なつかしの小田急線 7
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
個人的には東武8000より小田急2600の方が私鉄の103という感じがする (東武8000が私鉄の103と言われていたのは単に接客面が同じ20m4ドアロングシートかつ量産期間が長いのが共通点というだけの気がする) 8600とは細かいなと思ったが、新製冷房車で4連基本ってとこね 5000形は非冷房車があったから近鉄の8400系と8600系に当たるね。 >>847
むしろ小田急が導入すべきだったのは、ワイドドア(サハ204のようなコンセプトの車両)ではなく215(オール二階建て)のようなコンセプトの車両だったんだよね
ワイドドアは結局小田急に合わなかった ただでさえ遅延だらけの複線時代に2階建てとか正気・・じゃないね
IDをNG登録しとくわ 2400増備中の時代に連接通勤車を作る構想もあった模様 通勤車まで連接整備なんてやってたら大野工場入場期間延びてパンクしただろうね >>908 ペーパープランとしての発想程度であれば、あってもおかしくはない。ニューヨークの地下鉄で戦前に連接車両が大量導入されていたこともある。
製造や整備にかかるコスト考えて断念したのだろうが。 HE出た頃、60年代は長距離の高速モノレールが本気で検討されていたし、没ネタレベルであれば振り子式通勤電車など
色々あるんでないの。思い付き程度に終わっただけで。 SEの「取り外し式運転台案」は、かなり「トンデモ系」だと今でも思うけど、
湯ヶ島温泉免許線計画は実現していればと残念に思う。 ふと思った
小田急の車両が最近あまり譲渡されない理由は大井川のSE車の事例があるからじゃないの?
大井川では使いこなせず最後まで小田急に残っていた車両より先に運用離脱してたみたいだし >>914
あれは誰がいい出したか一部伝説。 大井川に貴重な第一編成出したのに
あっさり潰されて確かに当時の重役の誰かが激怒したという
ただ全取締役総意という訳じゃなく、大井川の有名な白井専務からも詫びが入ってる
これは大井川でイベント貸切列車を仕立てた時に色々90年代の大井川の幹部さんたちと
飲みに行った席で教えてもらった。 ちなみに98年頃でも新金谷のSL詰所内にSSEの可搬式運転台椅子がゴロンと置いてあった
青いモケットの第一編成独特ので、「良かったらもってく?」 と言われたが恐れ多くて
譲渡してもらうの止めたが、貰っておけば良かったと今になって思う。 第一編成はトップナンバーだから保存価値はあるけれど、当時はまだバリバリの現役だし、古いから更新からも外れたしで、取り敢えず編成で保存するのは考えすらなかったと思う。
なんといっても、世界記録を立てた第二編成由来を保存して正解じゃないのかな。 特急車でトップナンバー保存は10000と20000だけだしね。
3100はさよなら運転の第7編成、7000はトップでもない、国鉄を走った第2編成でも最後まで残った第4編成でもなく、ただの第3編成だからね。 小田急顔20m4ドア車と国鉄101/103の関係は後の小田急1000と京王8000/西武6000の関係に似てる
いずれも前面は全く異なるけど側面の窓配置がほぼ同じなのが共通点 >>602
ゆめ70を保存する計画は元から無かったんでは?
そもそもゆめ70自体が最初から期間限定とする前提だったとか >>919
それは意味のない比較でしょ
単に戸袋窓のある会社並べただけじゃん
他社には無いってだけのこと >>652
せめて3000(現在の)を廃車してほしかったが… >>706
2400はその旧4000への機器転用があったために保存や譲渡ができなかったんでは?
早期廃車になったのは、20m4ドアに統一のためと思われる >>920
そのとおり
編成ごと永久保存(のはずだったの)は今海老名に展示してるやつ 今更だが、新宿の小田急百貨店が閉店することが決定したみたいだね >>893
>>896
いや、阪急は8000が登場した時期では短期間で置き換える方針になっていたみたいだけどね
(震災の影響で8000登場前の方針に戻った) >>740
ただ、1000がVVVFってのもやり過ぎだとは思うが
千代田線との兼ね合いもあって8000ベースの界磁チョッパにすることはできなかったんでしょうけど 築55年で閉館か。同い年だよ。
次の48階建てに百貨店が必要かと言われれば
テナント入れたビル経営の方がよっぽど効率良いからねぇ。 >>928
1000形は地上用にも増備されたほどだったが、
東武なんか地上用は界磁チョッパの10000系列備しつづけていたし。 >>929
お買い物電車
赤の腰板に金帯、一回乗ってみたかった。 気になって調べてみたら60年代前半当時の関東大手の20m4ドア新性能車って東武8000と小田急2600の2形式だけだったんだな ロクサン型がそのまま入って使えた会社という条件付くわな
相鉄6000があるが、当時は大手ではなかったと言うオチ。
小田急は1800を譲受しておいて良かったということ。 西武は戦災国電の復旧車両に20m車があったし
新製車両も1957年には完全に20m車に移行してる
20m新性能車も1962年登場だから東武小田急より早い
932さんがドア数に拘ったのは何でなんだろ? 今の通勤形電車に通じるスタイルという意味で言ったのでは 小田急1000形と同い年なのに西武新2000系は鋼製車体に界磁チョッパなんて時代遅れな設計だな。 西武は昔からそういうところがあったな
いつまでも旧国系の機器使ってたし大手なのにクモハ11400を後年まで譲り受けて使用したりと でも今は使ってないしなあ。
そんな昔の話されてもなあ。 >>939
60年代に買った旧国は輸送力が足りなくて急遽購入したものだね
相鉄2000とかもそう >>939
関東の大手私鉄で今も更新車使ってるのは西武と京成だけ? 懐かしスレで「今は」とか言う奴何考えてんの?
本スレ帰れよ >>933
1800の割り当てより前に、東海道線不通の際の迂回路として、省の列車を通すため
限界拡大工事していたんだが。
省からの応援車にモハ60やモハ41、クハ79まであったのだし。 >>937
同じ製造期間に小田急の196両に対し西武は314両も作る必要があったからそこはコスト削減を優先したんだろうね >>937
そもそも小田急1000がやり過ぎなだけ
1988年当時の関東大手の新造VVVF量産車は東急9000/1000と小田急1000のみ 三菱GTOなんて近鉄が躍起になって採用した初期も初期の産物だからな。
他社は東洋GTOが出揃うまで様子見してた時期で
東急は9000で失敗こいたしな。 >>946
その時代の関東大手他社最新型は京成は3600形、東武は10030系、京王は7000系、京急は1500形と皆界磁チョッパではあるがステンレスoアルミではあったぞ、
その時代に鋼製通勤車増備続けていたのは西武だけでは? 西武は有楽町線乗り入れ合わせて6000を作る予定だったから
それまで在来性能や構成で良いって割り切ってたでしょ。
小田急が9000入れても地上は5000増備で加速度は2.7維持したように。
VVVFも1C何M制御かで早く入れた小田急は後で苦労する羽目。
GTOでも8M待った会社の方が更新ギリまでやらず済んでる。
まだ東洋GTOの東武東急車、地方でもバリバリだしね。 >>948
所沢工場で製造すること考えたら鋼製になったんでしょう
京成と阪神の傘下もそうだけどほぼ自社向けのための所は90年代までは鋼製の車体作ってた 西武所沢も、大栄車両も、武庫川車両も
車両まるごと作ってしまうのは凄いと思う ふと思ったが
2600→関東大手では東武8000に次いで二例目の20m4ドア新性能通勤車
1000→関東大手では東急9000に次いで二例目の新造VVVF量産通勤車
共に派生型があり、また他社に側面デザインが類似している車両があったのも似ている >>950
京成は3400形が例外的に鋼製なだけで通勤車は1972年デビューの3500形以降皆ステンレスだが… >>953
ほーん
で、その中で大榮車両で製造したのは??? >>952
当時他社では珍しかった要素を早々に採用する感じ? SE車からして攻めてるしそういうの多い会社ではあるかもね
VSEの導入もあの頃にしては冒険だったろう えっ、展望あるし攻めて無いのはEXEでしょ?単なる通勤特急
次点でMSE、地下乗り入れは評価できるが汎用性だけ。 技術的にってことよ。
EXEは自働ホロ装置とか分割運転とか始めたし、MSEも地下鉄直通始めたし、GSEは何かやった? そう考えるとLSEもNSEの焼き直しで最高速度も大きく下がってたいしてせめてないが、全面の傾斜方向幕は評価出来る。
GSEは展望付なのにボギー車に戻ってるしね。
見た目はいいけど目新しさは無いと思う。 なるほどそっち方面ね。
技術って点じゃRSEも退化型だったな。
ボギー化のきっかけとメカ的にはLSE/Hi-SEから進化してない。
サービス面じゃスーパーシート2階はあったが。 間違っていたらすまないが追加
9000→関東大手では東急8000に次いで2例目の界磁チョッパ通勤車
2000→(当時の営団を除く)関東大手初のIGBT-VVVF新造車 関東大手で非冷房車全廃が一番遅かったのは東急で二番目が小田急… HISEはLSEをそのままハイデッカーにしたようなものだよね 軽量化のため最初からリクライニング状態の角度にしておいて機構を簡素に軽量化したというのを知ったときはなるほどと思った >>706
何故2400のモーターを旧4000に流用した一方で制御器は転用しなかったのかと思ったが、旧4000は元々制御器自体は新製だったのか >>970
2400の制御器は後に5000に設計が継承されるバーニア超多段制御で
発電制動も超多段が売りのやつだけど、
モーターを4000に転用する際、負荷-熱容量的に特に4連では無理が掛かるから
発電なしの4000の制御器を使い、ディスクブレーキの空制だけと言う仕様になった経緯。
6連の方は4M2Tで結構余裕あるんだけどね。 旧4000はツリカケとしては珍しい1C8Mだったんだな
でも2S4Pを4S2P接続にしてるから結構大掛かりな改造かと 伊豆っ箱にもあったような気がする。1C8Mのツリカケ。
いずれも三菱だね 伊豆箱根1000も第1編成だけMTMで単Mだったから
大井川に行ったんだよな。2編成目以降じゃ大改装必要。
後期車はそのままの制御器で西武のカルダン部品貰って近代化と。 >>974
つまり旧4000と同じ手法で新性能化されたのか >>817
もっと言えばJR東日本が103の全廃を決めたあたりから各社とも抵抗制御車の廃車を推進する方向になったような気がする 90年代初頭はJR東日本が103/113/115の車両更新工事、小田急が2600の8連化/5000系列(・9000)の車体修理という風にこの時点ではまだ基本は抵抗制御車を使い続けるような感じだったが 京王は1999年に大手私鉄で最も早く非回生抵抗制御営業車全廃し、
東急もその2年後の2001年に全廃したが。 >>969
プレリクライニングってLCCに結構見られるね
その後の車両がリクライニング機構付いたのに戻ってるから
イマイチ安っぽい印象は拭えないな 床が高いLSEってだけ
しかもそれが命取りとなる
実質失敗作 >>985
昨日とか懐かしすぎるよおおおおおおおお レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。