青函連絡船5便 [転載禁止]©2ch.net
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明日の大宮の鉄道博物館の青函連絡船の講演会行く人いますか?
まさか今のJR東日本関係の博物館が青函連絡船の講演会をするとは思わなかったです。 羊蹄丸って事は、また一番が偉そうにしてたんだろうな。 一般向けにアレンジしつつも、いつもながら濃い内容だった。
鉄博のいちばん奥の場所ながら、客席、けっこう埋まってたね。
十和田丸の模型展示もよかった。 ジェットフォイルによる急行便があったらどうなっていたか
宇高連絡船みたいにホバークラフトは波が荒く不可能 >>11
東日本フェリーのジェットフォイルは短命だったけど 青函航路って、メインは貨物だろ〜
鉄道輸送システム自体がトラック+フェリー、内航海運に大負
けで運ぶものがなかったんだから、航路だけ何かしたって結果は
同じだろうな〜
そもそも時間を金で買わなきゃならない人たちは、高速船入れ
たって鉄道や船なんか乗らないって。 1年弱だけ青函連絡船はJR北海道所属だったんですね
JRのファンネルマークの青函連絡船は短期間しかなくて貴重とも言えますね
お台場に保存されていた羊蹄丸もJNRに復元されていました
1日だけ青函連絡船と青函トンネルが両方あった日がありましたが、連絡船内で北斗星の切符を買えたりしたのでしょうか? ナッチャンReraも短命だったな
高速船は燃料消費量が凄まじい事になるみたいで小笠原TSLも頓挫した >>16
ナッチャンは、東日本フェリー自体にとどめを刺しちゃった。 >>15
JR化後の夏以降はお名残乗船が増えたから、むしろJNR時代よりフネの写真は多いかもしれないよ。
ことさら世間に出回らないだけで。
切符については連絡船自体と、列車内で車掌さんが発券する範囲に近いと考えればいい。
みどりの窓口じゃないから、あらゆる扱いができた訳ではない。 >>15
>>19
青函連絡船の船内で販売していた指定券類はあらかじめマルスから
抜いてきた継送特急の船持ちの席だと本に書いてあった。
最終日、とくに寝台券などは船にはなかったのでは? 3月時点では定番切符が切れてしまい、大雪丸の残りに線引いてた話もあったような…。
だいぶ前の鉄ファン誌に切符コレクションの稿があった。
各種記念券の概説の後、アンコール最終日に羊蹄丸内購入した自由G券が写ってたな。
函館到着直前だったので、“羊蹄丸発行”最後の切符である、と結んであった。
同様にこの日の“十和田丸発行”ラストをお持ちの方が、日本のどこかにいるのだろう。 青函博で上映されていた函館の紹介していた映画をまた見たいな。
このま〜ち〜はこだて〜
ぼくの〜ま〜ち〜って歌だったはず。
ちなみに嫁は青函博の20年後に出張中の函館でゲットしました。 ボーイング747のせいで青函連絡船が斜陽化したとか話もあるな
1980年のダイヤ改正で航空機利用を前提に千歳空港から札幌に向かう列車を増やした
しかし今度はLCCの台頭でボーイング747が輸送力過剰になってしまい国内の航空会社から消えた >>26
青函連絡船じゃなくて国鉄が斜陽化したんだよ。
それに、B4が消えたのは燃料食う上、維持経費が高いから。 >>26
ジャンボなどの大型機の投入は、北海道方面に限らず潜在需要を
吸収できるようになったのは確か。
それまでの旅客機と定員が全然違うからね。
団体旅行とかも航空機に持って行かれるきっかけになった。 函館空港に関して言えばスーパージャンボ(古っ!)よりトライスターが多かったな。更に昔は727が爆音&黒煙で。 俺らが高校生だった80年代中頃は、完全に飛行機の時代だったもんなー。
123便が墜ちなかったら、俺らの北海道修学旅行も連絡船じゃなくて飛行機のはずだった。 誰か覚えてたら教えてください。
『可動橋』って言ってなかったですよね?なんか横文字で言ってたと思ってたんですけど、どうしても思い出せない…トラバーサー?みたいな感じの横文字。
とりあえずサビをなんとかしようよ。青森&函館。 >32
船内の売店で売られてた「あらまき弁当」や「鮭寿司」とか >>34
可動橋は可動橋と言っていました。横文字名称はなかった。
着岸のときの船尾二航のマイク報告も、
「可動橋接合おわり、ともよろしい」
だった。 >>36
いゃあったから。あったから聞いてるんです。知らないなら黙っててください。
あなたが『無い』と決めつけるコトで、話しが終わるのが非常に腹ただしい。 >>34
>『可動橋』って言ってなかったですよね?
いや、だから可動橋って日本語で言ってたって話じゃん。
横文字云々は置いといて、自分の記憶が間違ってるのが明白なのに、それは無視してなんだその態度。
ちなみに俺も横文字は聞いたことない。
他の横文字を可動橋の事だと勝手に勘違いしてた可能性はないのね? ものの本によると、英語では
可動橋 : movable bridge
昇開橋 : lift bridge
だそうです。 >>37
36ですが、私はかつて青函連絡船に乗務していました。
少なくとも、私の知っている限り、可動橋を横文字で言ったことはないし、言っていた人はいません。
間違いなく、あなたの勘違いです。
旅客用の上下船口にかけるのは「タラップ」と言っていました。 夜明けの船上で食うホタテの乗った海峡ラーメン
函館駅の乗り継ぎ列車待ちに、雪の舞うホームですする三平汁
同じ過程でも、今の新青森から白鳥・北斗の乗り継ぎの至って殺風景なこと… いかにも終着駅とか、海を渡る儀式感は無くなってしまったね。
新幹線が通ればさらにあっけなくなる。
まあ何てこともない地続き=一本列島化なわけだが。 新幹線が開通したら、青森での乗り換えは必要なくなるからなぁ。
青函トンネルが完成しても、青森・函館と乗り換えるから旅情があったと思う。
こんなこというのは鉄ヲタでは俺だけかもしれんが、「北斗星」に旅情を感じなかった。 その、可動橋とタラップ、別物を混同してるとか
形式や数値にアスぺっぽくこだわるのはいかがなものか(鉄の特徴だけどさ)
本職さんもレスしてるみたいだし、心像風景と薄れる記憶を補完しつつおおらかに >>43
記憶が正しければだが、
大きな寸胴に入れて販売していた三平汁
容器はスチロールだったけど美味しかった
あんなに旅情を刺激する風景には
連絡船時代の函館駅以来、出会っていない 今、NHKの「ひるブラ」で八甲田丸から生中継してる
葛西元機関長が船員用の風呂などを紹介している サロン海峡は何となく覚えている。
船内の騒音に対抗する為なのか?やたらと→スピーカーがあった。
客室のスピーカーはナショナル?かTOAの学校の廊下にあるやつ
今も藤沢駅前の有隣堂が入ってる古〜いビルに同じのがある カシオペアもはまなすも廃止か
そのうち貨物列車も足手まといになって
船で運んで貨物線用の青函連絡船復活するかも >>54
その場合北海道側は函館より室蘭にした方が時間短縮できるな >>54-55
2年ぐらい前?だっけ? その話が出てきたのって。
室蘭市長の思い付きとか言われてた気もするが、結局消えたね。 新幹線がトバすと風圧で貨物が脱線…が代替輸送話の起こり。
それが現在の特急並みに減速することで妥協したから沙汰やみになったね。
さてさて今年も9月18日が来ましたな。
アンコール運航最終日はよく晴れた日曜日だった。
3月とこの日の、両方とも最終乗船した熱心な方はいたんだろうね。 今週のNHK探検バクモン
「青函連絡船」なんて言葉が出てくるとは思わなかった。
びっくり。 宿場町(=物流の中継地)は栄えるもんだとは思うが。
宮古にフェリーターミナルを整備する話はどうなるんだろう? 青函連絡船のグリーン指定席は良く乗った
必ず海側の窓際を取ってもらい2号車と3号車の1〜4番のA席かD席でお願いしたものだ
函館行きの下り便基準だと2号車が下北半島側の右舷、3号車が津軽半島側の左舷で
行きと帰りの便で変えてもらったが都内のみどりの窓口では係員がチンプンカンプンで
こちらから催促してマルスN型を操作してもらったものだった。 連絡船のグリーン船室というのがよく分からん世代に教えろください
雑魚寝よりもよく眠れたの? 保存の八甲田丸で座ったぞ、現役当時は大部屋で寝てるか船尾ベンチの貧乏利用だ >>63
指定席は夜行高速バスの独立シートみたいな座席だったんだよ。
当時は夜行高速バスなんて殆ど無かったから、凄く良いシートだったんだ。
↓ここにリクライニングした写真がある。
http://keibajoreport.web.fc2.com/bangai/hokkaido3a/page10/ 指定席は良かったね。
自由席の座敷って、設備的にはカーペットの毛足が長くて柔らかい
位しか差がなかったよね。 >>66
あとは通路との仕切りにガラスがあったのと、枕があるくらいかね? 復活運行の時に函館からグリーン席乗った。
確かに船なのにグリーン席な感覚だったけど、乗ったら意外と快適だった覚えが。
ちなみに往路はグリーン席も満席で寝台だった。
青森まではあけぼの。帰りはゆうづるだったかな。
定期運行の時は毎度2等桟敷席。 俺、復活運行時はグリーン指定席を取ったけど、
なんだかんだでずっと普通船室にいたなぁ。
ラストブームだったから、「満員で乗れなかったらどうしよう」対策だった。
だからあの座席、現役時に座ったのは数分だけ… 復活運航とかアンコール運航って、正式には暫定運航って言うんだってね。 写真で見ると二等船室とグリーン席の桟敷席って違いが分からんかった(´・ω・`) >>71
客層が違うことだけでもお金を払う人もいるだろうさ。 >>63
混雑期に「しらゆき」からの乗り継ぎで青函連絡船に乗ったとき、
「はつかり」「みちのく」「白鳥」からの客が優先乗船で席が取れず(乗れるかすら微妙?な感じ)、
船内で自由席のグリーン船室券を購入して利用。
リクライニングシートで、3時間50分、ゆったり出来た。 そういう場合向けに急行の車掌からグリーン券買えたんですかね? >>74
いや、船上で購入。
「しらゆき」からの長い行列の乗船客の脇を、特急からの乗船客が大量に通っていく様は、
正直ひやひやもんだった(翌日ニセコ乗り継ぎで札幌集合にギリ間に合う)。 追記
乗船名簿用紙も車内では配られず、ホームで争奪戦だった。
まあ無くなるわけじゃないんだが。 特急客優遇だったのか、連絡船自体は同時間同価格なのに。俺はつかり11号で優遇されたかな
多層建て急行で構ってらんねーとかじゃなくて >>76
寝台特急ゆうづる・はくつるは583系の洗面所にグリーン色の乗船名簿を
束で吊るしてあったけど、車掌が配っていたよ。
下りはこの組合せが多かった
上野19:50(ゆうづる1号)5:03青森5:23(3便)9:15函館9:35(おおぞら3号)15:36旭川or19:41釧路
上りはこの組合せが多かった
網走9:05(おおとり)19:05函館19:25(16便)23:15青森23:35(ゆうづる14)9:01上野
〃〃〃〃〃〃〃〃〃19:50(6便)23:40青森23:58(はくつる)9:18上野
深夜便は連絡船終焉まじかの1986〜1987年に2回乗ったが到着する前に
天井から聞こえてくる曲(ミスターロンリー)が眠くて恨めしかった想い出がある。
https://www.youtube.com/watch?v=j-ZSb_SyhNI おれも87〜88にかけて3回ほど乗ったけど、
その時は「大脱走マーチ」とか、曲名知らない爽やかなピアノ曲…だった記憶がある。
なお、3回のうちの1回は、函館入港・着岸寸前までぐっすり眠ってたんで、
何の曲がかかってたかなんて全然語れない; …というのは秘密w 青函連絡船に乗ると桟敷席の居場所を陣取ってから最初に売店に行って
必ず買う物があった。最新の道内時刻表と青函連絡船の絵葉書セット。
乗った船の絵葉書を出して裏にスタンプを押してから案内書へ持っていくと
事務長か部下の人が○○便、○○○丸とゴム印を押してくれていい記念になった。
キヨスク売店左側にある四つ葉牛乳自販機となりにあった、記念メダルも
集めたけど本体以外に刻印料金もかかって、八甲田丸と十和田丸と大雪丸で
やめてしまったが普通は日付と氏名を刻印するのだが、自分は名前の所に
便名(23B)と船の名前を昔の電話のダイヤルみたいなの(大きな水色のダイヤル)
を回して刻印したよ。
グリル○○(船名)がオープンすれば必ず行ってイカ刺定食や海峡丼を食べてそれから
サロン海峡でコーヒー飲むのが定番のコースでした。 昭和40年代すでに特急志向が強かったな
早朝の「おおぞら」満員「北海」わずかに空席「ニセコ」余裕
午前の「おおぞら」ほぼ満席「おおとり」空席あり「宗谷」ガラガラ ほうほう
だからその時期には貧乏旅行で周遊券を使う学生が急行八甲田や十和田を
使っていた・・・と まぁ、青函連絡船乗ったってだけで自動的に27歳+αだからなぁ。
青函連絡船に乗った当時中学生でも、もう40だ。 あの当時、急行すずらんが運休だったのはなぜなんだろう。
いつも北海道は北海道ワイド周遊券だから、遠慮せず特急の自由席を使わせてもらっていたけど、
北斗なんかは増結車まで付けてるくらい乗車率悪くなかったのに、
時刻表に運休中の表記付きでスジだけは載っていたよね。
連絡船の廃止前後。
まだ、はくつるもゆうづるも結構混んでいた。 >>80
そうそう、四つ葉牛乳の自販機だった
3.4牛乳だっけ?
アレを飲むと「流石は北海道の牛乳、味が濃い」と勝手に思い込んでいた餓鬼の頃… >>87
多分、よつば3.4牛乳だったと思います
1975年当時は三角の牛乳で80年代から四角い牛乳に変わりました
3.6牛乳の自動販売機は今でも函館駅のホームにあります
青函航路がなくなって移動が北斗星に変わると函館駅で
例のよつば3.6牛乳を飲みながら青函航路の想い出に耽りましたよ >>88
上野駅の大跨線橋にあったよつば3.4牛乳の自販機に、遠く連絡線の向こうの北海道に想いを馳せた日・・・ 青函連絡船亡き後九州の港にフェリーで着いたら真っ先にみどり牛乳のコーヒーミルク飲んだな >>86
1980年10月1日ダイヤ改正で夜行急行すずらん5・6号は
廃止となり、函館〜札幌間の寝台付き定期列車は廃止
その後、季節臨で繁忙期のみ運転。 はまなす廃止でまたひとつ青函連絡の名残が消える・・・ マクドナルドと同じ戦略
利便性の高い商品を排して
新幹線(ビッグマック)を売る
大人の休日と青春18も止めたい筈 >>93
マクドナルドはハンバーガー59円で消費者に原価を推定させてしまったが、
青春18は原価割れの大廉売だな。 乗車券も他社またぎは打ち切り計算に
そうなったら自民党は完全に嘘吐き
http://i.imgur.com/2VCPlGJ.jpg 青函連絡船で思い出されるのは昭和55年くらいだと・・・
上野11:19(いなほ3号)21:45青森0:10(青函便)4:00函館4:45(おおぞら1号)15:02釧路
いなほ3号の食堂車で昼と夕飯食べて、おおぞら1号の食堂車で遅い朝食と昼食を食べた。
青函連絡船の中では出航前に売られるあらまき弁当などの弁当しか食えなかったけど・・・ いや、JRの株を持ってる奴にとっては、文字通り「私の鉄道」になったんだから、
その意味においては正しいwww
所詮、株主様しか見てない自民党よw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています