【伝奇】東京ブリーチャーズ・参【TRPG】 [無断転載禁止]©2ch.net
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201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。
――だが、妖怪は死滅していなかった!
『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。
帝都制圧をもくろむ悪の組織“東京ドミネーターズ”との戦いに勝ち抜き、東京を守り抜くのだ!
ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:4日程度(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)
関連スレ
【伝奇】東京ブリーチャーズ【TRPG】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1480066401/
【伝奇】東京ブリーチャーズ・弐【TRPG】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1487419069/
【東京ブリーチャーズ】那須野探偵事務所【避難所】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/9925/1483045822/ その混乱具合は、ポチの驚愕の声と共に素っ頓狂なツッコミを入れてしまった事や
>「ポチ君だっていきなりそんな事言われても困るよ! いくらたった一人の同族だからってそれはまた別問題じゃないか!
>それに会ってすぐ結婚申し込んでくるような輩は王国を乗っ取ろうとする悪い奴だから気を付けなさいってお母さんいつも言ってた!」
あのノエルがこの場面で一番まともな発言をしている事から察する事が出来るだろう。
>「いや、ちょっと、それは無理だよ橘音ちゃん……。
>君だって聞いてたんでしょ?僕はつい今さっき、あの子にフラれてきたばかりなんだよ?」
「しかも、失恋してたのかよポチ助……それで再告白ってなぁ」
右手で首筋を抑えながらぼやく尾弐。
もはや、一同総突っ込みと言う有様であるが、今宵の那須野は止まらない。
常になく芝居がかった様子で畳みかけ、
>「どうですか祈ちゃん!ノエルさん!クロオさん!褒めてくれていいですよ?」
最後は、そう締め括った。
何となく、那須野が勢いで乗り切ろうとしているのではないかと感じつつ、それでも尾弐は何とか言葉を絞り出そうとし
「……お、おう。凄ぇぞ。偉いな」
結局、世辞や護摩擦りに慣れていない男の口からは、そんな中身のない言葉しか出てこなかった。
>「本当に結婚するのは無茶として妻か彼女の振りをしてもらうのは実現できれば有効な作戦だろうな。
>それにしても協力を取り付けないといけないから説得は至難の業だけど……」
相対的にノエルのIQが跳ね上がっている事で場の混沌さは増すが――――比較的温い空気はここまでとなる。
続いて那須野の口から放たれたのは、彼の暴虐の化身である狼王への対策であった。
>「そこについても、ちゃぁんと対策は考えてあります。なに、簡単な話ですよ」
>「ボクたちはもう知っている、人狼の致命的な弱点を。でしょ?」
その根幹となるのは、『銀の弾丸』……狼男という妖壊に対しての、たった一つの冴えた殺り方
話を聞く尾弐は、口元を手で覆いつつ思考を巡らせてから、手を放し口を開く
「神にも怪物にも無敵はいねぇ……確かに、狼男を倒すならソレしかねぇか」
腕力でも魔力でもない。
人類が共有する概念こそが妖怪を滅ぼす。
尾弐自身も、種族による弱点を多く抱えるが故に、その手段の有用性は疑いようもないものであった。
さればこそ、銀の弾丸を中てるまでの綿密な計画が重要になってくる筈なのだが…… >「あ、クロオさんは今夜一晩ここに泊まって、安静にしてなくちゃダメですよ。チャオ☆」
那須野は、四日後の狼王の襲来の予告をし、策略を各自で思案する様に言ってから足早に立ち去ってしまった。
後に残されるのは、文字通り狐に摘ままれたような有様のブリーチャーズのメンバー達
>「……橘音ちゃんはさ、僕が失敗したらとか、考えないのかな」
>「失敗する訳ないって、思ってくれてるのかな。それとも……」
その中で、初めに立ち直ったのはポチであった。彼は、託された事に対しての不安を口にする。
けれど、その決意はとうに固まっていたのであろう。
己が望むことを貫かんと、言葉を続ける。
>「でも、どうせならもうちょっとカッコいいとこ見せてからの方が良かったなぁ。
>またフラれちゃったらどうするのさ、もう……」
そんなポチに対し、ノエルの言葉はひどく優しく暖かい。
>「何考えてるのか分かんないよあのキツネ仮面! だけど橘音くんはいっつもあらゆる事態を想定してるからね。
>もしうまくいったらラッキー程度の駄目でもともとの無茶振りかも。
>僕達も説得失敗しても大丈夫なように考えるからさ、心配しないで! だから思いっきりいってこい!
>もし駄目でもシロちゃんの場所さえ教えてくれればいいから」
ノエルとポチ、この二人が出会ってからの期間は左程に長くは無い筈だ。
だが、そうであるにも関わらず二人の間には信頼と呼べるモノが確かに横たわっていて
……尾弐にはそれが少し眩しく見え、だからこそ柄にもなく口を開く
「那須野の奴の事だ、失敗する可能性も考えてるだろ……ただ、上手くいって欲しいと思ってるのも間違いねぇと思うぜ」
そして一度咳をしてから、口元だけで小さく笑みを作ると、ポチの背中を軽く叩く。
「んでもって、それは俺も同じだ。……気張れよポチ助。女を口説くのに必要なのは、度胸だ。
伝えたい事を伝えた上での結末なら、どんな形に落ち着いたとしてもいつか納得出来る。だから、自分を誤魔化す事だけはするなよ」
――――――
午前弐時の病室。
ブリーチャーズの面々が立ち去ってから既に数時間が経過したその部屋で、尾弐は眠る事も無く天井を見上げていた。
先程までの喧騒がうその様に静まり返った室内で、夜闇の中に思い浮かべるのは、先の会話の一部分
>「自らの本来なすべきことを曲げてまで守った群れを、最愛の妻を、人間に鏖殺された」
>「そんな……それなら何も知らないままの方が幸せだったじゃないか!」
>「うん……妖壊は本当は待ってるんだ。止めてくれる誰かを」
恋を知り、情愛を知り、仲間を知り
その全てを奪い去られた果てに怪物……災厄の魔物と成り下がった狼王ロボ。
彼の王も、ある意味では哀れな被害者である――――等と、尾弐は思わない。
「……ノエル。人を殺した化物に相応しいのは、血反吐を吐いて、苦しみながら、醜く一人で死ぬ。そんな結末だけだ」
尾弐の脳裏に浮かぶ、2つの記録。
親に捨てられ、やっと得た安息の地すらも人の情念によって化生と化した事で奪われ……自暴自棄の殺戮の果てに、最期はその首を刎ねられた少年。
少年を匿い我が子の様に育てた罪の罰として、拷問を受けた挙句、死んだ化物の毒肉を食わされ絶命した男。
古い映画の様に流れるその記憶を辿りながら、尾弐は訪れたまどろみの中で呟く。
「怪物が救われちまったら、大事な存在を怪物に殺された奴が救われねぇだろ……だから、救われちゃいけねぇ。因果は廻らないと、嘘だ」
最期に浮かぶのは、1匹の化物の記憶。
生まれてからひたすら苦痛を受け続けた醜い化物の記憶を辿りながら、尾弐はようやく瞳を閉じ、その意識は闇に堕ちていく――――。 >「帰って来ないじゃないかぁああああ! あのキツネ仮面!」
「急にデけぇ声出すな色男。今何時だと思ってんだ」
満月の下で、尾弐はノエルの声に対して耳を塞いでいた。
尾弐はノエルと一緒に今日の昼ごろから今まで、SnowWhiteで銀の弾丸を用意してくる予定の那須野を待っていたのだが……
規定時刻を大幅に超えた事で、どうやらノエルの我慢が限界に達したらしい。憤懣やるかたないといった様子で、先ほど叫び出したのだ。
尾弐はそのノエル程に落ち付く様に声を掛けつつも、遅すぎるという事には同意しているのだろう。
先程から入口のドアに何度か視線を向けている。
だがそれでも――――那須野橘音は現れない。貴重な時間だけが経過していく。
>「どうしよう、このままじゃシロちゃんさらわれちゃうよ……。
>もし橘音くんが間に合わなくてもシロちゃんだけでも逃がさなきゃ。ポチ君、シロちゃんの場所まで案内して」
「攫われちまったら本末転倒だからな……仕方ねぇ。ポチ、悪ぃが宜しく頼むぜ」
口火を切ったのは、ノエルであった。
今宵は、時間との勝負でもあり、このまま待っていてはニホンオオカミのシロが攫われかねないと、そう思うのは当然と言えるだろう。
尾弐もその考えに渋々ではあるものの賛同を示し、ポチへと案内を頼む事にした。
――――
ビルの屋上では、ポチとシロが今まさに対峙し、何かしらの会話を繰り広げている。
尾弐は、傍に在った自販機で購入したノンアルコールビールを飲みつつその様子を眺めていたが
>説得うまくいったのかな?」
「さて。どうだろうな……オジサン、狼語はサッパリなんだよ」
どうにも、その状況が掴めない。シロが協力を承認してくれたのであれば話は早いのだが
色恋や様々な物が絡んでいるだけに、事がスムーズには進むとは限らない。
ただ一つ確実なのは――――この状況であれば、いずれ狼王は現れるという事くらいであろう。
>「仕方がない……もし間に合わなかったら僕のシルバーアクセサリーを供出しよう。この十字架のやつなんか効きそうじゃない?」
「……お前さんがそれを幾らで買ったのかは聞かねぇ方が良いんだろうな。とりあえず、これ持っとけ」
そんな最中、待機状態に耐えられなかったのかノエルが小物入れからジャラジャラとシルバーのアクセサリーを取り出す。
尾弐はそれを見た瞬間に、ぼったくられたんだろうな、という失礼な確信を抱きつつノエルに小さな木箱を手渡す。
その中に入っているのは――――純銀のナイフとフォークが、それぞれ10本づつ。
「食器屋で買った銀のナイフとフォークだ。弾丸じゃねぇが、西洋妖怪に対してなら牽制にはなんだろ。
奴さんたちの文化じゃ、銀はそれ自体に退魔の効果が有るみてぇだからな
……一応言っとくが、結構高かったから大事に使ってくれよ?」
……この4日間。尾弐は病院で療養していた訳ではない。
狼王対策の為に使えそうなものを片っ端からかき集めていたのだ。
その内の一つがこの銀食器であり、これ以外にも後二つの品物を持ってきている。
ムジナの伝手を使って手に入れた『猟銃』
そして、もう一つは『銀紙に包まれた長方形の物体』
無論、これらの全てが役に立つ事は無いであろうし、そもそも効果があるのかすら定かではない。
だがそれでもきっと……何も無いよりはマシであろう。 尾弐がポチの心の裡にあるハードルを下げる為に投げかけた、
ペルシアだかで使われたと言う歴史ある戦法を使うかという質問を却下した後、橘音は祈の問いに答えた。
>「ハードル上げすぎですよ祈ちゃん!?……いえ、そのくらいの策を考えなければ、ボクも指揮官失格というものですが」
>「まぁ、この天才狐面探偵にドーンとお任せあれ!今回もスマートに片付けてご覧に入れましょう!」
そう言って頼もしく笑って見せる。
祈もまた尾弐と同様に、ポチ(とついでに自分)の心の裡にあるハードルを下げる為の問いを橘音にぶつけた。
代わりに橘音のハードルは極限まで爆上がりしているのだが、橘音はそれに応えると言ってくれた。
つまりは、橘音は自身が苦労を負ってでも仲間の気持ちを尊重すると言ってくれたのである。
ただ冷徹にロボを殺す算段を立てるのではなく。
「さっすが橘音!」
嬉しくなったので、合いの手を入れてみたりする祈であった。
>「さて。彼を知り己を知れば百戦殆からずということで、作戦をお話しする前に皆さん、狼王ロボについてお勉強しましょう」
そう言って橘音が取り出したのは、いつも妖怪を召喚しているあのタブレットだ。
>「お勉強の時間にしては、ちょっと深夜すぎますが……祈ちゃん、眠くても我慢してくださいよ?」
そして、勉強と聞いて僅かに嫌そうな顔をする祈に、悪戯っぽく言うのだった。
言われて祈が壁に取り付けられた時計を見てみれば0時を過ぎている。
それを知ったからか、急に眠気が押し寄せてきて欠伸が零れた。
軽く仮眠を取ってはいるが、今日は色々なことがあり過ぎた。
尾弐がベッドの端に腰かける体勢になった為、ベッドが空いている……。そのことに気付いて
横になりたい衝動に駆られた祈であったが、我慢してと言われた故、致し方なしと、眠い目を擦って橘音の話に耳を傾けることにした。
>「菅原道真公・著『2017年度版 森羅万象妖怪大宝典(アプリ版)』によれば――」
タブレットには狼王ロボに関する様々な情報が映っているらしく、
橘音はそれら情報を参照しながら仲間達に向け語り始める。
そして齎された狼王ロボの話は、祈の目を覚ますには十分な程、痛ましい響きを帯びていた。
ロボは本来、人間の“獣に対する恐怖”が形となった存在だと言う。
故に本来の名を、『獣(ベート)』。ジェヴォーダンと呼ばれる山岳地帯に出没する為、
現代になって『ジェヴォーダンの獣』と呼称されるようになったらしい。
彼は人々から畏れられる獣(ベート)であったが故に、次々に人間を襲い、殺していった。
“そういう存在”として生まれたのだから、それも自然の流れなのであろう。
殺した人間の数は100人とも言われている。
しかし彼はいつしか、生まれながらに“そういう存在”でありながら愛を知り、
妻を娶り、仲間と生きる『狼王ロボ』となった。
仲間と愛する妻を守るために、人を襲おうとする己の性を封印して生きるようになったと言うのである。
だが人間達は土地を拓いた。
狼達の領分を侵し、住処と生きる糧を奪ってしまった。
妖怪であるロボと異なり、ブランカや仲間はただの狼である為、食物がなければ飢えて死ぬ。
ロボとその群れは仕方なく家畜を襲って食い繋いでいたが、人間達はそれを許さなかった。
訪れた結末は、ロボの妻の死という残酷なものであった。
ロボが精神的なショックで人間に囚われ、死を迎えたことで事件は収束。群れも滅んでしまった。
彼が獣(ベート)として100人もの人間を殺した過去。
それが、改心し人を襲わなくなったからと言って許されるとも思わないが、だがあまりにも残酷だ。
人に“そういう存在”になるよう願われて生まれ、望まれたからこそ人を襲って罪を犯したのに。
今度は人によって住処を、仲間を、妻を奪われて。
人の都合で左右されてしまうその生を聞くと、祈はロボが敵であると言うのに、同情せざるを得なかった。 ロボの正体について一通りのレクチャーをし終えた後、橘音は作戦の内容へと話を戻した。
ロボにとって仲間と、取り分け妻であるブランカは己に秘めた魔性を抑え込んでしまえる程に大事な存在だった。
それは人間で例えるなら、食べたくとも食べず、眠たくても眠らず、という感覚に近いものだっただろう。
それをやってしまえる程に愛した者が今、シロという形で現れた。
……とロボは思っている。その認識こそが大事なのだと橘音は語る。
ではその認識を逆手に取って、どのようにロボの弱点を突くかと言えば。
>「そこで、ポチさんの出番です。ポチさん、あなたは――」
>「シロさんとつがいになるのです」
と言ってのけた。数秒の沈黙。
>「……え、えぇええええええ!?」
>「いや、流石にあさっての方向ににアクセル踏み過ぎじゃねぇか!?」
ポチの驚愕の声が上がり、尾弐も思わずツッコミを入れる。
>「ポチ君だっていきなりそんな事言われても困るよ! いくらたった一人の同族だからってそれはまた別問題じゃないか!
>それに会ってすぐ結婚申し込んでくるような輩は王国を乗っ取ろうとする悪い奴だから気を付けなさいってお母さんいつも言ってた!」
ノエルもまた即座に異議を唱えた。
それも無理からぬ話だろう。ポチとシロは昨日会ったばかりで、ついでに先ほど振られてきたばかりだ。
説得もできるかどうかという状態であるのに、いきなりつがい(夫婦)になれという指示するなど、
順序がめちゃくちゃも良いところである。段階というかそういうものを幾らかすっ飛ばしてしまっている。
しかし祈は、そのアクセル全開で明後日にすっ飛んでいくような、橘音のこの発想が存外嫌いではなかった。
シートン動物記に倣い、シロを殺害するような方法でも狼王ロボを止めることは叶うだろう。
シートン動物記の話を怪談の類だと捉えている者はこの世には極少数であろうが、
狼王ロボがブランカを失えば精神的なショックから無力化されてしまうというのは、この話を知る人間にとっての共通認識。
そして人々がそうあれかしと思えばそうなるのが妖怪であるというのなら、
この共通認識は、吸血鬼が十字架やにんにくを苦手にしているのと同様、『妖怪・狼王ロボの弱点』として成立することになる。
故にブランカの死――この場合はシロの死は、ロボの精神を殺す銀の弾丸となり得るのである。
しかし。
>「ロボとブランカは夫婦だった。そして、その絆は何よりも強固だった――それは、皆さんもご存じでしょう」
>「その、夫婦の絆を破壊する。そうすれば、ロボの精神はズタズタに崩壊することでしょう。その瞬間、空隙は必ず生まれる」
>「ロボを倒すことができるチャンスは、その一度きりだけ。そのとき、他の四人が全力で彼を攻撃する――」
>「うまくいけば、戦いは一瞬で終わる。誰も傷つくことなくね……どうです?素晴らしい作戦と思いませんか?」
橘音が選んだ方法は、ポチがシロとつがいになることでロボに精神的な衝撃を与え、
ロボが博物館でシロを発見した時のような完全に無防備な状態を生み出すというものだった。
確かに、死んだ妻と再会できたと思ったら別の男の妻になっていたとなれば、それはかなりの衝撃となるだろう。
精神を殺す銀の弾丸とはならないまでも、ロボに隙が生まれるのは間違いない。
ロボにとってはショックであろうが、シロの殺害によるロボの無力化策と比べればどれほど平和的か。
シロが危険に晒される可能性も少ないと思われるし、祈としては不満はない。
挟まれるポチの疑問をスルーして、橘音は話をこう結ぶ。
>「ポチさんは念願の仲間だけでなく、お嫁さんまで手に入る!ロボは倒せる!まさにいいことずくめでしょう!」
>「どうですか祈ちゃん!ノエルさん!クロオさん!褒めてくれていいですよ?」
あらかじめこのように考えていたのか、それとも仲間の言葉に耳を傾けて変更を加えたのかはわからないが、
どちらにせよこの作戦は祈にとって悪いものではないように思えた。
>「……お、おう。凄ぇぞ。偉いな」
えへんとばかりに胸を反らす橘音に、ぎこちない世辞の言葉を向ける尾弐。
先程ツッコミを入れていたところからも、今の説明で納得していないのだろうと思われるが、
ケチを付けて話を停滞させるよりも、とりあえず褒めて話を先に進めようと思ったのかもしれない。
何せ肝心の部分について橘音は触れていないのだ。 「偉いぞ橘音! で、ポチとシロが夫婦になる方法は?」
ベッドに手を掛け、身を乗り出して祈は問う。 そう、つがいになる方法である。つがいになれと言われても、ポチやシロにも気持ちがあり、
先述したようにファーストコンタクトはよろしくなかった。無策ではあまりに厳しい。
しかしどうしたことか、それに対する返答はない。
ポチも疑問を挟むが、橘音はそこで話は終わったとでも言うように答えない。
「……ねーのかよ!?」
ポチとシロがつがいになるという方針だけを示してあとはお任せ、ということらしい。
それはポチに対する信頼故か。それとも失敗しても大丈夫なように次の策を考えているが故に任せられるのか。
その表情は狐面の奥に隠されていて探ることは叶わない。
橘音は話を更に前へと進める。
>「……それから。例え隙を作れたとしても、あのフィジカルモンスターを倒しきれるのか?皆さんそれが疑問ではありませんか?」
結局、つがいになる方法についてなんら具体策を示すことなく、
ポチがつがいになれること前提で話を進めてゆく。
そして四日後の満月の夜、人狼たるロボは抑えが効かなくなりシロを狙って動くであろうことと、
それに合わせ、人狼の弱点である銀の弾丸を自分が調達して来ること、
更に、つがいになった二人を見てロボが無防備になった時に、銀の弾丸をより確実に当てられるよう何らかの方法を考えておくようにと
ポチ以外の三人に宿題のように言い残して。
>「それじゃ、四日後の満月の夜にお会いしましょう!今夜はこの辺で!」
>「あ、クロオさんは今夜一晩ここに泊まって、安静にしてなくちゃダメですよ。チャオ☆」
病室を出て行ってしまう。
取り残された4名は、それを見送るしかない。
>「……橘音ちゃんはさ、僕が失敗したらとか、考えないのかな」
>「失敗する訳ないって、思ってくれてるのかな。それとも……」
やがてポチがそう零す。
>「何考えてるのか分かんないよあのキツネ仮面! だけど橘音くんはいっつもあらゆる事態を想定してるからね。
>もしうまくいったらラッキー程度の駄目でもともとの無茶振りかも。
>僕達も説得失敗しても大丈夫なように考えるからさ、心配しないで! だから思いっきりいってこい!
>もし駄目でもシロちゃんの場所さえ教えてくれればいいから」
不安そうなポチに声を掛け、励ますノエル。
>「那須野の奴の事だ、失敗する可能性も考えてるだろ……ただ、上手くいって欲しいと思ってるのも間違いねぇと思うぜ」
尾弐もそれに続いた。
二人が言うように、そして恐らくポチも察したように、橘音は失敗した時のことも考えてくれているだろう。
なにせポチが失敗すれば、ロボが無防備になるという事態がまず起こらない。
そうなればシロが奪われるだけに留まらず、その場に集合してしまったブリーチャーズは皆殺しで、当然橘音も殺されてしまうのだ。
失敗したらどうなるかが分かり切っていて、失敗する可能性は決して低くはない。
そんな状況でリーダーたる橘音が次善の策を考えないと言うことはあり得ないのだから。
>「んでもって、それは俺も同じだ。……気張れよポチ助。女を口説くのに必要なのは、度胸だ。
>伝えたい事を伝えた上での結末なら、どんな形に落ち着いたとしてもいつか納得出来る。だから、自分を誤魔化す事だけはするなよ」
尾弐は咳払いをして、ポチの傍まで歩み寄るとその背を優しく叩いてやる。
>「……正直、あんまり自信はないけどさ。それでも、やってみる。頑張るよ。
>さっきは無理だなんて言ったけど……ホントはずっと、願ってたんだ。
>あの子と出会う前から。あの子の同胞になる事を」
二人の言葉に励まされたか、ポチもやる気を見せる。
>「うん、橘音くんもいない今あの子と話せるのはポチ君しかいないんだ。ああ、僕に動物の言葉さえ分かれば一緒に協力要請できるのに!」
「……御幸が混じると話がややこしくなりそうだな」
祈には、シロとコミュニケーションをとるために犬耳を付け、四つん這いになるノエルがすぐさま想像できてしまった。
シリアスな雰囲気で告白するポチとそれを受けるシロ。そこに上記の状態のノエルが混じろうとすれば、シロとて困惑を禁じ得ないだろう。
……かなり失礼な想像をしてしまった気がして心の中でノエルに謝る祈。
それはさておき、協力要請だ。つがいになれと橘音は言うが、何も本当になる必要はない。
当初話していたような説得寄りの行動だが、協力を頼み、つがいになったと見せかけるだけでも策としては成立すると思われた。 >「でも、どうせならもうちょっとカッコいいとこ見せてからの方が良かったなぁ。
> またフラれちゃったらどうするのさ、もう……」
「シロを助けたい、守りたいっていう素直な気持ちを伝えたらなんとかなったりしない……かな?」 ポチは匂いで気持ちを察知できる。とすればシロも同様のことができるだろう。
それはつまり、どんなに上辺で愛を囁こうとも本心を見抜かれるということだ。
ロボから守る為に、出会ったばかりで君のことを良く知らないけどつがいになって欲しい、などと思ってしまえば
それすら見透かされてしまうのだろう。
だからこそ誤魔化しなどせず、君を助けたいから協力して欲しい、助けたい、守りたい。
そんな素直な気持ちを正面からぶつけた方がシロも分かってくれるんじゃないか、なんてことを祈は思う。
夫婦になるのではなく、夫婦になったと見せかけることに全振りと言うか。
当然、シロがポチと夫婦になってくれるのならそれに越したことはないのであるが、
偽りは信頼をむしろ損ねてしまい、それこそ夫婦になるどころではなくなってしまうだろう。
>「……本当、どうなったって知らないよ」
そう呟いて、ポチも病室の外へ消えていく。
「じゃ、残ったあたしらは作戦会議だな。議題はどうやって銀の弾丸をロボに当てるか。
ったく橘音の奴、大事なとこはあたしら任せなんだか――ふぁ……」
言いかけて、欠伸が自然に出てくる。
0時を過ぎて暫し。時計の短針は1に近付きつつある。
>「中学生はもう寝なきゃ。家まで送っていくよ。明日うちの店に集合ね」
祈の様子を見かねたらしく、ノエルがそう言った。
その視線が祈から尾弐にも移ったのを見るに、尾弐も安静にさせておきたいらしい。
「……そうする」
自分が足を引っ張ってしまっているようで少し後ろめたいが、まだ時間はある。
一度寝てすっきりした頭で考えた方が良策も浮かぶだろうと、そう思うことにした。
「じゃ、尾弐のおっさん。また明日ね」
そう言って病室を後にし、病院を出た。
送ってくれると言うのでノエルと並んで歩く。
というか、女子とは言え仮にも妖怪の血を引いている自分を送っていくとか
御幸の癖に生意気だぞ、いやむしろあたしが送る側だから、道路側はあたしが歩くんだからな、
などと祈が考えていると。
>「祈ちゃん……一緒にシロちゃんを守ろうね」
ふと、難しい表情でそんなことをノエルが言う。
「……あん? なんだよ、急に」
祈はノエルの意図も分からぬままに答えた。
失敗した時のことを考えてしまったのだろうか、と答えてから思う。
もしブリーチャーズの作戦が失敗すれば、ロボはシロへと辿り着く。
シロはブランカであると判断されても、どこかへ連れ去られるなど碌なことにならないし
ブランカでないと判断されたならば、満月に気の昂ったロボのことだから
「紛らわしい事をしやがって」と激高して殺してしまうかもしれない。
それを考えて、急に不安になったのだろうか。
それとも。もしかすれば。
「もしかしてロボが怖くなったのか? だーいじょうぶだって。あっちが狼王なら、御幸だって雪の女王なんだぜ?
それにみんな一緒だし。きっと上手く行くって。な? 御幸!」
祈はノエルの背をばしばし叩きながら、努めて明るく言う。
もしかすれば。きっちゃんを思い出したのかもしれない。
自分達が失敗した場合に訪れるであろうシロの不幸。最悪は死が待っている。
想像したそれがきっちゃんの死と重なり、急に恐怖が込み上げてきたのかもしれなかった。
(や、これじゃ言葉が違うか)
ノエルは雄弁な青年だが、時々多くを語らなくなる。
そんな時は何を思っているかはわからないのだが、
もし祈の想像通り、恐怖していて祈を頼ってくれたのであれば、言ってやるべき言葉が違う気がした。
「いざって時はあたしが何とかするから、心配すんな」
抱いてる恐怖を吹き飛ばすような言葉が必要だと思い、祈は力強く言う。
狼王という強大な相手に、祈のような力足らずの半妖ではできもしない約束。
だがしかして、その目に曇りや偽りはない。
約束を破るつもりも、己の言葉を違えるつもりも一切ないのである。 翌日、寝るのが夜遅くであった為に昼まで寝ていた祈だったが、やがて祖母に叩き起こされた。
旅行先にいる筈なのに何故自宅に戻ってきているのか等問い詰められながら遅めの朝食を摂り、
その後、ノエルの召集を受けてSnowWhiteへと向かう。
扉を開けてみると、店内はがらんとしていた。
客の姿がないのは、本来なら店主のノエルが旅行に行っている筈であり、
『数日間留守にするため閉店』という主旨の貼り紙がされている故だろう。
そして銀の弾丸を調達すると言って消えた橘音は勿論、
シロとつがいになる策を練ろうと頭を悩ませているであろうポチも、更には尾弐の姿もそこにはない。
恐らく病院で安静にしているか、別口で作戦を練っているのだろう。
いるのはただ一人、ノエルのみ。二人きりの作戦会議になってしまったようであった。
こちらの作戦はラインなりメールなりで尾弐のおっさんに伝えればいっか、
などと思いながら、祈が挨拶もそこそこにテーブルに着くと、ノエルも椅子に腰かけて、作戦会議が開始される。
そこで開口一番に、ノエルはこう言った。
>「まずは――置きっぱにしてきた天神細道を回収してこよう!」
天神細道とは、橘音の持つ七つ道具の一つであり、
その鳥居を潜ればどこへでも行くことができるという不思議な力を備えた道具である。
「天神細道って、橘音が持ってたあの鳥居みたいなやつ? なんで?」
ブリーチャーズが迷い家から東京へ戻る際、先んじて走ったポチに追いつこうとして使用したのだが、
天神細道は一方通行で、ある作品の秘密道具のように空間と空間を繋げるドアが残ったりはしない。
その為、潜ってどこかへ行くと、天神細道はその場に残されてしまう。
つまり、迷い家の玄関に置きっぱなしになってしまっている訳であるが、
それを今回収する意味が祈にはわからなかったのだった。
>「くぐった後に後ろを振り返っても何も無かった。
>つまり……あの鳥居の向こうから撃てばロボから見れば虚空から見ればいきなり弾丸が現れたようになるんじゃない?」
ノエルは答える。
「……あ」
そこでようやく、祈にもノエルの言わんとしていることが分かりかけてきた。
それは“移動の手段”を“攻撃の手段”として用いるという、神懸かり的な発想に基づいたもの。
>「狙撃班は天神細道を持って安全な場所に待機。現場班はポチ君と一緒に行って大体の場所を狙撃班に伝える。
>あとはゲートの出口をゼロ距離に繋げて撃ちこむだけ!」
即ち、『天神細道を使用した安全圏からのゼロ距離狙撃』こそが、ノエルの出した答えなのだった。 「……天才かよ」
祈も感嘆の声を漏らさざるを得ない。
何せこの発想は、この状況を引っくり返しうる可能性を大いに秘めている。
行きたい場所にどこへでも行けるという天神細道。
その詳しい使用条件は分からないが、もしそれが
『大雑把に思い浮かべた場所でも移動できる』、
『人間や妖怪でなく物質だけでも移動させられる』というようなものであれば、
まさにロボの背後を思い浮かべて鳥居に銀弾を撃ち込むだけで全てが終わるのである。
生憎ここに銀の弾丸はないが、アクセサリーショップで売られている“銀を加工して指輪を作れる”、
という作成キットを用いて作ってしまえばいいし、
もしくは尾弐の握力で銀の食器などを握りつぶして丸めてしまってもいいだろう。
とかくそれを天神細道の元に辿り着くや否やロボの背後を思い浮かべて投擲するなりすれば、
三日後を待つまでもなくこの戦いは終わるのだ。
もしそのような緩い使用条件でなかったにしても、その利用価値は計り知れない。
『移動したい座標を予め設定しなければならない』、『移動したい場所を正確に思い浮かべなければならない』、
というような使用条件だった場合は、狙撃班は天神細道と地図を持って、
ポチとシロが会う場所を見渡せるような高台にでも移動すれば良い。
目視でポチ達やロボを確認できるのなら、正確に座標や場所を知り、設定したり思い浮かべることができるだろうから。
また『移動には妖気などの対価が必要であり、
銀の弾丸など物質だけを移動させることはできない』というような条件があるとしても、
銀のナイフなどで武装して鳥居からロボの背後に飛び出せば、
匂いも音もせず瞳にも映らない故に、あのロボにとってさえもほぼ確実な奇襲となる。
シロや仲間を咄嗟に逃がす『逃げ道』や、あるいはロボを直接倒すにも使えるかもしれない。
下手をすれば『妖怪大統領』すらも打倒しかねない、結界破りどころか掟破りの発想力に、祈は身震いする。
「じゃ、足の速いあたしが取って来るから、その狙撃方法が有効かどうかはあたしが取ってきてから試すとして……」
祈は言いながら、椅子から立ち上がる。
祈の身長ほどもある大きな鳥居を持って電車には乗れないから、誰かが車を出すのが手っ取り早いのだろうが、
ここには運転できる者がいない(実際にはノエルが運転できるらしいのだが、三歳なので運転できないと祈は思っている)。
車が使えないのであれば、天神細道は祈のような足の速い者が取って来るのが良いだろう、と祈は判断したのである。
幸いにも迷い家までの道は覚えていた。
「御幸は寝てんだぞ? 今日の御幸は冴え過ぎてる。もしかしたら熱でもあんのかもしれないからな」
にっ、と意地悪そうな笑みを浮かべて、祈はノエルに言う。
その後、特に問題がなければ祈は、行きは電車やタクシーを乗り継ぎ、帰りは天神細道を持ったまま走り、大体半日ほどで戻って来るだろう。
天神細道は橘音が持ち運びするくらいだから然程重い物ではない筈であるが、必要ならば他の妖怪の力を借りて持って帰って来ると思われた。 そして満月の夜が。決戦の日がやってきた。
この日までに祈はノエルと共に天神細道の利用方法を理解し、戦略を練り終えている。
あとは橘音の到着を待つばかりなのだが、一向にその姿は見えない。 >「帰って来ないじゃないかぁああああ! あのキツネ仮面!」
>「急にデけぇ声出すな色男。今何時だと思ってんだ」
ノエルも尾弐も焦れていた。
空には雲に隠れることなく満月が浮かんでいる。今宵、間違いなくロボは動くのだ。
それが何時なのかすらわからない以上、早く動かなければと、祈の気持ちも焦っていた。
>「どうしよう、このままじゃシロちゃんさらわれちゃうよ……。
>もし橘音くんが間に合わなくてもシロちゃんだけでも逃がさなきゃ。ポチ君、シロちゃんの場所まで案内して」
>「攫われちまったら本末転倒だからな……仕方ねぇ。ポチ、悪ぃが宜しく頼むぜ」
こうなれば橘音が不在でも動くしかない。
銀の弾丸の代わりとなるものは一応祈も用意してきているし、
どうやら尾弐もこの四日間でロボの対抗策を練り、何らかの武器を用意してきたようであるし、
作戦自体は変更することなく決行できそうではあった。
ポチに案内を頼み、ブリーチャーズはSnowWhiteから出て、とあるビルへと向かった。
天神細道を頭上に掲げるような形で持って続く祈。
辿り着いたのは博物館からそれ程離れていない、この付近で最も背の高いビル。
その屋上にシロがいるとのことであった。
ノエルと尾弐が屋上に向かうので、必然的に狙撃班となった祈は、
ビルに入る前に仲間達と別れて、少し離れた他のビルの屋上へと登った。
そのビルの屋上は風下であり、またシロが待つビルから僅かに離れている故に、
余程運が悪くない限りはロボに見つかることもないだろうと思われた。
祈はそこに天神細道を設置し、ポチとシロの様子を窺いながら、ロボの出現を待つ。
(いつでも来てみろ、狼王ロボ。あんたの動きが止まった瞬間、この銀をぶち当ててやる)
離れた場所からでは、ポチとシロがどうなっているのか詳しく分からない。
だが上手くいっていると良いなと、そう思う。 橘音の持つ狐面探偵七つ道具は、橘音が東京ブリーチャーズを結成するにあたり日本全国の大妖怪から借り受けたものである。
所有者の妖力と引き換えにありとあらゆる妖怪を瞬時に召喚する『召怪銘板』は魔王・山本五郎座衛門から。
回復機能を持つ簡易結界として働き、どんなものでも収納しておくことができる『迷い家外套』はぬらりひょんの富嶽から。
動物、植物問わず森羅万象あらゆる生物と会話が可能になる『聞き耳頭巾』は橘音直接の上司・白面金毛九尾の玉藻から。
そして、向かうだけなら地上はおろか天上、冥府にまで行ける『天神細道』は天満大自在天神(菅原道真)から。
残り三種類の道具も、それぞれ名の知られた大妖怪の所有していた超一流の妖具である。
そんな天神細道の利用に、難しい条件は必要ない。『○○へ行きたい』と願ってくぐれば、どこだろうと移動は叶う。
その辺りは超一流妖具らしいと言うか、極めてご都合っぽいふわっと加減であった。
同様、『物品を○○へ』と念じながら鳥居に投げ込めば、正確な場所に移動させることもできる。
つまり、ノエル発案の狙撃は可能である、ということだ。
もっとも、『銀の弾丸をロボの体内に』などという使い方まではできない。
あくまで、ロボへの狙撃は狙撃担当者が目視で行う必要がある。
>じゃ、足の速いあたしが取って来るから、その狙撃方法が有効かどうかはあたしが取ってきてから試すとして……
「あら、まあ。祈ちゃん?」
祈が迷い家へ戻ってきたのを見て、宿の玄関先で掃き掃除をしていた女将の笑はほんの僅かに驚いたような声を上げた。
二泊三日の予定だった東京ブリーチャーズが一泊しただけで帰ってしまったので、心配していたらしい。
なお客室は綺麗に片付け、荷物はそのままにしてあるという。
「鳥居?ああ……玄関先に置いてあった、あれ……。三ちゃんの持ち物だったの?ちょっと邪魔だったから、どけてしまったのだけれど」
眉を下げ、右手を頬に沿えて言う。困り顔でもやっぱり目は笑っている。
話によると、鳥居は邪魔なので建物の裏手に移動させたという。
まがりなりにも客商売だ。玄関先に絶妙にくぐり辛い鳥居がでんと置いてあっては、商いに差し支えるだろう。
実際、祈が迷い家の裏手に回ると、樽や桶といったものと一緒になって天神細道が壁に立てかけてあった。
鳥居は大きめの脚立くらいの重さがあるが、祈でもなんとか持ち運べる。
そして、祈が天神細道を抱えて東京へ戻ろうとした、そのとき。
「せっかく戻ってきたのに、すぐとんぼ返りか。忙しないことぢゃの、颯(いぶき)の仔」
祈の背後で、そんな嗄れ声が聞こえた。
見れば、羽織に着流し姿の小柄な老人が杖をつき、木箱を持った一本ダタラを伴って立っている。
日本妖怪のご意見番にして迷い家の主、ぬらりひょんの富嶽だった。
「狼の捕獲はうまくいっとるか?たっぷり飲み食いさせたんぢゃからな、それに見合った働きはして貰わんと」
そう言って、富嶽は長い頭を揺らして笑った。
「それにしても……まさか、颯の仔が妖壊退治とはの。いや、血は争えんということか?」
「あやつがよく許したものぢゃ。娘のあの末路を考えれば、孫に同じ道を歩ませるなど到底認められんことぢゃろうに、の」
いかにも含みのありそうなことを言う。が、祈が問いを投げかけたとしても、富嶽はうまくはぐらかしてしまう。
「まあよい。颯の仔よ、折角来たんぢゃ。土産を持って行け」
富嶽は脇に控えている一本ダタラにちらりと目配せした。すぐに、一本ダタラが持っていた木箱を祈に差し出してくる。
迷い家を訪れた者は、ひとつだけ土産を持たされる。それが木箱の中身ということのようだった。
「開けてみい」
富嶽が促す。――木箱の中に入っていたのは、一足の靴だった。
しかし、ただの靴ではない。ベルトで固定された深紅のショートブーツの靴底に、四つのウィール(車輪)がついている。
それは、いわゆるインラインスケートというものに酷似していた。
「『風火輪』。履いた者の妖力を用い、速度を無限に上昇させる妖具ぢゃ」
「扱いの難しい妖具ぢゃが、使いこなせば空を走ることもできる。かつて唐土の??という妖が用いた妖具であり――」
「……お主の母、颯が使っていたものぢゃ」 風火輪。宝貝と呼ばれる、大陸産の強力な妖具である。
中国三大奇書のひとつ『西遊記』によれば、??はその宝貝を用いて自在に天を翔けたという。
ひとたび履けば靴底のウィールは紅蓮の炎を纏い、ターボババアの限界を超えた速度を出すことができる。
熟練すれば伝説の通りに空を翔けることも可能になるだろう。また、工夫次第では強力な武器にもなる。
炎を纏ったブレード部分での蹴りは斬撃にもなるし、風火輪のスピードでただ飛び蹴りするだけでも相当な威力であろう。
敵から離れた場所より蹴りを放つことで、炎を飛び道具として投射することもできる。
が、他の超強力な妖具がそうであるように、この風火輪も使用者の妖力を容赦なく吸い上げる。
また、使用者に高い身体能力も要求する妖具である。生中な運動神経では、まともに走ることもおぼつくまい。
「お主の母は、それをうまく使いこなしておったが――お主はどうぢゃろうの?」
いかにも意地の悪そうな笑みを浮かべ、富嶽はそう言って祈を送り出した。 満月の夜。上野で一番高いビルの屋上で、皓白の月光を全身に浴びながら、二頭の狼が向かい合う。
>また、アイツが来るよ。だから君に言いに来たんだ
>……ここを離れて、逃げるんだ。後の事は、全部僕に任せて
《…………》
シロはなにも言わない。ただ、ポチの声なき言葉に耳を傾けている。
ポチが近付く。その身体から、なつかしいにおいが漂ってくる。
植樹された人工のものではない、ありのままの草木のにおい。
舗装されたアスファルトのものではない、地面の。土のにおい。
……自然の、におい。
>僕のにおいを辿っていくんだ。そうすれば、山に帰れる。君が元いた山じゃないかもしれないけど。
ポチが選んだのは、偽りでも夫婦の契りを交わしてくれというのではなく。
狼王を打倒するために協力してくれというのでもなく。
ただ、シロを遁がす。ロボの、いやロボだけではない――何者の手も届くことのない、深い自然へと彼女を還すという選択だった。
それはニホンオオカミの捕獲を依頼した富嶽の意向とも、またその依頼を引き受けた橘音の意向とも違うもの。
……そして。ポチ自身の、いつか仲間と巡り合って――という夢とも、違うもの。
《……あなたは……》
>君を、命をかけて守る狼がここにいたんだって、僕の事を覚えていて欲しい。
>それだけでいいんだ。それだけで……僕はアイツと、死ぬまで戦える
《……それは、できません》
シロは一度、ゆるくかぶりを振った。
《あの魔狼がわたしに対して、何か特別な感情を抱いていることは。あのとき、少しだけ感じました》
《魔狼はわたしを狙っているのですね。――けれど、遁げることはできません。まして、あなたを盾にするなど――誇りが許さない》
《ここであなたの言う通りにすれば、わたしはあなたを犠牲にして遁げた……という罪悪を抱きながら生きて行かなければならない》
《それは、何にも勝る苦痛です。他者を捨て駒にしたという業を背負って生き永らえられるほど、わたしは強くはないのです》
あくまで、誇り高いニホンオオカミとしての矜持を貫こうとするシロである。
>ごめん。もう一つだけ……もし、叶うなら。
>たった一度だけ、ほんの少しの時間で良いから。
>……僕に、寄り添って欲しい。せめて君の名残を、僕に残しておくれよ
ポチが謝罪する。ポチが誇り高いシロを刺激しないように、最大限その精神性を尊重して話を進めているのがわかる。
その口にする提案そのものは受け入れられないにしても、ポチの気遣いは無碍にするまいと、シロは無言で佇む。
>……だけどさ。君は人の罠にかかって、ここまで連れてこられたんだろ。
>山でたった一匹で生きていくのは……結構、大変だったんじゃないのかい
《……だからこそ。だからこそ、わたしは求めていたのです。いつか、同胞と巡り合うことを……ずっと夢に見ていたのです》
《あなたの姿を見たとき、それが叶ったと思った。嬉しかった――なのに――》
《……皮肉なものですね。あなたと、魔狼と、わたし。ひとつの地に狼が三頭もいるのに――そのどれもが。決して交わらない》
シロは小さく笑った。どこか諦めきったような、寂しげな笑いだった。
《あなたの申し出はありがたいですが、受けることはできません。魔狼がわたしを狙っているというのなら、抗いましょう》
《例え、それで死ぬことになったとしても。誇りを捨てて遁げ出すよりは、ずっとましです》
《――ならば。ならば、これはわたしと魔狼の問題。あなたには関係ありません、あなたこそお遁げなさい。そこのお仲間と一緒に》
自分たちとは離れた場所にいる、ノエルと尾弐にちらりと視線を向ける。
そして、幾許かの逡巡の後。
シロはそっと、ポチの方へと近付いてきた。 それは、どういう心境の変化だろうか。
ポチの提案は受け入れない。ここから遁走することもしない。もしロボが現れるのなら、迎え撃つ。シロはそう言っている。
つまり、ポチが頑張って考えた案はすべて退けられたということだ。
が、だからといって、ポチのことを何もかも否定するつもりはないらしい。
特に、ただひとつ――ポチが最後に言った願い。
>僕に、寄り添って欲しい。せめて君の名残を、僕に残しておくれよ
そんな、あまりに慎ましすぎる願いだけは。聞き届けようと思ったのだろうか。
ポチとシロの距離は、今や数十センチもない。それでもシロは歩みを止めない。
そして、満月の光に照らし出された二頭の影が、ひとつに重なろうとした――まさにその瞬間。
ビルの屋上にいた、すべての者が感じたであろう。
このビルに急速に迫ってくる、禍々しくも膨大な獣の妖気を。
「何をしてやがる……?このワンコロがァ!『オレ様の女房』に!!」
ガガァァァァンッ!!!
まるで隕石のように、弾丸のように。空から巨大な銀色の塊が降ってくる。
それはビルの屋上、ポチとシロの二頭ともノエルと尾弐のふたりとも離れた場所に落ちてくると、ゆっくり立ち上がった。
きらきらと輝く銀色の被毛に覆われた、筋骨隆々の巨大な人狼だ。身長はゆうに三メートルはあろう。
全身から芬々と妖気を漂わせるその姿は、以前博物館で一瞬だけ垣間見たものに間違いない。
狼王ロボ。東京ドミネーターズの一角にして、獣の恐怖と脅威を体現する妖壊。
「グルルル……。迎えに来たぜ、ブランカ……もう我慢できねえ、我慢なんざできっこねえ。おまえの姿を見ちまった以上はな……!」
「妖怪大統領なんざ知ったことか。オレ様は欲しいものを手に入れる、今度こそ……」
「――『おまえを守ってやる』、ブランカ――!!!」
ロボはマズルの長い狼頭をにやりと笑ませると、ゆっくりとブランカ――シロへ近付こうと歩を進めた。
ロボ襲来の様子は、別のビルにいる祈にも見えたことだろう。
国立科学博物館での戦いとは桁違いの凶暴な妖気が、満月によって本性を現したロボの全身から噴き出している。
その濃度は人間はもちろん、妖怪にとっても毒となるほど。
瘴気にある程度耐性のある鬼族の尾弐はまだ耐えられるだろうが、雪妖のノエルや雑種のポチにとって長時間の接触は致命的だ。
むろん、半妖の祈も例外ではない。
「ガルルルルルォォォォォォ――――――――――――――ン!!!!」
夜空に真円を穿つ月へ口吻を向け、ロボが吼える。遠吠えなどという生易しいものではない、まさしく王者の咆哮。
根源的な畏れをもたらす『恐怖の咆哮』ではなく、直接的な死をも誘発する『死の咆哮』だ。
以前警察関係者が陥った混乱どころではない、聴けば死を免れない吼え声。
それが妖気と混ざり合い、ビルの屋上に言いしれない重圧を作り出す。
橘音は、まだ来ない。銀の弾丸ももちろんない。
東京ブリーチャーズは司令塔なし、切り札なしの状況で狼王と交戦することになった。
《……魔狼……!》
ロボの姿を見て、シロが身構える。
ポチはシロをかばって戦おうとするだろうか。その場合ロボは当然ながらポチを撃滅の対象と認識する。
「イロガキがァァ……人様の女房に色目ェ使いやがって、どうなるか分かってンだろォなア!?」
「ハラワタァ引きずり出して、このビルの屋上から吊り下げてやるぜ!カラスのエサにもなりゃァしねェだろうがなァ!!」
全身から噴出する怒りの妖気が、狼王のただでさえ巨大な体躯をさらに一回りも、二回りも大きく見せる。
鋭利な牙を剥き出しにし、丸太よりも太い腕の先に備わったナイフのような爪を振りかぶって、ロボはポチへ襲い掛かった。
人間状態でも敵わなかった相手だ。ポチが単身で抗うのは難しいだろう。 といって、ノエルと尾弐の加勢が入ったところで戦況が有利になるかといえば、それも疑問である。
「ゲァッハッハッハハハハ――――ッ!!雑魚が何匹集まったところで、オレ様に勝てるワキャねェだろォがよォォォォ!!!」
ポチの牙を、ノエルの冷気を、尾弐の拳撃を。時に受け流し、時に捌き、時に強靭な体躯で弾き返して。
本性を現したロボが暴威を振り撒く。
その姿はまさに、獣の齎す害意の体現。獣害の顕形。
人々が畏れ、人の手に余るものと定義し。森に棲まう神性の眷属とした狼――大神の化身が、そこにいた。
「サル知恵がァ……ちょいと考えてきたとは言ってもその程度かよ!そんなンじゃァ……オレ様は止められねェなアアア!!!」
ノエルの持参してきたシルバーアクセサリーは、もちろん効かない。
一方で尾弐の用意した純銀製のナイフとフォークは、命中すれば確かにロボにダメージを与えることができる。
尾弐の目論み通り、銀製品には退魔の効果があり、昔から神聖視されている。
一般的にも、狼男や吸血鬼には銀の武器が効く――というのは有名な話だ。
とはいえ、しょせんナイフとフォークである。銀の効果はともかく、物理的にロボの分厚い被毛と筋肉を貫くことはできまい。
猟銃は、銀の弾丸を込めて撃つなら効果があるだろう。――しかし、日本で西洋妖怪に効力のある弾丸を入手することは不可能である。
もっと殺傷能力の高い徹甲弾などであれば、一時的にではあるがロボの動きを止めることができる可能性はある。
祈のアクセサリー作製キットで弾丸らしきものを作ることはできる。ただし、あくまで急造品のため致命傷に至るかは疑わしい。
あとは、尾弐の持ってきた銀紙に包まれた長方形の物体であるが――。
「ゲハハハハッ……ハハハハハァ―――ッハッハッハッハッ!約束通り全殺ししてやるぜ、ブリーチャーズのカスども!」
「オレ様の女房に手を出す奴は殺す!噛み殺す、殴り殺す、蹴り殺す、挽き殺す、潰し殺す!」
「どうだ……ブランカ!もう、『誰にもおまえを殺させ』たりしねェ!待ってろ……すぐに安全な場所に連れて行ってやる!」
「すぐに――『誰の手も届かない』場所へな……!」
怒りに身を任せているからか、それとも獣の本性を露にしたせいか、ロボの戦いには以前ほどの精密さはない。
端的に言えば、雑である。
尾弐への反撃も先日の浸透勁は使わず、鋭利な爪と牙、それに純粋な腕力での殴りつけに終始している。
が、だからといって組し易くなったというわけではもちろんない。その破壊力とスピード、頑健さは以前より遥かに増している。
また、生半可な小細工も通用しない。
なぜならば、狼王ロボ――そしてジェヴォーダンの獣には共通する伝説がある。それは、
『幾多の罠にもついに一度たりと掛かることはなく、多数の狩人がこぞって狙ったが仕留められなかった』
という伝説である。
狼王ロボと『獣(ベート)』を知る人間のすべてが、共通してその認識を持つゆえに。
狼王に罠は通じない。理屈ではない、そういうものであるから。
他でもない人類が、狼王ロボに『そうあれかし』と願ったから――。
ロボに致命の一打を与える手段があるとするなら、それはやはり唯一。ロボの弱点を衝き、空隙を作り出すしかないのである。
『決して罠には掛からなかったロボだが、妻のことに関してだけは我を忘れる』
という、もうひとつの伝説に従って。
「すっこんでろォ―――ゴミどもォォォォォォォォォ!!!!!」
ポチの牙を筋肉で跳ね返し、ノエルの氷雪を自らの纏う怒涛の妖気で押し返し。
尾弐と真正面から殴り合って圧倒し、ロボがふたたび吼える。
東京ブリーチャーズの三人を弾き飛ばすと、遮るもののなくなったロボはシロを見た。
そして、一歩一歩着実に距離を詰めてゆく。
シロはと言えば頭を床に低く伏せ、ふさふさした尾をそそけ立たせて威嚇のポーズを取っている。
明確な威嚇行動であるが、ロボはまったく気にしない。ただ、無遠慮とも言える足取りでシロへと歩いてゆく。
そう――
『かつて守れなかった妻を、今度こそ守り抜くために』。 ロボが隆々とした上半身を前のめりにして、のしのしとシロの許へ歩いてゆく。
……が。
ブリーチャーズの四人は気付いただろうか――
『ここまでのロボの行動は、妖壊のそれではない』ということに。
ロボは破壊と殺戮の権化でありながら愛を知り、妻と仲間を持った。
群れを率いてのちは人間を殺戮することをやめ、群れが生きていけるだけの家畜を襲って細々と生き永らえてきた。
そんな折、かけがえのない仲間を、最愛の妻を人間に殺された。
それからというもの、ロボは人間を憎悪し、災厄の魔物としてかつてのように人間を殺戮するようになってしまった。
ここまでは筋が通っている。
ならば、何をもってロボを心の壊れた妖壊と言えばいいのだろう?
ロボはかつて喪った最愛の妻、ブランカと姿のよく似た白狼シロを誤認している。
ロボはもう二度とブランカを喪うまいとしている。
ここも、理屈としては矛盾がない。
『シロをブランカと思い込んでいる』点が妖壊であると言えるかもしれないが、この点をもってロボを妖壊と定義するには弱い。
妖壊とはもっと、根本的なところで壊れているものなのだ。
で、あれば。
いったい、狼王ロボのどこが壊れているというのだろう?
「……ブランカ……悪かったな……。ああ――何もかも。オレ様が悪かったんだ……」
ロボが悲しげな瞳でシロを見遣りながら、言葉を零す。
その声は深い悔恨と慙愧、苦悩に満ちている。
「オレ様が油断していたから……。隙を見せたから……。人間なんぞ恐るるに足らねえと、奴らを侮っていたから……」
「もっと、おまえらの行動に目を光らせておけばよかった。片時も目を離さないでいればよかった……」
「おまえらを、もっと安全な場所に匿っておけばよかった……」
「だが、もう大丈夫だ。わかったんだ……あれから。オレ様はあのとき、どうすべきだったのか――」
そう言って、ロボはシロへと右手を差し伸べた。
「――『一番安全な場所が、どこなのか』――」
そこからは、まさに瞬きひとつほどの時間。あっという間だった。
手の触れる場所まで近付いてきたロボへと、シロが牙を剥いてとびかかる。
が、ロボはそんなシロをあっさりと受けとめると、その前脚を右手で纏めて持ち上げ、彼女を宙吊りにした。
キャイン……!とシロが苦鳴をあげる。
脱出しようと懸命にもがくシロを、ロボは目を細めて眺める。
「ああ、心配するなよ……ブランカ。これからはもう、ずっと一緒だ。もう二度と、誰もオレ様たちを引き裂くことはできねえ」
「オレ様たちは――『ひとつになるんだからな』――!!!」
がぶり。 高く右腕を掲げてシロを宙吊りにしたまま、ロボがぞろりと短剣のような牙の生え揃った口を開ける。
そして、シロの喉笛に噛みつく。
シロは目を見開いた。喉に噛み付かれ、ごぷり、と口の端から血を吐き出す。
さらにロボはぶちぶち、と力任せにシロの喉を引きちぎった。血液が濁流のように溢れ出し、ロボの腕と顔を染めてゆく。
「ゲァハハハハハハハ……、ハァ――――ッハッハッハッハッハッハッハッハァ――――!!!!」
シロの、彼にとっては最愛の妻ブランカであったはずのオオカミの鮮血を浴び、ロボが哄笑する。
そう。
ロボの望みは、もう二度と妻を、仲間たちを人間に殺させないこと。
不死身の自分と違って普通のオオカミに過ぎない妻や仲間たちを守るには、どうすればよいか?
簡単なこと。『自分と同じにしてしまえばいい』、すなわち――
『自分の血肉にしてしまえばいい』。
妻の血を啜り、肉を啖えば、それはすなわち魂の合一。
『妻と仲間たちは、自分の中で永遠に生き続ける』という理屈である。
そうなれば、確かにもう二度とロボとブランカが引き裂かれることはない。ふたりは永遠に一緒だ。
実際にブランカの魂が彼の中で生き続けるかどうかはさておいて。
「夢が叶った……、妖怪大統領サマサマだぜ!もう、オレ様たちはずっと一緒だ……愛してるぜ、ブランカァァ……!!!」
ロボはさらに痙攣するシロの腹部に喰らいつき、臓腑を引き裂いた。
どす黒い血が噴き零れ、ロボの全身を毒々しい紅に染めてゆく。
喉を引きちぎられ、腹を食い破られたシロは僅かに身体を痙攣させると、やがてぐったりと動かなくなった。
それを確かめると、ロボはそれまで狂的に執着していたシロの身体をあっさりと手放し、ゴミのように捨てた。
血と肉、そして魂が自らの肉体に移動したので、身体に価値はなくなったということであろうか。
どう、と斃れたシロの身体の下に、血だまりが広がってゆく。
「ブランカ!感じるぜ……おまえの魂を!ああ……これだ!オレ様はもっと早く、こうするべきだったんだ――!!」
ゴゥッ!!と全身から血色の妖気が迸る。今までで一番強烈な妖気の放射だ。
しかし、長年の宿願を果たしてなお、ロボは止まらなかった。
ゆる、とロボが血まみれの獣頭を返し、ポチの方をねめつける。
「……よォ……。よく見たら、おまえもオオカミじゃねェか……。オレ様の群れのヤツだな?去年生まれた……ヴァレーの仔か……?」
「おまえも来い、ここは危ねェ……オオカミを狙ってくる人間がたくさんいるからな……。オレ様が守ってやる、オレ様が……」
シロだけではない。ロボはオオカミのすべてを、保護するべき仲間だと思っている。
『オオカミのすべてを』。『安全な場所に匿ってやろうとしている』――。
群れを愛し、仲間を慈しみ、その生命の存続を願う。
自らの群れと仲間、同族こそが第一。それらに危害を加えるものは敵。そういった価値観は、シロの意見とも合致するものである。
それらの点において、ロボは一点の曇りもない。まさしく狼の王と言うべき存在であろう。
だが。その手段は明確に間違っており、炯々と輝く金色の双眸は拭うことさえできないほど濁っている。
ロボはポチをも仲間の一頭として喰い殺すだろう。その次には、他のオオカミに連なる妖怪たちも殺してゆくに違いない。
そして世界中にいる、妖怪でない普通のオオカミたちをも手に掛けてゆき――
この地球でただ一頭のオオカミとなるつもりなのだろう。
仲間を守るために。愛を貫き通すために。
すべてのオオカミの頂点に立つ、狼王として。
「ゲハハハハハハ……ゲァ――――ッハッハッハッハハッハハハハッハハハァ!!!」
高らかに笑いながら、ロボがポチへと驀進する。
銀の弾丸以外のすべてを跳ね返す、不死身の人狼ロボ。それが全力でポチを殺そうと迫る。
橘音は、まだ来ない。 ……ポチの願いは、シロには届かなかった。
彼女は逃げる事を是としなかった。
>《……だからこそ。だからこそ、わたしは求めていたのです。いつか、同胞と巡り合うことを……ずっと夢に見ていたのです》
《あなたの姿を見たとき、それが叶ったと思った。嬉しかった――なのに――》
《……皮肉なものですね。あなたと、魔狼と、わたし。ひとつの地に狼が三頭もいるのに――そのどれもが。決して交わらない》
「……決してかは、分からないじゃないか。
僕だって、命をかけて戦うけど、最初から負けるつもりで戦う訳じゃない。
僕が……僕らが勝てば、また君と出会う事だって……」
>《あなたの申し出はありがたいですが、受けることはできません。魔狼がわたしを狙っているというのなら、抗いましょう》
《例え、それで死ぬことになったとしても。誇りを捨てて遁げ出すよりは、ずっとましです》
《――ならば。ならば、これはわたしと魔狼の問題。あなたには関係ありません、あなたこそお遁げなさい。そこのお仲間と一緒に》
ポチの視線が、ふいと横に逸れたシロの視線を追う。
盗み聞きの次は覗き見か、皆していい趣味してる……などと頭の片隅で思いつつも、それを表には出さない。
そんな事をしている暇はない。
「……嫌だよ。そんなの、君と僕の立場が入れ替わっただけじゃないか。
君が逃げるんだ。僕は……僕達は、負けないから」
ポチは譲らない。
彼女に逃げろと言ったのは、ポチ自身がそうして欲しいからであり……同時にそうなって欲しいからだ。
純血の狼……自分がずっと追い求めてきた偶像、その体現たる彼女が、誰の手にも落ちて欲しくないのだ。
「だから君が逃げたって、何も問題なんか……」
だがポチの言葉を遮るように、シロが一歩前へと踏み出す。
そのまま歩みを止めず、二歩、三歩と、ポチへと近づいてくる。
何の前触れもなく始まった接近に、ポチは戸惑いを隠せない。
紡ごうとしていた言葉を失い、その間にも二匹の距離は縮まっていく。
シロの純白の毛皮が、金色の双眸が、その息遣いとにおいが、目の前にある。
あと一歩の距離……その最後の一歩を、ポチは半ば無意識に踏み出そうとして。
しかし気付いた。
自分達の元に急速に近づいてくるにおいに。
強烈な妖気と、興奮を伴った、獣のにおい。
「ノエっち!尾弐っち!来るよ!」
傍にいる二人に向けて声を張り上げ、ポチはロボが接近してくる方向へと向き直る。
だが……例え立ち向かったとしても、あの狼王を相手に何が出来るというのか。
ポチ自身にもまったく、その展望が見えていなかった。
ロボに通用する唯一の術は……まだこの場にないのだから。
「……橘音ちゃん」
小さく、ポチがその名を呼び……その直後、轟音と共に上空から、それは降ってきた。
月光を受け輝く銀の被毛、尾弐ですら見上げるほどの巨躯、隆起した筋肉。
浴びるだけで目眩を感じるような、溢れ返る妖気。
狼王ロボが、ポチの視線の先にいた。 >「何をしてやがる……?このワンコロがァ!『オレ様の女房』に!!」
「……君の?」
>「グルルル……。迎えに来たぜ、ブランカ……もう我慢できねえ、我慢なんざできっこねえ。おまえの姿を見ちまった以上はな……!」
「妖怪大統領なんざ知ったことか。オレ様は欲しいものを手に入れる、今度こそ……」
「――『おまえを守ってやる』、ブランカ――!!!」
「彼女が君のものだった事なんて、一度もないだろ。
すっこんでろよ。この子は……僕が守るんだ」 だがポチは引き下がらない。ロボを阻むようにシロの前に出る。
橘音が間に合わなかったとしても、彼がする事は、したいと望む事は何も変わらない。
シロを守る為にロボと戦う。例えその結果、自分が死ぬ事になったとしても。
>「イロガキがァァ……人様の女房に色目ェ使いやがって、どうなるか分かってンだろォなア!?」
「ハラワタァ引きずり出して、このビルの屋上から吊り下げてやるぜ!カラスのエサにもなりゃァしねェだろうがなァ!!」
ロボが気炎を吐き、その豪腕を、ナイフのような爪を振りかぶる。
だがポチは狼犬だ。四足歩行で、背が低い。
ロボが巨躯であるが故に、爪と彼の体との距離は、遠い。
必然、爪が描く軌道は大きな弧を描く。
だから……辛うじて躱せる。屋上の床を蹴り、同時に夜闇に紛れ姿を消す。
ロボはポチを探せない。ノエルと尾弐がいるからだ。
彼らが動けば、ロボにもほんの一瞬くらい、自分を意識出来ない時間が出来る。
ポチはそう判断し、ロボの側方へと跳躍。
そして飛びかかり……爪を用いて、眼を切りつける。
ロボの筋肉にポチは牙を通せない。故に狙えるのは何の鎧も纏っていない眼球のみ。
狙い澄まして放った一撃は……しかしロボに見向きもされないまま、その拳によって撃ち落とされた。
短い悲鳴を上げて、ポチが床を転がる。
>「ゲァッハッハッハハハハ――――ッ!!雑魚が何匹集まったところで、オレ様に勝てるワキャねェだろォがよォォォォ!!!」
「……うるさいな。そういうのは、僕が立てなくなってから言えよ!」
だがポチはすぐに立ち上がる。
無造作に振り回された拳は、体を捩れば甚大な破壊を免れる事が出来た。
骨も内蔵も筋肉も、痛みを訴えているだけだ。体は十全に動く。
ポチは怯みも退きもしない。何度でもロボへと挑んでいく。
……しかし、出来る事はそれだけだ。
狼王ロボには、ポチのいかなる攻撃手段も通用しない。
爪は毛皮を切り裂けず、牙は筋肉を貫けない。
ロボが襲い来る勢いを利用して、すれ違いざまに首を狙えば……通じない。
拍子を外され、逆にカウンターを貰い、殴り飛ばされる。
姿を隠して背後を取り、牙を引っかけるように、その頭部に噛みつけば。
額の筋肉は薄い。皮膚を裂き、出血させれば、視界を奪えるはず……不可能だ。背後に回る事すら叶わない。
送り狼の力で夜闇に紛れているはずのポチを、ロボは容易く視線で追い、蹴り飛ばした。
打つ手がない中、ただ闇雲に挑み続け……だがそんな事は長くは続けられない。
>「すっこんでろォ―――ゴミどもォォォォォォォォォ!!!!!」
跳ね除けられ、立ち上がる。
再び飛びかかる為に膝を屈め……しかし脚から力が抜けた。
かくんと膝が折れて、体が崩れ落ちる。
ポチは一瞬、自分に何が起きたのか分かっていないようだった。
すぐに再び立ち上がろうとして……しかしそれが出来ない。
「う……」
言う事を聞かない自分の脚を見て、すぐにロボへと視線を戻す。
ロボは、既にポチを視界に入れてすらいなかった。
ただシロだけを見つめて、彼女の許へと歩み寄っていく。
「に、逃げろ……」
声を振り絞る。だがシロはロボを睨み返し、威嚇の姿勢を取ったまま動かない。
「頼むよ……逃げてくれ……」
ロボは……シロの事を、最愛の妻ブランカと思い込んでいる。
ならば手荒な事はしないのかもしれない。 >「……ブランカ……悪かったな……。ああ――何もかも。オレ様が悪かったんだ……」
「オレ様が油断していたから……。隙を見せたから……。人間なんぞ恐るるに足らねえと、奴らを侮っていたから……」
「もっと、おまえらの行動に目を光らせておけばよかった。片時も目を離さないでいればよかった……」
「おまえらを、もっと安全な場所に匿っておけばよかった……」
「だが、もう大丈夫だ。わかったんだ……あれから。オレ様はあのとき、どうすべきだったのか――」
無敵の王の寵愛の下で生き続けるのは……彼女にとっては苦痛だろうが、
今までよりもずっと易しい生を送れるかもしれない。
それでも……逃げて欲しかった。自分の憧れが、誰かの手に落ちるのを、見たくなかった。 >「――『一番安全な場所が、どこなのか』――」
だが……それももう叶いそうにない。
ポチに出来る事はもう、たった二つだけ。
今から起こる出来事から、目を背けるか……あるいは受け入れるか。
……シロはずっと、彼女と出会う前から、ポチの憧れだった。
ロボはブリーチャーズにとっては紛う事なき敵だったが……その狼王の生と在り様には、羨望を抱いた。
憧れと、羨みが、一つの結末に辿り着く。
それはもしかしたら、そんなに悪い事ではないのかもしれない。
ただ自分の望んだ結末と異なるだけで……ポチはそう思い始めていた。
シロの悲鳴が、響くまでは。
「……おい。何やってるんだよ、お前……」
>「ああ、心配するなよ……ブランカ。これからはもう、ずっと一緒だ。もう二度と、誰もオレ様たちを引き裂くことはできねえ」
「オレ様たちは――『ひとつになるんだからな』――!!!」
「何を……待て、待てよ!やめろ!なんでそんな……」
声を張り上げる。だがロボには届かない。
ポチは忘れていた。ロボが今もなお、狼の王に相応しい強さと、愛情のにおいを纏っていたから。
彼が紛れもない妖壊なのだという事を。
あのクリスも、ノエルの幸せを望みながら、しかし彼から何もかもを奪おうとしていた事を。
そして思い出した時にはもう手遅れだった。
シロの首筋に、ロボの牙が突き刺さる。
そのまま喉が食い千切られ、次は腹部へ。
>「夢が叶った……、妖怪大統領サマサマだぜ!もう、オレ様たちはずっと一緒だ……愛してるぜ、ブランカァァ……!!!」
シロの血肉を喰らったロボは、彼女の体を無造作に打ち捨てた。
ポチは這いずるようにシロの許へと近寄る。
だが……そうしたところで、彼にはどうする事も出来ない。
ただ緩やかに広がっていく血だまりを、見ている事しか出来ない。
「う、あ……そんな……あぁ……僕の、僕のせいだ……」
シロは最後まで逃げようとしなかった。
それは狼の誇り故かもしれない。だが彼女はさっき、こう言った。
他者を捨て駒に生き永らえる事など出来ない。あなたこそ逃げなさいと。
「僕が命をかけるなんて言ったから……覚えていて欲しいなんて、思ったから……」
ロボの事など口にせず、ただ山に帰る道を示すだけにしていれば。
シロはこの場に留まろうとしなかったかもしれない。
自分の言葉が、願いが、彼女をこの場に縛り付けた。そして、死なせたのだ。
それが真実なのかは分からない。だが彼はそう、思ってしまった。
思ってしまったならば、彼にとってそれはもう真実なのだ。
ポチの中で何かがひび割れ、砕けた。
「……まだ、血が流れてる」
ポチが力なく呟く。
「ノエっち。尾弐っち。……実はね。僕はさっき、この子に逃げろって言ってたんだ。
山に帰る道しるべを用意して、後の事は、全部僕に任せろって。
僕がそうして欲しかったから。橘音ちゃんが、皆が、あの爺さんにどんな罰を受けても……そうして欲しかったんだ」
震える声で、ポチは続ける。 「だから、だから……僕はもう、ブリーチャーズのポチですら、ないんだ。
僕はもう……何も願いたくない。だけど……まだ、血が流れてるんだよ。
ねえ、分かるでしょ。皆がここにいる理由なんて、もうないんだ……」
>「……よォ……。よく見たら、おまえもオオカミじゃねェか……。オレ様の群れのヤツだな?去年生まれた……ヴァレーの仔か……?」
「おまえも来い、ここは危ねェ……オオカミを狙ってくる人間がたくさんいるからな……。オレ様が守ってやる、オレ様が……」
己を見下ろすロボを見返すと……すぐに彼は視線を逸らした。顔ごと下へ。
足元に広がるシロの血だまりへ。そしてそこに、口づけをした。 「……本当なら、君を守れなかった僕に、こんな事する資格なんてない。
だけど……これで、あの子の魂は今どこにあるのかな。アンタの中?それとも……僕の中にも?」
狼は群れの仲間を深く愛する生き物だ。
だが同時に、上下関係を重んじる生き物でもある。
生前のロボも、その群れが成す整然たる足跡から、統制は厳格なものだったとされている。
例外はブランカただ一匹だけ。
ならばこの彼の行為も、ロボを怒らせるには十分だろう。
口の先を僅かに湿らせる程度の血液でも。
王の愛する妻の血肉を、魂を、他の狼が掠め取ろうとするなど、許されないはずだ。
>「ゲハハハハハハ……ゲァ――――ッハッハッハッハハッハハハハッハハハァ!!!」
ロボが迫り来る。
群れの狼を「匿う」事が目的なら、ロボはシロにそうしたように彼を捕らえ、食い殺すつもりなのだろう。
その過程にはもしかしたら、不遜な態度に対する教育が混ざるかもしれないが。
だとしても、まず捕まえる。全てはそこから始まるはずだ。
身長の差から、ロボは必ず前屈姿勢になる。
その足元に、飛び込めば。
軸となる足に強い力を加えられれば……冷静さを欠いたロボならば、転ばせられるかもしれない。
もしそれが上手くいけば。
送り狼……夜闇と自然への畏れの象徴。逃れ得ぬものと定められた、その力を発揮する事が出来れば。
……皆をこの場から送り出す時間くらいは稼げるかもしれない。
「……違う。僕はもう、何も願ってない。願っちゃ駄目なんだ」
諦念を帯びた呟きと共に呼吸を整え、ちっぽけな狼犬が立ち上がった。
疲れも痛みも、不思議なほどにまるで感じなかった。
そうあれかしと願ったからだ。何も望まないモノになりたいと望んだから。
ただ死ぬまで、転ばせて、襲いかかる。それだけのモノになりたいと。
「だけど……出来る事なら、アンタは僕が殺してあげたいよ。
アンタは、まさしく狼の王だ。僕なんかとは違う、すごい狼だよ」
だが例えロボが、目前の狼犬の不遜に怒りを抱いていたとしても。
真正面から無策で突っ込んで、その腕を掻い潜る事は不可能だろう。
策が必要だ。だが牙と爪しか武器を持たない狼犬では、取れる策など限られている。
「だから、そのままでいるなんて……あんまりだ」
それでも狼犬は床を蹴り、前へ踏み出した。
その姿が一瞬、夜闇に紛れる。
……ずっと恋い焦がれてきた狼に、彼は巡り会えた。
拒絶され、だがそのお陰で狼でもすねこすりでもない自分を認める事が出来た。
しかし……彼は結局その狼を、シロを守れなかった。
彼は狼になれなかった。ただの雑種が狼になれるかもしれない機会を、完膚なきまでにしくじったのだ。
……だからもう、かつて抱いていた「拘り」は、必要ない。
彼が再び夜闇の中から姿を現した時、彼は既に狼でも、犬でもなかった。
人の輪郭に、夜色の毛皮を纏った妖怪がそこにいた。
ただの狼では、ロボの魔手を捌く事など出来ない。出来ないのだから警戒する意味はない。
だが今の彼には、人と同じ腕がある。
無造作に伸ばされただけの手ならば、払い、あるいは捌く事が出来る。
それが叶えば、後はロボに軸足に飛びつくだけだ。
転ばせて、襲いかかる。それだけを、自分の命が尽きるまで繰り返すだけだ。 >「じゃ、足の速いあたしが取って来るから、その狙撃方法が有効かどうかはあたしが取ってきてから試すとして……」
「あの距離を走って!? そんな無茶な!
こういう時はフレンズの力を借りるのさ――なんかバス型になれる化け猫とかいたような気がするし!」
確かにターボババアは走ることに特化した妖怪だが、マラソン走者というよりも最高速度が売りの短距離走者のイメージがある。
誰かが車を出せば済む話だが、ノエルは免許を持っていない。そもそも公共の安全を考えるとこんなのに免許を渡してはいけない。
尾弐は忙しそうなので、設定上存在する他のメンバーに協力を仰いでみることとする。
とはいえ、橘音がいない今、公式に依頼することはできない。
メンバーの中で気の向いた者が参加している非公式グループ「化け物フレンズ」を起動。
ブリーチャーズのメンバーは厳選されているはずなのだが、このライングループには「橘音は何を思って入れちゃったんだろうか」という
万年補欠達ががたくさん参加している。
ノエル<鳥居を即刻遠野から東京まで運びたい 適任者モトム! 報酬はSnowWhiteでの飲食がしばらく無料!
所詮は万年補欠達の雑談用グループ、未読スルー既読スルー「めんどいから無理」のオンパレードであった。OTLのポーズで落ち込むノエル。
そもそもあの宿は普通に行って行けるものなのだろうか。
不思議なダンジョン状態で行く度に道が違ったり特殊な結界に阻まれて普通にはたどり着けないなんてことは……
と、迷い家で取ってきた手作り感満載のパンフレットを見ると、普通に電話番号と番地が書いてあった。
「えっ、普通に電話あるんじゃん!」
徒歩用ポータブルナビに番地を入力すると、地図は何も無い山中を指し示した。
>「御幸は寝てんだぞ? 今日の御幸は冴え過ぎてる。もしかしたら熱でもあんのかもしれないからな」
「気を付けてね、何かあったら電話して」
結局、祈に徒歩用ポータブルナビと多めの行きの交通費を持たせて送り出したのであった。
祈の姿が見えなくなるまで見送った後、何を思ったか乃恵瑠の姿になって、かき氷器を回し始める。
そこに上の階からカイとゲルダがやって来た。
「あれ? 姫様、そっちの姿で作ってるなんて珍しいですね」
「いただきまーす!」
カイは見た目はいつもと変わらないかき氷を、乃恵瑠が制止する間も無く食べてしまった。
そして一瞬微妙な顔をして固まってから言い訳を始める。
「えーとですね、不味いわけじゃないんですけどいつもより粒が大きいというか何というかやっぱ不味いというか」
「結局不味いって言ってるじゃねーか!」「いいじゃん変態だしノエルだし」「変態でもノエルでも露出魔でも一応姫様だから!」
かき氷がまずいのは、妖力の出力が大きすぎて精緻なコントロールが出来ていないからだ。
乃恵瑠は常に無い深刻な顔をして次のかき氷を作っている。従者達もただならぬ様子を察したようだ。
「姫様……?」
「うちの店って客層に特定の趣味の方々が多いじゃん。
そこで時々双子の姉という設定でクールビューティー美女の姿で出ることでそっち方面にも客層を広げようと思ったんだけど……。
全然上手く出来ない! ああ、このままでは特定の趣味の方々専用の店というイメージが付いてしまう!」
もちろんそれは嘘、とも限らないが少なくとも主な理由では無く、ロボの力を目の当たりにしたことで
ノエルの姿で出せる妖力ではこれからの敵に対抗しきれないと考えに至り、力を制御できるように練習していた、というのが真相である。
「焦りは禁物です。いつか必ず出来るようになりますから――」 ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚ そんなことをしているうちに、祈が無事に天神細道を持って帰ってきた。それだけではなく、お土産を貰ってきたとのこと。
それはきっと、祈が一人で来たことによる富嶽の出来心のようなもので、祈が取りに行くことになったのは結果的には良かったのかもしれない。
「へえ、インラインスケート!? いいなー!」
風火輪を箱から取り出してためつすがめつして見るノエルが、一瞬だけ顔を曇らせたのに祈は気付いただろうか。
妖具には誰でも使える便利な秘密道具のような物と、使用者の妖力を容赦なく食らう扱いの難しい、ともすれば危険の伴うものがある。
強力な戦闘用の妖具などはほぼ例外なく後者で、これも例に漏れず後者であった。
実際、クリス戦においては橘音すらも妖具の連続使用によりケ枯れ寸前に追い込まれたのだ。
『いざって時はあたしが何とかするから、心配すんな』
病院からの帰り道で、シロが命を落とす可能性を思い不安を見せてしまった時に、祈が言ってくれた言葉を思い出す。
すでに何百年単位の時を生きた制御しきれぬ強大な力を持つ魔物である自分に、妖怪基準ではまだ生まれたばかりの半妖が。
一点の曇りもなく言い切った。それが祈の最大の強さであり弱点。
彼女の性格では、こんなものを与えられては、限界を超えて使ってしまいかねない。
富嶽のじーさん、何も考えずに渡してないか!? と思うノエルであった。
母親の颯は使いこなしていたから大丈夫だろうという理屈かもしれないが
単純に考えて祈よりは妖怪の血が濃い上に、彼女が妖怪的な年齢だったか人間的な年齢だったかは知らないが、
どんなに若かったとしても人間基準での成人はしていたはずだ。
かといって、一度渡してしまったものを今更取り上げるわけにもいかない。
「強力な妖具って諸刃の刃なんだ。ずっと履いてると危ないから気を付けてね」
そう注意するに留めるノエルであった。
さて、本題の天神細道であるが、その使用条件は思った以上にガバガバであった。
物体のみの移動も可能で、入力はふわっと思い浮かべるだけ、出力は正確無比という願ったり叶ったりの仕様だ。
やわらかいボールを使って二人で的役と狙撃役を交代しつつ実験をしたのだが、素早い祈も全く避けることは出来なかった。
ゼロ距離でいきなりボールが現れて気付いた時には当たった後なのだから、素早いもへったくれもなく身体能力以前の問題である。
「やった、やったよ――これで勝る! あとは橘音くんが弾丸を持ってくるのを待つだけだ!」
もう満月の夜を待つ必要すらない。
勝利を確信し、祈とハイタッチしつつ狐面探偵七つ道具って凄いなあ!と改めて思う。
この狐面探偵七つ道具、ブリーチャーズ結成時に様々な大妖怪から借り受けたものらしく、各種族の妖怪の長は超強力な妖具を保有している場合が多いようだ。
そういえばお母さんは記憶を抜き取ったり封印したり抜き取った記憶を他の人に渡したりする
色んな意味でヤバい杖を持っていたなあ、と他人事のように思うのであった。
記憶操作は閉鎖社会やディストピアの基本である。 ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚ そして現在。まさか、まさか弾丸が来ないだなんて誰が予想できようか――
それでも容赦なく状況は進む。シロは逃げる気配は無く、ポチに歩み寄ってくる。
動物の言葉が分からないノエル達から見れば、協力依頼がが成功したようにしか見えない状況。
少なくとも表向きは、全てが完璧に作戦通り。ただ銀の弾丸だけが無い――
それでも今ある物で作戦を遂行すべく、ノエルと尾弐は近くで様子を伺い、
祈は少し離れた場所で天神細道とお手製の弾丸もどきを持って待機している。
ぼったくられた結果と思しき物品を披露するノエルを見かねた尾弐が銀食器を渡してくる。
>「……お前さんがそれを幾らで買ったのかは聞かねぇ方が良いんだろうな。とりあえず、これ持っとけ」
>「食器屋で買った銀のナイフとフォークだ。弾丸じゃねぇが、西洋妖怪に対してなら牽制にはなんだろ。
奴さんたちの文化じゃ、銀はそれ自体に退魔の効果が有るみてぇだからな
……一応言っとくが、結構高かったから大事に使ってくれよ?」
「ありがとう! ……無事だったとしても流石にこれに使用後ので肉食べる気にならないだろうし後で買って返すね」
銀には退魔の効果があり、西洋ファンタジーにおいては精霊と相性が良いとの設定もよく見受けられる。
ノエルの氷の呪力付与による強化と組み合わせれば、多少の武器にはなるかもしれない。
そして――ついにその時は来た。徐々に近づくシロとポチの距離が無くなる寸前、ポチが警告を発する。
>「ノエっち!尾弐っち!来るよ!」
>「何をしてやがる……?このワンコロがァ!『オレ様の女房』に!!」
ゆうに三メートルを超える巨体が、 隕石のようにビルの屋上に降り立った。
>「グルルル……。迎えに来たぜ、ブランカ……もう我慢できねえ、我慢なんざできっこねえ。おまえの姿を見ちまった以上はな……!」
>「妖怪大統領なんざ知ったことか。オレ様は欲しいものを手に入れる、今度こそ……」
>「――『おまえを守ってやる』、ブランカ――!!!」
絶体絶命のピンチだというのに、その様子はあまりにもクリスに似ていて、胸が苦しくなる。
妖怪に対してですら毒となる濃度の妖気――すなわち瘴気がロボの全身から噴き出す。
ノエルにとっては毒だが、厄災の魔物である深雪なら瘴気は平気だ。だから余計都合が悪い。
耐え切れなくなったら出てきてしまう。
>「ガルルルルルォォォォォォ――――――――――――――ン!!!!」
並の妖怪ならそれだけでケ枯れ必至の死の咆哮をものともせず、ポチはシロの前に立ちふさがる。
>「彼女が君のものだった事なんて、一度もないだろ。
すっこんでろよ。この子は……僕が守るんだ」
>「イロガキがァァ……人様の女房に色目ェ使いやがって、どうなるか分かってンだろォなア!?」
「ハラワタァ引きずり出して、このビルの屋上から吊り下げてやるぜ!カラスのエサにもなりゃァしねェだろうがなァ!!」
銀のフォークに凍気の妖力を付与し、ダーツのように投げる。
本来なら、並みの妖怪なら軽く先端が刺さっただけで全身が凍結するほどの凶器だ。
しかしロボ相手では、ほんの一瞬ポチから目を逸らさせることが出来れば御の字だろう。
その僅かな隙を突いてポチが相手の目を狙うも、事もなげに拳で射ち落とされて地面を転がる。
それでも何度も起き上がっては立ち向かうポチ。それをノエルは成す術もなく見ているしかなかった。
といっても本当に何もしていないわけではなくもちろん氷柱や氷付与食器による攻撃はしているのだが、ロボにとっては無意味に等しいのだ。
>「ゲァッハッハッハハハハ――――ッ!!雑魚が何匹集まったところで、オレ様に勝てるワキャねェだろォがよォォォォ!!!」
>「サル知恵がァ……ちょいと考えてきたとは言ってもその程度かよ!そんなンじゃァ……オレ様は止められねェなアアア!!!」
「橘音くんはサルじゃなくておたんこナスのキツネだ! どうせ今頃ナイスな登場タイミングを見計らってるに違いない!」
その言葉は単なる虚勢ではなく、橘音はきっと来る――ノエルはそう思っている。 ≪興が乗らぬな――我が器よ。気付いておるか。奴は妖壊ではない≫
深雪が意味不明な戯言を言い出した、と思うノエル。
ノエルは《妖壊》を、退魔業界において討伐対象となる人間に害成す妖怪を指す、極めて実務的な言葉として認識している。
≪それは人間どもの都合で歪められた後の定義だ。さては妖壊の本来の意味も知らぬのか! 知らぬなら教えてやろう!
その名の通り壊れた妖怪――つまり、その妖怪の本来の性質、そうあれかしと思われた道から外れた妖怪のことだ!
つまり……あやつも我も妖壊ではない! それどころか人に望まれた姿を最も忠実に体現する純粋な妖怪なのだ。
自然の恐怖の化身が人間をぶっ殺したり大災害起こして何が悪い!≫
深雪は、厄災の魔物は《妖壊》ではないという、とんでもない新説をぶちあげた。
深雪説とノエル説は、ともすれば真逆の意味にもなりかねない定義。妖怪とは本来人を恐怖させる存在であるからだ。
しかし現代では多くの妖怪が存在の存続のために人間社会に折り合いをつけている生きているため、
結果的に両者は多くの場合重なっているのかもしれない。
>「すっこんでろォ―――ゴミどもォォォォォォォォォ!!!!!」
ついにポチが立ち上がれなくなる。
>「に、逃げろ……」
>「頼むよ……逃げてくれ……」
息も絶え絶えに訴えるポチ、しかしシロは逃げる気配は無い。
ノエルは祈に天神細道を使ってシロを強制的に逃がすように言うべきか迷った。
ロボがその効果を見てしまい、天神細道を用いたゼロ距離射撃という当初の作戦が通用しなくなるかもしれない。
逡巡している間にも、ロボはシロに近づいていく。
>「……ブランカ……悪かったな……。ああ――何もかも。オレ様が悪かったんだ……」
>「オレ様が油断していたから……。隙を見せたから……。人間なんぞ恐るるに足らねえと、奴らを侮っていたから……」
>「もっと、おまえらの行動に目を光らせておけばよかった。片時も目を離さないでいればよかった……」
>「おまえらを、もっと安全な場所に匿っておけばよかった……」
>「だが、もう大丈夫だ。わかったんだ……あれから。オレ様はあのとき、どうすべきだったのか――」
その声音は、心底シロを守りたいと思っているようで。
彼は肉食獣の恐怖の象徴で、同時に同族を命を懸けて守る狼の王で、どこまでも純粋にそれを貫いてきた。
唯一壊れていると言えなくもないところは別人のシロをブランカと思いこんでいることだが、それすらも。
実は本当にそうなのだとしたら。例えば、シロがブランカの生まれ変わりなのだとしたら――
そんなことを思ってしまって。
また、自分から仲間や望む姿は奪い去っても命だけは徹頭徹尾守ろうとしてくれたクリスと重ねていたこともあり。
>「――『一番安全な場所が、どこなのか』――」
油断しきっていた。
ロボはシロに危害を加える事だけはないという思い込みから、守るべき存在に対するにしてはあまりにも扱いが粗雑であることに気付けなかった。
興奮したロボは何をするか分からない、作戦開始前には確かにそう警戒していたにも拘わらず。
>「……おい。何やってるんだよ、お前……」
>「ああ、心配するなよ……ブランカ。これからはもう、ずっと一緒だ。もう二度と、誰もオレ様たちを引き裂くことはできねえ」
「オレ様たちは――『ひとつになるんだからな』――!!!」
>「何を……待て、待てよ!やめろ!なんでそんな……」
>「夢が叶った……、妖怪大統領サマサマだぜ!もう、オレ様たちはずっと一緒だ……愛してるぜ、ブランカァァ……!!!」
一瞬、何が起こっているのかを認識できなかった。
気付いた時には、変わり果てた姿で打ち捨てられたシロの傍らで、ポチが嘆いていた。
ロボが行きついた結論は、シロを食べることである意味文字通り一つになることであった。 >「う、あ……そんな……あぁ……僕の、僕のせいだ……」
>「僕が命をかけるなんて言ったから……覚えていて欲しいなんて、思ったから……」
「ポチ君のせいじゃないよ……ポチ君はよくやってくれた」
>「ノエっち。尾弐っち。……実はね。僕はさっき、この子に逃げろって言ってたんだ。
山に帰る道しるべを用意して、後の事は、全部僕に任せろって。
僕がそうして欲しかったから。橘音ちゃんが、皆が、あの爺さんにどんな罰を受けても……そうして欲しかったんだ」
>「だから、だから……僕はもう、ブリーチャーズのポチですら、ないんだ。
僕はもう……何も願いたくない。だけど……まだ、血が流れてるんだよ。
ねえ、分かるでしょ。皆がここにいる理由なんて、もうないんだ……」
ポチがシロ捕獲の依頼を放棄してシロを逃がそうとしていたことを明かす。
それでも結果的にはポチが受け持つ部分の作戦はうまくいっていた事に変わりは無い。
そもそもこうなってしまった今となってはもはやそれどころではない。
「残念ながら退職届の提出先は今不在だ――! 自分だけ二階級特進なんて許さないぞ!」 >「……よォ……。よく見たら、おまえもオオカミじゃねェか……。オレ様の群れのヤツだな?去年生まれた……ヴァレーの仔か……?」
「おまえも来い、ここは危ねェ……オオカミを狙ってくる人間がたくさんいるからな……。オレ様が守ってやる、オレ様が……」
「話は後だ――次は君が狙われてる! あいつ、狼全てを食い殺す気だ!」
≪気が変わった――力を貸してやるからリミッターを外せ≫
深雪が突然女装しろと言い出した。
≪前言撤回だ、あやつはぶっ壊れておる――気高き自然の守護者が自然の摂理に反し同族を食らうとは言語道断!
狼を食い尽くした後は犬科の動物、その後は全てのモフモフした動物を食い殺すつもりだろう。そなたが実家で飼っておる兎(※妖怪)もだ!
シロ殿を捕獲した暁には抱き着いて抱きしめてモフモフモフモフする予定だったのに許さぬぞ!!≫
ロボの中では食べる事で最も安全な場所に匿っているつもりなのかもしれないが、食べられる側はたまったものではない。
純粋な人間の敵――厄災の魔物だった彼は、今や守ろうとしたはずの同族に害成す《妖壊》に成り果てたのだ。
このままでは全世界からモフモフが消えるという恐ろしい事態になるという。(※深雪の拡大解釈)
≪何を躊躇っておるのだ、今回に限っては利害が一致しておるではないか。
何、心配せずとも乗っ取らぬわ。あの人間に目を付けられては我も都合が悪いからな≫
単純な話で、厄災の魔物である深雪は人間の敵で、狼は人間ではなく自然の側の存在だ。
モフモフした動物は雪の中でも元気に駆け回るためか、特に好意的に思っているようである。
"あの人間"とは尾弐のことを指しているのだろう。
覚悟を決めたノエルは、ダイヤモンドダストのようなエフェクトと共に、乃恵瑠の姿になる。
>「だけど……出来る事なら、アンタは僕が殺してあげたいよ。
アンタは、まさしく狼の王だ。僕なんかとは違う、すごい狼だよ」
>「だから、そのままでいるなんて……あんまりだ」
闇から現れたポチは、人の輪郭に夜色の毛皮を纏った姿をしていた。それはきっと、彼がその姿を望んだから。
いつもは狼になりたいと願い、肉体を持つ動物の特色を色濃く残すポチだが、今はより概念的な存在に寄っているようだ。
しかし彼はここで死ぬつもりで戦っている。命をかけて戦うのと、死ぬつもりで戦うのは似ているようで全然違う。
乃恵瑠はポチとロボの間に氷の壁を作りだし、暫しの間だけロボの猛攻を阻む。
「ポチ君――シロちゃんは君を逃がそうとした。生きてほしいと望んだんだ」
夜色のポチを後ろから抱きしめ、氷の妖力を付与する。
いつもは武器に対してしているものだが、ポチが概念的存在に寄っている今なら直接の付与も可能だと踏んだのである。
「諦めないで。まだ勝機はある」
確かに銀の弾丸以外では、通常の方法ではロボを滅することはできないのだが。
自分の手でロボを殺したいというポチの意向には反するが、天神細道をくぐらせてどこかに放逐してしまえば勝てるだろう。
物体の転移が可能なのだから、理論的には可能だろう。とはいえ、あの巨体では普通に前から通すのは不可能。
天神細道を持って上から飛び降りる等して頭から通す必要がある。
それにはせめて一瞬、相手の動きを止めなければならない。
そんな事を考えているうちに、氷の壁を事もなげに破壊したロボが突撃してくる。
「――食らえ!」
ロボが大きく口を開け、死の咆哮を放った瞬間に、呪力をを付与した付与したナイフをロボの口の中に投げ込んだ。
それは厄災の魔物の力を使った魂を凍らせる呪い。
少しでも口内を傷つけることが出来れば氷の呪力が次第にロボを侵食し、動きが鈍くなってくるはずだ。 その会話がどの様な結末に辿り着いたのか、獣ならぬ身である尾弐には聞き取れるものではない。
だが、それでも……その視界に映る光景から判る事はある。
孤高にして孤独であった白狼と、人に寄り添い生きてきた混じり物の狼。
二頭の距離は確かに縮まり、そしてその影は月光の中で重なろうとしていた。
その姿に尾弐は、思わず目を細め小さく笑みを作る。
だが、それも一瞬の事。
>「ノエっち!尾弐っち!来るよ!」
ポチの言葉と共に、『其れ』が現れるまでの事であった。 >「何をしてやがる……?このワンコロがァ!『オレ様の女房』に!!」
息が詰まる程の膨大な妖気をまき散らし、吐き気のするような暴力の気配を纏いながら現れたのは、魔狼。
ジェヴォーダンの獣――――狼王ロボ。
>「ガルルルルルォォォォォォ――――――――――――――ン!!!!」
以前とは事なり、妖壊としての本性を露見させたロボは、
獣としての側面を露わにしながら、満月の夜の支配者である事を誇示するかの様に、禍々しい咆哮で大気を揺らす。
>「イロガキがァァ……人様の女房に色目ェ使いやがって、どうなるか分かってンだろォなア!?」
>「ハラワタァ引きずり出して、このビルの屋上から吊り下げてやるぜ!カラスのエサにもなりゃァしねェだろうがなァ!!」
「……ワンワンうるせぇよ、今何時だと思ってんだ化物。腹かっ捌いて石詰めてから東京湾に沈めんぞ」
だが、その吹き荒れる殺意を前にしても尾弐は揺るがない。
それは理解しているからだ。
ここで呑まれれば、敗北する事を。
そうなれば眼前の妖壊は、この場のブリーチャーズ全員の命を噛み砕くであろう事を。
故に心を凪の様に沈め、尾弐は、猟銃……PSG-1と呼ばれるそれの銃口を狼王へと向ける。
そして、月下の戦いが始まった。
――――― 「チッ!やっぱし、前より硬ぇか……っ!」
ロボの脇腹に向けて放った回し蹴りを左腕一本で受け止められた尾弐は、
お返しとばかりに放たれた鋭利な爪による一撃を、上体を逸らす事でかろうじで回避した。
そのまま後方へと跳躍すると、ノエルの銀食器による氷のダーツとポチの連撃の隙間を縫い、右腕に持った猟銃の引き金を引く。
火薬の炸裂音と共に放たれた弾丸は狼王の肩に直撃する……だが、その堅牢な皮膚を貫く事無く床へと落ちた。
「これもダメか――――狩猟の概念じゃ、こいつ相手にゃ弱ぇ訳だ……っと危ねぇ!」
……威力だけで言うなら、単なる銃弾は尾弐の肉体でも弾けるものであり、狼王に通じる筈はない。
それでも尾弐が猟銃を用いたのは、銀の弾丸のように『狼は猟銃で狩るもの』という概念を以って狼王に傷を付ける為だ。
だが……実際に試した所、その効果はほとんど無かった。
『数多の猟師を以って仕留める事能わず』という伝承の影響か、或いはそれ以外の何かによって無効化されてしまっている。
(しかも、避けるんじゃなくて受け止めたって事は……奴さん猟銃を、銀の弾丸を畏れてねぇのか?)
更には……満月の夜に対する興奮からか、眼前のロボには『銀の銃弾』に対する警戒が薄くなっている様に感じられた
これは、尾弐の見込んだ猟銃の優位の二点目。
即ち、『銀の弾丸への警戒』を用いた牽制の失敗も意味している。
今回の戦いを想定した時に、尾弐は自身が種族としての弱点である菖蒲や煎った豆を警戒する様に、
高い知性を持つ狼王ロボが自身の致命の弱点である『銀の弾丸』を警戒しない訳が無い、そう考えていた。
故に、逆にそれを利用して牽制とし……更には、銀の弾丸の真の射手を隠すデコイにしようとしたのであるが、
射撃に対する警戒が無いという事は、満月が狼王ロボへ与える影響は予想よりも大きかったのであろうか。
続く攻防の中でも思考を巡らせる尾弐。
だが、狼王はその僅かな隙を獣の嗅覚で嗅ぎ取り、薙ぎ払う様に拳を振るう。
>「サル知恵がァ……ちょいと考えてきたとは言ってもその程度かよ!そんなンじゃァ……オレ様は止められねェなアアア!!!」
「くそ……っ!」
とっさに両腕を交差させ受け止める尾弐であったが、圧倒的な膂力により、射程にいたポチごと吹き飛ばされてしまう。
床を転がり、持っていた猟銃は手から離れ、腕には鈍い痺れが残るが……前回とは違いまだ戦える。
そう思い、再度視線を前へと向けた尾弐は、己の失態を悟り息を飲む。
>「……ブランカ……悪かったな……。ああ――何もかも。オレ様が悪かったんだ……」
狼王ロボは、ニホンオオカミであるシロの直ぐ傍に立っていた。
そして――――彼を妨げる者は、誰もいない。
狼王ロボがシロに向けているのは、間違いなく慈愛の表情で、家族を守りたいという暖かな感情だ。
投げかける言葉も、シロを傷つけようなどとは微塵も思っていない優しい声色である。
だからこそ、その姿にノエルやポチは一種の希望を持った事だろう。
だが、尾弐は。
この場において、妖壊に欠片の信用も慈悲も持たない尾弐だけは、その結末を想起していた。
そして、そうであるが故に立ち上がり歩を進めようとするが――――もはや、手遅れであった。
>「だが、もう大丈夫だ。わかったんだ……あれから。オレ様はあのとき、どうすべきだったのか――」
>「――『一番安全な場所が、どこなのか』――」
肉を噛み砕く音と同時に、闇夜を鮮血が奔る。
何処までも深い赤色の発生源は、美しい白色のニホンオオカミで……変わり果ててしまったその腹から続く
赤い液体の線は、純白の毛皮を染めながら狼王の口元へと続いている。
そう……喰らったのだ。狼王は、己が愛する妻であると思い込んだシロのハラワタを。 >「ゲァハハハハハハハ……、ハァ――――ッハッハッハッハッハッハッハッハァ――――!!!!」
>「……おい。何やってるんだよ、お前……」
ポチの制止の声は届くべくも無く、狼王ロボはシロの命を喰らうと、残った肉体を粗雑に放り投げた。
……これだけの傷を受ければ、もはや生きてはいまい。
狼王の哄笑が響く中、誰もが呆然とその場に立ち尽くす。
そんな中で、尾弐の耳に絶望の混じったポチの声が届く
>「う、あ……そんな……あぁ……僕の、僕のせいだ……」
>「僕が命をかけるなんて言ったから……覚えていて欲しいなんて、思ったから……」
>「ポチ君のせいじゃないよ……ポチ君はよくやってくれた」
「……お前さんだけの責任じゃねぇよ。俺を含めたここに居る全員の失策だ。すまねぇ」
その懺悔の言葉に、ノエルが慰めの言葉を掛ける。
対して尾弐は、この場の全員の失策であったと敢えて責任が無いという優しい言葉を切って捨てた。
それは、尾弐がポチを大切に思っていないから――――ではない。
東京ブリーチャーズの仲間として大切に思っているからこそ、尾弐はポチ含めた自身達の責任を認めたのである。
何故なら……誰もポチの非を認めなければ、ポチは自分を責める事すら出来なくなってしまうからだ。
自分を責められないという事は、永遠に自分を許してやれないという事でもある。そんな重荷を、尾弐はポチには背負わせたくなかった。
故に、疎まれる事を覚悟で尾弐はそう言葉を吐いたのである。
>「ノエっち。尾弐っち。……実はね。僕はさっき、この子に逃げろって言ってたんだ。
>山に帰る道しるべを用意して、後の事は、全部僕に任せろって。
>僕がそうして欲しかったから。橘音ちゃんが、皆が、あの爺さんにどんな罰を受けても……そうして欲しかったんだ」
>「だから、だから……僕はもう、ブリーチャーズのポチですら、ないんだ。
>僕はもう……何も願いたくない。だけど……まだ、血が流れてるんだよ。
>ねえ、分かるでしょ。皆がここにいる理由なんて、もうないんだ……」
そして、ポチは自身の感情を纏める為かの様に語り出す。
己が東京ブリーチャーズの面々を欺き、シロを逃がしてやろうとしていた事を。
……それは、無粋な言い方をすれば裏切りである。
2つを天秤にかけ、東京ブリーチャーズよりもシロを選んだという答えである。
その言葉を受けた尾弐は暫く口を噤み……その間に、ポチは命を捨てる覚悟で狼王へと立ち向かう
犬でも狼でもなく、これまで一度も見せた事のない、人の姿を以って。
尾弐は、その背中に言葉を掛ける事が出来なかった。
何故ならば、ポチの選択はかつて尾弐がクリスとの戦いの際に取ろうとした選択と同質のものであったからだ。
大切なものの為に、大切な物を切って捨て、それでも尚失敗した。
かつて自分が選ぼうとした道。その答えの一つを前にして、尾弐には何も言う資格がなかった。
そのまま、文字通り命を掛けて立ち向かわんとする背中を拳を握りながら見送り――――
だが、そのポチの歩みを止めるものがあった。 >「ポチ君――シロちゃんは君を逃がそうとした。生きてほしいと望んだんだ」
ノエルである。
誰をも傷つける事を良しとせず、ただただ純粋にポチに生きている事を望むその青年は、
その姿を女性のものへと変えると、ポチの眼前に氷壁を作り出す事で死出の行進を止め、その背中を抱きしめる。
>「諦めないで。まだ勝機はある」
彼はポチに語りかける――――生きる事を。勝てると。死んでほしくないと。生きろと、そう告げる。
その言葉がどこまでポチに届くかは判らない。
だが……尾弐には届いた。蹈鞴を踏んだ尾弐の足を、その言葉は動かした。
「……なあ、ポチ助。お前さんが自棄になるのは当たり前だけどよ……その前に、今すべき事を忘れちゃいねぇか?
お前さんがすべきことは、諦める事でも謝る事でも、ましてや、あの化物を憐れんでやる事でもねぇだろ」
言いながら尾弐は、懐から銀色の紙に包まれた四角い物体を取り出すと、ポチによってバランスを崩したであろう狼王へと向けて走り出す。
「お前さんが今やるべき事は、するべき事は。テメェが惚れた女を不幸にしたクソ野郎をぶん殴ってやる事だろうが。
……作戦無視の仕置きは後回しだ。東京ブリーチャーズは関係ねぇ。今は、一人の男としてお前さんを手伝ってやる。だから」
だから生きろ。怒りを燃やせ。生きて目の前の化物に牙を向け。
最期まで言葉に出す事無く、尾弐は狼王の巨体の前へと立ち塞がる。
直前にノエルが口腔へ向けて放った、呪力を付与したナイフ。
それが口腔まで届いたのか弾かれたのかは、疾走していた尾弐には判らない。
だが……それが隙を生んだ事は判る。
ナイフと、執拗に耐性を崩し襲い掛かるポチに対処すべく、僅かに口を開いた狼王ロボ。鋭利な刃の様な歯が並ぶその口元へ
「おい、オヤツをくれてやるよ犬っころ」
尾弐は、自賛した銀紙につつまれたソレを――――手に持った『ただのチョコレート』を叩き込んだ。 ……人間と犬の歴史は長い。
敵対者として。狩猟のパートナーとして。そして家族の一員として。
二つの種族は、それこそ一万年以上を共に歩いてきた。
そして、互いの理解を深め合うその歴史の中で、人間は犬の生態について様々な事を学んだ。
愛し方、躾け方、好きな遊び、好物、苦手な物……そして、食べさせてはいけない物。
『チョコレートは犬にとって毒で、食べると死ぬ』
チョコレートの原料であるカカオには犬にとって有害な物質が多量に含まれており、食べれば死に至る。
今や、地球上の人間でそれを知らない人間は少数であろう。
その知名度は、狼王ロボの伝承や、ジェヴォーダンの獣の伝承に比べて遥かに高い。
『かくあれかし』
人間の願いは妖怪に対して強い影響を持つ。
故に。銃弾をすら弾く強靭な肉体を持つ尾弐が、子供の投げる煎り豆で傷を負う様に。
狼男が銀の弾丸で致命傷を負う様に。
チョコレートは、狼に対して猛毒と化す。
狼王とはいえその根幹は狼であり、即ち犬の祖先である。そうであるが故に……
毒餌を含めたあらゆる罠を掻い潜った伝承を持つ狼王にも、これは、通じる筈だ
無論、所詮は食糧だ。吐き出されてしまえばそれで終わりである。
だが、狼王ロボは何が有ろうと胃の中身を吐き出す事だけは出来ない筈だ。
当然だ。それをしてしまえば……己が胃の中に納めたシロを手放す事となるからである。
失った妄想の妻と一つになる事を願う狼王には、それだけは耐えられまい。
噛み千切られる覚悟で狼王の口腔に左腕を突き入れる尾弐は、そのまま狼王の息がかかる程の近距離で、
その瞳を睨みつけながら、表情とは逆の感情のこもっていない言葉を叩き付ける。
「――――人間と犬の、1万3千年分の愛で死ね」
腕を食い千切られる覚悟で口に叩き込む猛毒(チョコレート)。
仮にノエルの呪詛のナイフと同時に胃に落とす事が出来れば、例え狼王であっても無視できぬダメージを与えらえられる事だろう。
そうなれば、例えここで尾弐の片腕が無くなろうと、祈やポチ、ノエルの攻撃で仕留めきれる筈だと、尾弐はそう考える。
……この時点で、尾弐は那須野の用意する銀の弾丸無しで狼王を殺し切るつもりであった。
長年の付き合いから、尾弐は那須野が真実を煙に巻く事はあれ、嘘を付く事が少ないという事を知っている。
ならば、約束の時間に那須野が居ないと言う事は……恐らくは何らかのトラブルに巻き込まれているのだろうと、彼はそう当たりを付けていた。
だからこそ、那須野が到着しない事を前提として、尾弐は立ち回る。
足りない戦略を、自身が流す血で補いながら。 祈は適当な所でタクシーを降りて、
迷い家までの道程を徒歩用ポータブルナビを確認しながら歩いていた。
>『気を付けてね、何かあったら電話して』
ポータブルナビを見ていると、SnowWhiteを出る前にそんな言葉で祈を送り出してくれたノエルが思い出された。
(御幸は心配しすぎなんだよなー……)
祈が一人で迷い家に行くだけだというのに、補欠のブリーチャーズ達に声を掛けたり、
今祈が持っている徒歩用のポータブルナビを用意して行き先を設定したり、
多めに交通費を渡したりと、心配して何かと世話を焼いてくれたのだった。
(ったく、こんなお使いぐらい簡単にできるってーの。あたしだってもう14だし、子どもじゃないんだから)
実質何百年と生きているノエルから見ればほんの子供なのであるが。
とは言え、その心配は分からないではない。
確かにターボババアは、短距離を最高速度で走り抜けることこそ本領とする妖怪である。
人間を超えた時速140キロという速度を出し続けるのは当然激しい妖力の消費を伴い、
ターボババアの厳しいしごきを受けた祈であっても、休憩せず最高速度で走り続けるのはせいぜい30分が限界と言った所だ
(それでも通常の人間と比べれば十分に脅威的な数字であるが)。
そう、たった30分。時速140キロで30分走れば、走れる距離は70km。
いかに足が速いとはいえ、それで直線距離にして500kmもの距離をどうやって走破するのかと、ノエルは心配しているのだろう。
道に迷わないか、というのも多分にあるかもしれないが。
だが、心配は無用なのである。
祈が一度家に帰り、鞄に入れて持ってきた大きめの水筒。これに迷い家の秘湯の源泉を汲んでいけば、
途中で妖力が尽きても補給ができる。
それにターボババアだからと言って、何も常に全力で走らなければならないと言うルールはないのである。
学校で鎌鼬と相対したときのように速度を落として走ることもでき、
妖力を節約しながらマラソンランナーのように走れば、
時速80キロから100キロ程度を維持しながら長時間走り続けることが可能なのである。
故に秘湯の源泉で妖力及び水分を補給しながらならば、十分に走破できると祈は踏んでいるのであった。
暫く歩いていると道は傾斜になり、景色は山か森か、というものに変わってきた。
方向感覚が狂い始め、何らかの力が侵入を拒むのを肌で感じる。
しかし記憶の通りに歩いていくと、やがて、さぁと風が吹き、途端に視界が開けた。
道がうねり、迷い家の玄関に続く一本道へと変貌する。
普通ならば入ることのできない、迷い家の結界の中に招き入れられたのである。
祈が一本道を駆けていくと、迷い家の玄関先を箒で掃いている笑の姿を見つける。
「あっ。おーい! 笑さーん! こんにちはー!」
声を掛けると、笑もこちらに気付いて、
>「あら、まぁ。祈ちゃん?」
と、僅かに驚いたような声を上げる。祈が笑の目の前まで駆けて行くと、
まだ泊まる予定だった筈のブリーチャーズ一行が荷物を残していなくなってしまったので心配していたのだと聞かされた。
「ごめんごめん。ポチがどうしても待てないって言うから、一旦東京に帰ったんだ。
でも橘音もみんなもまたこっちに戻ってくる予定みたいだから、悪いけど荷物は置いといてくれると助かるかな」
そこでふと周りを見回し、鳥居がない事に気付く。
「……あれ? ここに鳥居置いてなかった? あたしが潜れるぐらいの、なんかちっちゃいやつ。橘音の持ち物なんだけど」
>「鳥居?ああ……玄関先に置いてあった、あれ……。三ちゃんの持ち物だったの?ちょっと邪魔だったから、どけてしまったのだけれど」
笑は右手を頬に添えて、困ったような表情を作って見せた。
「あー、邪魔だったよね。ごめんね笑さん。それで、あれってどこに置いてあるの? あたし、あれ持って東京戻らないといけないんだ」
祈がそう言うと、鳥居の居場所は裏手だと、仕事もあるだろうに笑は案内してくれる。
裏手に回り、桶や樽などと一緒に積まれている鳥居を見つけた。
「あったあった。ありがと! じゃ、あたしはこれ持って帰るね!」
そう言って、祈は頭上に鳥居を掲げるような姿勢で持ち上げてみた。
持ち上げてみると、重さとしてはちょっと大きなイスか脚立か、と言った具合。
妖怪の血を引く祈が持って走るのであればそこまで大きな負担ではなさそうであった。
笑が仕事に戻り、では慌ただしいが秘湯の源泉を貰ったら帰るかと玄関に足向けると、
>「せっかく戻ってきたのに、すぐとんぼ返りか。忙しないことぢゃの、颯(いぶき)の仔」 背後で嗄れ声。「おわっ」と可愛らしくもない悲鳴を上げて祈が振り返れば、
杖をついた小柄な老人、ぬらりひょんの富嶽がおり、木箱を抱えた一本ダタラが富嶽に付き従うように立っている。
持ち上げた鳥居を降ろし、祈は富嶽に向き直った。
「なんだ、ぬらりひょんのじっちゃんか。びっくりさせんなよ」
ぬらりひょんは勝手に人の家に上がり込んで飲み食いする妖怪。よって気配を消す術に長ける。
意図的かそれとも無意識か、ぬらりひょんの富嶽は気配を消して現れたのだった。
>「狼の捕獲はうまくいっとるか?たっぷり飲み食いさせたんぢゃからな、それに見合った働きはして貰わんと」
そう催促して笑い、長い後頭部を揺らすぬらりひょん。
揺れる後頭部を珍しそうに眺めながら、
祈が「正直、上手く行ってないけど……上手く行くよう頑張ってる途中だよ」と答えると、
富嶽は老人がよくやるような、感慨深そうな、昔を思い出しているような表情を見せる。
話は終わりかと思い、祈が「そんじゃ、あたし行くから」とぬらりひょんに背を向ける。すると
>「それにしても……まさか、颯の仔が妖壊退治とはの。いや、血は争えんということか?」
>「あやつがよく許したものぢゃ。娘のあの……考えれば、孫に……など到底…………ぢゃろうに、の」
こんな気になることを言う。思わずまた祈は振り返った。
後半は良く聞こえなかったが、颯の仔が妖壊退治とは、という部分だけははっきり聞こえていた。
「……母さんも妖壊退治してたってホント? ねぇ、ぬらりひょんのじっちゃん!
ばーちゃんも橘音も、誰も母さんのこと教えてくれないんだよ。なんか知ってるなら教えてよ!」
なので食い付いてみるのだが、
おかしいな、急に耳が遠くなったので聞こえない、とでも言いたげなリアクションで躱されてしまう。
どうやら答えるつもりはないらしい。口が滑ったとでも思っているのかも知れなかった。
ぐぬぬ、と祈がぬらりひょんを睨み、耳元でもう一回大声で聞いてやろうかと思っていると、
>「まあよい。颯の仔よ、折角来たんぢゃ。土産を持って行け」
と先程の話題を切り捨て、代わりに別の話を切り出した。
脇に控えていた一本ダタラが祈の前までやってきて、木箱を差し出してくる。
祈が受け取ってみると、木箱の中身は重いのだか軽いのだか、不思議と分からない。
「何が入ってんの?」
>「開けてみい」
促されて祈が木箱の蓋を開けてみると、中には一足の赤いショートブーツが入っている。
靴底には車輪が4つ縦一列に並んでおり、それは所謂インラインスケートのシューズによく似ていた。
>「『風火輪』。履いた者の妖力を用い、速度を無限に上昇させる妖具ぢゃ」
>「扱いの難しい妖具ぢゃが、使いこなせば空を走ることもできる。かつて唐土のナタという妖が用いた妖具であり――」
>「……お主の母、颯が使っていたものぢゃ」
「……母さんが?」
ナタが使用していた風火輪。無限の速度。空をも走れる。そんなヤバそうな物をなんであたしに。
驚くべき点、気になる点は多くあったが、祈が最も注目したのは、母がこれを使っていたことである。
こんな代物を使用していたと言うことは、やはり母は妖壊退治をしていたのだろうと、祈は思う。
>「お主の母は、それをうまく使いこなしておったが――お主はどうぢゃろうの?」
悪戯めかして笑うぬらりひょんの目は、試すように祈を見ていた。 隕石のようにその影は落ちてきた。
大きな満月に照らされ、祈からはさながら影絵のように映るその姿は、冗談かと思える程に巨大だった。
3メートルか、4メートルか。体格が大きいはずの尾弐が、まるで子どものように見える。
シロ達のいるビルの屋上に降り立ったその巨大な二足歩行の狼。
そいつは何事か言い捨てると、ビルをも揺らがせるかと思うような足取りで、ズンと歩を進める。
(止まらない――!?)
シロへと向かうその歩みは止まらない。
作戦通りならば、ここでポチとシロが夫婦になることで、あるいはそう見せかけることで、
ロボはショックを受けて棒立ちになっている筈だった。
しかしかの人狼がショックを受けている様子は微塵もない。
ということは、ポチは失敗してしまったというのか――。
ただでさえ今宵は満月の夜。人狼が最も血を滾らせ、力を最大限に発揮する夜だ。
尾弐の拳が通用しなかったロボの肉体も最大限に強化されていると見ていいだろう。
銀を含んだ武器なら祈の手元にあるが、
『妻との絆』という弱点を突いて無力化ができなかったのならば、
あの完全なる人狼の頑強な肉体を貫いてダメージを与えるなど、どうすればできようか。
>「ガルルルルルォォォォォォ――――――――――――――ン!!!!」
ロボの落雷のような咆哮が響き、『死』を予感した周辺住民がパニックを起こして逃げ出し始め、
祈ははっとする。
四の五の言っている余裕はないのだ。
戦いの火蓋は切って落とされた。シロを守る為に、仲間達はロボの圧倒的な暴力に抗い始めている。
ロボが脱力していようがいなかろうが、今目の前には仲間とその想い狼の危機があり、
そしてドミネーターズに名を連ねるロボを倒さねば、関係ない誰かが傷付くのだ。
(弱気になるなあたし! 銀でできたナイフで人狼を傷付けて、その結果倒したって話だってあるんだ。
だからちょっとの傷だけでも付けられれば――!)
祈は振りかぶって、銀のアクセサリー自作キットなどを用いて弾丸に似せて作った、
“疑似銀弾”とでも言うべきものを投擲する。
祈の力に耐えうるスリングショットが見つからなかった為に手で投擲することになった訳であるが、
しかし、かつてコトリバコハッカイの頭蓋を砕いた祈の投擲力は相当なものである。
あの時から更に磨きがかかり、小さな疑似銀弾でも時速500km近い速度を出して飛ばせるようになっている。
しかし。鳥居に向かっていくら投擲し、ロボの背にぶち当て続けても、一向にダメージが入っている様子はない。
小さな傷一つすら、ついているように見えない。
「くそっ……なんで……やっぱり駄目なのか……!? いや、純銀のナイフなら!」
ロボが銀の弾丸であると認識すれば効果も上がろうと思い、作り上げた疑似銀弾。
だがそれは人が容易く捏ねて作れるようにと銀以外のものが混じっている。その混じり物の所為で銀の効果が弱くなっているのならと、
今度は純銀のナイフやフォークを引っ掴む。じゃら、と雑に掴まれた食器たちがぶつかり、音を鳴らした。
「おらぁああッ!!」
そして更に力を込め、踏み込み、投擲する。
鳥居の先に映すロボは仲間達を蹂躙している。それを止めようと、その背に向けて。
それでも駄目なら、目に、鼻に、口にと。今度は生命としての弱点めがけて次々に投擲するが――当たっている様子がない。
ロボの動きが早すぎるのだ。背などの大きな目標ならばまだしも、
目などの小さな目標では、目視しゲートを開き投擲する、という段階を踏む間に大きなズレが生じてしまう。
クリーンヒットは一つもなく。投げども投げども人狼の進撃は止まらない。やがて祈の息が切れる頃には。
「くそ……はぁっ……あ――」
探る手は空を切る。もう疑似銀弾も、銀の食器も尽きてしまっていた。
そしてその時は訪れた。祈が最も回避したいと思っていた未来の一つが。
ロボは仲間達を打ち据えて、威嚇するシロに近付くと、その首を掴んで持ち上げる。
更に、ロボと比べてしまえばあまりのも細いその首筋に――かぶりついた。
ロボが何故そのような凶行に及んだのかは祈にはわからない。
祈が予想したように、シロはやはりブランカではなかったから殺そうと思ったのかも知れない。
だが何せ妖壊の考えることだ。
その行動理由はきっと説明されなければ、いや、されてもきっと、理解などできよう筈もなく――。
満月を背にシロの喉を食い破り、その鮮血を浴びる人狼ロボ。
更に腹部に噛みついて、その臓物を引きちぎり。哄笑する――。
>「ゲァハハハハハハハ……、ハァ――――ッハッハッハッハッハッハッハッハァ――――!!!!」 また、守ることができなかった。
4日前と同じ、血の夜が繰り返されてしまった。
祈の見る世界が暗く歪み、滲む。
が。それは瞬きをするよりも僅かな間に過ぎない。
ブリーチャーズを守ろうとしてくれた優しい警官達。彼らのように強くありたい。
だから折れない。
いざという時は自分が何とかすると、ノエルと交わした約束がある。
故に屈さない。
何より、仲間の大事な想い狼を、みすみす死なせてたまるものかと心が叫んでいる。
「諦めてなんていられるか!」
その目は死んでなどいない。
祈は駆け、天神細道を潜って自らも仲間達のいるビルの屋上へと、ロボの背後へと移動する。
そして、ロボが用済みとばかりにビルの屋上に放ったシロを両手で優しく抱きかかえると、
自分が元いたビルへとすぐさま体を翻す。
ロボはどうしたことか祈には見向きもしない。それを好機とばかりに更に勢いをつけて、ビルの屋上から――跳躍。
目指すは天神細道だった。
もし今、命の尽きかけたシロをなんとかできる道が残されているとすれば、それは天神細道以外にないと思ったのだ。
だが、ビルからビルへの距離は100メートル近くもあり、祈の跳躍力でも届く筈はない。
このままでは失速し、落下するかに思われた。
しかしその足には。
――『風火輪』。
一足のショートブーツの靴底で、計八つの車輪が激しく回転し、火を噴いていた。
上二本与半卉亠十士廿卞广下广卞廿士十亠卉半与本二上旦上二本与半卉亠十士廿卞广下广卞廿士十亠卉半与本二
――三日前。
「母さんが使ってた風火輪かー。へへっ、いーもん貰っちゃったな」
そう言いながら風火輪に足を通す。
場所は人通りのない夜の公園。ベンチに座って靴から風火輪に履き替えた祈は、脱いだ靴を揃えながら、
母さんが使ってた奴ならあたしでも余裕で使えるだろ、だの、やってる人を見て楽しそうだと思ってたんだよね、だの。
そんなことを考えてワクワクしていた。
立ち上がり、いざ滑るかと思った刹那。車輪が急激に回転し火花を散らし。
「は?」
僅かに前進したかと思うと、振り上げた記憶のない右足が勢い良く跳ね上がっており、
勢いにつられた左足も滑り、地を離れる。天地が逆転する。
気が付けば祈は後ろ向けにすっ転んで、
プロレスで言う所のジャーマンスープレックスをかけられたような無様な格好になってしまっていた。
その際に後頭部をしたたか地面に打ち付けて、
(痛った……! 頭がぬらりひょんのじっちゃんみたいになっちまう!)
痛みに悶絶し、ゴロゴロと転げ回る。手で探ればたんこぶができているのがわかった。
その後、めげずに何度も走る練習をしてみて分かったことだが、風火輪はとんだ暴れ馬であった。
正しく表現するのなら“まるで言うことを聞いてくれない”、だろうか。
その性能をフルに発揮する為には莫大の妖力と繊細な妖力操作、そして人間を遥かに超えた身体能力が要求される。
高名な妖が生まれた時から身に着けていた宝貝だけあると言えよう。
ロボとの決戦までの間に繰り返し練習を積み、なんとか走ったり止まったりというような基本動作は身につけられたものの、
複雑な動きはできず、武器としては未だ使えるレベルにない。
当然、ナタのように空を自在に飛ぶ事など祈にはできはしなかった。――なのに。
下广卞廿士十亠卉半与本二上旦上二本与半卉亠十士廿卞广下上二本与半卉亠十士廿卞广下广卞廿士十亠卉半与本 「っだあああああああああ!!」
空に二つの赤い線が奔る。それは風火輪の炎が描く軌跡だった。
祈の必死さがこの土壇場で、自在とは行かないまでも風火輪に空を駆けさせる。
軌跡は真っすぐに、祈が走るよりもずっと早く、天神細道の置かれたビルの屋上へと伸びていく。
一秒が惜しい。もっと速く。そう思えば思うほど、風火輪の炎が激しさを増した。
(喉と腹を食い破られてまだ数秒、脳死まではまだ僅かに時間がある……!
内臓は食べられたけど心臓が残ってる、肺がある。血は足りない、喉が食われて呼吸ができない、でもまだ――!)
意識なく、力尽きてだらりと口を開けたままのシロ。
その体は小さく痙攣を繰り返している。まだ生きている可能性が僅かでもあるなら。
(“シロを助けてくれるところへ”!)
そう願いながら天神細道へ、急ブレーキをかけながら突っ込む。
祈が鳥居を潜ると、そこはどこか既視感のある場所だった。
「ここは――」
こじんまりとしている、白基調の内装の建物の中に出たようだった。
清潔感のある消毒液の香りと、妖気の混じった独特の雰囲気には覚えがある。
そこは4日前に尾弐の傷を治すために訪れた妖怪専門の病院だった。
その病院内でも、どうやら医師が待機する部屋にでも出たらしく、
夜食であろうか、胡瓜に味噌をつけて食べているフランシスコザビエル似の医者がそこにはおり、
突如現れた祈を見て驚愕していた。その見開いた目と祈の目が合う。
シロが助かる希望はここにあるのかもしれないと思った瞬間、祈は叫んでいた。
「この子を助けて!!」
この医者は河童である。
大怪我を治し、斬り離されてかなり時間の経った腕をも繋いだ伝説を持ち、
尾弐のぐちゃぐちゃになった内臓を瞬く間に回復させた“秘伝の軟膏”を所有している。
そしてここは妖怪の病院であるから、仕事柄、動物妖怪を治療することもあるだろう。
故に、狼を診た事はないかもしれないが、動物の身体構造については詳しいと思われた。
また、軟膏だけでなく様々な不思議な道具を揃えている可能性がある。
シロの足りない血液を、不老不死や不老長寿の伝説がある他の妖怪の血液、
例えば人魚やぬっぺっぽうの血などで補って、一時的に生命力を高めることだってできるかもしれない。
更に、ムジナのように形状を変化させる術に長ける医者がいるならば、
食い破られた喉を一時的に修復して呼吸をさせたり、
血管を繋いで出血を抑えたりというようなこともできるのやもしれない。
ともあれ、この医者が祈の叫びを聞いてシロを任されてくれるのなら、
祈は仲間の元へ戻るため、空を再び駆けようとするだろう。
この妖怪病院のある新宿区から、博物館付近の台東区まではやや距離があるが、
空という阻むもののない直線。加えて風火輪の速度。
2分もあれば仲間達の元へ辿り着けると思われた。
>『強力な妖具って諸刃の刃なんだ。ずっと履いてると危ないから気を付けてね』
その言葉を祈に言った時、ノエルが抱いていた心配は当たっている。
祈は命を削ってでも、今も戦っている仲間達の元へ戻ろうとするのだろう。 ……身体が、熱い。
呼吸がうまくできない。息を吸い、吐こうとするたび、ごぽごぽとくぐもった声が漏れる。鉄臭い液体が口の奥に溢れる。
腹部に鈍痛を感じる。重い痛みだ。そして熱い。暑い。痛い――
痛い?
……そうだ。思い出した。
わたしは、敗れたのだ。あの、月光をきらきらと弾いて佇む魔狼に。禍々しい月の使者に。
わたしは喉を食い破られ、腹を噛み裂かれた。致命傷だ、間違いない。
わたしがかつて縄張りとしていた山の中で、野兎や雉にそうしていたように。
“あれ”は――わたしの急所を破壊したのだ。
そうか。
これが、死か。
わたしは結局同族に巡り合うこともできず、一族の復興を遂げることも叶わず、ひとりぼっちで死んでいくのか。
嗚呼、それは、なんて悲しくて――
なんて、寂しいのだろう。
>う、あ……そんな……あぁ……僕の、僕のせいだ……
>僕が命をかけるなんて言ったから……覚えていて欲しいなんて、思ったから……
……?……
>ノエっち。尾弐っち。……実はね。僕はさっき、この子に逃げろって言ってたんだ。
>山に帰る道しるべを用意して、後の事は、全部僕に任せろって。
>僕がそうして欲しかったから。橘音ちゃんが、皆が、あの爺さんにどんな罰を受けても……そうして欲しかったんだ
あなた、は……。
>……本当なら、君を守れなかった僕に、こんな事する資格なんてない。
>だけど……これで、あの子の魂は今どこにあるのかな。アンタの中?それとも……僕の中にも?
あなたは。哭いてくれるのですか?悼んで……くれるのですか……?
あなたを拒絶した。仲間と認めなかった。
あなたの忠告を無視し、自業自得の死を迎えようとしている、こんな無様なわたしを――?
>ポチ君――シロちゃんは君を逃がそうとした。生きてほしいと望んだんだ
>お前さんが今やるべき事は、するべき事は。テメェが惚れた女を不幸にしたクソ野郎をぶん殴ってやる事だろうが。
>……作戦無視の仕置きは後回しだ。東京ブリーチャーズは関係ねぇ。今は、一人の男としてお前さんを手伝ってやる。だから
わたし自身の血のにおいに混じって、この人間――いいえ、人ならざるモノたちの感情のにおいが鼻腔を擽る。
それは、強い悲しみ。無尽の怒り。戦いの場にあって、激しく猛り狂う強い意識のにおい。
そして――
それら強い感情のすべてを包み込む、愛情のにおい。
……なぜ……。
なぜ、あなたたちは。姿かたちも、種族も。すべてバラバラに見えるのに、そこまで他人のために憤れるのですか?悲しめるのですか?
愛を。分かち合うことができるのですか――? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています