なつかしの小田急線 7
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>>746
そうだったんですか。
声の主が調べても分からなかったので、謎が解けました。
つまりもう聞くことはできないということですね。
2000型は沼津までよく利用しましたが後年の追録部分の印象が薄いです。
371系は日英でちがい、さらにライナー等追録等でそちらが
不自然だったのでそれに比べたらまとまっていたためかもしれません。 >>729です。おはようございます。
NHEのモーター図面、長期消えないUpロダなのでまだ見れますよ。
>>747さん
>直巻電動機に補極補償巻線をつけて回生制動
それも図に出てます。回生キレるのが早いけどあの音は思い出だなぁと
キューーーうぅぅぅん・パコン
>>746>>750さん
インサイダー情報は余り書くべきじゃないとは思いますが
あの声の主の女性は知り合いです。電鉄幹部に親族も居たので
80-90年代の内部事情は・・ とても可愛い方です。
今50歳過ぎてますがww
追録分の事務的な声の違和感、これで聞けますね
https://www.youtube.com/watch?v=-DdLMq4mGho
371はこれ
https://www.youtube.com/watch?v=QaU5-9YHn1k こぼれ話
本厚木の発音「ほなーとぅぎぃぃ」てどうなん?
って話もあったんです。
>>749さん
メトロ、いつものお姉さんから代ってるんですか・・
最近東京全然行ってないので知らなかったです。 >>751
このアナウンス、クリアなの最近アップされたのか
以前からあった奴は車内が賑やかで残念だったが嬉しい 現行通勤車スレでも書いたが、今回の8000と1000の一部解体は新5000搬入によるスペース不足が原因だと思う
京王も新5000搬入によるスペース不足でその分の7000が解体された
(要は両社ともどの車庫も容量が一杯ではみ出る分が追い出されたということ)
だが、京王で大規模更新して間もない7000を潰してしまった前科を学んで、小田急では大規模更新した8000ではなく1000が未更新のまま潰されることになったと思う >>581
昔だったら旧4000新性能化や2600組み換え、1000ワイドドア縮小/組み換えのように八景に送って更新という手もあったかもしれないが<1000更新
ただ、やってたなら8000の時点で八景での更新になってそうだが >>310
その時代のJR東日本では検査要員はパンク寸前だった模様 >>78
HiSE/RSEは>>5にも書かれているが抵抗制御というのも廃車理由の一つ >>316
VVVFを更新するタイミングで廃車を選んだものと思われる >>317
開口部の増加に起因する自重の増加もあると思う >>759追加
京王の多扉車は開口部増加を抑えるため戸袋窓を省略していた 小田急車が常磐線に乗り入れて茨城県まで行くようになるとは隔世の感があるね。
先日松戸駅各停ホームで待っていたら、たまたま小田急4000系が入線してきた。
おばはん3人連れのグループの一人が「快速がきた。ホーム間違えた」と叫んだ。
おそらくE531と勘違いしたようだ。もう一人のおばはんは「6番線だから間違いないよ」
と言って3人とも乗り込んだ。その後の会話を聞いていると、「いつもと違うのが来ると焦るよね」
「一応どちらでも走れるようにはなってるんだね」
おばはん達にとって小田急4000系とE531系は同じ物らしい。 もともとつくば博の時に、どどめ色の401-415系をなんか新塗装にしようよってことになって、
常磐線で通勤していた国鉄の幹部?が、小田急の9000を見て、「あの色にしよう」と。
それでそのままじゃ困るから、少し青を濃くしたのが今のE531にも引き継がれているんだものな。 >>754
現3000は当初400両以上を製造する計画で、その計画時代は直通車両の変更計画は無く、千代田線ホームドア設置と常磐緩行線直通絡みで計画変更し
現4000登場に至ったみたいな推測をしている方もいるようなので
あの時に予定通り現3000を旧5000置き換え分まで増備して、
別に現4000相当で間接的に8000まで更新せず置き換えていれば現5000導入による余剰廃車は無かったと思う
最終的に8000と現4000の総数が同じになっていたわけだし
ただ、当時は8000まで廃車できる余裕はなかったかもしれないが >>762
当時は小田急の車両は常磐緩行線に乗り入れていなかったので、単に偶然だと思う
415は九州にもいるし九州のも似たような色になったし >>761
E231とE233-2000も同じものだと思ってそうだな >>762
あれ科学万博のロゴの色ってわけじゃないんだ 常磐線カラーの元はクリームに緑の交流、交直流新色が83年からあり
その焼き直しだよ。明るめにして紺帯。
九州は1年弱後だね。 >>764
ちがうよ。綾瀬駅に停車していた9000を、常磐快速から見たんだよ。
例え通過でも、どの程度の頻度で見たかは不明ながら、なんどか見ていれば印象に残るじゃん。
>>767
よくそんな適当なことが言えるなぁw
じゃあ185系200番台が元かもしれないわけだw クリーム10号を採用したのは185系のほうだし
(713系等はクリーム1号)。 常磐中距離にE501が投入された当時も、快速ホームで待っていたら、やってきたE501を見て、子供が
「各駅(停車)の電車がきた」と言ったら父親らしき人が「検査とかの都合かも知れないな。一応どちらでも使えるようになってるんだ」
と知っているかのようにいっていたので、吹き出しそうになった記憶がある。 ↑E501と203を同じ車両と認識したようだ。
非鉄だとそんなもんか。 ↑E501と203を同じ車両と認識したようだ。
非鉄だとそんなもんか。 その昔ならキハ5000を1700、1900同様、電車と言っていた非鉄も少なくないと思うが。 >>770-771
当時は車体は全く違うとは言え帯だけで間違える人がいたのか >>773
昔KIOSKで売ってたダイキャスト製Nゲージモドキの私鉄シリーズが103系の色違いだったりプラレールの初代踊り子が165系を185系色にしただけだったり小田急NSEと名鉄パノラマ7000が同型色違いだったりと非鉄の認識はそんなもんだ >>774
ダイキャストは非鉄というより割り切りでしょう JRのE231が小田急色の帯に変えたらJRの電車と認識できる人はどのくらいいるだろうか? >>775
あの模型、小田急は前面以外違和感ないと思ったら、小田急顔20m車の側面の窓割が101・103と同じだったことに気づいた
要するに、101・103を小田急仕様にアレンジしたような感じ
東武8000よりこちらの方が私鉄の103だったな さすがに京急が20m4扉だったのは吹いたw>トレーン 非連接のNSEも出てるし
ミュージアムの記念品で出したSEも新たに作ったらしいがやっぱり伸びてるんだろうか >>780
非連接のHiSEもあった
何か変だと思ったが 前にあった、コーヒーのおまけのNSEとVSEはちゃんと連接台車だった。
車体の端は台車半分。 ロマンスカーって玩具化難しいよね。
Bトレなんて短すぎてなんか変だし ロマンスカーミュージアムに3両にまとめられた
SEやNSEなんかはリアルに実写プラレール
そのものって感じだからね。
特にNSEなんか良くマッチしてるし。 もしかして新宿〜向ヶ丘遊園と向ヶ丘遊園以西で駅間距離に差があったから昔は各停用、急行用と割り切ったんだろうか HE,NHEの時代はそうだね。
サバー区間、インター区間って社内でも呼んでたくらい。
NHEはサバー用だったんだよね。
準急本厚木行きすら本数的には例外運用。
最後の名残が2000形で、新宿-唐木田までってとこ でもホーム長の関係で高加速で各停向けのHEが長年箱根急行に使われていたりする >>751
そうですよね、こちらも相応の年になっておりますので。
ご尊顔を拝せないのは残念ですが、久々に声が聞けました。
現役当時土地柄乗車機会のなかったホームウェイ号ですが、
アナウンスを聞いたらなんだか楽しくなってしまいました。 >>785
>>786
古くはモハ1形が近郊用、モハニ101形他甲車が遠距離用とされていたけれど、モハ1が
甲車と連結して小田原にいる写真が存在するから、多少の混用はあったようだ。
NHEにしても、快速準急の小田原行きも普通にあったので、例外運用ということはない。 戦後のダイヤだとHB・ABF用にダイヤがB速スジってのがあったそう。
ABFMやHEができてからじゃ無理もないね。 >>306
2000が登場した当時は、複々線化が完成したら1081/2000を10連化して1063+1253〜1066+1256と相互交換を考えていたかもしれない
1081/2000は付番からして暫定8連のつもりだったと思う >>791
今からでもいいから、10連化して2222を! 1752Fが解体に向けた作業に入ったようなのでワイドドア生え抜き6連もこのスレの仲間入りだね
3000導入前までは6連の最新編成だったのに… >>33
2000は登場時点では中間車増備の上で10連化し千代田線直通の1000+1200と相互交換することが前提だったと思われる
その場合1081も同様に10連化されていて中間増備車は平成版9559-9659的な存在になっていたかもしれない >>792
元々5本程度しか作るつもりは無かったかと
1081/2000形5本で1063+1253〜1066+1256とトレードし1063+1064、1065+1066と1253〜1256に分けるつもりだったと推測 >>795
地下鉄運用を全て入れ換えるとすれば、2000は最低10本は必要だろう。
乗り入れ協定から乗り入れ車種は2車種までなので、1000と併用はしないと思える。
それと1082Fの登場が予告されていたのに、結局製作されなかったのも謎だ。 >>796
仕様を見直す部分が多いから、ならば新形式(2000形)にしようと中止になったらしい<1082F N8は改造時点ではもっと長く使うつもりだったんではないかな(わざわざVVVF化電装していたことを考えると)
(関係ないが東103は90年代初頭の計画では2010年前後までは残る予定だったらしいが、故障しまくったせいで全廃が前倒しになったらしい) 1994年にいわゆる小田急高架訴訟が提訴
この影響で10年程度工事等が遅延したしたといわれているし車両計画にも影響が出たんだろう ふと思った
仮に千代田線直通が史実より5年くらい遅くて5200と9000の製造順が入れ替わっていたら、9000は違っていた(史実のような重装備ではなかった)かも?
しょうもない妄想だけど >>800
仮に実際より5年後に乗り入れ開始と考える。昭和58年乗り入れ開始。
すると、5000の6連口(5200ではない)は昭和47年頃登場。たんなる5000の増備で、二段窓のまま。
9000は昭和53年頃登場。電機子チョッパになったかどうか。5000は実質150kw級のモーターだったけれど、
仮にそのまま地下鉄に入れる車体にしても、性能的に1ユニットカットで、他の編成を最急勾配で押し上げという
乗り入れ条件をパスできない。そうするとMT比を上げるか、電機子チョッパにする、アルミ車体にする等必要となるが、
そこまで小田急が踏み切れたかどうか。
実際の9000は、地下鉄線内では回生ブレーキ、地上線では発電ブレーキと使い分けることで、地下鉄線内での抵抗器使用を
力行時だけに原則留めている。その一方103系に合わせた110kwモーターでやや非力に設定している。 微妙な時代なんだよね。界磁チョッパで条件満たすには
東急8500も130kWで8M2Tの電気食い
58年なら8000が出来ているが140kWで6M4Tじゃギリ満たせなさそうで
結局8M2Tにせざるを得ない。この時期に地下直作った東武9000と国鉄203は
電機子チョッパを採用、VVVFがまだの過渡期だけに大変だね。 昔準急停車駅民だった頃5200は通過を見送るだけの存在だった
FM車が淘汰された頃元々ブツ6が充当されてた日曜の各停に5200が入ってきて乗車したときちょっと興奮したのを覚えてる >>652
せめて8000か1000で電気指令ブレーキを採用できなかったものかと思ったが当時はブレーキ読み替え装置が開発されていなかったから仕方ないのかな
当時の小田急は頻繁に分割併合してたらしいから
(参考までに小田急が5200を新造していた時期では、京王/東急は既に電気指令ブレーキを採用していた模様) >>804
同意
自分では、5200が小田急で一番好きだった 5200こそ小田急顔の完成形だからね。決して隠れてはいないよ。
ただ更新工事でせっかくの窓枠がねじ止め、ライトがシールドビームに変わった時には残念だった。
でも最晩年には5200だけで10両組成した時は感激したな。
側面の揃った美しさはピカイチ。 5200の4連っちゅう凄いのが晩年あったからねぇ。
5063-65Fが一段下降なら良かったんだが 1000は5200と同じくらいの車齢で解体だからそこまで解体を惜しむような感じではないと思うが、
やはり見た目が違いすぎるのが勿体なく見える理由なのかね? 東急がステンレス車50年計画を諦めたあたりから更新は程々になった気がする そもそも>>754で既出だが今回の8000/1000一部解体はどの車庫とも容量が一杯だったために新5000導入ではみ出る分を仕方なく解体してるだけと思う
5200早期解体は>>4を参照 >>811
5200のように更新しても結局解体というパターンも出る時代だからね
1000は未更新のまま解体だから5200に比べたらマシ >>811
東急は7700の改造費が当時の新車よりも高くついたのがきっかけ(これが理由で8000系列のVVVF化改造計画は中止) >東急がステンレス車50年計画を諦めたあたりから
というよりE233が登場した辺りから各社とも車齢とかを無視してただ用途不要になったというだけで単純に廃車解体してしまう例が増えたような気がする
E233登場前は各社とも車両の使い方がもう少し安定していたのだが(上層部が変わったとかなら話は別だけどね) ホームドア対応もそうだし少数派の特殊仕様車なんかは保守の面からも淘汰が早くなる傾向にあるのかな
VSEも割と早く廃車になる気がする
8000形も全廃になれば塗装施設無くせるし >>819
特急車は塗装するから施設は必要。
エコサポートなどの特殊用途車も塗装は必要。 とりあえず1000は東日本203みたいにフィリピンに輸出して客車として使えばと思ったがこれまでの小田急の実績からしてあり得そうにないし… >>826
はこねとあしがらは登場時からひらがなだよ。
金時や明神は漢字だけど。あしのこもひらがなだし、銀嶺や長尾とかもあったね。
今みたいに番号ではなく列車名で分けてたから。 >>828
初期のSE車の頃、漢字で「箱根」と書かれたヘッドマークの写真見たような・・・ >>708
車輪径も極端に違う(910mmと762mm)
共に通常の860mmじゃない上にかなり差があるという
(103は910mmと860mm) 名鉄と対照的に、「えのしま」以外、駅名にちなんだ名前の特急がない。
箱根湯本行き「ゆもと」に「おだわら」とか・・。名鉄と違って支線が少ないからだろうけど。 えのしま も駅名じゃないじゃん
はこね 同様観光地名
あくまで駅は片瀬江ノ島 足柄ってのは広域なエリア名だな
何故か小田原駅1つ手前に付いたが。 カラーブックスだかに「特急 箱根」と書かれた1700形の写真があったような カラーブックス今見たら、昭和26年ごろ撮影の1700の写真あったけど、「特急はこね」ヘッドマークでした。
そもそも漢字で特急箱根表示は全く知らないし。 そう言えば何かで見たような気がする。
1700じゃなくて1910だったかな
確か丸いヘッドマーク >>164
亀レスですまんが、
その時代じゃ地上専用の10コテなんかあっても使い勝手悪すぎる。
ラッシュ時の新宿発着準急ぐらいしか使えなかったのでは?
ワイドドアは地上用で10コテは千代直用だから関係ないだろう。 >>164
調べたらワイドドア登場のすぐ後に上層部が交代してるので
10両固定登場もその上層部交代による方針転換の影響が大きそう
で、その後に多摩線土砂崩れで丁度固定編成への方針転換により、8両固定を生み出す契機になったんだろう >>842
だからワイドドアは地上用で10コテは千代直用だから関係ないのでは?
その時代のダイヤだと10コテは千代直以外使い物にならなかった。 まぁ91年以前の考えだと引き続き6連/4連を増備する方針だったかもしれないが >>347
これも亀レスだが
東日本103のVVVF試験車(東日本103が全廃になる直前に京葉線で試験していたもの)と同じような考え方だったと見た
あれもサハ1両を試験VVVF搭載モハに置き換えていたような はこねとあしがらは、ずっとひらがなHMだったような感じだ。
ピクの286号などの古い小田急特集号を見てみたが、漢字の物は発見できなかった。 1500形の1700形編入こそ要らなかったろ、
加速度引き上げで新宿口各停に使えなくなったのが理由とされているが、
そんな理由であんな改造に走るとか短絡的思考すぎる。
運用を工夫すれば必要無かったろうに。
2004年〜2008年の間はラッシュ時多摩線閉じ込めで日中のみ区準限定で新宿乗り入れ、
2008年以降は湯本発着各停で運用で良かったと思う。
その場合各停と区準を共通運用にできなくなるというデメリットが発生していたことになるが…
湯本口各停4連体制化が4年早ければなあ… 3000のブレーキ読み替え装置の製造費低減も兼ねていた可能性 >>707
同様に18m3ドアじゃダメだったのかとは思ったことあるけど<2400 >>849
M比率高かったら全然OKなところ、MT比1・1で同様の性能希望とか
無茶振りしたからなんだよな。6連で4M2T取れれば全く問題ないし
昭和30年代半ばでMTで高性能って他社にも無いんでないかな。
東武西武みたいなカルダンでも吊り掛け+アルファ程度
標準軌大容量モーターの阪急や近鉄は高速側に振って加速は2.5くらいだし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています