懐かしの鉄道車両メーカー [無断転載禁止]©2ch.net
帝国車両、大栄車輌など、
合併・倒産・事業譲渡のために
鉄道界から名前が消えた車両メーカーを懐かしむスレ 地元民以外はアルナ工機は大阪の企業だと思ってただろうな >>1
懐かしい板なんだしスレタイに懐かしのはいらなくないか?
木南・新木南製の鉄道車両って現役なのは路面電車くらいかな? >>6
未だネットがない時代、木南の読み方が解らずに勝手に「もくなん車両」と読んでた 新潟鐵工やな。
ブルトレ乗った時、その見慣れない銘板にそんなメーカーもあるのだな
と思った記憶がある。ただ銘板は「新潟鐵工」だったか「新潟鉄工」
だったかは覚えてないけどな。 若松車両、九州車両
近鉄が、元伊勢電引継ぎの電車を南大阪線特急 かもしか号用に再電装整備した 5800形 に
改造した近畿日本工機(近車とは別)は、どういう存在? 近鉄の車両整備部門の内製メーカー?(一時分社してたとか)なの? >>10 大メーカー 日車 の直系の前身ですぞっ!モグリ? 宇都宮車両→富士重工 鉄道&バスから手をひいちゃった 大栄車両最後の新製車の京成3400形は車体の状態はまだ大丈夫そう
むしろ最後の更新車の3500形の方が痛んでるように見える >>18
3400は鋼製ながら、防蝕技術は確立したときに作ってるからねえ
3500の方がセミステンレスの外板剥いて苦労してるはず
コスト的にも3500の更新は割に合ってない(だから中断した)かと 梅鉢鉄工所なんて風雅な屋号のメーカーがあったんだね
さすが京都だ。 >>24
京都??
資料によれば本社工場は堺にあったというが、さらに前歴があるのか? >>26 取り敢えず 大井川に行けば 元岳南1105がSUSボデイ故残っている。 >>24
社紋は京都の北野天満宮に由来していたそうだよ キハ17の銘板で飯野重工なるものを見たことがあるが、あの飯野ホールと関係でもあるのかね?
あと都電6000で日本建鉄なる銘板も見たが、もし現存していれば、
今や建材・サッシ会社のはず
かつてはいろんなメーカーがあったが、今後海外展開もしている日立以外の国内メーカーは、
さらに再編・統合されそうだ >>30
昔は東武野田線の新船橋にあった建鉄かな? >>25
元々堺だろ
梅鉢鉄工所でググったら四番目くらいに経営者の子孫のツイッターが出てきた
東急時代まで一族から役員出してたみたいね >>28
天満宮の紋は梅鉢だけど梅鉢鉄工所の梅鉢は苗字から来てるから
直接的には関係ないだろうな
もちろん梅鉢の苗字家紋が天満宮から来てるのなら間接的にはつながってるわけだが 北野天満宮は商売繁盛の祈願先ではないが、当時の梅鉢経営陣は
社業隆盛、交通安全などを祈願し、中には寄進した役員もいたという。 泰和車両
釧路製作所
>>36 4大 道内メーカー(俗に)あともう1つって何処だつけ? 京阪のエコノミカル台車はまだ残ってるはず
一部川重製もあるが設計としての遺物とは言えるだろう >>7
おお同士よw
他に藤永田造船所を「ふじえだ造船所」と読んでいた
なぜ「永」だけ音読みにしてたのか、自分でも分からんww ジーメンスすら鉄道車両止めたがってるのでここに入りかねないのが時代を感じる >>41
↑
おはよう、こんにちは、こんばんは。また、会ったね。しかしまぁ、このスレの貧しさときたら…さて…
児童福祉法違反で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em
では、また来るからね。戻って来た時にはこのスレをちゃんとしたスレにするんだよ。やればできるさ。キミたちには期待してるんだがね。 東横、小田急、阪神、京阪など
関東関西から丁度良い案配に受注してた模様 >>45
デハ100は東横が発注して東横に納車されたんだけど直ぐに目蒲へ移籍だそうな 川造が請け負った神姫電鉄1はオール舶来部品の組み立てだったという >>50 キナミ
江若の気動車、客車を改造した向日町にあった大鉄車輌ってどうなったの?
詳細宜しく。
戦前 蒲原のモハ1,2(目蒲モハ1の模造車)や池上にデト(無車籍)、相模鉄道(相模線)の木造キハを納入しているけど、此処もよく解からん? >>26
台車でよければ京阪2200などのエコノミカル台車 大鉄車両といえば大阪市電の廃車両の鹿児島市電向け改造を手掛けたことがあるそうだね 大鉄を名乗るくらいだから戦前の大阪鉄道と何か関係あるのかと思ったら何もなかった >>47
大鉄デイも下回りは全部舶来モノ
そんなに珍しいことではない 加藤車両やら田中車両やら、いかにも個人商店っぽい感じのメーカーが多かったね 摂津(旧国名)にありながら社名は難波の
ナニワ工機 >>62
何言ってるんだ?
工場の所在地が尼崎市難波町だからナニワを名乗っただけだぞ
頼むぜ兄さんw 京王の電動貨車11号だけで名を残すメーカーというか、メーカーだったかどうかも不明の謎の会社、古川商店。 >>62
だからその地名の由来が大阪の難波ってことじゃないの? >>62
大阪の難波(なんば)も尼崎の難波(なにわ)も共に摂津国ですが >>76
そうだな。
名古屋電車製造所は路面電車用車輛の実績が大正頃からあるが、
どんな会社からよく分からない。 立山重工業
梅小路にあるB20の製造メーカーとしてのみ知っているが、
他に情報があまりないな。
どちらかといえば産業機器メーカーで、車両メーカーではなかったみたいだが。 >>78
戦時型の蒸気を作ってる。朝鮮鉄道むけナローも確かあったはず。
あとは東芝専用鉄道→北沢商店網干にも入ってる。 >>75
丸山製作所×
丸山車輌○
鉄道系の板の住人はみんな細かいから書きこみは正確に頼むよ >>74
代表作だけに九十九里でも大事に使われ、天寿を全うできたという。 長寿は入念整備の賜物
経営は苦しかったが保守に資力労力を投入することは惜しまなかった 丸山は単端で特許みたいなのは取れなかったのかな
資本力のない零細私鉄に単端式のニーズが一定はあったはず 垂直カルダン駆動といえば神鋼電機
起源は神戸だが、本拠は三重県とは知らなかった >>89
だから三重交通のナロー用連接車を受注できたのか その前に淡路交通に売り込んでガソリンカー改造の珍車を誕生させているぞ 関西木工合資。
龍野電気鉄道しか聞いたことが無い。 床下空間に制約の多いナロー路線に垂直カルダン車を投入したのは慧眼だと思うよ 誰でも考え付くよそんなの
ていうかナローはもともとそんなに速度を出せないからカルダンに拘る必要もない カルダン導入はスピード目当てだけではない
省力化、接客サービス向上など、経営上のメリットは多々ある >>103
ピクトリアルで初めて「きなみ」と知った 鉄オタが誤解し易い読み
木南車輌・・・きなみ しゃりょう
津覇車輌・・・つわ しゃりょう
泰和車輌・・・たいわ しゃりょう
オマケ
乗工社・・・のりえ しゃ のりえしゃで思い出したが、小学生当時同じクラスの奴で
“篠ノ井線”を“しのえいせん”と呼んでるのがいた。
今思えば、彼は“篠之井線”と書かれた書物を読み、
“之”を平仮名の“え”と混同して、そう呼んでいたんだろう。 日暮里の事を、ひぐれさと と呼んでた九州人がいた。 >>107
うちの妹は、関東人だけれど小学生の頃「ひぐらり」と呼んでいた。
神楽坂は「かんらくざか」。 「日車東支」
鉄道に興味を持ち始めて最初に目にしたオタ用語(違うかw ウィキに載ってた大栄車両の住所の場所に行ってみたら、普通のマンションが
建っていた。完全に消滅しちゃったのかな・・・・?
(「大栄車両」の看板を掲げた小さな雑居ビルがあるということなのだが) >>111
俺もその四文字が妙に心に引っ掛かってたのを覚えてる 東洋経済新報社で昔の会社四季報を閲覧できるサービスをやってるんだが、
案外面白い。
帝国車輌が山陽新幹線岡山開業時の増備車両の受注を大目標にしていた、
なんて記述もあったな。 >>115
小生も同じく。
訳知り顔で同じ鉄チャンの友達を相手に盛んにこの言葉を使ってたw 便乗質問だんが、木南車輌って、ふりがなは、なになの? 今はネットで簡単に調べられて広く知られた話だが、
ナニワ工機の由来は所在地の地名尼崎市東難波町であって大阪地盤のメーカーの意味でないこと >>51-52
>>71
>>79-80
遅ればせながら答え合わせ
浦田車輛〇
蒲田車輛×
なので71が正しい
ピクの車両メーカー特集や、相鉄特集などの情報では
かなりの確率で「浦田→蒲田」と間違えているとか おお、これは知らなかった
鉄ちゃん的には浦田よりも蒲田の方が馴染みある 近畿車輛は、今はまだ近鉄が筆頭株主だが、そのうち、西の色が強くなれば、東急車輌→総合車両
のように社名変更するのか。
そういえば、東急車輌が総合車両になってから、JR東と東急以外の私鉄から大幅に遠ざかっている。
あの南海も近畿車輛に乗りかえたし、小田急や相鉄、都営新宿線は、E231,E233のOEMのようなもの。 日車と 昔からの顧客 名鉄 筆頭株主になった 名鉄のライバル企業 JR倒壊 の三角関係
は何時まで続くことか?
ちなみに、東急車両が東急電鉄からJR東日本に売られた際は、天下りやお互いの出向は
解消したそうだ、但しそれ以前から電車の回送、移動運転とかでは国鉄→JR東日本の出向
等人材供与を受けていたらしい。 ニチユはこれに入るのかしら?
今はバッテリーフォークメインだけど。
このあいだニチユの詳しい資料の本みておーーと感動。
飯野はいい車両出してたよな、プレス機を活用して溶接線一本のタンク体はここだけだった。
今は日立造船だったような。 ウィキを読んでみたが、今ひとつ新潟鉄工の破綻と、富士重工の撤退の理由がよくわからない。 スバルは車メインにしたのだろう。
モーターショーや
オートメッセの展示映像では鉄道車両を作ったことは黒歴史にされている。 >>131
航空と乗用車だね
クルマはバスも特装も切っちゃったからね ガキの頃、地元の路線バスに7Eボディが導入された時は
スクエアなボディがかっこよくて、よく狙って乗ってたよ。 俺は初めて5Eを見たときの感動が忘れられない
前面方向幕の周りなど、近未来に見えた
初期のLEカーも大好き
特に、5E顔の北条や三木など >>126
東急車輛(TS)→総車(J-TREC)は
事業移管による継承で、旧法人(東急車輛製造)そのものをJR東は買収していない
TS自体は、最終的に親会社の東急が吸収合併して精算
〜経緯〜
現状での事業継続が困難になった為、親会社の東急はTSの身売り先を模索
鉄道関連をJR東日本、自動車関連を新明和工業に分割して事業譲渡
2011年11月、その過程で債務処理の関係から、新旧分離のため2つの準備会社を設立
・新東急車輛
・新東急パーキング
2012年4月、事業移管の上、関係会社を含めてそれぞれの引受先に譲渡され商号変更
新東急車輛→総合車両製作所(J-TREC)
・東急車輛エンジニアリング→J-TRECデザインサービス(J-TREC D&S)
・京浜鋼板工業
新東急パーキング→東京エンジニアリングシステムズ(TESC)
→2018年、新明和パークテック
・東急パーキングシステムズ→東京パーキングシステムズ→2014年、TESC(吸収合併)
東急車輛特装→東邦車輛
・東急車輛サービス→東邦車輛サービス
旧法人は事業移管後に以下の変遷をたどる
→横浜金沢プロパティーズ(2014年商号変更)→東京急行電鉄(2016年吸収合併) >>128
三菱ロジスネクスト
三菱重工によるM&A以後、経営統合を繰り返し
今や社名にニチユ(日本輸送機)の面影すらなくなった・・・
大年の産業用機関車メーカーも鉄道貨物衰退以後は
モノレール工作車とかも作ってたな
ターレット式構内運搬車のエレトラックが!?
日本オート玩具のラジコンにトミカやアオシマ特殊荷役シリーズとかで製品化 >>132
特装のパッカー(塵芥車)のフジマイティーは業界首位だったが
少子高齢化社会を見据えて将来性から新明和に事業譲渡し撤退
コーチービルダー(バス車体架装)は、当時の親会社GMの意向で
・少子高齢化で将来性が無い
・日産ディーゼルの第一指定契約が、GM系いすゞと競合(シャーシメーカー同士が競合)
・いすゞの第一指定、いすゞバス製造との重複(第二指定、富士重は競合関係)
などの理由を指摘
一方、日産ディーゼル自体が西工に一本化する意向などで撤退 訓読みするならきみなみだよなあ
ああ、日本語は難しい 初めてこのスレを見たけど、ここまで武庫川車両の名前が出てないのか
鳴尾浜の工場跡地は現在運送会社が建物をほぼそのままの状態で使っているけど、
元々、構内に線路がなかったから元車両メーカーだったとは気が付かないと思う 川崎は造船、車両、重工と三種類あってテツの入門当初は区別が分からず苦労したもんだ 戦前の私鉄車両(主に軌道)に鶴見木工製と何かの本に読んだ記憶が 大正時代後期の玉電1形に鶴見木工所製があるね。他に枝光鉄工所製なども。 枝光鉄工所は有名な印象がありますが、製造例はどこがあったでしょう? 略称がそれぞれ川造、川車、川重
既出だが他に日車東支、近車、帝車。
でも東急車両や武庫川車両、ナニワ工機は略されなかった アルミのナニワ
どう足掻いてもアナルなんかにならんでw >>156
加藤製作所、協三工業、日本輸送機、鉄道からほぼ足を洗って生きていっている。
まあ、一部は会社が併合されているが。 池貝は内燃機メーカーとして有名でしたが、今は中華系企業の傘下になりました。
昭和2,30年代の、
日之出車輌工業、大平車輌(三交サ100形)。
三候車輌、北陽車輌、六甲車輌(神戸市電900形)。
瑞穂工業(能勢電31,32,105)。
昭和車輌工業所(淡路モハ1005、1010,1011)。
といったメーカーもあまりよくわかりません。 もう半世紀前になるが、運輸省にいた叔父のつてで、汽車会社の南砂の工場を見学させてもらったことがある。
鉄道車両から橋梁などに主力を移そうとしていた頃だったが、制作中のEF66があった。
当時の金額で1両8000万と聞いたのを覚えている。 別に思い入れがあるわけではないが木南車両とかどうだろう?車両製作辞めて会社清算した後の後継(会社的な繋がりは全く無いが)法人が浜寺中央病院、これも最近どっか別の病院に吸収されて無くなったが…何故に車両製作から医療法人か解らない。 会社法で、登記簿の変更が12年間ないとみなし解散とされるので、清算会社や休眠会社の登記簿を売買するケースがあるが、
そういう例ではないだろうなあ? 野球中継で阪神の木浪の名前が出てくると木南車両を思い出す 声優の雨宮天の名前を見ると雨宮製作所を思い出しちゃう 木南ってくっつけると「楠」(くすのき)になる
社名もそのあたりに由来があるのでは、と妄想していたw 話変わるけど汽車製造が電車を受注したときに社名変更は考えなかったのかな >>174
豊田自動織機は自動車事業を開始してからの方が遥かに長いよな
現在ではフォークリフトなど物流関連機器が主力だったりするし
商号変更を複数回しているけど?相変わらず自動織機だし
1926、「株式会社豊田自動織機製作所」設立
1987、呼称を「とよだ」→「とよた」※漢字表記は変更なし
2001、「株式会社豊田自動織機製作所」→「株式会社豊田自動織機」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E7%94%B0%E8%87%AA%E5%8B%95%E7%B9%94%E6%A9%9F 豊田商事というのもあったな
トヨタとは全く関係ないが、ひところは日本中で知らない人はいないぐらいの超有名会社だった
(悪い意味で) 営団6000系を初めて見たとき、未来の電車って気がしたが、製造が汽車会社だったので
そのギャップに笑ってしまった。 確かに...「21世紀の電車」とも言われてたしな。 >>180
0系新幹線作ってる会社に何言ってんだよって感じだがな 社名は汽車ですが、汽車を作る会社じゃありません
みたいなコピーで就活生相手にPRしてそうじゃない? バナナ、ブレーキ、コットンティッシュに燃料電池
社名をどんどんハミ出します、日清紡
みたいなもんか >>178
川崎車両は川崎さん(本社は兵庫県で、神奈川県川崎市とは無関係) >>187
いわゆる神戸川崎財閥(松方コンツェルン)系の会社で東京川崎財閥とは無関係
川崎造船所を源流とする会社には川崎製鉄や川崎汽船などもある
そのほか神戸川崎系の流れをくむ会社には?
デイリースポーツを発行する神戸新聞社とか 枝光鉄工所なんてのもあったようだ
街中の零細鉄工所みたいな名前だw
受注実績は地元九軌や小倉電軌などはわずかで
京王や札幌市電など遠方が主力というのも面白い 八幡製鉄所工作部で1960年にSLが製造されている。
統計上は車両として計上されない機械扱いだけど、
観光用を除けば国内向け最終SLなのか、詳細がわからない。 >>190
どういう伝手で受注できたんだろうね
とても興味深い 昭和恐慌がなければ大正期の零細メーカーの勢力図が変わってただろうな
枝光がどうなってたか…… >>193
どうもならないよ
零細は所詮零細で終わる
下剋上などマボロシ 手塚車両、手塚製作所?出来はイマイチだったようだが 枝光と同様に九州で活動していたと思わわれる岡部鉄工所もよく分からないことが多い
ウィキペディアでも説明なし
ネット検索では福岡県で営業中の企業しか当たらない 大阪市今宮に工場があった日本電機車輛
大正9年に信貴生駒電気鉄道から
電車3両を受注するも経営破綻で閉鎖
鉄道会社が工場を引き継ぎ、
開業には電車完成を間に合わせた、とある
前金を受け取り、後は適当に着手してるふりをしただけで
トンズラをこくという手口は
今のように履行保証制度が整ってなければ
簡単にできたのだろうな 200(σ・∀・)σゲッツ!!
200キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
200(・∀・)イイ!! >>199
そんなに容易く製造を引継ぐことが出来たのか 逆に受注する側も、発注者に支払能力があるか不安があっただろう
リスク回避のために前金制もあるが納品までに全額払い込みに応じる発注者があるようには思えない 大正10年日本電気車輌製造の秋田市電100形は8年後に車体更新されている。
よほど手抜きした車両だったのだろう。
しかし東北にも販路があるぐらいだから、営業力に優れていたのかな。 帝国車両(→東急大阪→同和歌山工場→JTREC和歌山工場)の前身、梅鉢鉄工所。
南海浅香山駅近くに引き込み線跡の路地が残る。戦前に阪和線鳳に移転・帝車に改名。
ローカル鉄道向けの客貨車や路面電車を製造。
高野線で新車輸送したようだ。
スバルとは関係ない富士車両。
南海狭山駅に引き込み線の名残が残る。
工場跡地は比較的最近まで空き地だった。
主に大阪市電や貨車を作ってたようだが、国鉄では戦災復旧車の60,70系客車製造にも参入。
複線平坦線区間とはいえ、小型車しかいない当時の高野線で20m客車を新車輸送してたんだろうか。
現在は滋賀県に移転して別業種:http://www.fujicar.com/ 興国車輌は現在でも盛業中だね。
南海のイメージがあったけど、
今は正雀でおもに阪急の車両に携わっている。 1969昭和44年
東急車輛製造やアルナ工機など取引が拡大すると同じ時期に、南海電鉄からの受注が減少。
1969年(昭和44年)9月、東急車輛製造と取引開始。大阪府堺市鳳工場において新造車両の配線工事を施工。1970年(昭和45年)には南海電鉄からの受注が減少する。 造って十年もしないうちに更新工事を迫られるなんて余程の粗悪品だったのかな
昔はリコール制度なんてなく、とりあえず納車してしまえばこっちのもんみたいな考えかも >>202
当時からブローカーみたいなのが暗躍して支払保証させて着手に漕ぎ着けていたらしい
もちろん相応の額の手数料を取られる アフターサービスも大切だが
昔はそんは発想もなかったのかな 昔の鉄道雑誌に24系客車製造してますって
富士重工だかの広告よくあったよな。
直接宣伝効果はないけど、将来の技術者募集
の役にはなったかも >>210
古い私鉄車両めぐりとか読んでいると、小島栄次郎などのブローカーの
名前が出てくる。メーカーの体をなしてない個人商店状態 専業ではないけれど鉄道車両を手がけたメーカーとして、
最古参は創業元禄二年(1689年)の藤永田造船所になるのかな。
世界的に見ても古いと思うよ。スチーブンソンの蒸気機関車の125年前だ。 >>205
今の富士車両は産廃処理施設のプラントとかが主力らしいね
沿革見ると、滋賀に移転した頃には車両メーカーというよりは?
化工機(高圧タンク)メーカーや鋼材メーカーという感じだね
80年代半ばジャーナルの車両メーカー特集でも?
LPG高圧タンク関連が主力と紹介されてたし
以前、燃料業界やタクシー業界関連の出版物に富士車両の広告が掲載されてて
LPG充填所用やタンクローリー用のタンクが載ってた >>203
俺もそう思って法人検索サイトで見てみたがヒット無し
今この社名使ってる会社があったとしたら
先代がこんな潰れ方してるのを知るや否やすぐに改名したがるだろうなw 西鉄もメーカーを配下に置いてなかったっけ?
鉄道線500は新製こそ他社だが改造と廃車解体は西鉄産業の手で、とカラーブックスで読んだ 造船所が経営多角化のために電車受注に手を広げる…藤永田と川崎か >>221
九州車輌
1960年代に宮地岳線木造車の鋼体化や軌道線車両の製作とかを受注
新製車体は以下の通り
・300形(福岡市内線→北九州線)※準新車
・1000形(北九州線)
・331形(北方線)
親会社のコスト削減策で一部の車体を回されてた感じ
車両一式丸ごと大手メーカーへ発注するよりも割安だったとか なかなか豪華な顔ぶれね
路面電車車体専門メーカーとして生きる道もあったのでは 九州拠点だから何かと都合良かった
軌道線多かったし >>223
藤永田の名前は古い鉄道解説書(たとえば慶應鉄研のガイドブック)でよく見かけた
記憶に残る文字面 藤永田造船所の最終鉄道車両は、昭和8年製の近鉄東信貴鋼索線コ9形らしい。
今でも静態保存されているね。
軍縮期に海軍艦艇の受注が減って鉄道車両に手を広げ、
軍拡期の到来で忙しくなって本来の造船業に戻ったけれど、
当時の社長が信貴山を信仰していたので製造した車両と聞いている。
廃線まで使用されたから、何度か乗車した。
クロスロングが千鳥式のシート配置で、ニス塗りの車内には趣きがあった。 藤永田の話を聞くと、受注が見込めなければ撤退するのは企業としては当然で、今でも起こり得る事態とは思う
やがて国内ではどこも受注能力がなくなってしまうかも >>230
そこはロリ...もといロータリー専門やろが? 個人商店から立ち上げて大企業に成長させるなんて並大抵の苦労ではできない 大発明するか、大ヒット作を手掛けるか
どっちも針の穴を通すほど難しいな