なつかしの小田急線 7
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>>647
8000の廃車は一段落と思うが
(残っているのは全てIGBT改造された車両であるため) 8000の淘汰も一段落か。
小田急の長年の象徴カラーであるアイボリーに
青帯の最後の系列だから感極まる所もあるよね。
あとの通勤車両はステンレスに青帯だから。 なつかし板じゃなく現役通勤型車両スレでやってくれない? >>649
新5000形導入に伴う歯医者で着目すべきはブレーキだよ
2200形から連綿と受け継がれてきたHSCが、いよいよ終焉を迎える訳だ 昨日ロマンスカーミュージアムが開業したけど
行った人いる?月曜日という平日だったから
中々難しいけど。 >>653
こういう書き込みを見るたびに、何を知りたいのかと思う。 2004年改正から新4000形運用開始までの間って1000形6連(通常ドア)が他形式と組んだことってないのかな
直通用10編成に対して9運用あったっぽいから望み薄なのはわかってるけど >>626
記憶あいまいな部分がありますが、分割版御順番があるときに逆になった記憶が自分にもあります
最終的には、上り方で例えば(左が上り新宿方)
F:4000-3両→下り方は4000-5両
E:2400-4両→下り方は2400-4両、5000-4両、2200-6両、5000-6両
D:5000-4両→下り方は2400-4両、5000-4両、2200-6両、5000-6両
C:4000-5両→下り方は4000-5両
B:2200-6両→下り方は2400-4両、5000-4両
A:5000-6両→下り方は2400-4両、5000-4両
乗車位置ですが、黄色は3〜8両、白は10両
黄色8:2400-4両+2400-4両、分割はE
黄色9:2400-4両+5000-4両、分割はE
黄色0:5000-4両+5000-4両、分割はD
または4000-3両+4000-5両、分割はF
黄色1:5000-4両+2400-4両、分割はD
黄色4:2400-4両
以下はあいまい
黄色3:4000-3両
黄色5:4000-5両
残りの黄色2/6/7は、5000-4両、2200-6両、5000/2600-6両のどれか
白0:5000-4両+5000-6両、分割はD
4000-5両+4000-5両、分割はC
5000-6両+5000-4両、分割はA
白8:2400-4両+2200-6両、分割はE
2200-6両+2400-4両、分割はB
以下あいまい
白1:5000-4両+2200-6両、分割はD
白2:5000-6両+2400-4両、分割はA
白9:2400-4両+5000-6両、分割はE
白*:2200-6両+5000-4両、分割はB
なんで覚えているかというと、夏の冷房車の見極めに必要な情報だから
黄色0も白0も分割がCやFでない限り冷房車確定
分割Dは上り新宿方が冷房車
黄色9や白9は下り小田原方が冷房車、など
真夏の帰りで白0や黄色0で油断して分割CやFを忘れると4000系で、げっそりしました
間違っていたら申し訳ございません >>628
他の方のコメント通りです
その頃は、2200-6両、2400-4両がメイン
2200-4両もあるにはあったが少なかったです
あと、もっと稀なのが2400+2200の6両、たまに見ました
(どちらが上り方か下り方か、は覚えていませんね)
朝の10両に、2400-4両+2200-2両+2400-4両、という急行も稀にありました >>658-659
詳しいレスありがとうございます!
こういう時代のお話待ってました。
ダイヤグラムは90年代末期からヤフオク等で
70-80年代のほぼ毎年のを入手出来ましたが
’81夏改築・ランプと自動アナウンス導入前の
パタパタに表示されてた乗車位置案内の記憶が・・
まさに仰るとおり冷房車目当てですよ。
自分、片瀬江ノ島在住で1時間15分乗りますからねw >>659
ありましたね。HE+FM+HE
小田原方HE、6連新宿方FM、更に新宿方HEだった記憶です。
折返しが大野止まりで後ろ4両藤沢行き各停だったような。
新宿駅8時頃が楽しくて、新宿方に5000が付いて小田原方に
ブツ6だったりすると電動方向幕が南新宿発車時に操作できなくて
新宿のホームで折り返し回送になる8時ちょい過ぎのは
折返しの車掌氏が5000の種別幕の横にあるダイヤル(クランプレバーではない)
これを指でコロコロ回して、快速準急、通勤急行等の電動ボタンにない
種別を越えた先にある回送を表示させてました。
わざわざその時間に見てましたよw 今のようにスマホで動画撮れるなら
タイムスリップして撮りたい案件。 JavascriptでHEの幕を作ったのをUP
https://youtu.be/0BZ5vm0nKcM
つべ垢バレしてもOKです。
当時の小田急の録音などもあります。 >>658
関連
高校の時、必ず冷房車が来る列車と、必ずしも来ない列車、必ず非冷房 とかを調べている奴がいた。
手帳に書き込んでいたが、エンマ帳を書くのか得意になって、その人、先生になりました >>662
凄い。2400の幕順番、新宿が複数回出るのは手動の手間省きかな?
滅多に使わない行き先が端にある感じ。 いいね!
現在の黒幕や擬似LED化とかも見てみたい。 658ですが、もしかして少し追加修正
黄色3:4000-3両
黄色5:4000-5両
黄色6:2200-6両
黄色7:5000/2600-6両
すると黄色4は、残った5000-4両かな(これだけ記憶にないです)
あと、10両の白ですが、8-9-0-1は確実と思いますが、あと二つがはっきりしないです
8-9-0-1の前後の数字、6-7か2-3か7-2かどれかと思いました)
ご存じの方、おられましたらコメントいただければありがたいです >>663
まさにそれです
5000/9000は100%、6両は2600は運次第
2400や2200は、ほぼゼロ、2478だけですね
ちなみに、これの運用を調べていた人もいました
似た例では、目蒲線の7200の運用調査とか行なっていた人もいましたね
それにしても、2478という数字を聞くだけでも涼しくなってきます
もし遭遇したら間違いなく夏冬関係なくそこに乗りましたから、例えば2477にはおそらく乗車の機会ゼロだったのではないかと思います >>662
素晴らしい、いいですね
ちなみに、多摩線開業前に行先表示幕で「多摩中央」というのがあり、マジでびっくりしました みなさんすごいですね
小田急沿線住民になったのが80年代後半なので、車両は20m車がメイン、新宿駅の乗車位置は足元ランプの点灯・点滅表示になっていました
ホーム中程分割案内板Bを境に、前6輌が(小田原線系統)に、後ろ4輌が(江ノ島線系統又は途中駅止まり)になります、の記憶ばかりでした
各停停車駅利用者だったのですが、たまにB以外が聞こえてくると地上ホームまで見に行ったこともありました
いつも見ていますので懐かしいお話を聞かせてください ABFMにHEに4000つりかけのいた頃が最も楽しかった >>668
ピクあたりに9000で表示してるの写真あったね。 >>662
おもしろい!
すばらしい!
でも昔の種別幕なら「(オレンジ一色)」「りわお(の裏文字)」も欲しいなぁ。。。 662です。皆様ありがとうございます。
>昔の種別幕なら「(オレンジ一色)」「りわお(の裏文字)」も欲しい
すみません、幕順が不明なんです;
これしか資料がなく・・
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org691804.jpg
冷房車運用調査、実地は大変だったでしょうね。
知人に某駅の駅員さんがいたので、駅用ダイヤグラムを
コピーさせてもらって運用調べたのは反則ですよねw
ささやかですが、660に書いたオク入手ダイヤから一部を。
zipになってますが200メガ以上あります。
https://xgf.nu/aI4H >>674
いえいえ;
かの2478の写真出てきました。当時の自宅徒歩1分の
お手軽撮影。江ノ島水族館まで3分位の所に住んでました。
きちんとScanし直して色調整やらねばw
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org691807.jpg >>652
分割併合の廃止で環境が大きく変わったのもあるんだろうね 新原町田幕なら何処かにしまって有る気がする。布幕じゃ無くてフィルム幕だけど >>673
うちにもこんな種別の布幕あるよ。
快速準急入りで黄色地だった気がするけど。 新宿⇔箱根湯本、サボを、昔向ヶ丘遊園のイベントで売り出しがありました
1000円と記憶、買いまして、自宅に飾っていました
実家の親が処分していなければまだあるかも
裏は、記憶が間違いなければ同じ(新宿⇔片瀬江ノ島、等ではなかったです) >>675
2478号車、懐かしいですね。
わずか1両の通勤冷房試作車として異彩を
放っていて鉄道ジャーナルの表紙も飾っていたのを思い出した。
この車両が相模大野に到着した時に急いで
先頭に乗り込んだ事を懐かしく感じた。
廃車されたのが昭和60年の12月だったから
もう36年も前になるのか…。 16mの小柄なハコに8000kcalx5だったから凄い冷えたろうね。2478。 HE車で黒種別幕だったのは2478だけ?
2478思い出すならHE車で唯一スカート付だったあの子も思い出してあげてください。
なんだかスゲー面長な顔になっちゃったあの子。。。。 2551は何で面長な感じになっちゃったんだろうね。
車体が裾絞りじゃないからとも思ったけど、現行の3000や4000も絞ってないけど普通な感じだしな。 2449の次が2400、2499の次が2500
営団の6000系が、6100-6200-6300-…で、6900の次が6000
長野電鉄の0系が、1-51、2-52
よって、100両出来たら、純粋な0が登場していた可能性
11-61と区分なら、0系が10両でも純粋0ができたかも
というのは妄想でしょうか >>683
2489Fも黒種別幕。
>>685
妄想でしょう。
江ノ電の10形は当初、0+50で車両番号を申請しようとしたら、当時の運輸省に「0はちょっと・・・」と言われ、
やむなく10-50とした。そのため20形もそうだが、鎌倉方+50番の原則が崩れることになった。
なので、0番というのは(阪急1000号、みたいなのではなくて、純粋にゼロ)、おそらく認可が通らないのでは。 2600を8連化せずそのまま1000(8両固定)で置き換えた方がよかったと思ったことがあるが、当時はVVVF車の扱いに慎重だったからそうはいかなかったのかな?
西武も6000大量増備とはせずに一部101機器流用での9000となったのは当時VVVF車の扱いに慎重だったから(+所沢工場の関係)らしいが HEは2450-2400-2500-2550という付番にすればややこしいことにはならなかったが >>367
>>687
1000の初陣が地上専用で作られたのはVVVFの初期故障対策を考えてのことと思われる
>>377
それは1C1M×4(東芝製に多い)ということになるが 2600の8連化は、土砂崩れ突っ込みで更新したばかりの2671F下り方2輌を失ったことが、
直接の動機だと思えるけどね。最近だったら、編成ごと廃車にするだろうが、
更新後の残り4輌を生かしつつ、未更新の2652Fや2654Fをなんとかして、
さらに6連時に空転多発の問題をなんとか解決したいというのを、全て満足するために
考え出されたのだと思うけれど、あまり経済的でも無かったのか中止されたわけだよね。 >>690
あれ、少数で厄介な2000形をなんとかもっと作りたい
上層部の意向が働いたんだよな。 NHEのV車のモーターまで
移植して転用する徹底っぷり。 そもそも2000って
車両メーカー側から「1000ワイドドアやめるなら代わりに作ってくださいよ」
と言う提案からという噂もちらほら >>690
最近の事故廃車事例では小田急でも8264Fが編成ごと廃車になったもんね
1両だけ差し替えの噂もあったが 1961年1月に2400形の2459×4が多摩川でダンプカーに衝突されて脱線してしまった車両は
廃車されずに日本車輌製造で修復されて復帰した
という例があったけどね。
当時の事故をネットの写真で観たけど橋の上で
宙吊りになったりしてかなり大破しちゃって
よく2400形は復旧出来たなって思ったが。 あれは実質車体新製だね
小田急車って意外と台枠部が丈夫なのかもね
SE車だったら外板で支える構造で全部歪んでアウトだったかも >>694
車体新製はしてないよ。左側面には晩年ゆがみ多数。
台枠は他社並みで、HEにしてもFMにしても普通の軽量構造。
特に丈夫ということは無い。SEも基本的には同じ。 阪神8000系の2次車〜12次車が超経済設計で駄目。
耐用年数35年で大分ガタが来てる。 今も昔も電車がダンプにヤられるのは多いね
踏切警報器は何のためにあるのか そりゃあパノラマカーにあんなごついバンパー付けるわな 千葉の方で、鉄仮面電車走っていなかったっけ
小田急でも廃止間際なのに、運転席の窓に、鉄板を 取り付けた電車があったよね >>695
昔話じゃないけど4000形は、JREのE233より車端の梁が多いと聞いたことがある。 >>691
というより3000開発完了が間に合わなかったから2000を増備しただけでは?
2000最終増備と3000初期の室内設備はほぼ同じだし >>701追加
つまり2000の後期6本は3000量産までの繋ぎ
E231量産までの繋ぎで製造された209‐500的なもの >>600
京王も小田急も片開車までは譲渡されたが、両開車は譲渡されないという法則になってるな
(井の頭線は除く) 2400形に関しては主電動機と制御器や一部の
電機部品が流用されて車体や特徴的だった
大きなソロバン形の主抵抗器は解体処分されて
しまったからね。
まだ寿命には早かっただけに惜しかった気はする。 主抵抗器なんて部品価格の中じゃ安い方。
HEのパーツは非冷房用MGとか小容量コンプとか使えないものばかり
電動機だけでも2004年まで使われたのは凄いことだと思うが
寿命より早く引退した理由が車体長なのだから仕方ない。
17.5m 車のMT編成で高加速粘着可能だったら
冷房化して地方私鉄が買ってただろうね。 クハとモハで長さが極端に違うなんて よく設計のゴーサインが出たと思う
SE車もそうだが当時の小田急は尖ってたんだね >>708
そうだよねぇ、性能を極限まで出そうという車両部の意向が強い時代。
この性能曲線図みると高加速と言われる2600より起動も中速域以上も凄い。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2465815.jpg >>605
京王旧5000は営団3000や京急旧1000と廃車のタイミングが合致したというのもあるかと
同6000もタイミング次第では東急8500の機器と合わせて譲渡できたかもしれないがタイミングが合わなかった
小田急は1000に関しては無改造で1M2Tが組めそうだが、機器の経年や故障時の冗長性などを考えると非現実的だと思う >>238
念のため言っておくが養老は1M2T基本
小田急1000は無改造で1M2T組成可能に見える(TcにCPを、MにVVVFとSIVを搭載しているため)
が、ここは実績を考えると次は東急9000になると思う
(東急9000ならこどもの国線通勤線化実験?で1M2Tで運用した実績があるため) >>482
多分千代田線の方を見てしまったと思われ(6135Fや06系は解体されたが、それ以外では27本もインドネシアに輸出された) むしろHEは旧4000の新性能化に機器を供出したから譲渡されなかったんではと思ったことがあるが 車両ごとの編成長違いと変態ユニット構成が原因じゃないの? >>713が大きいと思うけど、時期的にも東急5000系が全国に行き渡り
主だった地方私鉄の近代化が一段落して需要も無い時期だったのだろう >>709
ABFM車が他と比べて速いのがよく分かるな
5000や9000の図も頼む >>710
後は東武2000もあったか(平成初期に京王旧5000と並行して廃車になった18m車) >>708
というか1000が最新だった時代までの小田急は当時の他社に比べれば特殊な(どちらかといえば担当者の拘りが強いような感じ?)車両が多かったイメージ
車輪径とか歯車比とか >>711
>小田急1000は無改造で1M2T組成可能に見える(TcにCPを、MにVVVFとSIVを搭載しているため)
デハ140xはパンタ無し、隣のサハ135xにパンタ装備
パンタ無しの3両編成の電車が走るのか? >>719
クハ1050-デハ1000-クハ1150
クハ1250-デハ1200-クハ1450
なら可能に見えるが… 素人だから詳しくは知らないし僕はその当時生まれていないので当時の状況も知らないけど
2400の次は史実2600作らず車体は史実2600的だけど、機器は2400と同じ(2400をそのまま20m4ドア幅広車体にしたような感じの)車両では駄目だったのかと思ったことがあった
後に5000がそれに近い感じで出てきたが
(国鉄も史実103ではなく101をそのままMT54にした(史実の111と113みたいな関係の)史実とは違う103では駄目だったのかとも思ったこともあった) 当時の最大輸送力が20m×5両だったので、5連を組める2600を製造したのではないのか? 2600は、最初から6連化が決まっていたのだから、
2400の電装品をおおよそそのまま使ってMcMMMTcで作っておき、
Tをあとで入れてMcMTMMTcにしてもよかったのかもなとは思ったな。
これなら後年の10連運転にも困らず、120Kwの4M2T。回生ブレーキが付けられたかが微妙か。 20m級車体MT比1・1で高加速135kW(端子電圧換算150kW)モーターがまだ間に合わなかったんでない?
あと暫定5連、6連化予定で1C8M制御じゃ単M車ができてしまい東武東急8000みたいな複数制御器とモーターが必要で
5200はそれ嫌って4M2Tにしたくらいだからね。
回生ブレーキ付きの特殊仕様車前提で1C6Mで行くというやっぱり小田急らしい攻めた設計だなぁ 2600形は性能をフルに使ったら130q/h出るかな? >>725
それは無理。モーターの回転特性も定速高トルクに振ってるから
ATSリミット無かった時代、遅延した準急で82年頃
108キロ出したのは先頭で見てたことがある。
SSEえのしま最前列取った時に130キロが小田急で見た最高速だったな。 >>725
弱め界磁弱めても出ないのでしょうか?
近鉄8000系は弱め界磁を14.5%に弱めたら135q/hぐらいでしょう(600v時は17%で130q/h)。
実際は600v時が22%、1500v時が28%で釣り合い速度120q/hだが。
SSE車が営業運転で130q/h出したって凄いね。
9000形が112q/h出したとは聞いた事あります。 >>727
9000で112キロって凄いね
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org692860.jpg
上から9000、NHEノッチ曲線・モーター諸元
このモーター、界磁弱めすぎるのは持たないじゃなかったけか・・
>>728
小田急自体で人身事故の遺体が運転士さんに当たって負傷だと思った。
だから急遽若干運転台高い9000以外の全車に施工。 >>729
雨天時の空転かメーターの誤差の可能性もあるね。 >>710
京王5100が売れたのは18mクラスで元々2コテに1両足したからそのまま1両抜いても問題ない(余計な工事がいらない)のが大きかったんじゃないかと >>717
東武2000形って小田急2400形と同様に
全車保存されずに解体されたんだよね。
主電動機や部品も再利用されずに廃棄
されちゃったか。 東武2000は伊予鉄の610や700に台車とモーター供出してるよ
まるでABFMのごとく長生きだよ 旧4000と8000連結した事があると聞いた事があるのですがどうなのでしょうか? >>737
いや、このスレ的には初代吊り掛け4000のことじゃない?
走行テストでカルダンと繋いだ話は聞いてるけど
具体的に形式は知らない。NHEの併結にも慎重で
83年からだっけか、やっとガコガコでも併結しようとなったのは。 >>736
小田急スレでさんざん語られているのだが。
昭和63年9月のことだべ。
>>738
旧4000は走行テストなんてしてない。ぶっつけ本番で8000と連結営業運転。
2600は2200、5000、2400と3度にわたり連結試験をして、実行。 9000は機器は103-1000みたいにあえて5000ベースにするか、あるいは思い切って電機子チョッパとかはダメだったんかね?
当時電機子チョッパが高価だったのはご存知だけど1000が思い切ってVVVF採用したから… 旧4000の併結と言ったら連結器高さが違う1800と連結して緩いカーブで軽い方の
4000が浮いて脱線事故でしょう。
しかも直ぐに原因究明出来ずに2回も同じ脱線起こしたというおよそ小田急らしくない
事をやっちまったんだよね。。。 >>741
連結器高さなんて、全て880ミリだろ。
1800は金属バネ台車だから、乗客によって車体の沈み込みはあるが、それならHE+5200だって同じこと。
それよりTR25A台車のバネの固さが、TS-706台車に対して合っておらず、輪重抜けを誘ったため。
しかしP-III台車は、特定条件で輪重抜けしやすい特性をもっていて、それが明らかになった事故ではあった。
>>740
ただの抵抗制御だと、当時既に問題だったトンネル内温度上昇が問題になっただろうし、
間を取る形で比較的安価+一応2600で実績がある複巻電動機の界磁チョッパでということになったんだろうねぇ。 >>742
P-IIIは軸バネ無しでカーブの荷重変化に追従キツイからなぁ。
さらに高回転低トルク三菱モーターと
MT40なんて真逆な特性。
TS軸バネ台車だったら加速性能違ってもまだ脱線しなかったかもね。
NHEは複巻モーターじゃない無理矢理回生じゃなかったっけ?
東急7000の界磁接触器型とはまた違うやつで。
前にNHEの性能図アップしてくれた人、その部分の図面もお願い出来たら嬉しい。 >>745
あの声、プロ声優さんじゃなく録音した90年当時大学生って話。
英語の発音を駅名まで米国人系に寄せすぎて当時ビックリだった。
今は各社とも駅名を日本語発音に戻してるよな。
後年の追録分だけ声が違うんで違和感だったな。 >>743
ホントだ。2600は直巻電動機に補極補償巻線をつけて回生制動と、鉄道ピクトリアル286号74ページにあった。
スマヌ。訂正する。
1800のモーターは、諸説あって、MT-30Aとするものが多いが、MT-40ではないのかと言えば、実はモハ63の
500からが「正式に」MT-40なので、050〜250番あたりの元番号を持つ1800は、MT-30のはずなんだよね。
ところが、秩父でバラされている主電動機の画像を見ると、風道はMT-40タイプだけど、コロ軸受けじゃ無いものが
付いており、そうするとMT-30Aという形式も正しいのかもと思える。もっともMT-40は全く無いのかというと、
後に1811となる1821号(元モハ42004)には1802に付いていた台車をあてたので、1802には日立のクイル式を
とりあえず付けたが、後年台車はTR25Aに戻っているから、1輌分はMT-40を購入したのではないかと思える。 >>745
371と20000は車内チャイムこそ同じだったけど、自動放送の声そのものは違ってたみたいだね >>746
東京メトロは英語発音になりつつあるよ
有楽町線ではシンキーバと喋ってる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています