728
ありがとうございます
数日前にアマプラで見つけて20話まで来ました
リアルタイムで考察しながら見たかったなぁ
アルバムも買ってみます 灰色の水曜日はテレビ版とは違うのでそこは注意ね(歌う順番とか) サントラはサブスクに入ってて、TVサイズの曲も聞けるよ >>729です
色々レスありがとうございました
数日で最終回まで一気見してしまったので
もう一度ゆっくり見直します
トリプルHのアルバムも注文しました 少し前に初視聴して陽毬の声気に入ったんだけど
他にあまり代表作少ないね残念 後発組だから自分のペースで見たけど
リアタイ組は1週間待つのキツかっただろうな
ネットの考察や意見聞けたのは羨ましいが どうする家康の冒頭部分、木村昴が女をしつこく口説いてた
思わず、冠ちゃんだー ってワロタ
必要の無いシーンなので、木村昴ファンに向けたサービスだったのだろう そういやきのうカレー食った って書き込むの忘れてた 車内にマクロス·ゾンビ·ぼっちのCDも常備してるけど
トリプルHが好きすぎる 能登さんがガンダムの仮面枠で出てるけど、
「世界を書き換える」とか言っててどうしてもゆりさんのことが頭に浮かぶわ あんなふわっとした演説で信者がついてくるとは思えないが、
まああの程度だからカルトどまりなんだろうな。
ゲッベルスくらいのカリスマ性があったら実際に国を動かせる。 アニメ稼働がなくてもトリプルHのアルバム出してほしいわ
マクロスデルタみたいに声優ユニットだけで稼働させてほしい
AEBの曲をチョイスしてアルバム1、2枚あればお腹いっぱい 終わったアニメだから要らない。そんな金あるなら新作アニメ作れ 幾原邦彦改めボンソワール幾原のユニット
帝子ボンボン「君の青春は輝いているか」
こんなんあったのか
今Youtubeで聞いてみてるけどトリプルHには敵わんな
絶対運命黙示録・完全版は歌詞に続きあって驚いたけど 真砂子の事について考えている。
冠葉の箱に突然出現した林檎が22話で陽毬が死んで返した命なら
何故、真砂子の同話での自己犠牲は林檎となって冠葉の箱に届かなかったのだろうか?
その違いは「真砂子が"冠葉の運命共同体"への執着を捨てられなかったから」
だと私は思っている。
陽毬は執着を捨て死んだが、真砂子は執着が捨てられず死にきれなかったので23話でまた復活した。
その二人の妹の冠葉への想いの違いが
冠葉の箱に林檎として届いたか届かなかったかだ、とも私は思っている。
ユリ熊嵐にもゾンビのように執着を捨てられず復活するみるん王子が居たが
「ご褒美のキスが欲しい」という偽物のスキでは相手には林檎が届かないのだ。
「真砂子を復活させたのは眞悧じゃん、悪いのは眞悧!」と言いたいファンも居るだろうが
あれは「真砂子自身の問題だった」と私は推測している、或いはイクニさんがわざと仕込んだミステリーって感じだろうな。
混乱するし要らないので劇場版では真砂子復活のシーンは省かれたのだろう。
眞悧は「呪い」というより別れてしまう事が決定している現運命共同体に「偽りの希望」を見せる存在だからなぁ。
だから陽毬のマフラーをダブルHに届けたのだろう、彼女らはもうトリプルHには戻れない運命なのだから。 「陽毬は24話でプリクリの格好で復活したじゃん、なんで陽毬の林檎だけ冠葉の箱に届いたの?」
と疑問を持つファンはいるだろうが、クリスタルワールドは虚構の精神世界。
12話のクリスタルワールド内で自分の服を引きちぎった冠葉が現実の手術台のシーンでは服が元通りだった通り
クリスタルワールド内では例え死んでも現実には影響しないのだろう。
話は逸れるが最終話で高倉兄弟が燃えたり砕かれたのも一緒で、現実の兄弟二人には何も影響は無いのだ。
あれは「"陽毬たちがイメージする高倉兄弟"が燃え砕かれた」って事なのだから。
つまり24話の生き返った陽毬は23話の晶馬と潮干狩りの回想をした時の陽毬と同じく幽霊みたいなものなのだ。
描写から読み解くのも難儀な設定だが多分そういう事なのだろう。
そりゃ10年間の今までピンドラファンの誰も気づかなかった訳だ。 要らんって事は無いのか。
23話の真砂子復活も冠葉が運命の列車に乗る展開も
16話で真砂子が見た予知夢通りになってるようだし。
ピンドラの「予知夢は現実になる」という隠れ設定通りの展開をここでもやってた訳だ。
そして夏目家の者は男だけでなく女も死なないってのを
23話の真砂子復活でもやってたってだけなんだろうな。
脚本通り順当に23話の真砂子が復活するシーンを作ったは良いけど
24話の乗り換え後の真砂子のシーンと23話の復活シーンが綺麗に繋がらないので
結果的に混乱し易い内容になった、って考えるのが妥当かなぁ。
だから劇場版では16話ごと真砂子復活シーンはカットされたのかもなぁ。 >>754>>721
普段から妄想癖の強い妹の苹果や離婚した荻野目元夫妻の言動(6話と8話)を見てれば分かるが
荻野目家の一族は「妄想癖が強くて恋に溺れ易い遺伝子」を持ってるようだからなぁw
「子供は親に似る」というピンドラ世界に一貫してる法則が桃果にも適用されてるはずだから
桃果は多蕗に恋してあんな妄想日記を書いた、と私は考えている。
運命日記は実際にあった出来事も書いてるようだし
素の桃果はあんな日記を書くような感じの女子小学生だったのだろうw
小説版読み直して気づいたがデスノみたいな日記の隠し方してたんだなぁw
桃果もデスノートにはまってたんだろうなぁ・・・いやいや桃果が死んだのは'95年でデスノの連載開始が'03年なので
桃果にデスノの真似が出来るはずが無いしおかしいだろ!
まるで桃果の運命日記がデスノートの元ネタみたいな描き方してるな、脚本家さんやアニメーターさんの遊び心だろうとは思うが。
というか遺品として返って来た日記を両親が桃果の机に閉まっといたのだろうから
荻野目夫妻には日記の内容がバレてるんだろうなぁ、中二病的な隠し方まで。恥ずかしいw
15話や18話や23話などの桃果はそれぞれ誰かのフィルターを通した虚像の桃果つまり「イメージの桃果」だからなぁ。
特に23話の桃果は嘘くさいw
「桃果がテロ事件に巻き込まれて首謀者とともに死んだ」という客観的な情報なら私は信じるけど
「分裂してペンギン帽になった」という眞悧を通して語られる桃果像は嘘臭くて
話半分に「そうですか」と受け取っているw 桃果の日記を荻野目父が読んでるなら
8話の水族館でのプロポーズで乗り換えの呪文を唱えててもおかしくは無いよなぁ・・・、実際そんな場面だし。
そしてそれを聞いていた苹果がダブルHのアルバムと自分の記憶で聞いたものと一致してる事に気づいて
最終話で唱える。
やっぱイクニさんは私の想像通りロジカルに考えてるんだよなぁ。 >>755
多蕗を子供ブロイラーから助けた後に妄想未来日記を書いたのか
妄想未来日記書くくらい多蕗を好きだったので異変に気づいて子供ブロイラーから救えたのか
どちらにせよ運命の乗り換えが出来る自己犠牲を払ってまで他人を救う少女と妄想日記が一致しなくてw >>757
18話の桃果は日記持ってないからなぁ
自分の知る限り日記に多蕗のピアノの事は書いてないのでブロイラーの後に書き始めたんじゃないかなぁ。
BD購入特典だったらしい運命日記には一応全内容が載ってるらしいが。
多蕗のピアノを聞いてる事や多蕗が怪我してから無気力になっていった事
かなりの出来事なので仮に桃果がその頃から日記書いてたら記してあるはずだし
日記を読んだ苹果も多蕗の暗い過去を知ってそこから多蕗を攻略する手を考えたりしただろうしなぁ。
放課後に多蕗のピアノを立ち聞きしてた桃果と
多蕗の部屋を床下ストーキングで盗聴してた苹果は同じ血を分けた姉妹だけあって重なる部分があるし
本編どおり姉妹とも大切な人の為なら自己犠牲する覚悟を持った一面もあったんじゃね?とは思ってるw
日記も妄想ばかりって訳でもないのだし。
ただ桃果からゆりへと運命を乗り換えてる最中の本編の多蕗に対しては
運命日記の内容が乗り換えに割り込めるだけの予言書級の効果があったってだけで。
だが小学生当時の多蕗が桃果がスキだったとはいえ小学生が考えたような妄想日記で
大人の多蕗が苹果に乗り換えるのは胡散臭くなるので
肝心なとこは黒魔術の蛙とかギャグ展開にしたんだろうなぁ、とも思うw 「かえるくん、東京を救う」を久々に読んだ
昔読んだ時の感想はカエル君は主人公・片桐の善性でミミズ君は悪性で脳内で独り相撲する話だったかなぁと
そんな浅い印象を持った状態で再読していたが
もう少し深い話だったんだなぁ、と自身の読みが深くなっている事に感心した。
自賛していいものかそれとも恥じるべきなのかw
関連本のドストエフスキーの白夜とかは未だに読んだ事は無い。
かえるくん、1時間くらいで読めるのが良いわ。
相変わらず片桐の独り相撲の印象は一緒だが
カエル君は「未来からやってきた片桐」でミミズ君は「社会で生活する中で過去から積もりに積もった片桐の鬱憤」と解釈すると分かり易いなぁ。
何故「未来の片桐」か?だが本の知識の差と
結末で「カエル君に近づきたい」と読書欲を見せた片桐の変化がそう思わせた。
また、ミミズ君を時に機関車と表現していた所が「銀河鉄道の夜」を彷彿とさせるが
片桐のような社会生活を送っていたら
銀鉄の作中、死者か生者なのか判別出来なかった鳥捕りのようにある日突然、銀河鉄道に乗ってしまいそうだし
それで「かえるくんに出会った片桐は撃たれる妄想を経験し昏倒していた」のかなぁ?と想像してしまった。
とにかく銃で撃たれる片桐と鳥捕りのキャラが重なったように感じた。
そして現実では昏倒してる間のカエル君から聞かされた片桐が発光機で応援していたという夢の話は
片桐がジョバンニのように銀河鉄道に乗っていたかのように感じた。
かえるくんが死んだのでオチも未来も暗く感じるが
サリン事件が起きる一ヶ月前を設定した物語としては味があるなぁ。 夢と現実の境界線が分からん所がモヤモヤするなぁ、かえるくん
私が片桐の立場だったら物語後に先ず
かえる君が精神攻撃で解決してくれたっぽい借入金の話も夢だったのか確かめてくぞw 桃果の日記や世界観、物語の事を考えている。
桃果が15話でゆりに運命日記に触れさせなかった理由の代償云々が
何度見てもよく分からんままだったが
仮にゆりが日記を読むと桃果の多蕗への恋心がバレて
出来たばかりの関係性が壊れると思ったからでは?と一つ気づいた。
高倉3兄妹が作中でだんだんと恋愛絡みで関係がバラバラになっていったように
桃果はゆりを友達に引き入れた時点で
多蕗とゆりとの友達三人の関係の中で自身の恋心を表に出すと「私の大切なもの(友達関係)が壊れる」と気づいてしまったのではないかなぁ?
だからゆりが日記に触れようとするのを止めた。
そして桃果は自身の多蕗への恋心を胸の内にしまっていった。
それでも自分という箱に秘めた恋心は収まらず
日記に「多蕗君とこんな事をしたい」と小学生らしい過激な妄想を書くようになっていった。
で、テロ事件で桃果が眞悧と出会ったのは偶然かどうかは分からないが
世界(関係性)を壊してでも自分という箱の中の恋心を出すのが重要だと作中で語っていた眞悧と
自身の恋心を日記に封じてでも世界(関係性)を大切にする桃果は
「利己的な恋」と「利他的な愛」で良い感じに対照的になってるんだよなぁ。
つまり、桃果は眞悧と相打ちになって世界が壊れるのを防いだように見えるが
桃果の個人的な問題として
恋心を秘めた桃果自身を消す事で
多蕗とゆりの関係が続く事を願って身を引いたとも解釈出来るようにもなってるんだなぁ。ちょっと面白い。
ユリ熊嵐で紅羽に新しい友達が出来るのを願って身を引いた純花を少し思い出したよ・・・。 桃果と陽毬には接点が無いとずっと思っていたが
日記に書かれた桃果が真実だとするなら
他者の運命を壊さないように自分の本当の気持ちを箱に閉じ込めてしまったキャラとして共通点があるのか。
桃果は多蕗への恋心
陽毬はトリプルHへの未練
そしてマリオも本当は姉の真砂子を守れる男になりたいのに
真砂子が父や兄への承認欲求で過保護にするので
自身の本当の気持ちを箱にしまってしまった、だから病気になった。
だから時代を越えて三人はペンギン帽で繋がってたのかもなぁ。
となると桃果もテロ事件直前の頃には二人みたく不治の病になっていたと考えるのが妥当だが
その辺どうなのだろうなぁ?
また、桃果は15話でゆりの運命を乗り換えた時
ゆりが父親から桃果に乗り換えるように呪文を唱えたのか、と今まで考えていたが
まさか「桃果自身と多蕗が結ばれる運命」を「ゆりと多蕗が結ばれる運命」に乗り換えたとか
そんな自己犠牲をしていたのかなぁ?と考え直すようになった。 自身の本当の気持ちを隠しても
桃果みたくピングドラムを持ち
他者の本当の幸いの為に自ら行動をしている者は病気にならない、みたいな設定があるのかなぁ? しかし桃果には本当にテロ事件の未来が見えていたとして
何で十分な対策もせず眞悧と同じ列車に乗ったのかなぁ?
桃果には自分が勝つ未来しか見えてなかったから対策をせず一人で列車に乗り込んできたのかどうなのか
未来が見えていたなら何故両親や友達にもこれから起きる事を一言も伝えようとしなかったのか?
そもそもテロ事件は警察の案件だろう、何故通報しなかったのだろう?
子供の冗談だと片付けられてしまうと思ったからだろうか?
桃果が一人でテロ集団に立ち向かう行為は
細田監督の「竜とそばかすの姫」でヒロインが他所のネグレクト父親に一人で立ち向かう行為と似ていて
同映画に向けられた批判みたく視聴者から批判されてもおかしくない所ではあるが
'95年にサリン事件が起きるのはフィクションだろうと「運命」で
例え一人の少女が事前に気づいても止められないのであって
そこにマジで突っ込む私のような野暮な視聴者は殆ど居ないって事なのだろうなぁw、面白い。
みんな「運命だから仕方ない」と思考停止してるようなものなのだし
私も今まで考えた事は無かった。
何故桃果は一人でテロ事件に立ち向かったのだろう?
かえるくんのオマージュだからだろうか? かえるくんのオマージュなら気絶してる片桐みたいなのが夢で桃果を応援してるはずだよなぁ・・・ 最終話は陽毬が片桐みたく死に掛けていて
カエル君(晶馬)とミミズ君(冠葉)の戦いを仲裁してたようなものだよなぁ、そういや
そこら辺がかえるくんのオマージュか
では23話の'95年のテロ事件の回想ではどうだったのだろう?
誰かが見ていた夢なのだろうか? 私は23話の回想で描かれるテロ事件は
単に'95年の地下鉄サリン事件を再現したものではなく
妄想日記を書いてしまう桃果の内に秘めていた「今の世界(桃果の友達関係)を壊して多蕗君をヒトリジメしたい」という欲望を肯定し
ちょっと天使な桃果を欲望色に染めてしまう「欲望という名の幽霊」との戦いだった、と思っている。
まるでユリ熊嵐9話以降の幽霊蜜子さんと対峙していた銀子のように。
蜜子さんに迫られた銀子は一度「私は紅羽を食べる」と欲望に屈しクマダークしてしまったが
桃果は眞悧と相打ちになる事で世界がすべて壊れる未来は防いだ。
しかし両親が離婚してしまう運命は避けられなかったのだろう。
つまり桃果の内なる戦いだった、と私は解釈している。 運命の至る場所が「かえるくん、東京を救う」の地震で
かえる君とみみず君の戦いのようなものだとするなら
それは其の運命共同体が一緒に居る為に我慢し続けてきた個人個人の鬱憤とか、そのエネルギーなんだろうなぁ
'95年に桃果は自身の恋愛感情を我慢していた。
桃果は日記に書いてたような自身の本当の気持ちをゆりと多蕗には言えなかったので応援も頼めなかった。
でも桃果一人で何とか相打ちに持ち込んだが桃果は消滅した、かえる君のように。
そして高倉兄妹も最終話の通り運命共同体を続ける為に我慢してきたものが沢山あったのだろう。
でも自分たちのピングドラムを再確認し
陽毬の呪文を唱えた苹果に陽毬を任せて兄弟は消滅した。
陽毬を片桐とし、高倉兄弟をカエル君とミミズ君だとするなら乗り換え後の世界で
兄弟が居なくなったオチには違和感は無いが
一体何時から兄弟は居なかったのだろう? 最終話の最後、熊のぬいぐるみから手紙が出てくる所から私は「高倉家のリフォーム中に兄弟が居なくなった」と推理し
その説でも十分通用し、作品を読み解けるものだと
そうやって今までピンドラと付き合ってきた。
しかしイクニさんの意図は違うようだ。
何故なら最終話の池辺家の柱にある「陽毬の丈比べ」は陽毬が三歳の頃からある。
写真とか他は誤魔化せたとしても、これだけは細工が簡単に出来るとは思えない。
池辺の伯父が「高倉家の兄弟が居た残り香」を消したとしても
陽毬が三歳の頃の丈比べの跡を新たに創る事は不可能だ。
つまり乗り換え後の世界では「池辺の伯父は陽毬を三歳の頃に養子にした」事になってるのだろう。
私はそれは中々納得出来ない、なぜなら三歳の頃の陽毬と池辺の伯父との接点が作中で全く描かれてなかったからだ。
だが、日付の作画ミスを後々の漫画版と劇場版でも隠していたイクニさんが
丈比べの背景は堂々と描写しているのできっと真実なのだろう。
真実として考えると一つ納得出来る事はあるんだよなぁ。
20話のこどもブロイラーに行く陽毬が熊のぬいぐるみに置手紙をし
晶馬が熊のぬいぐるみを放置し、手紙だけ握り締めながらこどもブロイラーに走るシーンと
最終話の熊のぬいぐるみの中の手紙はつながってる感じはする。
紆余曲折を経て晶馬は熊のぬいぐるみも陽毬の大切なものなのだと気づいたって感じかなぁ?
晶馬は6話の苹果の引越しでもぬいぐるみを踏み潰そうとしていた、彼はそういうキャラなんだろうな。
つまり晶馬は20話で三歳の陽毬をブロイラーから救った時点で
世界から消えていたって事なのだろうなぁ、ついでに冠葉も。
そして最終話の晶馬がピングドラムを陽毬に渡すシーンで一瞬20話の回想の子供時代に戻るのも
現在と過去が時を越えて繋がっていたという事なのだろう。 どうして桃果が多蕗で妄想日記を書いてたのか?という疑問には
もう一つの仮説があるんだよなぁ。
「桃果は最初から多蕗とゆりを結ぶつもりで日記を書いていた」ってのがあって
陰謀論がスキな私ととしては今までそっちの方を考えていた。
でもガチ百合のゆりをノンケにする運命を桃果が書いていたなんて
ゆりの視点だと「大きなお世話」だし
桃果が途端に俗っぽくなって信憑性が強くなってしまうんだよなぁ。
まぁ荻野目母も恋バナ大スキっぽいから
カプ厨の母の性格が遺伝した、とも考えられはするが。。。
それに私はピンドラでは報われてなかろうと百合が大スキな視聴者なので
自分から好んでそんな桃果像を創りたくはなかったからなぁ。。。
日記の内容を素直に受け取って「桃果は多蕗に恋していた」と考えてくのもダメージが大きかったけど
桃果のように分け隔てなく皆に愛を与えるちょっと天使のようなイメージの女の子が
実は欲望を抱えていた、というのはイクニさんが創りそうなキャラだし
先のようなカプ厨桃果よりも本当の桃果に近い、と少なからずの自信はあるな。色んな事がつながってるし。
いやー、しかし盲点だったなぁ。桃果が多蕗に恋していたなんて。実際日記に書いてあるというに。
やっぱ描かれてきた「桃果の神聖なイメージ」が
ゆりそっちのけで多蕗との恋愛妄想日記を書いた娘と結びつかなかったからだろうなぁ。。。 もっと詳しく言うと桃果は多蕗に恋していたが
自分という箱から多蕗への恋心を出すと世界(友達3人の関係性)が壊れると思ったので
日記だけに書き残してたキャラ、だな。
そりゃ「姉の桃果の未練を私が叶える!」って次の妹の苹果のドラマにつながってく訳だ。
想いが適ったら離婚した親の関係も修復する、って普通に考えてもおかしいオプションが付いて来たがw
ピンドラはその内容から女性ファンが多いはずだが
日記に妄想を書き残していた桃果の気持ちに放送10年以上経ってもファンは誰も気づかなかったんだなぁ。。。
そりゃピンドラ世界は不可思議な事ばかり起きて脳が麻痺してしまうのは分かるけどさ。 私も運命日記の扱いについて疑問が幾つかあるんだよなぁ
例えば日記の内容には16話での偽物が燃えた時の描写とか多蕗だけでなく時籠ゆりも出てくる箇所もあったのに
何で日記を一通りすべて読んでるはずの苹果が14話まで「ゆりが桃果の同級生」って気づかなかったのだろう?
不思議で仕方ない。
日記を信じてる苹果なら4話辺りの多蕗からゆりを紹介された時に
「ゆり?まさか日記にあった桃果の同級生!?」って感づくもんじゃないのかなぁ? アニメでは桃果の日記は数日分の数分で読める程度の薄い内容だが
実際の日記は一年365日分の内容があって
桃果の文章力が上がって内容が複雑になっていたり
アニメ以上に桃果の交友関係が広くて友達の数が半端なかったりと
理解するのに大変なものだったのかもしれんが・・・
普通なら「古い友人」が気になった苹果は4話の後に日記を読み直して調べるもんじゃないのかなぁ?
何で14話でゆり自身がバラすまで後手後手にまわる展開になってしまったんだ。。。
せっかくの運命日記が体を成してないと感じるんだがw
それに桃果の死後に卒業アルバムが送られてきたりとか
生前の桃果の遠足とか学芸会とか運動会とか学校の行事で撮った写真とか
色々と荻野目家に残してあるはずなんじゃないかなぁ?
それにゆりの姿も載ってるはずだし。
苹果の多蕗愛が本物なら彼のショタ時代の写真を見て萌え転がってたり
ついでにゆりの姿も目に入っていた、と想像してしまうのだがなぁw イクニさんは15話の桃果初登場まで彼女をどう描くか棚上げしてたっぽいし
14話まで桃果を不思議な運命日記を遺したミステリーキャラのように描いてきていた。
その弊害で苹果が日記など有益な情報源を持っているというのに
ゆりの正体に気づけない間抜けキャラになってしまったのかもなぁ・・・
ちょっとピエロっぽいな。 劇場版も考慮した上で「高倉3兄妹の林檎のやり取り年表(仮)」を作ってみた
10年前の20話回想、晶馬はKIGA林檎(小説版では「事務所にあった林檎」)を陽毬に1個丸ごと与えた為に
陽毬も「高倉家の子」となり後々「高倉家の呪い」が陽毬に集中する事になる(20話回想より)
与えたので「晶馬の箱」から林檎が無くなる。
回想時、冠葉とはまだ友達ではない「飽きたんだろ?」
(注*しかし20話のKIGA林檎を渡すシーンは色々と不自然。
1個丸ごと与えた晶馬は陽毬に「高倉家の子」という自分の居場所を譲った事になると思うのだが、兄妹として本編中ずっと一緒に暮らしていた。
9話のKIGA林檎を投げ寄越した眞悧が関わっていて二人の運命を細工していた、と推測される。
そして晶馬が1個丸ごとあげたのは事実なので、乗り換え後の世界で陽毬だけ池辺家の養子として一人生き残った?とも解釈できる。)
10年前の22話回想、冠葉は自分の代わりに夏芽家に帰る真砂子に「夏芽家の跡継ぎになる林檎」を1個丸ごと与える(22話回想からの推測)
だから「冠葉の箱」からも林檎が無くなった。
また夏芽父が死ぬまでの間、冠葉は与えた林檎の縁を頼りに夏芽家に度々訪れ真砂子を励ます(16話)
10年前の24話回想、林檎が無くなった後の「何者にもなれない」晶馬と冠葉が箱の中で出会う。
餓死寸前だったが未来の陽毬が「冠葉に奪ったいのち」を返した為、冠葉の箱に林檎が突然出現する(22,24話)
そして林檎を分け合った兄弟は未来に「陽毬の双子の兄になる」運命となった。
(24話回想の葬式後に冠葉が高倉家の子になる出会いから3年前の高倉家のリフォームまでの暗示であり未来予知)
高倉家の妹となった陽毬はヒバリと光莉に乗り換えの呪文を教えたけど
高倉家の呪いが発動し両親が指名手配になって家族ごと社会から排除され、トリプルHにはなれなくなった。
後にダブルHのデビューを見た陽毬は「林檎を分けあってトリプルHになる」という夢どころか「誰かと林檎を分け合いたい」という欲望も諦め
その欲望を「自分という箱」にしまって凍りつかせてしまい不治の病となる。
1話、陽毬退院して死亡&復活。エネルギー切れのプリクリが冠葉から「いのち(蠍の炎)」を奪う。
プリクリは燃料として使い、陽毬が一時元気になる。
奪われた冠葉は「晶馬と分け合う事」の大切さを忘れ、恋愛脳になって「陽毬との関係」をヒトリジメにしたいキャラに変貌する運命となる。
(1話の「プリクリの命略奪と冠葉のキス」が後の21話で描写された10年前の夏芽家父の葬儀時の出来事「晶馬から貰ったKIGA林檎を冠葉に渡す代わりに絆創膏を貼った陽毬と冠葉の誓い」と連動) 2話〜 苹果と運命日記の登場、日記の乗り換えの呪文が最後に必要になっていく。
9話 眞悧の暗躍
高倉3兄妹の世界(関係性)が壊れて、冠葉にテロで世界を壊して欲しい眞悧は
陽毬に「私の運命の人」を意識させ、恋の三角関係が生じるように仕組んでいた。
12話、陽毬また死亡。(友達候補の苹果に高倉家の秘密がバレたから?)
二度目の元気注入は無理らしいのと眞悧の登場で薬で延命していく事になる。
13話〜 今までは兄弟仲良く一緒に陽毬を救おうとしていたが
後半は「冠葉は薬」で「晶馬は日記」と別々の方法で陽毬を救っていく事になる。
20話 10年前の記憶を思い出した陽毬が恋愛脳になる。
21話 眞悧による「高倉3兄妹仲違い作戦」が成功、高倉3兄妹の世界(関係性)は一度壊れる。
22話 薬が効かなくなったので唆された冠葉はテロに走り世界を壊そうとする。
陽毬が水族館で冠葉に「いのち」を返して死ぬ、10年前の冠葉の箱に届く。 24話 陽毬を日記で救おうとしていた晶馬のおかげで
運命の列車に「ダブルH経由の乗り換えの呪文を使う苹果」が乗る事になる。
冠葉が今までやってきた「眞悧頼りで陽毬を救う方法」は完全に失敗したが
晶馬が続けていた「日記で陽毬を救う方法」のおかげで陽毬は乗り換えられた。
冠葉ではなく晶馬の行動が陽毬の命を救ったのだが
その成功も10年前の冠葉が「お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」がモットーのジャイアンみたく「陽毬の林檎」をヒトリジメにせず
晶馬も生き延びるよう利他的に林檎を分け与えていたからだ。つまり「情けは人の為ならず」
また「高倉家の罪は僕だけの罪だ!」と自身が抱えた罪の林檎を今まで誰とも分け合う事を拒否していた晶馬だったがついに観念し
冠葉と分け合う為にその林檎を胸から取り出し陽毬に渡した。
晶馬はKIGA林檎を陽毬に渡して妹にしてしまった運命をずっと後悔していたが、再び陽毬に林檎を渡す晶馬に迷いは無かった。「運命に無駄な事なんて無い」とでも言いたげに。
(陽毬は何に気づいて「はっ」としたんだろうなぁ?私は「迷いの無さに」だと思うけどこの瞬間の感情を色々と考えるのは面白いと思う。)
そして。陽毬を通して晶馬から林檎を返してもらった冠葉は「分け合う事」の大切さを思い出せた、世界の関係修復。
つまり、晶馬は最終話で初めて「冠葉と本当の関係性を結ぶ為の林檎」を自分の中から取り出したのだろう、22話の陽毬みたいに。
これにより晶馬が20話回想の「事務所にあったKIGA林檎」によって築いてきた陽毬との今までの運命が「無かった事」になった。
だから乗り換え後の世界では高倉3兄妹の関係が最初から無くなり陽毬は池辺家の養子になっていて
果実を分け合ったアダムとイブが楽園から追放されたように「自分という箱」から出た冠葉と晶馬は世界からも人々の記憶からも消えて別の世界に旅立っていった。 一先ずだが「高倉3兄妹の林檎」をメインとしたやり取りの年表はこんな感じかなぁ。
疑問点や「ここ違うんじゃない?」って箇所とか「これ追加した方が良いんじゃない?」ってのがあったら指摘してくれるとありがたい。 桃果の日記や回想から
自分という箱に「多蕗への恋心」をしまっていた生前の彼女のキャラクター像を考え
桃果の生前から死後に変わっていった各キャラクターとの関係性を整理している。
1.多蕗は'95年の小学生の時に桃果から告白されなかったし
'11年作中も桃果の恋心に全く気づかないまま物語は終わる。
根拠:多蕗は12話のくすぐり地獄の刑を普通に嫌がっている。
しかし桃果はどう思ってスキンシップしていた??
2.ゆりは8話で日記を半分奪った後に読んで確実に気づいてる、桃果が自分と違って本当はノンケだった事実に。
3.荻野目父は桃果の死後に返ってきた日記を読んで誰よりも衝撃を受けた筈
根拠:5話の苹果による日記朗読「パパにはまだ彼の事は言ってない。今の所、パパの大切な宝物でいたい。」より。
そして、桃果の死後に返ってきた日記の妄想部分を読んで驚いた事だろう。
荻野目父は桃果と多蕗が自分に内緒でつきあってたと誤解した「かも」しれない。
また、日記の何が真実か分からなくなっている「かも」しれない(実際、神の視点を持っている視聴者も何が真実か分からないしな)。
邪推かもしれんが荻野目夫妻の離婚は妄想日記が原因の可能性も?。
だが荻野目母と日記に関して話し合って、真実だけを読み解ければ離婚せずに済んだ?
4.荻野目母は生前の桃果の多蕗への恋心を見抜いていて、桃果に親身になってある程度相談を持ちかけていた?と推測される。
根拠:6話の晶馬とのやり取りで恋心を察知した荻野目母の見識眼、5話の日記「パパにはまだ彼の事は言ってない」
つまり「桃果はママには相談していた」と考えられる。
しかし桃果は結局、多蕗に告白出来なかった。
ゆりを加えた3人友達の関係を壊せなかったからだし、日記の通り「パパの宝物でいたかった」から。 そして'95年3月20日に桃果はテロ事件に遭遇し
眞悧に「自分という箱から秘めた恋心を出して『共に世界を破壊しよう』。僕の仲間にならないか?」みたく誘惑されそうになったが桃果は拒否。
眞悧を世界から排除しようとする。
しかし相打ちになって桃果は「自分という箱にしまっていた恋心」が呪いとなって噴出し、少なくとも「荻野目父母の世界が壊れる運命」になってしまった。
まるで「パンドラの箱」が開いて邪悪なものが世界に飛び出したように。
だが開いたパンドラの箱の底に希望が残っていたように、桃果の妄想日記にも希望「運命を乗り換える呪文」が残っていた、って物語にピンドラはなっていた。と私は考えている。 桃果の日記はさらざんまい5話の祖父の死に際の一言みたいになってたんだなぁ。
10年経った後も今までファンの誰も気づかなかった新たな解釈が出てくる所がピンドラの凄い所だなぁ。
「終わったアニメ」と思考停止したように決め付けられる作品だとは私には思えない。
イクニファンの一人として誇らしいが、今まで気づかなかった私もまだまだだわ〜。 ここまで考えるとピンドラの
'95年のテロ事件とは毒ガステロ事件でも
12話のような爆破事件でも無く
眞悧が荻窪線に同乗した乗客たちが「自分という箱」にしまった鬱憤を連鎖爆発させるよう誘惑していた事件、と私には思えてくるなぁ
まるで「かえるくん」の片桐の中に溜まった社会への鬱憤が震源地になって大地震を起こすかのように。
そしてセーラームーンやプリキュアの悪役が
毎話人々の弱い心を誘惑して戦闘員を作ったり、最後に世界規模の災害を起こすかのように。
結城翼が21,22話で企鵝の会みたいな黒服でゆりを襲ったのも
「眞悧の誘惑」に負けたんだろうなぁ。。。
とはいえゆりの行い、翼との付き合い方振り方も十分酷かった。と私は思ってるがw そういや'92年放送のセーラームーンの一期の最終決戦場は北極なんだよなぁ、惜しいw
まぁその点は南極が重要地点であるエヴァンゲリオンのオマージュにしてるんだろうな。
それにセーラームーン1話のルナがおでこの三日月マークに絆創膏を貼られて能力が使えないのも
眞悧にピングフォースシールを貼られる桃果と被ってる、気がする。
「トップをねらえ2」のトップレス能力かと思ってたセーラームーンともつながりがあったんだなぁ。 プリクリのセーラームーンRの変身バンクオマージュや
23話のピングフォースシール貼り付けに
9話のペンギン箱からピングフォースシールが剥がれるシーンからして
最後まで見るとピンドラ1話は月野うさぎがルナに出会うセーラームーン1話みたいな「物語の始まり」を演出してるような感じに受け取れるな。
つまり23話で桃果が2つに分裂して出来たペンギン帽は「セーラームーン1期の変身ブローチ」あるいは
「Rのクリスタルスターコンパクト」みたいなものと受け取ってくれ
ってイクニさんが暗に言ってるようなものなのか。
分かり辛いし何でそんなものが水族館で売ってるんだ?って感じだがw セーラームーンの変身アイテムが玩具売り場で売ってるようなものだ、と思っておけば良いのかなw 「映画:RE:cycle of the PENGUINDRUM」前後編一挙放送!
WOWOWプライム
9/13 (水) 10:50 〜 たかの友梨の叶姉妹CM「ファビュラスな魔法」に反応してしまったw 14話の荻窪線内の車両を走る真砂子のシーンで
車両のドアが確認出来る出来るだけで5箇所もあってワロタ、どんだけ長い車両だ。
実際の丸の内線は1両につきドアは三ヶ所
つまり疾走感を重視したはったり背景作画って感じか。
にしても真砂子が割った車両の窓はどうしたんだろ?弁償したんだろか?
監視カメラは?
こんな事件が起きたらこの後、乗務員が見つけて東京スカイメトロは警備を厳しくするとか対策するはずだよなぁ。
何故その傾向が見られない?
ピングループと企鵝の会は表裏一体だから揉み消したのだろうか?
15話の旅館・人鳥荘でのバトルにしてもガラスの弁償はどうなった?
18話の建設中のビルで無茶苦茶やった多蕗は何故罪に問われない?
これらもピングループと企鵝の会が表裏一体なので揉み消されたのかなぁ。 乱歩の「屋根裏の散歩者」を読んだ
推理小説は堅苦しいイメージがあったのだが落語か喜劇みたいに読みやすかった。
屋根裏を這い回る事がスキになった男の話で
床下ストーキングする苹果と被る所があるのかな?と読んでいたが
犯人が犯行後にとある理由で大好きな煙草が吸えなくなった事で犯行がバレたのが一番印象に残った。
そのとある理由は犯人も自覚して無かったのに。
陽毬が牛乳飲めなくなった理由も同じで猫が死んだ時のトラウマなんだろうなぁ。
猫の事も含め高倉家の妹になる前の記憶はすべて忘れてしまってるのに。
プリクリは陽毬の欲望そのものだろうが何故牛乳が飲めるんだろうなぁ?
少なくとも陽毬も猫が死ぬ前までは牛乳が好きで飲めたって事なのかねぇ。
高名な明智小五郎に気を許してる主人公なので死亡フラグ立ってるなぁとニヤニヤしながら読んでたが
明智は殺害現場の中から当事者の心理を見抜くのが得意だったんだなぁ、知らなかった。 こどもブロイラーと「銀河鉄道の夜」から読み解くピングドラムの考察
こどもブロイラーはすべての運命共同体が列車の旅で行き着く別れの場「運命の至る場所」に必ず備わっている施設である。
そこに辿り着くと今までの旅の記憶、スキだったもの、すべて消えてしまう。
「銀河鉄道の夜」の石炭袋、そらの孔の事だ。
銀鉄作中でカンパネルラはそらの孔の闇を怖がっていた、ジョバンニとの別れの時だからだ。
しかし列車の旅の意味もカンパネルラの運命も知らないジョバンニは
「僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」
と元気だった。
何故ジョバンニが元気だったかと言ったら旅の途中で蠍の火を見て
「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸さいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼やいてもかまわない。」と決意していたからだ。
この台詞通り、ジョバンニは列車の旅で自分の「本当の幸い」を見つけていた、列車に乗る前は辛い日々の生活に振り回されて生気が無かったのに。
それはピンドラ1話のプリクリが「ピングドラムを手に入れるのだ」と言い
立ち塞がる運命に呆然とした晶馬と苹果に対し「お前たちはピングドラムを失った!」と言ったり
23話のペンギン帽が「あなた達はあの列車で見つける、あなた達のピングドラムを!」と助言していたものと同じものだ、と私は解釈している。
つまりピンドラ作中でずっと探していた「ピングドラム」とは「銀河鉄道の夜」の「本当の幸い」と等質のものだ。
そして高倉兄妹にとってのピングドラム(本当の幸い)は
=u大切な人に伝bヲたい言葉」でbり「運命の果試タを一緒に食べb謔、」であり「�、してる」だっbスという事だろb、。
そうb竄チてアダムとャCブ 名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 6d8e-rTna) 西位さんがピンドラの話をしてたけど
現実に起こった事件を題材にしたピカレスクやって視聴者に受けるのが難しいだろうと思う。
ピンドラっぽいコードギアスは
あそこまでファンタジー世界の日本を描いたピカレスクだから最後も受けた。
またピンドラをブラッシュアップさせたユリ熊嵐もピカレスクだが最後は受けた。
ピンドラとの違いは透明な嵐の少女達が最後まで「熊を許さない」って熊側への怒りを見せた事だと私は思っている。
ピンドラは例えば警察っぽいのが冠葉と真砂子を追い詰めてはいたが
ピクトグラム人間と同じく現実感が無かったのが良くなかったのでは?と私は思う。 ピンドラのピカレスクを賞賛するファンは
おそらくオウム事件の被害者の悲惨さを知らない世代か
「親のやった事」だと親に全責任があると思ってる子供だけだろう。 加害者の子と被害者の妹の恋愛を主軸にして
他はピクトグラム人間にしちゃったのが不味かったかなぁ、と思う。
結果、印象に残るのは現実には中々あり得ない「恋愛」
ユリ熊嵐はその点改良して
ピクトグラム人間ではなく透明な嵐という個性は無いが皆血の通った少女にして人間らしさを持たせたのが
悪を断罪する側として良かった。
さらざんまいにもなるとピクトグラムはただの賑やかしで特に本筋には絡んでなさそうだったけど。 イクニさん誕生日おめでとう
今年本腰入れてピンドラを分析していた時に初めて気づいた。
1話のペンギンから渡された晶馬の定期券の有効期限に12月21日とあって
「何で12月21日なんだ?」って一時期考えちゃったよ。
ピンドラの放送終了予定日がその辺りだったからなのか?とか。
劇中時の24話が12月21日なのか?とか。(劇中に日付が出た最後の場面は19話の11月17日なので)
そしてある日ふとwiki見たら・・・という経緯。wikiって何でも載ってるんだよね〜ホント。
ちなみに定期券入れのデザインは色彩の辻田さんが当時使ってたもの、らしい。 最終話放送日の12月23日を機に
ピングドラムとは何か?を読み解く
ピングドラムとは何かを知るにはまず「作中の世界観はどうなってるのか?」を知らなければならない。
そして最終話の「箱の回想」とは何か?を考えなければならない。
「箱の回想」は10年前の家族ではなかった時期の晶馬が冠葉と仲良しになるきっかけとなった出来事だが
これは24話の晶馬たちの台詞どおり「彼らの運命」だったと解釈するのが妥当だろう。
運命とは因果、つまり原因と結果が繋がっている事だ。
例えば「親の遺伝子を継いでいる」から「子供は親に似る」のが運命なら
家族以外の異なる他者との出会いによって価値観や人生が変わるのもまた運命だし、「出会い」があれば「別れ」もあるのも運命。
地震が起きる場所に住んでたら、ある日突然被災するのも運命ならば
価値観の違う者達がそれぞれの自己主張を抑えて運命共同体として生活していたら、いつか爆発するのも運命だ。 運命とはこんな感じのもので
つまり箱の回想とは冠葉と晶馬が一つの林檎を半分に分け合ったから
後々双子の兄弟になる運命となった、と解釈するのが正しいのだろう。
その運命を経験した幼い晶馬はきっと「林檎を半分くれた冠葉は凄い!」と高倉父母に話していた事が容易に想像に浮かぶ。
だから葬儀後に剣山は冠葉を長男に選んだのだろうし、晶馬はその理不尽を認められずふて腐れてしまったのだw
そしてテロ事件を起こした高倉父母が指名手配され、両親が帰ってこなくなった時に
高倉兄弟は箱の中で経験した運命通りの「愛の飢餓」に襲われた。
だがそんな両親不在の飢餓の中だろうと冠葉の箱に出現した林檎を二人で分けたように
「陽毬を笑顔にする」という共通の願いを適える為に協力し、二人は「本当の兄弟」になったのだ。
10年前の冠葉の箱に出現した林檎とは何か?それは22話で陽毬が冠葉に返した命だろう。
運命とは原因と結果が繋がっているもの。
さらざんまい最終話で悠が切ってしまったミサンガを結び直して
過去の一稀に届ける事で「過去と未来のつながり」を保ったように
冠葉も陽毬が手放した運命の林檎に「大切な人に伝えたい言葉」を込め晶馬と分け合う事で兄妹の運命を保っていた、と解釈するのが妥当だと私は思う。
ピンドラで結局誰も分からなかった「箱の回想のヒント」は実はさらざんまいに込められていたのだ。
まぁ私含めさらざんまい放送当時は誰も気づかなかったようだが。 散々考えて結局1話の兄弟や2話の苹果の「運命ポエム」が真実を語ってると気づく辺り
この作品の脚本が「運命というもの」に関してかなり細かく作りこまれていたという証左なのだろう。
面倒なほど運命に関して作り込まれているから
例え意味不明でも視聴者を惹きつける不思議な魅力があるのだ、と私は推測している。
・・・まぁ何度も見ていたら見過ごせない粗も勿論ある訳だが。 また「親がテロ事件を起こすから子供もテロ事件を起こす」という
「現実では中々ありえない運命」を描いたピンドラの世界観をどう捉えるのが正しいか?だが
13話の眞悧の台詞通り「運命というルールに支配されている世界」と解釈するのが妥当だろう。
そして、この世界では特に「親の因果を子が継いでしまう」という運命になっていて
そのルールは血の繋がらない他者とピングドラムを分け合う行為「運命の乗り換え」によってのみ変えられる、みたいな設定になっているのだろう。
また「血の繋がらない他者」とピングドラムを分け合ういう点も重要なのだろう。
だから晶馬と冠葉が双子の兄弟になる運命となった「箱の回想」も「運命の乗り換え」だと言える。
とはいえアダムの肋骨から作られたというイブの二人が血の繋がりに関してどうなってるかは私にはよく分からないがw 陽毬を中心にピンドラの世界がどうなってるのかを考えると
「実母に捨てられ独りぼっちになって死ぬ運命となった陽毬」がどう救われるか?という話になっている。
陽毬は20話で晶馬にKIGA林檎を貰い高倉家の娘として生きる運命に変わった。
しかしその父母はテロリストである日突然失踪し、再び陽毬は独りぼっちになる運命を感じ泣いていたのだろう。
ついでに友達のダブルHからも捨てられた。
しかし高倉兄弟だけはそれでも陽毬を見捨てなかったが
最終話に至るまでの過程で彼らも陽毬の元から消える運命は変わらなかったのだろう、だが兄弟は陽毬にあるものを残していた。
最終話の「乗り換え後の世界」に変わると陽毬は10年前から池辺の夫婦の養子となっていて
不思議な出来事によって苹果と友達になっていたが
陽毬が出会った彼らと未来に別れてしまうのもまた運命なのだろう、出会いと別れは繋がっている。陽毬が心に抱える運命への不安は変わらない。
また陽毬の実母が可愛いが消費されたからと陽毬を捨てたように
最終話の陽毬も可愛いが消費された熊のぬいぐるみの存在をすっかり忘れていたのも「子は親に似る」という運命。
「人形と自分の子は違う、陽毬は悪くない!」とつまらない言い訳しても通らないのがイクニ作品だろう。
陽毬はそんな自分を捨てた実母の遺伝子を継ぐ自身を受け入れられるか?だが
兄弟が熊のぬいぐるみにメッセージを残してくれていたから
記憶は無くなっても「私は兄に愛されていた」のだと陽毬は自身の事も運命も受け入れられたのだ。 最終話の多蕗の台詞通りピンドラの世界は「予め失われた子供」が運命が支配する世界から
「運命の出会い」によって脱出する話なのだろう。
血の繋がりの無い者同士の出会い、結婚も同じ。
だからイクニさんは三宅さんの結婚時にも「運命の果実を一緒に食べて〜」みたいなツイートしてたのだろう。
そう考えると親から貰ってようと失われようと
運命の乗り換えは人生の何処かで経験するもので、命が長続きするには必須イベントなのだろう。 また20話で陽毬が晶馬から分けて貰った林檎が
箱の中で冠葉から貰った半分の林檎で
晶馬1/4で陽毬1/4になった、という根拠の薄い説がピンドラ考察の大勢だったが
もっとよく本編見るべきだ、と私は思っている。
「20話のKIGA林檎」と「24話の箱の林檎」が本当に同じものなのかどうか
そして20話で本当に林檎を分けたのかどうか
21話の葬式後の写真でも
13話のホテルでも陽毬のKIGA林檎は「一個丸ごと」なんだよなぁ。
つまり晶馬は陽毬にKIGA林檎を一個丸ごとあげた。
そしてその後、陽毬は一度もKIGA林檎を持たなくなる。何故か?
おそらく「高倉家のリフォーム時に割れたから」だろう。
つまり「陽毬のKIGA林檎」は兄弟が破った熊のぬいぐるみ、が化けたものではないだろうか?
13話のアンプル印の林檎がアンプルに変わった原理と同じように。 箱の回想にはまだ疑問点があるんだよなぁ。
晶馬の視点で語られるから晶馬と冠葉の二人が経験した出来事のように思えるが
小説板の冠葉の視点で語られる夏芽父の葬儀時のシーンでは冠葉は高倉一家の子供たちを見て「兄とは時々事務所で顔を合わせていた」という程度の事しか思ってなかったのが不思議である。
時系列的に「箱の回想」の後に「夏芽父の葬儀」があるのだから冠葉は晶馬を見てもっと思う事があるだろうに。
つまり「箱の回想」は「晶馬だけが経験し感じ取った運命」なのかもしれない。
最終話の「乗り換え後の世界」でマリオには真砂子が話す「乗り換え前の世界」の夢に全く心当たりがなかった、つまり真砂子だけが夢の世界に迷い込んでたように
晶馬だけが「箱の回想」に迷い込んでたのかもしれない。
最終話でも箱の回想を思い出していたのは晶馬だけで冠葉は高倉家のリフォームのみ
「箱の回想」は晶馬だけに見えた運命だったのだろうか? 晶馬もテロを起こした両親を蛇蝎のごとく嫌っていたが
父が冠葉を兄に選んだ時から「高倉家のリフォーム」時までずっとその上下関係に不満を抱いていた所は
20話回想の企鵝の会のアジトで剣山が演説していた「誰の方が上だとか下だとか」の内容と一緒だ。
つまり晶馬ですら実は父親と似た者同士だったって事だ。
しかも「冠葉に林檎を半分分けて貰った後」だと言うのにw
子供だろうと大人だろうと上下関係は気になるものだ、ユリ熊嵐のクマの世界と同じく。
ユリ熊嵐のヒトの世界なら皆平等に透明なのだが。
しかし熊や空気を読めない異なる他者を定期的に排除して連帯感を高める歪んだ社会だったなぁ。 ピンドラが「蛙の子は蛙」な話なら
15話の父親が消えたゆりは小学生時代からどうやって生きてきて舞台女優になれたんだろうなぁ?
その辺の描写が全く無いのは「怪しい」を通り越して「計画的な説明不足」と言わざるを得ないので
視聴者がそれぞれ勝手に補完しろって事なんだろうな。
そうなると陽毬みたく「時籠家の養子」だったと考えるのが妥当かもしれない。
15話のED通り、消えた彫刻家の父は「ゆりの父」であって時籠姓では無かったのかもしれん。
ゆりには別の両親が居るのかもしれない。
ユリ熊嵐では人の世界から熊の世界へと帰ってきた銀子が教会から追い出されて
数年間独りで生きてきたようだがこっちはファンタジーな熊の話だから考える必要もなく説得力もあるのだが
一応の現代日本で「父が消え家族が無くなった後のゆり」がどうやって生活を送って、成長したのか
何でファンの誰も気にしないのだろう。
「ゆりの身体の秘密」より先に解決すべき問題で余程私は気になってるんだけど。 ゆりの身体の秘密は妄想してるファンの性癖が透けて見えるような内容ばっかだったなぁ
触れる気も無いがw 放送当時ピンドラを見た視聴者が感じ取った解釈には
ある程度ピンドラ制作者や関係者が介入していて
「視聴者が作品を読む方向」をある一定の方向へと操作していたんじゃないか?
と後々感じられて気味が悪いんだよなぁ。
陽毬の病気にしろ、桃果とペンギン帽にしろ。
ゆりの身体の秘密にしろ。
私は陽毬の病気は呪いなどではなく
陽毬がダブルHのデビューを知ってグッズは買って応援してはいたけど
ある日心が耐え切れなくなって病気になったと思ってるし
そんな陽毬の心の痛みに気づかなかった高倉兄弟は抜けてるのか何なのか「もっと対処のしようがあったんじゃないか?」と考えてるし
或いはシスコンなら陽毬の痛みに気づくんじゃないか?とも考えるし
そんな陽毬の病気に気づけなかった冠葉が
物語の最後に「世界が間違ってる」とテロ事件を起こしてピカレスク気取っても
共感しにくいなぁ・・・と私は思ってしまう。
桃果とペンギン帽の関係性も強引だなぁって思う。
そもそも「水族館がおかしい夢の世界」だったのだから関係性に意味なんて無いのかもしれんが
「せっかく創った変身アイテムと桃果を何とか結び付けれないものか・・・
そうだ!眞悧と相打ちになった時にペンギン帽に変化させよっ!」と
修羅場なピンドラ制作現場の中あの分裂演出アイデアを思いついたとしか思えない。
そもそも桃果と水族館に関連性あっただろうか?という話である。
苹果が家族と行った場所なら桃果も行ってた可能性は十分あるが。 ピンドラは震災によって企画内容を変えたらしいが
その影響で制作が遅れてアニメ制作現場はきりきり舞いで
完成したアニメは一部が考察不可能、或いは内容に矛盾を抱えるほど完成度が低い箇所もあるのではないか?
と私は思っている。 とは言えせっかく創った「箱の中の回想」の謎だけは
誤解され謎のまま10年経った後でもどうしても視聴者に解いて欲しかったんだろうなぁ。
だから劇場版でも同じままだったのだろう。
でも「何者にもなれない」から劇場版では「何者かになれる」とキャッチフレーズを変え
「陽毬のお兄ちゃんになった」と答えも載せた上で
10年前と同じ箱の回想の謎々を出してきたのでその辺は割りと分かり易かった。
それでも解くのに一年くらいかかったからなぁ、ピンドラはホントに難しい。
私はイクニさんの意図したものをどこまで解けたのだろうか? とはいえ劇場版は謎解きだけじゃなく
そらの孔分室を再び使った話は子供向けアニメかと思うほど分かり易くなってたし
特にHEROESが流れるシーンはTV版を補う完璧な追加カットだったし
TV版で感じたモヤモヤから一部解放されたようで見る価値ある映画だった。 劇場版観たが、最後の最後愛してる連呼でキモかったわ あれだけこねくり回して最後セリフでゴリ押しするしかないってやっぱ失敗しとるわ 何者かになる=透明にすりつぶされる
だから何者にもなれなくていいんじゃないの
そこらへんのブレっていうか甘え、演出的にも誤魔化しが入ってくるのがつまんない原因なんだよな あけおめ
箱の回想の謎は去年解いちゃったし
今年は運命日記の仕組みとか記憶喪失の設定がどうなってるのか解けたら良いなぁ。
運命日記の方はおおよその見当はついてるけど
記憶喪失はパターンが多すぎて検討もつかんわ
イクニ作品に記憶喪失はつき物だがこれ程面倒なのはピンドラ位だな 物語が分かってくるようになると
19話からの真砂子がやらかしてる感が分かるようになるなぁ、苹果と比較すると特に。
冠葉の本当の幸いでありピングドラムは「陽毬を笑顔にする事」だから
3話で苹果が高倉家にやってきたのは驚きはしたけど嬉しかったのではなかろうか。
逆に19話で真砂子が対立しにやってきたのはショックだったろうな。
真砂子はあそこで「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」の精神で馬の陽毬から篭絡していけば
まだ平穏な日常が長続きする見込みはあったかもなぁ。
でも真砂子的にはマリオの命もかかってるから余裕は無いのか。
イクニさんは本当は「幻の3クール目」を心のどこかで期待してたんじゃないかなぁ?
ウテナの黒薔薇編みたくピンドラ放映時に人気が出て放送延長とか。
でもそうはならなかった。
だから2クールで完結したピンドラはペンギン帽の片割れを持つ重要人物マリオに関する物語が消化不良だった
もしかしたら3クール目はマリオの生存戦略バンクとか考えてたのかもなぁ。
延長で3クール目やるとしたら
やはり陽毬とマリオの「どっちの命を活かすか問題」に発展したのだろうなぁ。
「銀河鉄道の夜」の沈没するタイタニック号から救命ボートに子供のどっちが乗るのか?とか
井戸に落ちた蠍の話みたく。
そうやって銀河鉄道の夜に絡めて話を進めてけばピンドラももっと分かり易くなっただろうに。
22話で陽毬が「思い出の水族館」で自死を願うシーンでそれが聞き届けられるのは
「一体どういう世界なんだ・・・」と困惑したよ。 自分で考えといてなんだが
22話で陽毬が冠葉から奪った命(林檎)を返したから10年前の冠葉の箱に届いた。
という解釈は時空が歪んでて強引だなwとずっと思っていたのだが
そもそも「思い出の水族館」の存在自体が時の流れから外れて歪んでいたのだから
そこで陽毬が死んだら林檎が時を越えて10年前の冠葉に届いてもおかしくはないのかw
さらざんまいでも切れて結び直したミサンガが時を越えて届いたからなぁ。
それがイクニさんの作風だったって事なのだろう。
「思い出の水族館」の考察をやったのも私くらいのものだろうし
私がピンドラ考察の一番美味しい部分を味あわせて貰った気分だ。
ピンドラファンは沢山居たはずなのになんで誰も気づかなかったんだろうなぁ
・・・まぁ私の着眼点が特殊でイクニさんの意図に近かったって事なんだろな。 ピンドラの錯覚し易い所だがサリン事件とかサンシャイン水族館とか扱ってるから
現実と混同しそうになるが
私の解釈してきた通り「アダムとイブの話」や「銀河鉄道の夜」と同じく「創作の世界」の物語だからなぁ。
つまり区分的にはコードギアスのエリア11日本と一緒。
24話や劇場版の「乗り換え後の世界」は現実かもしれんが
劇場版の乗り換え後の世界でも「サンシャニー国際水族館」というプレートがあるので現実ではないのかもしれん。
現実では「サンシャイン水族館」と国際が'11年のリニューアル時に取れてるし。 なんで劇場版の「乗り換え後の世界」でも「サンシャニー国際水族館」って施設名のままだったのかなぁ?
そこは「サンシャニー水族館」と現実世界を踏まえて変えるべきだろって感じたのに。 そして乗り換え後の世界では現実と同じく
'11年3月11日に東日本大震災が起きたと臭わせる描写が旧高倉家の内部にあるんだよなぁ。
'95年の阪神大震災を扱った「カエルくん、東京を救う」を劇中で使っていた理由はここにあったのだろう、これも運命。 またピンドラ劇中開始日で「思い出の水族館」に久々に行った日は9話の図書館にある通り'11年10月15日で
劇の終わった最終話は'12年3月20日頃の桜が咲く頃。
つまり東日本大震災の約七ヵ月後から約一年後までの話である。 無駄に現実の事件を匂わせ、メインテーマには何も関係ないってのがイヤラシすぎてこの監督が一流になれない原因だと思う サリン事件を扱ったのに結局身内で罰も分け合おうってオチになった事ついては
私も初見の頃は肩透かしくらった気分だった。
それでサリン被害者の後遺症の痛みも分け合えるか?って感じだったし。
イクニさんは腕前はあるから後は世間が再び認めるかどうかだと思うなぁ、一流?の中に入れるかどうかは。
まぁ世間の評価はどうであろうと私がイクニ作品がスキだという気持ちは変わらないですよ。
ピンドラに関しては分析するのも面倒な作品だと思ってるが
9話の陽毬と母の話はスキなのも初見の時と多分変わらない、乗り換え後の世界では無かった事になってたのが分かって悲しいが。 本当にこの作品は「ありえない運命」ばかり起こる
例えば15話とか山内が福引で温泉旅行当てたから晶馬と一緒に旅館に行って
そこで偶然同じ旅館に来てた苹果の危機を救うとか「どんなありえない運命」「天文学的な確率のイベント」が起きたんだって感じだなw
私は「創作の世界だから」としか思えない。
「創作の世界」特に「日本のよくある街を舞台にしたアニメ」の主人公たちは
地元の商店街が催す地域振興イベントで買い物のおまけで貰える福引券を集めていて
それで福引機を回すとよく温泉招待券が当たる。何故か?
おそらく「イベントが欲しいから」であるw
またメタだが温泉でのキャラの裸は作画が楽ともよく聞くw
私は絵の才能が無いのでその辺の事情はよく分からないが
細かい装飾の服を着たキャラよりは裸の方が楽そうってのは想像がつく。
また同じ15話での桃果の台詞「この世界は『神様』が創ったんだって」や
「この日記にある呪文を言って、『神様』にお願いするの。そうすると運命を乗り換える事が出来るの」
そして22話の冠葉に命を返して死に掛けた時の陽毬の台詞「『神様』、お願いです」
と、ピンドラの世界には『神様』が居てどうやら「運命の乗り換え」も『神様』が行ってるようだ。 また1話にはよく神様の話題が出てくる。
「それらが全て運命だとすれば『神様』って奴はとんでもなく理不尽で残酷だ」
「もしこの世界に『神様』と呼べる者が居るならそいつに聞きたい、人の世界に運命は本当にあるのか?」
「君、医者は神様じゃないんだよ」「『神様』なんて居ないんだろ・・・」
どうも彼らの考えでは「神様が運命を決めてるらしい。」
そして医者は神様ではない。
しかし作中には「神様に近い存在」が登場する、桃果や眞悧だ。
でもきっと彼らは神様ではないのだろう。
では誰が神様なのか?
「企鵝の会」として地下の世界ではテロ活動をしているが
表の世界ではカレー粉から病院経営まで街の至る所でそのペンギンマークを目にする一大財閥「ピングループ」が『神様』だ
と私は推理している。
何故ならこの「輪るピングドラム」というアニメを制作しているのもピングループだからだw、MBSも制作してるようだが。
つまり『神様』であるピングループがピンドラの世界を創ってキャラの運命を操り「運命の乗り換え」の采配も決めていたのだろうw
・・・ピングループに属するイクニさんも神様なのかな? ここで15話での桃果の台詞「この世界は『神様』が創ったんだって」が効いてくる。
ピンドラ作中の街の至る所にあるペンギンマークはピングループが「街を造った証」
ピングループが「街を、世界を創った『神様』」と言い換えても違和感は無いだろう。
つまり「ピンドラの世界」は神様「アニメ制作ピングループ」が手がけた「創作の世界」なのだw ピンドラは「創作の世界」だから
22話で自分の命を擲ってでも冠葉を助けたいという陽毬の願いを叶え
小説版の陽毬の台詞「もしも神様が居ないなら私が作るのだ」という意思を受けて
桃果とペンギン帽を結びつけ、後の23話でペンギン帽が桃果声で喋るように世界を創りかえたのでは?
と私は推理している。
それで小説版23話でペンギン帽になった桃果は「あなた達の妹の力のおかげ」と言ったのだろう。
このピンドラ世界で「新たに何かを創り出す」には自らの命を犠牲にしなければいけない、みたいなルールがあるのかもしれない。
「銀河鉄道の夜」のみんなを照らす星になった蠍のように。 ちょっと前までは小説版の台詞から
「神様は22話の陽毬が作った」と考察には程遠い妄想で苦しんでいたが
まぁ「ピングループがピンドラ世界を作ってキャラの運命を決めていた神様だった」という解釈が
よりイクニさんの意図に近く妥当なのだろう。
本当に面倒な作品だ、ピンドラファンが沢山居るだろうが
私くらいしかこんなの見つけられんわw そりゃ世間ではタブー扱いの「サリン加害者の家族にフォーカスを当てたい」という創作欲を持った神様が創った世界だから
サリン被害者の痛みとか苦しみは蚊帳の外になる訳だ。 また、ピングループが創ったものは世界という物質的なものだけではないだろう。
人と人とをつなぐ「運命の輪」つまり「関係性」という精神的なものも
「ピングループが作ったもの」と私は考えている。
私が>>760以降から書いて証明してきた通り
桃果が愛し、眞悧が壊そうとした「世界」とは人と人とをつなぐ「関係性」の事でもある。
だから9話の回想で二人の強い絆でつながった友達と一緒にアイドルを目指していた陽毬はピングループのマーク入りのマラカスを持っていたのに
高倉父母の指名手配後、陽毬から「ダブルHとの関係性」がすっかり切れた1話ではマラカスからピングループのマークは消え
高倉家の居間で将棋盤と地球儀に挟まれ放置されていたのだろう。
つまりピングループという神様は世界を創り、複数のキャラを繋ぐ「運命の輪」も作っていたのだ。
そしてその神様が創った「運命の輪」とはきっとキラキラと輝いているのだろう。
桃果の台詞通り世界はみんな綺麗だ。
綺麗だと思うものがあって、その価値を分かち合える他者と出会い、運命を乗り換えられるから世界は輝いて見えるのだろう。ユリ熊嵐の「スキ」と一緒。
陽毬もマラカスを持って友達と一緒にアイドルになる夢を目指していた時、きっと世界はキラキラと輝いて見えていたはずだ。
だからこの時点まではマラカスにピングループのマークがあった。
また、そんな運命の輪でつながれた大切な人を喪うと世界の輝きも失われてしまうのだろう。
6話の多蕗の台詞「何が宝物だったかもう思い出せない」のように。
しかし桃果という「喪われたものに価値があった」とその価値を共有する相手が居れば
再び他者や世界とつながる事が出来るのだろう。多蕗とゆりみたいに。 そして世界を創ってるのはピングループだけでなく
神様の裏の顔である企鵝の会(ピングフォース)もピンドラ世界を創っているのだろう。
だから4話に登場したスカンクのキヨシ君は背中に企鵝の会の模様を持つ「ありえない」生物として
苹果と晶馬の運命を無理やり繋げる為に登場してきたのだw 私は9話の母親の話とか13話の最後の冠葉とかピンドラには今でもスキなシーンはあるが
イクニ作品では4番目にスキなんだよなぁ。
私はユリ熊嵐がイクニ作品の中で一番スキだ。
次にTV版のウテナ、さらざんまい、その次にピンドラ(劇場版込み)が来る。
ウテナの劇場版は情報が少なすぎて考察出来ないからその後だろうな、百合だけどw
考察馬鹿の考えなのかもしれない。
ピンドラは「創作の世界」だと分かってても
現実とのギャップで違和感を覚えて話に乗れない。
まぁ乗れないからこの通り
どのピンドラファンよりも客観的にピンドラを読み解く事が出来、イクニさんの意図に近づいてるのだろうが。 冠葉はジャイアンだ下手だとよく言われるが
「演技とは何か?」がよくわからんからか慣れたからなのかは分からんが
私はスキなんだよなぁ、特に13話は。
そもそもドラえもんを見てないからジャイアンがよく分からない。
3.11の震災の日に放送されるはずだったジャイアンの話をピンドラを理解する為に見た位で。
私には演技の上手い下手がよく分からない
コードギアスで芸能人が女学生役をやった時は下手だと思ったが一瞬なので何度も話題にする程気にならなかったし。
ただ'13年の「帰宅部活動記録」はメインだけでなくモブの演技も凄かった記憶だけは強烈に覚えてる。
メインだけなら可愛い女の子たちの演技がちょっとアレだな位にしか感じなかったのに
そこにモブの男の演技がトドメを刺しにきた感じがした。 そうか、18話アバンで音楽の譜面にもピングループのマークがあった理由は
音楽も人と人とをつなぐ「運命の輪」だからなのか、ようやく分かった。
「運命」、ベートーベンは自らの曲の始まりの音を「運命の扉を叩く」と表現していたという。
私は音楽にも疎いが18話の譜面は一体何の曲なんだろうなぁ。。。 イクニ作品のラパントラックは今度は小市民シリーズやるのか
米澤小説か、そういや「儚い羊たちの祝宴」まだ積んだままだなぁ。。。
前作のもアンファルも難しい小説らしいし
ラパンはなろうや鬼滅で分かり易いアニメに慣れた視聴者の知能レベルあげて
イクニ作品の新作を受け入れ易い土壌も作るつもりなのかもなぁ。。。
こっちはピンドラ読み解くだけで頭が壊れそうだからやめてくれー!って感じなんだが。
アンファルまだ見てないなぁ・・・その内見るか。
そして京アニの氷菓は面白かったなぁ・・・、特に長編の愚者のエンドロールとクドリャフカの順番は。
あぁいう群像劇の推理ものを理解出来るくらい慣れれば
「箱の回想」とかイクニ作品の演出も読み解けられるようになるかも?
しかし事件に遭った京アニに関係するアニメか・・・
イクニさんが裁判起こしてナーバスになってたのも分かるなぁ。。。 イクニ作品の新作が来るなら
ピンドラみたいな10年経って劇場版公開されても
誰も解けなかったような謎は作らないで(泣
視聴者目線での難易度調整もして、と心底願います。 イクニさん的には23話の箱の回想の表示文
「そこで僕たちは初めて出会った。その時から、僕たちの運命は予め決まっていたんだと思う。」
で「箱の回想の答え」を説明してると考えてたのだろうが
他にも高倉兄妹に関して細かいニュアンスまで理解しなければ解けない所とか要求キツすぎなんだよなぁ。
例えば冠葉が妄想で父母の幽霊を作り出し対話してたように
最後の高倉兄弟消失オチから逆算して「陽毬も妄想で兄弟を作ってた」と考えてもおかしくないシナリオだったし
一時期それで頭おかしくなってたわ・・・ それに「本当の兄弟」のニュアンスも細かい。
高倉父母と一緒に潮干狩りの回想で陽毬を見つける時でも冠葉と晶馬十分に「本当の兄弟」をしていたよ、と私には感じられたのに
その後の父母失踪後に始めて「本当の兄弟」になったような話にして
視聴者読者に理解を求めるのはレベル高すぎだ、と私は思う。
そりゃ父母失踪後の「愛の飢餓」時は
「通り過ぎない嵐なんかどこにも無い、でも通り過ぎるのを待ってたら大切な人は守れない」という剣山の教えを実行する機会ではあったが。。。
だから「本当の友達」とか「嵐」をテーマにしていたユリ熊嵐のファンの私としては
劇場版で「きっと何者かになれる」「陽毬の兄になった」というヒントを貰う前に
自力で「箱の回想」に気づくだけのチャンスはあったんだよなぁ。。。
でも熊のぬいぐるみも罠過ぎるんだよ。
どういう理屈でペンギン3号だけがそれが「兄弟の愛が詰まった陽毬の大切なもの」だと気づいて
夢の世界から現実へと持ってきたのかがTV版では全く分からなかったし、3号の思考パターンがそもそも分からない。
ピンドラ世界での「運命」の重要度に気づいてなかった時に
「銀河鉄道の夜」作中の「鉄道で旅するジョバンニ」とピンドラの「箱の回想」は似たものではないか?
そしてさらざんまいの「未来の漏洩」も同じではないか?と閃いたのは奇跡としか言いようが無い。 それでもピンドラはファンが多いから誰かが解いてくれるだろ、と半分他人任せにしてたが
結局ネットで初めて解いたのが私ってのは驚き〜って感じだよね。
ピンドラの理解者は一人も居なかったんだな。。。 長文書き込めなくなった
去年の12月初め頃なぜか>>790>>791にあったはずの三ヶ月間分のレスが消えたし
元の>>790は表示バグってて怪しいし
容量は470kbと限界が近いので
レス消失対策に次スレ立てて移動した方が良いかも知れんな ピンドラ世界は神様ピングフォースが創っていて
キャラクターの運命も操っているのだろう。
15話で山下が「すずらん通り」の福引で回したであろうガラポンにも
きっとピングフォースのマークが付いてたに違いないw
でも鈴蘭には毒があるって言うからなぁ
5話でも「すずらん通り」は苹果の心模様のように雨が降ってたし。
真砂子が食べた河豚やスカンクみたく企鵝の会の方がつながりが深いのだろうか。 ちなみにピンドラの「ピングループ/企鵝の会」という裏表のある財閥の元ネタは
イクニさんが初めて見たという'60年のアニメ映画「空飛ぶゆうれい船」に登場する巨大企業体「黒潮コンツェルン」だろう。
「黒潮コンツェルン」にも「ボア」という人間世界を支配しようとする裏の組織があって
ピングドラムの企鵝の会のように表裏一体だった。
「空飛ぶ幽霊船」見たけど
何処にでも居そうな男の子の主人公が凄い陰謀に巻き込まれ
自分の本当の出自を知るという、まぁ壮大な運命の物語だったなw
これを多感な時期に見たら世の中を疑ってしまいそうな話だったw
タイトルだけ見ると「洋風ファンタジーか?」って感じだったが
宇宙戦艦ヤマトの始まる前にこんな元ネタのような映画をやってたんだぁ・・・宮崎監督も参加してたようだし。
ちなみに'95年に放送され、'07年からリメイクされていた新世紀エヴァンゲリオンにも
「黒潮コンツェルン」がオマージュとして出てきて
エヴァでも「秘密組織ゼーレ」の表の顔としてエヴァの世界を創っていたらしい。
私はエヴァにはあんま詳しくないので「エヴァンゲリオン 黒潮」でググって
エヴァの考察サイトを参照して欲しい。
つまりイクニさんは「ゆうれい船」だけでなく「'95年のエヴァ」も考慮して
「ピングループ/企鵝の会」を創っていた、と私は解釈している。
ピンドラの中には探せばエヴァモチーフのものが沢山あるしね。 14話の人鳥荘で卓球をしていた苹果とゆりのシーンの背景に出たピングフォースの自動販売機とか
15話でペンギン2号が飲んでた矢の刺さったペンギンマークのジュース瓶は
「空飛ぶゆうれい船」のボアジュースかな?って感じで怪しいなぁ、今思うとw
ジュース飲んだら身体が溶けちゃう! 「空飛ぶ幽霊船」も一人の主人公の周りで起きる出来事としては
中々「現実ではありえない運命」の話だったなw
あれだけSFファンタジーの世界なら「創作の世界ならこんな事もあるよね」って納得できるけど
ピンドラの場合は「創作の世界」なのに荻窪の町とか現実っぽく見せてくるから脳が混乱してたんだろうなぁ。。。
「創作の世界」には運命、特に「運命の出会い」は付き物だけど
現実には「人と人とをつなぐ運命」なんてそうそう無いものである。
例えば14話とか
晶馬「サリン事件の加害者家族でした」
苹果「サリン事件の被害者家族でした」
二人「「なら私たちは二度と会わない方がお互いの為ですよね」」
で終わる話だろう、「現実の世界」だと。
でもピンドラは「神様ピングループ」が作った「創作の世界」だから
15話で二人は「現実ではありえないような偶然」で人鳥荘で再会してしまうw
何故ならそれが二人の「運命」なのだからw
輪るピングドラムとはそういう世界の物語なのだ。 偶然かどうか知らんが
「空とぶゆうれい船」作中で人類を裏で支配しようとする組織「ボア」と
オウム真理教の「ポアする」は似た字面だなぁ。。。 イクニさんがツイートしなくなってラパンから新作が発表されて
アニプレックスでは謎のアニメ、コードネームの「O」
これはかなり怪しいですね。
18日に一体何があるんだ。。。 さらざんまいの時はアニプレックスも制作の中の一社だったのか そういやピンドラに集中してたから
さらざんまいの小説と公式ガイドブックとかまだ読んでないわ
にしてもさらのシリコマンダーズとかユリ熊のユリクマニクルは劇中に登場しなかったのに
ピングループだけは登場してた事になるんだな そういやピンドラに集中してたから
さらざんまいの小説と公式ガイドブックとかまだ読んでないわ
にしてもさらのシリコマンダーズとかユリ熊のユリクマニクルは劇中に登場しなかったのに
ピングループだけは登場してた事になるんだな 仮にこの新アニメサイトがイクニ作品だとするなら
鳥を無くしてXに改名した元twitterに対するO、と私は思うなぁ。
Oに注水(水と言ってもエメラルド色だが)するような演出は気になるが
さらざんまいにもこんな演出はあったし。
・・・これで別監督だったら恥だな。 そろそろイクニさんの新作をと期待しすぎちゃってたなw
何か色々な事があったせいでイクニさんがラパンで仕事しにくくなった結果
他でと勝手に考えを巡らせてしまってた
しかし武内さんの物語シリーズだったか
私は最初の方で意味分からなくなって見るのを止めてしまって
今の内容は分からんが好きな人は好きだろうな にしてもせっかくピンドラスレに来たなら
現在再放送中の感想でも書いたりすればスレも盛り上がるかもしれんのにw ピンドラファンってネットの(間違った)考察に群がって
本当に正しい考察してる人を排除しようするイタい奴が多いよなぁ、と私は思っている
前スレでも「ゆりと彼女の父は好きな人を虐待洗脳しようとする似たもの同士」
とピンドラの謎を解く大きなヒントを出したのに即排除しようとする
間違った解釈を妄信した奴らだけだったからなぁw
ヒントが間違っていたらその対応もアリかもしれなかっただろうが
結局「大当たり」、ピンドラの世界の中心にある運命の一部だったのが救えない。
思考停止とは恐ろしい、透明な嵐と何も変わらない。
居なくなってくれてありがとう、とたまには毒を吐くw 大好きな作品の見たくない部分は見て見ぬフリをしちゃうよなぁ。
ゆりは毒親の可哀想な被害者で居続けて欲しいよねぇ・・・
だから「生娘のあなたには世界の半分しか見えない!」
まぁ百合が好きな私も桃果とゆりの関係は本物だと思っていたから
ゆりそっちのけで多蕗との妄想日記を書いてた事実をどう受け止めていいか分からなかった。
桃果もみんなと同じく「自分という箱」に入れた日記があったのだと気づくのに時間がかかってしまった。
だから私も他人の事ばかりは言えないのだ
ただ、それを自覚して自ら変えた分賢いとは思ってるけどw ピンドラって作品は作中で示された事が真実ではない事多いのだ
陽毬の病気にしたって「呪い」とか非科学的な理由で済まされるはずが無いし
時系列を整えればダブルHデビュー後に入院した事実は間違いない。
また、陽毬がダブルHと別離した理由だってテロを起こした高倉父母に「だけに」責任がある訳でもない。
陽毬自身が「ダブルHと離れたくない」と自分と言う箱から手を伸ばす努力をしてれば
後々まで引きずる事は無かったのかもしれない、病気の原因は陽毬自身の問題でもある。
また、そんな風に陽毬が病気になっていく様を間近に見ていた高倉兄弟が
何も出来なかったまま1話のような余命宣告シーンをやっていたら
「創作の世界」とはいえ「この人たちは何をやってるのかな?」と私は思ってしまう。
考察に対し描写が不足してるのだろう。
仮に私の中にピンドラへの盲目的な愛があれば「そういうものなんだよ」とか
「陽毬の心の痛みの隠し方が上手すぎたんだよ」と自らフォロー出来るかもしれないが
そこまでの愛情は無いので「愛があれば」そう解釈出来ると思っておく。 ピンドラは「親だけ」に責任がある話じゃないんだよなぁ・・・
今までそれが分かってない感想や考察ばっかで溢れてたから
「生娘のあなたには世界の半分しか見えない!」状態だった。
で、これからピンドラ世界における「運命」の重要性を証明した私の解釈に影響されたピンドラ考察が増えてくかもなぁ。。。
或いは増えず「分かったフリ」をしたままのピンドラファンが大勢のままの状態が続くかもしれない、今後どうなるか?だな。 ピンドラファンお決まりの台詞「愛の話なんだよ」がいい例だ。
「分かったフリ」してでも迎合したいからこんな他者に内容の伝わらない台詞が流行る。
例えば勝手に付け足して
「世界から消えてしまう運命を負った人を変える愛の話」とかにした方がまだピンドラの世界観が伝わるのではないだろうか? 「(世界から消えてしまう運命になってる人が再び世界とつながれるように運命を乗り変える為の)愛の話」の方が
より伝わるかな、長いけどw 13話が放送されたか
作中で言われた東京スカイメトロ開業10周年って
やはり最終話の「10年前の高倉兄弟が『箱の中』で林檎を分け合って後に兄弟になる運命となった年」って解釈で良いのだろうな。
ピンドラ劇中の10周年を迎えた地下鉄・荻窪線とは「高倉兄妹の運命の列車」の事なのだろう。
そんな高倉兄妹専用の架空の地下鉄だから「現実の世界」では'11年8月4日にリニューアルし、
風景が変わっていて存在しないはずの高倉家内で写真として飾られていた「思い出の水族館」である「サンシャニー国際水族館」に
1話や9話の表示通り同年10月15日に行けたのだろう。
そして冠葉が晶馬や陽毬と兄妹になって一緒に暮らす一方
真砂子は兄を奪われ、闇に置き去りにされたような状況になっているので
真砂子はTV中継に突っ込みを入れてるんだろうな。
また'95年3月20日のサリン事件の日、ピングフォースが爆弾テロで壊した多数の地下鉄路線の一つに
「桃果、多蕗、ゆり」の三人が乗っていた運命の列車もあったのだろうな、12話の通り。
ピンドラ劇中ではテロ事件の影響で約6年間も地下鉄が運転出来る状態では無かったが
現実のサリン事件では事件当日に日比谷線以外は早くも全線運転再開してたらしいからなぁ。
「ピンドラの世界」は'95年のサリン事件から'01年の東京スカイメトロ再開までの間
この様に我々の「現実の世界」とは歴史が違うようだが
その事実に劇中の人物は誰も疑問に思ってる感じでも無いし
やはり我々の「現実の世界」とは全くつながりの無い世界、神様ピングループが創った「創作の世界」なのだろうな。 本当、「現実の世界」ではないと一つ一つ説明するのも面倒な仕様だな、ピンドラは。
でも仕組みは分かってきたからな。 ピンドラ世界の'95年3月20日に起きたテロ事件の際、ゆりだけは地下鉄に乗らなかったのか
そして多蕗も寝坊したおかげで事件に巻き込まれなかったと。
でも3人の運命の列車は破壊され桃果も日記を残して消えた。
ゆりは飼育当番に関わってなかったのだろうか?
ここら辺曖昧だよなぁ。。。 というかピンドラの世界は
6年間も地下鉄と言う交通網が無い状態でどう生活が成り立ってたんだ?という話だよ。
それも含めてメタファーなのか?
少なくともその6年間だけでも他の交通手段を新たに創って補ってないと東京の機能が破綻するはずだろろう。 twitterトレンドを見て「えっ?今日はカレーの日じゃないでしょ」って一瞬思ってしまうピンドラ信者がここに 地下鉄が6年なかったってどういうこと?
そんな描写あったっけ? ああ、現実世界でいうと営団地下鉄が2004年に東京メトロに変わった話かな?
だとするとそれまでずっと営業停止してたと解釈するのはやばすぎるだろ >>866
ピンドラの世界では東京スカイメトロに変わった時、地下鉄も「懸垂式モノレール」に作り変えてる。13話の描写をよく見なさい。
その間は営業停止して工事しなければ作り替えられない、と私は思うぞ。
懸垂式モノレールの地下鉄といっても東京メトロには地上区間もある路線があるので
その部分は一体どうなってんだ?って話だが。 ピンドラの設定を知らないにわかさんでも
そこにわざわざ突っ込んでくれたのは初めてなので新鮮な気分だ
13話でも「新しい都市の交通網として誕生した東京スカイメトロ」って言ってるしなぁ。。。
まったく地下鉄一つ見てもピングループによる世界の創り直し方は異常だぜ、気が狂ってる そしてピンドラの世界の地下には「足場」があるのかどうかも分からない。
9話の地下のそらの穴分室から落下したプリクリが「その世界」では着地出来なかったように
地下はこどもブロイラーとか奈落に通じてるのかもしれない。
ピンドラ世界では'95年のテロ事件の影響かなんなのか分からんが
地下に「足場」が無くなったから懸垂式モノレールを創ったのかもしれない。
また、例えば'95年の新世紀エヴァンゲリオンの舞台、第三新東京市の地下にはジオフロントという巨大な空洞があって
使徒と戦う際に地上のビルなどの建物は地下に引っ込むという演出になってるし
地上と地下の行き来は地下鉄のようなケーブルカーを使っている。
そして銀河鉄道の夜の旅の舞台も宇宙、当然だが足場が無い。
ピンドラの地下もエヴァの地下や銀河鉄道の夜の宇宙と同じものではなかろうか? つまりピンドラの世界では地下空間に足場が無くなって宇宙のような状態になったから(重力はあるようだが)
地下鉄の再開に6年間かかったのだろう、と私は推測している。
>>866
さて、「足場が無い地下」で今までのそして現実のような地下鉄が運転できると思う?
そしてそんな地下空間で一から交通網を創らず営業を続けられると思ってますかね? ホント銀河鉄道の夜とかエヴァとか
他の作品の設定を知らないと理解しにくい世界観とか面倒な作品だな、ピンドラは。
これを面白い捉えるかは人次第だが、幾ら考えても分からんのが面倒だと私は思う。
9話の地下61階のエレベーターの演出はエヴァンゲリオンの地下に引っ込むビルみたいなもんかな?と私は思ったな。
サンシャイン60を地下に引っ込めたようにも受け取れるし。
そして9話の地下61階の図書館の分室からさらに落ちる、という演出で
地下がどれだけ広い空間になってるか常識的に考えたら想像つかないもんかね。
まぁ「足場の無い地下空間」に今までと同じような地下鉄を新たに創るのに6年で済むのか?
ってのは私は専門家では無いので分からんし「創作の世界」の技術がどうなってるのかも分からんので
そこまで考えるのは無駄な気はするがw ユリ熊嵐の世界で惑星クマリアが爆発し熊が人を襲うよう凶暴化したから
人は壁を作って世界が熊と人で二分され断絶したように
ピンドラの世界もテロ事件の影響で
「ピングループの地上の世界」と「ピングフォースの地下の世界」が断絶したのでは?と私は推理している。
だから地上のピングループ世界の視点で見ると地下には足場が無くなって
それでもその空間を有効活用しようと懸垂式の地下鉄を創ったのでは?と私は考えている。
で、地下空間ごと排除したピングループ視点では透明に見えても
ピングフォースは企鵝の会と名前を変え、変わらず地下でテロ計画を練っていると。 となるとピンドラの世界では
次に地下鉄テロ事件が起きて
乗客が車外に脱出しようとしたら「地下の世界」に真っ逆さまになるかもな、酷いw
何故東京スカイメトロが地下鉄に懸垂式モノレールを採用したか?
何故、9話のサンシャニー水族館の地下61階の深さから更に落ちるのか?
この2つを考慮しただけでもピンドラ世界の地下が如何にヤバイ事になってるか想像つくだろうw 賛同者?
「箱の回想の謎」をネットで初めてかつ唯一解けたイクニファンの私には
他ならぬイクニさん自身が承認してくれてるだろうと勝手ながら確信してるよ。
まぁイクニさんは答えに繋がる発言はしないだろうし何が正解かも言わないだろうけどね。 ピンヌドラム始めてみた時は意味不明だけど大物ぶった雰囲気してるなと思った
何が言いたいかはなんとなくは分かるんだけどそれ以上に意味不明の積み重ねでさっぱり分からない部分が多く、さてこれだけの大作ならいつか時間が取れた時にでも見直す機会でもあるだろお、と思ったけど全然機会ない
映画化だか総集編化だかされたんでしょ?
どうだった?感想以外を教えて
長いのをチロチロ観るのもいいけど短い方も観てみたいとも思ってる ま、東京スカイメトロの「懸垂式モノレール」は
本当は「地下の企鵝の会」よりの子供なのに
「地上のピングループ」にへばり付くようにして社会で生きている高倉3兄妹の暗喩だった、って事なんだろうな。
「TSM10周年」と「箱の回想の10年前」が一致してる事からも分かるように。
TSMが運転し始めたから冠葉と晶馬が林檎を分け合って「未来に陽毬の本当の兄弟になる」という運命を予め経験したのか
それとも兄弟が林檎を渡す為に手をつないだからTSMが開通したのかは分からんが。。。
・・・にしても放送当時に作られたピンドラのまとめwikiの年表には肝心のTSM10周年が記載されてないのが
「惜しい!」というか隈なく年表整理してそれに気づいてたら
「箱の回想の謎」も私以外の誰かが先に解いてたかもしれんのになぁw まぁピンドラは2クール24話と情報量が多すぎだもんな
例えば「とある回のネタA」と「それ以外の回のネタB」が繋がってるとして
その組み合わせをの数を導くには単純計算で24*23=552パターンとなって
我々視聴者はその中から一つの正解を探さないといけない。
ユリ熊嵐なら12*11=132
さらざんまいなら11*10=110
と話数の多いピンドラが一番難しいし
ユリ熊嵐と比較してもピンドラは約4倍難しいのだろう、と私は思っている。 ユリ熊嵐も意味不明で大物ぶってて全然わからなかった
個人的にはわけわかめ具合ではユリ熊嵐の方が上だと思う
驚くほどわからなかった
ただ、最後の方の雰囲気から察するにちゃんと理解して観てたら大物ぶりではユリ熊嵐の方が上だと思う
いつか見直す機会作りたいなとは思ってんだけどそう都合よく機会は転がってなくて少し無念
いっそBlu-rayとか買おうかとも迷うけど悲しいし悔やしいからやめとく ユリ熊はアマプラのDアニメで配信されてるから、1ヵ月だけ入会する方法もあるね ユリ熊嵐
あの突き抜けた意味不明な世界観の中で
根幹となるテーマを一つに絞って(私は好きを諦めない)それだけを集中して描いているから
作品自体は抽象的ながらもウテナやピンドラよりわかりやすく
純粋な美しさをはなつ作品だと思う ユリ熊嵐の方がウテナより難しいと私は思うなぁ。
ユリ熊嵐は最終話まで見てようやく明かされる世界観と人間関係の中心を知ってから
世界観がどうなっていたのか考えてくタイプなので。
だが読者によって解釈が分かれる「銀河鉄道の夜」を元ネタに使ったピンドラと違って
羆嵐は読者のほぼ全員が解釈一致する話だろうし羆嵐だけが元ネタな訳でもないし
「イクニさんがどう銀河鉄道の夜を解釈してピンドラ作中で使ってるか」みたいな
複雑な事も考えなくてもいい。 ウテナは基本的に王子とその妹(魔女)と姫の三角関係
元ネタは「眠れる森の美女」とか「白雪姫」みたいな魔女が出てくるタイプの絵本で
魔女を王子の妹にした変則パターンだと思っておけば分かり易いし。
ウテナは重要な回を中心にして理解していけば39*38=1482なんて
ピンドラの約5倍も苦労する必要は無いだろう。
基本は「共依存に陥ってる二人」から「目当てのキャラ」を解放する為に
自己犠牲をする「3人目の別のキャラ」という「三角関係」を描いてるのがウテナだからなぁ。。。
29話の「枝織・樹璃・瑠果」もメインの「暁生・アンシー・ウテナ」も同じ三角関係。
その2つの三角関係を比較しながら世界観も読み解いていけばそんなに難しくないだろう。
ただし黒薔薇編の核心部分はそこそこ難しいと思う。
youtubeの考察動画見て「時の流れ」に関してそんな凝った演出してたのか!と初めて気づいた位だし。 そしてさらざんまいは説明さえ聞いてれば分からない事はほぼ無いだろうw
大体説明してくれるしその説明は信頼出来る、ピンドラTV版と違って。
ピンドラは2クール持たせる為なのか10年間も視聴者に余韻を残したくて難解にしていたのか
わざと混乱させてくるような説明もあるから
納得出来ない説明については私は信用してないわw
さらざんまいやピンドラ劇場版が視聴者に対して素直な作風だとするなら
ピンドラTV版は面倒なツンデレの作風だな、誰にもその性格は読めない。
「考察したいけど初心者です」って人に私はピンドラはオススメしない。 イクニ作品の個人的難易度はこんな感じ
Hard ピンドラ(他作品を理解していたとしても難しいレベル
10数年間ネットでは内容に関して他人に説明出来るほど理解していた人は一人も居なかったでしょうw
説明していたとしても大体は間違った妄想止まりだっただろうしね、描写に見落としのある「りんごの計算」をネタにした考察はよく見かけたように)
Normal ユリ熊嵐(噛み応え十分、5年間は考察で楽しめた。性癖に合えば完璧)
Easy さらざんまいorウテナTV版(初心者向け)
??? 劇場版ウテナ(尺が短すぎて考察不可、しかし雰囲気だけを楽しむなら初心者向け) 「りんごの計算」は本当に正確なのだろうか?
私はそうは思えない。
例えば、画像の20話で晶馬は陽毬に林檎を分け与えてるようだが(何故か1/4)
本編20話では「KIGA林檎を一個丸ごと」渡しているし
その後の21話の夏芽父の葬式後の写真でも「陽毬はKIGA林檎一個丸ごと」持っている。
また13話の回想でホテルに泊まった時も陽毬は「KIGA林檎を一個丸ごと」持ったまま寝ている。
本当に晶馬から半分林檎を受け取っていたらどのシーンも半分になっているはずだ。
「りんごの計算」の画像に矛盾が出てくる。
では20話の回想で「何故、晶馬は陽毬はKIGA林檎を一個丸ごと与えたか?」だが
晶馬にとってはKIGAの会の事務所にあった林檎は特に好きでもなかったからだそうだ(小説版)
だから陽毬に丸ごと林檎を与え、その後も陽毬はKIGA林檎を肌身離さず持っていた、と解釈出来る。
また、最終話の「箱の回想」と同様に「20話の回想」も「晶馬と陽毬の未来に起こると予め決まっていた運命」
つまり「晶馬が陽毬に罪の果実を丸ごと与えた」から後々、陽毬に罰が集中する運命になったのだろう。
(*現実では親が犯罪を起こしたらその子供達は社会から平等に罰を受けてしまうのが普通なのに面倒な設定だ。
だから罰から逃れた冠葉は気軽に女遊びが出来て欲求不満を解消していたのだろうがw)
そして20話の通り「高倉家の罰は僕だけのものだ」と思い込んでいる晶馬だからこそ
最終話まで誰とも果実を分け合わず意固地に自身の胸の内に林檎をしまい続けていたのだろう。
その晶馬の心境を考慮すると「20話回想で晶馬は陽毬と果実を分け合ってない」という証拠が更に増える。
そもそも最終話の箱の回想に出てきた林檎と
20話のKIGA林檎は同じもの、という客観的な証拠すら無い。
「りんごの計算」は多くのピンドラファンの考察の基になっていた。
これらの解釈通り、「分かり易い間違い」があったのに誰も気づかず何故か皆信じていていた。
考察とは「物事を明らかにするためによく考え調べること。」だが
ピンドラ放送から十数年経った今、アニメ本編をじっくり見て自分達の間違いを見つめ直す良い機会ではないか?
と私は思っている。 東京スカイメトロが出来て10周年、そして「箱の中の回想」があったのも10年前。
23話の回想通り「運命の列車」は「未来に起きる運命」を予め乗客に見せる列車なのだろう、いわゆる「未来予知」のようなものだ。
「銀河鉄道の夜」のジョバンニがカンパネルラが水死する運命を列車の旅で予め見たように。
そして「さらざんまい」でもサッカーボール(尻子玉)をつなげるのを諦めなかった三人が
サッカー選手になってる運命「未来の漏洩」を見たように。
ピンドラ世界の「運命の列車」は10年前に変わった。
それによって「失われた子供達にも未来はある」と回想で見せるような「人の心」が反映されたシステムに変わったのだろう、と私は考えている。
逆に変わる前の15話、18話のゆりや多蕗が見た回想は露骨に親からの虐待から回想が始まっていて
二人の子供が親のような事をしない為に躾けていたのだろうが、大人になった二人の子供は結局、親と同じような事件を起こしそうになった。
東京スカイメトロの前身だった「T-tube」は'95年のテロ事件が起きるまでは
「子供に親に虐待されたシーンを見せ続ければ、子供は親と同じ轍を踏まないだろ」みたいな思想で回想を見せるシステムに陥っていたのでは無いだろうか?
運行会社が「利便性に傾倒」した結果だ。 ピンドラ世界では10年前、東京スカイメトロになって地下鉄は懸垂式モノレールに変わった。
だが乗り物の外側が変わっただけでなく内側にも変わった事が一つだけある。
それは「中吊り」だ。
23話アバンの回想では列車に中吊り広告があった、よくある普通の列車のように。
それがTSM荻窪線にリニューアルした後はダブルHの「本日の標語」に変わった、本日の運命が分かるようになっている。
中吊り広告をよく見ると
広告を出した出版社は「週刊実話」つまり21話で高倉家にやってきた記者の会社だ。
小説版によると「真偽の分からない娯楽記事」を載せる雑誌らしい。
21話でも記者は「高倉家の過去」を暴いて苹果と陽毬の分断工作をしていた。
逆に「本日の標語」のダブルHは苹果に「陽毬の大切にしていた言葉」の新曲CDを託した結果、乗り換え後の世界で二人は友達になっていた。
「さらざんまい」と比較すれば気づくが
21話の記者がやっていた事は「過去の漏洩」と同じだ。同じ目的を持つ友達(共犯者)の仲が悪くなる。中吊り広告を出していた時代もきっと同じだったろう。
そしてダブルHの「本日の標語」はアサクササラテレビのラッキー自撮り占いと同じ。友達(共犯者)の仲を深め幸せにする。「未来の漏洩」につながる。
つまり週刊実話の記者はピングループの腕時計をしてはいるが
10年前の東京スカイメトロに変わった時、列車のシステムから追い出された者たちなのだろう。 ピンドラファンもイクニファンも
さらざんまい放送当時だけでなく今に至るまで誰一人として気づかなかったが
ピンドラとさらざんまいはシステムが本当によく似ている。
まるで'11年の放送当時はファンの誰も理解出来なかった
「輪るピングドラム」の世界観を解くヒントを劇中に込めたかのように。
「箱の中の回想」の演出意図は12年間誰も気づかなかったからなぁ。
アニメだけでなく小説版まで読んだ熱心なファンにも。
ここまで気づけたのはユリ熊嵐を自力で解いた私位だろう、るる賢〜い! 10年前、東京スカイメトロに変わった「運命の列車」は
乗客に起こる運命を予め見せるシステムだ。
だから「箱の中の回想」を経験した晶馬は
その後の両親が指名手配された失踪後の飢餓の中
冠葉と「大切な人に言葉を伝える」約束を叶える為に林檎を分け合って「陽毬の本当の兄弟」となり
陽毬を笑顔にする為に高倉家をリフォームした。
そして最終話、晶馬は「運命の続き」として冠葉に林檎を返す事で
冠葉と「兄弟の上下の無い対等な関係」になれた。
だから20話の回想で晶馬に果実を丸ごと貰った陽毬も
最終話で「その運命の続き」として冠葉に半分の林檎を手渡した。
だから16話のフグ毒で死に掛けた真砂子も回想で
予め23話の冠葉が「運命の列車に乗ってテロ活動をする」運命を見た。
「運命の列車」は「銀河鉄道の夜」と同じ。
列車の旅から降りて現実に戻る乗客の未来に起きる事、つまり運命が予め見えるシステムなのだ。 また、1話アバンの晶馬の台詞
「『あの時』から僕たちには『未来』なんて無く、
ただきっと『何者にもなれない』って事だけがはっきりしてたんだから。」
の『あの時』とは「13話の両親の指名手配の時」だろう。
確かに彼らの『未来』は絶望的だった。
しかしその後の高倉家のリフォームで『何者にもなれない』晶馬も『陽毬の本当のお兄ちゃん』になれたし
最終話の運命の歯車「こどもブロイラー」によって透明にされた乗り換え後の世界でも
「熊のぬいぐるみ」に込めた手紙によって「晶馬たちの命」は陽毬の中で未来に繋がっているのだ。
その陽毬に幸せな『未来』を与えられた結末は両親指名手配時の『未来』が無くなってしまう前に
兄弟(晶馬だけ?)が「箱の中」で運命を見ていたからだ。
未来が無くなる前の光・希望を回想によって思い出した。
運命とは因果、原因と結果がつながっているもの指すのだ。
それは「過去と現在」「現在と未来」も同じだろう。 20話の「運命の果実を一緒に食べよう」と
24話のそれは本編の描写通りぜんぜん違うものだ。
20話は「果実を分け合ってない」が「運命の続き」として最終話で「初めて」分ける演出となっているし
その半分の林檎は冠葉に届く。
かつ「箱の回想」で冠葉が林檎を分け与える事によって「兄弟という上下関係」になる運命となった冠葉と晶馬だが
「運命の続き」で晶馬が冠葉に林檎を返す最終話によって「対等の関係」になれた。
ピンドラは面倒なほどニュアンスが細かい。
「りんごの計算」という大雑把で分かり易い画像がファンに流行った理由もわかるものだ。
私も分かり易いものには飛びつきたい、しかし「本編の描写から間違ってる」ものは考えてしまうのだ。
「それ本当に正しいの?」と ここで私のスタンスを話すが
私は「りんごの計算」を描いたピンドラファンの人を例え内容が間違ってるとしても悪だとは思ってはいない。
スキをテーマにしていたユリ熊嵐が大スキな私がそんな事を思うはずが無い。
また「りんごの計算」をダシにして考察をしているファンも悪だとは思わない。
但し、何者の考察にも囚われず自由にピンドラを考察している私に対し
「りんごの計算は正しい!」と自論(他者の間違った解釈に乗っかってるのに気づいてない思考停止の馬鹿)
を振りかざして来る面倒なピンドラファンが絡んできた事は何度も経験し、腹が立っているので
その手のファン達が再び私に絡んできたら今度はトコトン相手をしたい、と思うw あ、でもこのスレで「りんごの計算は正しい!」と自論を展開するピンドラファンには
私から絡んでいくと思うからヨロシクw
間違ったものは訂正してかないとなぁ、お互いの納得いくまで 私は間違ったものに対し「見て見ぬフリ」は出来ないからなぁ。
自省もしてるし、これから本当にピンドラを理解しているファンを増やす為でもある。 このスレはお互いのスキがぶつかりあう場所だから仕方ない。
ユリ熊嵐の屋上でありスキが試される断絶のコートでもあるし
ウテナの決闘広場でもあるのだから。
「あなたのスキは本物?」
皆さんのピンドラへのスキや「りんごの計算」へのスキを存分に語ってもらいたい。 しかしピンドラを理解すると逆にユリ熊嵐で分からなかった部分も
何となく「こうじゃないか?」と思えるようになるなぁ。
ピンドラを読み解くのは面倒だがリターンはある。
例えばユリ熊嵐のユリ承認バンクで銀子の「紅羽、私はあなたを食べる」という夢を2度見た後の
ユリ熊8話の「約束のキスを私に」で紅羽がデジャヴを感じた通り
紅羽が見た白昼夢はピンドラの「運命の列車」の演出と同じく未来予知だったのだろうな、とイクニさんの演出意図が読めるようになるし。 そしてユリ熊嵐を理解しているから私だからこそ
1話と最終話の賢治について話す少年達や
最終話で冠葉に林檎を返して「上下のある兄弟」から「上下の無い対等の関係」に変わる凄さも分かるのだろう。
ピンドラ最終話の「貰った林檎を返す」事とユリ熊嵐の「スキを返す・約束のキス」は一緒。
つまりユリ熊嵐のユリ承認で変身するウィニングモード(半熊半人)と
箱の中で飢餓に苦しみ、箱から出た後に賢治について語るペアルックの少年達は同じ演出なのだろう。
再び林檎を分け合った高倉兄弟も俗世のしがらみや断絶を越え「対等の関係」やユリ熊嵐でいう所の「本当の友達」になれた。
ピンドラ劇場版決定の時に1話のペアルック少年のデザインをしていたアニメーターさんが後悔していたインタビューを読んだ事があるが
ユリ熊嵐のウィニングモードと比べたらそりゃ後悔もするだろうな。
そしてユリ熊嵐の最終話、約束のキスを果たした紅羽と銀子が断絶を越え旅立ったように
冠葉に林檎を返し一緒に果実を食べた兄弟二人も楽園から追放されたアダムとイブのように
別の世界へと旅立っていった、というオチなのだろうピンドラも。 私にとってピンドラはずっと煽ってくる印象の悪い作品だったなぁ。
12年間ネットのファンの誰も理解出来てないし説明も出来なかった状態なのに
「愛の話なんだよ、何で分かんないかなぁ」と最初と最後で煽ってくるし
「何者にもなれない」は劇場版まで何の意味があったのか分からなかったし。
そしてサリン事件のオウムが起こした事件をモチーフにし
その子供も同じ罪を犯したのに
フィクションとはいえ、それ正しく償われたのか誰にも分からないまま夢オチで終わってるし。
だが「箱の回想」の演出意図を解けた'23年5月18日から
私がネット初のピンドラを理解出来たファンになるのもきっと運命だったのだろうなw まぁ1話のペアルック少年は地味だからオチが成り立つのであって
実際にウィニングモードみたいなのだったら伏線として濃すぎるから演出意図が似たものでも比べるのは違うけどなw ピンドラのアニメーターさんの後悔を反映させると
ユリ熊嵐で例えるなら絵本「月の娘と森の娘」の二人の娘の衣装をまんまウィニングモードにするようなものだろうしなぁ。
そうすると伏線が成り立たなくなってしまう。 「創作の世界」で現実と同じ事件を起こしたら
必ず現実と同じように裁かれなくてはいけない、と言いたい訳ではないが「やりたい放題」だなぁとは思うし
夢オチはその方面では投げっぱなしだな、とも思う。
まぁ最終話の眞悧の台詞の通り「利己的なルールが支配した世界」なんだろうが
私から見たら「やりたい放題」だな。
冠葉に殺された週刊実話の記者は乗り換え後の世界ではどうなったんだろ?
自分が殺される悪夢を見て飛び起きたから今後は強引な取材は気をつけよう、とか思ったんだろうか。
そっちの描写もしてフォローすべきだったと私は思うのに、ホント説明不足の尺不足。
小説版で書いとけば脚本さんの作業だけで済むだろうに。
ユリ熊嵐でも三毛別羆事件をモチーフにしてるが
あれは「熊に人間のルールは通用しない」で納得するし
現実の世界でも人を襲った熊は殺処分されてしまうので納得する、分かり易い。 まぁ「熊に人間のルールは通用しない」けど
では「人になりたい熊は?」と考えると
物語や世界観に深みが出てそこが面白いしんだよなぁ、ユリ熊嵐は。 ま、21話の冠葉に殺された記者は乗り換え後の世界で夢を見ていたってのは私の勝手な解釈で
殺されたせいで子どもブロイラーで砕かれたように乗り換え後の世界では存在そのものが消えてて
冠葉は酷い事をやったしその罪の償いも行われてない、って後味悪い解釈もあるけどな。 >>905
まぁ運命がテーマの話だからね、彼らに共感しちゃったらきっと辛いでしょう。
私は理不尽は理不尽でもご都合の理不尽だなぁって思うけど。
特に妹想いの高倉兄弟がダブルHに捨てられた陽毬の心の痛みに気づかずに余命宣告を迎える最初から
テロ事件を起こすまでに至る最後までの運命のずっとね。
高倉兄弟が持ち前のブラコンを発揮して気づいていればテロ事件を起こす運命にはならなかっただろう、と私は推測してるし。
まぁその場合でも伯父の家売却問題が冠葉一人に圧し掛かっただろうとは思うが。 '11年の洋画、空飛ぶペンギンを見た
ペンギンがクール便で送られてくる元ネタはこれの原作だったんだなぁ
放送当時に気づいて自サイトに書いてた人は二人居たようだが、情報助かるわ。
コメディで楽しかったな
ピンドラもこれ位最初から最後までコメディなら陰鬱な気分にはならなかったのだが
ペンギンが離婚した家族のつながりを再生するというピンドラと同じ作風。
ペンギンを飼育する為に部屋を寒冷地風にリフォームした所は
両親が失踪して泣いてる陽毬の為、兄弟がリカちゃんハウス風に家をリフォームしたシーンを思い出した。
そしてどっちも「居場所」の話でもあった、銀河鉄道の夜もだが。
物語の途中でペンギンを育てるのを諦め動物園に引き渡したが暖かい家の中ではペンギンは飼えない。
ピンドラ21話で家族を続けるのを諦めた晶馬が陽毬を伯父の家に行くように説得したシーンを思い出し
居場所を選べない陽毬とペンギンが重なった。
ピンドラの一番の謎も解けた事だし
これからは元ネタを見て理解を深めてくか。 空飛ぶペンギンの劇場公開はアメリカではピンドラ放送開始の三週間ほど前で
日本では公開されなかったそうだが
アメリカのアニメファンは映画の公開で元ネタも分かり易かったのかもなぁ。
また「空飛ぶペンギン」劇中でペンギンをクール便で送ってきたのは主人公の死んだ父親だったので
ピンドラでもペンギン達を送ってきた人物も剣山の関係者、つまりピングフォースなのかもしれんな、写真の通り南極に行った事があるようだし。
しかし9話で箱からピングフォースのシールが剥がれている。
これはどういう意図なのだろうなぁ?
23話では桃果の能力を封印するかのように眞悧はシールを貼り
劇場版ではシールを貼ってプリンチュペンギンを洗脳していたようだが。
仮に9話で眞悧の成すがままに陽毬がキスを受け入れた場合だと
ピングフォースのシールも剥がれなかった、という事なのだろうか? 眞悧のキスと眞悧のシール貼りは似たような演出、という事なのかなぁ?
キス繋がりでアンプルも。
つまり23話のあのシーンは眞悧が桃果の凸にキスしたようなものって事か? 結局「なぜ21話で晶馬は高倉家を出て行く陽毬に熊のぬいぐるみを持たせなかったのか?」
という意味不明な問題も「二人がそういう運命だったから」が答えだったのだろうなぁ。
制作者的にはそれが答えなのだろうが
視聴者側としては納得出来る答えにはなってないがw
何故なら、昔の晶馬は「陽毬にとって熊のぬいぐるみが何なのか」分かってなかったから
陽毬がこどもブロイラーに行く時に置いていった気持ちは分からないだろうが
熊のぬいぐるみの中に大切な手紙を入れた今の晶馬には「熊のぬいぐるみ」が大切なものだと分かってるはずなので
陽毬が忘れていった後はボ〜っとアルバムなんか見ずに
郵送の準備でもしておくのもまた彼っぽいと私は思うのに。
制作者と視聴者の解釈の違いなのだろうな。
制作者はどうしても「陽毬が熊のぬいぐるみを置き忘れた」という状況を作りたかったのだろう。
「そういう運命にしたい」のだから。
漫画版で陽毬は「伯父の家は氷の世界なんかじゃないけれど」と言ってるが
それも十分酷い想像かつ例えだなw
まぁこれも私の考察通り「20話の回想とリンクした"運命"だった」という事だろう。
ホント面倒な作品だ。
こっちとしては「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない21話の晶馬は偽者だ」とすら考えたのに。 陽毬はこどもブロイラーに行く時も伯父の家に行く時も熊のぬいぐるみを手放したが
この行動も陽毬という娘を捨てて居なくなった実母と同じ。
人形は陽毬にとっての娘のようなもの。
捨てる遺伝子は同じ、決まった運命。
そういう運命だが、兄弟は最後かつ劇場版に命をかけて熊のぬいぐるみを届けたのだろう。
そして陽毬が手紙を読む事で何者にもなれなかった冠葉と晶馬は「乗り換え後の世界」でも「陽毬にとっての兄」だったと証明出来た。
運命「こどもブロイラー」がすべてを奪ったとしても「大切な人に伝えたい言葉」が人の世界で輪ってくのだ。 ま、上手く辻褄を合わせようとするなら
結局、冠葉も晶馬も「兄としての自信」が無くなってたのだろうなぁ。
21話で陽毬が熊のぬいぐるみを忘れた時も届けるべきなのか?と思ったのだろう、おそらく。
劇場版の公開挨拶でもイクニさんと木村昴さんが追加シーンでの台詞について話してた通り。
ピンドラは冠葉と晶馬にとって兄としてのアイデンティティが揺らぎ失われそうな話だったのだろう。
私としては「面倒な奴ら」で潮干狩りで陽毬を見つける思い出の時だけで十分家族で兄だったと思うのだが
それに後からそんなに必死になるなら何故、不治の病になる前の
ダブルHに捨てられながらもグッズを集め応援してた陽毬の心の痛みに気づかなかったのだ?という話でもあるが。
ま、ユリ熊嵐のユリ裁判と同じように事ある毎に「兄としての存在」を試されてるという状況だったのだろうな。
プリクリはライフ・セクシーのような役割か。 ピンドラは運命の話だ。
愛の話ではなく(運命を変える)愛の話と言った方がより分かり易い。
さらに「(世界から消えてしまう運命になってしまった子供が再び世界とつながれるように運命を乗り変える為の)愛の話」
と言った方が分かり易い。
また、捨て猫にサンちゃんと名づけたから
その時の事を忘れたとしてもペンギンに再び3ちゃんというあだ名をつけたのもまた運命。
陽毬と晶馬が出会った時から「予め決まっていた運命」
そんな感じに私たちの暮らす現実世界から運命の理がちょっと大げさになった運命の世界なのだ。
そして、晶馬は陽毬に要らないKIGA林檎を丸ごと渡してしまったから
陽毬に高倉家の罰が集中する運命になった、と晶馬は勝手に信じ込んでいたのだろう13話や20話の通り。
一々感情的になって喚き散らして晶馬はそこが面倒な奴だったな、親が罪を犯したら社会は子供全員に罰を与えるというのに。 放送当時ここ(2ch)で作ってたまとめwikiも
「りんごの計算」と似たような表が書いてあるようだな。
ttps://w.atwiki.jp/penguindrum/pages/15.html
おそらく2chの連中も絵を見て「同じ解釈になった」と興奮しちゃって
その解釈を信じたファン達は下手に自信がついてしまったのだろうなぁ。。。
実際は間違ったものを10年間信じ続けていたのだが。
お前ら、晶馬が陽毬にあげたKIGA林檎は丸ごとだったシーンをもう一度確認しろよ。。。
「りんごの計算」の絵を描いた人だけが間違ってた訳ではない、2chを通じて「計算が出来る」と勝手に信じて増えていったネット民みなが間違ってたのだ。
本編をよく見れば20話で陽毬は晶馬から「林檎を丸ごと貰ってる」という見方が正しい。
そして丸ごと渡したから後々陽毬に高倉家の罰が集中する運命になった、と晶馬が信じ込んでいるという解釈が正しいのに。
しかも陽毬が林檎を丸ごと持ってる描写は数度あったのに何故「りんごの計算」を信じているファンは皆、確認を怠っていたのかなぁ?
思考停止してたからかイクニさんの演出意図が分からなかったのか皆同調圧力に呑まれていたのだろう。
まぁ本編の見落としして間違った考察をするのは誰にでもあるものだ。
私も一時期「乗り換え後」の池辺家内部の背比べに気づかず「兄弟のリフォーム時に世界線が変わっていた」と間違った考察していた事があったので
とやかくは言えん。
実際は「乗り換え後の世界」は「10年前の兄妹3人の出会いから運命が変わって、陽毬は池辺家の養子になっていた。」という解釈の方がより正しかった訳だが。
現在ピンドラの再放送中で次回は20話だが
これからの放送ではどれ位のピンドラファンがまだ「りんごの計算」を信じているのかも見ていこうと思うw、ツイッターとか そういや、陽毬を庇ったせいで怪我をした母が病院に運ばれたから、その後テロリストだとバレた。みたいな書き込みを見たが
それ位でバレるなら嵐の日に陽毬が熱出してテロ犯の父が背負って病院行った過去の時点でばれてる筈だろうし
母は'95年のテロ事件当時は晶馬を出産直後でテロ事件には参加してないのだから
簡単にバレるとは思えないなぁ。
可能性があるとするなら「病院で高倉夫妻が揃った状況」が
病院内の人間に嵐の日の陽毬の入院時より気づかれ易かった、という所かな。
それに嵐の日は他人の事や過去のテロ事件を考えてる余裕なんて無いだろうしな。
つまりその解釈もアリという事だろう。 ホントこの作品はどうなってるのか一々考えるのも大変なものだ。
例えば、熊のぬいぐるみに入った手紙にしても陽毬が一度でも抱きしめれば
「乗り換え前の世界」だろうと気づいたはずである。
しかし気づかなかった理由はおそらく
小説版に書いてある通り破れた部分には「盲腸の手術痕」という設定があるからだろう。
兄弟が行った「手術」は間違いなく「下手」だったのだ、抱きしめたらまた傷口が広がる位。
だからずっと人形は抱きしめられないままだったのだろう。
陽毬は兄弟と違って裁縫が得意なのだから後々自分で直せば良いものを
兄弟が直してくれた事に意味があると思っていたから
直さず抱きしめもしなかったので乗り換え後の世界まで手紙が残っていたのだろうな。
つまり人形に手紙が入れられた時から乗り換えるまでの3年間に加え
乗り換え後の世界で10年間
足して約13年もの間、熊のぬいぐるみは一度も陽毬に抱きしめられる事無く
乗り換え後の世界の陽毬は人形遊びを卒業してしまい
危うく捨てられる所だった、のかもしれない。
そして最終話の3月20日を越えた春の時期にようやく兄弟が繕った縫い糸が切れたのだろう。
10年以上切れなかったとは糸自体は割と丈夫だったのだろうなぁ。
そして10年以上経ってるから手紙も古く黄ばんで居た、と。
私はそこまで繊細な人間では無いのでここまで高倉兄妹の関係性を読み解くのに時間がかかったなぁ。。。
しかし私以外のピンドラファンも誰もここまで読んでる考察は見た事が無いので
やっぱりこれも私が初めてなのだ。 だったら尚更、21話の晶馬が人形を陽毬に届けるべきなんだけどなぁ。
そして21話で人形を「大切なもの」だと言ったばかりの陽毬が池辺家に持ってくのを忘れるのは不自然だと思ったが
まぁ良い歳した女の子が親戚に厄介になる時に人形を持ってくのも変、という考えもあるのかもしれない。
陽毬自身は分別をつけようとしたのかもなぁ。
池辺家に厄介になる以上、子供っぽさや「可愛い」とかは捨てなければいけないと。他人行儀だが。
さらざんまいのサッカーボールを捨てた悠みたいなものか。
ホント細かい所まで読まないといかんのがピンドラの彫りの深い所でもあるが面倒な所でもある。
「手術が下手だったから抱きしめられなかった」のならそう小説に書いといてくれよ。
イクニさん、読者に「察する力」を求めすぎじゃないの?
でも「20話の回想とリンクした運命にしたかった」という制作者目線の理由もあるのだろうし
陽毬を捨てた母親と同じ行為をしている状況も作りたかったのだろう。
また、21話の陽毬は晶馬と別れる為にマフラーを返し、晶馬の決断を認め「20話の回想」という運命とは違う道を歩もうとした。
話は逸れるが、20話の回想で晶馬が子供ブロイラーで陽毬を見つけられた理由は陽毬がマフラーをつけてたからと推測。
で、マフラーが無くなったから陽毬を見つけられなくなったんじゃないかなぁ?と勝手な妄想。
そして、最終話
晶馬は「運命に無駄な事なんて一つもない」と言っていた苹果に感化されて
「20話の回想」も無駄にせず「陽毬を介して冠葉に林檎を返す為」に使ったのだった、運命のリサイクル。 資源ゴミと不燃ゴミの違いが地域によって変わるように
「子供にとっての大切なもの」も育てる親によって変わるものなのか。
可愛いものが好きな親なら大切にしてくれるし
可愛いものが嫌いな親ならゴミのように捨てられる。
池辺夫妻がどっちのタイプかと言ったら
最終話の乗り換え後の世界でも熊のぬいぐるみがあったように
大切にしてくれる方だったのだろう。
熊のぬいぐるみも「乗り換え前の世界」と変わらずリサイクルされていた。
ピンドラ世界にとって「分別をつける」ってのは
ゴミの仕分けでもあるし
大人が用意した居場所に子供が適応する事でもあるのだろうなぁ。。。
子供にとってどんなに大切なものだろうと居場所(運命)が変わる時、勝手に分別されたり自分で分別したりして
要らない物はこどもブロイラーで粉々にされてしまうんだ。。。 21話で池辺家の子供になる為に熊のぬいぐるみを置き去りにした時の想いを
分別をつける為だと仮定するなら
結果的に陽毬の取り越し苦労だったって事なのだろうな。
・・・と言っても「運命の乗り換え」の設定は我々の暮らす現実世界ではあり得ないもので
「銀河鉄道の夜 第三次稿」のジョバンニの切符みたく「乗り換え前(夢)の世界」で貰ったアイテムを
「現実(乗り換え後)の世界」に持っていける、という設定になっているのだろうし
それで熊のぬいぐるみも持っていけた。
また、「乗り換え後の世界」では陽毬は10年前から池辺家の養子で
熊のぬいぐるみも10年前からずっと兄弟に補修されたままの状態という奇妙な設定で
(乗り換え前の世界では兄弟が補修した時期は3年前)
一般的なループものにおける世界線の並行移動では説明出来ないものだろう。
やはり「銀河鉄道の夜 第三次稿」の設定を元に「運命の乗り換え」を説明するのが一番分かり易いのだ。 こどもブロイラーにいつの間にか多蕗もそうだろう。
要らない個性を砕かれて社会に適応し易い透明な存在になる。
しかし未来に発芽する鳥篭の中の「生き物がスキ」という気持ちまで自ら捨てようとしたので
桃果に止められたのだろう。
そして救われた多蕗の生き物への想いは実り、彼は生物教師になれたのだった。
ピンドラは「(世界から消えてしまう運命になってしまった子供が再び世界とつながれるように運命を乗り変える為の)愛の話」である。
ピアノが出来なくなった多蕗は世界から消えてしまう運命だったが
「生き物がスキ」という欲求が彼を世界につなぎとめたのだ。
そして世界から消えてしまう多蕗の運命を変えたのは桃果だろう。 細かい所まで見るようになって今更気づいたがこの作品の地下鉄は懸垂式モノレールなのに
13話とか24話での桃果と眞悧が立つ場所には線路があるんだよなぁ。
モノレールに線路が必要なはずも無く13話みたく天井にレールがあるのが普通だろうに。
つまり桃果と眞悧の居た場所はモノレールになる前の「'95年以前のT-tube時代の線路」って設定なのだろうな。 21話が再放送されたか。
18話の回想でこどもブロイラーから多蕗を救ったのは桃果だが
あれは今回18話のラーメン屋跡地で高倉夫妻の遺体を見つけ途方に暮れた多蕗を見つけるゆりとの運命も暗示していた、と私は解釈している。
何故なら18話の桃果の「帰るわよ!」の台詞と
21話のゆりさんの「さぁ帰りましょう、私たちの家に」の台詞がそっくりである。
何より「18話の桃果」が「15話の桃果」よりキツそうな性格をしてる理由は
「18話の桃果にはゆりさんのイメージが入っているから」だろうw
つまり多蕗の18話の回想も「多蕗と桃果が出会った時から予め決まっていた運命」で
その後「運命の乗り換え」で桃果は自身の運命をゆりに譲った。
だから最後に多蕗はゆりと結ばれた、と私は解釈している。
桃果が運命日記の通り「多蕗に恋していた事実」には間違いないだろう。
「多蕗のピアノを隠れて毎日聴いていた」という苹果と同じストーカー気質を告白しだす所からも分かるように。
そして5話の日記通り、桃果はその恋心を「自分という箱」に隠していたのも間違いない。
だから15話回想でゆりが日記に触れるのを止めさせた。
仮にゆりに日記を見られたら「3人の友達関係」という桃果の大切な世界が壊れてしまうのだから。
にしてもあの状況でもよく「乗り換えに近づいては駄目!」と中二病的な台詞が出てきたもんだw
15話は昔は感動したのだが節々の違和感に気づき、その理由を考えて世界観が分かるようになってくると
「うーむw」って感想になるな 同様に15話の回想の桃果には「多蕗のイメージ」が入ってるのだろう。
だから15話の桃果は多蕗みたく草食系で生き物に優しくて「他の回の桃果より女の子っぽい」
そして「22話のゆりが多蕗を病院のベッドで見舞うシーン」も「15話のゆりが桃果を病院のベッドで見舞うシーン」とリンクしている。
つまり15話の回想は「桃果とゆりが出会った時から予め決められた運命」
そして桃果は自身の運命を「運命の乗り換え」で多蕗に譲った。譲ったから多蕗がゆりと結ばれた。
私事だが15話の桃果は多蕗のように女の子っぽいから
百合が好きな私に一度刺さったのだろうなw
「何故桃果の性格が回想によって変わるようにしたのか?」という疑問からイクニさんの真意に気づくと
百合好きとして鳥肌が立ってくるようだ
「なんてモノ(ノンケ)を百合だと錯覚させてくるんだ」って感じでw まぁ回想と違って「本当の桃果」は運命日記や妹の苹果に受け継がれた遺伝子通り
妄想癖が強くてストーカー気質なのだろうなぁw
劇場版で初めて真の桃果が登場したが
私のイメージとちょっと違うというか
「多蕗に恋したけどゆりに譲ったから二人は現世で仲良くやってて自分ここで一人寂しい」現世の未練を
ちょっとでも語ってくれたら
私の桃果のイメージと重なったのに・・・って思ったな。
それとも10年も前の事だったら流石に吹っ切れてるのかなぁ。
プリンチュペンギンは多蕗とゆりの息子のペンギンか?
と劇場版公開前に一時期妄想していたのを思い出す。 この作品には「自分の運命は他者に譲る事が出来る」みたいな設定がある、と私は思うんだよなぁ。
でなければ最終話の「乗り換え後の世界」で高倉夫妻とは血のつながりの無い陽毬が
池辺家(旧高倉家)で養子をやってるはずも無いのだから。
陽毬が高倉夫妻の実子である晶馬から運命を譲られたから
本来、池辺の養子として育てられるはずの晶馬の代わりに
池辺の養子になる運命に変わったのだろう、と私は思っている。 で、冠葉は真砂子に夏芽家の跡取りになる運命を真砂子に譲って
陽毬の代わりにこどもブロイラーで粉々にされる運命を引き受けたから
最終話でガラスのように砕かれた、のかもなぁ。。。 「運命の乗り換え」の設定がある程度分かってくるようになると
冠葉は少なくとも2度は自力で乗り換えしてたんだろうなぁ、と思えるようになった。
一度目は夏芽父が真砂子とマリオを手元に残すと言った時。
冠葉が自分を残すよう父を説得し、妹弟の運命を変えたのはまさに「運命の乗り換え」で
冠葉の熱意が父の本来の方針を変えた、という事だろう。
ピンドラ世界の子供たちは皆、自分の居場所を決められないけど
きっと自身の居場所を他者に譲る事は出来るのだろう。
そして父を説得し方針を変えさせた冠葉の熱意は正に「蠍の炎」そのものだったのだろうと推測する。
だが乗り換えが終わった後、冠葉は父から愚痴を聞かされる羽目になったんだろうなぁ
「お前を選ぶんじゃなかった」はおそらく冠葉が運命を変えた代償だったのだろう。
・・・一時期、夏芽父は冠葉が後腐れなく高倉家の子供になれるよう
あえて突き放すように「お前を選ぶんじゃなかった」と言ってたのかなぁ?と想像したが
22話で父はどの子を選ぶか言ってたし、そこは素直に受け取るべきだったって事だな、
ピンドラは素直に受け取れない描写が多いのでうがった見方をしてしまうが。 冠葉2度目の「運命の乗り換え」は
高倉家の壁をペンキで塗った「高倉家のリフォーム時」だった、と私は推測する。
仮に冠葉が高倉家をリフォームを提案しなければ
少なくとも兄妹3人は池辺の伯父が親戚と手分けして育てる為に離散する運命だった、と推測される。
そして晶馬も一時その運命を受け入れていた。
しかし冠葉がリフォームを提案し「責任は俺が取る!」と兄らしい姿勢を見せたので
晶馬は冠葉を初めて兄だと認め、3人で家族として再び生活していこうという希望を持てた。
つまり、冠葉の熱意(蠍の炎)が運命を変えた。
この2つのシーンから分かる通り
「蠍の炎」の本質とは「他者の信念を変えるだけの熱意」と推測される。
また、最終話の罰を受けてでも陽毬を救う為に呪文を唱えた苹果も
不変の呪われた運命を受け入れかけていた晶馬を変え、彼も自己犠牲をしてでも陽毬を救うと決めた。
つまり呪文を唱えた苹果の行動が晶馬の意識を変えたのだ。 そして高倉家をリフォームし運命を変えた代償が
熊のぬいぐるみを破った事じゃないかなぁ?と推測している。
人生や運命は幸福な事ばかりではなく
しわ寄せでどこかに不幸も起こる、それが代償ではないだろうか。
にしても熊のぬいぐるみを破った兄弟は
何故「大スキだよ」と手紙を書いて人形のお腹の中に入れておいたのだろうか?
「箱の回想」と「高倉家のリフォーム」を合わせて考えると
本来、兄弟は高倉家のリフォーム完成時に陽毬に「大切な人に伝えたい言葉」も言うつもりだったのだろう、と考えられる。
そして兄弟も満足し、例えその後に兄妹3人の生活が終わる運命が来たとしても受け入れられたのだと思う。
しかし熊のぬいぐるみを破ったせいで陽毬を泣かせてしまい兄弟の計画は完璧に上手くはいかなかった。
だから兄弟は「今度は上手くやりたい」と熊の中に手紙を閉まって
兄妹3人の生活が始まったのではないだろうか?
といつもよりも妄想を広げてみた。
明日はサリン事件の日か。。。 高倉家のリフォームし「責任とってでも兄妹3人で暮らす!」と決めた冠葉の熱意は
晶馬だけでなく池辺の伯父の方針も変えたのだろうしなぁ。。。
晶馬の意識が変わるのは分からないでもないが
池辺の伯父はテロ事件の兄宅を目立つ壁に塗った甥に対して
血の気が引いたり逆に冷静になって「駄目だこいつ、早く親戚で手分けして育てないと」とか思ったりしなかったのかなぁ?
子供を育てた事が無いから基本的に放任主義なのだろうか? 仮に冠葉が運命の乗り換えをしなかったら
高倉家の子供は真砂子、晶馬、陽毬、マリオの4兄弟になっていた可能性もあった、って事なんだろうな
・・・纏まるのか?
マリオを中心にして皆で可愛がれば纏まるのだろうか?
そして夏芽冠葉は祖父に訓練されて女に不自由する事なくサクセスロードを歩いていったのだろうか?
代わりに大切な人との運命の出会いは中々無さそうな気はするけど。 高倉家のリフォームは運命の乗り換えというより
自分たちの居場所を作ってる、運命を作っているとも言えるのか。
コメンタリで木村昴さんも言っていた様に。
そしてその作った運命は劇場版の追加カットのように砂浜に立てた砂上の楼閣のようなものでもあって
脆く壊れてしまうのだった。
つまり高倉家のリフォームは「運命の乗り換え」には当て嵌まらないのだろうな。
終わるはずだった高倉兄妹の運命を続けるための行動って所か。 今日は地下鉄サリン事件の日
この作品の兄弟は親と同じ運命に導かれたようにテロ事件を起こさざるを得なかった可哀想な子供たちのように
見えるがそんな事は無い。
陽毬が「デビューしたダブルHに置いてけぼりにされたようで辛い」という気持ちを兄弟に打ち明けていれば
彼女は病気にはならなかっただろうし
兄弟だってその陽毬の気持ちを汲み取れる機会は幾らでもあっただろう。
そうすれば1話みたいな不治の病で妹死亡どころか冠葉も人殺しまでする必要は無かった筈だ。
この作品は愛も罰を分け合うという教訓が込められているが
「お互いの気持ちを話し合う」という当たり前かつ大切な教訓も込められてるのだ、とファンも気づけたら良いなぁ。
そして22話で冠葉の行動を見て見ぬフリをした事を後悔し自殺した陽毬を反面教師として
プリプリのように家族の運命に口出しする位の気概を持ってくれたら言うことは無いんじゃなイカ? イクニさんも何でこんな作品を作ったのかと考えるが
'11年に起きた震災とかつての'95年という時代に繰り返される運命を感じちゃったんだろうな。
これはピンドラ劇中の箱の回想の「予め決められた運命」で設定レベルで盛り込まれている。
また「銀河鉄道の夜」もよくある一般的な解釈で伝えられる「死者を運ぶ列車」ではない。
イクニさん独自の解釈であろう「運命共同体に未来に起きる事を予め見せる回想列車」として作中で用いていたのだろう。
また、闘病していたウテナ役の川上とも子さんの死と
宮沢賢治の妹トシ子が重なってしまったのだろうし、私にはそう思えた。
繰り返される運命、人は何の為に生きるのか。
サリン事件の再来は創作ゆえに過激な運命を求めていたのだろうなぁ
あの当時も現実でも事件まで繰り返されなくて良かったわ。 サリン事件もホント狂乱した集団によるテロ事件と他人事のように思わず
心の隙間を突かれたら誰でもああなってしまう可能性がある、と肝に銘じておかないとな。
人相手なので教訓にパターンがあって分かり易いし伝え易い三毛別羆事件より厄介なのが癪だが。 事件の日に際して何故私がピンドラを理解するのに時間がかかった理由も考えると
私は「運命」にとことん興味が無かったからだろうなあ。。。
運命はオカルトだと思っているのか
繰り返されるキャラの台詞も馬の耳に念仏とばかり聞き流していた。
ピンドラ劇場版からだったからなぁ、運命に本格的に興味を持ち始めたのは。
「犬神家の一族」を見たのも運命に興味を持ち始めるきっかけだったのかもな
ピンドラばかり見ずにパロディ元も見たりして視野を広げたから
結果的にピンドラを俯瞰して見れるようになったのかもしれない。 だけど分かるようになっても私は運命には興味無いわw
さらざんまいの誓みたく運命は面倒だと思ってるタイプ
でもここまで運命に支配された世界観を創る為には
相当才能を注ぎ込んだのだろうし
イクニさんやスタッフさん達の蠍の炎のような熱意は感じてるよ。 だけど桃果の運命日記を持っていたのに
ゆりが桃果の同級生だと14話まで気づかなかった苹果の間抜けさは不自然だし
運命日記がどういう設定のものなのか?
それとも単に視聴者を驚かせたくて苹果と運命日記の設定を失念したまま書いた脚本のミスなのか?と
今でも気になる部分もあるけどね。 高倉家のリフォームの方は「運命の乗り換え」とはちょっと違うか。
あれは兄妹の列車の旅の終着駅に急に着いてしまった運命を無理して延長したようなものだろう。
本当は高倉夫妻の失踪によって3兄妹の運命の列車の旅も終わるはずだった
しかし冠葉がリフォームの提案をして旅を延長したのだろうな。
そして最終話で世界から消える陽毬を救う為に呪文を唱えてくれる苹果をようやく見つけた。
兄弟による無茶な延長の旅もそこで報われ、冠葉も希望の光が見えたから成仏していったのだろう。
そして「乗り換え後の世界」では冠葉と晶馬どころか「高倉家」まで
初めからこの世界に存在していなかった事になったが
それでも海賊熊のぬいぐるみだけは繋がっていた。
しかしずっと疑問なのだが
なぜ「乗り換え後の世界」では陽毬を拾ってくれたのが高倉家ではなく池辺家になっていたのだろうなぁ?
都合良すぎかつ説明不足だろ、と思ってしまうが
「乗り換え前の世界」で起こった出来事は「乗り換え後の世界」でも起きるって事なのだろうか。
池辺の伯父の「陽毬はウチで面倒を見る」という口約束も繋がっていたという事なのだろうか?
或いは20話の回想で集合住宅に居た陽毬は実はその時点で池辺家の養子だったが
それでもあの場所に母の姿を求めて毎日訪れていたのだろうか?、池辺夫妻に内緒で。
そして企鵝の会の演説に飽きた晶馬と出会ったのかなぁ。。。 すごい粘着質のいるけど
この手の輩は何も生み出せない自分と作品を生み出した作者を同格か
何だったら自分の方が上位ぐらいに置いてるから誰とも対話できないんだよな
失念がどうの喚いてるのキツイわ
作品や作者が自分の思い通りにならないって当たり前の事なのに
何故か設定や描写に不備があると思い込む認知の歪みヤバい それ全てあなたの自己紹介になってますよ、
でも理解した。
だからここの住人は君みたいに私の解釈の間違いを指摘出来なかったし
自分らが信じる「りんごの計算」「三兄妹の間でのピングドラムの輪り方」間違いにも13年間気づかなかったのだろう。
「13話回想」「21話回想」など「20話の回想」以降の運命の果実を分け合った後も
陽毬がKIGA林檎を一個丸ごと持ってる描写を間抜けにも気づかず
「晶馬は箱の中で冠葉から貰った半分の林檎を更に分けたんだ」と本編の描写には無い根拠の無い妄想を作り、信じ続け
誰もその間違いを指摘出来なかった。
或いは間違いを指摘していた賢いピンドラファンも居たのだろうが
>>942のように怒りの感情によって知性を無くした妄信信者が調圧力によって排除していたのだろう。
イクニさんや脚本の伊神さんは「放送後も視聴者が考察を語り合ったり出来るように空白を作っていた」ようだが
>>942のような厄介な自治厨が居たから10年間ピンドラ考察が変わらなかったのかと想像すると、イクニさんらの思いは半分届かなかったようで残念だ。
対話とは努力だと私は思っている、他者を理解しようとするという不断の努力。
だが君は>>942自己紹介通り最初からその努力を怠っていた。
そんな貴方に対話云々を語る資格は無い。
対して私は他者を理解しようとする努力を怠らなかったから
「何故、20話の回想でも陽毬はKIGA林檎を丸ごと一個持っていたのか?」というイクニさんの意図を読めたし
「りんごの計算」やピンドラまとめwikiに書いてある「こどもブロイラーで晶馬⇒陽毬へ半分渡す」も
アニメ本編の描写とはかけ離れた「視聴者それぞれの勝手な妄想だ」と気づけた、面倒臭かったけどw。
「きっと何者にもなれない」とは運命が辿りつく未来の事だが
間違っていた「りんごの計算」もこれから語られる事は無くなっていくだろうから忘れられる運命だろう。
或いは忘れられなくとも「放送当時のネット上のピンドラファンは妄想でこんな間違った事を皆で信じてたんだなぁ・・・」
と新規ファンからは反面教師として語られていく運命だ、と私は未来を思う。 また「空白の余地を残した作品」を作った結果、未来の感想が賞賛ばかりが続くとは限らない
私のような「疑惑の目」も向けられるのも仕方ないだろう「空白の余地を残した」のだから。それもまた運命。
さらざんまいの通り「希望も絶望も命と共にある。」
何かを選んだ結果、全部良い事ばかり起きはしないのが多様な価値観を持った人々が暮らすこの世界というもの。
もしも「空白の余地を残した作品」は「賞賛しか認めない」というのならそれはユリ熊嵐でいう所の「傲慢」だろう。
ピンドラの後にユリ熊嵐を作ったイクニさん達はそんな事は思わないはず、と勝手ながら期待してしまう。
イクニさんらは大変だろうが
より正しい解釈、制作者の意図を求めようとする意思は受け止めて貰いたいなぁ・・・
或いは受け流してもいいよ?、と私は感じている。 結局、私の考察が素晴らしすぎて嫉妬してるから
何とか瑕疵を見つけてでも排除したかったのだろうなぁ・・・
それがここに潜む「ピンドラファンのスキ」
年月が経って腐ったのだろうか?
単発だしそれが「本物のスキ」には私には見えなかったな。
もしもスタッフさんをフォローしたいのなら
「これこれこういう理由で苹果ちゃんは14話までゆりさんが桃果の幼馴染だと気づかなかったんだよ」
と「空白の余地」を自ら考察し、それを披露すれば私を排除できたかもしれんのになぁ・・・努力しろよ
それに私は例え「運命日記を持って何度か読みその内容を信じていた苹果」を失念したミスだとしても
これを創った人は悪だとは思ってない。
私だって作中の描写を見落として解釈をミスる事なんて幾らでもあったのだから、これまで書いてきた通り。
蜜子さんの台詞通り「罪を犯さない生き物なんて居ない」のだ。
誰だってミスを犯す、そんなの分かりきっている。
それなのに>>942は上とか下とかに拘ってて他者を見下してくる幼稚なピンドラファンだな、と私は思う。
まるで冠葉に林檎を返す前のメンドクサイ晶馬を相手にしてるようだった。 まぁミスではないと信じたいのだが
それなら何で4話で「古い友人」だと紹介され16話でゆりも載った運命日記のページがあったのに
何故、8話で日記を奪われるまでの苹果は「ゆりが桃果の友達」だって気づきかなかったのだ?
という話だよ。 疑問を持つ、というのはイクニ作品を理解するのに大切な過程だ
例えば21話で晶馬は何故家を出てった後の陽毬を追いかけるなり何なりして熊の人形を持たせなかったのか?
と私はずっと疑問に思っていた。
21話で陽毬に渡せば最終話の下りが必要が無くなると思ったからだ。
いつまで考えても訳が分からなかったが或る日「箱の回想」の謎を解いて
「出会った時から予め決まっていた運命」という設定がある事に気づいたから
「あぁ、だからこの脚本さんは運命通り陽毬が熊のぬいぐるみを置いてぼりにしたかったんだ」
と分かるようになった。
だから幾ら細かかろうと疑問を持つのは大切な事だと私は信じているのだ。 「古い友人」は良い見方をすれば考察している視聴者に花を持たせようとした
或いは伏線なんだろうが
視聴者と違って運命日記という情報源を持っている&運命日記を信じ成就する事に執着している苹果が気づかない
のは不思議というかアホだよなぁ
別に気づいてたって大きな何かが変わるとは限らんかもだが。
というかこんなので花を持たせたとしても他は闇の中なのだから気が滅入る。
21話の熊のぬいぐるみを置き去りにする所と比べると遊びの部分なんだろうな。 きっと何者にもなれないお前たちに告げるってマインドコントロールにあってどうしようもないって感じではなくて単純に犯罪者ジュニアだから詰んでるって解釈でいいのか >>949
最終話の「乗り換え後の世界」で「兄妹の縁が切れる運命」だったと予め決まってたから、だろう。
運命「こどもブロイラー」が「兄妹が一緒に暮らしていた思い出」もすべて奪ってしまうのだから。
10年後の劇場版見て「箱の回想」の謎も解いてようやく理解したわ、長かった。 「犯罪者ジュニアだから詰んでる」ってのは別の側面でしかない
ようは高倉兄妹にとって「家族という関係性が無くなる運命」であり「兄妹という関係性も無くなる運命」だった。
ピンドラはそういう話。
「他者との関係性」が「自分を何者か」と位置づける、という事。
だから「きっと何者にもなれなくなる運命」
そして「箱の回想」は冠葉が晶馬に「林檎という生きる希望」を与え、関係性を結ぶ運命
つまり「二人が出会う前から決まっていた運命だった」という事。
だから1話アバンの晶馬の台詞
「『あの時』から僕たちに未来なんて無く、ただ『きっと何者にもなれない』って事だけがはっきりしてたのだから。」
の『あの日』とは「両親が犯罪者だと世間に暴かれ、かつ失踪した日」で晶馬はそこで一度「生きる希望」を失った。
しかし冠葉が晶馬に「高倉家のリフォーム」を行う提案をし
「二人で陽毬を笑顔にして家族をやり直そう!」と希望(林檎)を半分与えたから
晶馬もそこで初めて冠葉を「本当の兄」だと認め、「僕もまだこの世界につながって生きていられる!」と思えた。
最終話の晶馬の台詞通り、父が冠葉を養子にした日に
勝手に兄だと関係を言い渡された事は、晶馬にとって本当に気に食わなかったのだろうw
しかしそんな晶馬の嫌悪感とは裏腹に「箱の回想」の通り
それでも冠葉は後々晶馬に半分の林檎であり命を与え
本当の兄弟になる運命は出会う前から決まっていた、という事。 ピンドラは説明するのも本当にややこしい作品だw
10年間誰も理解しておらず
劇場版を見た私くらいしか理解者が居なかったのも頷ける
1/4の林檎が〜、とかそんなのはあくまでただの一解釈でしかなかった。
「運命とは何か?」を理解する方が大切だった。 「犯罪者ジュニアだから詰んでる」とか関係無い
「他者との関係性」が無くなれば
生き物は誰だって皆「世界から消えてなくなる運命」だ、とこのピンドラって作品では定義しているのだろう。
だから「きっと何者にもなれない」。
例えば、生物教師を辞めた多蕗だって「こどもブロイラー」によって「世界から消えてなくなる運命」に近づいたし
歌劇団のトップ娘を引退したゆりさんも、いつかファンから忘れられて世界から消えてなくなる運命」に近づいた。
しかし二人は結婚し
多蕗は「ゆりの夫」になり、ゆりは「多蕗の妻」となったので
その関係性が失われるまで「世界から消える運命」から一時的に遠のいたし
もしも二人に子供が出来たなら、例え二人が死んでも二人の遺伝子は未来につながっていく、愛とともに。 「「犯罪者ジュニアだから詰んでる」のではなく
「犯罪者ジュニアだから」と人生を諦めて
「自分という箱」に引きこもり他者と林檎を分け合うのも諦めるから「詰む」んだよ
でもこの兄東弟達は諦めずに「高倉家のリフォーム」に林檎を分け合っていた。
しかしそうやって運命を変え家族関係を延長しても限界が来た、そういう話。
だけどリフォーム時に手紙を残しておいたから
「乗り換え後の世界」でも陽毬は兄の記憶を思い出せた、かどうかは知らないけど
再び「他者と林檎を分け合おう」と思えるようになった。 そして、陽毬は「高倉夫妻の指名手配報道」と「ダブルHのデビューと離別」を経て
他者と林檎を分け合う事を諦めてしまっていた、「犯罪者ジュニアの自分には無理だ」と。
>>257から既に書いていたが。
「乗り換え後の世界」での陽毬は
池辺家の養子という境遇から周囲に遠慮していた所はあるのだろう。
「実親に捨てられた私は過去に誰かに愛されていたのだろうか?」という不安もあったのかもしれない。
それを払拭する為の「熊のぬいぐるみの中の手紙だった」という事なのだろうし
電車の中で偶然事故に巻き込まれて出会った苹果との運命も大切にしよう、と思ったのだろう。 「蠍の炎」とはやはり「他者の判断を変えるだけの熱意」なのだろうな、私の解釈通り
それは「運命を変える力」つまり「乗り換えの呪文」でもあるし罰も受ける。
冠葉で考えるのが一番分かり易い
22話回想の真砂子とマリオをテロ集団である自分の元に残す夏芽父の判断を変えた時の冠葉が
妹弟の運命を乗り換えた後に「お前を選ぶんじゃなかった」と罰を受けたように
あれは「蠍の炎と運命の乗換え」だったと分かる。
そして12話、すでに冠葉から一度命を分け与えられたので「もう無駄だ」と分かってるのに
それでも「やってくれ」と懇願する冠葉の中に「蠍の魂」を感じて判断を変えたプリクリと
矢張り「無駄だった」結末に「どうして俺じゃ駄目なんだ!」と冠葉はまた罰(トラウマ)を受けた。
つまりこれも「蠍の炎と運命の乗換え」
よって「蠍の炎」には「他者の判断」つまり「運命を変える力」がある。
しかし変えた結果、絶対に上手くいくとは限らず
特に「上手くいかなかった場合」は「蠍の炎」を発した者に罰が向かうのだろう、何故なら運命を変えた責任が伴うのだから。 「蠍の炎」と「運命の乗り換え」と罰の相関関係はユリ熊嵐で考えると分かり易いだろうな
私はイクニさんの創った「ユリ熊嵐」が一番スキなアニメだが
このアニメには一つの大きな「運命の分岐点」があった。
ユリ熊嵐は元々は'12年に「ピングベア」という仮タイトルで発表され
ピンドラのファン達は続編か?と大いに期待をしていた。
しかしイクニさんは途中で「新作が作りたい」と続編コースを捨て、結果「ユリ熊嵐」というアニメが生まれる運命になった。
これは一つの「運命の乗り換え」だったのだろう。
スタッフさんの中にもきっと「ピンドラ続編の方が良いはず」と思っていた人が居たかもしれない。
しかし、新作を推すイクニさんの「蠍の炎」という熱意に感化されユリ熊嵐が制作される事になった。
そして'15年、ユリ熊嵐は放映されたが結果的に円盤は800枚位しか売れず
多くのピンドラファンは「ピングドラムの続編の方が良かった」と監督のイクニさんを叩いていた、これが「運命を乗り変えた罰」
今でもユリ熊嵐はイクニさんの代表作から外されたりと不遇の作品となっている。
私はユリ熊嵐の方がスキだし名作だと思っているので「そんな事は無い」とこれからも言い続けるが
ピンドラの「運命の乗り換え」の設定を語る為にはこれが一番分かり易いだろう。 そしてピングベアの話を知らない人達には
世界の風景が変わった事には気づかない
知ってる人だけは気づく。
「運命の乗り換え」はそういう設定なのだ。 つまり12話の「蠍の魂」の下りをやらせた意味は
単に冠葉の熱意が「プリクリの正しい判断を変えさせた」ってだけなのだろう。
でも陽毬の命を生き長らえさせるには冠葉だけでは駄目で
晶馬と一緒に救わなければいけないのだろうな、最終話の通り
めんどくさいw
18話でもそんな感じだったのだろうな。
冠葉では「人生に希望は無いと思っている陽毬の運命」は変える事は出来ず陽毬は自ら命を絶とうとしたが
冠葉の蠍の炎に桃果と同じものを感じた「多蕗の運命」の方だけは変える事が出来た、だから陽毬は助かった。 では「何故、13話の眞悧のアンプル(林檎)は陽毬の命を一時的に救っていたか?」だが
眞悧が陽毬に「もう一度ダブルHと友達になれるかも?」と偽りの希望を見せる運命に変えたから、だ。
眞悧は「関係性が切れる運命になっている者達」に「偽りの希望」を見せる存在なのだ。
最終話の通り、「乗り換え後の世界」では陽毬とダブルHの縁は完全に切れてしまう。
その運命が分かっているので眞悧はダブルHにマフラーを届けたりして陽毬に「偽りの希望」を見せていた、と私は解釈している。
その希望が陽毬を一時的に健康にした、まるでアンプルを注射するかのように。
そうやって彼は「運命の乗り換え」をさせないようにする為のキャラクターなのだ。
「運命の乗り換え」を推奨する桃果とは真逆の存在。
また、乗り換えの呪文がダブルHから苹果に伝わったのは
冠葉という手駒を得た喜びから油断したうっかりミスだろう。
そうでもしないと眞悧がゲームに勝ってしまうからな。 ぶっちゃけアンプルの下りも演出的には何だって良かったのだろうな。
眞悧が「一時的にダブルHと陽毬の縁をつないで、陽毬に生命力を取り戻させました。」と表現出来れば。
でも眞悧は「絶対に陽毬とダブルHが友達に戻れない運命」だと知っている上で
陽毬に偽りの希望を持たせた後に裏切って絶望のどん底に叩き落します、というのをやりたかったのだろう。
眞悧はまるでピンドラ放送の1クール前にやっていたアニメ「魔法少女まどかマギカ」の
希望を持った魔法少女を絶望に叩き落してエネルギーを回収するキュウべえと似たようなもの。
眞悧の元々の色彩設定は「全身真っ白で瞳だけ赤」だったらしいが
おそらくキュウべえの色彩を意識していたのだろうな、と私は推測している。
他に兎カラーや「ガンバの冒険」の白イタチのノロイって可能性もあるが
時期的にはキュウべえ一択だろうなぁ。 運命の至る場所からやって来た眞悧は
過程は分かってないのだろうが未来がどうなってるかは知っているのだと思う。
・高倉兄妹がバラバラになってる事
・陽毬とダブルHが完全に縁が切れてる事
その2つの運命は眞悧は知ってる前提で最初から行動していたのだろうけど
・陽毬と苹果が友達になってる事
・熊のぬいぐるみの手紙
は知らなかったんじゃないかなぁ?おそらく。
ピンドラは眞悧がどこまで運命を知っていたのか分からんから
それも意味不明だと言われる理由だろう。 眞悧は「乗り換え後の世界」の陽毬のキャラや境遇だけはほぼ完全に理解していたのだろうな。
例え列車の事故によって陽毬と苹果が一時的に縁が出来たとしても
遠慮がちの陽毬では長続きしないだろうと陽毬は思っていた。
しかし熊のぬいぐるみから出てきた手紙が
陽毬の「苹果との不思議な運命を大切にしよう」という気持ちを強くさせたのだろう。 再放送が終わったが、私はピンドラ見ても泣けないんだよなぁ、意味不明な事が多すぎて。
最終話だって「え?なんでこのタイミングで熊のぬいぐるみが破れかけてるの?」って方が気になるし。
「なんで3号は熊のぬいぐるみを拾って乗り換え後の世界に届けたんだ?、3号は手紙が中に入ってるのを知ってたのか?」
というのも気になって都合良すぎだろと思ってしまう。
でも10年後の劇場版の追加シーンで「兄弟が3号に人形を託したのだしあれだけの出来事があったら破れても仕方ないよね」と
理屈の方は分かるようになってきた。
でも相変わらず「どうしてこれで泣けるんだ?」って感情の方が強い。 ピンドラは13話の高倉家の玄関に置いてあった3つのKIGA林檎といい
謎だけ置いといて回収を忘れた作品だな、と思っている。
小説版ではそのシーンは「林檎っぽい花」が代わりに置かれているがこれも意味不明。
数年後に出た漫画版でようやく玄関の林檎を回収してるし
「忘れてたんじゃないの?」と疑ってしまういい加減さ。
13話でKIGA林檎の置いてあった玄関には
元々アール・ヌーヴォー風のヒトヨタケのランプが置いてあった。
ヒトヨタケは毒がある茸だし、林檎で毒と言ったら白雪姫なので
毒によって幽霊とか見るようになったりしてしまう、と言いたかったのではないだろうか?
また、4話のKIGAマーク付きのスカンクの屁も毒のようなものだ。
つまり「毒性のものを内に秘めたもの」にKIGAマークは描かれていた的な事を表現する為だけに
高倉家玄関のキノコのランプをKIGA林檎に変えていた、と私は解釈している。
でも回収し忘れた、或いはアールヌーヴォー様式に聡いファンが気づいてくれる事を期待していたが
放送当時は誰も気づかなかったのだろう、ピンドラファンの知能はここを見ればお察しの通りだ。 ピンドラTV版は「これ位の表現なら視聴者も理解してくれるだろう」と見誤って
演出が極端に難解になった作品だ、と私は思っている。
小説版も読みキャラクターの置かれた心情も極限まで理解しなければ
「箱の回想」と「高倉家のリフォーム」の関連性も解けない。
そして解けたファンは過去一人も居なかった。
難易度調整が完全に間違っている、イクニさんも久々のアニメ制作で加減が分からなかったのだろう。
後々の「ユリ熊嵐」や「さらざんまい」でイクニさんの演出意図を読めるようにならなければ
ピンドラは読み解けない、そんな仕様になっているとすら思える。
だがそれでも「何者にもなれない」が何の事かは私にも分からなかったんだよなぁ、劇場版を見るまでは。
ピンドラは劇場版でようやく素人でも意図が分かるようになる、そんな作品。 イクニさん、エキサイトしてるなぁ。
視聴者の一人として私もエキサイトしてたのだから受け止めたい。
違う立場の者同士中々分かり合えない、でも気持ちは私なりになら分かる。
「何者にもなれない」はプリクリの台詞のように感じてしまうが
元々は1話アバンの晶馬の台詞なんだよなぁ。
そこがポイントというか>>951で書いてるけど。
ようはピンドラって作品はテロ犯の父母が子供達を置き去りにして
病気になった陽毬も余命宣告受けちゃった結果
晶馬は「僕達はあの日から何者にもなれない運命なんだ・・・」と1話冒頭から絶望してる所から始まるけど
紆余曲折を経た最終話で「箱の回想」で思い出した冠葉に半分の林檎を分け与えられた時の記憶の意味は
高倉夫妻失踪で泣いてる陽毬を笑顔にする為に冠葉がくれた希望を分け合って「本当の兄弟」になった「高倉家リフォーム」を暗示する運命だったのだ
と気づいたから
晶馬は「僕は『あの日』から『何者にもなれない』と絶望してたけど『冠葉の弟』になれてたし『陽毬の兄』にもなれてたじゃん」と気づき
「なら今度は冠葉から貰った林檎を返さないとな」と冠葉に「陽毬が幸せになる為の光り輝く希望の林檎」を返した。
それが次のシーンの陽毬の為に「乗り換えの呪文」を唱える苹果ちゃんに繋がる、と。
そういう風に私は受け取っている。 自分で書いたものを自分で読んでも何のこっちゃ分からんw
だがこのピンドラって作品は「予め決められた運命」である回想の演出が
他には無い独自の世界観を作り出してるんよ。そこを理解しないとね。
Xには「箱の回想の謎」を解けたファンは一人くらい居たのかしら? なんかまた京アニの事件を基にしたアニメ映画やるらしいが
ピンドラもそうなんだよな。
サリン事件を扱ったのも
'95年と'11年に起きた震災に便乗して
「子供はテロ事件を起こした親に似る」という「運命」を口実にしていたから
・・・客観的に見ても中々あり得ないと思うが
また二人の兄に愛される陽毬に共感する女性ファンも多いだろう。
ピンドラはそんなファンが望む一つの夢・願望である。
妹の命を救う為にテロ事件を起こすドラマは
そんな女性ファンにとって嬉しいシチュなのかもしれない。
そんな女性ファンを喜ばせる為にサリン事件を扱ったのは
「夢を創る仕事」としてはクリエイターの命を繋ぐ為の生存戦略として正しいと思うが
喜ばせる以上の事はあったのだろうか?という疑問は付きまとう。
どれだけピンドラを見たファン達は地下鉄サリン事件の事や
その親の犯した罪に巻き込まれた子供達の事を考えたのだろう。
特に、ただ運命に翻弄され不治の病になった陽毬自身に過失は無かったのだろうか?
22話の水族館で自らの罪を告白し自殺したから無罪?
そもそも不治の病になった理由だって「友達のダブルHに捨てられたけど追いかけたい」という気持ちを封じたから。
そして封じた理由は二人の兄に迷惑をかけたくないから。
その気持ちは分かる、分かるけど結果的に陽毬が不治の病になったせいで冠葉がテロ事件を起こし
人殺しになったのだから救えない。
私は愛の物語ではなく反面教師としてこのピンドラという作品を考えている。 そして「テロ事件を起こして陽毬の命を救う」という運命以外にも
「ダブルHにもう一度陽毬と友達になって貰うように頼んで陽毬の命を救う」という運命もあったと思うんだよな、私は。
ピンドラの世界を創った神様ピングループが「子供が親と同じくテロ事件を起こす運命にしたい」から
このドラマになったと分かると視聴者の私としては頭が痛くなってしまうのだった、その為に地下鉄サリン事件を扱ったのかと。 そして'11年の震災の時期にサリン事件を扱ったアニメを創った理由も矢張り
「運命」を考えて欲しかったからだろう。
1話アバンの晶馬のモノローグ「僕は運命って言葉が嫌いだ。生まれ、出会い、別れ、成功と失敗、人生の幸不幸
それらが予め運命によって決められているのなら僕たちは何の為に生まれるのだろう?」
その晶馬の台詞の「別れ」の内にはきっと「大切な人の死別」も含まれる。
例えば、前兆はあるけど人類の知恵ではいつ来るか誰にも分からない大地震。
震災という「大切な人と死別した出来事」を「運命だ」と誰かに言われてしまう場合はある。
それは地下鉄サリン事件も同じで
イカれたテロ事件を起こすオウム真理教みたいな奴らと偶然一緒の地下鉄に乗っていただけで
死に別れたり後遺症を負ってしまった悲劇も「運命だ」と誰かに言われてしまう場合もあるかもしれない。
12話の桃果の葬儀でも「桃果の死と同じ日に生まれた苹果に何の因果が」と運命に関する噂話が出ていたし
冠葉と晶馬も13話の高倉父母の指名手配報道と失踪後に初めて自分達の誕生日とテロ事件のあった日が同じだったと知って
嫌な運命を感じてしまったのだと思う。 それは高倉兄弟も同様で
1話の物語の始まりの幸せな朝食の団欒の時点から「陽毬との別れの運命」は頭の隅にあったはずだ。
またピンドラの「何者にもなれない」とは
20話や24話の通り運命「こどもブロイラー」によって世界から消えてしまう子供達の事だ。
「大切な人との別れの運命」によって世界との繋がりを全て失ってしまうと
透明になった子供は世界から消え、人々の記憶からも忘れられていってしまう。
つまりピンドラの「何者にもなれない」とは
運命によって消える事まで予め決められている世界で
「世界に何も残せず消えていってしまう人」の事だ。
ピンドラ世界の運命は残酷で、最終話の通り世界から消えてしまった高倉兄弟が存在した痕跡は全く見当たらない。
しかし劇場版の通り兄弟が「手紙の入った熊のぬいぐるみ」を「乗り換え後の世界」に行く3号に持たせ
それが池辺陽毬に届いたので
兄弟が消えた後の世界でも冠葉と晶馬は「陽毬を愛していた兄」という「何者かになれた」
桃果はその「乗り換え後の世界の運命」まで分かっていたので
「きっと何者かになれるお前達に告げる!」と言っていたのだ、と私は解釈している。 イクニさんは「何者かになれる」と「サクセスできる」は違うと言っていた。
高倉兄弟も物語の最初1話の通り
陽毬の「幸せだね」という台詞から
兄妹みんなでこの家で暮らし続ける為に頑張ってはいたけど結果的にそれは失敗、サクセス出来なかった。
しかし「大切な人に伝えたい言葉」というピングドラムを見つけ
そのミッションは「熊のぬいぐるみの手紙」の「大スキだよ」で果たしたので
「兄妹一緒に暮らす幸せ」の方はサクセス出来なかったが
「大切な人に伝えたい言葉」という「本当の幸い」の方ではサクセス出来たんだよ、と言いたかったのだろう。
プリクリが兄弟に探させたピングドラムとは「銀河鉄道の夜」の「本当の幸い」なのだ。 そして劇場版で「運命の乗り換え」を完了させた冠葉と晶馬は「有名になれる」どころか
名前を覚えてそうなのは多蕗とゆりの二人位だろうしな
つまり何者かになっても「ほぼ無名」
仮に、熊のぬいぐるみの修復時に手紙を入れた冠葉が
陽毬への恋愛感情を伝える為に
「大スキだよ!!、冠葉より」と書いていたら
その手紙も兄弟たちと一緒に運命によって消えていたのだろうか?
乗り換え後の世界の池辺陽毬には届かなかったのだろうか?
この世界を作ったイクニさんは先日ようなツイートを書く位だから消していたかもなぁ
「冠葉より」ではなく「お兄ちゃんより」だから「乗り換え後の世界」でも手紙は消えなかった、という事だろう。
冠葉が恋愛感情を隠し「3人兄妹で家族をやり直そう」と手紙に自分の名前を書かない選択をしたからこそ
「乗り換え後の世界」の陽毬に届いた、と考えるとピンドラ世界独特の浪漫があって
女性向けの兄妹ものがスキなイクニファンが泣いちゃうのも分かるなぁ。。。
私が泣く程スキなシーンは9話の病院のベッドのシーンと
13話最後の両親がテロ犯だと知って動揺する冠葉のシーンの2つだな。 高倉家のリフォーム時
熊のぬいぐるみの中に「大スキだよ」の手紙を書いたのは
或いはその手紙の内容にしたのは冠葉じゃないかなぁ?、と私は推測している。
仮に手紙を入れる提案をしたのが晶馬なら「大スキだよ」と書かないような気がするからだ。
晶馬はこの時点で陽毬を家族に選んだ事を後悔してるのだろうし
その上、陽毬の大切な人形を破いたら愛情表現より謝罪をするはずだ、と私は思うからである。
つまり冠葉が陽毬への恋愛感情を隠しつつ
晶馬と一緒に手紙を書いて熊のぬいぐるみに入れといたのだろう。
或いは晶馬にすら内緒で縫ってる最中に手紙を入れといたのかもしれない
21話で家を出てく陽毬に人形を届けようとしない点から察するに。
つまり晶馬は人形の中の手紙の事を知らなかった。
或いは知ってたとしても
「冠葉の陽毬への恋愛感情を隠した手紙」だとは察せられなかったのだろう。 言うまでもなく私の考察はオリジナルだ、見たとしても他者の考察には基本的に影響されない。
だから他に類は無い。
影響されてないから「りんごの計算」の不自然な点も気づく。
でもこのスレでは考察してる私は悪だと思われてるのかたまに排除されそうになるw
そして私だって最初からこんなにイクニさんの意図に近い考察なんて出来てなかった。
2年前のスレ見返すとプリクリの正体は「アイドルになれた世界線の陽毬」みたいな事も言っていたなw
まぁ現時点の考察だとプリクリの正体は
「22話の水族館で意識不明になった陽毬」が過去の時間に飛んで過去の陽毬の精神を一時的に乗っ取っていた。と考えてるけど。
陽毬とプリクリの大きな違いは「運命の乗り換え」に「消極的」か「積極的」かって所だからな。
陽毬の主張は「3人兄妹でずっと一緒に暮らしたい」
プリクリの主張は「運命の乗換えをしろ」
だけど消極的な陽毬の意識が変化するシーンが作中に一つだけある
それが22話の水族館で死ぬ場面。
つまり22話で意識不明になった陽毬は
'04年の洋画「バタフライ・エフェクト」の日記を読むと過去に戻れる能力を持つ主人公エヴァンみたく
色んな場面に飛んでプリクリという別人格を演じて兄弟を炊きつけていた。
そしてペンギン帽と桃果が23話で結びついたのは「単なる辻褄合わせでしかない」とも解釈している。 「バタフライ・エフェクト」の主人公エヴァンは運命を変える為に過去に飛ぶのだが
その過去は洋画「セブン」が放映されていた'95年なんだよな。
ピンドラの「運命の至る場所」である'95年につながってるとしか思えない。
そして大学生のエヴァンが小学生の自分の意識を乗っ取るから
「口の悪いプリクリ」みたいになるんだよなw
イクニさんもバタフライエフェクトを意識してプリクリの設定を作ってたんじゃないのかなぁ?、と想像している。 また「バタフライ・エフェクト」の主人公が運命を変える為に過去に飛んだ少年時代に放映されていた'95年の洋画「セブン」のテーマは「7つの大罪」で
それは9話に登場する杉並区立中央図書館の「7つの大罪」が刻まれた石碑とも繋がっている。
そう、つまり9話に登場する「3号を追いかけて7つの大罪の石碑のある図書館を訪れていた陽毬」は
「22話の水族館で意識不明になった陽毬」ではないか?という推測が成り立つ。
「22話の水族館で死んだ陽毬」がプリクリとなって運命を変えようとしていた、という推理だ。
「バタフライ・エフェクト」の主人公と同じく。
だから9話の最後「ペンギン帽を被ってプリクリとなった22話の陽毬」が病院の遺体安置室で死んだ陽毬の身体を乗っ取り
プリクリを演じていた。
つまりプリクリの正体は「22話という『運命の至る場所』で死んだ陽毬」なのだ。
彼女の自己紹介「妾は運命の至る場所からやってきた」の通り。
そして飛んだ過去で兄弟への助言(17話の部分まで)をすべて成した後にプリクリはその座を桃果に返した
だから23話の通りペンギン帽が桃果として喋るようになった。
そう私は解釈している。 つまり9話や劇場版の「7つの大罪の石碑のある図書館」を訪れる者は
運命を変える為、或いは運命の乗り換えを完了する為に
「未来からやってきた」という事だ。
洋画「バタフライ・エフェクト」の運命を変える為、
「セブン(7つの大罪)」が放映された'95年という過去の少年時代に飛んだ主人公エヴァンのように。 イクニさんもおそらく9話担当の武内さんも相当の映画好きだからなぁ
洋画モチーフを使った時間跳躍ネタが隠されていたとしても不思議ではない。
そしてペンギン帽=桃果としたオチは「素直じゃないなぁ」と私は思っている。
或いはこれも何かの元ネタがあるのかもしれないが。
それにしても「素直ではない」と思うが。
こんな事やって視聴者の「知りたい欲」に答えない作り方をしたから
TV版は意味不明と言われてしまうのだと思う。
私も「プリクリの正体は桃果ではない」と言い続けていたが
その度に「プリクリ=桃果」説の本編を馬鹿正直に受け取ってしまうファンに絡まれて
めんどくさい想いをしたのだった。 冠葉の箱にだけ林檎があった理由は
冠葉には高倉夫妻が失踪した『あの日』の後から高倉家のリフォーム中までに
「大切な人に伝えたい言葉」を言える機会が巡ってくると運命で予め決まっていたからだろう
冠葉にとって大切な人は絆創膏を貼ってくれた陽毬
もしも兄弟がリフォームせずバラバラになった場合でも
冠葉は陽毬との別れに「大切な人に伝えたい言葉」を恋愛感情と共に言っていた、と私は推測している。
また、晶馬にとっての大切な人は苹果だが
冠葉がリフォームを提案し3兄妹一緒の旅を延長しなければ晶馬は苹果と出会う事は無い、だから晶馬の箱には林檎は無かった。
冠葉がリフォームを提案し晶馬に半分の林檎を与えたから、「箱の中の運命」通り晶馬は生き延びて
苹果と出会い恋をして最終話の通り苹果「大切な人に伝えたい言葉」である「愛してる」を言えた。
そして3兄妹一緒に暮らすために恋愛感情を表に出せなかった冠葉も最終話の「乗り換え後の世界」に熊のぬいぐるみの中に入れといた手紙によって
池辺陽毬に「大切な人に伝えたい言葉」をようやく言えた、という事だろう。 しかし漫画版では冠葉は最終話の蠍の炎に包まれていく運命の列車の中で
晶馬と同時に陽毬に「ありがとう、愛してる」と言ってるんだよなw
まぁ意識を取り戻そうとしている陽毬には聞こえてないのだろうけど。
これは別パターンと思っておくか つまり冠葉も晶馬も「箱の中」で林檎を分け合って一緒に生き延びる運命を選んだ時点で
「大切な人に伝えたい言葉」を言った途端に成仏する運命だと出会った時から予め決まっていた、という事だろう。
まるで「さらざんまい」10話のマブみたく。 そして「林檎は愛による死を自ら選んだ者へのご褒美」の意味は
22話の通り真砂子とマリオに普通の人生を与える為に
実父を説得し、彼女らの代わりに企鵝の会に残る事を選んだ冠葉だった。
しかし、21話の通り実父はご褒美をくれる所か罰を与え
冠葉は自信を失いそうになった。
だが出会ったばかりの陽毬が貼ってくれたおかげで冠葉は正気を保てた。
「その絆創膏が冠葉の箱にご褒美の林檎」となって現れた、と言った所かなぁ。
そして箱の中で、冠葉が晶馬にその半分の林檎を与えたから
最終話でそれが晶馬から返ってきた。 つまり真砂子やマリオの為に乗り換えをして希望が無くなった冠葉にとって
「大切な人」である陽毬に出会えた事がご褒美だった、と言った感じかな
後に高倉夫妻が失踪して晶馬と一緒に飢餓で死ぬ前に「大切な人」に出会えていたから「冠葉の箱」にだけ林檎が見つかった 「死ぬ」といっても身体(自分という箱)が死ぬって意味はなく
心の方(箱の中の本当の自分)が死ぬんだろうな。
「大切な人に愛を伝えたい」という心の方が死ぬ、という事だろう。
そして人は透明になる。 箱の回想と冠葉の関係が分かってくると
冠葉にとっては「大切な人に伝えたい言葉」を言える運命を晶馬に半分渡して
自身はその運命を封じたまま
晶馬と陽毬を養っていた、という事だったんだなぁ。。。
冠葉の陽毬への恋愛感情は作中で大々的に描写されていたのに
熊のぬいぐるみの手紙との関連は中々気づかなかった。
しかし、「陽毬への恋愛感情を封じた冠葉」といい「多蕗への恋愛感情を封じた桃果」といい
この作品は「自分という箱」に秘めた想いを持つキャラは視聴者に変人だと思わせるような描き方をしてたんだなぁ、と分かる。
冠葉は1話から寝ている妹にキスをする変態として視聴者にインパクトを与えたし
桃果も妹の苹果によって「多蕗と恋人になった妄想する日記」を遺した変態として視聴者に印象を刻み付けた。
二人とも度を越した変態だと視聴者に印象を植え付けていたが
視聴者とは違いピンドラ世界の中では「秘めたもの」で
ピンドラ世界に暮らす人々は本来なら誰も知らない気持ちなのだ。
変態行為を視聴者に見せ付けていた冠葉と桃果だが
冠葉は「兄妹3人で一緒に暮らす為に自身の陽毬への恋愛感情を封じて長男として二人を養っていた」訳だし
桃果もおそらく「多蕗の恋人になる運命をゆりに譲って自分は身を引き、書いた分の日記も封印しようとしていた」のだろう。
変態だが自己犠牲精神もある所がイクニ作品のキャラらしい。
そしてその欲望を「自分という箱」に封じていたから変態行為が視聴者に漏れたんじゃないかなぁ?、と推測する。
陽毬とマリオは自分の本当の気持ちを封じると不治の病になってしまうが
冠葉と桃果の場合は封じた変態が漏れる。
桃果は15話でゆりと出会う前から多蕗との妄想日記を書いていたのか
それともゆりと出会った後に妄想日記を書いてたのか分からんが
15話で日記を持ってるのでおそらく出会う前から日記を書いてたのだろう、と私は思う。
だからゆりが妄想日記に触れるのを止めた。
18話で多蕗を救った後に15話になった、と推測する。時系列的に。
だとすると15話の桃果は左手にバーナーに炙られた火傷跡があるはず、しかし火傷跡が無いのが不思議。 1話の陽毬が復活したシーンで
晶馬の方が陽毬に抱きつくのが一瞬早かったせいで割を食ったのは
冠葉の自制心を強調する為だったか。恋愛感情の有る無しの差だな。
そして晶馬が抱きついた後に二人とも抱きしめるのは
二人とも愛してるよと、という意思表示化。
どっちも高倉家のリフォーム時に長男役を引き受けた影響からか。
仮に高倉家のリフォームを冠葉が提案しなかった場合
彼は本当に陽毬に恋愛感情を伝えていただろうか?
陽毬は高倉夫妻が居なくなった事で泣いていたのだから
そんな時やそんな後で告白したとして
成功しようがしまいが冠葉の自己満足なのは間違いない。
そこで陽毬の痛みを察知しリフォームというほぼ正解な対応を叩き出す所が
冠葉の貧乏くじの始まりであるが素晴らしい。
では何故、両親失踪で泣いてる陽毬の痛みを的確に察知対応出来た冠葉が
ダブルHのデビューで凹んでるのに元気なフリをしてグッズをあれだけ買って応援してる様を見て
その後、不治の病にまでなってしまうまで
何故手をこまねいて放っといたんだよ、という話。
神の視点を持ってなければ「ダブルHとの絆の喪失=不治の病」には気づかないかもしれないし
陽毬は両親失踪時と違って負の感情を表に出さなくなったとは言え。
だが「ダブルHを応援する元気な陽毬が病気になっていく」という視聴者の視点では見る事が出来ない様を
冠葉は見ているのだぞ。
視聴者には見れないが、ピンドラ世界を創った神様ピングループには見える視点の話を。 変態も度が過ぎると目が眩むんだろうなぁ・・・
というか「熊のぬいぐるみの手紙が冠葉が書いたもの」ってのはファンのどれだけ気づいてたのだろうか。
これすらピンドラファンは私が初めてなのだろうか?
ピンドラファンは「ピンドラ見て泣いた泣いた」と書いてるのはよく見るけど
そこら辺に言及してる考察は見た事は無い。
まぁただの推測だが兄弟二人で書いたなら「お兄ちゃん達より」と複数形になるはずだしなぁ。
冠葉が抜け駆け、或いは自分の隠し続けなければならない恋愛感情を手紙で発散させた。
例え3人で暮らしてる最中に見つかっても誤魔化せるように名前を書かず。
しかし筆跡で冠葉と晶馬どっちが書いたかくらい陽毬には分かるだろと思うが。
放送当時、OPの影の手を解析して晶馬か冠葉かを見分けたファンが居たらしいから
世界を創った神様ピングループとそれにお願いして運命を変えられる立場のイクニさんは
箱の回想や熊のぬいぐるみの手紙の謎は13年間誰にも解けないくらい難しくした、としか思えない。
20話で熊のぬいぐるみを破いた足すら晶馬か冠葉か分からないしなぁ
わざわざ真っ白な靴下とジーパンと、下半身だけペアルックにして。 影じゃないか
しかしOP解析されて困ったであろう箇所は兄弟の見分け方ではなく
林檎を落とす手が苹果で林檎を受け取る手が陽毬って事だろうな。
その運命はOPから流石に変えられなかったのかもなぁ。
陽毬の命を救うのは真砂子ってパターンもきっと出来ただろうに
そうしなかった理由は。
運命は予め決まっている、という世界のルールは破りたくなかったのね。
しかし手と言えば劇場版OP最後のKIGA林檎を挟む手は誰のものなんだろうな。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。