ロスト・スペラー 20
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シンシはヤナキの呪詛に会った事を魔導師会に報告したが、魔導師会側も打つ手が無かった。 「何か未練があるけど、その未練が判らないのか……」 「ああ、そうだよ。 だから、ヤナキはボルガ市を彷徨(うろつ)いてるんだ」 「誰かを恨んでいるんじゃないのか?」 「恨んでいるかも知れないし、そうじゃないかも知れない。 未練っつっても色々あるからな。 ナヤキが浮浪者になる前に、何をしていたのかとか、どんな未練がありそうかとか、 魔導師会なら簡単に調べが付くだろう? そんじゃ、後は頼んだぜ」 シンシは執行者にヤナキの件を丸投げしようとしていたが、呼び止められる。 「待ってくれ。 私達ではヤナキを捕まえる事が出来ない。 君にナヤキとの交渉を頼みたい」 「は? マジで言ってんのか?」 「ああ、本気だ」 「えぇ……?」 「今の所、ナヤキと真面に話が出来たのは、君しか居ない」 「そりゃ、あんた等が隙有らばヤナキを消そうとしてるからじゃねえかよ。 警戒されてんだよ」 自業自得では無いかとシンシは言ったが、それで執行者の対応が変わる訳では無い。 執行者の守るべきは市民であり、共通魔法社会であって、未練を持った呪詛の願いを一々叶えて、 安らかに逝ける様にしてやる義務も義理も無い。 シンシは深い溜め息を吐く。 「金を呉れるんなら、やってやっても良いぜ」 「頼む」 「それで、支払いは?」 「成功報酬式と、日当式と、どっちが良い?」 「日当で頼むわ。 成功するか確証は無いからな」 「報告書を上げて貰う事になるが……」 「げっ、報告書と引き換えかよ」 「確り仕事をしたと言う証拠が無いと、支払いは出来ないんだ。 上は規則に煩くてね」 お役所だなとシンシは呆れた。 魔導師会側の事情も解らなくは無いが、本気度は余り高くない事が読み取れる。 一応ヤナキは無害だと言う事が判ったのだ。 何時かヤナキは復讐の対象を思い出すかも知れないが、緊急性は低くなった。 「報告書なんて書いてられっかよ。 じゃあ成功報酬で頼むわ」 「良いのか?」 「一々何日何時間やったとか細かいのは苦手でな。 俺の勝手で程々にやっとくわ」 そう言って去ろうとするシンシを、執行者は再び呼び止める。 「おっと、待ってくれ。 今回の報告分だ」 執行者は彼に封筒を渡した。 「一応、名目は協力金と言う事になるな」 シンシは中身を見て驚く。 「えっ、こんなに」 彼は一々お札の数を確かめなかったが、中身は50万MG。 厚みだけで大金と判る。 浮浪者にとっては道端で運良く大金を拾う以外では、中々お目に掛かれない金額だ。 執行者は真面目な顔で言う。 「今回の情報は特に有益だった。 お仲間にも伝えてくれよ。 価値のある情報は魔導師会が買い取ると」 「いや、こんな事すると逆に情報の選別に困る事になるぜ?」 浮浪者は市民に比べて生活に余裕の無い者が多い。 金の為に嘘の情報や、どうでも良い小さな情報まで持って来ようとする者も現れるだろう。 そうなると逆に現場は混乱する。 しかし、執行者は問題にしなかった。 「何の為に共通魔法があると思っているんだ? 人の嘘を見抜く事等、造作も無い。 虚偽の報告には業務執行妨害を掛けるぞ」 やはり執行者は好かないと、シンシは閉口した。 それからシンシは浮浪者達にヤナキの呪詛の話をして、目撃情報を魔導師会に伝えれば、 報酬が貰えると教えた。 浮浪者達の対応は区々だったが、大体半分位の者はヤナキの呪詛を探す気になった。 そしてシンシ自身も、ヤナキの呪詛を探した。 彼は報酬には余り期待していなかった。 寧ろ、浮浪者がヤナキの呪詛に返り討ちに遭ったり、或いは浮浪者同士で報酬を巡って、 諍いが起きる事を懸念していた。 浮浪者達は数人のグループに分かれて浮浪者を追っていたが、直ぐにシンシの懸念通りに、 グループ同士で派閥を作って、足の引っ張り合いを始めた。 シンシは浮浪者同士の諍いを止める為にも、夜間に1人だけでヤナキの呪詛を探して、 街の路地裏を歩く。 「おっと、シンシさん。 あんたも賞金目当てですか? それも1人で」 シンシは中年の浮浪者の男性に、声を掛けられた。 彼の名はトーキ・フミヤロ。 それなりに浮浪者歴の長い人物だが、余り人望は無い。 不真面目で好い加減な男だ。 そう言う性格の者は、浮浪者には珍しくないが……。 シンシは話を合わせて適当に遇う。 「ああ、最初から独りが気楽だ。 どうせ賞金を貰っても、分け前で揉めるに決まっている」 「シンシさんともあろう方が? あんたなら、そこ等の若い衆に言う事を聞かせる位、訳無いでしょう」 「買い被るなよ。 金の欲目は恐ろしいんだ」 シンシは独りで行動したかったのだが、フミヤロは後を付いて来る。 「何だ、フミヤロ? 俺に用があるなら言えよ」 「いえ、私も本当は纏まって行動したかったんですがね、生憎と誰も組んでくれなくって」 「それで?」 「嫌だなぁ、シンシさん……。 全部言わせる気ですか?」 「俺は独りが気楽で良いんだ」 フミヤロは仲間を探していて、シンシに組まないかと持ち掛けていた。 だが、シンシは相手にしない。 彼はヤナキの呪詛と一対一で話したいのだ。 それでもフミヤロは諦めが悪い。 「シンシさん、実はヤナキって奴の居所を知ってるんでしょう? 態とヤナキを捕まえずに、情報を小出しにして、魔導師会から金を強請(せび)ろうってんだ」 「人聞きの悪い事を言うな。 ヤナキの居所なんか知らん。 判っていれば苦労は無い」 大体の浮浪者は性格が捻くれている。 そう簡単に他人を信用せず、悪巧みや邪推をする。 弱者が生きて行く為の護身術の様な物だ。 善意を小馬鹿にして、斜に構えた態度を取るのも、その1つ。 だから、そう言う連中に「金では無くてヤナキと話がしたいだけだ」と言っても、信じて貰えない。 しかし、フミヤロはシンシの目を見て、確固たる意志を感じ取っていた。 それを「ヤナキの居所が判っている」と誤解する辺りが、性根の卑しい所だが……。 「ヘヘヘ、隠し事は無しにしましょう。 お互い仲間は居ないんですから、丁度良いじゃないですか?」 「仮にヤナキが見付かったとしても、賞金を分けてやる気は無い」 「珍しく吝嗇(ケチ)じゃないですか? 何か入り用なんです?」 シンシは利益を独占する様な人物では無いと、フミヤロは理解していた。 「買い被るな。 俺は元から吝嗇だ」 「否々、吝嗇と言っても、只の吝嗇じゃないって事は、皆知ってる事ですよ。 あんたは他人の為になる事をしたがる。 実に立派な人だ。 大金を独り占めしようなんて強欲は似合いませんよ」 「心にも無い事を言うな。 名誉欲の為だとか、手下を増やす為だとか、陰で好き勝手な事を言っている癖に」 フミヤロは内心を言い当てられて、困った顔をする。 「やや、嫌だなぁ、お人の悪い。 何も彼も御存知でいらっしゃる。 『だから』ですよ……。 本当なら、あんたが皆を纏めて、ヤナキを捕まえに行くでしょう? それをしないって事は、訳ありなんじゃないんですか?」 彼の推理は良い所を突いていた。 嫌な奴だとシンシは小さく溜め息を吐く。 「俺は欲深な連中と組む積もりは無い。 金の配分なんて、考えるだけでも面倒臭え。 そんなのは不和の元にしかならない。 浮浪者同士で金を巡って争うなんて、馬鹿気てる」 「でも、食い物の分配は面倒見てるじゃないですか?」 「金は食い物より面倒臭えんだよ。 食いっ逸れても飯には次があるが、金は違う。 定職を持たない浮浪者(おれたち)にとってはな。 どうしてか浮浪者の身分まで落ちておきながら、未だ金に未練のある連中が多い。 食い物では殺し合うまでは行かないが、金なら分からない」 フミヤロは感心して頷きながら聞いていたが、シンシは彼にも忠告する。 「フミヤロ、あんたもだ。 俺に纏わり付いても、良い事なんか無いぞ」 「事情は話して貰えないんで?」 「俺の目的は唯一つ。 この下らない騒ぎを早々と終わらせる事だ。 出来るだけ穏便にな。 これが終わって市民が戻って来た後も、どうせ面倒事が待ち構えてるに決まってる」 「はぁ、御苦労な事です。 でも、褒賞金の話をして、皆を焚き付けたのは、シンシさんじゃないですか?」 フミヤロの指摘にシンシは真面目な顔で答えた。 「俺だけじゃヤナキの奴を捕まえられないからな」 フミヤロは理解し難いと言う顔をしていたが、シンシは相手にしない。 「あっ、待って下さい!」 「未だ俺に用があるのか?」 「私にも協力させて下さい」 「駄目だ、信用出来ない」 シンシはフミヤロの協力の申し出を断る。 明らかに金目当てなのだ。 「いや、お金に興味は無いんでしょう? だったら、私が貰っても良い筈……」 「だから駄目だっつってんだろうが! 絶対に問題が起こる!」 「黙ってりゃ判りませんって」 「金は持ってるだけじゃ意味が無えんだ。 どこかで必ず『使う』。 そこから足が付く」 「そんな事、私だって子供(ガキ)じゃないんで」 フミヤロはシンシに説教される謂れは無いと、憤然とした。 彼にとってシンシは所詮若僧だ。 偉そうな態度を許せるのにも限度がある。 シンシは面倒臭そうな顔をして、フミヤロに尋ねた。 「あんた、金を手に入れて、どうする気だよ」 フミヤロは俄かに悄然として、深刻な面持ちで語り始める。 「私は借金の所為で、妻と子を置いて家を出たんです」 「それで? 金を持って帰れば、元の家族に戻れるとでも思っているのか? あんたの妻も子供も、あんたの事を心底恨んでいるだろうよ。 借金拵(こさ)えて蒸発なんざ、何度殺しても殺し足りない様な気分だろうぜ」 「良いんです。 少しでも罪滅ぼしになれば……」 シンシは急に人情話を始めたフミヤロを疑いの眼差しで見詰め、幾つか質問をした。 「借金の額は幾らだ?」 「……3億」 「褒賞金如きじゃ全然足りないぞ。 今も借金に苦しんでいるか、良い代論士でも見付けて、普通の生活に戻っているか、 どっちかだな」 褒賞金は多くても数百万MG位の物だ。 とても3億の借金は返せない。 「あんたの話が本当か嘘かは知らないが、二度と妻子には合わない方が良い」 シンシに冷たく突き放され、フミヤロは苦々しい顔になる。 彼は開き直って、素直に欲望を吐いた。 「ああ、嘘ですよ、嘘。 金は自分の為に使います。 幾ら貰えるかは知りませんけど、数日か数週か、個人的な贅沢をする位は余裕でしょう。 浮浪者だって、その位は良いじゃないですか?」 「悪いとは言わないが、それなら手前で稼ぐんだな」 2人が話しながら歩いていると、彼等の前方に人影が現れた。 先に気付いたのはフミヤロ。 彼はシンシに言う。 「シンシさん、あいつは……?」 「……ヤナキか?」 シンシは足を止めて、前方の人物を凝視した。 暗がりで人相は判らないが、背格好はヤナキと同じ位。 人影が動かないので、シンシは恐る恐る近付いた。 フミヤロも彼の背後に隠れて付いて行く。 シンシは2身の距離まで接近したが、未だ顔は判然としない。 再び彼は足を止めて、今度は呼び掛けてみた。 「ヤナキ!」 影は徐々に正体を現す。 それはヤナキの姿をしていた。 「……シンシか……」 「どうしたんだ、ヤナキ? 何時もと様子が違うぞ」 「誰も彼も俺を探している。 どうして、そっとしておいてくれないんだ?」 ヤナキの呪詛は疲れた様な声で言う。 半分はシンシの所為なのだが、当のシンシは罪悪感を感じていない。 彼は開き直って言う。 「何時までも未練囂(がま)しく現世に留まってるからに決まってるだろう。 魔導師会も本気になったんだ。 今、あんたの居所を知らせれば、褒賞金が出るんだよ」 「……それで、シンシ、君も金目当てに来たのか?」 「俺は違う。 俺の後ろに居る奴は、金目当てだがな」 それを聞いたフミヤロは吃驚して飛び上がった。 「わっ、馬鹿っ! 何て事を言うんだ、このっ!!」 ヤナキの呪詛は怒りの目でフミヤロを睨む。 恨みの塊であるヤナキは、負の感情に流され易い。 自分が恨まれては堪らないと、フミヤロは慌てて弁解する。 「ち、違いますよ!! 私も金は欲しいですが、命には代えられませんから! どうか見逃して下さい!!」 ヤナキの呪詛は怒りを収めて、小さく溜め息を吐く。 シンシは彼に尋ねた。 「それで、晴らさなきゃならない未練は判ったのか?」 「……全然だ。 俺は何の為に、蘇ったんだろう?」 悩まし気に首を横に振るヤナキの呪詛を見て、シンシは問う。 「この街から出て行かないって事は、ここに関係する事なんだよな?」 「多分、そうなんだろうと思う」 「相変わらず、瞭りしない奴だな。 とにかく、誰かを恨んでる訳じゃ無さそうか? そこまで憎い奴なら、思い出せないって事は無いだろうからな。 俺は無理に解決しなくても良いと思うが、中には怖がる奴等が居るからな」 「そうだと思う」 「しかし、未練が思い出せないとか、あり得るのか? そこまで強い執着じゃないとか? どうしても叶えないと行けない、強い願いじゃなくて、何と無く引っ掛かっている位の」 「そうかも知れない」 「忘れられる位だから、どうせ大した事じゃないんだろうな。 あれだよ、家の鍵を閉め忘れたかも知れないって、一日中引っ掛かっていたりする類の。 俺は今まで真面な家に住んでた事なんか無えから、鍵とか知らんけど。 何だっけ、取るに足らない様な事を異様に気にして、落ち着きが無くなるのって。 ――ああ、強迫性障害だっけか? あんた、それなんじゃないのか?」 「判らない。 もしかしたら、そうだったかも知れない」 ヤナキの呪詛の返答は、段々弱々しくなって行く。 呪詛である彼にとって、何の為に存在し続けているかと言う事は、非常に重要なのだ。 呪詛の強さが、その儘、存在の強固さになるのだから。 シンシは思い切って、ヤナキの呪詛に提案した。 「良し、それなら探しに行こうぜ。 あんたの生きて来た痕跡を辿って行くんだ。 その内、どれが未練か判るだろう」 これにはフミヤロが驚く。 「ええっ!? シンシさん、本気ですか!?」 「冗談で、こんな事を言うかよ」 フミヤロは呪詛魔法が怖かった。 死んだ人間が現世に留まっていると想像するだけで恐ろしいのに、それが目の前に居るのだから。 彼はシンシは怖くないのかと疑う。 そして、その理由は金目では無いかと予想した。 「もしかして、褒賞金だけじゃなくて、解決金まで貰おうって肚ですか?」 「あんたは金の事しか頭に無いのか?」 シンシの呆れた様な口振りに、フミヤロは不機嫌な顔で沈黙する。 ヤナキの呪詛はシンシの真意を量り兼ねていた。 「俺が怖くないのか?」 「怖い? 幽霊が怖くて、夜の街を歩けるかよ。 大体、俺は他人に恨まれる覚えなんか無えからな。 俺が恨まれるとしたら、大抵は逆恨みだ。 そんな物、怖くも何とも無い」 堂々と言い切るシンシには、彼なりの哲学があった。 自分だけの哲学や信念を持つ者は強い。 その眩しさに、フミヤロは劣等感を覚えた。 「よく、そこまで言い切れる物ですね」 僻みを込めて彼は皮肉を言ったが、シンシは強気に言い返す。 「正当な恨み程、怖い物は無いからな。 逆恨みなら、容赦無く叩き潰せる。 そもそも何も持たない浮浪者を恨むなんて事自体、臍で茶を沸かす位、可笑しい訳だが……」 これが持たざる者の強さなのだ。 シンシは改めて、ヤナキの呪詛に呼び掛ける。 「行こうぜ、ヤナキ。 1人より2人だ。 あんた独りで踉々(うろうろ)してたって、何にもならねえだろう」 ヤナキは少し迷ったが、素直に頷いてシンシに従った。 「有り難う。 宜しく頼む、シンシ」 そこでフミヤロも声を上げる。 「あっ、私も行きますよ!」 シンシは驚いた顔をして、フミヤロに告げる。 「金は出ねえぞ」 それにフミヤロは少し怯んで、卑屈な笑みを浮かべた。 「全くって事は無いでしょう? だって、事件を解決するんですから」 「解決するとは限らないぜ? そもそもだ、フミヤロ、あんたにヤナキの悩みが判るのか?」 「そんなの判る訳がありませんや。 でも、2人より3人でしょう? 私にしか判らない事もあるかも知れませんよ」 「そこまで言うなら、好きにすると良い。 だが、邪魔をするなら置いて行くぞ」 「へ、へへ、そうならない様に頑張ります」 こうしてシンシとヤナキの呪詛とフミヤロは、ヤナキの未練の正体を探しに行く事になった。 先ず最初に向かったのは、ヤナキが最後に暮らしていた空き家。 ヤナキの呪詛は生前の事を余り覚えていなかったが、シンシとフミヤロは浮浪者のネットワークを、 最大限に活用して、その場所を突き止めた。 そこは街外れに淋しく置かれた小さな荒(あば)ら屋。 「ここが、あんたの最期の場所らしいが?」 シンシはヤナキの呪詛に話し掛けたが、当の彼は難しい顔をしている。 「……そうなのか……」 その反応を見たフミヤロは、眉を顰めてシンシに囁いた。 「外れっぽいですね」 「とにかく中に入ってみよう。 それで色々思い出すかも知れない」 シンシの先導で一行は荒ら屋に踏み入る。 真っ暗な屋内には小物が散乱していて、足の踏み場も無い。 ヤナキの呪詛は屋内に入ると、辺りを見回した。 「ここは何と無く覚えがある。 そうだ、俺は確かに、ここに居た。 短い期間ではあったが……」 「おっ? 思い出したか?」 シンシの問い掛けに、ヤナキの呪詛は小さく頷く。 「ああ、大体思い出して来た。 だが、ここじゃない」 「未練が判ったのか?」 「……ああ、俺の未練は1匹の子猫だ」 それを聞いてシンシとフミヤロは脱力した。 フミヤロが呆れて愚痴を零す。 「猫かよ……」 高が猫如きと彼だけで無く、シンシも思っていた。 浮浪者が寂しさを紛らわす為に、野良の動物を飼う、或いは、餌遣りをする事は、よくある。 しかし、多くの浮浪者は動物を飼う余裕が無く、餌遣りだけで済ませる。 個人が責任を持って飼うなら未だしも、唯の餌遣り行為は推奨されない。 浮浪者にとって貴重な食料を無駄にするだけで無く、街の衛生管理にも悪影響がある為だ。 生前のヤナキの状態から言って、真面に猫の世話をしていたとは考え難い。 シンシはヤナキの呪詛に問う。 「あんた、子猫を探し出すとか言うんじゃないだろうな?」 ヤナキの呪詛は当然の様に頷いた。 「あの子が、どうなったのか見届けないと」 「しかし、あの騒動だぞ? 他の動物に殺されていたり、もしかしたら業者に駆除されてるかも知れない」 「それでも……確かめずには居られないんだ」 シンシは肩を落として、深く長い溜め息を吐く。 「はぁーーーー、やれやれだ」 子猫が見付からなければ、ヤナキの呪詛は消えない。 しかし、見付かる可能性は低いとシンシは考えていた。 否、低い所か、0に近い。 今この街には殆ど動物が居ない。 多数の妖獣を含めた動物が屯していた中で、子猫が生き残っているとは思えない。 恐らく死体さえ見付からないだろう。 詰まる所、ヤナキの呪詛は存在しない子猫を探して、永遠に街を彷徨う事になる。 「これ以上は付き合い切れねえな。 取り敢えず、目的は判ったんだから、良いだろう。 フミヤロ、後は頼んだぞ」 シンシはフミヤロに後の事を任せて、その場から立ち去ろうとする。 フミヤロは慌てて彼を止めた。 「ま、待って下さいよ! どうすりゃ良いんですか!?」 「こんなの、どうするも何も無えよ。 子猫を探す以外にあるか? 俺はパスだ、やってられん。 良かったな、フミヤロ。 子猫が見付かれば、魔導師会からの褒賞金は全部あんたの物だ」 「そんな、シンシさん、薄情な! 私に押し付けて行かないで下さいよ!」 「俺はヤナキが誰かを恨んでる訳じゃないって判っただけで十分だ。 フミヤロ、あんたは金が欲しいんだろう?」 ヤナキの呪詛は言い合うシンシとフミヤロを、凝っと見詰めている。 フミヤロはシンシの肩を掴むと、彼をヤナキの側に引き倒した。 その儘、フミヤロはシンシを置いて逃げ出す。 「冗談じゃない!! 幽霊に付き纏われるなんて、御免ですよ!」 そう捨て台詞を吐いて、フミヤロは街の暗がりに姿を消した。 シンシは深い溜め息を吐いて、尻餅を搗いた儘、ヤナキの呪詛を見上げる。 「本当に子猫を探す気なのか?」 「俺には他に何も無い」 「仕方が無いな、俺も少し手伝ってやるよ。 本当に少しだぞ。 それで見付からなかったら、後は自力で何とかしな」 ヤナキの呪詛は特に感謝の言葉を口にしたりはしなかった。 ヤナキの呪詛が言うには、子猫は白と茶の斑で、青い瞳との事。 それだけでは該当する物が多そうなので、確実に判別出来る様な特徴は無いかとシンシが尋ねた所、 子猫の耳と尻尾の先が茶色だと言う。 生前のヤナキは、その子猫に名前等は付けなかったので、呼ぶ事も出来ない。 翌日からシンシは浮浪者達に、子猫を見なかったかと尋ねて回った。 浮浪者以外にも、市民や魔導師にも聞いて回ったが、特に成果らしい成果は無く、彼は途方に暮れる。 (こりゃ無理だな。 ヤナキには諦めて貰うしか無い) 夜を待って、シンシは再び路地裏に赴き、ヤナキの呪詛と会った。 「ヤナキ、駄目だった。 子猫は誰も知らないとよ。 あんたの目当ての子猫だけじゃなくて、他の猫も見掛けないらしい」 ヤナキの呪詛は無言の儘、小さく俯いた。 恐らく彼は子猫を探して、永遠に街を彷徨うだろう。 しかし、未練は本当に、それだけなのだろうかとシンシは疑い始めていた。 「ヤナキ、そんなに子猫の事が気になるのか?」 「……気になる……と言うよりは、気にならない訳では無いと言った方が正しい気がする」 ヤナキの呪詛は虚空を見詰めて答える。 「もしかしたら、あんたの本当の未練は別にあるんじゃないか?」 「そうかも知れない」 彼の返答は今一つ瞭りしない。 シンシは改めてヤナキの呪詛に提案した。 「もう一度、あんたが生きてた頃の所縁の場所を巡ってみないか?」 ヤナキの呪詛は俯き加減で小さく頷く。 それを見たシンシは彼を励ます様に言う。 「一寸、身の上話をさせてくれよ」 ヤナキの呪詛は沈黙した儘、再び小さく頷いた。 シンシは夜の街の路地裏を彷徨きながら、自分の過去を語る。 「俺は生まれ付き浮浪者だった。 浮浪者の両親から生まれた、浮浪者の子供。 言い方は変だが、生粋の浮浪者だ」 ヤナキの呪詛は彼を見詰めて、真剣に耳を傾けている。 シンシは彼の対応に少し驚きつつも、語り続ける。 「小さい頃は、それに何の疑問も持たなかったが、10歳前後から他の子供とは違う自分に、 疑問を持ち始めた。 どうして俺は浮浪者の子供なんだろうかって。 大抵の浮浪者は、子供を育てる余裕が無いから、孤児院とかに預けるんだよな。 『預ける』のとは違うか、返って来ないんだから」 シンシは時々冗談を挟んで、ヤナキの呪詛の様子を窺うが、その真剣な表情に変わりは無い。 そこまで真面目に聞かなくてもと、シンシは困惑したが、話し始めて途中で止める訳にも行かず、 照れ臭い様な奇妙な心持ちで続けた。 「何で浮浪者が孤児院に子供を『捨てる』のかって言ったら、子供を浮浪者にしたくない、 その一心以外に無い。 孤児院なら多少の偏見はあれど、浮浪者の子供より真面な職に就ける可能性は高いしな。 だったら、何で俺の親は俺を捨てなかったのかって言ったら、『愛している』からって……。 それは嘘じゃないんだよな」 シンシは深呼吸をして、路地裏の隙間から見える、狭い夜空を見上げた。 「浮浪者が孤児院に子供を捨てるのだって、断腸の思いなんだ。 子供なんか要らないと思って捨てる奴は……中には居るだろうけど、当然それだけじゃない。 子供の将来を考えて、そうするんだ。 でも、否、『だから』なのかな? 俺は学校に通う同い年の子供等や、自分の将来の事を考えて、不満に思ったんだ。 『どうして親は俺を捨ててくれなかったんだろう』ってな」 彼はヤナキの呪詛を見ずに、俯いて自省する。 「子供を捨てるのも育てるのも、どっちも子供を愛しているからなんだ。 でも、親の心子知らずと言うか、子供の頃は自分の事が何より先に来ちまう。 俺は親に何で俺を捨ててくれなかったんだと、馬鹿な事を訊いた。 親父には殴られ、お袋には泣かれた。 未だ俺は子供だったのに、親父は本気で殴った。 そんだけ許せない言葉だったんだろう。 酷く傷付けたと思う。 その親も俺が20歳(はたち)になる前に死んでしまった。 大体、浮浪者ってのは長生き出来ない」 シンシは改めてヤナキの呪詛を見た。 ヤナキの呪詛は変わらず、シンシを見詰めている。 シンシは大きな溜め息を吐いて言う。 「今、俺は浮浪者だって事に不満を持っていない。 何だ彼んだで、旨い立場に居るしな。 だけど、あの頃は『浮浪者の子供』が嫌で嫌で仕方が無かった。 その時に死んで、もし呪詛魔法なんて物があったら、親の前に化けて出ていただろうな。 ……ヤナキ、あんたは浮浪者になって何を思った?」 「判らない」 ヤナキの呪詛は真顔で答えた。 余りに堂々と言われた物で、シンシは困り顔になりながら言う。 「あんたが浮浪者になった事と、あんたの未練は、多分だが、関係している」 「どうして、そう言い切れる?」 「浮浪者になりたくてなる奴なんて、居ないからさ。 皆、何か大きな物を失って浮浪者になる。 浮浪者になって、何かを失う事もある。 そこに未練が生まれない訳が無い」 「俺は何を失った……? 家族でも恋人でも無い。 元から俺は独りだった……」 「仕事とか、友人とか?」 「そこまで大層な身分でも無かった。 仕事に情熱を持ってもいなかったし、重要な仕事を任せて貰えた事も無かった。 失って惜しい様な友人も居なかった」 元からヤナキは寂しい人間だった。 会社も首にしても影響の無さそうな者から切るのだ。 「それでも環境が変わるってのは、大変な事だぜ? 無くして困るのは、何も形ある物だけじゃない。 夢とか、希望とか、あんたにもあったんじゃないのか? 浮浪者になって、それを捨てざるを得なくなったとしたら……」 「夢……希望……。 そんな物、あったんだろうか?」 呪詛となったヤナキには、嘗ての生気に満ちた人間らしい感情を思い出す事が出来ない。 所詮、彼は呪詛なのだ。 呪詛は本人では無い。 記憶を引き継いでいても、本質は恨みを晴らす為だけの存在だ。 その他の事は、どうでも良くなっている。 恨みと言っても色々ある。 怨恨、悔恨、憾恨。 呪うのも人ばかりでは無い。 動物、運命、無策。 呪詛魔法は無念の感情を元に発動する。 シンシはヤナキの呪詛の様子を見て、もしかしたらと思った。 「ヤナキ、あんたの『恨み』って……。 何も無い事なんじゃないのか? 何も出来なかった事、その物が、あんたの後悔だとしたら?」 「……そうなのかも知れない」 相変わらず、ヤナキの呪詛の答は瞭りしない。 シンシは改めて提案した。 「だから、あんたの生きていた頃の、所縁の地を回ろうと思うんだ」 ヤナキの呪詛は小さく頷いた。 彼としては他に行く当てが無いから、そうするより他に無いのだ。 「とにかく行こう。 それで何か判るかも知れない。 先ずは、あんたが勤めていた会社からな」 シンシはヤナキが生前勤めていた会社を、魔導師会の者から聞いていた。 それだけで無く、彼の生家や未だ真面な暮らしをしていた頃の住所まで。 シンシは自分で無ければ、ヤナキの呪詛をどうにかする事は出来ないと考えていた。 魔導師会は死者の呪詛に対する理解が無い。 唯の魔力の塊としか見ないから、恨みを晴らしてやる事に関心が無い。 更に、ヤナキには親しい者が居ないから、そう言う者達による解決も見込めない。 シンシは自ら、お節介焼きを自認していた。 残念ながら、流石に夜の会社には忍び込めなかったので、2人はヤナキが暮らしていた賃貸住宅に、 移動する事になった。 ヤナキが暮らしていた賃貸住宅に、シンシとヤナキの呪詛は着く。 そこは木造の安宿で、如何にも貧乏人の住まいと言う外観だった。 シンシは管理人室を訪ねて、交渉する。 「夜分遅くに悪いが、一寸良いか?」 「何なんですか、貴方は? こんな夜遅くに」 管理人室から出て来たのは若い大柄な男で、不機嫌そうな顔をしている。 確かに、夜遅くに訪ねて来るのは非常識だ。 シンシは男に問う。 「あんたが管理人?」 「違います。 私は警備会社の者で、夜間の警備を任されています。 管理人に話があるなら、日中に出直して来て下さい」 「いや、管理人じゃなくて、部屋に用事があるんだ」 「貴方、ここの住人ですか?」 「俺じゃなくて、俺の友達(ダチ)が……」 そう言って、シンシはヤナキの呪詛を見た。 ヤナキの呪詛は確り付いて来ている。 管理人代理の警備員は、面倒臭そうな顔でシンシに尋ねる。 「えっと、お名前は? 何号室?」 ヤナキの呪詛が答えないので、シンシが代わりに答えた。 「ニレ・ヤナキだ。 301号室」 「301……ニレ、ヤナキ? そんな人は……」 ニレ・ヤナキが立ち退いた後の301号室は、空室の儘だった。 警備員は眉を顰める。 「301は誰も使っていません。 変な悪戯は止して下さい。 警察を呼びますよ」 シンシは誰も使っていないと聞いて、丁度良いと思った。 「誰も使っていないって事は、新しい入居者が見付からなかったのか?」 「そんな事は、どうでも良いでしょう? 早く帰って下さい。 本当に警察を呼びますよ」 「いや、どうでも良くない。 ニレ・ヤナキは確かに301号室を使っていたんだ。 確かに、あんたの言う通り、今は住んでいない。 一寸前に、ヤナキは家賃を払えなくなって、部屋を引き払った。 その時に忘れ物をしたんだ」 シンシの言葉を信じて良いのか、警備員は迷った。 「忘れ物って何なんです?」 「あー、それも忘れてるんだ。 とにかく無い無いって煩い物だからよ。 もしかしたら、ここに来たら何か思い出すんじゃないかって」 「巫山戯てるんですか?」 そんな言い訳が通るかと、警備員は眉間の皺を一層深くする。 彼の反応も理解出来るが、ここは退く訳には行かないと、シンシは言い返した。 「いや、大真面目だ。 本当に困っているんだ。 直ぐに帰るから、301号室に入れてくれないか?」 「駄目です、警察を呼びます」 警備員は頑なで、シンシは閉口する。 どうにか出来ないかと、彼は知恵を絞った結果、ヤナキの正体を教える事にした。 「呼んでも良いが、それじゃ解決しないぜ?」 「何を巫山戯た事を」 全く取り合おうとしない警備員に、シンシは不敵に笑って言う。 「俺の友達、よく見てみな」 シンシはヤナキの呪詛を引っ張って、警備員の前に立たせた。 警備員は身構えて、ヤナキの呪詛を凝視する。 「こいつ、死んでるんだ。 噂の呪詛って奴さ」 シンシは態と声を低くして、脅す様に告げる。 「ジュソ……? ジュソって、あの呪詛ですか!?」 「他に、どの呪詛があるってんだよ。 こいつ、この世に未練を残した儘、死んじまってさ」 警備員は恐怖に蒼褪めながらも、未だ半信半疑の様子でヤナキの呪詛を熟(じっく)り見る。 そして、緩(ゆっく)り手の伸ばして触れてみた。 そこで警備員はヤナキの服に布の質感が無い事に気付く。 手応えはあるのだが、丸で指先が痺れた時の様に、浮わ浮わしている。 「ヒッ、何だ、これ……!?」 「だから、呪詛って言ってんじゃねえかよ。 詰まり、幽霊みたいな物だよ、幽霊」 「うっ、うわっ、魔導師会……!」 直ぐに警備員は執行者を呼ぼうとしたが、それをシンシが止める。 「待て待て、よく考えろ? 何で魔導師会が未だに呪詛を退治出来てねえと思う?」 「えっ、何ですか? どう言う事だって言うんですか?」 「魔導師会でも呪詛は、どうにも出来ねえって事だ。 あんた、下手に呪詛の邪魔をすると、呪われるぜ?」 警備員はシンシの言葉を信じて、悉(すっか)り怯えていた。 「きょ、脅迫ですよ!!」 「そんな事を言われても、俺にも、どう仕様も無いんだ。 こいつの無念を晴らしてやらない限りはな」 警備員は呪われたくない一心で、シンシに尋ねる。 「ど、どうすれば……?」 「難しい事は無い。 301号室を見せてくれれば良い。 何かを盗ろうとか、そんな事は考えちゃいない」 警備員は迷った末に、自分も同行して、2人を監視する事にした。 「解りました。 ……こっちです」 彼は管理人室に鍵を掛け、2人を301号室に案内する。 301号室は3階端の一室。 警備員は部屋の鍵を開けて、シンシとヤナキの呪詛を中に通す。 2人は部屋に入ると、中を見回した。 シンシがヤナキの呪詛に尋ねる。 「どうだ? 何か思い出せそうか?」 「ああ」 ヤナキの呪詛は懐かしそうに室内を歩き回る。 当然だが、301号室には嘗て人が生活していた痕跡が無い。 家具等は最低限しか置かれておらず、寂しい物だ。 それでもヤナキの呪詛は自分の生前の姿を思い出していた。 「……碌でも無い人生だった。 ここでの生活は面白くなかった。 働いて、寝て、起きて、又働いて。 それだけで日が過ぎて行った。 とても虚しくて辛かった」 彼の言葉には強い無念が篭もっている。 当たりかなとシンシは期待した。 「死ぬ程の苦しみじゃない。 それが余計に悲しかった。 俺は徒生きているだけ、死んでいないだけだった。 生きているのか、死んでいるのかも、よく判らなかった」 徐々に不穏な禍々しい雰囲気を纏い始めるヤナキの呪詛に対して、シンシは空気を読まずに発言する。 「今も、そう変わんねえじゃん?」 ヤナキの呪詛は俯いて沈黙してしまった。 「俺の人生は一体何だったんだろう……? 死んだ後まで、俺は……」 シンシは何と無くヤナキの呪詛の正体が何かを理解した。 彼は何も成せず、何も果たせずに、若くして死んだ事、その事実を恨んでいるのだ。 自分の人生に絶望するのは、人生を諦め切れていないから。 人生に納得出来ない内に死んで、それが未練となって蘇ったのだ。 シンシはヤナキの呪詛に言う。 「もう死んじまった物は仕様が無いだろう。 あんたは死者だ」 ヤナキの呪詛は急に自嘲し始めた。 「……フフフ、可笑しな話だな。 生きている間、何も出来なかった事が未練なのに。 死んだ後も、何をすれば良いか判らなくて彷徨っている何て。 これじゃ丸っ切り馬鹿じゃないか?」 「おう、死んでも治らねえ馬鹿だな。 取り敢えず、仕事や金や家は疎か、命まで無くなったんだから、もう怖い物無しだろう?」 「怖い物無し?」 シンシの言葉がヤナキの呪詛には信じられなかった。 シンシは自信を持って、彼に言う。 「今、あんたには何も無い。 全てを失った。 これ以上の自由があるかよ」 「自由……」 「ああ、自由だ。 どこにでも行けるし、何でも出来る。 どっか行きたい所があるなら、言ってみろよ」 「そんな物は……」 自由と言われて、ヤナキの呪詛は戸惑った。 彼は長い間、自由になった事が無かったので、何をすれば良いのか判らないのだ。 シンシは思い付く限りの事を言った。 「そうだな、ボルガ地方の名所巡りでもしてみるか? 先ずは山登りとか、どうだ? 霊峰アノリに、最高峰ガガノタット。 天上から地上を見下ろせば、小さな悩みなんか吹っ飛ぶぜ。 海も良い。 南方のファンテアンジやジャンクの海は、年中温かくて泳ぎ放題だ。 閑(のんび)り過ごしたいなら、オーイオーイの一面の花畑でも見に行こうか?」 ヤナキの呪詛は、彼の言葉から場面を想像するも、呪詛である身が自由を許さない。 「それは良いと思う。 ……だが、俺は、この街から離れられない」 「駄目か……。 この街で何かをしないと行けないんだな」 これは難しいとシンシは両腕を組んで悩む。 そこに警備員が声を掛けた。 「あのー、もう用が済んだんなら、帰って欲しいんですけど……」 恐る恐ると言った様子の彼に、シンシは謝る。 「ああ、悪い。 助かったよ。 ヤナキ、帰ろう」 シンシが呼びかけると、ヤナキの呪詛は暗い顔で言う。 「帰るって、どこに?」 彼の反応を見て、失言だったとシンシは後悔した。 ヤナキの呪詛には帰る場所等と言う物は無いのだ。 何とか言い繕おうとシンシは言葉を探す。 「未だ消えないって事は、少なくとも、ここじゃないんだろう?」 「ここじゃない?」 「あんたの『帰るべき場所』だよ」 「そんな物があるのか?」 懐疑の視線を向けるヤナキの呪詛に、シンシは面倒臭そうに答えた。 「知らねえよ。 唯、確実に言える事は、こんな所で呆っと突っ立ってたって何の解決にもならねえって事だけだ。 次、行くぞ、次!」 彼は強引にヤナキの呪詛を引っ張ると、警備員に礼を言う。 「邪魔したな。 有り難さん、助かったぜ」 「えっ、ええ、どう致しまして」 シンシとヤナキの呪詛は賃貸住宅を後にして、次なる目的地に向かう。 「それで、シンシ、どこに行くんだ?」 「今度は、あんたの実家だよ」 それを聞いたヤナキの呪詛は、露骨に嫌な顔をした。 「実家……? いや、でも、俺の実家はボルガ市内には無いし……。 俺はボルガ市から離れる積もりは無いし……」 明らかに腰が引けている。 シンシは真面目な顔で告げる。 「積もりだとか、そんな事は関係無い。 とにかく行くぞ。 あんたも、親の顔位は見ておきたいだろう? 仮令、死んだ後でもさ……」 「……俺は行かない。 行くなら、シンシ一人で行って来てくれないか?」 「俺が一人で行ったって、仕様が無いじゃないか……。 他人の実家に、どんな名目で上がり込めって言うんだよ。 あんたが行くから意味があるんだ。 あんたが行かないなら意味が無え」 ヤナキの呪詛は沈黙した儘、何も言わなくなった。 何と無くシンシは察して、ヤナキの呪詛に問う。 「親に会うと気不味いのか?」 「……ああ、親には会いたくない」 「仲が悪いのか? 虐待されていたとか?」 「……そう言う訳じゃないんだが……」 ヤナキの呪詛は俯いて、語尾を濁した儘、再び沈黙した。 彼は都市から離れられなかったのでは無い。 都市から離れたくなかったのだ。 呪詛であるが故に、生前の想いや行動に縛られるのである。 正にヤナキの親こそが、彼の未練の正体では無いかと、シンシは考えた。 否、どう考えたって、それ以外には考えられないのだ。 ヤナキの呪詛は両親の事を忘れている訳では無い。 「もう今日は終わりにしよう。 明日の夕方、あんたの実家に行く。 何時もの路地裏で会おう」 「いや、俺は……」 シンシの宣言にヤナキの呪詛は戸惑うばかりで頷かなかったが、シンシは構わず去って行った。 そして一日が過ぎ、再び日が沈んで、夕方になる。 薄暗い路地裏で、シンシはヤナキの呪詛が現れるのを待った。 しかし、何時まで経っても、ヤナキの呪詛は現れなかった。 (……そんなに嫌か? それとも親に会わせる顔が無いか?) 日が完全に沈んで、夕方が終わって、真っ暗闇の夜になって、シンシは深い溜め息を吐く。 (仕様が無い。 俺独りで行くか……) 待ち疲れた彼は路地裏を出て、鉄道馬車の駅に向かった。 取り敢えず、ヤナキの両親に会って、色々と話を聞いて、それから改めてヤナキを誘おうと、 シンシは計画していた。 シンシは夜間の馬車鉄道に乗って、ボルガ市から東のオキニリ町へ行く。 そこがシンシの実家のある町だ。 人気が少ない駅の『昇降場<プラットフォーム>』の椅子に腰掛けて、呆っと馬車の到着を待つシンシの、 直ぐ隣から人影が差す。 シンシが隣を見上げると、そこに居たのはヤナキの呪詛だった。 「来たのか、ヤナキ……」 「ああ」 ヤナキの呪詛は短く、それだけ言った後は沈黙した。 シンシは色々と言いたい事や聞きたい事があったが、ここは大人しく黙っている事にした。 やがて馬車が到着して、疎らに人が乗り降りする。 「えェー、第五魔法都市ボルガ東駅ィ、第五魔法都市ボルガ東駅でェ御座イマす。 乗客の皆様ァ、お忘れ物の無い様に、御注意願イマす。 この列車は東行き、東行きで、御座イマす。 お乗り間違いの無い様に、お気を付け下さいませ」 シンシは徐に立ち上がって、ヤナキの呪詛に呼び掛けた。 「それじゃ、行こうぜ」 2人は列車に乗り込み、空いた席に座って、オキニリ町に着くまで一休み。 途中、車掌が切符の確認に来たが、ヤナキの呪詛は無視された。 シンシは彼を揶揄う。 「只乗りかよ。 便利だな」 「シンシも死んでみるか?」 「はは、遠慮しとく」 列車は東へ、東へ。 そしてオキニリ町に停車する。 中途半端な所ですが、ここでしか切れる所が無いので、お盆休みにします。 再開は1週間後位。 乙 裏2ちゃんねるにアクセスできないので、急なdat落ちが怖い 帰って来ました。 >>685 裏は駄目みたいですね。 広告が増えて見難くなった上に、ウィルスの警告も出る様になったので、多分もう使う事は無いでしょう。 >>683 から オキニリ町でシンシとヤナキの呪詛は鉄道馬車から降りた。 2人は殆ど人の居ない、夜の街を通り抜けて、郊外の一軒の木造家屋に着く。 そこがニレ・ヤナキの実家だ。 時刻は北西の時になろうと言う頃。 この時間帯の訪問は非常識だが、ヤナキの呪詛が夜にしか現れないので、仕方が無い。 家には明かりが点いているので、誰か在宅なのは間違い無い。 「あれだな、ヤナキ?」 シンシはヤナキの呪詛に確認を求めた。 ヤナキの呪詛は小声で答える。 「ああ」 彼は自信の無さそうな顔をしていた。 自分の実家か疑わしいのでは無く、両親と会う事が不安なのだろうと、シンシは察する。 「良し、行くぞ!」 シンシは意気込んで、ヤナキの呪詛を引き連れ、家の呼び鈴を鳴らした。 数極して、中から着物姿の白髪の老婆が戸を開ける。 「はい、何でしょう……?」 「夜分遅くに済みません。 彼と話をして貰えませんか?」 シンシは一言断りを入れて、ヤナキの呪詛を前に立たせた。 老婆は目を瞬かせ、怪訝な顔をする。 「彼って……」 老婆にはヤナキの呪詛が見えていなかった。 シンシはヤナキの呪詛に怒る。 彼の姿は、彼が姿を見せたいと思った時、見せたいと思った者にしか見えない。 詰まり、ヤナキの呪詛は母親と会いたくないと思っている。 「おい、好い加減にしろ、ヤナキ!」 「ヤナキ」と聞いて、老婆は狼狽えた。 「ヤナキ!? あの子が居るの!? でも、魔導師会は……」 当然、ヤナキの両親にも魔導師会から連絡が行っているのだ。 「お宅の息子さんの呪詛が出没しています」、「そちらにも現れるかも知れません」と。 呪詛なのだから誰かを恨むと、誰もが思っている。 ヤナキの母親であろう、この老婆も、ヤナキが自分達を恨んで現れたのでは無いかと、怯えていた。 彼女は焦りを露に言う。 「あ、貴方は誰!? 正か、呪詛魔法使い!?」 「いえ、違います。 偶々ヤナキさんと、お会いしまして」 「どうして、そんな事を!? 呪詛を引き連れて来るなんて!!」 「落ち着いて下さい。 どうか、落ち着いて」 シンシはヤナキの母親らしき老婆を宥めた。 彼は事情を説明する。 「ヤナキさんは、御両親に言いたい事がある様で……」 老婆は唯、怯えて蒼褪めている。 老婆の夫である禿げ頭の老爺が、戻って来るのが遅い彼女を心配して、玄関に姿を現した。 「どうした、何事だ?」 「あ、お父さん……。 それが……ヤナキが……」 「ヤナキ」と聞いた老爺は、老婆の様子もあって早合点する。 彼は一度家の中に引っ込むと、代々伝わる刀を抜いて、熱り立って捲くし立てる。 「馬鹿息子め、化けて出おったか!!」 老爺は抜き身の刀をシンシに突き付けた。 これには流石にシンシも慌てて、懸命に言い訳する。 「お、落ち着いて下さい!」 「ムッ、貴様は何者だ!?」 老爺は相手がヤナキでは無い事に気付いて、少し冷静さを取り戻すも、突き付けた刀を納めはしない。 シンシは刀から逃げる様に、1歩退がって話を始めた。 「お、俺……いや、私はショ・ナン・シンシと言う者です。 ヤナキさんをお連れしました」 「そのヤナキは、どこに居る?」 老爺に問い詰められ、シンシは困った。 ヤナキの呪詛は先程から彼の傍に居るのだが、老爺と老婆には見えていないのだ。 これでは自分が異常者では無いかと、シンシはヤナキの呪詛を見て言う。 「おい、ヤナキ、何とか言え! ここまで来て、駭(ビビ)ってんじゃ無えぞ!」 ヤナキの呪詛は漸く声を発した。 「父さん、母さん……」 その声は可細かったが、ヤナキの両親には瞭りと聞こえた。 「ヤナキ……!?」 老婆は動揺し、老爺は再び警戒する。 「どこだ、姿を見せんかっ!!」 老爺は完全にヤナキの存在を敵と見做している様で、刀の切っ先を左右に振り、近寄らせまいとした。 ヤナキの呪詛が悲しい目をしていたので、シンシは一言文句を言いたくなる。 「あんた等、それでも親かよ! 息子が死んだ後も態々会いに来たんだぞ!!」 それに対して、老婆は唯々狼狽するばかり。 一方、老爺は逆切れする。 「如何に息子だろうと、呪詛は呪詛だっ!! 呪詛の言葉には耳を貸すなと、魔導師会には言われちょる!!」 その対応は実は正しい。 呪詛魔法は本来、強い恨みを持って現れるのだから、幾ら後悔や反省をした所で無意味なのだ。 況して、話し合おう等と考えてはならない。 シンシは頑ななヤナキの両親に嫌味を言った。 「呪詛、呪詛って、あんた等は息子に恨まれる覚えでもあるのか!?」 反論したのは、やはり老爺の方。 「逆恨みならあるかも知らん! 勝手に家を出て行って、仕事も無くして野垂れ死にした馬鹿息子だでな!!」 言い合う2人の間に、唐突にヤナキの呪詛が割り込んだ。 今のヤナキの呪詛は、ヤナキの両親にも見えている様で、2人は蒼褪めて驚愕している。 ヤナキの呪詛はシンシに言った。 「もう止めてくれ、シンシ。 君の気持は嬉しいけど……。 父さん、母さん、御免なさい」 彼は小さく俯いて謝る。 何故、謝らなくてはならないのか、シンシには解らない。 親より先に逝った親不孝の事か? 喧嘩別れしてしまった事なのか? 或いは、それ等を全部含めて、諸々の意味で謝ったのかも知れない。 その直後、ヤナキの呪詛は徐々に薄くなって行った。 「ヤナキ!」 シンシは呼び掛けたが、ヤナキの呪詛は、もう反応しない。 彼の目の前からも消えて行く。 ヤナキの呪詛は、もう未練を晴らしたと言うのだろうか? 「おい、こんな所で消えても良いのかよ!?」 シンシは辺りを見回して呼び掛け続けたが、誰も答える者は居なかった。 それから全員気不味くなって、暫く沈黙が続く。 シンシは恨み囂しくヤナキの両親を睨んで、問い掛けた。 「あんた等、これで良かったのか? 息子が呪詛になってまで会いに来たってのに……。 御免の一言だけ言わせて、終わりで良かったのかよ!」 老爺はシンシを睨み返して言う。 「あんたこそ、何だや!? 何の積もりで他人に説教しちょる! これは親子の話だで、赤の他人に、どうこう言われる筋合いは無いがや!」 老爺はシンシに掴み掛かった。 シンシは胸座を掴まれ凄まれても、敢えて抵抗せず、堂々と言い返す。 「確かに、俺は赤の他人だ! でも、人情は解る積もりだぜ!! 薄情な奴は親兄弟でも見過ごせねえ!」 彼の迫力に押し負けた老爺は、目を逸らして小声で言った。 「私等が息子に何か思っておったとして……。 あんたに言った所で、どうなると言うんだ?」 「ヤナキの魂は、未だ近くに漂っているかも知れない。 あいつは独りで来る事が出来なくて、ずっとボルガ市内を彷徨っていたんだ。 俺じゃなくて、ヤナキに言う積もりで、悔やみ言でも良いから言ってみろよ」 老爺は数点押し黙っていたが、やがて点々(ぽつぽつ)と語り始める。 「……別に、言う程の事では無い。 只の親子喧嘩だ」 彼は両目を閉じて、ヤナキとの過去を懐かしむ様に続けた。 「昔は良い子だった。 地元で安定した仕事に就いておれば良かった物を……。 急に都会に出たがって、当ても無く飛び出しおって……。 それを今更謝られて、どうしろと言うんだ?」 シンシは深く唸った。 彼の想像以上に、ヤナキは仕様も無い理由で、両親に会えなかったのだ。 ヤナキは両親に自分の過ちを詫びたかったが、会わせる顔が無かったと言うだけの事。 「……それだけか?」 シンシは念の為、他に言う事は無いのかと、ヤナキの両親に尋ねた。 少しの間を置いて、今度は老婆が涙ながらに言う。 「私達にも後悔はあります。 勝手に家を飛び出したと言っても、我が子の事ですから、心配で無い筈がありません。 それは夫も同じで……」 「余計な事を言うなっ!!」 老爺に怒鳴られても、老婆は語りを止めなかった。 「……便りが無くても、向こうで元気にやっていれば良いと……。 そう言っていたのですが……」 老爺の目にも涙が滲む。 「ええいっ」 泣く姿を見られまいと、彼は家の中に引っ込んだ。 やはり親子なのだと、シンシは安堵する。 彼は老婆に言った。 「本当はヤナキが消える前に言って欲しかった」 「……済みません。 私も夫も気が動転していて……」 「俺に謝られても困る。 ……その事に関しては、ヤナキにも非はある。 余っ程、親に会わせる顔が無かったんだろう。 あいつはボルガ市から離れたがらなかった。 お蔭で随分、遠回りしてしまった」 老婆が沈黙したので、シンシは気遣いの積もりで、その場から立ち去る事にした。 「それじゃ俺は、これで……。 もうヤナキが化けて出る事は無いと思うが、出たら出たで、積もる話でもしてくれ」 シンシは独り、駅まで引き返して、構内で一夜を過ごした。 もう馬車の最終便が出た後なのだ。 元来浮浪者であり、基本的に宿無しの暮らしをしている彼は、場所を問わず眠れる。 シンシが虚(うつ)ら虚らしていると、隣に人の気配を感じた。 「おっ、ヤナキ? 未だ居たのか……」 彼は眠い目を擦って隣を見上げる。 表情は判らないが、それはヤナキだと言う確信がシンシにはあった。 「どうした? 他にも未練が残ってるなんて言わないでくれよ……」 それはシンシの本心からの言葉だった。 ヤナキらしき人影は、口元を小さく歪めて笑みを浮かべる。 「もう大丈夫だ。 有り難う。 最期に父さんと母さんに会えて良かった」 本当に良かったのかと、シンシはヤナキに問う。 「丁(ちゃん)と話し合えたんだろうな? 何と無く解った気になっていたんじゃ駄目だぜ。 あんたの両親は、あんたの事を心配していたんだ」 「解ってる。 全部聞いていた」 「……ありゃ、それなら……。 俺が言う事は無いな。 万事丸く収まって万々歳だ。 一寸眠らせてくれよ。 もう夜も遅い」 今度はヤナキの影がシンシに問う。 「どうして、シンシは俺を助けてくれたんだ?」 「そりゃ、何時までも化けて出られちゃ困るからさ」 「魔導師会に任せても良かった筈だ」 「あいつ等、そんなに万能でも無いじゃんかよ」 「それだけなのか?」 ヤナキが自分に何を期待しているのか、どう答えたら良いのか、シンシは悩んだ。 悩んだと言っても、彼は言葉を飾る事が好きでは無かったので、有りの儘に答えるしか無い。 「あんたへの同情みたいな物が無かったとは言えない。 あんたに限らず、俺は浮浪者になった奴には、大体同情してるんだ。 前に話したよな? 俺の小さい頃の話……」 「浮浪者になりたくなかったって事か?」 「違う、違う、浮浪者の子供で居るのが、嫌だったって話だ」 「あぁ、そうだった、済まない」 「……下らねえ話だから、別に憶えて貰ってなくても良いんだけどよ。 そう言う事があったんで、俺は人の人生って奴を色々考えちまうんだ。 どう言う気持ちだったとか、何を考えていたのかとか……。 最初から浮浪者の俺には、浮浪者に落ちるも何も無えんだけど……。 この話は、もう良いだろう?」 話している内に、シンシは浮わ浮わした奇妙な心持ちになって、話を打ち切った。 自分の事を語るのに、照れ臭さがあるのだ。 彼が振り向くとヤナキの気配は何時の間にか消えていた。 (……もう逝ったか? 最後の最後まで面倒臭い奴だったな……) シンシは安堵して、目を『覚ます』。 空が明るんで、夜が明け始めていた。 (夢……!? 夢だったのか……?) 以後、ニレ・ヤナキが姿を現す事は無かった。 これにてボルガ市内の魔導師会側の問題は、大凡解決した。 しかしながら、復帰市民と帰還市民の問題は暫く続く事になるだろう。 下手をすると何年も、何十年も。 本来、これ等の調整は行政と警察機構の役割だが、今回は例外的に魔導師会も乗り出した。 人間の不和は再び反逆同盟に付け入る隙を与えてしまう為だ。 魔導師会の圧倒的な権威の前には、どんなに口煩い市民も大人しくなる。 特に権威に弱いボルガ市民には有効だった。 この事自体を魔導師会は良いとは思っていなかったが、反逆同盟を討伐するまでと言う条件付きで、 積極的に問題の仲裁を買って出た。 そして――、 ガンガー北極原にて 魔導師会は遂に反逆同盟の新たな本拠地を発見した。 発見者は魔導師会の小部隊、『壺花<オラリア>』隊の5人。 唯一大陸を覆う共通魔法の大結界から外れた、ガンガー北極原の吹雪の中で、それは建っていた。 ――魔城『アールチ・ヴェール』。 悪魔ルヴィエラ・プリマヴェーラが母から受け継いだ、彼女の城。 彼女の為だけの巨城。 城内は魔界――デーモテールへの門となっており、そこから無限の魔力を生み出す。 その禍々しさに、オラリア隊の5人は遠距離からでも悪寒を感じていた。 「こ、ここ、これ、危(ヤバ)い奴じゃないですか? 鳥肌が立って、震えが止まらないんですけど、どどど、ど」 震えながら話す隊員に、隊長は答える。 「な、情け無い事を言うなっ! お、お前も一人前の魔導師だろ、だろうが!」 「いや、た、隊長も震えてるじゃ、じゃないですか……」 「これは寒……寒さと! そ、それと漸く、目当ての物を、み、見付けた、興奮でだ! とっ、ととっ、とにかく早く本部に報せるんだ!! 場所はガンガー北極原!!」 「ええ、早く引き揚げましょう」 急か急かと帰還の準備を始める隊員たちを、隊長は呼び止めた。 「こ、こらっ、待てぃっ!!」 彼は隊員達を見回して言う。 「報告に行くのは、2、3人で十分だ。 残りは、ここで敵の本拠地を見張る!」 「え、えぇーー……ほ、本気ですか……?」 隊員達は揃って嫌な顔をした。 誰も危険な所から離れたいのだ。 極地の寒さも厳しいが、何より魔城が恐ろしい。 隊員達は何れも優れた魔法資質を持った魔導師だから、魔城を覆う魔力の異様さが判る。 「ば、馬鹿っ、冗談で言うかっ!! 私は残る。 誰が帰るか、お前達で確り話し合え」 隊長の指示に、隊員達は互いの顔を見合った。 本音では誰も帰りたいのだが……。 「俺は結婚したばっかりなんだ」 「私には年老いた両親が……」 「それを言ったら、俺にも帰りを待つ子供が……」 それぞれに帰りを待つ者が居るのだから、中々話が付かない。 オラリア隊の者達は、執行者では無いのだ。 それぞれ平時は探検家として活動している。 だから、こう言う時に統制が取れない。 そんな中で、一人が声を上げる。 「私は残る。 ……身内が居ないからな」 その一言で雰囲気が一変した。 別の隊員が彼を宥める。 「そんな事を言うなよ」 「……代わりに、俺が残ろう。 寒冷地では太っている方が生き残り易いからな。 痩せギスは帰りな」 「お前、嫁さんが居るんじゃなかったのかよ?」 「そんな事は関係無い。 俺は生き残れる自信があるから言ってるんだ」 何だ彼んだで、未だ話が付かないので、隊長は痺れを切らした。 「早くしろ! 決められないなら、私が指名するぞ!」 「私が残ります」 「あっ、いえ、俺が!」 先に2人が名乗り出たので、隊長は即決する。 「良し、お前達2人だな。 他の者は急いで帰還しろ」 「あっ、いえ、待って下さい! 彼は……」 「いや、俺は良いんですけど、彼は……」 「これ以上は聞かん! 好い加減に肚を括れ!」 自分から残ると言ってしまった物だから、反対する事も出来ずに決定してしまう。 他の2人は急いで帰還した。 もう決まってしまった物は仕方無いと、残留組の2人は溜め息を吐く。 こう言う時は割り切りが肝心なのだと、平時は探検隊をしている者達は知っている。 何時までも未練囂しい事を言って何もしないのは、集団を危険に晒す最低の行為だ。 何より協調性と合理性を重視しなければ、生き残れない。 そう言う意味では、多少強引でも即断即決出来る隊長の存在は心強い。 ――極寒の地に魔城は静かに佇んでいる。 オラリア隊の隊長は、2人の隊員に言った。 「私達が戦う事は無い。 あの城を攻め落とす時は、魔導師の大半を投入した大決戦になるだろう」 2人の隊員は緊張して沈黙する。 決戦の時は目前に迫っている。 決戦、大悪魔城 エグゼラ地方にて ガンガー北極原に反逆同盟の本拠地があると、特別調査隊から報告を受けた魔導師会は、 直ちに多数の魔導師を派遣して、魔城を取り囲む様に『根拠地<ベース・キャンプ>』を設置した。 魔導師会の多くの魔導師達は、自分達だけで決着を付ける気だったが、それを八導師が止める。 「敵本拠地の攻略は、八導師が直接指揮を執る。 既に司法長官には話を通してある」 八導師最長老が直接根拠地に赴いた上で、この発言をした事に、執行者達は驚いた。 八導師は魔導師会の最高指導者であり、その権力自体は旧暦に存在した「国王」程では無いが、 影響力や払われる敬意の度合いは、それに匹敵する。 しかしながら、現場に赴いて何が出来ると思う者が少なからず居るのも事実だ。 どんなに強い権力を持つ国王でも、戦争を直接指揮する事は少ない。 大体に於いて「責任者」の為すべき事は、物事が上手く運ぶ様に取り計らう、即ち人事採用であり、 当人が軍事方面に才覚を持つ必要は無い為だ。 同様に、八導師も又、執行者を指揮して上手く動かす事が出来るのかと疑問に思われるのも、 仕方の無い事ではある。 八導師が只監視、監督しているのでは無く、「直接指揮を執る」と言っているのだから。 八導師の8人は魔城を取り囲む八方の根拠地に、それぞれ待機して決戦の時を待った。 一方その頃、魔導師会とは別行動で戦う者達も、最終決戦の時が迫っていると聞いて、 ガンガー北極原に向かっていた。 ワーロック・アイスロン、リベラとラントロック、ビシャラバンガ、コバルトゥス・ギーダフィ、 フィーゴ・ササンカ、ポイキロサームズ、シャゾール、ニャンダコーレ、そしてヘルザ……。 一行は第三魔法都市エグゼラの宿屋で、作戦会議を始めた。 先ず発言したのは、ポイキロサームズのアジリア。 「一寸悪いんだけど、私等は力になれそうに無い。 ここは寒過ぎるよ。 ガンガー北は、もっと寒いんだろう?」 ポイキロサームズは何れも寒さに弱い。 気温が氷点下になると、もう活動所の話では無くなる。 ササンカの持つ音石が了解の意を示す。 「ああ、仕方が無い」 ササンカは音石に問い掛けた。 「ルヴィエラとやらは、そこまで計算していたのでしょうか?」 「考え過ぎだよ。 あいつにとって、僕等は皆、滓みたいな物だから。 それにポイキロサームズの皆は、そんなに強いって訳でも無いし」 ビシャラバンガが長話を嫌って単刀直入に問う。 「それで、誰が行くんだ? 己は勿論、行く」 逸る彼を音石が宥めた。 「待ってくれ、待ってくれ。 魔導師会との連携も大事にしなければ。 僕等だけで勝手に突入する訳には行かない」 それまで黙っていたワーロックは、音石に尋ねた。 「それで音石さんは、どう考えているんですか? 魔導師会だけで行けそうだと?」 「正直、難しいと思う」 「しかし、私達だけでも難しいと」 「その通りだ。 魔導師会の準備が整うまで、僕等で陽動作戦を仕掛ける必要がある。 魔導師会だけじゃない。 この大陸の共通魔法使い、全ての力を借りて、漸くルヴィエラと戦えると言った所かな」 「その陽動って言うのは――」 「僕等でルヴィエラの居城に突入する」 音石の発言にコバルトゥスの眉が僅かに動く。 「危険過ぎないか?」 彼の視線はリベラとラントロック、そしてヘルザの3人に向けられている。 「無論、危険だ。 だから、こうして作戦会議を開いている」 レノックの言葉を受けて、ビシャラバンガは堂々と言った。 「力の無い者、自信の無い者は止めておくべきだ。 辞退したい者は今の内に言え」 それは彼なりの優しさでもある。 ワーロックはリベラとラントロックに頻りに視線を送っていた。 この2人が、どんな判断をするのか気になっているのだ。 リベラもワーロックに視線を送り、2人の目が合う。 「お養父さん、行くの?」 リベラの問い掛けに、ワーロックは深く頷いた。 「ああ。 お前達は、ここで待っていてくれ」 「そうは行かないよ。 皆で行こう?」 「駄目だ、危険過ぎる」 ワーロックは頑なにリベラの同行を拒む。 彼にとって、リベラは養子とは言え、可愛い娘。 ラントロックと同じく掛け替えの無い家族だ。 一方で、ラントロックは行きたいとも行かないとも言わずに、口を閉ざしていた。 彼はリベラが行くなら行く、彼女が行かないなら行かない積もりだ。 コバルトゥスはワーロックと同じく、リベラは留守番をしていた方が良いと思っていたが、 彼女の意思を尊重して口を出さないで居た。 リベラはワーロックに対して言う。 「大体、危険だって言うなら、お養父さんこそ、どうなの? お養父さん、私より魔法資質が低くて、共通魔法下手じゃない」 「それでも私には私の魔法がある」 ワーロックは強気に言い切った。 彼が編み出した、彼だけの、彼の魔法。 それに自信を持っているから言える事。 ワーロックは更に懸命に説得を続ける。 「今までの戦いとは違うんだ。 敵の本拠地に乗り込むんだぞ? ルヴィエラも本気を出して来る。 私独りなら何とかなるかも知れない。 だが、誰かを守りながら戦える自信は無い」 リベラは不満を露に彼を睨んだ。 「私達は足手纏いだって言うんだ?」 「……そうだ」 ワーロックとて本気で、そう考えている訳では無い。 1人より2人、2人より3人と言う様に、1人では出来ない事や、危うい場面でも、 仲間の助けで乗り切れる事があろう。 それでも彼は子供が危険な目に遭う事を防ぎたかった。 「ビシャラバンガ君、コバルトゥス、2人からも何か言ってやってくれ」 困った彼はビシャラバンガとコバルトゥスに応援を求めたが……。 「自分で行きたいと言う者を無理に止める事はあるまい」 ビシャラバンガには止める気が全く無い。 「俺も一緒に行きますから」 コバルトゥスも同じく。 ワーロックは益々困った。 「皆で纏まって行動するって言うのか? レノックさん……じゃなかった、音石さん、どう思いますか?」 最後に彼は音石の意見を伺ったが、音石も反対はしない。 「団体行動でも問題は無いと思う。 コバルトゥスの索敵能力があれば、不意に敵に囲まれると言う事も無いだろうし。 撒ら撒らに行動するより危険性は小さい筈だ。 ルヴィエラも行き成り本気を出したりはしないだろう。 彼女は性格的に、先ず遊ぶ。 絶対に、必ず」 結局、誰にも同意して貰えず、ワーロックは押し黙った。 自分だけが反対だと言った所で、どう仕様も無いのだ。 ワーロック、ビシャラバンガ、コバルトゥス、リベラとラントロックは魔城に突入し、 ポイキロサームズは残留と、ここまでは決まっている。 ヘルザ、ササンカ、ニャンダコーレは、どうするのかと一同は注目した。 先ずササンカが言う。 「私も魔城とやらに向かいます」 それに続いてニャンダコーレも。 「私も行きますぞ、コレ。 寒さは苦手ですが、コレ、この体だからこそ、出来る事もありましょうからな。 連中も私の様な物が敵だとは、コレ、思いますまい」 そして最後はヘルザ。 「わ、私は……」 彼女は自分だけ置いて行かれたくないと思っていた。 しかし、死ぬかも知れない戦いで、命を賭ける覚悟が無いのも事実。 中々意見を言えないで居る彼女に、音石が言う。 「あっ、ヘルザさんは残ってくれないかな? 君には大事な役目があるんだ」 「何でしょう……? 私に出来る事なら……」 「詳しい事は、ヴァイデャ様に聞いてくれ。 彼も来ている」 自らは戦いに赴かない性格のヴァイデャまでもが、この地に来ている。 ワーロックは愈々これが最終決戦なのだなと言う気配を感じ取っていた。 「他にも来ているんですか?」 彼の問い掛けに、音石は応える。 「ああ、直接は戦わなくても、後方でも出来る事は沢山あるからね」 「それで、陽動作戦って具体的に、何をどうすれば良いんでしょうか? 魔城に突入して、それからは?」 「そうだな、取り敢えずは城を隅々まで探索して貰おう。 出来るだけルヴィエラとは搗ち合わない様に」 「意図せず出会ってしまったら、どうするんです?」 「その時は逃げるしか無い」 「しかし、突入しても戦う気が無いと思われたら、陽動にはなりませんよ」 ワーロックの指摘を受けて、音石は少し思案した。 「それなら……。 一応の目的を設定しようか?」 そう言うと音石はササンカの手の上で小さく震え出した。 「音石殿?」 吃驚するササンカの手の上で、音石は一回り小さい分身を幾つも生み出す。 「フー、これを魔城の各所に設置して来てくれ」 「これは何なんですか?」 ワーロックの問に音石は平然と答える。 「何って、普通の石だよ。 少しだけ魔力が篭もっている」 「何に使うんですか?」 「だから、魔城に置くんだよ」 「置くと何があるんですか?」 「何も無いよ」 音石の回答に一同、目が点になって呆気に取られた顔になった。 音石は苦笑交じりの声で言う。 「何の意味も無い。 陽動を覚られない為の偽の目的なんだって」 ワーロックは漸く理解して膝を打つ。 「ああ、そう言う事ですか……。 相手に丁とした目的があると思わせる為の、偽装なんですね?」 「そうそう。 皆、察しが悪くて驚いたよ」 ビシャラバンガが最後に確認を求めた。 「己達は魔城に入って、それ等を適当な所に置いて来れば良いんだな?」 「そうそう。 でも、現地の魔導師達と連絡を取ってからね。 交渉は僕に任せてくれ」 こうして一行はガンガー北極原に向かう。 第三魔法都市エグゼラ市から西へ、ガンガー山脈の裏に回り込む。 真面な交通手段が無い中、防寒装備を整えて、八導師親衛隊の伝手で極北人の馬橇を借り、 何日も掛けて移動するのだ。 中には初めて行動を共にする者達も居るが、ササンカは辛抱強く、余り自己主張しない性格、 ニャンダコーレは猫と余り変わらないので、大きな問題は起こらなかった。 ガンガー北極原に展開している魔導師会の根拠地の内、最も西側にある物に、一行は着く。 そこには八導師も居り、親衛隊を介して、一行は八導師に会う事になった。 西側根拠地に駐在している八導師は、第一位のレグント・アラテル。 親衛隊から報告を受けた彼は、直ぐに一行を出迎える。 「よく来てくれた。 ワーロック君、久し振り」 「ああ、はい、お久し振りです」 ワーロックが最長老と知り合いだと言う事実に、周囲の者達は驚く。 「お養父さん、八導師と知り合いなの!?」 「いや、知り合いって言うか、面識があるだけだよ。 少しの間、一緒に旅をしたと言うか……。 あ、勿論、レグントさんの方は『仕事』だから。 特に親しいとか、そう言う訳では無いんだ」 ワーロックは八導師との関係を誤解されない様に、必死に言い訳した。 権力者と知り合いと言うだけで、人の見る目と言う物は変わる。 自分には何の影響力も無いのだと、彼は主張したかった。 「そんな事より、レノックさん……じゃなかった、音石さん! お話を……」 彼に促されて、ササンカは音石を持ち出し、レグントの前に持って行く。 音石は明滅しながら彼に話し掛けた。 「レグント、提案がある。 この者達を陽動に使って欲しい」 音石から発せられる声を聞いたレグントは、静かに驚いた。 「その声は……レノック殿!?」 「僕はレノックの分身、音石だ。 本体はルヴィエラに捕まってしまっている。 こう言う時の為に、分身を用意していたんだ」 「ああ、そう言う事か……。 それで……陽動とは?」 「この儘、準備を進める君たちをルヴィエラが見過ごすとは思えない。 だから、この者達を魔城に突入させて、目眩ましに使う」 「危険では無いのか?」 「危険は承知の上だよ。 そう言う訳で、魔城への突入許可を貰いたい」 音石の提案を受けて、レグントは思案する。 如何に八導師でも、否、八導師だからこそ、魔導師でも無い者を危険な目に遭わせる事には、 抵抗があるのだ。 「そこまでしなければならないのか……?」 「君達は未だルヴィエラを侮っているんだな。 瞭り言うけど、君達全員――ファイセアルス全部の命を使って、漸くルヴィエラと、 勝負になるかって所なんだぞ。 君達に秘策があるのは知っている。 でも、それだけで勝てる程、甘い相手じゃない」 音石の言葉には重みがあった。 それでもレグントは中々許可出来ない。 彼にとって、やはり一般人を巻き込むのは避けたいのだ。 一行には女子供に猫まで居る。 どう見ても決戦に赴く面子では無い。 音石は説得を続けた。 「レグント、君の気持ちは解る。 僕だって、皆を危険な目に遭わせたい訳じゃない。 魔城に突入すると言っても、ルヴィエラとは戦わない。 一寸小っ掻いを掛けるだけだ」 「それでも十分危険だ」 「ああ、勿論。 僕達だって、それは承知している。 全部納得尽くでの事なんだよ。 君は未だ事態の深刻さを理解していない」 「そんな事は無い。 解っている。 だからこそ、これだけの準備をした」 「違う、解っている積もりなだけだ。 民間人を巻き込みたくないと言う発想その物が甘い。 この世界が駄目になるかって境目だぞ」 2人(?)の言い合いに、リベラは今更事態の深刻さを実感する。 彼女は理解していた積もりで、理解していなかった。 皆が行くから大丈夫だろうと、軽い気持ちだったのだ。 実際、彼女自身は「強大な敵」と相対していなかった。 反逆同盟には巨人、竜、悪魔と言った強力な物達が存在していたが、幸か不幸か、ここまでリベラは、 それ等と戦う事が無かった。 リベラは養父を見上げて問う。 「本当に大丈夫なの、お養父さん……?」 「確実な保証は何も無い。 だから、留守番していろと言ったじゃないか……」 「それなのに行くの?」 「ああ、そうだよ」 「何の為に?」 「何って……。 大袈裟に言うと、この世界の為って事になるが……」 「そう言う事、言っちゃうんだ!?」 養父の覚悟にリベラは声を抑えて驚いた。 「いや、そんな驚かれると……。 何か恥ずかしくなるだろう……」 「だって、何か、お養父さんらしくないって言うか……」 彼女は養父を優しい男だと知っていたが、大義や正義を語って、大きな事をする人だとは、 思っていなかった。 ワーロックは困った顔で言う。 「『私に出来る事』がある。 『私にしか出来ない事』がある。 私は、『それ』をやりに行く。 唯それだけの事だよ」 そう言った後、彼は俄かに落ち着いた声でリベラに尋ねた。 「リベラ、お前には、『それ』があるか? 無理強いは出来ない。 危ないと思うなら、素直に退くのが、賢い選択だ」 リベラは自分の気持ちを再確認する。 ここから先は、養父が心配だと言うだけで、気軽に付いて行ける場所では無い。 (私にしか出来ない事……。 あるのかな……?) 彼女は本気で考え込む。 自分が足手纏いにならない為には、それが無ければ行けない。 自分に出来る事は何か? (それでも……私にしか出来ない事じゃないかも知れないけど……。 私は共通魔法の扱いなら、この中で一番の筈。 それが私にしか出来ない事) リベラは思案の末に、自分にとって最も自信のある物を理解した。 そして改めて決意を述べる。 「あるよ、私にしか出来ない事。 だから、私も行く」 レグントと音石の話は数点続いたが、結局はレグントが折れた。 一行は魔導師会の許可を得て、根拠地から徒歩で魔城に向かう。 距離は約1区。 酷く冷たく乾いた強風が吹き付ける中、一行は毛皮の蓑を羽織って行く。 コバルトゥスの精霊魔法が寒風から全員を守った。 これまでの情報を総合すると、魔城の中で待ち構えているのは、悪魔公爵のルヴィエラの他に、 呪詛魔法使いのシュバト、寓の魔法使いバルマムス、血の魔法使いゲヴェールト、昆虫人スフィカ。 未だ居るかも知れないが、これ等への対策は考えておかねばならない。 ……その前に、一行は城まで1通の所で、強烈に禍々しい気配を感じて、足を止めた。 唯一気配を感じないワーロックだけが、平気な顔をして全員を見る。 「皆、どうしたんだ?」 彼の問に答えたのは、コバルトゥス。 「先輩は何も感じないって事は、魔力関係なんスね……。 恐らく、これは罠とか魔法とかじゃなくて、ルヴィエラの支配領域に入っただけの事ッス」 「……行けそうか? 無理なら引き返しても……」 「大丈夫……。 いや、俺は大丈夫なんスけど、他の人達は、どうなんスかね?」 ワーロックとコバルトゥスは全員の様子を窺った。 ビシャラバンガとササンカは不快感を覚えているが、表情には出さずに耐えている。 それでも影響があるのは一目瞭然だ。 その証拠に2人共、一言も発しないし、一歩も動こうとしない。 何も感じないのであれば、ワーロックの様に不思議がる。 そしてリベラとラントロック、それにニャンダコーレは蒼い顔をして、震えていた。 ワーロックは先ずリベラに問う。 「リベラ、大丈夫か?」 「あ、お、お養父さん……。 これ無理……」 「引き返すか?」 「い、嫌……」 素直に引き返してくれない物かと、ワーロックは困った顔をしつつ、今度はラントロックを見た。 「ラントは?」 「へ、平気だよ」 「強がるなよ?」 どう見ても平気では無い。 無理をするなとワーロックは言いたかったのだが、逆にラントロックは意固地になって、 彼を睨み返す。 リベラが帰らないと、恐らくラントロックも帰らないのだろうと、ワーロックは感じた。 最後に彼はニャンダコーレに目を遣る。 「えーと、ニャンダコーレさんは?」 「……私は生まれて初めて、コレ、心の底から恐怖している……。 ルヴィエラとは、途んでも無い奴なのだな、コレ……」 「行けそうですか?」 「ニャー……、行く。 足手纏いには、コレ、ならんよ……」 心の闇へ 誰一人として引き返す者は無く、ワーロックは不安ながらも、自らが先頭に立って進む事にした。 高く聳える魔城の門を潜り、巨大な城内へと足を踏み入れる。 コバルトゥスもリベラもラントロックも、ルヴィエラと対峙した事はあるのだが……。 ここまで強大な相手だとは全く思っていなかった。 何れのルヴィエラも未だ本気では無かったのだ。 全員が城内に入ると、巨大な門が独りでに閉まって、一瞬にして辺りは暗闇に閉ざされた。 全員、直ぐ近くに居る筈の人の気配も感じ取れなくなる。 魔法資質も利かず、誰も状況が把握出来ない。 ――暗黒の中で、ワーロックは呪詛魔法使いのシュバトと対面した。 「お前は――」 黒いローブに包まれたシュバトは、徐々に容(かたち)を失って行く。 「私の名は未練。 又の名を後悔、或いは自責、残滓、悲嘆」 「呪詛魔法使いか!」 「否、呪詛魔法その物だ」 ワーロックの目の前から、シュバトの姿は徐々に消えて行く。 「待て、どこへ行く!!」 彼の呼び掛けには答えず、シュバトの姿は完全に消滅した。 その代わりに、ワーロックの背後に人の気配が現れる。 「誰だっ!?」 そこに居たのは、今は亡き彼の妻、カローディアだった。 「カリー……」 彼女は生前と変わらない美しさで、そこに佇んでいる。 既に死んだ者だからか、年齢を重ねた様子が全く無い。 「それが、お前の後悔だ」 呪詛魔法の声がワーロックの頭の中で反響する。 カローディアは彼に向かって、優しく微笑み掛ける。 「愛しているわ、ワーロック。 私が最初に愛し、そして最後まで愛した人」 「……カリーは死んだ。 お前は偽物だ!」 彼女を拒否するワーロックだったが、呪詛魔法の幻影は消えない。 「私の愛する人、魅了の魔法は貴方を離さない。 私は貴方の物、そして貴方は私の物。 病める時も健やかなる時も、何時も一緒だと誓った筈なのに」 カローディアの幻影は悲しい声でワーロックに問い掛けた。 「どうして一緒に死んでくれなかったの?」 「それは……!」 カローディアの未了の魔法は、心だけで無く、魂まで魅了する。 愛し合った者は比翼連理の如く、運命を共にする。 それが出来なかった事、妻を独り死なせてしまった事が、ワーロックの後悔の1つだった。 カローディアはワーロックを問い詰める。 「何故、どうして、貴方は……」 彼は怯むも、確りと彼女の目を見て答えた。 「私達には子供が居たじゃないか……」 「あっ……」 「私は君の居ない世界で、生きて行かなければならない。 それが君との誓いだから。 君が死んでも、この心は君だけの物だ。 カリー、愛している。 私が一生を捧げ、最後まで愛する人。 もう少しだけ待っていてくれ」 ワーロックの真摯な気持ちが通じたのか、彼の妻の幻影は静かに闇に消えて行った。 しかし、闇が晴れる事は無く、再び彼の前に「呪詛魔法」が現れる。 ワーロックは彼を睨んで行った。 「そこを退け。 私は進まなければならない」 呪詛魔法は動揺した様子も無く、平然と話す。 「幾つかの質問に答えてくれれば、道を開けよう。 先ず、人を殺した事はあるか?」 「ある」 「……意外だな」 「私を好いてくれた子だった。 しかし、私は私の信念の為に、彼女を殺さざるを得なかった。 私は私の意志で彼女を殺した」 彼は自然にコバルタの事を思い出していた。 結果として、コバルタの人格は精霊石に宿り、死んではいなかったが、ワーロックは彼女の存在を、 消去すると言う決断をした。 それは彼女を殺すと言う事、死んでも構わなかったと思ったと言う事。 結果的に生きていたので問題無いと言う話では無い。 実際、彼は彼女を殺したのだ。 しかも、2度も。 最初は確実に殺す積もりだったが、旧い魔法使い達の計らいで、どうにか死なせずに済んだ。 2度目は故意では無かったが、夢落ちにして生き返らせた。 旧い魔法使い達に関わった為とは言え、余りに命が軽い。 そんな扱いをしてしまった事にも、ワーロックは罪悪感を持っている。 呪詛魔法は更に彼に問う。 「後悔していないのか?」 「そうしなければ、守れない命があった。 2つに1つで、私は1つを選んだ」 コバルトゥスの人格を取り戻す為には、コバルタには消えて貰う他に無かった。 それは仕方の無い決断だったが、どうしても負い目は捨て切れない。 「心が揺れているぞ。 それは罪悪感と後悔の証明だ。 お前が犯した罪を、一つ一つ思い出しながら、数えるが良い。 告解せよ」 「人生は選択の連続だ。 私は1つを選ぶ度に、1つを捨てて来た。 この命が幾つあっても、全ての罪を償い切れるとは思えない。 もしかしたら、1つの後悔も無い人生もあったかも知れない。 あの時の私に、今少しの忍耐力と現実を受け止める精神力があれば……」 「又、動揺したな。 それでも未だ立ち続けるか……」 「私は時々激しい後悔に襲われ、自己嫌悪に陥る事もあるが、それでも絶望はしない。 こんな私でも、いや、こんな私だからこそ、辿り着けた今がある。 私は『今』が嫌いな訳ではない。 私には未だ愛する者があり、やるべき事が残っている。 止まる訳には行かない」 「家族愛か……」 ワーロックは迷わない積もりだが、呪詛魔法は消えてくれない。 どれだけ心を強く持っても、弱点の無い者は居ないのだ。 どこかに弱さを隠している。 呪詛魔法には、それが判る。 「強い決意だ。 だが、これを見ても平然としていられるかな?」 呪詛魔法は不気味な声で、ワーロックに問い掛けた。 何が起こるのかと身構えるワーロックの目の前に、見知らぬ男女2人が現れる。 「……誰だ?」 寄り添う2人は丸で夫婦の様だ。 ワーロックは女性の方にリベラの面影を見た。 「もしかして、貴方々は……!」 数極後に彼は理解する。 この2人はリベラの両親なのだ。 瞬間、ワーロックは途轍も無い罪悪感に圧し潰された。 リベラの不幸は父親の死から始まった。 リベラの父親はティナーの地下組織の構成員だった。 ティナーで地下組織同士の大規模な抗争があり、そこでリベラの父親は命を落とした。 抗争に巻き込まれない様に貧民街で身を隠していたリベラの母親は、夫の帰りを待ち続けて死んだ。 そうしてリベラは独りになってしまった。 そんな彼女をワーロックが拾って養子にしたのだが、そもそもリベラの父親が死亡する切っ掛けの、 地下組織同士の抗争が発生した原因はワーロックにもあった。 ワーロックは未だリベラに、その事を話せていない。 何時か話さなければならないと思っていても、中々自分から切り出す事が出来ない。 リベラの両親は何も言わないが、それが逆に自分を責めている様で、ワーロックは堪らず目を伏せる。 「何とか言って下さい……。 恨んでいるなら、恨んでいると……」 ――一方その頃、コバルトゥスは暗黒の中で、血の魔法使い大ブルーティクライトと対面していた。 「……お前は何者だ?」 「私は血の魔法使いブルーティクライト」 「皆をどこにやった!?」 「それぞれ別々の暗黒空間に閉じ込めてある。 貴様はルヴィエラに一目置かれている様だな。 私は貴様を始末しろと、直々に仰せ付かった」 「何だとっ!? フッ、ハハハ!! この野郎、手前なんかに殺られるかよ!」 コバルトゥスは大きく口元を歪めて、自信の笑みを見せ付けた。 実は彼は嬉しかったのだ。 暗所恐怖症の彼は、独りで暗闇に放置される事の方が、余っ程恐ろしかった。 それを見て大ブルーティクライトは警戒する。 (何と豪胆な男だ。 味方と分断させられ、一対一になったと言うのに、全く怯まないとは! ルヴィエラが警戒するだけの事はある!) コバルトゥスは大ブルーティクライトの恐れを読み取って、益々強気になった。 「どうした、仕掛けて来ないのか!?」 (一撃で仕留めるしかあるまい!) 大ブルーティクライトは魔剣ディオンブラを使う決意をする。 魔剣ディオンブラは彼の意の儘に、刀身を変形させる。 それを利用して、不意打ちを狙うのだ。 しかし、コバルトゥスは彼の先の先を取った。 「おっと、動くなよ。 手元が狂うかも知れないからな」 「何を――……」 大ブルーティクライトの手の中で、ディオンブラの柄が砕ける。 「な、何だ、これは!? 何が起こった、何の魔法だ!?」 彼は大恐慌に陥った。 ディオンブラの柄を砕いたのは、コバルトゥスの魔法剣。 剣の師匠であるゲントレン・スヴェーダー直伝の必殺の剣だ。 「知らないなら、教えてやる。 これが『魔法剣』と言う物だ。 我が師、一千万日流剣術開祖ゲントレン・スヴェーダーより賜りし、乱世を生き抜く必殺の剣。 そして知れ、俺の名はコバルトゥス・ギーダフィ! 精霊魔法使いの魔法剣士だ!」 魔法使いにとって『名乗り』とは、自らの正体を明かす事。 それは即ち、自信と誇りの証明である。 大ブルーティクライトは完全にコバルトゥスの強気に圧されて、気持ちで負けていた。 名乗りに対しては名乗りで返すのが、魔法使いとしての礼儀。 命の懸かった場面で、それが出来ると言う事自体が、大いなる自信と自負の為せる業。 大ブルーティクライトはコバルトゥスより年長でありながら、弱気に取り憑かれて保身に感け、 自分の正体を語る事が出来ない。 「対等」を意識するならば、大ブルーティクライトは自分の魔法を示さなければならない。 態々相手に対抗意識を燃やして、そんな事をしなくても良いと普通の人間なら思うのだが、 大ブルーティクライトは悪魔の貴族であると言う意識を捨てられなかった。 悪魔貴族は「格」の上下を気にする生き物なのだ。 礼を欠いては格を失う。 無限の命を持つ悪魔にとって、名誉は一生付いて回る物。 侮られて生きる位ならば、死を選ぶ事も珍しくは無い。 命が無限だからこそ、命その物の価値が低いとも言える。 徒存えるだけの命に価値は無いのだ。 大ブルーティクライトは逡巡の末に見栄を張った。 彼は自らの血を吸わせたディオンブラの刀身を、液状に溶かして宙に浮かせる。 「では、私の技も見せよう。 血を操る……。 これが我が魔法」 それを見たコバルトゥスは、小さく頷いた。 「解った。 それで? お前、どうするんだ? 俺と戦うのか、それとも逃げるのか? 3つ数える間に決めろ」 コバルトゥスは既に必殺の覚悟をしている。 大ブルーティクライトの運命は、彼が3つ数える内に決まる。 「1つ!」 しかし、敵前逃亡も悪魔貴族の誇りが許さない。 数に押されての事なら未だしも、一対一で逃げたとあっては、敗北を認めた様な物。 しかも敵陣では無く自陣だ。 「2つ!」 最早破れ気狂れに仕掛けるより他に無い。 3つを数えられる前に、大ブルーティクライトは身に纏ったディオンブラを短刀状に変えて、 コバルトゥスに向けて発射する。 「死ねーーっ!!」 「遅い!!」 コバルトゥスの必殺の魔法剣は、大ブルーティクライトの精神を切断した。 剣を振るう動作も無く、彼の魔法剣は全ての物を断つ。 それは形ある物だけでは無い。 有形無形に拘らず、そこに「在る」物、感じられる物、概念的な物まで、その正体を掴めれば、 確実に切断出来る。 ……だが、大ブルーティクライトは死んでいなかった。 「……何だ? 何とも無い? フッ、ハハハ、虚仮威しか!」 しかし、彼は直ぐに違和感に気付く。 コバルトゥスは小さく笑った。 「俺は確かに『斬った』ぞ。 自分の体を見てみろ」 そう指摘されて、大ブルーティクライトは初めて自分の体を見た。 何と彼の体は暗闇の床に倒れ伏している。 大ブルーティクライトは幽霊の様に、宙に浮いていた。 「こっ、これは!?」 「お前の精神を分断した。 お前は自分の状態を客観的に観察した事が無いのか? 少し優れた者なら、お前の中の肉体と精神の歪みに直ぐ気付くだろう。 その体は、お前自身の物では無い」 「くっ、この儘では……」 肉体から切り離され、精霊だけの存在となった大ブルーティクライトは、宿る物を探した。 元の体には戻れないとなれば、択るべき道は唯一つ、ディオンブラを頼るしか無い。 「そうはさせん!」 コバルトゥスは大ブルーティクライトの精霊に対して、再び魔法剣を放つ。 今度は彼自身が持つ短剣を振るう、実体の魔法剣だ。 コバルトゥスの短剣は炎を纏い、ディオンブラが含む血液を蒸発させた。 跡には、実体のディオンブラの小さな刃と血液の燃え滓だけが残り、大ブルーティクライトは、 宿る先を失う。 「貴様、何と言う事を!! わ、私は消えるのか!? こんな所で!?」 「肉を持たない物は、この地上では脆い存在だ。 お前にも身の丈にあった暮らしがあっただろうに」 「身の丈だと!? 栄華を求むるは人の常では無いか! 誰にも、それを咎める事は出来ぬ! 私が、私こそがブルーティクライトなのだ! 私は私の国を持ち、栄華を極める!!」 大ブルーティクライトは吠えながら弱体化して行った。 コバルトゥスは彼を嘲笑する。 「思想が古いんだよ。 何が人の常だ」 もう大ブルーティクライトは反応しない。 精霊が弱って、完全に消滅したのだ。 肉を持たない者は、斯くも脆い。 残ったのは、コバルトゥスと大ブルーティクライトの肉体だけ。 (先輩の話では、こいつは2つの人格を持っていた筈。 本体の方はゲヴェールトと言ったか? 飛んだ災難だったな。 子孫に迷惑を掛けるとは、祖先の風上にも置けない奴) しかし、大ブルーティクライトを倒したと言うのに、何の反応も無い。 暗闇は暗闇の儘で、一向に晴れる気配が無いのだ。 (この暗闇は恐らくルヴィエラの仕業……。 明かりの魔法で何とかなるか? 否、それよりも目の前の奴をどうにかするのが先か?) 取り敢えず、コバルトゥスは弱い明かりを灯して、気絶しているゲヴェールトに近付いた。 そして彼の体を揺すって起こそうとする。 「おい、目を覚ませ!」 こんな時に共通魔法なら、相手の正気を取り戻させるだけの、簡単な魔法があるのだろうと、 コバルトゥスは残念に思った。 精霊魔法使いの彼は共通魔法を使う気は無いが、少し位なら共通魔法を学んでも良いかなと、 彼は思い始めていた。 (こいつが起きるまで待っているしか無いか……。 男が男の看護なんて、気色悪いぜ) 内心で愚痴を零しながら、彼は時を待つ。 更に他方、ビシャラバンガとニャンダコーレは、黒鎧の騎士と漆黒の獣と対峙していた。 お互いに1人と1匹同士、正面から睨み合う。 「気を付けろ、ニャンダコーレ……。 こいつ等は真面な生き物では無い」 「ニャー、コレ、その程度の事は解っている、コレ」 「どうだ、ニャンダコーレ……。 一対一に持ち込めるか?」 「ニャッ、買い被るな! 正体不明の物と正面から戦うのは、コレ、危険である!」 「……仕方無い。 ニャンダコーレ、己の背に乗っていろ。 爪を立てるなよ」 「ニャ、コレ、分かった」 ニャンダコーレはビシャラバンガの巨体に飛び乗ると、彼の肩に両前足を掛けた。 黒鎧の騎士と漆黒の獣は、ビシャラバンガを挟み撃ちする様に、緩りと彼の両側に回り込む。 ビシャラバンガは不機嫌な顔で、黒鎧の騎士に尋ねた。 「己はビシャラバンガだ。 貴様、名前位、名乗ってみろ」 黒鎧の騎士は数極遅れて反応する。 「私は……。 私は『黒騎士<ブラック・ナイト>』、ルヴィエラ様の忠実な『下僕<サーヴァント>』」 「コレ、『騎士<ナイト>』なのか『従僕<サーヴァント>』なのか……」 ニャンダコーレは呆れた。 旧暦では騎士と従僕は全く身分が違う。 騎士に対して王の従僕呼ばわりすれば、怒りを買う事は間違い無い。 従僕は謂わば「召し使い」、「使用人」であり、一方で騎士は戦いを本分とする。 武士を下人呼ばわりする様な物だ。 主従の関係はあっても、騎士は主の敵を討つ剣であり、主を守る盾である。 従僕では、それにはなれない。 仮令、王であっても、騎士を使用人扱いする事は、侮辱になる。 騎士に騎士以外の仕事を命じる事は、延いては全ての騎士身分の者を貶める事になるので、 造反の元になる。 詰まり、黒騎士は旧暦の制度を熟知した、正式な騎士身分の者では無い。 ニャンダコーレの指摘に対して、黒騎士は堂々と答える。 「私はルヴィエラ様の為なら、如何なる事でも出来る。 私は騎士等と言う身分に止まらない。 この身も心もルヴィエラ様に捧げたのだ。 私の忠誠は全てルヴィエラ様の為にある」 それを聞いたニャンダコーレは不気味に思った。 「ビシャラバンガ殿、コレは奇妙だ。 奴は、コレ、悪魔らしく無い。 ルヴィエラが生み出した従僕なのだろうが、コレ……。 それにしても、異質な気配を感じるのだ」 「構わん。 どちらにしろ、打ち砕くのみ」 強気に言い切ったビシャラバンガに対して、黒騎士は静かに漆黒の大剣を構えた。 「いざ、参る。 全てはルヴィエラ様の為」 「ニャ、ビシャラバンガ殿、背後だ、コレ!!」 「判っている!!」 先に仕掛けたのは、漆黒の獣の方だった。 ビシャラバンガは振り返りながら、獣の顔面に遠心力を利用した正拳を叩き込む。 その破壊力は獣の顔面を消し飛ばした。 獣の胴体は、その場に倒れる。 余りの威力に黒騎士は恐れを感じて動けない。 ビシャラバンガは黒騎士に向き直り、余裕の笑みを浮かべる。 「どうした、掛かって来ないのか?」 しかし、漆黒の獣は息絶えていなかった。 ニャンダコーレが彼に警告する。 「コレ、ビシャラバンガ殿、未だ生きている!」 ビシャラバンガは舌打ちして、起き上がろうとする漆黒の獣の胴体を蹴飛ばした。 暗闇の彼方に飛ばされた漆黒の獣は、その先で失った頭部を徐々に再生する。 「どうやら奴は、コレ、真面な方法では倒せない様だぞ」 「面倒な連中だ」 基本的にビシャラバンガの戦いは力押しだ。 腕力の通じない相手は苦手だった。 彼は黒騎士を睨んで言う。 「黒騎士とやら、貴様も生身では無いのだろうな」 「その通りだ。 文字通り、死ぬまで戦って貰う」 黒騎士の冷酷な宣告にも、ビシャラバンガは怯まない。 「望む所だ」 彼は気合を入れて、暗闇の床を力一杯踏み付ける。 「破ッ!!」 衝撃が地を揺らす。 「詰まり、ここでなら思う存分に暴れられる訳だ。 ニャンダコーレ、振り落とされるなよ」 そう言った次の瞬間、ビシャラバンガは黒騎士の眼前に迫っていた。 彼の太い右腕が、黒騎士の胸を突く。 「勢ッ!!」 黒騎士は受ける事も出来ずに、暗闇の彼方に弾き飛ばされた。 そこへ更にビシャラバンガは追撃を仕掛ける。 暗黒の床を転がる彼の背後に回り込み、今度は上空に高く蹴り上げる。 「打ッ!!」 未だ攻撃は終わらない。 宙に浮いた黒騎士を、彼は跳躍で追い掛けて、空中で捕まえた。 「止めだっ!! 砕けろーーーー!!」 その儘、黒騎士の両腕と胴を抱えて封じ、頭から垂直落下する。 ビシャラバンガの巨体と黒騎士の甲冑で、両者の体重は相当な物。 頭から落ちて無事では済まない。 しかし、体勢を支配していたのはビシャラバンガだ。 彼は黒騎士が先に頭から落下する様に仕向ける。 生身であれば、確実に首が折れる。 否、それ所か頭蓋骨が砕けるだろう。 着地の寸前、ビシャラバンガは黒騎士の全身を身代わりにして、落下の衝撃から逃れた。 「ハハハハハ、立て! 未だ死んでいないんだろう!?」 彼は暴力の化身だ。 思う存分、暴れられる場所と、叩き伸めせる相手が居て、喜んでいる。 ビシャラバンガの言葉通り、黒騎士は殆ど無傷で立ち上がる。 「不死身以外は取り柄が無いと見える! それでは一方的に殴られるだけの木偶人形だぞ!」 「……我が忠誠心は絶対。 ルヴィエラ様をお守りする……」 「何が忠誠心だ! 貴様は只の木偶と何が違う!」 「木偶でも構わぬ。 不死身と不屈を以ってすれば、倒せぬ敵は無い。 永遠にルヴィエラ様をお守りする……。 それが我が使命……」 ビシャラバンガは黒騎士の一途さに不気味な物を感じていた。 黒騎士は只の木偶人形では無い。 彼には感情の様な物がある。 ニャンダコーレは訝って、黒騎士に問い掛けた。 「悪魔の作り出した道具が、コレ、騎士の真似事か?」 「……何とでも言え」 「コレ、貴方には自我がある様に見える。 盲目的な忠誠心は、コレ、悪魔には珍しく無いのだが……。 貴方の態度は、コレ、それとは違うな?」 「私はルヴィエラ様の忠実な下僕。 それ以上でも、それ以下でも無い」 黒騎士は大剣を構えて、緩りとした歩みでビシャラバンガに迫る。 ニャンダコーレはビシャラバンガに警告した。 「コレ、幾ら相手をしても限が無いぞ、コレ」 「何か妙案でもあるのか?」 ビシャラバンガの問い掛けに、ニャンダコーレは少し考える。 「ルヴィエラの配下は明かりに弱いと言うが、コレ……」 「済まんな。 己には己を強くする事しか出来ぬ」 「ニャ、それは仕方が無い事。 斯く言う私も、原始的な魔法を幾つか使えるだけで、コレ、明かりを灯す等と言う芸当は、 コレ、出来ないのだから」 ビシャラバンガとニャンダコーレは冷や汗を掻いた。 手詰まり感が強い。 それでもビシャラバンガには未だ試していない事がある。 最後の巨人魔法、『翼ある者<プテラトマ>』だ。 魔力の翼で相手の魔力を吸収すると同時に、自分の魔力として放出する魔法。 「溜める」と「放つ」が基本の巨人魔法の究極。 それによって黒騎士の魔力を枯渇させられるのでは無いかと、ビシャラバンガは考えていた。 「……ニャンダコーレ、奥の手を使う」 「コレ、奥の手とは?」 「翼だ、翼を使う。 翼が見えたら、俺から離れろ。 2体同時に仕留める」 ビシャラバンガは背後を一瞥した。 復活した漆黒の獣が、接近している。 「……ビシャラバンガ、コレ、無理はするな」 「多少は無理をしないと勝てない相手だろう。 肉を切らせて骨を断つ。 とにかく、他に妙案が無いなら大人しく見ていろ」 ビシャラバンガは全身の力を抜いて、棒立ちになった。 これにニャンダコーレは慌てる。 「コ、コレ、どう言う積もりなのだ!? ビシャラバンガ!」 「喧しいぞ、狼狽えるな。 心静かに待つのだ」 ビシャラバンガは魔力を纏ってもいない。 黒騎士と漆黒の獣は、無防備なビシャラバンガを見て、一気に距離を詰め、襲い掛かった。 「ギャニャーーーーッ!! ビシャラバンガーー!!」 ニャンダコーレはビシャラバンガの背に爪を立てたが、彼は微動だにしない。 その儘、黒騎士の剣を左の肩口に受け、右の首には漆黒の獣の牙が立つ。 「コレ、離れろっ!!」 ニャンダコーレはビシャラバンガの首に食い付いた漆黒の獣の目を、自らの鋭い爪で引っ掻いたが、 少しも怯ませられなかった。 「くっ、やはり打撃は通じないのか、コレ……!」 「狼狽えるなと言っているだろう、ニャンダコーレ」 ビシャラバンガの声は変わらず落ち着いている。 見れば、黒騎士の剣は振り抜かれる事無く、肩口で止まっている。 漆黒の獣の牙も同じだ。 深く突き立っているが、食い破る様な事は無い。 出血も心做しか少ない。 ビシャラバンガは大きな両の手の平で、確りと黒騎士と漆黒の獣の頭を掴んだ。 「行くぞ!! 見ろ、これが己の技だ!」 ビシャラバンガの背中から、魔力の翼が生える。 「コ、コレが翼!!」 ニャンダコーレは目を見張り、直ぐに彼の背中から飛び降りて、数身の距離を取った。 ビシャラバンガの背中に生えた翼は、金色に輝く。 その翼開長は6身程。 ビシャラバンガの巨体に見合う巨大さだ。 魔力の翼は明滅して、黒騎士と漆黒の獣を構成する魔力を分解しに掛かる。 分解された魔力は翼に吸収され、∞を描いて循環する。 先ず、漆黒の獣が徐々に体を削られて霧散した。 黒騎士も鎧の表面を徐々に削り取られて行く。 鎧の中から現れたのは、見知らぬ青年だった。 (人間……なのか?) ビシャラバンガは少し驚いたが、翼の展開を止めたりはしない。 依然として魔力の翼は黒騎士を蝕み続ける。 真面な肉体を持つ人間ならば、誤って魔力の翼で殺してしまう事は無い。 魔力の翼が分解するのは、飽くまで魔力だけ。 故に、魔法資質が低い者には効果が薄い。 しかし、ビシャラバンガも疑問を感じなかった訳では無い。 この黒騎士は不死身ではあるが、それ以外の特殊な能力を全く見せていなかった。 即ち、魔法使いでは無い可能性がある。 (とにかく、やってみれば判る事だ) ビシャラバンガは翼を畳まず、魔力を循環させ続けた。 黒騎士を構成する魔力は分解されて、ビシャラバンガの翼に吸収され、∞を描いて循環する。 漆黒の鎧を失った青年は、徐々に体をも削られて行った。 (やはり魔力で構成された存在だったか……。 この儘、止めを刺す!) もう黒騎士は人の形を留めていない。 魔力を削られて消滅する運命だ。 しかし、魔力の翼は一瞬にして消滅した。 弱々しい精霊だけの存在となっていた黒騎士は、ビシャラバンガから離れて再び実体化し、 鎧を身に纏う。 「ルヴィエラか!」 ビシャラバンガは周囲を見回して、ルヴィエラの姿を探した。 だが、どこにも彼女は居ない。 目に映るのは、どこまでも続く暗闇のみ。 だが、確かにビシャラバンガはルヴィエラの気配を感じている。 どこからとも無く、ルヴィエラの声が響く……。 「私の可愛い下僕を虐めてくれるな」 「姿を現せ!」 ビシャラバンガは虚空に向かって吠えるが、ルヴィエラは嘲笑するだけ。 「ホホホホホ、お前の目の前に居るでは無いか? ああ、私の様な巨大な存在と対峙した経験が無いのだな。 所詮は可弱い虫螻(むしけら)よ」 そう言われて、初めてビシャラバンガは感付いた。 夢の中で彼女と戦った時の事を思い出したのだ。 「……もしや、この空間その物が……!?」 「ホホホ、御明察。 賢い子は好きだよ」 この暗黒の空間全体がルヴィエラ。 彼女は闇の化身であり、闇その物。 ルヴィエラに救われた黒騎士は、跪いて謝罪する。 「ルヴィエラ様、お力になれず申し訳ありません……。 唯、己が無力を恥じ入るばかり」 「良い、良い。 それ以上は言うな。 無力が悪いのでは無い」 妙に優しい語り口で、彼女は黒騎士を容赦した。 自らが生み出した配下に対する態度では無いと、傍で見ていたニャンダコーレは感じる。 基本的に悪魔と言う物は、自らの配下を労いはしない。 優しく慰める事も無ければ、逆に無能を論って怒る事も無い。 それは自分が生み出した存在だからなのだ。 その扱いは我が子では無く、道具と同じ。 そもそも心を持たせる事が無い。 只管に忠誠を尽くして、命令通りに動くだけの物を求める。 自分自身で、そうなる様に設定して生み出したのだから、そこに過剰に愛情を注ぐ事自体が奇怪しい。 この配下は『特別』なのだろうと、ニャンダコーレは思った。 「さて、小鼠共……。 どうしてくれようかな?」 ルヴィエラは打って変わって、意地の悪い声でビシャラバンガとニャンダコーレを脅した。 「我が城に無断で乗り込んだ狼藉者共。 どの様に処罰しようと、私の勝手だろう?」 これにニャンダコーレは異を唱える。 「コレ、私達は堂々と正面から乗り込んだでは無いか! 挨拶をする間も無く、この様な暗闇に閉じ込められたのだぞ、コレ!!」 ビシャラバンガは彼の抗議を、何を馬鹿な事を言っているのだと呆れた心持ちで見ていた。 しかし、ルヴィエラには通じる。 「フーム、それは悪かった。 では、今からでも名乗るが良い」 ここでニャンダコーレは慌てず咳払いを一つ。 そして何時もの名乗りを始める。 「吾輩はニャダコーレ! 妖獣の祖先ニャンダカニャンダカの仇敵、ニャンダコラスの子孫である!」 ルヴィエラは呆気に取られた。 「……何だ、それは?」 「コレ、知らないのか?」 彼女は妖獣神話を知らなかった。 そもそも妖獣が魔法大戦以後の存在である。 旧暦の生まれで、しかも魔法暦の事を余り知らないルヴィエラは、妖獣とは余り縁が無かった。 「小さな事を一々憶える程、私は暇では無いからな」 退屈の権化の様な存在の分際で、ルヴィエラは偉そうに言い切る。 実際、彼女程の強大な存在であれば、妖獣の存在は些事だ。 特別な事が無ければ、興味を持って調べようとはしないだろう。 詰まり、ルヴィエラが何を言いたいのかと言うと、世間知らずや無知では無く、彼女にとって、 妖獣だの何だのは知る必要の無い、価値の無い物だと言いたいのだ。 その事実はニャンダコーレも認めざるを得ない。 余りに強大なルヴィエラにとっては、地上のあらゆる柵(しがらみ)が無意味で無価値。 妖獣だの、その仇敵だのと自己紹介した所で、それがルヴィエラの興味を引く訳も無い。 彼女は冷淡にニャンダコーレに問う。 「それで妖獣の仇敵の子孫とやらが、私の城に何の用なのか?」 「貴方の存在は、コレ、地上には大き過ぎるのだ」 「そうだろうな」 「それは、コレ、生け簀に鯨を放つが如くなのだ、コレ」 「ウム、ウム。 解る。 実に、実に」 ニャンダコーレの説明に、その通りだと何度も頷くルヴィエラ。 そしてニャンダコーレは結論を述べる。 「貴方に、コレ、この世界は狭かろう。 コレ、どうか静かに御退出願いたい」 「フフフ、嫌だと言ったら?」 「戦う事になる、コレ」 「アハハ、面白い。 生け簀の稚魚が鯨に敵うのか? 丸で養殖の雑魚が?」 ルヴィエラは高らかに笑って、この世界に生きる物達を見下した。 彼女は悪魔の本性を露に、暴論を語る。 「ニャンダコーレとやら、そなたは猫の様だな」 「コレ、猫では無い。 ニャンダコラスの子孫だ。 その違いは、コレ、猫と虎よりも大きい」 「どうでも良いよ。 それより、そなたも鼠を甚振る面白さを知っておるな?」 「斯様な遊びをしたがるのは、コレ、幼稚な物のみ。 コレ、年頃になれば、憐れみを覚える物だ、コレ」 「成る程、幼稚と言うのか……」 客観的に見て、ニャンダコーレの言葉は失言だ。 自らより強大な存在に対して、幼稚だと挑発したも同然。 ルヴィエラの怒りを買うのでは無いかと、傍で聞いていたビシャラバンガは予想して、身構えた。 しかし、逆にルヴィエラは楽しそうに笑う。 「抑、私は自制等と言う物とは無縁だったからな。 誕生以来、私の意に沿わぬ物は無かったよ」 「コレ、何一つか?」 「そう、何一つだ」 ルヴィエラは堂々と嘘を吐いた。 基本的に悪魔は嘘を吐く事を嫌うが、それは格が傷付くのを恐れての事。 旧暦に生きたルヴィエラは、戯れに吐く嘘を悪い事だとは思わない。 契約や誓約に関係しない嘘を、彼女は厭わない。 ルヴィエラは高らかに謳う。 「この世界も例外では無い。 未だ健気な抵抗を続けているが、果たして、果たして」 ビシャラバンガとニャンダコーレは共に警戒する。 ここで戦いになる事を覚悟したのだ。 しかし、ルヴィエラは小さく笑う。 「ホホ、可愛い奴等よ。 丸で人を恐れる子猫の様だ。 その爪も牙も、私を傷付ける事は出来ぬと言うのに……。 お前達如きに本気になる程、私も大人気無くは無い。 闇の牢獄で永遠の時を過ごすが良い」 そう宣告すると、彼女は黒騎士を伴って姿を消した。 ビシャラバンガとニャンダコーレは唯々立ち尽くす。 「見逃されたのか……?」 ビシャラバンガが問うと、ニャンダコーレは慎重に頷いた。 「コレ、その様で……あるな」 一度は安堵する両者だが、次なる問題は、ここからの脱出方法である。 「しかし、閉じ込められてしまった様だが、コレ――」 「取り敢えず、歩く」 ビシャラバンガの回答は単純だった。 動かなければ何も始まらないと言う信念の下、彼は暗闇に向かって歩き始める。 どこへと言う事も無く、唯真っ直ぐに。 ニャンダコーレは他に妙案も無いので、彼に付いて歩いた。 何も無い暗黒の空間では時間の感覚が狂う。 景色も何も変わらない中、もう何角も歩いている積もりになって、ニャンダコーレは不安を口にした。 「どこまで続いているのであろうな、コレ……」 「無限に続いているのかも知れん」 「コレ、怖い事を言ってくれるな」 両者共、何と無く感じていた。 ここからの脱出は不可能なのでは無いかと。 1人と1匹を徐々に冷気が蝕む。 「……寒くなって来たな、コレ」 「ああ、涼しくなっている」 両者共、後ろ向きな考えは口にしなかったが、それと無く感じていた。 この儘では、冷気で体が動かなくなる。 何も無い中、飲まず食わずで長時間耐えなければならない。 誰かがルヴィエラを倒すまで……。 一向に暗闇から抜け出せる気配が無く、ビシャラバンガは足を止めた。 「止めだ。 無駄に体力を消耗する結果にしかならん」 「ニャー……、どうする、コレ?」 「どう仕様も無い。 お手上げだ」 「コレ、諦めるのか?」 「何か案があるなら聞くが……」 ビシャラバンガはニャンダコーレを見て言ったが、ニャンダコーレにも案は無い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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