夜行列車総合スレ★15
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バナナワニ園のレッサーパンダの名前がブルートレインを含む往年の名列車の名前
あさひ、あけぼの、あかつき 今年生まれた三つ子
こだま、かがやき、つばさ 去年生まれた三つ子 >>614
トワイライトエクスプレスの様に新潟の新津駅から洞爺駅まで途中ノンストップケース
実は鶴岡、酒田、秋田、大館、青森信、蟹田、五稜郭で運転停車した罠 C57もD51もトイレはないよ
実際にC57-1 C57-180 D51-498の
キャブに乗った事あるけどトイレは無い
つうかJRのSL、DL、EL、にトイレはねえwww 若い頃停車中動輪に立ちションしたら先輩から
ぶん殴られたっていう機関士の回想があるな。
一方腹壊してブリブリしたら火室に捨てればOK牧場。衛生的にも合理的である。 >>631
SLの動輪に立ちションしたら動輪と線路が濡れて空転するべ
火室の蓋が開くと高温で穴向けたら火傷するだろ
ゲリピー糞で火力が落ちてやばいぞw >>632
火室入れまでにワンクッションおいてる気がする
(スコップの上に紙を敷いて、そこにシてから「投糞」とか) 火室に向かってケツ出していたら高温になってる火室の蓋にケツを挟まれて大火傷
スコップの上に紙を敷いて、そこに💩(うんこ)シてから火室に向かって入れようと
したら列車は長いトンネルに入ってトンネル内は糞の臭いで充満してエライこっちゃw
糞を火室にぶん投げると燃えて臭さが爆発w 対向列車か後続の列車の運転士が
あまりにクソ臭くて目を回して気絶したりしてw >>630
アメリカのボンネットDLにはトイレついてるとか。 先進国の動力車乗務員は1行路(1交番)2時間なのでトイレはないのが普通
貨物列車は停車時間が長いから乗務時間は長いけど停車駅が多いから駅ホームの
トイレで出来るし、中国の貨物動力車乗務員は信号待ちに線路で立ちしょん
してるから関係ないみたい。乗客まで窓から空き瓶や空き缶捨ててるくらいだから
問題ないのだろうと思う。
中国のディーゼル機関車はC+CのDFが主流だけどディーゼル機関車にはトイレは
無かった。 中国の旅客用DLの東風11G型はトイレだけでなく
電子レンジもある シベリア鉄道の機関車は居住設備が凄いだろうね。
零下何度か知らないが極限状況化で封じ込められる事態まで想定するという。 >>641
定期と出雲91号
定期が出てくのが遅いと本来は入れ違いで入線するはずの91号が
既に折り返し作業に入ってテールに代わってる
しかし撮影環境が暗いのは分かるが絞りあけすぎだろうよ、もっと絞れ >>640
「カブース内で過ごす夜行列車」ってのを妄想した 中華人民共和国は国土が広いから片道40時間かかる夜行列車が
何本もある夜行列車新興国で食堂車付の長距離夜行もある。
>>642
画質QUALITY優先で感度がISO64やISO100だと絞れないし、
F値の暗いズームレンズやテレコン使うと絞れないのかも知れない。 >>644
新興国って中国にも昔から夜行列車走ってただろ? まぁいかにもデジタルって写真だよね。これはこれで模型みたいでかっこいいからいいと思うけど
三脚立ててバルブする時代でもないだろ。昔は大宮や品川の駅端でバルブとかやったな 広州11:42発 ラサ17:43 (翌々日)着のZ264/265列車(鄭州駅で列車番号が変わる)
4,980kmを54時間11分かけて走る中国の夜行列車に乗ったけど外人は2人部屋の
個室(軟座)はそこそこ快適でエアコンもあったし、食道車では4食を食べて味も
思ったより美味しかった。 >>647
銀塩一眼レフからデジ一眼レフに変わっても夜の撮影は
クイックセットのハスキー4段にカメラを固定して
バルブで長時間露光撮影しているよ ただ流石に都会の
駅ではやらないけどね >>647
北斗星末期は宇都宮駅や郡山駅で北斗星をバルブしたし、
その前は高崎駅であけぼの・北陸をバルブしたものだよ。 >>652
結局、新幹線の開業で
夜行列車での移動→新幹線で高速移動+ホテル泊(か日帰り)って移動体系に
ある程度変わった…と言うのもあるのかと
やっぱり、旅行でも夜にはホテルでどっしり&熟睡…ってのが
国内では本来の姿なんだろう…ってことになる(変わって行った)のかと 夜行佐渡は他の夜行と違って昼行並に停車駅が多かったからそれなりに需要があったんだろうな。
駅員さんも大変だったろうね。 >>655
それでも深谷、本庄、新前橋、渋川、後閑辺りは通過してたけどな
新潟県入ると本当に丁寧に停まってたけど
天の川の小千谷-新潟、鳥海の長岡-新津も同じ
きたぐにだけ加茂通過で代わりにつるぎが停まってたけど 上野発0時ちょい前の夜行佐渡に乗ったなあ村上まで
秋田の実家に帰るときだったか
165系はシート硬くてケツ痛かった
同行の親はぐったりしてた 俺的に村上行佐渡は上野0時20分発佐渡59号のイメージ 父親の実家が新潟県の下越(新発田市)だったので年末年始や旧盆は夜行急行の佐渡で帰省して
帰路も夜行急行佐渡で帰るのが当たり前だったけど1回か2回だけは特急朱鷺で帰った事があって
普段特急なんか使わない父親だったけどよっぽど機嫌が良かったかのかも知れない。
1976年の夜行急行佐渡、時刻を書いておく。編成はサロ2両にサハシ1両を含む13両編成
『急行佐渡4号(707M)』 上野2320 大宮2346-48 熊谷024-25 高崎106-08 沼田200
水上225-230 越後湯沢305-06 六日町325 小出342-343 越後川口354 小千谷402
長岡417-19 見付430 東三条439-40 加茂448 新津504-05 新潟520。
臨時夜行急行・佐渡55号や57号(何れも予定臨8705レ)は 上越新幹線大宮暫定開業や上野暫定開業
が終わるまで繁忙期と尾瀬のシーズンに走り、客車は12系や14系座席車が使われていました。
この列車が客車で運行するムーンライトの前身となり、上沼垂165系を使いムーンライト(その後の
ムーンライトえちご)になった話を聞いた事があります。 833列車新津発秋田行きに接続してたな
今はなきムーンライトえちごの先輩かな >>651
北斗星末期の宇都宮は日光線ホームの
停車中の機関車の顔が見える場所は立ち入り禁止になっていたが
バルブって停車ホームがわから?それとも後追い? 夜行佐渡の生まれ変わりがムーンライトえちごってわけか >>659
>この列車が客車で運行するムーンライトの前身となり
ここは違ってて
客車のムーンライトっていうのは団体臨として1986年の夏と秋に運転されたんだけど
この時点では臨時の佐渡号も並行して運転してる(1987年の春まで)
ところで1987年の秋から電車によるムーンライトの運転が始まるんだけど
この年のGWとか夏休み中って新潟夜行の運転なかったんだろうか? 夜行佐渡のほかにも寝台急行天の川が新潟に発着していたよな。
上野で寝台に入ってすぐ寝れば、6時間くらいは睡眠できたはずだから、需要はあったかもしれないけど、
300kmチョイの夜行だと当時の主流は座席夜行だったね。 快速ムーンライト(新宿⇔村上)の前身は1986年6月30日、EF64形電気機関車と14系座席客車3両で
試験的に運転を開始。7月31日まで運転したところ、1日平均193人の好評な利用実績があり、
運転継続の希望が多かったとして10月・11月にも運転を実施。1987年9月3日:全車普通座席車の
臨時快速列車として新宿 - 新潟 - 村上間で週末・長期休暇期間中などに運転を開始。1988年3月13日、
ダイヤ改正でムーンライト定期列車化。
よって客車の臨時夜行「佐渡」が「ムーンライト」になった案と上野→長岡の普通夜行733Mだった
案もあるけどこればかりは当時の列車運用などに関わった人でないと分からないであろう。
ちなみに快速「ムーンライトえちご」は1996年3月16日から採用された列車名でそれ以前は
快速「ムーンライト」である事を注意したい。
>>663
>この年のGWとか夏休み中って新潟夜行の運転なかったんだろうか?
GW期間中や夏休み期間中の新潟夜行は臨時列車や季節列車の運行はないけど
急行赤倉用の165系予備車や12系・14系での団体専用列車は運転られています。
>>664
寝台急行「天の川」は上野22:38→新潟5:06-35だったので寝台で横になって
行きたい人には重宝されたのだと思います。 ムーンライトえちごは高崎から長岡までノンストップだったわけで越後湯沢以北こまめに止まっていた佐渡とは違うな。
(越後)湯沢以北こまめに停車下車できる池袋〜新潟間の高速バスの方がむしろ、急行佐渡の後継ということかもしれない
あくまで当時のリアルタイムの記憶だが
快速ムーンライトえちごの前身とされる14系客車による団体専用列車と言えば、
個人的には池袋から越後中里湯沢までの西武貸し切り列車イメージが強いなので
14系客車による団体専用列車というのはむしろシュプール号等スキー専用列車と同格または準同格と扱われるべきであり
ムーンライトえちごの前身でないのでは
?というのがリアルタイムの記憶の感想
時代はまさにプレバブルでありおそらく鉄ヲタ以外の世間一般の大多数の若者はcoupleは勿論だがそうでなかった人々も
世間一般若者スキー夢中で丁度国鉄からJR変わろうとする時期だった事もあり
JRも鉄ヲタよりそういう世間一般人をJR的にも相手にしたかったんだろうな
先日の鉄道博物館鉄ヲタによる不祥事は急行表示を無理矢理普通にしたらしいが
それこそ急行佐渡が運行されていた頃は急行→新潟着→折り返し長岡行きの普通なんて運用はごまんとあったわけであり
今回の鉄道博物館鉄ヲタの真犯人は案外還暦になり定年退職になり暇な鉄ヲタが
半分認知症フラフラやっちまったんでは
?そこまでの年代でないがそんな気する
そのじいさん鉄ヲタにはたかが若い頃の大学生の頃の記憶なのかもしれないが、
立派な器物損壊罪ということなのだが、今後こういうのはますます増えそうだな
まあれだ、それはさておき、個人的にはムーンライトえちごでない単に大垣夜行165系電車だったらまた違ってたと思う
長岡〜新潟間は今でも早朝深夜需要あり345Mが浜松駅から各駅停車のように、長岡駅から各駅停車なるあくまで普通の165系夜行快速電車になってさえいれば現在の全滅という悲劇は避けられたかと >>666
スキー臨はパターン輸送の集約臨で達誌はA報かB報に上がってた
シュプールは臨時だけど季節臨の部類で達誌には共通通達で上がってた
14系客車による団体専用列車は臨客(団体)として達誌はA報かB報に上がってた 新聞輸送の方がメインだったんじゃないの。
「ムーンライト」は人間しか運ばなかったから途中停車駅も少ない。 >>666
>14系客車による団体専用列車
この時点でムーンライト号だったわけだが >>668
急行佐渡にクモニ83やクモユニ82の連結は無いから新聞輸送はなかったよ。
あの時代に高崎線・上越線経由の夜行で新聞輸送の関連性が濃いのは急行鳥海と
急行天の川・普通733Mくらいだが新聞満載のパレット輸送を積み込んでいた
急行鳥海くらいだと思われる。 >>666
「ムーンライト」は、上野〜新潟の夜行列車廃止後に、夜行高速バスの利用率が良かったため、
刺激されて設定された。そのため専用の165系車内は元グリーン車座席を装備する気の入れようだった。
2000年を過ぎ485系に置換えられたが、座席はかえってグレードダウン。
新潟支社のやる気が失せたようだった。 >>660
ムーンライトは1992年くらいまでは村上で827列車・酒田駅行きに接続して
いたけど833の時はキハの833Dになっていた様な気がする。
>>971
ムーンライトが1990年から1998年くらいが一番よかったよ バスやLCCにおされたからムーンライトがなくなったってのはほんとかな?ただ民間企業が株主ばかりに目が向いて儲からない事やらなくなっただけじゃないの?若者に汽車旅の味を味合わせなくなったところで鉄道の未来は先細りだよな。 新型やクルーズトレインは味気ないとか言ってるくらいだから
どうせお前らのいう汽車旅の味ってボロの国鉄型が前提でしょ
そんなの若い人の方からお断りだろうよ >>673
1963年5月31日までの急行佐渡は全車旧型客車でスロ60やスロ51の
連結はあったものの、寝台車の連結はありません。1963年6月1日からは
165系に変わってるが寝台車の連結はない。
上野〜新潟鉄道管理局内を走る急行鳥海や急行天の川に寝台車が連結
されていたので特に困らなかったのであろうか? >>677
そもそも天の川って上野-新潟の寝台列車だったからね >>675-676
18きっぷがなくなった時点で、鉄道(普通列車)で長距離移動する意義と必然性は
今の社会では正式に終わりを迎えることになると思う
IC化とも絡んで途中下車が不可能になる時点で、なおさらで >>678
急行天の川は最初は新潟止まりの列車でその後、秋田まで
延長しても新潟駅にはご丁寧に停車していたのは新潟まで
乗車する利用者の便を考えていたのかも知れません。
1963年06月01日改正、準急越後の寝台車部分を引き継いで
上野と新潟を上越線経由で結ぶ急行「天の川」が登場。
上野22:51→06:10新潟 新潟23:00→06:24上野
1968年10月01日改正で急行「天の川」の運転時刻が変更。
上野22:48→05:20新潟 新潟23:05→05:40上野
1972年03月15日改正 運転区間が秋田まで延長され上野と秋田
を上越線、白新線、羽越本線経由の急行「天の川」となる。
上野22:39→10:30秋田 秋田17:50→06:04上野
1976年10月01日改正 旧型客車から20系客車に置き換えられる。
1978年10月02日改正での時刻修正
上野22:38→10:24秋田 秋田17:47→05:55上野
1985年03月14日改正 東北・上越新幹線上野開業のこの改正で
寝台特急出羽に集約される形で廃止後臨時列車化。
流石に臨時列車になると新津から北陸線に入り、新潟駅は
通らなくなりました。 >>680
現在の制度のままなら乗車券が20%引きに特急料金10%引きで利用できる
レール&レンタカーや40代後半の夫婦ならフルムーン夫婦グリーンパス、
そして50歳以降のシニアなら大人の休日倶楽部パスがあるから旅は出来るし
学生なら学割が使えるからバイトで稼げば18きっぷに捉われない旅は
出来そうだけど・・・かくいうシニア世代の僕も定期夜行列車がサンライズしか
無い昨今は長距離なら飛行機で現地レンタカー、自宅から半径500kmくらい
ならマイカーで行ってしまう時代だ。大人の休日倶楽部パスが使える期間
なら大人の休日倶楽部パス使うし、夫婦での旅ならフルムーン夫婦グリーン
パスを利用。 >>681訂正
>流石に臨時列車になると新津から北陸線に入り、新潟駅は
北陸線ではなくて羽越線です >>681
新幹線上野開業ともなるとさすがに新潟への寝台需要は多客期と言えども少なくなったんでしょうな
>>682
改行は切りの良い場所で
現在の制度のままなら乗車券が20%引きに特急料金10%引きで利用できるレール&レンタカーや
40代後半の夫婦ならフルムーン夫婦グリーンパス
そして50歳以降のシニアなら大人の休日倶楽部パスがあるから旅は出来るし
学生なら学割が使えるからバイトで稼げば18きっぷに捉われない旅は出来そうだけど…
かくいうシニア世代の僕も定期夜行列車がサンライズしか無い昨今は
長距離なら飛行機で現地レンタカー、自宅から半径500kmくらいならマイカーで行ってしまう時代だ
大人の休日倶楽部パスが使える期間なら大人の休日倶楽部パス使うし
夫婦での旅ならフルムーン夫婦グリーンパスを利用
みたいな感じがよろしいと思う
文節途中での改行は止めといた方が良いと思いますよ
お節介で済みません >>685
このスレッドは50代〜60代の詳しい夜行列車趣味人が
多いからコアな内容の書き込みが多いんだよ 夜行の実用性なんて、とっくの昔に多くがなくなっているのに、「実用に即していないとけしからん」「クルーズなんて論外」としか言えないんだから話が噛み合わない。
趣味の夜行、要するに観光目的、を除いたら、飛行機、新幹線、バスで十分だろ。観光目的の楽しい列車をみんなで盛り立てましょう、というところに、昔ながらの実用性重視でないと、と言ったところで説得力がない。 >>687
ただ北海道で、稚内・網走・釧路・根室を回る際に、片道夜行があればいいとよく思う。
札幌から行く場合、片道は景色を楽しめばいいが、往復共日中の列車に乗るとさすがに移動効率が悪い。 座席に座ったままの夜行列車では、
尻や身体があちこち痛くて疲れて、
それでも深夜に停まった駅での風情を
寝ぼけ眼で見たのは思い出深い。
良くあれだけ体力があったと自分ながら感心する。
寝台車に寝そべって、
停車してふと目が覚めて
小窓から見えた駅のホームの風情には
余り旅情を感じなかったのは不思議。
こんな体験をしようと思ったら、
もうサンライズかクルーズトレインしかなくなった。 >>688
過去に札幌を基点に函館・稚内・網走・根室に向かう夜行列車が
最大4〜5系統あったでしょ。普通からまつが廃止になって狩勝が
まりもになって普通43レ・44レ(後の41レ・46レ)と急行すずらんが
廃止になったけど快速ミッドナイトで復活。
今さら夜行列車なんて無理だから! >>688
札幌のひとが所用で釧路に行くなら、せめて、片道は飛行機か。片道4時間の日帰りはきつい。
観光なら、札幌に着いて釧路行って、そのあとは釧路から飛行機で帰るんじゃないのか。いや、釧網本線で網走まで行くというひともいるだろうが、同じ経路を往復して札幌に戻るようなのは少ないと思う。
乗車自体を目的にしないと、今の時代、札幌始発といえど夜行は難しいように思う。 仙台から札幌どころか首都圏から札幌も日帰り往復をしよう思えばできるようなそんなものすごい時代なってきたからな勿論首都圏から札幌だと今のところまだ行って帰って来るだけだし非実用的だが仙台から札幌なら既に実用的であるし。
青函トンネル更にスピードアップなればもはや夜行存在意義そのもの封印だな。 >>694
トラブルさえなければ、羽田〜新千歳で日帰り往復って時代でしょ
東京基準だと、札幌・函館・青森・仙台・新潟・金沢・富山・名古屋・大阪・神戸・岡山・広島・福岡…
飛行機+新幹線で、どれも余裕を持っての日帰りができるもんなぁ
こんな時代だと、適切なカネも持っているのであれば、
そりゃ夜行列車の存在意義が限りなくゼロに近付くことになるか 昭和50年代のブルートレインブームの頃、
なぜ10系寝台車はブルートレインと呼ばれないのか疑問の声はなかったの?
当時の10系は青く塗られて冷房もあるから20系と大きな差はない。
ブームの渦中のニワカは24系25形を基準に物を見てるから
24系25形…幅70cm二段式 昭和50年前後の製造
20系…幅52cm三段式 昭和30年代の製造
10系…幅52cm三段式 昭和30年代の製造
で、どこで線引きしてるの?ってなる。
この疑問に答えた人は後年それを言質にされて
「じゃあトワイライトとホリデーパル玄海は?」
と尋ねられたらどう答えたのだろうか? >>695
事実羽田7時の飛行機で新千歳まで飛んで夕方の飛行機で羽田まで
戻る出張を2回ほどやった事があるが6月だったのでトラブルにも
見舞われる事はなかったよ。
>>696
10系寝台車と20系寝台車の大きな線引きは20系から暖房・冷房など
車内で使う電気は自車で発電・給電している事と固定編成での運用や
走行中のドアが開かない(扉上のツメみたいなのを押し上げるとかは
除く)事。20系末期になって1000番台が出て12系などと混結可能に
なったけどさ。
トワイライトは臨時列車だったし、ホリデーパルはジョイフルトレイン
だから論外でしょ?夢空間にカシオペアなど >>696
ブルートレインって寝台特急、ただし電車寝台除くって意味だから
寝台急行は端から除外だよ 「鉄道ジャーナル」が特集でブルートレインをを初めて取り上げたのは1969年7月号で、そのときの対象車種は20系のみ
「鉄道ファン」が特集でブルートレインを初めて取り上げたのは1975年1月号で、そのときの対象車種は20系・14系・24系の3車種
当時のこれらの鉄道雑誌の特集やコロタン文庫の全百科シリーズなどでブルトレの定義は
「20系以降の寝台客車の形式で組成された列車」
と刷り込まれてしまったからな
だから10系寝台車をなぜブルトレと呼ばないのかっていまさら言われても正直違和感しかないわ 鉄道ファン1979年7月号にはこう書かれていることからも10系は最初から定義の対象外であったことがわかる
>ブルートレインの元祖はなんといっても”あさかぜ”である.
14系と24系は登場時の1970年代にはニューブルートレインと称されていたことがある
>>698
1976年2月に初めて20系で運転されることになった寝台急行の銀河をブルトレと呼ぶかどうかが雑誌上で論争になっていた記憶がある 固定編成を組んでいたか否かの違いだな
今では完全に幻となったきたぐにだが、583系電車なったのは1985年だがその前14系客車なったのは1982年その更に前1982年11月以前は12系座席客車列車で10系寝台車だけを新潟で増結していた。
大阪発の場合もちろん新潟で切り離しでもちろんブルートレインではなかった。
大阪からの日本海縦貫線日本海つるぎはブルートレインだったのは間違いないが日本海=きたぐにができるまでは急行、つるぎ=きたぐにができるまでは急行、
つまりブルートレインでも何でもない、ただの日本海やつるぎという名の急行が日本海つるぎいう名のブルートレインにいわば進化したと言えるのであろうし、従来の急行の姿はきたぐにとして残る。
きたぐにに関してはあの北陸トンネルの火災事故で食堂車が封印された訳だが、あの火災事故さえなければおそらくは、12系客車化されることもなく新潟までは10系寝台車連結新潟で寝台車を切り離し新潟から食堂車つき旧型客車急行として1982年迄走り続けたのでないだろうか
10系客車がブルートレイン無理言うより10系客車のきたぐにでのいわば新潟から大阪まで増結車両だった使われ方自体が20系とは違いあくまで主役でなく脇役、そういう使われ方の定めだったのだろう1両だけ普通列車に連結されるとかね。 583系だと、20系・14系・24系と併存していた列車もあっただけに、
「電車版ブルートレイン」的な要素は当然持っていたんだと思う
(当然、真のブルートレインとは言えないとしても、
車体の配色に青色も使われていた訳だし)
言うまでもなく、今となっては客車も含めて思い出のかなたの存在になってしまったけど もともと「ブルートレイン(英語だと)」は
大昔からフランス・パリ・リヨン駅と地中海沿岸の
イタリアとの国境Ventimigliaヴェンティミリアを
結んでいた「Le Train Bleu(英語のblue Train)」があって、
当時から寝台車だけの花形の夜行寝台列車。
使用される寝台車がWagon-Litだったら、
その青い塗色を模して「青い列車」と称したのかもしれない。
それを知った国内のファンがそう呼び始めたのでは?
歴史に詳しい諸兄の皆さん補足をお願いします。 >>701
そりゃあ
>10系は最初から定義の対象外であった
これは事実だけど
なんで
>ブルートレインの元祖はなんといっても”あさかぜ”である
がその根拠になるのか? >>699
>「20系以降の寝台客車の形式で組成された列車」
これがホリデーパル玄海がブルートレインである根拠になる。
>>701
>>ブルートレインの元祖はなんといっても”あさかぜ”である.
その”あさかぜ”とスジも車両も同じなのが「玄海」なのだが。
昭和60年に多数出たブルトレ本では主役は「はやぶさ」のロビーカーだが
「天北」も載っており、「ブルートレイン」の語を作ったとされる竹島紀元もジャーナル別冊で自ら取材している。
本によっては同年のダイヤ改正で寝台車の連結がなくなった「津軽」が「廃止されたブルートレイン」のページに載っているが
当時の基準に照らすと「はまなす」はもちろん14系連結の気動車夜行もブルートレインになる。 普段何を喰ってたら>>706みたいな思考になるんだろう? >>707にしたって当時は該当系列には青以外の塗装の車両が存在せず青以外の塗装の車両が出てくることを想定すらしていなかった
のすらわかってないのかとしか思わない >>701
ブルトレの定義の一つに特急か否かがあって、当時は特急のみがブルトレ派のほうが多数派だった記憶。 そういえば先年の2018年は20系ブルートレインにとって60歳還暦であった。
三段寝台の52p幅ベッドは狭かったけど全車に冷房が入った車内は快適だったし
食堂車ナシの車内は素晴らしく、485・489・583(581)系の食道車しか
利用した事が無い自分にとって別世界だったよ(20系と同じ年齢の自分だけど)。
しかし古くなった20系が本当にいいなと思ったのは出張でよく利用した1980年
から1985年くらいの急行銀河でナハネフ22が入る11号車の指定券を取って
寝るまではナハネフ22の展望エリアで寛いだ。あの場所は灰皿があって缶ビール
を置く台みたいなのがあったので東京駅から乗って発車前から展望エリアで
寛いだものだ。
>>701
>ブルートレインの元祖はなんといっても”あさかぜ”である
それは20系を始めて使った列車があさかぜ(1958.10.1)だったからだと思う。
>>707
>その”あさかぜ”とスジも車両も同じなのが「玄海」なのだが。
「玄海」の前身は臨時「あさかぜ51・52号」だよ。定期あさかぜ編成にあった
食道車や1等寝台車「プルマンやルーメット」(A寝台車)に1等座席車(グリーン車)
がないから「玄海」は格下げされた臨時「あさかぜ51・52号」であって
定期あさかぜとスジも車両も同じ・・・とは言えないだろう。 >>709
>青以外の塗装の車両が出てくることを想定すらしていなかった
後で事情が変わったからって前言を撤回するのは卑怯だろ。 >>708
むしろそれはお前に言いたい
>ブルートレインの元祖はなんといっても”あさかぜ”である
がそのあさかぜの元祖の編成は
スハニ32+ナハネ10+ナハネ10+ナハネ10+ナハ10+ナハフ10+マシ35+スロ54+マロネ40+マロネフ29
みたいな感じだぞ
つまり歴史的にあさかぜ=ブルートレインではない
20系編成に変わった後にブルートレインと呼ばれるようになっただけだ >>707
「ジグザグ急行列車日本縦断」だったかの本にある写真で、北海道の駅ポスターに
14系500番台急行を「ブルートレイン」と称してたものが貼られていた気がする… 12系編成の創臨に乗った子がブルートレインで富士宮に行ったと話したのを。
塗色自体は24系、14系(寝台、座席)に12系も一緒だから、マニアでないと区別しないかも。 そういう子ならきたぐにも極端な話だがブルートレインという事になるだろうが急行の場合は例え全車寝台車であっても寝台列車とはっきり区別してたからな。寝台列車新星に乗ったからよくわかる。 >>716
そうなると、20系化以降の「銀河」は「限りなくブルートレインに近い寝台急行」って
位置付けになる訳か
客車自体、最末期は「日本海」やトワイライト(カニのみ)とも混用してたから、
料金・停車駅の面以外はブルートレインとほぼ同等であったんだろうけど 北海道の鈴井は山陰での自分の映画のロケ時に12系客車をブルートレインと呼んでたぞ
北海道人からしたら青い客車みんなブルートレインの認識なのかも そうなってくるとブームの最中に子供に「ブルートレインに乗りたい」と言われた父親が
知識不足で10系急行の寝台券買ってくるという話もありそうなものだが。 ヤマケイのレイルシリーズ ブルートレインには銀河天の川利尻とかも載ってた 20系急行にブルーエクスプレスという愛称も見たことがあるが、どの程度普及したんだろう。 日本のブルートレインの定義は固定編成の寝台列車で20系・14系・24系の
寝台車を使った寝台専用特別急行(現特急)と後の20系の寝台専用急行として
走った銀河・天の川・新星は特採としてブルートレインに入ると思う。
20系あさかぜ初期に連結された現グリーン車のナロ20形や現普通座席車だった
ナハ20形・ナハフ20形・ナハフ21形は元祖ブルートレインだから致し方ないが
寝台車を座席車に改造しただいせん・十和田・一時期の おが と 津軽 と20系に
12系座席車を併結した日南・かいもん・さんべはブルートレインの範疇に
入れるには如何なものだろうと思うけど・・・
>>718
北海道で始めて14系を採用した急行ニセコ(1981年2月7日)の時は座席車だけ
なのでブルートレインとは呼ばれなかったけど道内の利尻・大雪・まりもが14系に
切り換った時は車内放送で「この列車はブルートレインになりました急行利尻です」
と旭川車掌区の担当レチの声が聞こえて車内に乗り合わせていた鉄道ファンから
ブーンイングが起こった程である。
道内といえば夜行は旧客、特急はキハ80系のお古が中心でこの時代にキハ183系や
EC781系、そして14系ハザに14系ハネが入り新しい鉄道文化の夜明けだったので
誇らしく聞こえた利尻車掌の放送が終わると拍手が聞こえたくらいであった。
転属した14系座席車の殆どは雲仙・西海・阿蘇・くにさき他の廃止で余剰になった車両。 >>722
>後の20系の寝台専用急行として
>走った銀河・天の川・新星は特採としてブルートレインに入ると思う
これは物凄い違和感 「ブルートレイン」の用語の最初は「鉄道ファン」で竹島紀元が「はくつる」をこう呼んだのが始まりとされる。
その竹島は「天北」をブルートレインと呼んでいた。
「鉄道ジャーナル」1991年10月号のブルトレ特集にキハ400系「利尻」の列車追跡 >>723
俺も同じ意権
やっぱりブルートレインは客車固定編成の寝台特急だよ
急行のブルートレインなんて邪道だと思う
急行には牽引機関車にヘッドマークさえつけない
(JR北海道は例外みたいだけど論外) 日本におけるブルートレイン(Blue Train)は、客車を使用した寝台列車を指す愛称である。
ただし、「あさかぜ」などといった「列車愛称」とは異なる、包括的な列車の愛称である。ブルトレとも略称される。
一般には、1958年に登場した国鉄20系客車(以後「20系」と略す)以降の、青い車体色(実際は藍色に近い、
青15号。cf. 国鉄色#特急車両の塗色)で特徴付けられた固定編成専用寝台客車を使用した特急列車を指す。
その創始は、同年10月に車両が旧形のものから20系に置き換えられた「あさかぜ」である。
名称の由来は、運行する車輛が青かったことから。現在でも京浜急行電鉄などの在来線で青い車輛の列車が
使用されているが、上述しているようにブルートレインは寝台列車に対して用いられる名称であるため、
青い車輛だからといってもこれらのような昼行の在来線で使用されている車輛はブルートレインとは呼ばない。
ブルートレイン色(青15号とクリーム1号)
ブルートレインを象徴する車体色。ブルトレ色とも称す。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています