153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 15
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ヒッポリト星人みたいな上司がいるんだが
どうやってうまく対処すればいい? うちの母ちゃんは113系や153系をひとからげにして昔の電車と言ってたなあ 昔の電車というのは70系以前・・・
新潟、阪和線、横須賀線、福塩線などは 準急(→後で急行)鷲羽のうち宇野行き1本だけ京都発がありましたが
わざわざ京都に回送していたのですか。 ん~〜?向日町から京都なんてすぐ近くじゃん。大阪発着の電車特急 急行も向日町ベースが多かった。 宮原と向日町の棲み分けは未だによくわからん
直流交直流? 特急急行?何か序列がある? 宮原は客車、電機、直流電車のイメージがある
向日町は機関車を除く全般な感じ 宮原は元々客車区だからね。一方向向きの旧つばめ・はとの
展望車付きの編成方向転換にはデルタ線通して宮原で
清掃整備が必須だった。福知山線の客車時代も大阪駅じゃ
機回しせず、到着9-10番→宮原→出発1-2番に付け替えだったし。 急行きそ、つがいけに165系、153系の雑種編成なんてあったんだ。
それも4M4Tで登坂きつそう。 >>14
神領165系急行編成のサハは最初からサハ153が主
25パーミルなら4M4Tで十分、
松本のアルプス系統、長野の信州系統はMT比1:1
新潟の165系佐渡は6M7T
更に長野の169系で、妙高の一部は長野―直江津の25‰を4M5Tで越えていた 加速は察しだわな、あと負荷で寿命縮めて。
JR化後115とか165、457・475が2M1Tで余裕もたせたり
普通運用での加速度に振ったのとは大違い。 153系と185系の併結って、ギヤ比が若干違うけど問題無かったの?走りについていけないM車のモーターが高回転するとか。 つい最近まで413系と415系の併結が問題なく運用されてたのは知ってるよね? >>17
運転最高速度を超えなければ問題無いと思う
乗る側としてはギア比の低い方のM車が良いけどね 185系ってメカ的にはやっぱり急行型だな。
速度計はいっちょ前に160キロメーター。 >>22
いや、ギヤ比など、メカ的には近郊型
113・115系などと同じ >>23
MLながら爆音で眠るにはちょっと…とかスーツ氏の動画にあったような MLながらなら面白くないから直ぐに寝る
153系ならワクワクして、静岡まで寝られない 165、373、185
どれもダメだ
153はいい音で走るよ
フラット有りの可能性高いけど >>29
懐かしだから仕方ない
何が悪いかいいかくらい書く有益な奴ならもっと良かったよな 九州は475でデビュー(瀬野八の関係?)だから間合いで山陽筋での運用が無かったら471は分からん 473は少数派で
475が山陽・九州スジみたいだぬ 電化時期の微妙な問題なんだよね。特急形も60Hzから始まって
東北筋の483が後になったし、九州は非電化区間が長すぎて
結局客車や気動車じゃないと全線走れなかった。
日豊線なんか南宮崎以南、昭和54年だからね。 >>15
木曽・伊那・富士川などで165系にサハ153が組み込まれて抑速ブレーキが機能するのか
長年疑問だったが、鉄ピク・国鉄車輛の記録・165系急行電車で問題ないことが載っていた。 クハ153でも、先頭に立たなければ同じだったね。
瀬野八運用で組み込まれた場合は抑速ブレーキを使用しない奇数向き(上り)に方向転換して使ってたこともある。
で、めんどくさい運用を統一するために登場したのがクハ164。 153系だと思ってるが
実はクハ164だったって
落ちじゃないよね 配置の都合だけで低運車だけがクハ164の種車になったのかね?
高運クハ164がいてもよさそうなものだが 221系、223系は低運転台に見えるが中運転台か。 >>39
当時宮原→下関のクハ153全8両が対象になったようだけど、
それがたまたま前期低運転台車だったようだね。 >>39
>>42
宮原から下関に移った165系McM'は比叡等の増結用のため、Tcを持たなかった。
そのため、153系クハ8両を転用したが、放り出すなら古い車からと、初期車から放り出した。
Tcを転用すると中間車が余るはずだが、そこは実に巧妙に組み替えている。
(宮原準急編成は4M6Tなので、Tが余るのだが・・・)
なお不足分補充として、Mc104M'68とTc数両が増備されている。 なお不足分補充として、Mc104M'68とTc数両が増備されている。
→下関の事です、説明不足ですみません。 なるほど、突き出しで153系TCとTSだけが流された理由はそういうことだったんだね。
でも結果として、165系として生きながらえて、
シールドビーム化された東海型低運転台の顔(しかも湘南色髭なし)も見られたわけだ。 捻出車の都合でクハ164と組んだユニットの相当数がモハ164-500台になるのに今更気付きましたよ
ピク増刊でクハ164の写真の1枚がそれでしたわ
あとクハ153のトップナンバーも164になってたのね >>45
185系と同じ塗り分けになって残っているが、JR東はどうするつもりなのかな?
原宿の宮廷ホームも柵で囲われて使えなくなっているし。クロ157の行く末は? >>48
> なお不足分補充として、Mc104M'68とTc数両が増備されている。
これ大垣夜行の東京寄り先頭に立っていたよな?
だとしたら由緒ある車ってことになるな。 >>47,50,52
153系で運用されていた大阪(京都)-宇野の「鷲羽」(当時は準急)が、
大阪-三原の「びんご」(同じ)とともに12連化される際(昭和38年10月)、
宇野線が10連に限定されており、岡山で2両の増解結をする必要が生じたので、
165系(Mc+M')を増備するに当たり、M'車に簡易運転台が必要になった。
これが異端車モハ164-500だね。
最後は504が神領に残っていたから、大垣行の先頭に立っていたと思われる。
白浜で行われていた381系「くろしお」での、変態増解結作業を思い出してしまったw >>53
臨時大垣で見た人乗った人このスレでもいるはず。 500台優先廃車の理由がトイレ問題とはピク増刊見るまで知らなかった >>53
504を含んだT7編成はトイレタンクがクモハに付いてたから、救済臨の時はクハが減車となる中間ユニット優先に組み込まれてたから先頭には立ってないかも? モハ164-504は編成替えにクハが不要
→クハ抜きで運用
→T7は中間組み込みということかな?
トイレ問題は、車両のせいというより、JR東海のやる気の問題だと思う。 しかし、トイレをなぜ反対側に持っていかずに変則的な配置にしたんだろうか?
パイプはあるものの、台車の上から垂れ流しって、想像しただけでも… >>57
晩年の神領165系はローカルに徹したからトイレタンクは3両編成中1両しか取り付けなかった。大半はクハのみでそこしか使えない。
で、救済臨の基本編成は中間のみクハを抜いた8両なので何も考えずに組成すると編成でトイレが使えるのが2ヶ所になってしまう。
それじゃまずいとクモハでトイレが使えるT7は中間優先となる訳。
ま、T7以外にクモハにトイレタンク付けたのが居たかどうかまでは知らないけどw >台車の上から垂れ流しって、想像しただけでも…
旧客の10系以前はそうだったからね。
80系電車もデッキの内側だね。 キハ58系のカランカランと言う大人しいエンジン音が好きだった 東日本とか大抵の車はエンジン換装されちゃったから、あの17型エンジン音聞く機会も減った。 DMH17は小湊といすみ以外に稼働車残ってたっけ? 天竜浜名湖のキハ20 443は自走は無理だが機関は回るようになってる
急行型じゃないし旧二俣線に急行無かったし 保存状態でのエンジン可動で公開あるのだと下北のキハ22と南部縦貫のキハ10も?
鉄博のキハ11は静態になっちゃったんだっけ DMH17「H」可動車はいすみの2両だけかよをい(他はC)
そういえば敦賀港に行ったキハ28モデルチェンジ車もいすみ行きの噂あったんだっけ >>68
うん
元仲間が炎上して、JREのDMH17H搭載車の機関換装になるきっかけになったんだから… どう考えてもエンジンなんだけど、他にどんな理由で排気管が過熱するんだろう 排気管が加熱するのは当たり前だろ。そこに可燃物を配置したせい。
改造時の施工ミス。 DMH17系は熱効率が悪くて排気管の加熱・焼損を生じやすいのが根本的な原因じゃなかったかな。上越線で過負荷状態での運行になって生じたんじゃない?
改造時の施工ミスもあるかもだけどね。 >>74
そう
排気温が上がったのはボロエンジンの上り勾配での燃料過多が原因
で、下りに入ってボロエンジンから上がったオイルに火がついてそれが延焼
>>73
当たり前って
発火するのは当たり前じゃないから。ヲタ特有の屁理屈 >>75
> 排気管が加熱するのは当たり前
別に間違っちゃいねぇな
発火したのはまた別の問題じゃん
揚げ足取りにもなってねぇよ あぁ 過熱 がわかってないのか。馬鹿とは話が通じないわけだ 誤字指摘した自分って素敵ってか?
「お前ここは初めてか?力抜けよ」
久々に思い出したわw >>79
基礎設計が戦前のDMH17Hはエマージェンシーガバナ:つまりはノッチで燃料噴射量を調節する感じだったので、勾配区間でノッチを
上げた状態だと燃料が過度に噴射しすぎて、燃えつきてない燃料が排気管に吹き上げられてそれが排気で過熱した排気管に付着して
発火・炎上した感じだよね。
排気管の施工ミスと機関の両方の問題と思う。 キハのガバナーはミニマムマキシマムでしょ
エマージェンシーガバナーってなんとなく解るけどよくわからん
>>79
キハ58は排気管がデッキにあるんだけどこれは展望室と客室の間にあるんだな
で、そこから延焼したんでしょ
まぁ改造で燃えやすくなってたのかもしれないけど、先行したアルファコンチネンタルは燃えてないしな キハ58系は助手席側のデッキ窓が小さかったのは、そこに排気管があったんだ。
デッキ寄りの二人掛け席、キハ58系は153系と同じ前面寄りに向いていたっけ? 58は忘れたが65は室内向きだった覚えがある(通学時に定位置狙ってた)
58他もピク増刊の図面みる限り室内向きだな 新津の車は車端部がロングシート化されてたからオリジナル時代が分からなかった。
べにばなとあがのが快速に格下げされてからだったかな。 急行型が昭和45年を最後に製造終了した点で急行列車は衰退する転換期に入ったのかな。
JR(になってはまなす、つやまが新設されたくらい。 今年は平塚七夕祭りはなかったんだな
昔は 165系の臨時快速が新宿から平塚まで走ったりしてたんだが
最近は平塚七夕祭りの時の臨時快速は走らなくなったな >>85
183系が登場した時点で急行形は製造しないと決めたようなものだからな >>85
457系が典型だけど43・10後の急行型増備は主にそれまでの配置区所への補充的に作った形だしね 急行は儲からないからね。昭和40年代は長く乗っても300円
周遊券で自由席なら料金券不要。
そりゃ同じくらいの所要時間でぼったくれる房総特急で味しめるわな。
今で言うA特急料金は200キロまで均一というすごく高い時代だったし L特急「あやめ」って、その最たるものだった印象
東関道の相次ぐ延長で息の根を止められた 赤字化で急行の特急化増収がとっくに新幹線開業以降既定路線だからね
新幹線化と格上と電化で玉突きばかりでしょ ん
今はそれから更に進んで、新幹線か通勤輸送か、の二極化やで 山形新幹線や秋田新幹線も国鉄の房総特急と同じ系統かな。
見栄を張りたい地元の要請と手を抜いて増収を謀りたい鉄道側の思惑が一致し、
凡そ『特急』『新幹線』とは呼べないような代物が誕生。
関東や東北など東日本ばかり。 違うかな。まぁ地元の請願はあったろうけど、乗り換えをなくしたら乗客は増えるっていう
明確なデータがあったから
房総は特急化による増収。まぁ上越開業で183が余ったからな
房総急行、57.11でなくなったけど、上野口が派手で話題にならなかったな。自分も
そっちばっかりに目がいってた。クハ153の低運シールドビーム、一回しか見れなかったな もしキハ181系が屋根上放熱器に起因する欠陥車でなくもっと増備が続けられてたら、
キハ58系急行は割と早い時期からもっと減ってたかもしれない。
非電化区間で急行が長生きしたのは、キハ181系が手間のかかる車両だったということに助けられたようなもの。 >>94
185系と117系の頃からしゃーないだろ >>96
本末転倒だな。
なぜ電化するのか考えろ。 臨時快速平塚七夕号は乗ってみたかったな
全車自由席だったのかと、途中停車駅が気になる
新宿〜平塚という短距離の運行で165系が走ったのも面白い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています