|。 ̄\ EF58 37/ ̄。| [無断転載禁止]©2ch.net
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深夜の事故にもかかわらず、機関士・機関助士・車掌・乗客・周辺住民が連携し後部6両は切り離されて延焼を回避した。また乗務員による乗客の避難誘導により重傷2名・軽傷31名を出したものの、死亡者は出なかった。
被災車両は大きく損傷したものの、全車廃車とならず以下の修復作業を実施。
EF58 66:浜松工場で甲修繕を施工。 この火災で最悪の事態をまぬがれたのは、桜木町火災の教訓を活かすことができたからなのだろうか。 66の件はじめて知ったよ。よく大窓のままで修繕されたね。 >>163
昭和30年だからじゃね?
あと、10年時代が進んだときに同じ事があっても同じようには修理されずに
酷いことになっていたかと 調べてみた。
EF58 71 から小窓で落成 昭和29年
164からHゴムで落成 昭和33年
という事みたいだから昭和30年だと小窓への
端境期という感じだね。EF5858みたいに落成数年でHゴム化された気の毒なのに比べるとラッキーだったのか。しかし電気機関車の全焼ってイメージがわかない。ケーブル類は焼けたと
してどこまで再利用出来るものなんだろうか•́ω•̀)? それからこの時代毎年数件は死傷事故が起きていて、
中には紫雲丸沈没とか六軒事故とか高校生の子供が
犠牲になる痛ましいものもある中で田子の浦事故は幸いだったね。
揮発油の塗料ってガソリンが溶剤として使われてたんだろうか。
今の油性塗料の溶剤は匂いからするとほぼ灯油みたいだけれど。って気がついた。この事故SG炊いてる事故だったら燃料の重油に引火してもっと悲惨な事故になってたんじゃ? >>158
当時のニュースがYouTubeにあったわ。田子の浦の事故は冒頭の数十秒だけど。
昭和30年 楽しい修学旅行.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=1eKWdVcyM2I
「楽しい〜」というタイトルとは裏腹に、けっこうキツい画が出てくるわ・・・
0:33あたりから負傷された方々の映像ありのため、見るさいは注意されたし。
1:30は、校庭でわざわざ汽車の窓から逃げたす練習をせなアカンような時代だったんやな・・・。 電気機関車EX No.11「お召列車を牽引したEF58たち」
3両しか知らないが他にあったっけか? 73号機ほか各区で予備機に指定されたやつとか出してくるんじゃないか >>157
今のデジカメと違い、フィルムに限りのある時代の話。やむを得ないとは言え、やはり残念。 踊り子55号もPFが来たら以下同文
ヘッドマーク付14系ハ座など今からすれば以下同文 ef58の車体を舐めたことがある俺は勝ち組
上野駅で北陸号を牽引してた 復活は当然無いし大井での展示ももうやらない。でも車籍は残す
東日本はいったい61号機をどうしたいのか? どうでもええなら最初から言わなんだらええ
邪魔臭いやっちゃ いまやパックも囲碁丸も信じられないくらいマッタリ眺めていられるな。
誰も見向きもしない。死体だからしゃーない。 昔はまたEF58かよと思ったが時代は変わるもんだね EF56,57の天敵EF58が持て囃される時代
EF58の天敵EF62が持て囃される時代
EF58の天敵PFが持て囃される時代←今ココ 検索してたまたま見つけたが、ゴハチの歌なるものがあったんやなw
初めて聴いてワロタw
https://www.youtube.com/watch?v=t9lT4O31rdE
ここのスレ住人方はすでにご存知なのかな? >>187
すげーなコレw
しかし61の走行時運転台映像に熱くなった 昨日だったか、NHK19時のニュースでEF58のお召機とお召の運転士が出ていたが。 よく見ると後ろのカニと繋がってないよな
運転台の絞り込みがない
PS14なのかPS15なのかワケワカメなパンタw ありがとう!こないだ金曜ロードショーでやってたやつか 何故か、急行「八甲田」のイメージがスゴイ 上野を14時過ぎにでて、青森に0:00くらいに着く。15分くらい後に上野16時過ぎにでた特急「はつかり」が来て、青函連絡船 が2便くらい出ってたはず
急行だと激安になる。
EF58の思ひで しゃああああああ だだん だだん!!!
|。 ̄\ EF58 36/ ̄。| それ八甲田じゃないだろ。58ですらない。客車急行の速さじゃねぇ
1Mはつかり、11Mみちのくの頃がそんな感じか 新製配置が高二、そのあと宇都宮にもいってたみたいだから入ってるだろ
八甲田が客車、上野発になったのが36.10。牽いてるんじゃね 鉄ピク'68-2(特集EF58)を入手
36号の宇都宮配置は'S33-4でS35-10から長岡二となってた
八甲田は牽いてないない可能性が高いね 知ってる人いたら質問です
これは運転台の助手席側の画ですが
運転側とはだいぶ違う形のマスコンとブレーキ的なハンドルらしきものが置いてあります
これは何の操作用ですか?
http://www.agui.net/tasya/jnr/jnrEF58-14h.jpg >>206 左側のレバーはパンタグラフ上げ下げの操作レバーでは?
EF65の助手席に似たようなレバーがあり、運転室機器配置図によるとパンタグラフ何とかとある。
(参考)https://www.over-rabbit.com/pc/mycom-diary/2173/
右側のレバーに相当するものはEF65にはないようだが、暖房の表示ランプの近くにある。「出」の字が書かれてるから暖房関係の操作用かも?(自信はない) 丸い方はパンタグラフだね
1上は1エンド側あげ
もう一つは 吹出 と 出 ってあるから>>207の言うようにSGじゃないかな
14号機ならSG機だし >>207
>>208
なるほど、そういうことですか
パンタ上下とか蒸気はき出しとか、現在の感覚なら
ボタンとか、指令をもって行う形でとりあえずやろうか、と考えがちですが
原始的なシーケンサでも、当時はまだまだ信頼性が低かった、というところでしょうか
でもこっちのほうが、故障時の対処を考えれば、現在でも残してもいい形態かもしれません
たまらなくマニュアル制御でかっこいいという点もあるしww
ありがとうございます! >>206
EF58 89の機器配置説明写真によると
http://photozou.jp/photo/photo_only/1490040/166254625
「入(レバーの陰)ー吐出ー出」の弁は、雪カキ器操作弁となってますね。
※スノープラウを空気圧かなんかで調整できたんですかね?私も初耳でした。 取付式のスノープラウは
普段は連結の邪魔にならないように
ブルドーザーのように平らにしておいて
いざとなると中央が前に出て尖る仕様
先台車を正面から見ると台枠にロッドの穴がある
長岡あたりのは固定式で別物 >>210
可動式のプロウの操作用なんだね
88や124がつけてたやつか
>>206
208だけど、適当なこと言ってすまんかった
写真のアドレスから14号機かなって思ったんだけど横川の172か
あの可動式のプロウ、2段階だったんだね。どうちがうんだろう 209 「原始的なシーケンサ」
スレ違いで申し訳ないが、747-400とか
777とかはスイッチポンでエンジン始動
してるようだけどあれもソフトハードの
シーケンサが随分良くなったからだろうね。
湿度気温気圧全て高信頼のセンサから
パラメータ得て最適化された手順で
簡単にできるようになったんだろうね。
昔は航空機関士の人が神経質にやってたみたいだけど。 >>206
これは何号機かな?
Hゴムのデフロスター付みたいだが。
前にあるのは飯田線の旧国のように見える このレバーをまん中にすると盛大にSGが吹き上がるのか。あのシーンはめちゃくちゃ格好よかったなあ。
調整弁で勝手に吹き上げるものだと思ってたけど、
マニュアルで出来るなら機関士さんに酒でも差し入れ
して吹き上げて欲しかったなあ。 機関区行くと
連結器の近くから逆噴射wしてるのが見られた 218 あれ連結手が蒸気もろに浴びたら火傷して
死ぬんじゃね?色が透明だと死ぬよ。白く見える
位ならだいじょぶだけど >>221
火を落としてあって残った圧を抜くところと思われ j-train79 宇都宮運転所最後のEF58 13両で、
60-3改正で89と122の2両が残ったと書いてあるけど、
141も故障離脱するまで(61年の夏前だっけ?)使われたんだけどな。
伊藤久巳も知っている様で知らないのか、ただ呆けたのか? 情報は正確でなければならない、という大前提の上で、
ふいんき的には荷レ中心の定期運用がなくなーた85.3時点で、集中力と関心が途絶えてしまったという言い訳が
成り立つ、かも知れぬ。 定期運用なくなってたからは
イベント用に落ち着くまで分りにくくなったのは事実 >>226
東海道・山陽筋では59.2改正までだな、
配置されていた区ごとの特徴が楽しかった
下関集中以降はおまけ、撮る気が失せた 下関集中配置の時に勝負ありの感じだったよな
どのカマが残ったのかも覚えてない
順々にEF62に代わってフェードアウトする頃には
俺も燃え尽きて撮りに行ってなかったw
運用離脱は古巣で取り込むようにしたのでなかったかな
家に帰してやろうという親心があったかは知らないが
解体費用の分担割合が関係してた希ガス >>229
RFのEF58置き換えレポによると、わざわざ古巣に戻るように運用を組んだとのこと。
多分皆さんご存知と思うが、EF62 を各機関区に貸し出し、そこで乗務員研修、
研修終了後、定期運用中のEF58をEF62に置き換え、EF58はそこで運用終了。
ただ、EF58の配置が無い機関区でも研修を行うため、古巣に戻らないものも多かった。
(静岡や沼津など、記憶にあるのは米原の118が岡山で運用終了)
この下関の配慮だが、元東京区の車両(番号失念)が故障のため運用が狂い、戻れない車両が増えたとの事。 東京、何号機だしたんだっけ?
壊れたので有名なのは宮原の100だな。小郡で晒し者になってた
で、東京の68を投入だったような 華麗なる特急電機(青)を出してみたが
84年発行なのに81年までしか配置一覧が載ってねえ
ブームに乗って旧版(茶)にちょっと手を加えただけか 下関の時に68が荷レでSG吹き上げてる写真があるのでそれは間違いなし。129も入ったという話も聞いたような。61も聞いたような。
その後東京機関区は61以外のプロパーが消えて
93と160の浜松ボロ釜のリサイクルになりまし
たなあ。ありゃハードオフででも買ってきたのだろうか? ゲロマルと呼ばれたのはその頃からか
古巣の浜松機関区直通のイベント列車牽いてたのは乗ったw
93はなんだかんだで車籍消えてからも生き残ったな 2005年頃、あたりまえだった国鉄型がチラホラ
なくなりそうな時に写真取っておくかと現地で
会った人とは、まだ下関の配置の時の事など、
あの時どうしてたか?と普通の話題として話すことが出来た。今は世代が進んでそんな話も
出来なくなってるのかなあ。
ゲロマル、言われてたね。宮原は126,127,150
っていう大窓は望めないにしても端正なプロパー揃いで残ったのになんで東機はよりによって
浜松の表面ブクブクのボロ釜2台なんだーという気持ちがこもっていた。中古車でも走行15万キロの元々固体的にアタリだったやつが使い込まれていつまでも使えそうって事があるけど、
それに近いものがあったのであろう。車検残の
関係が1番大きかったのは当然として。。 民営化後も
150=イゴマル
122=ゲニニ
この呼び分けはなんなんだろうな イゴマルは使った事あるがゲロゲは語感が汚いので好かん。
36号機が出た頃の鉄道模型趣味の表紙が大窓水切りなし
スッキリ茶色の超原型状態。いがんだつらら切りもHゴムもナッシング さあ日本はこれからだゾって希望がある。何も付いてないゴハチ。。それから15年日本の旅客輸送の中枢を担った。その後の15年は創価学会員の輸送頑張った。 上で書いたのは昭和27年の鉄道模型趣味の表紙だった。 なんとも言い難いのが36号機の後ろには17mダブルルーフの木造?と思われる客車がズラリ。
これが神話の世界のようなナハ22000型か?屋根なんか裾が絞ってあるから
モコッモコッってなってるw こりゃもう旧型客車とも言えないのではないか。
はとつばめ、その後の20系とかの牽引機として当時は華々しいゴハチであったがその頃から各駅停車の地味な運用もしてたんかねえ。ともかく36号機そのものはそれから32年後の昭和59年に向けて30年後の未来を向いている。しかしその後ろの木造客車を見ると時計は30年逆回りして大正時代まで遡ってしまう。 ゲロマル最後迄SG煙り噴いてたなー81系牽いてたな
誰だ最後、東機に乱入ブッこいてバカってペンキで
いたずらしやがって!
てなことがありましたね〰️〰️。 65513が山型富士マークで牽引してたのもすげーな ゴハチデザインを考えた人は神!
これがなかったらELのフォルムに光が当たることはなかったかもしれん クハ86、21から2枚窓だけど。全金属が出るころにはもう58は最終型 平成初の1号編成お召じゃなかったか?
もう動かないのではと噂されてただけに
そりゃもう大騒ぎさ
御料車が天皇と一緒に代替わりしなくなったのもここからか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています