懐かしの鉄道車両メーカー [無断転載禁止]©2ch.net
帝国車両、大栄車輌など、
合併・倒産・事業譲渡のために
鉄道界から名前が消えた車両メーカーを懐かしむスレ バナナ、ブレーキ、コットンティッシュに燃料電池
社名をどんどんハミ出します、日清紡
みたいなもんか >>178
川崎車両は川崎さん(本社は兵庫県で、神奈川県川崎市とは無関係) >>187
いわゆる神戸川崎財閥(松方コンツェルン)系の会社で東京川崎財閥とは無関係
川崎造船所を源流とする会社には川崎製鉄や川崎汽船などもある
そのほか神戸川崎系の流れをくむ会社には?
デイリースポーツを発行する神戸新聞社とか 枝光鉄工所なんてのもあったようだ
街中の零細鉄工所みたいな名前だw
受注実績は地元九軌や小倉電軌などはわずかで
京王や札幌市電など遠方が主力というのも面白い 八幡製鉄所工作部で1960年にSLが製造されている。
統計上は車両として計上されない機械扱いだけど、
観光用を除けば国内向け最終SLなのか、詳細がわからない。 >>190
どういう伝手で受注できたんだろうね
とても興味深い 昭和恐慌がなければ大正期の零細メーカーの勢力図が変わってただろうな
枝光がどうなってたか…… >>193
どうもならないよ
零細は所詮零細で終わる
下剋上などマボロシ 手塚車両、手塚製作所?出来はイマイチだったようだが 枝光と同様に九州で活動していたと思わわれる岡部鉄工所もよく分からないことが多い
ウィキペディアでも説明なし
ネット検索では福岡県で営業中の企業しか当たらない 大阪市今宮に工場があった日本電機車輛
大正9年に信貴生駒電気鉄道から
電車3両を受注するも経営破綻で閉鎖
鉄道会社が工場を引き継ぎ、
開業には電車完成を間に合わせた、とある
前金を受け取り、後は適当に着手してるふりをしただけで
トンズラをこくという手口は
今のように履行保証制度が整ってなければ
簡単にできたのだろうな 200(σ・∀・)σゲッツ!!
200キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
200(・∀・)イイ!! >>199
そんなに容易く製造を引継ぐことが出来たのか 逆に受注する側も、発注者に支払能力があるか不安があっただろう
リスク回避のために前金制もあるが納品までに全額払い込みに応じる発注者があるようには思えない 大正10年日本電気車輌製造の秋田市電100形は8年後に車体更新されている。
よほど手抜きした車両だったのだろう。
しかし東北にも販路があるぐらいだから、営業力に優れていたのかな。 帝国車両(→東急大阪→同和歌山工場→JTREC和歌山工場)の前身、梅鉢鉄工所。
南海浅香山駅近くに引き込み線跡の路地が残る。戦前に阪和線鳳に移転・帝車に改名。
ローカル鉄道向けの客貨車や路面電車を製造。
高野線で新車輸送したようだ。
スバルとは関係ない富士車両。
南海狭山駅に引き込み線の名残が残る。
工場跡地は比較的最近まで空き地だった。
主に大阪市電や貨車を作ってたようだが、国鉄では戦災復旧車の60,70系客車製造にも参入。
複線平坦線区間とはいえ、小型車しかいない当時の高野線で20m客車を新車輸送してたんだろうか。
現在は滋賀県に移転して別業種:http://www.fujicar.com/ 興国車輌は現在でも盛業中だね。
南海のイメージがあったけど、
今は正雀でおもに阪急の車両に携わっている。 1969昭和44年
東急車輛製造やアルナ工機など取引が拡大すると同じ時期に、南海電鉄からの受注が減少。
1969年(昭和44年)9月、東急車輛製造と取引開始。大阪府堺市鳳工場において新造車両の配線工事を施工。1970年(昭和45年)には南海電鉄からの受注が減少する。 造って十年もしないうちに更新工事を迫られるなんて余程の粗悪品だったのかな
昔はリコール制度なんてなく、とりあえず納車してしまえばこっちのもんみたいな考えかも >>202
当時からブローカーみたいなのが暗躍して支払保証させて着手に漕ぎ着けていたらしい
もちろん相応の額の手数料を取られる アフターサービスも大切だが
昔はそんは発想もなかったのかな 昔の鉄道雑誌に24系客車製造してますって
富士重工だかの広告よくあったよな。
直接宣伝効果はないけど、将来の技術者募集
の役にはなったかも >>210
古い私鉄車両めぐりとか読んでいると、小島栄次郎などのブローカーの
名前が出てくる。メーカーの体をなしてない個人商店状態 専業ではないけれど鉄道車両を手がけたメーカーとして、
最古参は創業元禄二年(1689年)の藤永田造船所になるのかな。
世界的に見ても古いと思うよ。スチーブンソンの蒸気機関車の125年前だ。 >>205
今の富士車両は産廃処理施設のプラントとかが主力らしいね
沿革見ると、滋賀に移転した頃には車両メーカーというよりは?
化工機(高圧タンク)メーカーや鋼材メーカーという感じだね
80年代半ばジャーナルの車両メーカー特集でも?
LPG高圧タンク関連が主力と紹介されてたし
以前、燃料業界やタクシー業界関連の出版物に富士車両の広告が掲載されてて
LPG充填所用やタンクローリー用のタンクが載ってた >>203
俺もそう思って法人検索サイトで見てみたがヒット無し
今この社名使ってる会社があったとしたら
先代がこんな潰れ方してるのを知るや否やすぐに改名したがるだろうなw 西鉄もメーカーを配下に置いてなかったっけ?
鉄道線500は新製こそ他社だが改造と廃車解体は西鉄産業の手で、とカラーブックスで読んだ 造船所が経営多角化のために電車受注に手を広げる…藤永田と川崎か >>221
九州車輌
1960年代に宮地岳線木造車の鋼体化や軌道線車両の製作とかを受注
新製車体は以下の通り
・300形(福岡市内線→北九州線)※準新車
・1000形(北九州線)
・331形(北方線)
親会社のコスト削減策で一部の車体を回されてた感じ
車両一式丸ごと大手メーカーへ発注するよりも割安だったとか なかなか豪華な顔ぶれね
路面電車車体専門メーカーとして生きる道もあったのでは 九州拠点だから何かと都合良かった
軌道線多かったし >>223
藤永田の名前は古い鉄道解説書(たとえば慶應鉄研のガイドブック)でよく見かけた
記憶に残る文字面 藤永田造船所の最終鉄道車両は、昭和8年製の近鉄東信貴鋼索線コ9形らしい。
今でも静態保存されているね。
軍縮期に海軍艦艇の受注が減って鉄道車両に手を広げ、
軍拡期の到来で忙しくなって本来の造船業に戻ったけれど、
当時の社長が信貴山を信仰していたので製造した車両と聞いている。
廃線まで使用されたから、何度か乗車した。
クロスロングが千鳥式のシート配置で、ニス塗りの車内には趣きがあった。 藤永田の話を聞くと、受注が見込めなければ撤退するのは企業としては当然で、今でも起こり得る事態とは思う
やがて国内ではどこも受注能力がなくなってしまうかも >>230
そこはロリ...もといロータリー専門やろが?